元気な憑依霊

 - 第一章 - 

 俺は昔から「見える」。
 もちろん、幽霊のことだ。
 幼い頃はそれがどういったものなのかわからないのでせいぜい不思議な子だ、あるいは
想像力が豊かな子だ、ぐらいに周囲の大人には思われていたものの割と早い時期にそれは
あまり人に話すべきではないと悟った。
 でも人に言わないからと言って見えなくなるわけでもなく、いろいろな種類の
霊たちと過ごす日常だった。

 特に他の家族も霊感が強いと言うわけでもなさそうだし、何故俺だけというのはあまり
深く考えてない。親も俺に隠しているわけでもなさそうだし、これは突然変異的な
ものだろう。でなければ天才の子は必ず天才、運動選手の子は必ず運動選手などという
法則が成り立たなければならなくなる。
 現実はちがうし、よって俺もあまり深く考えていない。

 そんな俺もついに一人暮らしをするためにこのボロアパートに引越してきた。
 とにかく家賃が安いのが唯一の魅力とも言える、古めかしい木造のアパートだ。
 ちょっと地震が来たらそのままバラバラと空中分解しそうな雰囲気だ。例え何かに
苛ついても柱を叩くような真似はよそう。
 荷物は既に届けられて、部屋に段ボール箱がいくつか積んである。大家に鍵をもらい
一人になったので改めていろいろと見て回る。
 水道も通ってるし、電気も来ている。
 別に嫌な感じはしないが、何か棲んでる雰囲気はする。
 とは言っても、たいてい一つや二つは建造物には憑いてるものだし、ましてやこれだけ
歴史のありそうなスポットならなおさらだ。明確な悪意とかがなければ放置しても多分
大丈夫だろう。
 試しにいきなり押入れを開ける。
 薄暗い奥の方をちょっとどきどきしながら覗き込む。
 いくら幽霊が日常的な存在でも、何かが潜んでるかもしれない所を覗くのは怖い。
 思いもよらないところで隠れてる奴を見つけた時に鬼の方がびっくりするあれだ。
 ゆっくりと隅々を見回すが、何も無い。
 おかしいな、気のせいかな?
 台所の戸棚にも何もなかったし、屋根裏にでも隠れてるのかもな。
 そう思いながら頭を押入れの中から引き抜く。
「こちらブーン・ワン、索敵レーダーに反応無し、オールクリア、どうぞ。
 了解ブーンワン、ウェイポイントデルタにて帰投せよ。
 ブーンワンりょうかぃぅぉあああああああああ!!」
 一人でぶつぶつと通信ごっこをしながら振り向くと、急に誰かと目が合い俺は驚いて
思わず叫び声をあげる。
 なによりも恥ずかしい所を見られた!という事実が一番恐ろしかった。
 引越し初日早々に赤っ恥をかくか、俺?!
「す、すみません、そこに居ることに気づかなくて、って‥‥あれ?」
 さっきまで俺を肩越しに覗き込んでいた少女は、ぺたんと床に座りこんで
目を見開いてこっちを見ている。
 いや、正確には少女の霊、か。
 黒く長い髪が腰の長さまで伸びていて、白っぽい着物を着ている。ぱっちりと開いた
くりんとした目が可愛い。年は15、6ぐらいだろうか?小柄なのでそう見えるだけで実は
もっと年上かもしれない。
 胸は‥‥あまりない。
「うわー、びっくりしたぁ」
 俺が思わず洩らすと、彼女の目はまた一段と大きく見開かれる。
「あ‥‥あんた、私の事が見えるの?」
「ま、まぁな」
「それに言ってる事も聞こえる!」
「お、おう」
 ここまではっきりと見えて会話の成立する幽霊も珍しい。
 大抵は現世に留まるような類の幽霊は何か思い残す事があって、それに関係ある行動を
壊れたレコードのように無限に繰り返すのが八割方である。
 でもこの霊は――
「‥‥あんた何者?」
 まさか幽霊にそんなことを言われるとは。
「何者って、今日からここの住人だ。お前こそ何者だよ」
「わ、私は‥‥私もここの住人‥‥」
「あ、そう‥‥」
 なんとかならんのか、この間抜けは会話は。
「‥‥」
「‥‥」
 気まずい沈黙が訪れる。
「えーと、お前はなんでそんなにはっきりしてるんだ?」
 沈黙を打開しようと試みる。
「はっきりって?」
「いや、なんていうか‥‥なんでお前はそういう感じなんだ?」
「‥‥生まれつき」
 俺の会話スキルの低さを呪う。
「あんたこそ、なんで私がそんなにはっきり見えるの?」
「‥‥生まれつき」
 あいにく、ここには「お似合いのカップルですね」とか茶化す人はいない。
 だんだん、お互いに代わる代わる一問一答という雰囲気になってるので
 今度は俺の聞く番だ。
「それじゃ、なんでここに居るんだ?」
 すると、まだ床に座り込んだ霊の顔がふと曇る。
「ずっと、ここから出られないから‥‥」
「‥‥」
 地縛霊なんだろうか。それにしては無害っぽいし――
「とりあえず、詳しく聞かせてくれないか?」
 俺も座り込む。

 彼女の話によるとこうだ。
 30年前にはここに住んでいたそうだが、ある晩ガス漏れで死んでしまった。
 それだけなら無い話では無いのだが、もともと霊感体質だった上に
その時は幽体離脱までしていたとか。
「なんか寝返りうった拍子に幽体離脱しちゃってさぁ」
 なははは、と笑う。
 どこかで聞いたような話だ。
 そして自分が死にかけている時には「死にたくない!」という一心だったので具体的な
事は無いまま思い残すことがあって幽霊になってしまったとのこと。
「自分が死んだってことにしばらくは納得行かなかったんだけどね‥‥お葬式で白装束
着せられた自分を見ちゃったときに『ああ、死んだんだ』とやっと思えて。それで成仏
できるかと思ったけど、なぜかしないままだらだらと30年だよ‥‥」
 ちなみに、自分が死んだ直後に、不幸があったってことで安くなってる部屋に霊感が
全く無いくせにオカルトマニアの住人が越してきて、部屋に御札等を駆使してで結界を
張りまくったせいでほぼ30年全てをその部屋に閉じ込められて暮らしていたそうだ。
 それ以来霊感体質の住人とはめぐり合うこともなく、ただ入居してくる人の生活を
眺めて過ごしていたそうだ。
「‥‥」
 そんな長い間にわたる牢獄の中での「シカト」の壮絶さを想像することもできなく、
俺はただ黙っているしかできなかった。
 そんな罪も無いのになんでそんな目に遭わなければいけないのだろう。
 むご過ぎる。
「まぁ、こうやって話ができたから、全て良しだよ。ね?
 あんまり暗い顔しないで?
 私は別にそんなに気にして無いよ?」
 幽霊に慰められてしまった。
「あぁ、うん」
 間の抜けた返事しかできない。
「‥‥で、どうするの?やっぱり曰くつきの物件じゃだめ?出て行っちゃう?」
 何気ない風を装っているが、一番気になっているであろう事を彼女が切り出す。
「別にそんなことはしねーよ」
「本当?」
 私の事は気にしなくていいんだよ?そう目が語ってる。
「こんな安い家賃なんて他に無いし、お前も別に悪さするわけでもないし」
 こんないい子をまた一人にして出て行くなんてできるわけがない。
「ありがとう‥‥あ、あれ?変だね、嬉しいのに、ね‥‥」
 30年分の緊張の糸がほどけて彼女の目から涙があふれてくる。
 そんなに、話せる相手ができてうれし泣きするほど、寂しかったのか。
 俺はこいつとはとことん付き合おうと誓った。

 俺の新生活はいきなり思わぬ同居人を迎えて始まった。


 ※ ※ ※ ※ ※


「さて、と。それじゃ早速だけどその結界とやらはどこにあるんだ?」
 俺は立ち上がりながら霊に言う。
「もうそこいら中にあるよ」
 確かにそこいら中にあった。
 天井板の裏側、畳の下、押入れの中、戸棚、流しの下、トイレの裏。
 あらゆる場所にこれでもか、というぐらいベタベタと貼りまくってある。
 おまけに魔方陣みたいな落書きから破魔矢やら藁人形やら十字架やら水晶のドクロやら
聖水らしき小瓶やらダウジングロッドやら怪しげな像やらそんな類のオカルトグッズが
どかどかと出てくる。
 とりあえず落書きは消して、お札は剥がしてガラクタとまとめて空の段ボール箱に
全部放り込む。
「こりゃぁ‥‥大したもんだな」
「ねー‥‥」
「‥‥で、どう?これで部屋から出られる?」
「あ、そうか。ちょっと待ってて」
 霊は恐る恐る手をかざしながら歩み寄る。
 そして、手はそのままするりとガラスをすり抜けて出る。
「出た!出たよ!」
「ああ、良かったな」
「ちょっと出かけてくる!」
 言うがいなや、午後の街へ飛び出して文字通り飛んで行った。
 俺はその間に荷解きをすることにした。

 よほど楽しかったんだろう、彼女は日が傾いて空が茜色に染まる頃になってやっと
帰ってきた。
「ただいま!」
「おかえりー」
「‥‥っ」
 急に黙り込む。
「ど、どうしたの?」
「‥‥ごめんね、なんか私の言う事に返事があるんだって思ったら、また急に‥‥変だね
ごめんね」
 そう言って、ぐしぐしと涙ぐんだ目をこする。
 俺はもう一回しっかりと言う。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
 彼女も噛み締めるように返事をする。
「‥‥と、まぁ、俺はそろそろ腹が減ってきたんだけど、幽霊って物食べられるの?」
「ううん、できない。これまでの住人の食べ物をちょっと拝借しようかと思ったけど
ろくに触る事もできなかったし」
「そうか‥‥ファミレス行くつもりだったんだけど、それでも一緒に来る?」
「行く!」
外に出て、鍵をかける。
「おっし、それじゃ俺はこの町をよく知らないから案内してくれ」
「まっかせなさーい。先ほどの偵察任務から帰投したばかりですので、喜んでご案内
いたしますブーンワン殿!」
 霊は俺にびしっと敬礼する。
「ヤメテー」
 いひひひ、と霊は笑うと頭を抱える俺の横に並んで歩き出す。
「飛ばないの?」
「だってこの方が一緒におでかけって感じでいいじゃない?」
「そうなのか」
「そうなのよ」

 そんな調子でただ無駄話をしながら霊の案内で近所のファミレスに着く。
「ほら、お客様感謝期間、今週末限定で全品2割引だって」
「おー、それは助かる」
 決して多くは無い予算を抱える財布をポケットの外からなでる。
「いらっしゃいませー 何名様ですか?」
「ふt‥‥いや、一人で」
「はい、一名様ですね。こちらへどうぞー」
 席につくとメニューを見、霊も覗き込む。
「とりあえずから揚げ定食かな」
「あ、ねぇ、このパフェも注文して?」
「なんで?食べれないじゃん」
「いいから」
「まぁいいけど‥‥」
 俺が食べるのを見て楽しいんだろうか。
 ウェイトレスに定食を注文して、パフェを注文すると一度聞き返えされたが端末に
ピッと事務的記入して去っていく。
 やがて定食が来るとあっという間に俺の腹の中に納まる。
 その間、霊は向かいの席に座って、じっと俺を楽しそうに見ている。
 食べ終わると、パフェが来る。
「これも俺が食べるの?」
 周りに気を使って、小声で尋ねる。
「ちょっと待って。私が男君の体を使って食べてみたいんだけど‥‥」
「――それって、憑依ってやつ?」
「うん、させてもらえるなら‥‥」
「ふーん‥‥」
「まだやった事無いんだけどね」
「え?ちょ、お前、どういうことだよ!」
「しーっ、声が大きい!大丈夫、絶対できそうな気がするから!」
「安全なの?」
「もちろん‥‥多分」
「不安だ‥‥」
「それじゃ絶対安全!」
「それじゃってなんだよ!それじゃって!」
 結局押し問答の末、渋々承諾する。
「‥‥わかった、それじゃ俺はどうすればいいの?」
「わかんないけど、まぁ、楽にしてて?私を強く拒絶するような意思があると
できないと思うから」
「わかった‥‥」
 霊はこっちを向くと、集中するようにこちらを見据える。
 すると俺はふわっとした、その目に吸い込まれるような、後ろに落ちていくような
奇妙な感覚を味わう。
 気がつくと、俺は俺自身を脳の片隅から傍観しているような状態だった。
「(霊‥‥?)」
『俺』は目をニ、三度しばたくと、『俺』の手を見て握ったり開いたりした。
「やった!」
「(成功?)」
「多分ね!それじゃいただききまーす!」
「(‥‥)」
 俺は苦笑しながら『俺』が嬉々としてチョコレートパフェに手をつけるのを見ていた。
 何やらかなり満腹になっているような感覚がするが、それも遠い。
「ん〜!おいしい!」
「(おい、あまり変な声出すなよ)」
「ごめんねー‥‥でも、でも、これおいしいんだもん!」
「(あーもう‥‥)」
 恍惚とした『俺』の中にみるみるうちにパフェが消えていく。
「ごちそーさまー!」
「(‥‥なぁ、そろそろ俺の体返してくれない?)」
「あ、そうだったね」
 ふっと『俺』の目の焦点が合わなくなると、じわぁっと手足に感覚が戻ってくるような
感覚が手足に戻っていくようなそんな感じがする。胃のもたれたような感覚も
ずしーんと戻ってくる。
「うぇ‥‥お前、急に食いすぎ‥‥」
「あははは、ドンマイドンマイ!」
「お前、俺の体だぞ‥‥」
 俺の抗議をよそ目に、さっき食べたばかりのパフェを反芻しているようだった。

 会計を済ませ、店を出る。
 正直、苦しい。
 そして財布はひもじい。
 すっかり空は暗くなり、街灯に照らされた道を歩きながら俺は霊に言った。
「今回は特別だからな?まぁ、社会復帰記念ってことで」
「は〜い」
 なんか舞い上がってる感じで、ろくに聞いてないような気がする。
 というか、本当にふわりふわりと一歩一歩で舞い上がってる。
 彼女も久しぶりなんだし、まぁいいか。

 アパートに帰り、鍵を開けて二人とも中に入る。
 蛍光灯の紐を引っ張ると、暗い部屋が白い光で満たされる。
「たっだいまー」
 誰とも無く、霊は言う。
「さて、と。今日は疲れたし俺はもうそろそろ寝たいんだけど、いいかな?」
「いいよー 私もそろそろ今日はリタイアかな」
 歯磨きなどを終えた後、俺は電気を消し布団にもぐりこむ。
 霊も、どうやら寝床にしているらしい押入れの中に退却する。
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみー」

こうして、奇妙な共同生活の一日目は幕を閉じた。