~第三十五章~
交えた刃と同様に、水銀燈の紅い瞳と、めぐの鳶色の瞳が激しく火花を散らし合う。
二人の眼差しには共通して、深い哀しみの情が見て取れた。
闘いたくない。本当は、殺し合いたくなんかない。
けれど、二人は敵同士。相見えれば剣を交える運命。それも、解っている。
にも拘わらず、二人は月と星のように、夜という闇の世界で巡り会ってしまった。
「私たちって……やっぱり、こうなっちゃうのね」
「会いたくなんて、なかったんだけどねぇ」
「同感。こんな形で、水銀燈とは会いたくなかった。
でも、仕方ないわね。これも運命と諦めて、受け入れるしかないわ」
めぐの寂しげな微笑みに、水銀燈は苛立ちを募らせ、語気を荒くした。
「憎しみ合ってもないのに、殺し合うのが運命なの?
おかしいわよぉ、そんなの。不条理よぉ!」
「不条理、不公平は世の常でしょ。
水銀燈……貴女だって、経験してきたじゃないの。
他人と容姿が違うだけ。みんなより病弱なだけ。
それだけで虐げられ、排斥されて――」
「それは、価値観の違いが嫌悪感を生み出すからで……」
「種の保存という本能に従っているだけよ。理論ではなく、直感的なものね。
弱者や異端児は、子孫繁栄の障害でしかないわ。
だから、正常な母集団を護るために、異常者は徹底的に排斥されるのよ」
そう言うと、めぐは剣を引いて飛び退き、間合いを取った。
剣を構え直して、水銀燈と対峙する。
「不公平は世の常と言ったけれど、誰にでも公平に与えられているモノが、
たった一つだけ有るわね。それは、生き残るために闘う権利よ」
「弱者でも、異端児でも、生存権は闘って勝ち取れ……と言うのね」
「弱肉強食の世界で、餌になりたいなら、闘いを放棄したって構わないわ」
あなたは、どっちを選ぶ? 妖しく濡れためぐの瞳が、そう問い掛けていた。
まるで、獲物を見つめる捕食者の眼……。
僅かでも隙を見せれば、躊躇なく襲ってきそうな気配を漂わせている。
「私は、水銀燈と闘いたいわ。貴女を、滅茶苦茶に壊してしまいたい。
そして、御前様の御力で、私だけの人形にして頂くの」
「……本気で……言っているのぉ?」
「ええ、本気よ。
私だけの人形にすれば、貴女はずっと、私の側に居てくれるでしょ?
私を置き去りになんかしないわよね?」
「変わったわね、めぐ……貴女はもう、以前の貴女じゃないのね」
そこまで、寂しさを募らせていたのかと思い知らされて、水銀燈は愕然とした。
一見すると冷静だけれど、めぐは既に、妄執の虜となり果てていたのだ。
責任は自分にある。理由はどうあれ、病床に伏せた彼女を置き去りにしたのは事実だ。
ならば、幕引きもまた、自分の手で行わなければならない。
「金糸雀、さっさと起きなさい。ヒナちゃんと共に、のりと戦って。
めぐは、私が抑えるから」
「……独りで、大丈夫?」
「まあ、なんとかなるでしょぉ。こっちは構わず、ヒナちゃんを頼むわ」
「解ったわ。銀ちゃんも、無理しちゃダメかしら」
そう言って、走り去る金糸雀の背中に「しないわよ」と答えて、水銀燈は太刀を構えた。
切っ先を、めぐに向ける。しかし、精霊を起動するつもりはなかった。
「冥鳴は撃たないの?」
「こんな狭い場所で使ったら、生き埋めになりかねないもの」
「……賢明な判断ね。じゃあ、思う存分に遊びましょうよ……水銀燈ぉ!」
「かかってらっしゃいな、めぐぅ。返り討ちにしてあげるわぁ!」
瞬間的に、二人の殺気が膨れ上がる。手を抜いて勝てる相手ではない。
めぐと水銀燈は、真っ向からぶつかり合い、激しく鎬を削り合った。
めぐの素早い動きに翻弄されることなく、水銀燈は太刀の長さを活かして牽制しつつ、
隙を窺っていた。
それは、めぐも同じらしく、様子見的な攻撃しか仕掛けてこない。
こういった勝負は、大概、一瞬でケリが着く。
より正確に状況を把握して、乾坤一擲の大博打に出る機会を見定め、
行動に移れた方が、勝ちを拾うのだ。
「あはははっ! とっても愉しいわ。愉しいよねぇ、水銀燈?」
「ホントねぇ……可笑しくって、涙が出ちゃうぐらいよ」
心底、愉快そうに喋るめぐ――
心底、辛そうに呟く水銀燈――
戦意の高さが勝敗を決するのであれば、めぐの圧勝に違いない。
だが、水銀燈とて、おとなしく斬られるつもりなどなかった。
彼女には、まだ果たさねばならない役目が残っている。
真紅を助け、皆と協力して、是が非でも鈴鹿御前を葬らなければならないのだ。
ぶつかり合う刃から、火花が散った。
それは偶然にも、めぐの目元に飛んで行き、瞬間、彼女の気勢を削いだ。
決定的な好機。
しかし、刃がめぐの柔肌を切り裂く寸前で、水銀燈は太刀を振り抜くことを躊躇ってしまった。
その間に、めぐは、すかさず飛び退いて事なきを得た。
なんて、もどかしいんだろう。
水銀燈は自分の未練がましさに憤り、歯噛みしていた。
覚悟を決めてきた筈なのに、いざとなったら、迷いを生じるなんて。
そんな彼女の真意を探るように、めぐは水銀燈を、じっ……と見詰めていた。
めぐの視線に晒されて、水銀燈は緊張のあまり、身体を強張らせた。
真剣勝負で手を抜いたと怒鳴られ、罵られるだろうか?
それとも、本気になれない半端な覚悟を、嘲笑されるのか?
どれほどキツイ言葉を浴びせられようとも動じないつもりで身構えていたのに、
めぐが放ったのは、予想もしなかったほど単純な質問だった。
「どうして、途中で剣を止めたの? 今ので、決着が付いたのに」
返答に窮する水銀燈に、めぐが見せたのは、怒りでも嘲りでもなく、
深い深い寂寥感を湛えた表情だった。
親に構って貰えない子供が見せるような、拗ねた中にも媚びを売る面持ち。
水銀燈と愉しい時間を共有したい。めぐの眼差しからは、そんな切望が滲み出していた。
「私、嬉しいのよ。だって、夢が叶ったんだもの。私はね、水銀燈。
貴女と、こんな風に思いっ切り身体を動かして、遊びたかったのよ。
野山を駆け回ったり、川で泳いだり……いろんな事を、一緒に体験したかった」
「それは、私も同じよ。いつまでも、めぐの側に居たかった。
そして、ずっと……私の側に居て欲しかったわ」
その返答に、めぐの表情は可憐な花が咲いたかのように、パッと明るくなった。
とても眩しい笑顔。この笑顔を見る為なら、どんな苦労も厭わない。
水銀燈は、心から、そう思った。
ずっと以前から今日に至るまで、そう思い続けてきた。
「ねえ、水銀燈。もっと遊びましょうよ。
頭の中が真っ白になるくらい、思いっ切り。疲れて身体が動かなくまで」
「……解ったわ。めぐが望むなら、どんな事にでも付き合ってあげる」
たとえ、それが命を奪い合う危険な遊戯であったとしても――
めぐにとって幸せならば、叶えてあげよう。
有意義な時間を、共に過ごしてあげよう。
水銀燈は、そう思いながら、めぐと激しい剣撃の応酬を繰り広げた。
めぐと水銀燈が向こうで凄まじい剣撃を繰り広げている中で、
雛苺と金糸雀は、のりと対峙する。
二人の犬士を前にしているにも拘わらず、のりの口元から冷笑が消えることはない。
これが実戦慣れした者の余裕だろうか。
ただ睨み合っているだけなのに、金糸雀たちの方が、精神的に追い詰められていた。
「これで、二対一よ。貴女に勝ち目は無くなったわ。観念するかしら」
心理的な優位性を取り戻すべく、虚勢を張る金糸雀に、のりが嘲笑を浴びせる。
及び腰であることが、すっかり見抜かれていた。
「貴女ひとりが加わったところで、大した驚異じゃないわ」
「どうかしら? 確かに、神剣や神槍は無いけれど、精霊なら使えるわ」
「そうなのっ! のりが勝つことは、絶対にないのっ!」
「あらあら、元気な娘たちねえ。久々に躍り食いが愉しめそうだわ」
のりの嬉々とした様子に、金糸雀と雛苺の虚勢は、脆くも崩されてしまった。
躍り食い……活きながらにして、丸呑みにされる光景を思い浮かべるだけで、
雛苺は失神しかけてしまう。
「こ、こらっ! しっかりするかしらっ」
「ほぉら、ね。一人でも二人でも同じ事よ。大した驚異にならないわ」
「くっ! 雛苺が気圧されたって、カナは退かないかしら!」
みっちゃんや、村人たちの仇を討つためにも、絶対に退く気は無い。
金糸雀は素早く短筒を構えて、発砲した。
のりの急所は判らないが、とりあえず、笹塚の時と同様に、眉間と心臓を狙う。
だが、放った二発の銃弾は、あっさりと躱されていた。
「あっはははは。そんな豆鉄砲、お姉ちゃんに通用すると思ってるのぅ?」
のりの左腕が奇妙にしなったかと思った直後、金糸雀は腹部に鈍い衝撃を受けた。
何が起きたのか解らないまま、吹き飛ばされて柱に激突する。
息が詰まり、意識まで飛びそうになったものの、衝突の弾みで落ちてきた松明が、
正気を保たせてくれた。
慌てて燃え差しの松明を払い除けたが、木綿の服は焼き色がついている。
ともあれ、袖の弾帯に引火せずに済んだのは幸運だった。
「くぅ……痛っ。んもう……一体、何に弾き飛ばされたのかしら?」
腹部に残る鈍痛に手を当てながら、のりを睨みつけて、金糸雀は理由を悟った。
驚くべき事に、のりの左腕は大蛇に変貌して、床をうねっていたのだ。
「あの大蛇を、鞭のように用いてたって訳ね。とんでもない奴かしら」
ともあれ、弾丸を再装填するなら今の内だ。
金糸雀は撃ち残していた一発の銃弾も廃莢して、新たな六発を弾倉に装填した。
その間にも、のりは雛苺を狙って、大蛇と化した左腕を素早く伸ばしていた。
のりの左腕に向けて、金糸雀は三連射を浴びせたものの、突進を食い止められない。
雛苺は、迫り来る大蛇の恐怖に堪えながら、精霊での対抗を試みた。
「べ、縁辺――」
「させないわよぅ、憎たらしい小娘が」
精霊を起動しかけた雛苺を、大蛇と化したのりの左腕が襲う。
彼女の小柄で華奢な体躯は、蛇の頭に殴打され、為す術もなく薙ぎ払われていた。
雛苺は悲鳴を上げて倒れたが、彼女の装束を大蛇が銜えて、ぐいと引き起こす。
訳が分からず混乱する雛苺の身体に、人頭蛇身に変じたのりが巻き付き、締めあげた。
「雪華綺晶を誑かしたのは、貴女なんですってね? 許せないわあ」
「な、なにを言ってるかしら! 雪華綺晶は、元々カナたちの仲間なのよ」
「この娘が、精霊を使って誑かしたのよ!
そうでなければ、あの娘が、お姉ちゃんの元を去る筈がないじゃない。
二十年近くも、一緒に暮らしてきたのよ? 敵対するなんて有り得ないわよぅ」
「それは、単に穢れの植物に、寄生されていただけの話で――」
「うるさいっ! この娘は、お姉ちゃんから雪華綺晶を奪った。
それが許せないの。殺したいほど憎いのよ!」
のりの気迫に圧されて、金糸雀は口ごもった。
穢れの者が、そこまで雪華綺晶を想い、慈しんでいた事を思い知らされ、
純粋に驚いていた。
けれど、それは金糸雀が養父から与えられた温かな慈愛ではなく、
殺してでも自分の手元に縛りつけておこうとする妄執のように感じられた。
「雛苺を殺したって、雪華綺晶はもう、貴女の元へは帰らないかしら」
「黙りなさいっ! だとしても、この娘だけは許さない。
このまま絞め殺して、呑み込んでやるわっ!」
「そんな事、カナがさせないかしらっ!」
物凄い力で全身を圧迫されて、雛苺は息を詰まらせ、声も出せずに、顔を真っ赤にしている。
蛇身が擦れ合い、鱗が鳴る音に混じって、雛苺の身体から骨が軋む音も聞こえた。
最早、一刻の猶予もならない。
金糸雀は必中を狙うべく、痛む身体に鞭打って、のりの元へと走り出した。
のりは雛苺に巻きついているため、身動きが取れずにいる。
好機は、今をおいて他にない。弾倉に残っているのは、三発。
至近距離から頭に撃ち込めば、斃せずとも、雛苺を救出する余裕は出来よう。
「雛苺っ! すぐに助けるから、もうちょっとだけ頑張るかしら!」
「今更、何をしようと手遅れよぅ」
ぎちぎちぎちっ!
雛苺を締め上げる力が増して、トグロの内側からメキメキと何かが砕ける音が漏れてきた。
「あ、ああぁぁ――――っ!」
「雛苺っ! よくもぉっ!」
金糸雀は絶叫しながら、短筒の銃口を、のりの頭に向けた。
憤怒の形相を見せる彼女を、のりは「ふふぅん?」と鼻で笑う。
「本当に、撃っても良いの? 後悔しない?」
のりの人を食った態度に、金糸雀は色めき立った。
引き金に掛けた人差し指に、知らず、力が入る。
「後悔なんて、する筈がないかしら!
雛苺を助け出せて、みっちゃんの仇が討てるんだからっ」
「へえぇ……これでも?」
のりは少しだけ頭を上げて、金糸雀の眼前に胸元を晒した。
すべすべした蛇腹に、実寸大の人面が浮かび上がってくる。その顔は――
「み…………みっちゃんっ!」
「そう。貴女の知り合いの女よぅ。
この女の魂はねえ、お姉ちゃんの中で生きているの。
お姉ちゃんを殺したりなんかしたら、どうなるか……解るわね?」
「ひ、卑怯者っ! 人質を楯にするなんて、最低の所行かしらっ!」
「あはははっ。いつ聴いても、負け犬の遠吠えって気持ち良くなるわねえ」
このままでは、雛苺が窒息死してしまう。その次は、自分が餌食になる番だ。
撃つしかないとは思うものの、みっちゃんの顔を見てしまうと、決意が揺らぐ。
まして、のりの中で生きているなどと言われては、撃つのが躊躇われた。
引き金に掛けた人差し指が、じっとりと汗ばんでくる。
「どうしたのぅ? 遠慮は要らないから、早く撃ちなさいな」
金糸雀の懊悩を承知していながら、のりは彼女を嘲り、挑発した。
撃てる筈がないと、高を括っているのだろう。
噛み締めた金糸雀の奥歯が、きりり……と軋んだ。
決断を下さなければならない。それも、今すぐに……。
金糸雀は張り裂けそうな胸の痛みに抗うように、絶叫した。
「うわああぁぁぁぁ――――っ!!」
金糸雀は涙の溢れる瞳でのりを睨めつけながら、激情のままに、引き金を引いた。
三発の炸裂音。それ以降は、カチカチと撃鉄だけが落ちる音が続く。
放たれた銃弾は、狙い違わず、のりの喉元や頭に命中した。
決定的な打撃ではなかったかも知れないが、のりの縛めが緩んだ事で、
雛苺を助けるという目的は、半分だけ達せられた。
途端、とぐろの内側から、精霊を起動する雛苺の、か細い声が漏れてくる。
蛇身の隙間から眩い光が溢れ出し、同時に、ジュウジュウと肉の焼ける音がした。
「ひっ! ひぎゃああぁっ!!」
のりは苦痛に身悶えながらも、雛苺の身体を、再び圧迫し始めた。
相討ち狙いか。金糸雀は即座に廃莢・再装填を行い、のりの頭に照準を合わせた。
すると、のりの胸元に浮かんだ顔が蠢き、苦悶の表情を浮かべるのが目に入った。
その口元が、なにかを語るように波打った。
「カナ……ウッ……テ……ハヤ、ク……」
蛇の表皮を震動させて、音声に変換しているのだろう。
浮かび上がったみっちゃんの顔は、ハッキリと、金糸雀に呼びかけていた。
彼女の魂は、身体が滅んで尚、のりの中に縛りつけられているのだ。
「……みっちゃん。雛苺。今……カナが助け出してあげるかしら」
もう、迷いはない。みんなを助けるために出来ること、すべき事は、ひとつ。
立て続けに引き金を引き、のりの頭に六発全てを撃ち込んだ。
流石に、至近距離からの銃撃は堪えたのだろう。
のりは恐ろしい呻き声を上げながら、雛苺の身体を解放して、人の姿に戻った。
身体中に酷い火傷を負って、フラフラと離れていく。
「逃がさないかしらっ! 氷鹿蹟、お願いっ」
松明によって作り出された金糸雀の影から、水晶の牡鹿が躍り出る。
氷鹿蹟は、蹌踉めくのり目掛けて、角を振り翳しながら突進した。
「ひぃっ!」
最早、躱せる距離ではなかった。のりの表情が、恐怖に凍りつく。
過たず、のりの身体は水晶の角で刺し貫かれ、直後、宙に舞い上げられていた。
不自然なほどの、長い長い滞空時間を終えて、のりは石畳の床に打ちつけられた。
=第三十六章につづく=