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  ~第四十三章~


黒い波動を全身から漲らせる鈴鹿御前に、真紅の足が、無意識の内に下がる。
心の中で、水銀燈の御魂が、彼女の弱気を責め詰っているのが分かる。
だが、水銀燈なりの叱咤激励と承知していても、真紅の心は、いつもの様に奮い立たない。
薔薇水晶の御魂は、厳しい口調の水銀燈を宥めつつ、真紅を粘り強く諭そうとする。
そして、雛苺は、真紅の戦意を鼓舞しようと懸命に声援を送ってくれていた。

だが、誰に何と言われようと、怖れを知ってしまった身体は震えおののき、後ずさる。
どれほど真紅が気勢を上げ、勇気を振り絞ろうとしても、
高めた側から、気力は鈴鹿御前に吸い取られている様な錯覚を感じていた。

 「怖れているね、真紅?
  お前の心臓が、今にも弾けてしまいそうなほど脈打っているのが分かるわ」

真紅の気後れを見透かして、鈴鹿御前は威圧的に甲冑を鳴らし、近づいてくる。
鈴鹿御前が一歩を踏み出せば、真紅も一歩だけ退く。
完全に、意気阻喪。蛇に呑まれる寸前の蛙の如く、気合い負けしていた。

彼女の様子を苦々しく思っていたのは、真紅の内に宿る三人だけではない。
翠星石と蒼星石、雪華綺晶に、金糸雀――真紅と運命を共にする娘たちは皆、
なんとかして、この状況を打破したいと考えていた。


 「脚が竦んで動けぬのであれば、わたしの方から参るとしよう」

薄笑いと共に、鈴鹿御前の斬撃が繰り出される。
蒼星石すら凌駕する剣速を、真紅が捌ききれる筈もない。
鈴鹿御前の斬撃は、神剣の防御をかいくぐり、彼女の身体を何度も打ち据えた。
法理衣と圧鎧に護られていなければ、最初の一撃で両断され、絶命している。

一方的に玩ばれるのは面白くなかったが、反撃の隙が見出せない。
水銀燈の御魂も、あまり自分が出しゃばると却って真紅が混乱すると思っているのか、
さっきから黙したままだ。
薔薇水晶は圧鎧の操作に忙殺され、雛苺は、精霊を起動したまま待機中だ。
とても、真紅を応援する余裕など無かった。

 「拙いですわね。あんなに一方的では、万に一つも勝機が有りませんわ」

金糸雀の手当を受けながら、戦況の推移を眺めていた雪華綺晶は、気難しげに呻いた。
早く、真紅の手助けに行かなければ――と、気が急いて仕方がない。

けれど、自身の応急処置よりも、ジュンの治療を優先させた為に、
失血量は危険域に達していた。
視界の周りが暗い。血圧低下による視野狭窄だろうか。
只でさえ隻眼で視界が悪いというのに、更に狭まっては致命的だ。

 (それでも……行かないと。あの娘は、真紅と共に生きているのですから)

亡き母との約束を果たすためにも、今度こそ、真紅を守り通す覚悟だった。
そうする事で薔薇水晶の命を――あの娘の存在を現世に繋ぎ止められるならば、
この身を失うことなど、些かも怖くはない。
雪華綺晶が最も怖れていたのは、真紅と共に、薔薇水晶が消えてしまうこと。
今までしてきた事の全てが、徒労だったと思い知らされることだった。

たとえ鈴鹿御前に取り込まれて、妖力により薔薇水晶が復活を遂げたとしても、
それは最早、似て非なる物……妹の姿をした操り人形でしかない。
そんな禍々しく、おぞましい物体なんて、絶対に見たくなかった。

 「金糸雀……あと、どのくらいで……終わりますか?」
 「もう少しだけ待つかしら。せめて、止血だけでも済ませないと」
 「おいおい。あんた、その重傷だってのに、まだ戦う気なのかよ」
 「勿論ですわ」

呆れ口調のベジータに、雪華綺晶は涼しげな笑みを向けた。

 「そう言う貴方だって、金糸雀を護るためならば命を擲つ覚悟でしょう?」
 「?! きらきー! こんな時に、質の悪い冗談は遠慮するかしらっ」
 「いや……まあ、なんだな。あながち、冗談でもねぇんだけどよ」
 「やだ、もうっ! ベジータまで何を言い出すの!」

金糸雀は「どういう状況か、解ってるのかしら」と腹立たしげに吐き捨てたが、
どこか嬉しそうでもあり……複雑な表情をしていた。
けれど、軽口を叩きながらも、金糸雀の手は止まらない。
彼女の手は神業の如き正確さで、瞬く間に、雪華綺晶の怪我を治療していった。

 「応急処置は終わりよ。止血の為に、包帯をきつめに巻いてあるから、
  少し動き辛いかしら?」
 「……大丈夫。この程度なら、問題ありませんわ」

元より、長期戦など考えていない。
あと少し血が流れ出して、意識を失ったら、雪華綺晶としての人生は終わる。
後は、真紅の内で【礼】の御魂となって、薔薇水晶や皆と共に暮らしていくだけ。
それもまた、悪くない。

雪華綺晶は金糸雀に支えられて半身を起こすと、神槍『澪浄』を杖にして、立ち上がった。
かなり衰弱しているとは言え、雪華綺晶の金眸は、まだ濁っていない。
勝利への希望を、失ってはいなかった。

 「行きますわよ、獄狗」

雪華綺晶の長い髪が揺らめき、背後から純白の狗が姿を現した。
現状では、獄狗を麒麟変化させるだけの体力が無い。起動するだけで精一杯だ。
顔色の優れない主人を労ってか、獄狗は、彼女が背に乗りやすい様に蹲った。
雪華綺晶が命じた訳ではないのに。

 「ふふっ……ありがとう、獄狗。助かりますわ」

軋む身体を引きずって背に跨ると、雪華綺晶は愛おしげに、獄狗の頭を撫でた。
獄狗が嬉しそうに喉を鳴らす。雪華綺晶のことを、心から慕っているのだろう。
それは、誰の精霊にも共通している事だった。

 「さあ……もう暫く、力を貸してね」

言って、雪華綺晶が獄狗を突進させようとした矢先、

 「待つかしら! カナも一緒に行くわ」

金糸雀は雪華綺晶を呼び止めて、氷鹿蹟を起動した。
彼女の足下に色濃く落ちる影から、水晶の牡鹿が姿を現す。
その様子を横目に見つつ、金糸雀は袖の中から短筒を抜き出すと、
手早く銃弾を込めて、がしゃりと弾倉を押し込んだ。

 「やっぱり、お前も行くのかよ……金糸雀」
 「ええ。その為に、カナたちは集い、ここまで来たんだもの。
  今更、迷いなんて無いかしら」
 「……だろうな。答えは、訊く前から解ってたさ。けどよ――」

ベジータは言葉を区切ると、頚に下げていた純銀の十字架を外して、金糸雀の頚に掛けた。

 「安易に死を選ぶんじゃねぇぞ。それを預けておくから、必ず返しに来い。
  必ずだ……解ったな?」
 「……ええ。約束するかしら。この十字架は、カナがきっと手渡すから。
  ベジータ…………それまで、ジュンを護ってあげて」
 「任せておけよ。こう見えても、律儀な男なんだぜ、俺は」
 「嘘つき。カナの家、護れなかったでしょ?」

故郷、明伝藩は穢れの者どもの襲撃に遭い、滅亡寸前だと聞いていた。
きっと、自分の家も集落も焼き払われて、みんな殺されてしまったに違いない。
金糸雀は、そう思い込んでいた。

しかし、ベジータは肩を竦めて小さく吐息した後、ニヤリと笑った。

 「勝手に悲観してるんじゃねぇよ。集落は無事だぜ。村のみんなもな。
  攻めてきた奴等は、俺が『父と子と聖霊』の名において、昇天させてやったさ」
 「ええっ?! かなりの大軍が、明伝藩に向かった筈かしら」
 「そうなのか? 大した数じゃなかったぜ。
  こう言っちゃなんだが、あの集落には、戦略的価値なんて無ぇよ。
  片田舎に割り振るよりも、城下の制圧に兵力を集中したんだろうさ」
 「……確かに、その可能性は高いかしら」
 「それでも、暫くは、波状攻撃を仕掛けて来たんだぜ。
  けど、急に退却し始めたんだ。それこそ、潮が引くみたいにな。
  で、俺は撤退する連中を追って、此処まで辿り着いたって訳さ」

性急な退却は、真紅たちがこの城に攻め入ったことを察知したからだろう。
故郷の村が無事と知って、金糸雀の表情に、希望の笑みが戻った。

 「ごめんなさい。信用してなかったのは、カナの方かしら。
  でも、今なら信じられる。ベジータ……改めて、彼のこと任せたかしら」
 「今頃になって、やっとかよ。まあ、いいさ。この野郎は俺が護ってやる。
  だから、お前も約束を違えるんじゃねぇぞ」
 「ええ。きっと――」 

そう告げると、金糸雀は氷鹿蹟に飛び乗り、雪華綺晶の獄狗と轡を並べた。

 「真紅の防御力は強化されているけれど、接近戦の攻撃力は乏しいわ。
  鈴鹿御前に対して効果が期待できるのは、房姫から授かった神器しかない。
  カナときらきーが鈴鹿御前を牽制して、真紅に攻撃の機会を作ってあげるのよ」
 「了解しましたわ。獄狗と氷鹿蹟の機動力で、牽制しましょう」

二人は、ひとつ頷き合って、精霊を走らせた。




激しい剣撃に晒されて、真紅は身動きも儘ならない状況に追い込まれていた。
防御装甲精霊に護られていても、殴打の衝撃は緩衝しきれない。
身体中の打ち身が痛い。全身の筋肉も、限界に近づき、悲鳴を上げ始めていた。

 「どうだ。辛いか? 苦しいか? 恐ろしいか? 
  もっと怖れるがいい。もっと苦しむがいい。そして、わたしを憎むがいい。
  心を黒い感情で穢れさせて、醜い邪鬼に身を窶してしまえ!」
 「そんな事……絶対に…………イヤよ!」

一瞬の隙を衝いて、真紅は、神剣を真横に一閃させた。
しかし、刃は虚しく宙を斬っただけ。
鈴鹿御前は、真紅の頭上に舞い上がって、大上段に剣を構えていた。

 「ならば……そろそろ死ぬがよい」

真紅の身体を正中線で真っ二つにすべく、鈴鹿御前の剣が振り下ろされる。
当の真紅は、恐怖に眼を見開くばかりで、回避すら忘れて硬直していた。

だが、刃が真紅に届くより僅かに早く、火薬の炸裂音が立て続けに鳴り響いた。
背中に銃弾の直撃を受けて、空中で体勢を崩す鈴鹿御前。
その着地点を狙って、雪華綺晶が神槍『澪浄』を突き出した。

常人が相手ならば、それで決着が付いたかも知れない。
だが、鈴鹿御前は羽ばたきして着地点をずらし、事なきを得た。
銃で撃たれたところで、傷ひとつ負っていない様子だ。
体勢を崩したのは、驚愕に依るところが大きかったのだろう。

 「これはこれは。まだ生きていたのだな、雪華綺晶」
 「お陰様でね。恩を仇で返すのは、気が引けますけど……これも運命。
  人の道に悖る行為に手を染めても、私は貴女を討ちますわ」
 「お前に出来るのか? 死に損ないの分際で、よく吼える」

雪華綺晶と鈴鹿御前が火花を散らして睨み合っている間隙を縫って、
金糸雀は氷鹿蹟を走らせ、真紅の前に陣取った。
いざとなれば、その身を盾としてでも、真紅を護るために。

 「真紅、しっかりするかしら! あなたは、最後の希望なのよ!
  あなたが迷っていたら、みんなも戸惑って、真価を発揮できないかしら」
 「でも……私は――」
 「落ち着いて、カナの話を聞くかしら。
  いい? 鬼は、人の心が生み出した、誰もが持っている醜い本性よ。
  それを滅することができるのは、やはり、人の心だけなの」
 「人の心が……醜い本性を……滅する」
 「善なる心と、言い換えても良いかしら。
  真紅……貴女は、鈴鹿御前の良心が転生した存在。
  彼女の悪意を諭し、無へと昇華させられるのは、貴女しか居ないかしら」

そんな事を言われても、御魂を揃えた鈴鹿御前は、圧倒的な強さを誇っている。
今のままでは、とても歯が立たない。

 「ダメよ……私では…………勝てない」

弱気な心情を吐露する真紅に、金糸雀は怒るでも、罵声を浴びせるでもなく、

 「怖いと思うのは、仕方ないかしら」

人生経験が豊富な姉を思わせる、大人びた笑みを向けた。
実際、医者という職業柄、同い年の娘たち以上に人生経験を積んできたのだろう。
金糸雀の眼光には、失敗と挫折に打ちひしがれ、
それでも立ち上がってきた者の力強さが感じられた。

 「でもね、怖れることは、何も無いかしら。
  だって、真紅は独りじゃない。カナたちが付いているんだもの。
  みんなで庇い合い、護られ合って、此処まで来られたんだもの。
  不可能だって思える事でも、力を合わせれば、きっと可能に出来るわ」
 「金糸雀の言う通りですわ、真紅。今こそ、一致団結すべき時です」
 「だから、真紅……ボクらを信じて、もう一度、勇気を奮い起こすんだ」
 「私たちの底力を、こいつに見せつけてやるですっ」

いつしか、犬士たちは得物を手に立ち上がり、鈴鹿御前を取り囲んでいた。
誰もが満身創痍だけれど、誰の目も、まだ死んではいない。
最後まで勝負を諦めない気概が、真紅の心に、ひしひしと伝わってきた。
みんなの想いが、真紅の中で、勇気へと変わってゆく。

 「ごめんなさい。弱音を吐くなんて、私らしくなかったのだわ」
 「それでこそ、真紅かしら」

気力を取り戻した真紅に、金糸雀は悪戯っぽく、片目を瞑って見せた。
けれど、すぐ真顔に戻ると、皆に聞かれないほどの小声で、そっと囁いた。

 「カナたちの事は心配しないで。鈴鹿御前は、カナたちを安易に殺さない筈よ」
 「どうして、そう言えるの?」
 「考えてもみて。あれだけ圧倒的な力を誇りながら、
  何故、鈴鹿御前は翠ちゃんと蒼ちゃんを殺さなかったのかしら?
  簡単に出来た筈なのに。
  単なる気紛れ? ううん、違う。
  鈴鹿御前は、真紅の内に八つの御魂が集約される事を怖れているかしら」
 「だから、御魂の受け皿である私を、真っ先に殺そうとしたのね」
 「ええ。だから、今後も真紅を狙ってくる公算が高いかしら。
  カナたちも、出来る限り護るけれど、あなた自身も気をつけていて。
  それと――」

意味深長に言葉を区切った金糸雀に、真紅は頚を傾げて見せた。
一体、なにを付け加えようと言うのだろう?
真紅は黙ったまま、金糸雀の台詞を待っていた。


 「――もしも、カナたちが身動きを取れなくなってしまったら……
  その時は、遠慮も躊躇いもなく、御魂を吸い取って欲しいかしら」
 「なっ!? そんな事、出来――」
 「するのよ。しなければ、ダメ。勝って、人々の未来を切り開くために。
  真紅の内に眠る房姫なら、そんな方法も知っている筈かしら」

勝つために、みんなの御魂を集める――
つまりは、自分の手で、掛け替えのない仲間たちを殺す……ということ。
そんなこと出来ない。したくない。

けれど、金糸雀は……いつになく冷酷に、宣告した。

 「あなたが殺らないなら、カナが他の子たちを撃ち殺すわ。
  これも【智】の御魂を宿した、カナの役目だから」
 「?! ま、待ちなさい、金糸雀っ!」

しかし、真紅の制止を振り切って、金糸雀は、氷鹿蹟を鈴鹿御前に突進させた。
それを合図に、他の娘たちも、時を同じくして斬りかかる。
鈴鹿御前にとっては、四面楚歌の状況だ。

にも拘わらず、鈴鹿御前は悠然と構え、
必死に抗う犬士たちを嘲りの眼差しで眺め回していた。

 「なんとも健気なことだな、まったく。なぜ、そこまで抗う?」
 「どんな時も、生きる希望は絶望に勝ると、ボクたちは信じているからだよ」
 「人は、いかなる闇の中でも、光を見出す力を持っているのですわ」
 「誰の心にも必ず、希望という光は存在するです。
  それこそが、混迷の闇を裂いて、未来に立ち向かう原動力となるですっ」
 「きっと、あなたには永遠に解らないかしら」

鈴鹿御前は赤い翼を広げ、全身から黒い穢れを放ち始めた。

 「わたしから見れば、夢や希望を意気揚々と語るなんて愚行に過ぎぬ。
  そんな曖昧な言葉に酔いしれている内に、小賢しい者たちに出し抜かれ、
  裏切られるのが世の常。
  ふふふ……いずれ、お前たちも知る時が来よう」
 「哀れな人なのだわ、貴女は」
 「……なにぃ?」

鈴鹿御前の眉間に、深い縦皺が刻み込まれた。端正な顔が、嫌悪感に歪む。
よもや、見下していた真紅に同情されるとは予想だにしていなかったのだろう。
不愉快ここに極まったとばかりの表情で、真紅を睨みつけた。

 「希望を切り捨ててしまったから、絶望しか見えないのね」
 「お前ごときに哀れみを受けるいわれなど無い! 身の程を弁えよ!」

放射される穢れは、なお黒く、激しく――
鈴鹿御前が獅子吼すると、穢れが変じた黒い霞は亡者の腕となり足となり、
斬り込んできた犬士たちの身体に、容赦なく絡みついていった。

 「ひえぇっ! な、なんですか。この気持ち悪ぃのはっ」
 「実体化した穢れよ。通常の武器では、太刀打ち出来ないかしら!」
 「くっ! 煉飛火では相性が悪い。雪華綺晶の神槍か、真紅の神剣でなければ」
 「解っていますわ! でも、数が――」

激しく神槍を振り回し、押し寄せる穢れを斬り祓っていた雪華綺晶は、
突如として眩暈に襲われ、意識を失い掛けた。
視界は真っ暗で、周りが良く見えない。
よりによって、こんな時に限界が訪れるなんて!

意識が遠退き、獄狗を起動していられなくなった。
床に倒れ伏した雪華綺晶の身体を、闇の触手が包み、呑み込んでいく。

 「雪華綺晶っ!?」

悲鳴に似た叫びを上げて、真紅は雪華綺晶を救出すべく走り出した。
だが、彼女の眼前に、希望を断ち切る絶望の使者が舞い降りる。

 「くぅっ! どきなさい、鈴鹿御前っ!」
 「ここから先は通さぬ。そこで、仲間たちが黒く穢れていく様を、
  指を銜えて眺めているが良い」

雪華綺晶が。蒼星石と翠星石が。金糸雀が。
御魂の絆で結ばれた姉妹たちが、真紅の目の前で穢れの腕に絡め取られ、蝕まれ始めていた。
正視に耐えない光景に、真紅は思わず目を伏せた。

 「目を逸らすな! そして、その目に焼きつけよ!
  これが現実だ。希望など、所詮は甘い夢。縋ったところで救いなど無い!
  自分たちの甘えを呪いながら、絶望に打ち拉がれるがいい!」

哄笑する鈴鹿御前の背後で、黒い触手に両腕を押さえ込まれた金糸雀が叫んだ。

 「真紅っ! 今こそ、カナたちの御魂を集束するかしらっ!」
 「で、でも……」
 「やるんだ、真紅っ! 
  このままだと、ボクたちは……鈴鹿御前の一部にされてしまう」
 「私たちを本気で助けたかったら、言うとおりにしやがれですっ!」

柴崎老人の家で、金糸雀に話を聞いてから、ずっと考えていた。
仲間たちの御魂を集めずに済ます為には、どうしたらいいのか。
どうしたら、この運命から逃れられるのか……と。

けれど、結局、逃げ道など無かった。
いま直面している現実こそが、全て。
目の前で、御魂を共有した四人の姉妹が、穢されようとしている。

ならば、助けなければ! 如何なる手段を用いようとも。
そう…………これは、彼女たちを救うため。
仕方のないことなのだ。

 「ふふっ……悲壮な覚悟だこと。だが、残念だったな。
  この娘に、そんな真似が出来る筈があるまい?
  お前たちは、最も信頼していた娘に裏切られて、犬死にするのだよ」
 「いいえ! 出来るわ!」

鈴鹿御前の嘲りを破って、真紅が決然と叫んだ。
自然と、どうすれば良いのか、頭に浮かんでくる。房姫だった頃の記憶だろう。
その通りに印を結び、真紅は呪を込めた。

途端、真紅の目の前で、四人の娘たちが苦しみ出した。
彼女たちの胸や、背中から、薄紅の光が飛び出した。それが、彼女たちの御魂。


そして――――みんな、人形と化してしまった。
等身大の、もの言わぬ精巧な人形たちが、穢れの中に沈んで行く。
ゆっくりと……現世に未練を残すかのように。


 「ああ……ごめ……んなさい…………ごめんな……さいっ」

真紅は懺悔の涙を流しながら、自らの中に、彼女たちの御魂を受け入れた。
助けるために、命を奪う。そんな矛盾が、有って良いのだろうか?
彼女たちが望んだ事とは言え、本当に、これで良かったのだろうか?
左手の痣が熱を帯び、疼くのを感じながら、真紅は声を殺して泣き続けた。

その一部始終を眺めていた鈴鹿御前が、不意に、高笑いを始めた。
心から愉快そうに、大声で哄笑し続けた。

 「くはははははっ!! 遂に、やりおったな。
  仲間の命を奪い取るとは……救いようのない鬼畜生だわ!」
 「?! ち、違うわ! 私は、穢れから彼女たちを救うために――」
 「なにが違うと? どんな言い訳をしても、結果は変わらぬ。
  所詮、お前も鬼なのだよ! この、わたしと同類なのだ!」

この時になって漸く、真紅は、金糸雀の見立てが間違いだったと悟った。
鈴鹿御前は、八つの御魂が揃うことに、何の怖れも抱いていない。

全ては、自分を鬼畜生に貶めるための策略だったのだ。
まんまと、鈴鹿御前の思惑どおりに踊らされてしまったのだ。
なんて愚かで、軽率な事をしてしまったんだろう。

悲しさと悔しさの入り交じった涙を溢れさせながら、愕然と立ち尽くす真紅に、
鈴鹿御前の嘲笑が、いつまでも浴びせられていた。


  =第四十四章につづく