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  1947.4.19
  オルシュティン

 
 

もしかしたら、彼――槐は父の消息を知っているかもしれない。
そう思うと、真紅は気もそぞろで、矢も楯もたまらなくなった。
車長席に座って、ペリスコープを覗いている間も、
忙しなく揺すられる爪先が止まることはない。
無意識の内に、彼女の焦燥が、動作となって表れているのだった。

当初の行軍予定は、想定外の事態により、かなりの遅れをきたしている。
本来ならば、脇目もふらず、ワルシャワを目指さなければならないところだ。

なのだが……。

「どぉしたの、真紅ぅ?」
「ひあっ?!」

物思いに耽っていたところへ、思いがけず間近で水銀燈に話しかけられて、
真紅は珍妙な声を出した挙げ句、危うく車長席からズリ落ちそうになった。
車内に、娘たちの陽気な笑い声が広がる。
赤面した真紅も、気恥ずかしさを誤魔化すように、口元を引きつらせた。



ひと頻り笑いの輪が広がった後で、やはり、水銀燈が真っ先に口を開いた。

「真紅ぅ……貴女、槐って人のところへ行きたいんでしょぉ?
 隠したってダメよぉ。おばかさんの考えなんか、全てお見通しなんだからぁ」 
「水くさいよ、真紅。ボク達は一蓮托生。みんな、キミの意志を尊重するつもりさ」

車内無線を通じて、三人のやりとりを聞いていた金糸雀と翠星石の声が、
真紅の耳に届く。

「そのとおりよ、真紅。カナ達に気遣いなんて無用かしら」
「どーせ遅刻ついでです。数時間くらい寄り道したって変わりねぇですよ」
「貴女たち……」


気持ちは嬉しい。それはもう、涙が出そうなほどに。
だが、それらの発言は、若い娘にありがちな認識の甘さに溢れていた。
根っからの職業軍人ではないどころか、訓練すらロクに受けていない彼女たちが、
軍規の厳しさなど知っていよう筈がない。
真紅ですら、父が軍事機密に関わっていたと言うだけで、元は普通の女の子だ。
戦える者が不足していたこと――
そして、父の置き土産であるティーガーⅢを人手に渡すことを頑なに拒んだ結果が、
軍属に身を窶した理由だ。決して、好きで戦場に来た訳ではなかった。

 
実のところ、仲間の娘たちも同じ心境だった。本当は怖い。戦いなんて、もうたくさん。
死と隣り合わせの毎日に神経をすり減らして、燃えカスのように死んでいきたくはない。

 
さりとて、傍若無人な自動人形どもに嬲り殺されることは、乙女の潔癖さが許さなかった。
屈辱の烙印を押されるくらいなら、力尽きるまで戦って、闘って……
百万の敵を斃してでも、きっと生き延びてやる。
それが、人生を切り開くということだと、彼女たちは信じていた。



全ては、幸せを受け入れるための準備……。
たとえ今日がどれほど酷い日でも、明日は夢みるような幸福が舞い込むかも知れない。
だからこそ、泣き言を並べ立てる暇があるなら、生き延びる努力をすべきだった。
死んでしまったら、甘い果実を味わうことも出来ないのだから。


けれど、世の中というものは、少女たちが考える以上に複雑で――
敵は自動人形ばかりでなく、味方であるはずの人間たちの中にも紛れ込んでいた。

 
「貴女たちの気持ちは、ありがたいわ。だけど……軍規を乱すなんてダメ。
 軍属である以上、身勝手な行動は許されないのよ」

 
かつては敵対していた者たちが、利害の一致で結びついた、寄せ集め――
それが、彼女たちが属する、ドイツ国防軍という名前のみの敗残軍だった。
しかし、形骸化したとは言え、軍隊の体面を保つために規律は定められているし、
軍法の番人として憲兵だっている。
正統な理由のない遅延は、利敵行為と見なされ、処断されかねないのだ。
敵の手にかかるにせよ、味方の手で裁かれるにせよ、
かけがえのない仲間に危害が及ぶことは、真紅にとっては耐え難い苦痛だった。

 
「まずは、次の作戦に専念しましょう。
 ワルシャワでの戦闘に勝って、正当な許可を得て、引き返してくればいいわ」

 
真紅は、これで良いのだと胸裡で自分に言い聞かせて、決然と顔を上げた。
防衛線を固めること、勝利することこそが、最優先事項なのだから。



車内に漂う、不完全燃焼のような空気――
真紅を除く誰もが、釈然としない面持ちだった。
彼女はそれを無視して、双眼鏡を手に、前方を見据える。
だが、30秒と経たない内に――

 
「ばっかじゃないのぉ?」

 
やおら足元で発せられた嘲りに、真紅が目元から、双眼鏡を離す。
声の主は、紅い瞳に鋭い光を宿して、真紅の胸元に掴みかかった。
そして、力任せに車長席から引きずり降ろし、ぐいと顔を近づけてきた。

 
「物わかりのいいフリしてんじゃないわよぉ。未練たらたらのクセに。
 なぁに? 私たちに、この戦車は任せられないとでも言うのぉ?
 随分と、バカにしてくれるわねぇ」

 
水銀燈の口調は、あくまで氷のように冷静で、波風ひとつ無いように思える。
けれど、その場に居合わせた蒼星石は、彼女の激しい怒気を、ひしひしと感じていた。
気丈な真紅でさえ、水銀燈の剣幕に気圧されて、返す言葉を喉元に詰まらせている。

反論しないことが余計に苛立ちを募らせるのか、水銀燈の憤りは衰えなかった。
まるで火に油を注がれたように、押し殺した低い声で、捲し立てた。


「なによ! 真紅なんか居なくたって、私たちは戦えるんだから。 
 この戦車を動かして、敵を見付けて、大砲を撃って、どんな敵でも粉砕してみせるわ。
 貴女みたいに、うじうじと悩んでる人に指揮される方が、よっぽど迷惑よ!」
「……ご、ごめんなさい」


珍しく、おろおろと謝る真紅の瞳を、水銀燈は蔑みの眼で睨み続けた。
そして彼女は、突き飛ばすように、真紅の胸倉を手放した。
蹌踉めいて、蒼星石に背中を支えられた真紅の鼻先に、水銀燈の指が突き付けられる。


「真紅ぅ……貴女は、もう用済みよぉ。車長は、蒼星石に任せるからぁ」
「で、でも――」
「つべこべ言わずに、戦車を降りなさい! 邪魔なのよ!」


解ったわね。と念押しした水銀燈は、それっきり、真紅には目もくれなかった。
キューポラに上がるとハッチを開いて、身を乗り出し、誰かと話をしていた。
漏れ聞こえる言葉の端々を繋いでゆくと、あのベジータという青年に、
戦車兵の経験がある者の有無を訊ねているらしい。



(ごめんなさい、みんな。そして…………ありがとう、水銀燈)


彼女は、不甲斐ない私の背を押して、送り出そうとしてくれている――
やり方こそ乱暴だけれど、誰も水銀燈の言い分に反駁しなかったのが、その証だ。
仲間たちの想いを痛いほど感じて、真紅は胸の内で、そっと感謝した。
 
 
 
――∞――∞――∞――∞――


1947.4.19


みんな――
ありがとう。私のワガママを、許してくれて。
今夜のこと、私は生涯、忘れないわ。
きっと……きっと……貴女たちに、恩返しするから。



だから、絶対に生き延びてね。
そして、追いついた私を、笑顔で迎えてちょうだい。


……お願いよ。


――∞――∞――∞――∞――

 
 
 
ティーガーⅢのシルエットが遠ざかり、闇に溶け込んでいく。
真紅は道の中央に立って、道中の無事を祈りながら見送っていた。
彼女の隣に佇んでいるのは、桜田ジュン。


当初、水銀燈は彼を“整備士”兼“装填手”として引き込むつもりだった。
けれど、見習いとはいえ技術者であるジュンは、槐の工房ですべき事がある。
それ故に、武器の扱いに長け、筋力もあるベジータが抜擢されたのだ。
残りのパルチザンのメンバーは、ここオルシュティンの“兎の砦”で、
槐の指揮下に入ることになっていた。



「……真紅」


呼ぶ声は、月明かりのように柔らかく、どこか儚げだった。
彼女に掛けられた声は、ジュンとは別の人物が発したものだ。
真紅とジュンは、ほぼ同時に振り返っていた。

廃墟の片隅を占めていた闇から進み出てくる、金髪の青年。
その後ろには、彼の背後を守るようにして、若い娘が一人、付き従っている。
彼女の左眼を飾る紫の眼帯が、夜の中でもヤケに異彩を放っていた。


「“兎の砦”に、ようこそ。よく来てくれたね、真紅。
 それに、桜田くんも……無事に戻ってこられて何よりだ」
「先生こそ、元気そうで良かった。薔薇水晶も、変わりなさそうだな。
 あ……依頼の品は、なんとか揃えてきました。ケッテンクラートに積んであります」
「ご苦労だったね。詳細な報告は、あとで聞かせてもらうよ。
 さあ、君を待っている人の所に行って、元気な顔を見せてくると良い。
 薔薇水晶、他の方たちを、地下壕に案内しておいてくれ」
「はい……お父さま」


ジュンと薔薇水晶は軽く会釈すると、思い思いの方角に立ち去った。
残された金髪の青年と真紅は、向かい合って、どちらからともなく表情を和らげた。


「槐さん……本当に、ご無沙汰していたわ」
「……いや。それは僕のセリフだよ。
 君のお父上が失踪してから、何の連絡もせずに隠れていたことを、許して欲しい」
「気にしてないと言えば嘘になるけれど、恨んでなんていないわ。本当よ。
 槐さんにも、よっぽどの理由があったのでしょう?」
「まあ、ね。とにかく、立ち話も無粋だ。中に入ろう」



槐に促され、廃墟の狭い入り口から、瓦礫の中に踏み込んだ。
崩落した家屋の間を縫って進み、瓦礫の隙間に潜り込んで、
やっと地下へと続く隠し階段に着いた。
だが、階段を下りても、今度は幾重にも連なる鉄扉が待ちかまえていた。


「兎の砦と言うより、まるで、兎の巣穴だわ。
 案内がなければ、とっくに迷っているわよ」

真紅の半ば呆れたような感声に、槐の含み笑いが続いた。


「そうでなければ、隠れ家とは呼べないよ」
「……まあね。でも、ただ隠れ住むだけの場所にしては、大袈裟すぎないかしら?」
「工房も兼ねているからね。研究設備も、あらかた整えた。
 僕は今でも、次世代のエネルギー源を開発するため……RM計画を継続しているんだ」
「お父様と貴方が主任となって、進めていた極秘プロジェクトね」


槐は歩きながら、真紅の質問に、無言で頷く。


「45年初頭、我が師ローゼンは、ローザミスティカという物質の精錬に成功した。
 僕は師と共にRM動力機関のプロトタイプを設計し、作り上げたんだ。
 君らが乗ってきたティーガーⅢの動力が、正しくそれだよ」
「私には『電力を増幅して、より大きな動力を得ている』くらいしか、解らないわ」
「それで充分さ。道具を扱う度に、その原理を考える者など居ないだろう?」


言って、槐はとある重厚な鉄扉を開き「入りたまえ」と、真紅を促した。


彼女が招き入れられた部屋は、どうやら槐の執務室らしかった。
膨大な資料や、試作の器具みたいな物で溢れ、服などの生活品が殆ど見当たらなかったからだ。
彼は、申し訳程度に置かれた小さなソファを、真紅に勧めた。
こくんと頷いた彼女が腰を降ろすのを見届けて、槐が口を開いた。


「君がここを訪れた理由は、師ローゼンの行方を、僕が知っていると思ったからだろう?」
「……ええ。貴方は、お父様の共同研究者だもの。
 なにか、本当に些細なことでも構わないから、教えてちょうだい。
 お父様は、ローザミスティカの精錬成功の直後、失踪したわ。それは、何故?
 人類の未来を支えるだろう功績を、独り占めしたかったから?」

そう訊ねたものの、真紅は、父がそんな下賤な男だとは思っていなかった。
きっと、何か考えがあって、RM計画の成果を持ち去ったのだ。
でも――――何のために、全人類に宣戦を布告したのかが解らない。



  なぜ? 何故? ナゼ?



真紅は表情を強張らせて、食い入るように槐を見つめた。
対して、槐は「君の期待に応えられるか分からないが――」と、前置くと、
執務机の椅子に、深々と身を沈めた。



「率直に言うと、師ローゼンの失踪については、僕も詳細を知らない。
 ただ、RM計画と対をなすLM計画が、少なからず影響していたとは思う。
 なぜなら、LM計画の主任、コリンヌ=フォッセー博士も、師と同時期に姿を消したのだからね」


コリンヌ=フォッセーという学者の名には、漠然とだが、聞き覚えがあった。
確か、フランス人女性で、生物学だかの権威だったような……くらいのレベルだが。
しかし、LM計画については、全くの初耳だった。
RMとLM――Recht(右)に対するLink(左)の頭文字を当てたのだろうか。


真紅は固唾を呑みこむと、膝を乗り出して、槐の言葉に耳を傾けた。
どんなに些細な事柄でもいい。失踪した父の手懸かりが、どうしても欲しかった。


もう一度、差し向かいで話し合うためにも。