『真夜中の告白』
明日はテスト。
水銀燈は深夜まで、苦手科目の一夜漬けをしていた。
しかぁし――
「あ~ぁ、もぉ……集中力が続かないってばぁ」
見事に証明される『苦手 =キライ×メンドい』の黄金定理。勉強は一向に捗らない。
成果のないまま、時間ばかりが過ぎていく。
今日は切り上げて、明日の朝、早起きして続きをやろう。
普段なら、そう考えるのだが……今回は少し、状況が逼迫していた。
赤ザブトン――すなわち、モンダイ大有りの落第点。
一学期の通信簿を渡されて後、学園から自宅へ、ありがた~い手紙が届いた。
もう、両親には怒られた怒られた。
次も赤点を取ったら、小遣い減らすと脅されていた。
そんなのは、冗談じゃない。
女子高生には誘惑がいっぱい。
学校の帰り道に、みんなと喫茶店に寄ってお喋りしたいし、新しい服だって欲しい。
気になる化粧品もあるし、夏には水着だって新着しなくっちゃ……。
「頑張らないとぉ。ファイトよ、水銀燈!」
静かすぎるから、逆に、集中できないのかも知れない。
気を取り直して、もう一度チャレンジ!
今度は、BGMでも聞きながら、気楽にいこう。
「……♪ ……Z……zz」
気楽にいき過ぎた。意志に関係なく、瞼は鉛のように重くなっていく。
これは、もうダメかもわからんね。
今夜はもう寝よう。明日の朝に目覚ましをセットして……。
準備万端ととのえ電光石火の早業で、おやすみなさい。
なんて思った矢先――
パチッ!
ラップ現象ではない。窓ガラスに何かが当たる音だ。
しかし、一体……何が当たったのだろう?
ここは二階。
近くに木の枝が伸びている訳でもないので、風に揺れた木の葉が当たったとは考えられない。
風が強い日には、木の枝やゴミが飛んできて、音を立てる事がある。
今度のも、それだったのかも知れない。
気にせず寝ようとすると、再び、パチンと音がした。
「もしかしてぇ……誰かの悪戯ぁ?」
酔っ払いだったら、ハッ倒して簀巻きにして、どぶ川一直線にしてやる。
カーテンを開き、窓の外を窺う。
すると、そこには一台のバイクが停まっていた。跨っているのは、ジュン。
「よおっ!」と片手を挙げてくる。
水銀燈も、思わず「はぁ~い」と手を振って、ハッと我に返った。
「ちょっとぉ……こんな夜中に、何の用なのよぅ?」
「テスト勉強で、アタマ煮詰まっちゃってさ。これからツーリング行かないか?」
「い、今からぁ?」
時計を一瞥。現在、午前二時ちょっと前……真夜中じゃん。
「幾ら何でも、遅すぎなぁい?」
「だから良いんだよ。道も空いてるし」
なんだか釈然としなかったが、水銀燈は「待ってて」と答えた。
どうせ、勉強が手に着かなくて不貞寝するところだったし、気分転換には丁度いい。
現実逃避と言われようとも、今はテストの事を忘れたかった。
着替えて、音を立てないように玄関を閉めると、水銀燈はジュンの元へと走った。
ジュンが、フルフェイスのヘルメットを投げて寄越す。
「その恰好じゃ寒いぞ。これも上に着ておけよ」
と、レザージャケットを差し出すジュン。
「なんだか……用意が良いのねぇ」
「そりゃあ、誘いにくる以上はね。もう寝てたら無駄足だったけど」
軽口を叩きながらも、身支度はバッチリ済ませる。
水銀燈はジュンの後ろに陣取って、彼の腹に腕を回し、グッと力を込めた。
身体を密着させる。ジュンは、興奮してるかしら?
水銀燈の期待を余所に、ジュンは何も反応を示さず愛車を発進させた。
夜の闇を斬り裂くように、二人を乗せたバイクは疾駆する。
黄色点滅の信号を、徐行もせずに走り抜けるスリル。
寝静まった街が、どんどん後方へと流れ去っていく。
実に爽快な気分だった。
テスト勉強のことなど、すっかり記憶の彼方へ飛ばされていた。
このまま朝まで走り続けたって構わない。ううん……寧ろ、そうしたい。
水銀燈には、テストの点なんかより、今この瞬間の方が大切だった。
――ジュンと一緒に紡ぐ、青春の1ページ。
バイクは、やがて峠道に入った。
鬱蒼と茂る木々の陰が、夜闇と相まって不気味さをいや増している。
イグゾーストノートだけが、森の中に木霊する。
少しだけ、怖い。それに寒かった。
水銀燈は、ジュンの身体を抱き締め、少しでも彼の温もりを得ようとした。
突然、頭上を覆っていた森がパッと途切れて、満天の星空が眼前に広がった。
水銀燈はヘルメットの中で感嘆した。なんて、綺麗……。
「さあ、着いたぞ」
ジュンがバイクを停めた場所は、小高い丘の上だった。
頭上には、空を埋め尽くさんばかりの星、星、星……。
西に傾いた月は、十五夜の美しい姿を見せている。二人の足元に、月影が落ちていた。
「素敵ねぇ……」
ヘルメットを脱ぐなり、水銀燈は魅せられたように、茫然と呟いた。
こういう場面に憧れたことは有ったけれど、想像と、実際に来るのでは大違いだ。
まるで、夢を見ているような気分だった。
水銀燈はバイクを降りて、草むらの中に踏み込んだ。枯れ草が、さくさくと音を立てる。
「ここって、僕のお気に入りの場所なんだ」
水銀燈の隣に並んで、ジュンが囁く。
「一度、水銀燈を連れてきたかったんだよ」
水銀燈は、ありがとう……と微笑んだ。
ジュンが、自分に特別な感情を抱いてくれているのには気付いていた。
でも、日常は忙しすぎて、なかなか二人きりになれるチャンスがない。
お互いの気持ちを確かめ合うだけの会話を、交わす機会が無かった。
でも、今は違う。素直に気持ちを伝える事ができる。
けれど、水銀燈の唇から放たれたのは、少しだけ意地の悪い質問だった。
「ねえ、ジュン。ここへは、真紅も連れて来たでしょぉ?」
ジュンは、ふっ……と鼻で笑って、頭を掻いた。
女って生き物は、どうしてこうも勘がいいんだろう。
彼の心の声が、水銀燈には聞こえた。
「あるよ。但し、真っ昼間だったけどな」
「やっぱりねぇ。そうじゃないかと思ったわぁ。ジュンと真紅は、本当に仲がいいもの」
「それは、僕と水銀燈だって同じだろ」
幼馴染みで、仲良しな三人。
それが僕らの、微妙な三角関係。
だけどね……と、ジュンは続けた。
「この星空だけは、水銀燈に見て欲しかったんだ」
「……どうしてぇ?」
「僕にとって、水銀燈は月の様な存在だったから」
「そう……じゃあ、太陽の役は真紅なのねぇ。ちょっと残念だわぁ」
逆なら、良かったのに。
ジュンを、いつも明るく照らしていける太陽になれたら……。
両手でヘルメットを玩びながら、水銀燈は寂しげに吐息した。
白い息が、虚空へと伸びて、消えていく。まるで、私の淡い恋心みたい。
束の間の沈黙…………先に口を開いたのは、ジュンの方だった。
「僕には、月の方が大切なんだよ」
「……えっ?」
「太陽は、みんなを照らしてくれる。それはそれで、とっても素晴らしい事だと思う。
だけど……僕が本当に欲しいのは、夜闇の中で、翳った心を照らしてくれる月の光なんだ」
「それが、私?」
呆然と聞き返す水銀燈に、ジュンは力強く頷いて見せた。
「水銀燈…………ずっと、僕の側に居てくれ。心の弱い僕には、水銀燈の支えが必要なんだ」
「……大役ね。私に、務まるのかしらぁ?」
「水銀燈でなければ、務まらないよ」
面と向かって、恥ずかしげもなく言われたら、こっちが照れてしまう。
水銀燈は足元の枯れ草を、爪先で踏みしだいた。
「そんな事を言われたらぁ、本気にしちゃうわよぅ」
「本気にしてくれて構わないのに。って言うか、してくれ。頼むから」
「ふふ…………解ったわよぅ」
水銀燈は、満天の星空に負けないくらい、輝く笑顔を浮かべた。
漠然と繋がり掛けていた二本の糸が、やっと結びついて、絆になった瞬間。
そのとき、水銀燈は初めて知った。
こんなにも身体を震わせる嬉しさが、この世には存在するのだという事を――
「少し、冷えてきたわねぇ」
「だから、その格好じゃ寒いって言ったろ。ほら、こっちにきなよ」
ジュンが、水銀燈の肩を抱き寄せる。
肩に置かれた手の温もりは、レザージャケットに遮られて届かない。
しかし、水銀燈は確かに、ジュンの体温を感じていた。
身も心も、春の日差しのような温かさに包み込まれる。
――満ち足りた気分。
ジュン……貴方は、私を月の様な存在だと言ってくれた。翳った心を照らす存在だ、と。
でもね、それは……私にとっても同じなの。
貴方は私の暗い心に、希望という温かい光を与えてくれるのだから。
水銀燈はジュンに体重を預けて、彼の耳元に囁きかけた。
「ねぇ…………キス……しよ?」
「……ああ」
ジュンと水銀燈の距離が狭まり、重なる。
幸せな二人を、皓々たる月の光と、星の煌めきが祝福していた。
《後日談》
――翌日
ジュンと水銀燈は、二人そろって風邪をひいて、テストを受けられなかった。
けれど、やむを得ない理由として、再試験を許可されたのである。
二人は、こっそりと真紅にテスト問題を教えてもらい、
楽してズルして合格点を取れたのだった。
しかぁし――
「ジュン、お茶を煎れてちょうだい。水銀燈、肩を揉んでくれない?」
「はいはい、お姫様。ただいま、お持ちしますよ」
「これは、暫くコキ使われるわねぇ」
「お茶菓子は無いの? 気の利かない下僕ね。水銀燈、力が弱いわよ」
「くっそー、我が侭だなぁ。僕にだって我慢の限界が――」
「私だってぇ、終いには怒るわよぅ」
「本当のコトを、バラしても良いのよ?」(ニヤリ……)
不正の代償が、かなり高くついたのは、お約束と言うことで。