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  ~第四十一章~


蒼星石を護りたい。
ただ、その思いのままに、ジュンは剣を突き出していた。
巴を傷つけるつもりなんて、これっぽっちも無かった。

そう。無かったのに――

しかし、想いと結果は、必ずしも一致しないのが、この世の皮肉。
ジュンが握る蒼星石の剣『月華豹神』は、あろうことか巴の甲冑を突き破り、
彼女の柔肌を切り裂いていた。
巴は、信じられないと言わんばかりに瞼を見開き、
片膝立ちの姿勢で硬直しているジュンへと困惑の視線を向けていた。
彼女の柔らかそうな唇が、ゆっくりと形を変える。


どうして?

声にならない問いかけを発した巴の眦から零れる、一粒の涙。
それは傷の痛みよりも、愛する者に裏切られた心の痛みに誘発された、慟哭の涙だった。

 「巴……僕はっ」

ジュンの言葉は、それ以上、続かなかった。
何を言ったところで、所詮は言い訳。巴を刺してしまったこと……
傷つけてしまった事に変わりはない。

蒼星石に歩み寄っていた巴は、剣を握ったまま動揺するジュンに向きを変えて、一歩を踏み出した。
それに伴い、彼女の身体に、剣が深々と食い込んでいく。
だが、巴は脚を止めない。全く痛みを感じないかの様に、二歩目を踏み出した。

それは、壮絶な光景だった。
剣の柄を手放すことすら忘れて身を強張らせたジュンの前で、
巴は自ら進んで、身を刺し貫かれた。
剣身の樋を伝い落ちてきた巴の鮮血が、鍔の縁に溜まり、
一滴、また一滴とジュンの足元に落ちてゆく。
あまりにも衝撃的な出来事に、誰もが言葉を失い、凍り付いていた。

――ひとり、巴を除いて。

彼女の甲冑が、コツン……と鍔に当たる。そこで漸く、巴の足が止まった。
生唾を呑み込み、戦々恐々といった仕種で、徐に顔を上げたジュンは、
妖しい笑みを浮かべながら自分を見下ろしている巴と、目を合わせてしまった。

 「と……と、もえ。僕は、君を――」
 「……愛してる」

言うが早いか、巴は左手でジュンの肩を鷲掴みにして、
右手に握り締めていた短刀を、ジュンの腹部へ深々と突き立てた。
その切っ先が、彼の背中から僅かに飛び出すくらいに深く。
躱す事も、制止する事も許さない、あまりにも素早い動作。
ジュンは一度、ビクッと身体を震わせて、苦悶の呻きを漏らした。

なにが起きたのか分からず、言葉もなく愕然とする蒼星石。
巴は、そんな彼女に顔を半分だけ向けて、冷たく笑った。

 「私の勝ちよ。貴女なんかに、この人は渡さないわ」

短刀を引き抜き、巴は「愛しています」と呟いて、短刀を捨てた。
そして、両腕でジュンの身体を押し倒した。

 「……いつ、どんな時代に生まれ変わっても……
  わたしは、貴方だけを想い、見詰めているから」
 「だ、ダメぇっ! ジュンから離れてっ!」

蒼星石の絶叫など素知らぬフリで、巴は剣に貫かれたまま虫の息のジュンに覆い被さって、
彼と唇を重ねるべく距離を縮めていった。

 「だから、貴方も……わたしだけを見て。わたしだけを愛して。ね?
  未来永劫、わたし達は結ばれる運命なの。わたし達の絆を忘れないで」
 「と、も……え。僕は」

ジュンは腹部の刺し傷に手を当てながら、唇を戦慄かせて、涙した。
こんなにも一途な彼女の気持ちには、答えてあげたいと思ってしまう。
しかし、それは同情であり、本音ではない。巴を愛しているとは言えない。
今、ジュンが心から愛して止まない女性は、一人だけだった。

 「君に……謝……らない、と」
 「良いのよ、謝らなくても。わたしの事を思い出してくれたんだもの。
  それだけで、貴方を許す理由には充分なるわ」

嬉しそうに頬を挟み込んでくる巴の手を、ジュンは頭を振って払い除けた。
巴の微笑みが、一瞬にして凍り付く。
狭まり続けていた二人の距離が、ある一点で、ピタリと止まった。

 「違うんだ。そう言う意味じゃない」
 「……え?」

耳を疑うように訊き返すが、巴は既に、答えの内容を理解していた。
彼の陳謝は、過去に犯した過ちに対してではなく、
これから犯す罪に宛てたものだ――と。

 「聞いてくれ。僕は……蒼星石を」
 「いやっ!」

喚いて、半身を起こした巴は、両手で耳を覆った。
聞きたくない。彼の口から、他の娘の名前が紡ぎ出されるだけでも不快なのに、
その娘を……愛しているだなんて台詞は、絶対に聞かされたくなかった。

 「いやよ! 言わないで! お願いだから、そんな残酷な事は言わないで!」
 「ごめん。でも――僕の想いは変わらないし、止まらないから」
 「どうして? 何故、わたしじゃダメなの?
  貴方の為なら、わたしは何だって出来る。何でもしてあげられるのよ?」
 「君の気持ちは嬉しいよ、とても。
  湯治場で過ごした数日間は、本当に、愉しかった。
  籠の鳥に等しかった僕に……巴は、心の安らぎをくれた」
 「それなら何故、わたしを選んではくれないの?」
 「多分…………出会うのが遅すぎたんだよ、僕たちは」

理由になっていない。巴の頬を通して、歯が軋む音が聞こえた。
先着一名様の特売品じゃあるまいし、出会いが遅すぎたなんて詭弁に過ぎない。


 ――とどのつまり、彼は裏切ったのだよ。一途に慕い続けてきた、お前を。


巴の心が、黒々とした炎に包まれ、火の玉と化した。
脳裏に響く鈴鹿御前の声が、火に油を注いでいく。
過ちは正されなければならない。
そして、咎人には裁きの鉄槌を下さなければ!

 「それでも、貴方は……わたしだけのもの」

囁く巴の両手が、ジュンの頚を捉える。
しなやかな指が、ジュンの肌に食い込んでいく。

 「もう、やめるんだっ!」

蒼星石は叫んで、二人の元へ駆け寄り、巴を突き飛ばした。
剣に刺し貫かれているため、巴は仰向けにも俯せにもなれない。
横臥の姿勢をとると、ジュンを庇って立ちはだかる蒼星石を睨み上げた。
倒れた弾みで、身体を貫いた刃が胃を切り裂いたらしく、巴は一度、吐血した。
もう、長くはない。

敵愾心を剥き出しにする巴の元に、蒼星石は臆することなく近づいた。
蒼星石が瞳に湛える感情は、憎悪でも敵意でもなく、哀憐。
巴の側に屈み込んだ蒼星石は、自分の得物『月華豹神』の柄を握り締めて、
静かな口調で話しかけた。

 「ジュンを愛しているなら、これ以上、彼を傷つけちゃいけない」

言って、巴の身体から剣を引き抜く。
腹圧や筋肉の萎縮などの影響で、簡単には抜けない筈なのだが、
蒼星石は易々と抜き切った。
傷口から、今まで押し止められていた巴の血液が、どろりと溢れ出した。

 「キミとボクは、立場が違うだけで、ジュンへの想いは同じだと思ってる。
  だから、キミの苦しみ……憤りは、解るつもりだよ」
 「蒼星…………石」
 「辛いよね、とても。
  悲しいよね、願った未来が、叶わない夢だと思い知らされた時って。
  ボクも、そんな想いをしてきたんだ」

ジュンと添い遂げたいと願った未来は、身分の違いという封建的思想によって、
儚くも閉ざされてしまった。
別れたくなかったのに。死が二人を分かつまで、側に居たかったのに。
――全ては、叶わぬ悲願。

 「今なら笑っちゃう話なんだけど」

そう前置いて、蒼星石は微かに笑った。

 「彼の元を去る時、このまま野垂れ死んでも良いとすら思っていたんだ。
  姉さんが居てくれたから、そうはならなかったけどね」
 「どうして、彼と二人で逃げようと思わなかったの?」
 「利己的な愛では、色々な人に迷惑を掛ける。多くの人を不幸にするからだよ。
  だから、ボクはジュンと駆け落ちしようだなんて考えなかった。
  無理心中なんて、選択肢にすら含まれていなかったよ」
 「何故? 今生で一緒になれないなら、せめて来世で――」
 「それで、キミは幸せに成れたのかい?
  前世で彼と死に別れて……この世で巡り会って、幸せだった?」

蒼星石の問いに、巴は暫し考え込み――

 「…………なる筈だったのよ。これから」

とだけ答えた。
それに対し、蒼星石は静かに頚を左右に振って、彼女の解答を否定する。

 「なれないよ、きっと。
  だって……キミはまた、悲劇を繰り返そうとしていたんだから」
 「わたしは……また?」
 「ジュンの気持ちを、キミは考えたことがある?
  利己的な愛を押し付けるだけで、彼を自己満足で振り回してない?」
 「だって、そうしなければ、わたしの想いは届かないもの」
 「それはキミの思い込みだよ。
  本当の愛って、相手の幸せを一番に願える事だと、ボクは思うんだ。
  でも、キミは心の何処かで、彼を信じていない。
  いつか離れていってしまうと、常に怯えている」
 「……それが、わたしと貴女の勝敗を分けたというの?」

蒼星石は「どうかな?」と呟き、肩を竦めて、寂しそうに笑った。

 「本当のところ、ボクにも良く解らないんだ。
  だって、ボクたちが幸せになれるかどうかは判らないから」

この戦いが終わっても、蒼星石とジュンが一緒になれるとは限らない。
ばかりか、二人とも死んでしまう可能性だって考えられた。
前途は洋々どころか、目眩がするほど多難である。
けれど、蒼星石が巴に向けたのは、希望に満ち溢れた緋翠の眼差しだった。

 「でもね、これだけは、ハッキリと言えるよ。
  ボクは、ジュンに幸せになって欲しい。
  彼を取り巻く全ての人々にも、笑顔であって欲しいと思ってる。
  そして、願わくば……みんなで、ボクと彼の仲を祝福して欲しいんだ。
  だからこそ、ボクはこうして頑張れる。戦い続けていられるんだよ」
 「……青い理想ね。わたしは、貴方たちを祝福なんて、しないわ」
 「解ってるよ、キミの気持ちは。だけどね、ジュンに危害は加えさせない。
  どうしても気が済まないのであれば、代わりに、ボクを殺して」

決然と言い放って、蒼星石は自分の得物を、巴の手に握らせた。
信じられないという風に、巴が双眸を見開く。
しかし、その動揺も一瞬で収束していく。
巴は弱々しく含み笑って、蒼星石に握らされた剣の柄を手放した。

 「貴女も、結構な強か者ね。大人しく斬られるつもりなんか無いクセに」
 「やっぱり解る?」
 「貴女の瞳は、生き生きとしている。未来を悲観していない者の眼よ。
  わたしの様に、誰かの力を頼ってしか将来を切り開けない者とは違うの」
 「ボクだって、そんな大した人間じゃないよ。ただ、他力本願がイヤなだけ」
 「……理由は、どうあれ……わたしの負け……みたいね」

もう、命が限界を迎えようとしていることを、巴は承知していた。
このまま眠るように、穏やかな死を迎えるのも悪くない。
今までの、櫛風沐雨の人生には、少しばかり疲れていた。

安らかに吐息して、巴は徐に、瞼を閉じようとした。
だが、不意に大奥の間から流れ出してきた血腥い風を嗅いで、再び目を開く。
大奥の間と謁見の間を仕切る御簾が、ばさばさと棚引いていた。

 「な、何か様子が変ですっ!
  ベジータ! ジュンを連れて、きらきーの所まで連れて行くです。
  金糸雀は、二人の治療を!」
 「おう! 力仕事なら任せろ」
 「了解かしらっ! ベジータ、急いでっ」

金糸雀は一足先に雪華綺晶の元へと駆け寄り、
ベジータと翠星石が、ジュンの身体を両側から支える。まだ、逃れる余裕は有るだろうか?
振り返って確認した翠星石は、とんでもない光景を目の当たりにして息を呑んだ。
大奥の間の前で、皇剣『霊蝕』が音もなく宙に浮かび上がっていたのだ。
その切っ先は、明らかに自分たちを狙っている。
いつ飛び掛かろうかと、隙を窺っている様でさえあった。

 (このままでは、みんな串刺しにされちまうですっ)

翠星石は支えていたジュンの右腕を放して、皇剣『霊蝕』の真正面に、自らの身体を晒した。
たとえ刺し貫かれようとも、ジュンは絶対に護るつもりだった。
蒼星石のため……という事もあったが、実際には、自分のため。
ジュンへの秘めたる想いに、殉ずる覚悟だった。


獲物を見つけた猛禽の様に、皇剣『霊蝕』が空を斬り裂きながら、
凄まじい速さで飛んでくる。
その光景を目にした者たちは、誰もが、直後に訪れる翠星石の死を連想していた。
当の、翠星石ですらも――

しかし、剣が到達する寸前、翠星石の前に割り込む人影が、ひとつ。


 (蒼星石?!)

咄嗟に、翠星石は、そう思ってしまった。殆ど、条件反射的に。
何故なら、妹の蒼星石はいつだって、彼女の危機に駆けつけてくれたから。

翠星石の眼前で、その人影は飛来した剣によって貫かれていた。
肉を斬り裂く鈍い音が、鼓膜を震わせ、嫌悪感を刺激する。
しかし、翠星石は目を逸らしたりせずに、自分を庇った人物を凝視した。
その段になって、彼女は自分の考えが間違っていたことに気づいた。

 「と……巴っ?! どうして、お前が私たちを庇うですか――」

巴は緩慢な仕種で頚を巡らし、肩越しに振り返った。
その表情に、後悔や未練がましさは皆無。実に屈託のない顔をしていた。

 「貴女を助けた訳じゃないわ。わたしは、彼を護っただけ。
  だって……そうしたかったんだもの」

それが、巴が発した最後の言葉だった。
膝から頽れた彼女は、床に倒れて、二度と動かなかった。

巴の、ジュンに対する想いの深さを見せ付けられて、
側にいた翠星石と蒼星石は胸が締め付けられた。
これほどまでに純粋な愛だからこそ、巴は彼を独占しようとしたのだろう。
世間のいかなる『しがらみ』からも、彼を護れるように。

自分たちに、巴ほどの覚悟はあるだろうか?
ふと、そんな事を考えさせられた。

だが、彼女たちの感傷は、吹き飛ばされた御簾によって中断された。
異変は、まだ続いている。
ジュンと雪華綺晶の治療に回った金糸雀とベジータを残して、
真紅は玉座に続く階段を駆け上り、大奥の間の正面に立った。
血腥い風が、彼女の金髪を後方へと大きく靡かせている。

 「あれは――」
 「どう見ても、石棺だよね」
 「あんな物が、なんだって此処に有るですか」

真紅の隣に近づいた二人が、大奥の間に安置された石棺を見て、口々に驚きを露わにした。
けれど、彼女たちにも、本当は予想が付いている。
あれは、鈴鹿御前の亡骸が納められた棺だろう――と。

真紅たちの目の前で、石棺の蓋が微細震動しながら浮かび上がり、
滑るように移動していく。そして、石棺の脇に、轟音と共に落下した。
棺の中から、ごぼごぼと沸騰する様な音がしたかと思った次の瞬間、
赤黒い液体が棺の縁を越えて、溢れ出してきた。
後から後から溢れ続けて、大奥の間を越え、遂には真紅たちの足元にまで及んだ。

 「うっ! なにこれ、酷い臭いなのだわ!」
 「鮮血か……悪趣味な演出だね。穢れの者らしいよ」
 「は、鼻がひん曲がるですよ、これはっ!」

異口同音に酷い状況を罵る三人。
彼女たちが見詰める中、棺の縁に、白くて細い何かが絡みついた。
それは……人間の……女の指。
石棺の縁に指を掛けて、鈴鹿御前が起き上がろうとしている。
真紅たちは戦慄に身を強張らせて、成り行きを見守ることしか出来なかった。


 ばしゃり……。

鮮血をなみなみと湛えた石棺は、さながら浴槽だった。
ねっとりと絡み付く鮮血を割って、ゆっくりと起き上がってくる人影。
――鈴鹿御前は傾国の美女と書物に記されている。
金糸雀は、そう言っていた。
事実、血に塗れているとは言え、鈴鹿御前の髪は美しい金髪だった。

やがて、鈴鹿御前は立ち上がり、一糸纏わぬ姿を、惜しげもなく彼女たちの前に晒した。
彼女の顔を見るや、真紅の表情が凍りつく。
それは、翠星石と蒼星石も同様。


 「ふふふ……あははははっ! 元に戻ったっ!
  お前たちの悲嘆、慟哭、愛憎……あらゆる負の感情を吸収して、
  十八年前に壊れてしまった、わたしの身体が元どおりに戻ったぞっ!」

両腕を広げて哄笑する鈴鹿御前。


その容姿は、あろう事か、真紅と瓜二つだった。


  =第四十二章につづく