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  『冬と姉妹とクロスワード』

 
 
「蒼星石……ちょっと、良いですか」

 
双子の姉、翠星石は、ノックも無しに開けたドアの陰から、ひょいと顔を覗かせた。
年の瀬も近い、底冷えのする週末の夜のことだ。
ボクは炬燵に足を突っ込んで、時折、お茶とKit Katを口に運びながら、
センター試験に向けて、微分積分の問題集を片っ端から解いているところだった。

 
「ん? なぁに、姉さん」
「ほんの少しだけ、知恵を貸して欲しいです」

 
心底、申し訳なさそうな声色――
悩ましげな彼女の表情は、ボクの胸にも、別の意味での悩ましさを植えつけた。
いったい何が、姉さんをこんな顔にさせているのだろう。
ボクで手伝えることなら、力になってあげることに吝かじゃあない。

 
「とにかく、入っちゃってよ。ドアを開けっ放しにされてると寒いから」
「じゃあ、お邪魔するですよ」

 
井ゲタ模様の半纏を引っかけた彼女は、長い髪と相俟って、モコモコして見えた。
パジャマから伸びる足の先は、冷たい廊下に立っていたためか、白くなっている。
冷え症だとか言うくせに、靴下を履くのはババ臭いだなんて強がるんだから――

 
やれやれ、と肩を竦めるボクを余所に、姉さんは炬燵に足を突っ込んできた。
氷のように冷え切った足が、遠慮会釈もなく、ひたり……と太股に触れてくる。
背中に氷を放り込むような、いつもの悪戯心だろう。困った人だね、キミは。
それを分かっていながら「ひゃぁ」と悪ノリしてあげるボクの性分も、また然りだけれど。
 

「もぉ。そういうコトするなら、お菓子あげないよ」
「だったら、こっちを頂くまでですぅ」

 
着膨れているにも拘わらず、素早く伸ばされた腕が、マグカップを掴み――
ボクが止める間もなく、姉さんは温くなったお茶を飲み干してしまった。

 
「ちょっと! それボクの……」
「いいじゃねぇですか。ケチケチすんなですぅ」
「いや、そうじゃなくって」

 
ボクの飲みかけだったんだけど。
その台詞を呑み込んだのは、姉さんがニャ~ンと、いやらしく嗤っていたから。
また、からかわれた。思わず素で反応してしまったことが、頬を熱くさせる。
照れた顔を彼女に見られるのが癪で、ボクは手元に視線を落とした。

 
その時だった。
彼女が携えてきたA4サイズの薄い冊子の存在に、やっと気づいたのは。
知恵を貸して欲しいって言ってたし……宿題で解らないところを、聞きに来たのかな。
――でも、なんの教科だろう?

 
高校2年生の末に行われた進路希望調査で、ボクは理系の道を選んだ。
現在の、地球規模での環境問題について、いろいろ思うところがあったためだ。
そして3年生の今、受験に向けて猛勉強中。ちなみに、応用化学を専攻する予定。

 
一方、数学を天敵視している姉さんは、文系へ。
彼女は彼女なりに、思うところがあったらしい。訊ねたことは無いけれど。

 
「それで……訊きたいことって、なにさ?」
 
ボクに聞いてくるってことは、英語とか数ⅠAなどの、文理共通の科目かな。
問いながら、改めて冊子の文字を、まじまじと確かめてみた。
それは、受験対策の問題集――

 
 
――ではなく、クロスワードパズルの本だった。

 
「……ちょっと。姉さんもセンター受けるんでしょ? 遊んでて平気なの」
「息抜きですよ、息抜き。蒼星石も、ちったぁ肩の力を抜くですぅ」
「そ、そうは言われても」
「あ~あ~もうもう。そんなガッチガチ頭じゃあ、ゴール直前でコケるですよ。
 人間ってぇ生物は、少しぐらい遊ばないと、おバカになるです」

 
キミは、緊張感がなさすぎだと思うんだけど。
異を唱えようとしたボクの目の前に、クロスワードのマス目が、バッ! と突き付けられる。
姉さんは、大きな空白地帯を指差しながら、言った。

 
「ここ! この辺のヒントが知らないことばっかりで、どうにも埋まらねぇですよ」
「もぉ……仕方ないなぁ」

 
依怙地な彼女は、こうなってしまうと、絶対に我を曲げない。
説得しようにも、言いくるめられるより先に、ヘソを曲げてしまうのだ。
そのように育ってしまった原因の一端は、ボクにも有るんだろうけど……。

 
「じゃあ、縦146番のくらいから埋めていこうか」
「そこのヒントは、ええっと――」

 
と、ふたり頭を並べて、広げた誌面に目を走らせていたら、
ムダに自己主張している太字ゴシック体の箇所が飛び込んできた。
 

 

応募先……なになに? 二重枠に入る文字をA~Zまで繋げると、クイズになる。
正解者の中から抽選で一組に、温泉旅行ペアチケット?
……ははぁん。そういうコトか。
息抜きとか言ってる割に、やたらと熱が入ってると思えば――

 
「当たると良いね」
「はぃ? どこ読んでるですか」
「ここだよ。応募するんでしょ。だぁ~れと行くつもりなのかなぁ~?」
「な、なに言い出すです。そんなの、捕らぬタヌキの八畳敷き、ってヤツですぅ」
「それは、ちょっと違う気がするんだけど」

 
姉さんは、決して『ちっとも興味ないですよ』というスタンスを崩さない。
でも、ボクはお見通しだよ。だって、他人ならぬ、もう一人のボクのことだもの。
ちょっとばかり胸のモヤモヤを覚えたけれど、敢えて冗談めかしておいた。
彼女の言うとおり、当選するかどうかも判らないんだから。

 
 
その話題は、それっきり。
ボクたちは頭を突き合わせ――ときどき、近付きすぎて本当に頭をぶつけたりしながら、
ゆっくりと、でも確実に、空欄を埋めていった。

 
――ところが、事件は思いがけないところから起きる。

 
「んーっと。ここの縦のヒントは……あれ? 『おばかさん』だけ?」
「……ですぅ。当てはまるマスも、5つありますけど――」
「これが答えとは、思えないよねぇ」

 
その5マス分も、他のヒントによって、既に3マスが埋まっている。
図で表すなら、【お□ん□ん】なんだけど――

 
「素直に『おばかさん』と入れるには、真ん中の『ん』が違うよ」
「その真ん中が、違ってるんじゃねぇです?」
「えぇ~? それはないよ。横にクロスするのは……89番。
 ヒントは『ロウを塗った銅板の表面を掘り、酸による腐食で凹版を作る技術。
 または、その凹版を用いた印刷物のこと』とあるよ。
 これって中学生の頃、美術の時間に習ったエッチングのことでしょ」

 
そう。エッチングの『ン』こそが、先の3文字目に入っている『ん』だ。
やっぱり【お□ん□ん】に間違いない。

 
「とすると、どういう意味なのかなぁ…………姉さん?」
「……ち。えっ…………ぐ」
「ちょっと、姉さん。なにブツブツ言ってるの」
「へっ?! え?! い、言ってないです! エッチングなんて言ってないですぅ!」

 
キミって人は……。
ああ、解る。手に取るように解るよ、キミが何を考えていたか。

 
「えっちなイタズラして、エッチングなんて言ったら、本気で撲つからね」
「や、やですねぇ、蒼星石ぃ~。その発想はなかったですぅ」
「はいはい。そういう事にしておくよ」

 
じゃあ、キミの引き攣った笑みは、なんなのさ? なんて、つっこみは入れなかった。
しつこく訊いたって、言を左右にされるだけだろうし。逆ギレされても困る。
それよりも、まずはヒント【おばかさん】の真意を、ちゃんと確かめなきゃ。
答えが解らないままじゃあ、気になって勉強も手に着かないもの。

 
「おばかさん……お□ん□ん……どういう繋がりだろう――」
「解らんです。【おさんどん】とかですかね」
「おさんどんって、賄い婦のことじゃなかった?」

 
厨房働き……いわゆる調理人が、おばかさん? おばさん、じゃなく?
――どうにも違う気がする。

 
この際、姉さんの『当てはまりそうな単語を探す』発想は、有効かも知れない。
解答から遡及すれば、ヒントの意味も、自ずと知れよう。

 
「おてもやん……は『も』が違うか。おでん缶……とも、違うなぁ」
「お銀さん……酸……あ! オレイン酸じゃねぇですか?」
「それじゃ字余りだよ、姉さん。もっと真剣に考えてよ」
「やってるですよ。蒼星石こそ、ちゃんと頭を働かせてるですか」
「考えてるってば。今だって――あっ!」

 
ある単語が脳裏に浮かんできて、ボクは思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
それを受けて、瞳に星を鏤めた姉さんが、半身を乗り出してくる。

 
「答えが解ったですか?」
「え……いや…………そのぉ」
「なんです? ほれ、ちゃっちゃと教えるです」
「で、でもぉ」
「だあ――っ! 間怠っこしいですね。言わないならエッチングの刑に処すですよ!」
「そんなぁ……無茶苦茶だよぉ」

 
でも、姉さんの眼は本気だ。
子鹿を前にしてヨダレを垂らす虎みたいに、ふぅーふぅーっと飢えた吐息を放っている。
 
このままじゃ、ボクの貞操が危ない。
保身のため、頭に浮かんでしまったことを呪いながら、ある言葉を口にした。

 
「ぉ…………ん」
「え? なんです? 聞こえないですよ」
「お……ん……」
「もっと大きな声で言ってくれなきゃ、聞き取れないですぅ」

 
姉さん、ホントはちゃんと聞こえてるんじゃないの?
ココロの内で、確証のない悪態を吐いたって、事態は変わらない。
もう、やけっぱちな心境で、ボクは言った。

 
「おちん●ん!」
「そっ!? 蒼星石っ! 女の子が、なんてハレンチなこと口走りやがりますかぁ!」
「なにその手の平返しのリアクション! 言えって脅迫したのは誰さ!」
「知らんです、おバカっ! おめーを見損なったですよ!」

 
クロスワードの雑誌を引ったくり、ついでにKit Katまで鷲掴みにして、
姉さんはプンスカ怒りながら部屋を出ていってしまった。
もぅ……なんなのさ、本当に。
ボクは重い溜息を吐いて、姉さんに飲まれてしまった焙じ茶を煎れなおしに、
台所へと立った。

 

 
 
 
お祖父さんとお祖母さんの分も煎れて、気分一新。さあ、勉強を再開しなきゃ。
マグカップとポッキーの箱を手に、部屋に戻ろうとしたところで、
ボクは台所の前で悄気ている姉さんと鉢合わせした。
 
 

「……どうしたの? そんなところに立ってたら寒いでしょ」
「さっきは――そのぉ……ごめんなさいです」
「ああ。別に、気にしてないってば」
「ホント、です?」
「うん。本当だよ。まあ一緒に、お茶でもどう」

 
ポッキーを翳して誘うと、鏡写しの女の子は漸く、沈鬱な表情を引っ込めてくれた。
やっぱり、姉さんには太陽のように眩しい笑顔こそが、相応しいよ。
本当に……ココロから、そう想う。いつでも無邪気に微笑んでいて欲しい、って。
その為ならば――
ボクは、キミの分まで傷つき、枯れるまで涙を流すことさえ厭わない。

 
 
「あ、そうそう」

 
夜も更けて、家の中にも、ひしひしと静寂が浸みこんでくる中……。
ボクの煎れた焙じ茶を飲み飲み、ハムスターみたいにポッキーを囓っていた彼女が、
ふと、照れ笑いながら切り出した。

 
「さっきの答え、解ったですよ。他のヒントから辿って、やっと繋がったです」
「本当? なんだったのさ」
「アレは【おたんちん】です」
「……ああ! それで『おばかさん』なのか」

 
確か、バカ・アホ、みたいなニュアンスの言葉だったはず。
あんまり使われないとこから察するに、方言みたいなモノなんだろうね。
ボクたちは顔を見合わせて、ほぼ同時に噴き出していた。
さっきの騒動が、あまりにもバカバカしく思えたから。
 
「なんか、他愛ないことで騒いでたんだね、ボクたち」
「まったくです。横着した私たちの方こそ、おばかさんでしたね」
「うん。【無知の知】……だね」

 
ともかく、仲直りできたし、答えも解ったから、一石二鳥の結果オーライ。
そう思っての軽口だったのだけれど――
ボクの真向かいで、姉さんは何故か、頬を強張らせていた。

 
「どうしたのさ?」
「ど……どーしたも、こーしたもねぇですっ!
 なぁにがムチムチですかっ! そんな眼で、私を見てたです? やらしい!」
「え? え? ちょっと――」
「もう知らんです! 蒼星石のバカちん!」

 
……なんだかなぁ。
姉さんは、呆然とするボクには目もくれず、台所を飛び出していった。
まったく――キミの早とちりにも困ったものだよ。
一度で良いから、それに振り回されるボクの身にも、なって欲しい。

 
まあ……こうして、なあなあで赦してしまうことが、いけないんだろうね。
たまにでも、ちゃんと自分の意見をぶつけてこなかったことが。
そう考えて、ボクはふと、あることに気づいた。

 
「クロスワード……か」

 
それは、彼女なりの、極めて不器用な『本音の表現』だったんじゃないのかな?
学校では、3年から文理系のクラスに分かれて、姉さんと話す時間が減っていた。
家に帰っても勉強ばかりで、このところ夕飯の時くらいしか会話の機会がなかった。
 
もっと、おしゃべりしたくて……構って欲しかったのかも。
強がりで意地っ張りだから、寂しいだなんて、彼女は絶対に言わないけれど。

 
「――よし! 明日も休みだし、今夜は徹底的に話し合っちゃおう」

 
勉強は二の次。今は、ふたりの言葉を重ねる方が、よっぽど大切だから――
たとえ、会話が元で、いろいろと誤解を生じようとも、それは一時的なこと。
交えた言葉は、きっと『加算』や『乗算』となって、ふたりの絆を強くしてくれる。
擦れ違ったって『=』になるだけ。『-』になんかならない。ボクが、そうはさせない。
だって……かけがえのない、双子の姉妹なんだもの。

 
ボクは、お盆にふたつのマグカップと、ポッキーの箱を乗せて、二階に向かった。
必要とあれば、鏡写しのボクをエッチングの刑に処することも覚悟で、ね。

 
   ◇   ◇

 
その頃、居間の炬燵に籠もってテレビを見つつ、
蒼星石の煎れてくれたお茶を、美味しそうに飲んでいた柴崎夫妻は――

 
「みんな一緒に年の瀬を迎えるのも、あと何年のことじゃろうなぁ」
「あの子たちも、いい年頃ですからねえ。月日の経つのは、本当に早いわね」
「曾孫に会う日も、案外と近いかも知れんのぉ」

 
二階から響いてくる、賑やかな双子姉妹のやりとりを微笑ましく聞きながら、
しみじみと、お互いの言葉を重ね合わせていた。
遠く、石焼き芋屋の間延びしたアナウンスが流れる、のどかで静かな冬の夜だった。

 
 
  おしまい