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  ―長月の頃―  【9月8日  白露】

 
 
月が変わったとは言え、まだまだ残暑の厳しい9月の初め。
部屋の窓を全開にしても、吹き込んでくる風は、若い柔肌に汗を誘う。
エアコンのない柴崎家にあっては、尚のこと。
風の通りのよい二階に居ても、陽光照りつける日中は、決して涼しくはなかった。

 
「うぁ~。あっちぃですぅ~」

 
白露と言えば、二十四節気のひとつ。
いよいよ秋の気配が強くなり、野原にも露が降り始める頃を指している。
――のだが。


「あーもう。暦の上じゃ秋なんですから、もちっと涼しくなりやがれってんですー」
「まぁた、無茶苦茶なことを」


だらしなく椅子にもたれて、ウチワで首筋を扇ぎながらブチブチ言う姉に、
蒼星石は溜息まじりの苦笑を漏らす。
そして、スーツケースに荷物を詰めていた手を休め、翠星石と目を合わせて続けた。


「キミは髪が長すぎるから、余計に暑く感じるんじゃないの?
 思い切って、ボクみたいに短くしてみたらいいのに」
「やーですぅ。髪は女の子にとって、特別な意味を持つものなのですから。
 切るとしても、それなりに踏ん切りのつけられる理由がなきゃダメですぅ」
「まあ……そうだよねぇ」


変身願望と言うものは、男女の別なく、誰もがココロに描く憧れである。
筋骨隆々とか、頭脳明晰とか、容姿端麗とか……
それは大概において、本人のコンプレックスの裏返しなのだが、では――


いざ、その夢を実現させるために、躊躇いなく行動できる人間は、何人いるだろうか?
もしくは、夢かなうまでの長い努力を、不屈の精神で継続できる人間は、何人いる?


おそらく、なんのキッカケも無しに動ける者は、殆ど居ないだろう。
なぜならば、誰しも自分を変えることには、多少なりとも抵抗を感じるからだ。
今まで形づくってきた自己の価値観とか、生活スタイルとか……
慣れた人生に浸り、守りながら生きるほうが、よっぽど楽だと知っているから。


自分を変えてみたい欲求はある。でも、自業自得というリスクは背負いたくない。
だから、誰か――あるいは何か――の強い後押しを、ひっそりと待っているのだろう。
失敗しても、その責任を転嫁できる口実の登場を。



蒼星石にも、やはり、そんな口実を探していた時期があった。
それもこれも、翠星石の存在があったればこそだ。


いつも。いつでも。
この世に産まれ落ちる前から、彼女たちは2人で1人――
そそっかしいくて、泣き虫だけれど……ここ一番では頼りになるお姉ちゃん。
蒼星石にとって、翠星石はアイドルのような、憧れの存在だった。
だから、仕種も、容姿も、服装も、すべてにおいて翠星石の真似をして。
もう1人の翠星石を演じるだけで、蒼星石は満足だった。


その気持ちが揺らぎ始めたのは、中学生に上がって間もない頃。
蒼星石の身体に、女の子としての変化が表れだすにつれて、
彼女のココロにもまた、不可思議な感情が生まれていた。
それは奇妙な――そうとしか喩えようのない、胸のざわめき。


いままで心地よく思えていた姉の存在が、徐々に疎ましくなり始めて――
姉と同じであることに、肌のざらつく気持ち悪さを感じるようになっていた。

何故、そんな風に思ったのか、いまの蒼星石には解っている。
姉に憧れながらも、姉とは違う存在になりたいと……
翠星石の半身なんかじゃない、本当の自分自身になりたかったのだ、と。


自分のことを『ボク』と言うようになったのも。
姉と同じくらい長かった髪を、スッパリと短くしたのも。
すべては、あの思春期の頃に、蒼星石が望んで変えた姿だった。



「――うん。やっぱり、姉さんは、そのままの方がいいよ」
「ですぅ。ずぅっと伸ばしてきた、自慢の髪ですからねぇ。
 今となっちゃあ、私のトレードマークみてぇなもんですぅ」
「確かにね。真紅や雪華綺晶たちみたいに、髪の長い娘は何人か知ってるけど、
 姉さんほどは目立ってないかなぁ」
「ふふーん。自画自賛じゃねーですけど、これぞ究極の女の子ってヤツですかねぇ」
「いや、それ……まんま自画自賛でしょ」


やれやれ、と。
蒼星石は頭を振って、またスーツケースに服を詰め始めた。
彼女は明日、朝の便で、オディールと一緒に、留学先に戻る予定だ。
それが、もがいて、あがいた結果に、自分で選んだ道。
姉の半身ではない、蒼星石という、1人の女の子としての生き様だから。



黙々と旅支度を調える妹の横顔を、翠星石は眺めていた。
その眼差しは、やはり寂しげだ。
別れは、いつだってココロに空虚な穴を穿つ。
その隙間が埋まる分だけ、人は涙を流し、あるいは言葉を費やすのだろう。


「蒼星石――」


呼びかけた声は重く。
こんな滅入った気分ではダメだと、翠星石はウチワを放り投げて、破顔した。


「蒼星石だって、も少し髪を伸ばせば、カワイイ女の子になるですよ。
 子供の頃は、私と同じくらい長くしてたじゃねーですか」
「小学校までは、ね」

双子の姉と同じことをする――それが、幼少の蒼星石には、当たり前のことだった。
彼女のことが大好きだったから。
翠星石のようになりたいと、本気で思っていたから。


でも……。
どんなに真似したって、蒼星石は、翠星石にはなれない。
鏡に写る姿は、夢の偶像。所詮、影は影。


「一度、ショートに慣れちゃうとさ、このほうが楽になっちゃって。
 ロングにすることは、当分ないと思うなぁ」
「ふぅん……勿体ねぇですぅ」
「ま、気が向いたらね」


あらかた荷物をしまい終えると、蒼星石は両腕に体重を載せ、
二度、三度と押し込むようにスーツケースを閉じた。



「さて、と――こんなトコかな」


蒼星石は、汗の滲んだ額を手の甲で拭いながら、翠星石に笑顔を向けた。


「姉さん。ちょっと、散歩にでも行かない?」
「はぁっ? なに言い出すですか。この炎天下に、わざわざ……」
「だからこそ、だよ。日本の夏を、しっかり憶えておきたくてね」


勿論、それだけの目的ではない。
今朝方から、ずっと眉を曇らせっぱなしの翠星石を、元気づけたかったのだ。
それは、もうすぐ訪れる別れの時を、より残酷なものにするだけかも知れないけれど……


それでも――
やはり、この世でたった独りの、双子のお姉ちゃんだから。
手を差し伸べずには、いられなかった。
 
 
 
 
姉妹は、お揃いの麦わら帽子をかぶって、近所の公園へと向かった。
子供の頃からの、お決まりの遊び場だ。


9月というのに、焼けたアスファルトから陽炎が、ゆら、ゆら。
まっすぐに続く道の先に、逃げ水が見える。


でも、生き物たちは確実に、季節の移ろいを知っているらしい。
真夏には、夜中でも喧しく鳴いていたセミの声も、すっかり疎らだ。
代わって目に付くのが、トンボの群。
キラキラと光を跳ね返すマンホールを、水たまりと勘違いしているのか、
つがいのアキアカネが、頻りに尻尾でチョンチョンと突っついていた。


「なんだか、不思議な感じがするね」


蒼星石は立ち止まると、麦わら帽子のつばに指をかけて、まっすぐに前を見つめた。
隣を行く翠星石も、怪訝そうな面持ちながら、妹と同じ所作をする。


「なにが、です?」
「いや……この道って、こんなに狭かったかなぁって。
 以前はもっと街全体が、広く感じられたものだけれど」
「うーん? 私は毎日のコトですから、代わり映えしないですけどぉ」
「気のせいなのかな。ボクには、世界が縮んだように感じられるよ」


どうして、そう思えるのだろうか。
海外で暮らすようになって、蒼星石の精神面も、世界規模に広がったから?
それとも、ただ久しぶりだから、錯覚しているだけ?


考えてみても、よく解らない。
どちらとも言いきれないなら、多分、どちらも正解なのだろう。
蒼星石は、そう結論づけて、また歩き始めた。
 

 

公園に着くと、蒼星石の錯覚は、さらに増した。
ジャングルジムなどの遊具の数々、遊歩道の幅、公衆トイレなどの建物――
いずれも、記憶の中にあるものより、ずっと小ぶりだった。
そう感じるのは、周りの樹木が大きく育ったからだけではあるまい。


「蒼星石ぃ~。どこか、木陰のベンチで休むですぅ~」


間延びした声に振り返れば、汗をビッショリかいた翠星石の、恨めしそうな顔。
だから散歩なんてイヤだったのに! と、目が物語っている。


「わ、凄いね。姉さんって、そんなに汗っかきだったっけ?」


麦茶の飲み過ぎなんじゃないのと茶化しながら、蒼星石は自分のハンカチで、
翠星石の顔を拭いてあげた。


「公園のベンチだと、蚊がいるよ。
 そうだ。あの喫茶店、まだやってるの? 久しぶりに行ってみたいんだけど」
「まだ潰れてないです。それじゃ、さっさと行くですよ!」


クーラーの効いた店内を思い浮かべたらしく、翠星石は蒼星石の手を掴むなり、
スカートの裾を翻しながら、勢いよく駆け出した。



その喫茶店は、2人が高校生の頃、よく寄り道した思い出の場所だった。
白崎というマスターとも、すっかり顔なじみで、よくサービスしてもらっていた。
ドアを開けば、カウベルの音が出迎えてくれる。
それを聞きつけて、カウンターの中に居た黒髪の青年が顔を上げ、にっこりと目を細めた。
この店のマスター、白崎だ。


「いらっしゃ……おや? これはこれは、珍しいお客さんだ」
「こんにちわ、マスター。ご無沙汰してます」

姉妹が窓辺のテーブルに着いてすぐに、白崎がお冷やのグラスを持ってきた。
グラスをお気がてら、彼は蒼星石を見て、ふむ……と唸った。


「暫く逢わない内に、すっかり大人びたねぇ」
「え? そう……かな?」
「見違えましたよ。どうです、留学先の居心地は?」
「相変わらず、言葉の壁には悩まされっぱなしですけど、やっと慣れてきたかなって感じで」
「いい経験だね。そういう苦労は、自由に立ち回れる若い内にこそ、しておくべきだよ」


などなど。白崎と蒼星石は、懐かしさもあってか、和やかに話を弾ませる。
面白くないのは、ひとり放っておかれている翠星石である。
そんな2人の会話に、イライラと口を挟んだ。


「世間話は、大概にするですよ! さっさと注文を訊きやがれってんです」
「おっと、これは失礼。お客が少なくて、暇してたものでね。
 それでは、お嬢様がた。ご注文をどうぞ」

 
 
 
 
それから夕暮れまで、涼しい喫茶店で快適な時間を過ごして。
帰宅の途中、オレンジ色に染まる町を並んで歩きながら、翠星石は、


「さっきは、みっともない真似しちまったですね」


言って、右隣を行く妹の手を、ギュッと握った。
蒼星石は「ん?」という顔をして、翠星石の様子を窺う。


「それって、マスターに文句を言ったことかい?」
「――ですぅ」
「大して気にしてないと思うけど。あの人、かなり図太い神経してそうだし」
「……そうですけどぉ」
「今度また行ったときに、謝ればいいじゃない。さ、帰ろうよ」
「は、はいですぅ」

交わされた言葉は、それっきり。
2人は手を繋いだまま、夕日を背に受け、足元から伸びる長い影を眺めて歩いた。
子供の頃から、ずっと……そうしてきたように。


その夜には、蒼星石とオディールの送別会が、ささやかに催された。
若い娘が3人もいると、場の雰囲気も、自然と若々しくなる。
そこに、酔った祖父・元治がテンションの高い冗談を連発するものだから、
パーティーは笑顔(苦笑も含めた)の絶えない賑やかさだった。


でも――
やはり、その席でも、翠星石はココロから笑えずにいた。



時間は容赦なく過ぎていって、日付を変える。
明かりを消した部屋に、ごそごそと響く衣擦れ。
翠星石はベッドの上から、床に敷いた布団に横たわる人影に、囁きかけた。


「蒼星石……もう寝ちゃったですか?」
「……ううん、起きてるよ。なかなか眠れなくてね」
「私もです」


言うが早いか、翠星石は起き出して、蒼星石の隣に添い寝した。
そして、こつん……と、妹の右肩に額を当てる。
蒼星石は、掛けていたタオルケットを脇に除けて、寂しがりな姉と向き合った。


「やれやれ。ホントに甘えんぼだね、キミは」
「なっ! 子供扱いすんじゃねーですよ」


ムキになって言い返すものの、いつもの翠星石らしい勢いはない。

夜闇の中で、そっと伸ばした手を、蒼星石の手に重ねて。
お互いの鼻先がくっつくくらいの距離で、静かに、息を混ぜ合わせるように、囁く。


「仕方ないですよ。蒼星石が、また遠くに行ってしまうと思うと――
 こうして触れ合えなくなると思うと、胸が切なくて、堪らなくなるです」


その声も、だんだんと嗚咽まじりになってゆく。
泣き虫で、怖がりで、すぐ妹の背に隠れてしまう女の子。
それなのに、ここぞという時は、迷わず蒼星石の腕を引っ張ってくれた、お姉ちゃん。
いつだって翠星石は、精神的に背伸びをしてまで、蒼星石のことを気にかけてくれていた。
まるで、亡くなった母親の代わりを、務めようとするかの如くに。


「蒼星石は、頑固で意地っ張りで……いつも独りで進んでいってしまうから。
 こうして、いつも手を繋いでいないと見失ってしまいそうで……とても怖いのです」


翠星石は一度すすり上げて、妹の頬を、愛おしげに撫でた。
そんな姉の手の上に、さっきとは反対に、蒼星石の手が重ねられる。


「でも、私には、蒼星石を引き留めるコトはできないです。
 だって――貴女は決して、自分で決めた道から逃げたりしないから。
 そして、そんな蒼星石こそが、私の大好きな蒼星石なんですから」


大好き――
翠星石の唇から紡がれるその一言が、いままで、どれほどの勇気を与えてくれたことか。
遠い異郷にあって、どれだけココロの支えになっていたことか。


不意に、目頭が熱くなるのを感じた蒼星石は……
頬に触れていた姉の手を、壊れ物を扱うように優しく握り、そっと引き剥がした。


「ありがとう、姉さん。いつでも、ボクを信じてくれて」
「当たり前です。どんなことがあっても、私は蒼星石の味方ですよ」
「優しいね、キミは。大好きだよ……翠星石」

彼女のことを名前で呼んだのは、何年ぶりだろうか。
蒼星石は、自分でも驚くくらい素直な気持ちで、姉の名を口にして――


――胸にこみ上げる想いに従って、翠星石の額に口づけていた。


「あ…………蒼星石……イヤ」
「イヤだった?」
「だって……その……おでこだけ……なんて」


尻すぼみな翠星石の声を聞いて、蒼星石は口元を綻ばせた。
恥ずかしがりながらも、大胆なことを言う彼女が、なんとも可愛らしい。


「じゃあ、次は――」


囁いて……蒼星石は、もう一度、顔を近づけた。
夜闇の中、ふたつの影が重なり合う。


今度は、翠星石が文句を言うことはなかった。
彼女の唇は、蒼星石によって、しっかりと塞がれていたから。

 
 
 
 
「あーあ、行っちゃったのよー」


雛苺は、額に手を翳しながら、蒼穹の彼方へ消えゆく機影を見つめている。
その隣で、翠星石も同じポーズを取っていた。


旅立つ蒼星石とオディールを、空港まで見送りに来たのは、雛苺と翠星石だけ。
祖父母は時計店のことがあるし、友人たちも、なかなか都合がつかず。
それでも、友人たちは昨夜の内に電話で見送りに行けないことを謝ると同時に、
エールを送ってくれていた。

「翠ちゃん、またお正月まで寂しくなるけど、クヨクヨしてばかりじゃダメなのよ」
「クヨクヨなんて、するワケねーです」
「え~? 泣きたいときは、ガマンしなくてもいいのよ。
 さあ! ヒナの胸に、どーんと飛び込んでこいなのっ!」


大まじめな顔で言う雛苺。対する、翠星石の返事は素っ気ない。


「おバカ苺。私は、おめーみたいな泣き虫とは違うですぅ」
「ふぅん。二度目ともなると、強くなるのね~。
 去年はもう、周りの迷惑も気にしないで、泣きじゃくってたのに~」
「うっせーです」


むぎぎ……。
やおら、翠星石は雛苺の両の頬を摘んで、顔が変わるほど捻りあげた。


「ふ、ふいひゃん! いひゃい! いひゃい!」
「いーっひっひっひっ! おバカなこと言った罰ですぅ」
「ひゃ、ひゃめてなのーっ!」
「しゃーねぇですね。このくらいで勘弁してやるですか」


翠星石の魔手から解放されるや、涙目の雛苺が猛然と食ってかかってきたが、
そんなものは、どこ吹く風。


再び、晴れ渡った空を、振り仰いだ。
蒼星石を乗せた飛行機は、とっくに見えなくなってしまったけれど……
しかし、翠星石は悲しくなかった。


本当に想いが繋がっていれば、確かなものなど必要ない。
どれほどの時間、どれほどの距離が2人を引き離そうとも、信じていられる。
それが、解っていたのだから。



「蒼星石……次も、その次も……きっと元気に帰ってくるですよ。
 私も、おじじ達も、みんなが待ってるですから」


祈るように呟いて、踵を返す。
ふくれっ面の雛苺が立ちふさがるが、キニシナイ。
たちまち彼女のアタマを小脇に挟み込んで、翠星石は歩き出した。



じゃれあう乙女たちの背中を、爽やかな風が、優しく押す。
それは仄かに、季節の変わり目を匂わせていた。