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  ~第十一章~


手術は、実に五時間にも及んだ。
それでも、単独で執刀していた事を考えれば、驚異的な早さである。
通常ならば、少なくとも倍以上の時間を要する大手術だった。

この娘にとって幸運だったのは、刺された場所が良くて、臓器の損傷が少なかった事だ。
それに、金糸雀の所に運び込まれた事も――

 「流石に、疲れたかしら~」

桶に汲んだ手水で血を流し終えた金糸雀は、棚の上の酒瓶に腕を伸ばした。
くいっ……と、もろみ酒を呷る。

 「ふぅ~。甘露甘露……かしら」

酒は百薬の長。
疲れた時は、適度に飲酒して、気分を昂揚させるのが一番だ。

――今夜は徹夜で、術後の経過を見守らねばならない。

感染症には充分すぎるほど配慮しているが、患者は極度に免疫力が落ちている。
他の患者よりも、細心の注意が必要だった。
金糸雀は、麻酔の効果で眠り続けている娘を見て、ふ……と、微笑した。

 「あなたも、偉かったね。よく頑張ったかしら」




夜が明け、麻酔の効果が切れる頃だが、娘は目覚めなかった。
疲労が溜まっていたのだろう。麻酔はとっくに切れているが、昏々と眠り続けている。
この間に娘の包帯を替えようとして、金糸雀は、娘の肌が酷く汚れている事に気づいた。

どうせ薬を塗って、包帯を替えるなら、綺麗に拭いてからの方が良い。
清流の冷たい水を桶に汲んで戻ると、戸板に『診察中! 立入厳禁!』の看板を下げた。

手拭いを水に浸し、娘の顔から拭き始める。
顔から、首筋、肩と下がって、右腕へと拭っていった。
渓流の岩にぶつかって出来た擦過傷が痛々しい。
汚れを落とす為とは言え、あまり強く擦らないようにしよう。
そう思って、何気なく娘の左手を掴んだとき、金糸雀の左手に電流が走った。

 「うぉわあっ! び、び、ビックリしたかしら」

静電気でも発生したのかと、自分の左手を調べる金糸雀。
そこで漸く、手の甲にある青黒い痣に【智】の文字が浮かんでいる事に気づいた。
【智】とは、物事を理解し、コトの是非・善悪を弁別する心のこと。

 「これは……なるほど。この娘は、カナの同志なのね」

娘の左腕に装着された籠手を慎重に外すと、果たして、娘の左手には【悌】の文字が。

 「ますます、気合いを入れなければダメかしら」

――漸くにして出会えた、初めての同志。
こんな所で、死なせる訳にはいかなかった。

全身に軟膏を塗り、包帯を替えても、娘は起きる気配を見せない。
だが、昏睡状態ではない。眼球は動いているし、瞳孔も開いていなかった。
ただ眠って、夢を見ているだけ……。
しかし、幾ら疲れていたって、全身をまさぐられれば嫌でも目を覚ます筈だ。
ましてや、女の子なら尚のこと。

 「一体、この娘に何が起きているのかしら?」

気の病……自閉症の一種だろうか。だとすると、少しばかり厄介だ。
治療しようにも、目を覚ましてくれなければ、問診すらできない。
呼び覚ますには、閉ざされた心に、強く訴えかける何かが必要だろう。
多くの場合、それは肉親の呼びかけなのだが、この娘の家族など知らない。
大体、どこの誰とも判明していないのだ。

 「ある程度の荒療治は、やむを得ず……かしら」

術後の体力回復の為にも、早く目を覚まして、自力で栄養を摂取して貰わなければ困る。
このままでは、いずれ衰弱死しまう。
命を救う為に、今まで努力してきたのだ。ここで水泡に帰すのは面白くなかった。
金糸雀は薬棚の前で、あれこれと薬を探し始めた。


そこへ、戸板を穏やかに叩く音がした。急患……と言う訳ではなさそうだ。
金糸雀が戸を開けると、伴天連宗の若き宣教師ベジータが立っていた。
ベジータは「よう」と軽く手を挙げ、少しだけ堅い表情を崩した。

 「昨日の娘、どうだった? どうにも気になってな」
 「良いところへ来たわ、ベジータ。ひとつ、穴を掘って貰えないかしら?」
 「……そうか。やっぱり、助からなかったんだな、あの娘」

やおら沈痛な面持ちとなったベジータを見て、金糸雀は頸を傾げた。

 「へ? 彼女なら生きてるわよ。掘って欲しいのは、ゴミ捨て用の穴かしら」
 「なんだ、そりゃ。紛らわしい事を言うなよ。俺は、てっきり――」
 「ふふ……ベジータは、いつも早合点しすぎなのよ」

にこやかに談笑する金糸雀。しかし、その笑顔は長く続かなかった。
彼女は表情を曇らせて、診察台で眠り続ける娘に顔を向けた。

 「だけど、今のままでは……遠からず、必要になるかも」
 「なんだと? どういう事なんだ」
 「傷は塞いだけれど、あの娘、目を覚まさないかしら」
 「昏睡状態ってことか?」

違う……と、金糸雀は答えた。彼女は夢を見続けているだけ。
多分、夢想の世界を現実と思いこんで、覚めることのない眠りに就いているのだ。
そう伝えると、ベジータは腕を組み、暫しの間、思案に暮れた。

 「そういう時は、あれだ。叩き起こせば良いんじゃねえか?」
 「あのねぇ……あなた、本当に宣教師?」
 「宣教師にだって、いろんな奴が居るんだよ。俺は破門寸前の使いっ走りだがな」
 「破門された方が良いかも。あなたに宗教は似合わないかしら」
 「……まったくだ。自分でも、そう思うぜ」

真面目な顔で肩を竦めるベジータをみて、金糸雀は吹き出した。
つくづく、奇妙な外人だ。
けれど、不思議と憎めない男でもあった。

 「いま、気付け薬を試そうと思って、探していたところだったの」

金糸雀が話すと、ベジータは「だったら良い物がある」と言って、走り去った。
良い物とは、一体なんなのだろう?
気付けに関連していて、炭焼き小屋で手に入りそうな物といえば『木酢』ぐらいか。
松の木酢液などは臭いがキツイから、充分、気付け薬の代用になる。



程なく、ベジータが駆け戻ってきた。
彼が手にしていたのは、一見すると甘藷(サツマイモ)に似た植物の根だった。
しかし、真っ青な色をしているので、なんとなく毒々しさを感じてしまう。

 「あ……あの~、ベジータ。これ、なんて植物かしら?」
 「なんだ、知らないのか? こいつは『豊藷』ってイモでな。異国原産の植物だ」
 「ふぅん? どうやって使うのかしら?」
 「擂り下ろして、絞り汁を飲用すると強壮剤になる。味は微妙だが、効果は有るぜ。
  身体に降りかけると悪霊払いになるとも聞いたけど、胡散臭い民間伝承だろうさ」

なるほど、あの娘が目覚めた事を前提にした『良い物』だったのか。
話の流れからして、てっきり効果覿面な気付け薬を持ってくるものと思っていた。
金糸雀は自嘲した。どうやら、早合点は自分も同様らしい。

 「ありがとう。早速、試してみるかしら」
 「それとな……これ、興奮剤だって聞いたから、気付けに使えるかと思って」

言って、ベジータが差し出した瓢箪には『倍櫓』の二文字。
どこで入手したのか知らないが、ベジータは、この薬の効果を解っていない様子だった。
金糸雀は「いりません」と、素っ気なく応じて、ピシャリと戸を閉めた。




ベジータに教えられたとおりに、金糸雀はイモを擂り下ろした。
絹に包んで、乳鉢の中に、ギュッと絞る。
――何やら見た目だけは美しい色の、青い汁が出てきた。

 「こ、これ……本当に飲ませても平気なのかしら?」

発癌物質でも入ってそうな気がしたが、折角なので、娘に飲ませてみる事にした。
しかし、口の中に含ませても、ちゃんと飲んではくれないだろう。
こう言うときは、喉の奥に管を挿入して、流し込むに限る。
金糸雀は慣れた手つきで器具を取り付けた。

 「さてさて、準備完了かしら。では早速、流……あっー!」

乳鉢を傾けた途端、指が滑って、青い液体は娘の顔にバシャッ! と降りかかった。
とどめとばかりに、乳鉢が娘の鼻を直撃する。
それが功を奏したのか解らないが、娘は突然に目を見開いた。
だが、様子がおかしい。
痛がっている……というよりも、寧ろ、苦しんでいると表現するに相応しかった。

慌てて宥めようとする金糸雀を、娘は物凄い腕力で突き飛ばした。
喉に押し込まれた管をペッ! と吐き捨て、両手で顔に付着した青い汁を拭う。
それが終わると、跳ね起きて、診察台の上で四つん這いになった。

いつの間にか、彼女の頭から猫の耳が、にょっきりと……。
そして、腰から伸びた二本の尻尾が、ふらりふらりと宙に揺れていた。

――これが、噂に聞きし猫又?!
娘は、驚愕に目を見開く金糸雀を睨み付けて、しゃーっ! と威嚇した。

 「なるほど。穢れの者に取り憑かれていたのね……だからか」

金糸雀は、この娘が何故、異常なまでの生命力を宿していたのかを理解した。
普通なら死んでいる筈の重傷でも生き長らえていたのは、穢れの者に取り憑かれていたからだ。
死の代名詞である穢れによって命が繋がれていたとは、なんとも皮肉な話だった。

だが、いつまでも驚いてはいられない。
金糸雀は袖の中から、一丁の短筒を抜き出した。火縄を使用しない、薬莢方式の試作型だ。
火薬の調合や、からくりの構造などにも明るい彼女は、
ベジータの持つ西洋工学の知恵を吸収して、様々な機構の研究もしていた。
これは試作三型・回転式六連発の短筒である。

 「カナが、目を覚ましてあげるかしら。かかってらっしゃい!」

ぴたり……と、娘に照準を合わせる。
だが、安易に撃つ訳にはいかない。彼女は、まだ生きているのだ。
あの化け猫に、意識を支配されているに過ぎない。

 (どうすれば、あの娘から猫又を引き離せるかしら?)

自慢にもならないが、金糸雀は妖怪退治など、ただの一度もやった事がない。
知人に退魔師や、修験者がいる訳でもない。
金糸雀は、今までに読んだ書物を、必死に思い浮かべた。

 (こう言うときには――)

ふと、ゾンビパウダーという単語が思い浮かんだが、そんな物は用意していない。
材料が揃わないから調合しようが無いし、そもそも、使う場面が違う気がした。

 (そうだ、おイモ! あの汁を飲ませれば効くかしら?)

青い汁を浴びて目を覚ました直後、猫又は明らかに、忌避行動をしていた。
あの娘の体内に青い汁を送り込むことで、憑依を解けるかも知れない。
幸いにして、豊藷はまだ残っている。調合台の上に、置きっぱなしにしてある。
金糸雀はイモを回収すべく、短筒を構えながら、じりじりと移動した。

彼女の移動に合わせて、娘も向きを変える。
時折、威嚇の唸りを上げて、飛びかかる隙を窺っていた。

 (あと少し…………もう、ちょっと……)

娘と視線を合わせたまま、金糸雀は左手に短筒を持ち替え、右手で調合台を探った。
が、おかしい。いくら手探りしても、指先はイモに触れなかった。
まさか、転がって、床に落ちたのだろうか?

金糸雀の焦りが、腕の動きを粗雑にさせる。
大きく振った指先が、ごろり……と、何かを弾き飛ばした。

 (! しまった……今のが――) 

思わず、金糸雀は弾き飛ばした物に目を向けてしまった。
猫又の娘は、その隙を見逃すことなく飛びかかってくる。

 「あわわわっ!」

短筒を発射する間も有ればこそ……。
金糸雀は、猫又の娘にのしかかられ、両肩を押さえつけられてしまった。
彼女の顎が、金糸雀の喉笛に食らい付こうと伸びてくる。

 「こ……のぉ!」

迫り来る娘の頭を右手で押し返しながら、金糸雀は猫耳の側で短筒の撃鉄を落とした。


突如として耳元で起きた轟音に、猫又の娘が怯んだ。
金糸雀の肩を押さえていた腕から、一瞬だけ、力が抜ける。
機転が引き寄せた、絶好の好機。
金糸雀は娘の身体を渾身の力で跳ね飛ばして、側に転がっていた豊藷を鷲掴みにした。

ごちん! と、猫又の娘が、診察台の脚に頭をぶつける音がした。
まだ、好機は続いている。
金糸雀は、仰向けに倒れた娘に飛びかかり、馬乗りになった。
猫又の娘が牙を鳴らして、金糸雀を威嚇する。だが、金糸雀とて怯まない。

 「これでも食らうかしらっ!」

しゃーっ! と吼えた瞬間を見計らって、金糸雀は娘の口に豊藷を押し込んだ。
娘は苦しげに呻き、じたばたと暴れる。
彼女の腕が、金糸雀の頸を掴もうと空を切り続けた。

そうして、互いに力押しを続けること暫し……。
猫又の娘は、漸く抵抗を止めて、ぐったりとした。
けれど、安堵の息を吐く間もなく、娘の身体から真っ白で、巨大な猫又が飛び出してきた。

 「おのれ……よくも、御前様の邪魔をしてくれたね。許さないよ、小娘っ」
 「なにをっ! 化け猫ごときが、ふざけないで欲しいかしら!」

金糸雀は立て続けに引き金を引いた。
五発の弾丸が、猫又の身体に吸い込まれていく。
だが、猫又は全く意に介する様子もなく、せせら笑った。

 「ふふふふ……無駄無駄ぁ。そんな玩具が効くと思ってるの?」
 「くっ! ならば、これで……どうかしらっ!」

叫んで、金糸雀は発動型特殊攻撃精霊を起動した。
精霊獣召還。金糸雀の影から、氷を想わせる青を湛えた、水晶の牡鹿が躍り出た。

 「行けっ、氷鹿蹟!」
 「精霊だとっ?! なぜ……お前ごとき小娘が」

まさか、金糸雀が精霊を駆使できるとは考えてもいなかったのだろう。
一瞬、動きを止めた猫又の身体を、氷鹿蹟は鋭い角で跳ね飛ばしていた。


  =第十二章につづく