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鐘の櫓を『コ』の字に囲むフェンスには、夥しい数の南京錠が、くくりつけてあった。
結ばれるための、おまじない。女の子の心情としては、こういうの、嫌いじゃない。
 
「ね、ね。折角ですから、私たちも、記念に鳴らしましょうよ。それから、アレも!」
「えぇ? アレって……南京錠なんか持ってきてないよ」
「ここの入り口にあった売店に、売ってましたよ」
「そうだった? 気づかなかったな……。よし、ちょっと待ってて。買ってくるから」
 
彼を待つ間、私は案内板の『天女と五頭龍』伝説でも読むことにした。
この地に棲みついて悪事を働いていた五頭龍が、江ノ島に降り立った天女に恋をして、
更生することを誓い、天女と結ばれた――という。いつの時代も、こういったロマンスは好まれるものね。
さしずめ、私は悪い龍かしら。そして彼は、私の前に、突如として降り立った天女の役で……。
 
「やあ、お待たせ! 買ってきたよ」
「あ、お疲れさま。ごめんなさいね、わざわざ」
「ちっとも構わないさ。はい、これ。好きなところに付けて」
「一人で付けたって、つまらないですわ。だから、一緒に。ね?」
 
彼と二人、指を触れ合わせながら、フェンスに南京錠を固定して……
彼と並んで縄を握り、茫洋たる海に向かって、小さな鐘を鳴らした。
その鐘の音に、チャペルに鳴り響くような荘厳さはなかったけれど――
硬く澄んだ音色は、その後もずっと、私の胸に鳴り響くことになった。この景色と共に。
 
私は、ハンドバッグから手紙を取り出すと、やおら、封筒ごと破った。
隣で、彼が驚きの声をあげて固まっちゃったけど、キニシナイ。
思い出のカケラが、小さな小さな紙切れと化するまで破り続けて、
フェンスの向こう――海に向けて、おもいっきり撒き散らした。
 
「よかったの? 破り捨てたりして」
「こうするために、ここに来たかったんだって……そんな気がしたの。
 だから、よかったんです。これで」
 
「まぁ……君が、そう言うなら」彼は、頭に手を遣った。いつもの、困ったときに見せる癖だ。
けれど、私を気遣ってか、彼の表情からはすぐに、曇りが取り払われた。
 
「そう言えば……二葉氏とコリンヌさんは、1932年当時、20歳と16歳だったよね。再会したのは、その25年後。
 どっちも40過ぎの中年で、常識的に考えれば、それぞれ家庭を持ってたって不思議じゃない年齢だ。
 二人とも、もし再会できなかったら、独身を通すつもりだったのかな?」
「片想いこそが、この世で最も長続きする恋だって言いますよ。
 お祖母様たちも、きっと、そんなところだったんじゃないかしら。
 それに、私は、そんな恋のほうが好き。若い頃の、どこか暴力的で熱く激しい恋も、それはそれでステキでしょう。
 でも、カップに注いだ紅茶とミルクを、ゆっくりとスプーンで混ぜ合わせるように、
 しっとりと落ち着いた想いをひとつに溶かして、温い安らぎを分かち合うのも、ステキな時間だと思いませんか?」
 
そう口にしながら、私は、胸の奥でじわりと甦った懐かしい疼きに戸惑っていた。
私は、傀儡を求めている。私を護る盾として、有事の際には身代わりにするだけの人形を。そう……ただ、それだけ。
なのに――こんな気持ち……どうして? 考えれば考えるほど混乱して、思考が、どこに向かっているのかも解らなくなる。
だったら、このまま衝動に身を任せて、成り行きを見守るのも、いいかもしれない。
――そうしなさい。内なる声に背を突き飛ばされたように、私は、彼の腕の中に飛び込んでいた。
 
「少しだけ…………あなたの温もり、感じさせて」
 
 


 
 
  『フランスに来てくれませんか? いつまでも、私の隣に……』
 
 
彼女は、僕の背中に腕を回して、縋るように告げた。
真夏のことなのに……オディールさんの身体は、氷みたいに冷たかった。
雨に濡れた服が、海風に冷やされたのかもしれない。
僕は、微かに震えている彼女の肩を抱きしめ、唸るように問い返した。
 
 
  『いますぐ、答えなきゃダメかな』
 
 
『はい』か『いいえ』の返事をするだけとは言え、即答なんて無理だ。
僕にだって、大切な人々が居るし、仕事や生活がある。ジゴロって柄でもない。
それらの全てをスッパリ切り捨てて、想いのまま彼女の元へと突っ走るには、
僕はもう、あまりにも多くのものに縛られすぎていた。
 
 
それっきり、会話もなく帰途について、彼女と別れて――
気づいた時には、自分の部屋に戻っていた。どこを、どう帰ったかさえ、憶えてない。
その後も、僕はどこか朦朧としたままで。食事も喉を通らず、眠気も催さず。
いつの間にか、日付が変わって、いつの間にか、夜が明けていた。
 
今日、オディールさんは帰国する。成田発のエールフランス256便で。
僕は、まだ……迷い続けている。答えはもう出ているのに、踏み出せずにいる。
 
 


 
 
第1ターミナル4F。北ウイングのミーティングポイントで、私は一人、手の中の携帯電話を見つめている。
もう何十回目かの、時刻の確認。フライトには、まだ余裕があった。
もっとも、審査や手続きにかかる時間を考えたら、悠長に構えてなどいられないけれど。
――彼は、見送りに来てくれるかしら。鎌倉に行く約束をして以降、携帯電話は鳴っていない。
来ない、というのも、ひとつの答え。その時は、なにも言わずに、この国を発とうと思っていた。
 
それにしても、と、つくづく感慨にふける。巡り合わせとは不思議なものね。
かつて、希望にココロ弾ませながら、二葉さまの到着を待ちわびていたのは、港。
その私が、いま、空の港で、違う男性を待ち遠しく思っているなんて……。
 
回想に耽っているところに、いきなり携帯電話が震えて、私もビクッ! と身体を震わせた。
メールの着信。私は、あたふたと携帯電話を開き、食い入るように画面を見つめた。
案の定、発信者は、彼の名前。急に、胸がドキドキしてくる。
でも……メールで連絡というところに、嬉しい反面、一抹の不安を感じずにはいられない。
 
だって、それはつまり、面と向かって伝えにくいことかも――しれないから。
 
 
  【昨日のことだけど】
 
 
という件名の、メール。私は震える指で、懸命にメールを開いた。
そして――簡潔ゆえに鋭利な言葉で、胸を刺され、深いところを抉られた。
 
 
  【君と一緒には行けない】
 
 
一瞬、呼吸が止まっていた。痛くて――――どうしようもなく胸が苦しくて。
私は唇を閉じることができずに……俯いて、頻りに喘いでいた。
胸元に抱き寄せた携帯電話のディスプレイに、ぽた、ぽた……雫が降る。
いつの間にか、自覚もないまま、涙が溢れていた。人目なんて、気にもならなかった。
 

  【ありがとう】
 
 
滲んでよく見えない目を擦りながら、タイトルを書き換えて、返信。
 
 
  【お世話になりました。二人で鐘を鳴らしたこと、私、きっと忘れません】
 
 
たったこれだけの文字数を、何分も掛かって打ち終え、送信。
――直後、ふと……どこかから、聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
この曲……ホイットニー・ヒューストンの『Saving All My Love For You』ね。
邦題は、確か『すべてをあなたに』で、歌詞の内容は不倫相手へのメッセージだったはず。
 
誰かの使っているiPodか携帯電話の着メロが、タイミングよく聞こえてきたのかしら?
――そうね。きっと、それだけのこと。
さて。唯一の心残りも吹っ切れたし、出国の手続きを済ませてしまいましょう。
涙を拭って、ふたつのケースに伸ばした腕を引き留めるように、携帯電話が振動した。
見れば……またも、彼からのメール。タイトルは【書き忘れ】ですって。
いまさら、なによ――
 
 
  【あと二年、僕に時間を与えて欲しい】
 
 
なぁに、これ。もう結論は出ているでしょうに、二年も費やして、なにがあると言うの?
……バカみたい。いま一緒に来てくれないなら、2度目なんてないのよ!

【バカ】そうタイトルを付けて、返信した。本文も【バカ】と、一言だけ。
すると、また――数秒後に『Saving All My Love For You』が聞こえてきた。
ただの偶然? それとも――?
 
どこから聞こえるのか。鳴り止まないメロディを追って、周りを見回す。
邪魔な雑踏を掻き分けて、辿っている間に、また音が止んだ。
見失いたくない。咄嗟に【バカ】のメールを再送する。また、あのメロディが私を導く。
そして、やっと――
 
「あっ!」柱の陰に身を潜めていた彼を、見つけた。
ここまで来ておきながら、顔を合わせずに別れるつもりだったの?
本当に、バカみたい。腹立たしくて、私は彼に掴みかかっていた。「どうしてっ!」
 
彼は、バツが悪そうに、頭に手を遣った。「ごめん。なんか……気後れしちゃって」
 
「だからって、こんなの酷い! 私が、どんな気持ちで待っていたと思って――」
「うん。本当に、すまなかった。どうしようもないバカだな、僕は」
 
言って、彼は、持っていたビニール袋を掲げた。「これだけは、渡しておきたくって」
なにかと思えば、夫婦饅頭。江ノ島のお土産なんだと、彼は微笑み、教えてくれた。
そして「これが僕の答えだよ」――とも。
 
「君の隣に居てあげたいんだ。いつまでも、ずっと。
 あ、で、でも……だからって結婚とか、そういうつもりじゃなくて……なんて言うか」
 
 
 
  -4- に続く