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双子の姉妹に連れられ、訪れた山腹の茶畑――
そこは、雛苺の予想を遙かに超えて広く、また風光明媚な世界だった。

きりりと澄んだ空気の向こう。
冬晴れの高い空と、山の斜面に広がる茶樹の緑。
その取り合わせは、さぞや写真うつりも良かろう。雛苺の素人目にさえ、そう思わせるものがあった。


彼女たちを乗せてきた軽トラックは、茶畑に横付けされている。
その車内で、雛苺は冷気に指がかじかむのも構わず窓を全開にして、
一心不乱にスケッチをしていた。

「おチビ――っ!」

スケッチブックに走らせていた鉛筆を止めて、雛苺は顔を上げた。
よく通る声で呼んだのは、双子の姉の、翠星石。
この広い茶畑でも、彼女の声量なら、普通に会話ができるに違いない。

見れば、灌木の列を間に挟んで、姉妹がゆっくりと歩いてくる。
蒼星石が手を振っていたから、雛苺もトラックの助手席から降りて、手を降り返した。

「お帰りなさいなのっ。ふたりとも、中休み?」
「はぁ? おめーは、ナニ言ってるですか」

雛苺としては、至って真面目に訊いたのだが、翠星石に呆れられてしまった。
蒼星石が、姉の言葉の足りなさを補うように、腕時計を掲げて微笑んだ。

「もう、お昼だよ。絵を描くのに夢中で、気がつかなかったのかい?」

そう言われて、雛苺も、体調の変化を思い出した。胃の辺りが心許ない。
冬の乾燥した空気を吸い続けていたせいか、喉もヒリヒリする。

「おにぎり握ってあるですよ。おばば直伝の味ですぅ」
「わーいっ! ヒナ、おなかペコペコなのよー」
「それじゃあ、休憩所に行こうか」
「近くですから、歩いていくですぅ」

3人は軽トラックをそのままに、駐車場へと続く未舗装の農道を歩きだした。



駐車場を横切り、細い林道を渡ってしまえば、作業員のための休憩所がある。
外観は、避暑地にありそうな、ペンションばりの二階建て。
ガスはプロパンだが、上下水道は整備されていた。
もちろん、トイレも水洗だし、テレビや携帯電話も、受信可能ときている。

「山の中なのに、すっごい設備なのね。これなら普通に生活できちゃうのー」
「ったりめーです。その目的で、作られてるですから」
「ここは宿泊施設でもあるんだよ。1ヶ月に1度、持ち回りで夜勤の週があるんだ」

蒼星石は、コトも無げに言った。
訊けば、翠星石たちの勤務形態は、基本的に週休二日なのだけれど、
2名が常駐するように休暇を割り振るため、カレンダーどおりには休めないと言う。
しかも、夜勤は1人きりで6日勤務。5人で持ち回って30日になる計算だ。

「でも、どうして夜勤なんて必要なの?」

翠星石お手製おにぎりを頬張りながら、雛苺が疑問を口にする。
それについて、翠星石の語るには、獣害や人害、自然災害から茶樹を護るためだとか。
獣害とは、この山に棲むシカやイノシシによる食害。
人害とは、茶葉の盗難や、産廃の不法投棄による土壌汚染など。
自然災害は、主に風雨。この季節だと、霜による若芽への被害も警戒しているらしい。

翠星石は、籐編みのバスケットから魔法ビンを取り出すと、それぞれのカップに深紅の液体を注いだ。
立ちのぼる湯気とともに、得も言えない薫香が、辺りに広がる。
その香りには、雛苺も憶えがあった。ここで栽培されている『ローザミスティカ』の香りだ。

「……ふぅ。気持ちが落ち着くですぅ」
「ホントに、いい香りなの。これって、翠星石たちが生みだした香りなのね」
「私たちの手柄じゃねーですよ」

双子の姉妹は、ちらと顔を見合わせて、小さく頷いた。

「この紅茶は、真紅と銀ちゃんの夢の結晶ですから」
「ボクたちは、彼女たちの手伝いをしているだけさ」

彼女たちは言う。
それでも……たとえ手伝いに過ぎなくても、この仕事を誇りに思っているのだ、と。
だから、夜勤だって辛いと思ったことは、一度としてない――と。

「だけど、女の子ひとりで夜勤なんて、危なくないのー?」
「それについては、真紅も案じてるところでね。
 近く、ここに住み込みで常駐できる人を、雇う予定らしいよ」
「雇用条件が、20歳から40歳くらいまでの夫婦でしたねぇ、確か」

随分と年齢幅が広いが、その条件なら、案外すぐに希望者を見つけられるかも知れない。
リストラで再雇用もままならない中年の夫婦なら、応募するのではないか。

「さて、と――」

蒼星石は、紅茶を飲み干して、腕時計に目を留めた。

「ボクたちは、夕方まで仕事していくけど……キミは、どうするんだい?」
「うっと……。もう下書きはできたから、戻ろうかと思ってるのよ」
「それなら、麓まで送ってやるですぅ」
「あ、ううん。2人は、お仕事しててなの。ヒナ、歩いて帰りたいから」
「でも、だいぶ距離あるよ?」
「平気なのよ。まだ早いし、一本道だもの」

彼女たちの気遣いと、案内してくれたことに謝意を述べて、雛苺は茶畑を後にした。
雨の心配もなさそうだし、のんびりと、森林浴でもしながら降りればいい。
そんなつもりだった。



足音が、とても大きく聞こえる。
ここには、街の雑踏も、人々の賑わいも、行き交う車やバイクの騒音もない。

頭上からは、風に揺れる葉擦れが降ってくる。
足元からは、遠く、沢の水音が湧いてくる。
ささやかな森の息吹は、都会の雑音みたいに不快ではなく、とても心地がよかった。

こんなところで暮らすのも、悪くないかも。
翠星石たちと茶畑を見守りつつ、空いた時間は絵を描いたり、お菓子づくりをしたり。
そんな妄想のヴィジュアルを脳裏に広げていると、不意に――
ひとつの選択肢が、雛苺の中で生まれた。

――もしも、誰かと結婚したら。
あの雇用条件を満たせたとしたら、真紅は雇ってくれるのかしら?

愚にもつかない思いつきだ。雛苺は自嘲した。
そもそも、恋人さえいないと言うのに。

「んー。恋人……かぁ。考えてみたら、男の子の友だちって少ないのよー」

パッと思い浮かぶのは、幼なじみの桜田ジュンくらい。
あとは、彼の友人の笹塚くんとか、ベジータとか。
だが、彼らとは親しいと言っても、友人以上、恋人未満の間柄でしかない。
政略結婚じゃあるまいし、雇用条件を得るためだけに所帯を持つなんて、絶対に後悔する。


ならば……いっそ、あのパステルで自分のウェディング予想図でも描いてしまおうか。
雛苺は一瞬、本気で、そんなことを考えた。
新郎の顔は、理想の男性像を描けばいい。
あのパステルの効果が本物ならば、それさえも現実になるはずだ。

けれど結局、馬鹿げているとの結論に行き着いて、肩を落とした。
絵に描いた餅、とは違うが、紛い物という点では、絵に描いた幸福も同じこと。
幸せそうに見えるというだけで、所詮、現実に幸せなワケではないのだから。



しばらく歩くと、林道は下りながら、急なカーブにさしかかった。
真新しいガードレールが、嫌でも雛苺の目を惹く。真紅が事故を起こした場所だ。
なんとなく、忌まわしい雰囲気に、ざわざわと胸が騒いで……
雛苺は顔を背け、足早に、その場を通り過ぎようとした。

――が、そんな彼女を邪するように、車が1台、徐行しながら林道を登ってきた。
やたらと平べったくて、異様な風貌をしたスポーツタイプ・クーペだ。
雛苺は知らなかったが、それは『オロチ』というマシンだった。
完全受注生産のため、納期までが長く、価格も一千万円はする代物である。

林道は、軽トラックでさえ、窮屈に感じるほどの道幅である。
そこに幅の広い車が来れば、どうなるのかは、自明の理というもので。

「うゆ……これじゃ通れないなの」

崖っぷちの路肩に寄って、通過まちをする雛苺の2mほど手前で、その車は停まった。
運転席のドアがスライドアップして――意外にも、うら若い女の子が降りてきた。
その娘は、白銀っぽい艶やかな長い髪の持ち主で。
一瞬、雛苺は、もしや水銀燈ではないのかと息を呑んだ。

しかし、違う。
真紅の家で見せてもらった写真の水銀燈とは、まったくの別人だった。
左の眼を、紫色のアイパッチで覆った、押し迫るような威圧感を放つ娘だ。

「こんにちは」

言って、彼女は、棒立ちする雛苺の警戒心を解こうとしてか、笑い掛けてきた。
だが、眼帯の威圧感ゆえに、逆効果。
無駄に『なんだか怖そうな人』という印象を、植え付けただけだった。

「ねえ……貴女。ちょっと、道を教えて。店を……探しているの」
「う、と。あ、あのね。ヒナも、この辺のことは、あんまり詳しくないなの。
 でも、この先には、お店なんて無いのよ」

眼帯の女の子は、ぽりぽりとアタマを掻いて。「あちゃ……困った」
そう言いながらも、たいして困ってそうもない風情に、雛苺は笑いを誘われた。
見た目が怖そうなだけで、根は陽気な人らしい。

「どういうお店なのー? 名前は分かってるの?」

雛苺は、あまり力になれないことは承知で、訊ねてみた。
いざとなったら、この娘の車で茶畑まで引き返し、翠星石たちに訊くつもりで。
……が、現実には、そんな必要すらなかった。

「紅茶を売ってる。確か……ジェイソン……とか」
「もしかして、ジョナサン?」
「あ……それよ、それ。ジョンソン」
「だから、ジョナサンだってばっ。ワザと間違えてるんじゃないのー」
「ソンナコト、ナイヨ?」

からかっているのか、それとも、大まじめに間違っているのか。
雛苺には判断のしようもなかったが、ここで会ったも他生の縁だ。

「よかったら、ヒナが案内してあげるのよ?」
「ホント? じゃあ……乗って」

眼帯娘は、細い顎をしゃくって、雛苺を助手席へと促す。
そして、雛苺がシートに収まり、シートベルトを装着するや――

「いくよ」

短く言って、彼女はアクセルを踏み込み、車を急発進させた。
こんな細く曲がりくねった林道で、時速70kmオーバー。雛苺は肝を潰した。

「びゃっ?! は、は、早すぎなのーっ! 落ちちゃうーっ!」

恐怖のあまり蒼白となり、慌てて停めようとするが、すべて無駄な足掻き。

「ふ…………くふふっ」
「ふきゃ――っ?!」

眼帯娘は壊れた笑みを浮かべながら、愛車を爆走させ続ける。
あっと言う間に、茶畑の駐車場に着いた途端、いきなりサイドターン。
スリップ音を聞きつけ、顔を上げた双子姉妹に砂煙を浴びせて、今度は来た道を引き返す。

とんでもない運転だ。ハリウッド映画じゃあるまいし、なんて車に乗ってしまったのか。
雛苺は自分の迂闊さを呪い、四肢を突っ張って、ただただ対向車の来ないことを祈っていた。

  ~  ~  ~

喫茶店ジョナサンに着いたとき、雛苺は抜け殻のようになっていた。
腰も抜けてしまって、すぐには、車から降りられなかった。
まず間違いなく、数年分は寿命が縮んだろう。

「……平気?」
「ちょっとチビった……じゃなくて。だ、大丈夫なのよー。へへぇ~」

強がって作り笑うものの、膝まで笑っていては締まらない。
仕方なく、眼帯娘に引きずり出されるかたちで、車を降りた。

「あ、ありがとなの。えぇっと――」
「薔薇水晶……私の名前」

貴女は? と訊かれ、雛苺も名乗ったついでに、話題を振った。

「薔薇水晶は、どうしてジョナサンに?」
「紅茶を買いに来たの。お父さまに……飲ませてあげたくて」
「へえぇー。お父さま想いなのね」
「ええ。大好き」

言って、薔薇水晶は頬を染める。
その仕種に、雛苺は親子の愛情というより、恋慕に近いものを感じた。
いったい、なにが彼女に、そこまで父親を慕わせているのか。

試みに水を向けてみると、薔薇水晶は語った。
彼女が小学生にあがる直前に、母親が亡くなったこと。
それからは、父親が男手ひとつで、今日まで育ててくれたのだ、と。

「小さな頃から、私……家事とか、お料理とか……ずっとお手伝いしてきた。
 友だちと遊ぶ時間もなくて…………人づきあいが苦手になっちゃったけど……
 でも、そのことで、お父さまを責めるつもりなんて、ない。
 お父さまのお役に立てることが……私の生き甲斐だから」
「一途なのね」

父1人、娘1人。様々なものを共有し、互いを支え合いながら、生きてきた。
そういった環境が特別な感情を育むのも、ある意味、当然と言えよう。
どこかの誰かが決めた倫理なんてルールでは、決して引きちぎれない絆だってあるのだ。

まるで、長年連れ添った夫婦みたい。
雛苺は、ふと頭に浮かんだ感想に、ハッとした。
あの茶畑の休憩所に、住み込みで働いてくれる人を、真紅は探していた――

夫婦という条項には反するが、薔薇水晶の親子では、どうだろう?
脈がありそうなら、真紅に引き合わせてみるのも、いいかも知れない。

「ね、薔薇水晶のお父さまって、どんな仕事してるなの?」
「人形師。その業界では有名」
「うゅ……ごめんなさい。ヒナ、よく知らないなの。お仕事は忙しい?」
「かなり忙しい。海外で何泊かすることも……よくある。
 私も、たまに出張のお供して……お手伝いしてるの」

そういう状況では、とても住み込みの管理人など務まるまい。
雛苺は諦めて、薔薇水晶を店内へと誘った。


「いらっしゃいませかしら~!」

ドアを開けるや、耳を右から左へ突き抜けるほどの、元気のいい声が出迎えた。
あの、カウボーイ風の制服に身を包んだ金糸雀が、トレイ片手に歩いてくる。
しっかりとした足取り。今朝方のローテンションが、ウソのようだった。

「あら、雛苺。早速、お友だちにも、この店を紹介してくれたのかしら?」
「違うの。この子がジョナサンを探してて、道に迷ってたから、案内してあげたのよ」
「そうだったの。ま、理由はどうあれ、新しいお客さんは大歓迎かしら。
 駆けつけ三杯じゃないけど、お茶はいかが?」
「折角だから、ヒナは寄ってくのよー。薔薇水晶は、どうする?」
「じゃあ……私も」
「まいど~! 2名様ごあんなーい、かしら」

なかなかに客引きが巧い。あるいは、自分のペースに引き込むのが巧い、と言うべきか。
名は体を表す――と言うが、金糸雀は、人を寄せる歌を謡えるようだ。


しばし、雛苺たちは紅茶とお喋りを楽しみ、席を立った。
薔薇水晶は、レジの隣にある販売コーナーで、本来の目的だった紅茶を選んだ。

このとき初めて雛苺も知ったのだが、紅茶『ローザミスティカ』には、
発酵の度合いによって、7種類の番号が付けられていた。
金糸雀の説明によれば、店で出している紅茶は、味と香りに定評のある5番だと言う。
結局、薔薇水晶は85g入りの缶を、それぞれ2缶ずつ買った。

「やっと……手に入れた。ローザミスティカ……お父さまのために」
「インターネットで通販もしてるから、そっちのご利用も、よろしくかしら!」
「……それだと、価値がない。苦労して手に入れるから……価値があるの」

そんな彼女のこだわりも、偏に、愛情の表れなのだろう。
楽して得た物を、想いの代名詞にするなど、プライドが許さないのだ。
きっと、バレンタインデーのチョコレートや、誕生日のケーキも、自作しているに違いない。


「あの……今日は、ありがと」

店を出たところで、薔薇水晶が、消え入りそうな呟きを投げかけてきた。
「え?」と、雛苺が振り向くと、彼女は気恥ずかしげに顔を逸らして、続けた。

「私、友だちが少ないから……こうして、お茶するのって……滅多にない。
 だから……とっても、楽しかった」
「ヒナも、楽しかったのよ。ドライブは、ちょっと怖かったけど」

雛苺の陽気な声が、再び、薔薇水晶を振り向かせる。

「ヒナでよければ、お茶ぐらい、いつでも付き合うなの」
「ホント? 友だちに、なってくれる?」
「うい! メアド交換する?」
「あ……うんっ」

携帯電話を操作する薔薇水晶は、本当に嬉しそうだった。

「いつでもメールしてなの。それじゃ、また――」
「あっ……待って」
「うよ?」

別れようと思った矢先に呼び止められて、雛苺が怪訝そうに振り返る。
その先では、なにやら思い詰めた感じの薔薇水晶が、じっと雛苺を見つめていた。

「もし、よかったら……ウチに来ない?」
「今から?」
「お父さまに、紹介したいの……友だちだから。ダメ……かな」

明日は、月曜日。アルバイトに行かなければならない。
だが、次に放たれたセリフが、雛苺に『ノン』と言うことを躊躇わせた。

「お姉ちゃんにも……会って欲しいし」

一人っ子ではなかったのか。
訊ねようとした雛苺を制して、薔薇水晶が「この人よ」と、携帯電話を突き出す。

小さなディスプレイの中で、ひとりの女性が、優しい微笑みを浮かべていた。
陽光に輝くロングヘアーは、美しく鮮やかな銀色。
雛苺は憑かれたように、その緋色の瞳に魅入っていた。