元気な憑依霊

 - 第ニ章 - 

 あくる朝、俺は大学に行く為に早々と起きて仕度を始める。
 身だしなみを整え、朝食――と言ってもまだ何も無いのでカップ麺だが――を食べる。
 霊はまだ寝ているらしく、押入れから出てこない。
 机に午後には戻るという旨の書置きを残し、家を出る。
 
 電車の中で、揺られている間に考えを巡らす。
 あの霊は死に装束という、あまりにも定番なスタイルだった。(もっとも三角頭巾は欠
いていたが)
 幽霊というのは根本的に精神や人格だけが存在しているようなものなので、外見なんて
本人が自分をどう見ているかに大きく左右される。自分がどういう格好をしているか、大
抵は無意識のうちに人々はイメージを持っているもので、幽霊になってもそれは変わらな
いが、それがそのまま形になっているところが違いだろう。人間外見じゃない、なんてい
うのは言葉のあやであり、外見もアイデンティティーの大事な一部だ。
 多分、霊が白装束なのは自分が死んでしまって、霊魂であると思い知らされたのが白装
束を着た場で、それをそのまま自分のイメージとして受け継いだのだろう。
 そんなことをつらつらと考えながら大学の初日は終わる。

 予定より早く、まだ午後の半ばぐらいに帰ると、霊は屋根の上で日向ぼっこをしていた。
 ただいま――そう叫ぼうとして思いとどまる。いつも何もないところに話しかけたり叫
んでたりしたら黄色い救急車が迎えに来る日もそう遠くはないだろう。
 そんなことを考えていると霊の方から気づいてくれた。
「おかえりー、早かったね」
 ふわ〜っと一っ跳びで、俺の目の前まで降りてくる。器用な奴だ。
「まあな。それより荷物置いたら買出しにでかけるけど、ついてくるか?」
「うん!」
 俺は部屋にかばんを置くと、中から授業中に作成していた買い物メモを取り出す。俺は
間違っても優等生と言われる人種ではない。

 そして今日もまた、だらだらと話しながら歩く。
「お前、死ぬ前はどんな事をしてたんだ?」
「それがね、なぜか思い出せないんだな、これが」
「名前とかも?」
「うん。ぼんやりとしてて――聞けば思い出すかもしれないけど」
「難儀だな、それは」
「難儀ですよ、これは」
 そんな話をしながら歩いていると、通りかかった家の柵の向こう側でその家の飼い犬が
吠え立てた。どうも霊に向かって吠えているらしい。
「ひゃあ!?」
 素っ頓狂な声を上げると、霊はびくりと後ろに飛びのく。
 そしてそれを俺が受け止めた。
「‥‥あれ?」
 霊はきょとんとしている。
 今まで直接触れる機会が無かったので、今更、な感じもするが、そう、俺は霊を見るだ
けじゃなく、直接触れることもできる。

 面白い事に、まったく霊感の無い人間というのは相応に全く霊の影響を受けない。霊感
のある人は影響を霊感の強さに応じて受ける。
 なので同じ過去に恨みでもある怨霊に取り憑かれていても、例え霊がいくら凄い形相で
肩にのしかかっていてもぴんぴんしている人もいれば、げっそりやせ細ってやつれ、今に
も行き倒れになりそうな死相の浮かんでる人もいる。
 そしてそれは霊に「触れる」事も同様だ。
 霊感ゼロの人間は全く干渉を受けずに、霊を素通りする。まぁ、霊と聞いて思い浮かべ
る、一番ありがちな「いかにも」な光景だと思う。
 もうちょっと霊感があるとすこし影響を受けたりする。例えば全力で体当たりをかまし
てくる物好きな幽霊があれば、やはり霊はすり抜けるが、生きてる方は少しばかりよろっ
とするかもしれない。
 しかし俺のようにはっきり見えてしまうレベルになると、もうはっきりと触れて触れら
れる事もできてしまう。俺の霊魂が他の霊魂の存在を認識している故の現象だ。それでも
俺自身の霊は肉体という質量のある器に密着しているので、例え俺が質量の無い霊に突き
飛ばされたとしても、物理的に動かされることは無い。代わりに、肉体を持つ霊魂がぶつ
かられる場合は実際に動かされるのではなく、強制的に体がぶつかられたれたかのように
動く、というなんとも言葉では説明のしにくい現象が起こる。

 ともかく、俺はそういう都合のいい設定の人間なので俺はよろめく霊を受け止めた。
「なんで?え?えええ!?」
 霊の方は未だに信じられないという様子だ。
「ま、そういうことだ」
「‥‥でも‥‥うそ?なんで?」
 説明が面倒だ。
「‥‥うまれつきだ」
 でじゃびゅ〜ん。
「とにかく、気をつけろよ」
 実は俺も幽霊に触れるのは久しぶりだった。どこの悪霊ともわからないような幽霊に下
手に関心を持たれるとろくなことになりそうにないので、普段は幽霊に触れるのは極力避
けてきた。
 が、まぁ、こいつなら大丈夫だろう。そんな気がする。
 ついでに、と頭をくしゃくしゃと撫でる。
「うん‥‥」
 ぽっと顔を紅くさせる。
「あー、それにしても、さっきの犬も霊感があったのかな」
「うん‥‥」
 あれ、急にしおらしくなった。
「ねぇ」
「ん?」
「手、繋ご?」
「う?」
「だめ?」
「‥‥だめじゃないけど」
「けど?」
「別にいいよ」
「よろしい」
 芝居がかった風に言うと、霊は俺の手を握った。やはり肉体の手には触れる「触覚」は
無いが、握ってる「感じ」はする。
 やわらかく、温かい感じがした。
 まったく変な霊だ。
「なんかお子様みたいだな」
「一言多いな」
「でも‥‥」
「何?」
「あったかいな」
「あったかいですよ」
 そのままスーパーまでずっと手を繋いで歩く。
 会話はあまりなかった。


 ※ ※ ※ ※ ※


 スーパーに着くと霊はさっきまでは大人しかったものの再び元気になり、途端にそわそ
わと落ち着かなくなりあちこちを見てまわりたそうにしている。
「ね、ちょっといろいろ見てきていい?」
 どっちだ。
「迷子になるなよー」
「大丈夫ー」
 そう言いながら人のカートを覗き込みつつどこかへ飛んで行ってしまった。
 俺はいろいろとカートに入れていく。
 牛乳、ジュース、ルトルト、カップ麺、カップうどんなどを適当に入れていく。我なが
ら不健康そうだ。しかし俺は自炊ができない。米ぐらいは炊けるが、火と包丁を両方使う
高等テクは持ち合わせていない。ここに母がいたら「そんなのばっかり食べてると骨が溶
けるよ!」などと小言の一つでも言われそうだ。
 一通り見終わって堪能したらしい霊が戻ってくる。
「そんなのばっかり食べてると骨が溶けるよー」
「そこにいるのは母さんか」
「へ?」
「いや、なんでもない」
「にしても、やっぱり実際見るとわくわくするね!前の住人のテレビとか新聞で見ていろ
いろと知ってはいたけど」
「ほう」
 すると買い物客のおばさんが怪訝な顔をしてこちらを見ていることに気づく。
 確かにこのままでは俺はもろに危ない人だ。
 黄色い救急車が迎えに来なくても、今後の人付き合いに支障が生じる事も考えられる。
 そしてここで携帯電話というのはかなり便利な発明だという事に気づく。
 携帯で話をしているようなふりをすれば、虚空に話しかけても奇異な目で見られること
も無い。更にちょっと珍しいがインカムみたいなマイクとイヤホンでも購入すれば、更に
自然に会話ができるかもしれない。
「でも俺料理できないよ」
「大丈夫、私できるから」
「だってお前包丁とか持てないじゃん」
 すると霊はんっふっふと不適な笑みを浮かべる。
「おぬし、私が憑依できるということを忘れておるな?」
「お、そうか」
 妙案だ。あ、でも――
「やっぱり自分が作ったものは自分で食べる?」
「半分食べさせてくれればばっちぐー」
「火傷したりしても怪我するのは俺だぞ?」
「私だって痛いからだいじょうぶい!」
 何が大丈夫なのやら。
「‥‥まぁ、それじゃ任せる」
「よし、契約成立!」
 安物の鍋と包丁もカートに入れて、肉売り場に向かう。
「どれも同じだと思うけど、新鮮なのってどれだろう」
 するとまたもや霊が不適な笑みを浮かべる。
「おぬし、私が憑依できるということ――」
「いや、これ憑依関係ないじゃん」
 遮られてむっとした様子だ。
「いいから見てて」
「‥‥お前、まさか肉に憑依するのか?」
 霊は答える代わりに鶏のもも肉のパックに手を置くと、すうっと手が吸い込まれる。
「ん、これは新鮮」
「あ、そう‥‥」
「なんかまだ『新鮮』っていう感じが私の太ももにするからね。ほら、カートに入れる」
「はぁ」
 もうどうにでもなれ。
 は言われるままに霊が手を引き抜いた肉のパックをカートに入れる。
 次は野菜売り場。適当に聞いてみる。
「んじゃ、このブロッコリーは?」
「えーとどれどれ‥‥」
 霊は再び向き合って憑依をしかけたが、はっと気づいたようにこっちを見る。
「――! ‥‥バカ」
「? はい?」
 きょとんとした俺を睨んで、なぜか赤面までしている。
「いいよ、もう!」
 わけがわからん。

 その後も適当に言われるままにカートに入れてレジに向かう。大学の帰りに銀行に寄っ
ておろしてきたお金で払う。
「――結局持つのは俺なのね」
「ごめんねー」
 ちょっと申し訳無さそうに霊が上目遣いにこっちを見ながら言う。
「まぁいいよ。どうせ量的には一人前なんだし」
「それもそうか。しからば、若いもんが情けない!ぴしっとせぃ!」
「ひっでぇ」
 あはは、と笑いながら自動ドアを出るけど周囲の視線を感じて口をつぐむ。
 両手がふさがってる状態、つまり携帯でカモフラージュできない状態でおおっぴらに会
話をすれば電波男に逆戻りだったっけ。
 なおも視線を感じるけど、あえてそちらは見ないことにする。
「(それじゃ急いで帰るぞ)」
「イェッサー」
 霊にささやくと、決まりがわるくなった俺は、何気ない様子を装いつつかつ迅速にその
場を霊と共に離脱した。


 ※ ※ ※ ※ ※


 アパートに帰り着くと、早速料理に取り掛かる。
 霊も憑依のこつを覚えてきてるようで、俺の意識がふうっと「後部席」に移るのと、霊
が入って来るプロセスが昨晩よりも少し速くなってる。
「(なんか慣れてきたか?)」
「うん、昨晩よりも男の意識の抵抗が少ないね」
「(なるほどな)」
 確かに一度安全とわかれば身を任せるのにも抵抗は少ない。
「(それじゃ任せた)」
 30年ぶりでちゃんと料理できるのか、とも思ったけどてきぱきとこなしていく。
 どうやら炒め物を作るらしい。
「どう?上手いモンでしょ」
「(確かに。でも俺の声で喋られるとなんとも妙な感じだ)」
「細かい事は、気・に・し・な・い☆」
 わざとか知らないが、アニメ声みたいな媚び媚びな声色で台詞を言う。いやこれはわざ
とだ、絶対にわざとだ。
「(だから俺の声使ってそういう台詞はやめてくれって‥‥)」
「うふふふふ☆ ‥‥ぷ、あははは、うおえー、だめだ、気持ち悪い〜!うわ、鳥肌立つ
感覚も久しぶり!」
「(こ、こいつは‥‥)」
「あはははは――」
 こうしてふざけながらも料理はできあがっていく。
 いつの間にやら香ばしい、旨そうな匂いのするキャベツと豚肉の炒め物ができあがり、
『俺』はそれを皿に盛り、箸を手に取る。
「いただきまーす!」
「(ちょっと待った)」
「何?」
「(まずは二等分)」
「あ、そうかそうか」
 俺の言わんとすることを理解したようで、『俺』はモーゼよろしく、炒め物の山の中央
に溝を作る。
 『俺』は右を食べ、食べ終わると憑依を解いて今度は俺は左を食べる。
 なかなか美味い。
「すごいだろ」
 霊はえっへん、と胸をそらす。
「うん、正直かなり心配だったけどこりゃ普通に美味しいわ」
「‥‥なんか引っかかるけど、どうも」
「えーと、――霊、君の飯が毎日食べたい=v
「ふつつかものですがよろしくお願いいたします=v
 霊はすぐにノってうやうやしく三つ指をついて台詞を返してくる。
「苦しゅうない、面をあげよ=v
「ははっ、ありがたきしあわせ=v
「近う寄れ近う寄れ。このような飯が毎日食えるとは余は幸せものじゃ、余は――=v
 もう訳がわからなくなってきた。
「――ちょっとトイレへ行って来るぞよ=v
「ははぁ≠チて、ちょ、ぶち壊しだなぁもう」
 一体なにをぶち壊したのか、正直俺にはよくわからん。

 その後は特にする事もなく、夜遅くまで適当に無駄話をしたりふざけたり、TVを見たり
して過ごした。
 こうして奇妙な共同生活の二日目も終わる。