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  ~第二十八章~


朝餉を終えて、旅支度を調える八犬士と、結菱老人。
けれど、向かう先は違った。
真紅たちは、鈴鹿御前の居城へ。そして、老人は自らの住処へと戻る。

穢れの者どもの本拠地に殴り込むに当たって、自分は足手まといになる。
自分が居ることで、愛娘の雛苺や、その姉妹たちに余計な気苦労をかけてしまう。
彼女たちの不利になる事は、是が非でも避けねばならなかった。

 (領主の命を受けて神社を発つ際、儂は、何としても雛苺を護ると誓った)

その誓いを果たすのは、今を置いて他にない。
絶対に負けられない戦いに赴く娘たちへの協力を惜しんでは、名が廃る。
今こそ個々の力を最大限に発揮できる環境を、用意してやらねばならないのだ。

荷物を背負い、結菱老人は少しも蹌踉めくことなく立ち上がった。

 「では、儂はそろそろ……。真紅どの。雛苺のこと、よろしく頼みますぞ」
 「勿論よ。雛苺は、私たちの大切な姉妹ですもの」
 「そうよぉ。今更、頼まれるまでもないわよねぇ」
 「ふ……そうであったな」

結菱老人は、涙ぐむ雛苺の頬を両手で挟み込み、ぴしゃりと軽く叩いた。
そして、驚いて目を見開いた彼女に、ゆったりとした口調で言い聞かせた。

 「みんなに迷惑を掛けるでないぞ、雛苺。きっと、元気に帰ってきなさい」
 「……はい、なの。ヒナは、きっと……お父さまの所へ帰るの」
 「うむ! 良い子だ。苺大福を山ほど用意して、待っておるからな」 

束の間の別れでしかないのに、寂しさを堪えきれず、雛苺は涙を溢れさせた。
眦から零れた滴が、彼女の頬と、結菱老人の掌を濡らす。
そんな彼女に、老人は優しい言葉ではなく、語気鋭い叱責を与えた。

 「めそめそと、すぐに泣くでない!」

ビクッ……と、雛苺が肩を震わせた。
普段から、結菱老人には怒鳴られる事が少なかったのだろう。
雛苺の表情は、畏怖と言うより、驚愕のそれに近かった。

 「よいか、雛苺。お前は、これから一生に二度と経験しないだろう激戦に、
  身を投じなければならん。
  泣き喚こうが、穢れの者どもは手加減など、してくれないぞ。
  涙を流す暇があったら、みんなを護るために戦うのだ。解ったか?」
 「は、はい……なの」
 「よし。ならば、戦いが終わるまで、涙は封印すること。誓えるな?」

返事の変わりに、雛苺は袖で涙を拭い、健気に頷く。
結菱老人は目元だけを緩ませて、彼女の頭を二、三度と撫でた。
そして、無言のまま踵を返すと、ゆっくりと歩き始めた。


一歩ずつ遠ざかる老人の肩が、小刻みに震えていた。
これが今生の別れという訳でもないのに、雛苺の胸に、離れがたい想いが募る。
最後に一言だけ、なにか伝えよう。
「さようなら」でも良い。「また、すぐに会えるから」でも良い。

けれど、その想いに反して、雛苺の口から声が発せられることはなかった。
なぜなら、雛苺は既に、誓いを破ってしまっていたのだから――




結菱老人が去り、八人の間に、じわじわと緊迫した空気が広がり始めていた。
いよいよ、狼漸藩に――鈴鹿御前の居城へと攻め込む。
たったの八人で、圧倒的な数を誇る穢れの軍団に戦いを挑むのだ。
気持ちが高ぶって、並の精神状態では居られない。
誰もが無言で、得物の手入れや、弾丸の製造、精霊駆使の特訓などをしていた。

一種異様な雰囲気に堪えかねてか、蒼星石は雪華綺晶に話しかけた。

 「雪華綺晶……ちょっと、訊いてもいいかい?」

いつにも増して、真剣な面持ち。
公私の区別に厳格で、過度の馴れ合いを好まない蒼星石の表情は普段でも硬い。
その彼女が、今日は特に、険しい顔をしていた。

 「なんでしょうか?」
 「えっと……その」
 「何を、口ごもってるです? ハッキリ言うですっ!」

直ぐに察しがついたらしく、翠星石が、煮え切らない態度の蒼星石を叱咤する。
双子の姉に後押しされて、蒼星石は頷くと、何度か深呼吸を繰り返した。
気分が落ち着いたのを見計らって、胸に蟠る思いを口にする。

 「めぐに連れ去られた、あの人の事を……訊きたいんだ」

問いかける口調は穏やかに聞こえたものの、語尾が戦慄いていた。
湯治場で気を失っている間に、奪い去られてしまったジュン。
鉄砲で撃たれたと、水銀燈たちは教えてくれた。
彼は、無事なのだろうか? それとも、もう――

 「桜田ジュン、の事ですか」

不吉な想像をしがちな蒼星石を前にして、雪華綺晶は少しの間、逡巡した。
蒼星石がジュンに抱いている特別な気持ちは、なんとなく理解できる。
きっと、二人は浅からぬ仲だったのだろう……と。

そんな彼女に、どこまで真実を伝えたら良いのだろう。
彼――桜田ジュンは、巴の想い人として、鈴鹿御前の元に連れてこられたのだ。
今頃は前世の記憶を取り戻し、木曽義仲として覚醒している筈だ。

 (まあ、いつまでも隠し仰せるものでもありませんわね)

敵地のド真ん中で、真相を知って茫然自失になられるよりは、
準備期間である今の内に、本当の事を話しておく方が良いだろう。
前もって覚悟をしておけば、土壇場になっても動揺は少なくて済む。

雪華綺晶は蒼星石の瞳を真っ直ぐに睨みつけて、言い聞かせた。

 「彼……桜田ジュンは、巴の哀願によって連れ去られたのですわ」
 「?! ちょっと待って! いま、巴……って言わなかった?」
 「ええ、言いましたわ。貴女……彼女と手合わせしていましたっけね」

突如として聞き憶えのある名前が紡ぎ出されたことで、蒼星石は周章狼狽した。
ジュンを巡って、命を奪い合う真剣勝負を繰り広げた巴。
彼女が、穢れの者を使って、ジュンを連れ去ったなんて……。

 「ど、どうして……巴が、関係してくるのさ?」
 「なぜなら、巴は御前様――鈴鹿御前と身体を共有する者だからですわ」

雪華綺晶の言葉に衝撃を受けたのは、蒼星石だけに留まらない。
二人の決闘に立ち会った、真紅、水銀燈、薔薇水晶もまた、愕然としていた。

 「どういうこと? まさか……彼女が、鈴鹿御前だったと言うの?!」
 「穢れた感じは、全く無かったわよ。高潔な印象は受けたけどぉ」
 「……私も……感じなかった」
 「当然でしょう。あの時は、巴の御魂が表に出ていたのですからね」

雪華綺晶の口から発せられた御魂という言葉の響きに、水銀燈がいち早く反応する。

 「ひょっとしてぇ、巴は……めぐと、同じなのぉ?」
 「あら? 少しは事情を知っているみたいですわね」
 「なんの話をしてるです、銀ちゃん?」
 「掻い摘んで言うとぉ、房姫の御魂が八つに分かれたみたいに、
  鈴鹿御前の御魂もまた、幾つかに分かれたってコトよぉ」
 「それが、巴、めぐ……と言うワケなのね」
 「キミは何故、その事を知っていたんだい、水銀燈?」
 「……実は、みんなの元を飛び出した後……めぐに会ったの。
  彼女が鈴鹿御前の御魂を宿している事を、聞かされたわ」

言って、水銀燈は右肩に巻かれた草色の布に触れた。
めぐの処置に加えて、金糸雀の治療も受けたため、順調に回復している。
実際、もう布で固定する必要はないけれど、水銀燈は、そのままにしていた。

 「……そんな事があったんだね」

敵との馴れ合いを責められるかと思いきや、蒼星石は悲しげに呟いただけだった。
ジュンの安否を気にするあまり、他の事は二の次になっているようだ。

 「話が逸れてしまいましたわね。彼の、その後ですが――」

雪華綺晶が、再び沈黙を破る。再び、みんなも彼女の話に聞き入った。

 「私が出撃した時点では儀式の途中でしたが……今頃はもう、
  前世の彼として、復活を果たしている筈ですわ」
 「うよ? 前世の彼?」
 「桜田ジュンの前世は、征夷大将軍、木曽義仲なのですわ。そして、巴は――」
 「巴御前なのね。それで思い出したかしら。
  鈴鹿御前と言えば、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂を助けたって伝承が、
  残されているかしら」
 「よく御存知ですね。さすがは【智】の御魂を宿す者ですわ。
  鈴鹿御前は歴史に名を残す傾国の美女、妲己の生まれ変わりとも絶賛される、
  怖ろしいまでの美貌を持った方です」

雪華綺晶は幼い頃の記憶を辿った。鈴鹿御前は確かに美しく、優しかった。
少しばかり美化されている部分もあろうが、
それでも、強く心を惹かれたのは、紛れもない事実だ。
鈴鹿御前は、人心を惹きつけて止まない、妖艶な魅力を内包した女性だった。

 「鈴鹿御前は、自らの分身であり依代となってくれた巴への褒美として、
  桜田ジュンを木曽義仲として復活させたのではないでしょうか」 
 「つまり、元四天王の貴女にも鈴鹿御前の真意は計り知れないけれど、
  彼が生きている事は、間違いない……と言うのね?」

真紅の問いに雪華綺晶が力強く頷くのを見て、蒼星石は少しだけ救われた気持ちになった。
ジュンが、生きている。それが解っただけでも、希望に胸が躍った。
生きていれば、きっと、また会える。
再び巡り会えれば、必ず彼の……ジュンだった記憶を、取り戻すことが出来る。

闇夜に一筋の光明を見出した蒼星石に、水銀燈は羨望の眼差しを向けた。
彼女には、まだ救いがある。可能性が残されている。
失った時間を取り戻せるかも知れない。

――じゃあ、私の場合は、どうだろう?

鈴鹿御前を斃し、蓄積されてきた怨念を滅すれば、めぐは帰って来るだろうか。
また、以前と変わらずに、仲良く暮らしていけるのだろうか。
そうであって欲しいと、切に願う。
でなければ、不公平だ。


 「ちょっと、失礼しますわ」

徐に立ち上がり、外に出て行く雪華綺晶。
みんなが黙々と戦いの準備を再開する中、水銀燈は彼女を追い掛けて外に出た。

雪華綺晶は、古刹から少し離れた木に背を預け、腕組みをしていた。
水銀燈の接近を知ると、少しだけ顔を向けて、唇を吊り上げる。
まるで、水銀燈が追ってくるのを待っていた様な素振り。
気後れせずに歩み寄った水銀燈に、雪華綺晶は話しかけた。

 「めぐについて、私に、なにか訊きたいみたいですわね」
 「……察しがいいのねぇ。ちょっと憎たらしいわぁ」

水銀燈も軽く微笑みかける。しかし、すぐに表情を引き結んだ。

 「めぐの、今後の予定とか解らなぁい?」

その一言で全てを把握したらしく、雪華綺晶は鼻で笑った。
瞼を閉じて、ゆっくりと頚を左右に振る。
そして、再び目を開き、水銀燈を真っ直ぐに見据えた。

 「……貴女は、めぐと戦いたくないのですね」
 「そりゃあ、ね。彼女の命を助けたくて、旅に出たんだものぉ。
  めぐを救う為に必要な事なら、なんだってする覚悟よ。
  それなのに、殺し合うしか道が無いなんて、あんまりじゃなぁい?」
 「解りますわ……私も同じ気持ちですから。
  短い間でしたが、彼女は私の、かけがえのない戦友よ。死なせたくはない」

幼馴染みと――
戦友と――
結びついた縁の形は違えども、大切な存在であることに変わりはない。
それが失われると想像しただけで、胸が締め付けられて、苦しくなった。
ましてや自らの手で、それを壊さなければならないとしたら……。

どれだけ辛いだろう? どれほど悲しいだろう?
その時、果たして正気を保っていられるだろうか?

水銀燈は、めぐの穏やかで心安らぐ笑顔を――
雪華綺晶は、めぐの健気で、微かに哀愁の漂う微笑みを――
それぞれに思い浮かべて、嘆息した。

 「お互い、あの娘とは戦場で出会いたくないわねぇ」
 「ええ。避けて通るのは難しいでしょうけど、幸運に期待しましょう」

卑怯者の誹りを受けようとも、めぐの血で、自分達の手を汚したくはなかった。




暗い通路を進む、三つの影。
並んで歩く、のりと、めぐ。二人に少し遅れて、笹塚が続いていた。

 「巴ちゃん……幸せそうだったわね」

先程の、ジュン――義仲と、巴の抱擁を思い出して、めぐは破顔した。
蒼星石に敗れて、ジュンと別れなければならなかった巴。
湯治場から走り去る彼女の慟哭を、めぐは聞いていた。
他人事ながら胸が痛んで、ジュンに殺意を覚えたほどだ。
だからこそ、巴の切望が叶った事が、とても嬉しかった。

 「御前様は本当に、慈愛に満ちた、素晴らしい御方だわ」
 「うふふ……そうね。お姉ちゃんも、久々に涙ぐんじゃったわよぅ」
 「穢れの者でも、人を想う気持ちは変わらないのね」
 「当然よ。但し、関係は似て非なるものだけど」
 「と、言うと?」
 「同じ想いでも、生者の場合は『愛』で、私たちは『哀』だと言う事よぅ」

人差し指で宙に字を書きながら、のりが説明する。
彼女の言葉の意味が、めぐには解った。

 「なるほどね。愛は命を産み、育むけれど……」
 「哀は、負の感情しか生み出さない。でも、それが私たちの糧になるわ」

生ける者は新たな命を産み落とし、穢れの者に対抗する。
そして穢れの者は、生ける者の想いを惑わし、新たな糧を得る。
命の連鎖とは、運命と言う名の天秤を、釣り合わせるだけのものなのだろうか。

少しだけ気が重くなった二人の背後で、笹塚はいきなり踵を返した。

 「? 何処へ行くの、笹塚?」
 「いやぁ、ちょっと祭壇に重要な物を、置き忘れちゃってさぁ」
 「野暮な男ね! いま行ったら、巴ちゃんとジュンくんの邪魔になるでしょぅ」
 「けど、僕も御前様のご指示で動いているからね。巴も納得してくれるよ。
  なぁに、サッと済ませて引き返すさ」

不平を並べ立てる彼女たちに言い捨てて、笹塚はそそくさと引き返した。
充分に離れたところで、くくっ……と嘲笑を浮かべる。

 「暢気なもんだよね、まったくさぁ」

あの二人は、ちっとも気づいていない。
本当の儀式は、まだ終わっていないって事に。

儀式の間に近づくにつれて、密やかな声が聞こえてくる。
啜り泣きと、嬌声――
巴と義仲は、分かたれていた時間と孤独を埋めようとするかのごとく、
肌を重ね、ひとつに解け合っていた。

全ての役者は、筋書き通りに劇を演じてくれている。
ほくそ笑む笹塚の脳裏に、声が届いた。

――巴の純潔……破瓜の血は取り込んだ。……が、まだ足りぬ。
より多くの負の感情を捧げよ。憎悪、悲嘆、哀惜……あらゆるモノを。

笹塚は「御意」と会釈して、その場を後にした。


  =第二十九章につづく