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意識が暗闇に呑まれた次の瞬間、アリス・マーガトロイドは鬱蒼と生い茂る竹やぶの真っ只中にいた。 青竹の枝葉によって覆われた空を仰げば、その隙間から紅魔館の暗く赤に染まった館内とは全く違う、晴れ晴れとした天気が広がりを見せていた。 しかしアリスは、人形のように整った顔に驚嘆や困惑を浮かべる事はない。冷静にゲーム開始の事実を受け止め、琥珀色の瞳に憂鬱を映していた。 「……始まったわね」 己に言い聞かせるように細く呟き、ざっと周りに視線を配って警戒する。 入り組んだ竹林は視界が悪く、遠景は殆ど伺えない。そこで意識を集中して耳を澄ませたが、風が笹を揺らす音しか聞こえなかった。 そうして近隣には竹林しか存在しない事がわかると、アリスはやっと一息ついて胸をなでおろした。 アリスはひとまず小高く盛り上がった地面の傍に身を寄せ、姿勢を低くしてディパックの中身を改める事にした。 ファスナーを開いて覗き込むと、事前に神社で説明を受けた通り、地図や方位磁石といった道具類が詰め込まれていた。 その中でも一際目立つ、黒と茶色の無機質な物体があった。アリスはそれを手に取り、緊張した面持ちで眺めた。 「支給品は拳銃……か」 M1911、通称コルト・ガバメント。.45口径の大型シングルアクション自動拳銃である。 彼女は神社の説明を思い出す。支給されるアイテムには、当たり外れがあるという。ならばこのコルト・ガバメントは、当たりの部類に属すると言って良いだろう。 付属していた説明書を読み流し、手順に則ってコルト・ガバメントのスライドを後退させた。ハンマーが起き上がり、発砲の準備が整う。 コルト・ガバメントの使用する弾薬は.45ACP。説明によると、これは普通の拳銃に使われている弾薬よりも強力な物だという。 大口径なのでマン・ストッピングパワーに優れ、つまり相手を行動不能に至らしめる能力が高い。この特製はゲームでも有効に働く事だろう。 しかし、アリスの表情は優れない。強力な武器を手にしても、瞳に滲むのは憂慮の色。彼女は、バトルロワイヤルごっこに乗り気でなかった。 「異変解決は本来人間の仕事だし、出来れば『あいつら』にも手伝って欲しいんだけど……期待できるかしら?」 人も妖怪も遠ざける瘴気漂う魔法の森に居を構えるアリスが、バトルロワイヤルについて詳細を知ったのは、その人気が拡大した後だった。 人形劇を披露しようと久しぶりに訪れた人里は静かで、自分を遠巻きに眺める不安げな人々がいた。何事かと思っていると人間から慕われる半人半獣の妖、上白沢慧音に会った。 曰く、バトルロワイヤルという書物が妖怪達の間で噂となり、それに感化された妖怪達が暴走しているというのだ。自警団とも衝突したらしく、人々は不安に怯えているという。 大人しそうな雰囲気から勘違いされやすいが、アリスは意外に好戦的な性格である。しかしそんな彼女も、この現状には眉をひそめた。 殺し合い、生き残る事を至上とする戦い。スペルカード・ルールに真っ向から反するそれは、血が流れ、死人が出る。アリスに静かな義憤が沸いた。 他人には無関心で、素っ気ない態度が目立つ彼女だが、世の中がどうなっても良しとする程薄情ではない。 問題の書物を手に入れ研究し、事態の拡大を食い止められないかとアリスは考えを重ねた。 しかし、バトルロワイヤルの影響は大きく、既に一介の魔法使いが足掻いてどうにかなる状況ではない事を痛感させられた。 どこかで血が流れるのも時間の問題と思っていた、その矢先――彼女の元にバトルロワイヤルごっこ開催の報が届いた。これはチャンスだと思った。 「まぁいいわ。どっちにしても、私は私の正しいと思った事をするまでよ」 自己を奮い立たせるようにアリスは言った。下手をすれば幻想郷を危うくしかねない異変を逆に利用して、このような形で不満を封じ込めた賢者達の手腕には感服する。 確かにこれなら血も流れず、死人は出ない。あくまでゲームなのだから健全な勝負である。しかし、一回や二回の開催では妖怪達も収まらないだろうし、恒例になっても問題である。 バトルロワイヤルの機運そのものを根絶しなければ、平穏は返って来ない。目を盗んで、あるいは暴走して、ごっこに収まらない戦いを始める者がいるかもしれない。 賢者達も恐らくこれは時間稼ぎと考えているだろう。自分が手を出すまでもないかもしれないが、人々の、子供の不安な顔が脳裏から離れない。 悩んだ末、彼女はバトルロワイヤルごっこへの参戦を決意した。そして目指すのは、仮想空間にいる主催者と戦って勝利する事。 それも、できる限り仲間を集め大人数の状態で挑む方が好ましい。好戦的な妖怪達が望む勝利とは別の形を見せる事で、牽制するのだ。 最悪敗れ去ったとしても、徒党を組んで主催者に立ち向かい、バトルロワイヤルそのものに反抗したという事実が残せればいい。志を受け継ぐ者がいれば、殺し合いを求める妖怪達も抑えられる。 あとは賢者達に直談判して、事態の早期収拾を図ってもらう。肝心要の部分で他力本願とは情けないが、一番確実な手である。そうした思惑を胸に、アリス・マーガトロイドはこのゲームに赴いた。 追い風もある。主催者の出す勝利条件には、明らかに対主催を意識したものがあった。ルールに盛り込まれているなら、優勝して望みを叶える事を目的とする者もこちらの陣営に引き込めるかもしれない。 もっとも、オーブを巡るルールがあるので、仲間を集める傍ら敵となる参加者も倒す必要がある。戦闘は避けて通れない道であり、悩みの種だった。 「現在地は迷いの竹林のどこかだから、最寄の人が集まりそうな施設といえば――」 ディパックから地図を取り上げて広げ、目的地を定めようとした時だった。不意に、大きな葉音がした。笹の葉同士が擦れ合って、生命の息吹を感じない静寂を乱した。 アリスは思考を打ち切り、音の方角を見定める。少し離れた場所に、小柄な人影が見えた。亜麻色の髪に、赤いベストとキュロット、インナーには白いシャツを着用しているようだ。 彼女はすぐに、それが騒霊姉妹の三女リリカ・プリズムリバーとわかった。彼女とその姉達はプリズムリバー楽団を結成しており、アリスも宴会で何度か演奏を聴いた事があった。 膝を折り、体勢を低くして見つめていると、今度は枯れた竹を踏み折る乾いた音がした。音源はやっぱりリリカだ。あれでは自分の居場所を教えるようなものだが、もしかしたら罠でも仕掛けているのか。 様子を探るべく、アリスはディパックを手にそっと位置を移して、相手の死角になるちょうどいい塩梅の窪地に屈みこんだ。 コルト・ガバメントのグリップを強く握りながら、ゆっくりと顔だけを出して相手の動静を注意深く観察する。 リリカは、当ても無く彷徨っているように見えた。先ほどの音は、迂闊なミスで生起したものなのか。それとも静かな所が苦手な騒霊が、静寂に包まれた空気につい耐え切れなくなのか。 ……理由は判然としないが、考えている余裕はない。リリカの足が、こちらに向いた。足取りは慎重で、ゆっくりと接近を始めている。 段々と相対距離が狭まり、焦燥がアリスの胸を駆け巡る。このゲームでは、あらゆる能力は制限下にある。 アリス・マーガトロイドといえば、華麗な人形の魔法の数々が代名詞であるが、あいにく手元に人形はない。何時も使う魔道書もない。 彼女は属性に得手不得手のない万能型魔法使いなので、人形がなくても魔法で戦う事は可能だが……制限の状況が確認できなかったし、得意技に頼れないというのは甚だ不安である。 よって、もしもリリカに声をかけるとするならば、拳銃の射程距離内にいる時が望ましい。 銃器を突きつけてリリカを制止させ、色々と聞き出して仲間にできそうなのか確かめるのだ。相手は不快に思うかもしれないが、これが確実な方法である。 決断は早かった。足音が近づき、彼我の距離が十分に接近したその瞬間――アリスは銃を構えて窪地から飛び出した。 「動かないで! 動いたら撃つわよ!」 「――!?」 突然飛び出してきたアリスに驚き、リリカは狼狽する。一見したところ、武器の類は所持していないようだ。 コルト・ガバメントの銃口をリリカの額に向けながら、アリスは厳しい口調で続けた。 「まずはディパックを降ろして。それからゆっくりと両手を挙げて、三歩後退したら背中を向けなさい」 「……参ったわねー。開始早々ピンチなんて」 ため息をつくと、リリカはアリスの指示通りにディパックを降ろし、両手を挙げて三歩後退した後、背後を向けた。 コルト・ガバメントの銃口をリリカから外す事なく、アリスはディパックの中身を素早く改めた。自分と同じく各種道具類が詰まってるが、やはり武器は見当たらない。 疑念が深まる。全員に配られるはずの支給品を一体どこにやったのか。 「……武器は持ってないの?」 「フォークならあったけど、食事時でもないからねー」 「外れを掴まされたって訳? それが本当ならご愁傷様だけど……そのフォークは?」 「捨てちゃったわ」 念の為にディパックを開きっぱなしにしてアリスは問う。俄かに信じられる内容ではないが、実際に武器は見つけられなかった。 入念にリリカの服装を観察しても、不自然に盛り上がった部分はなく、拳銃や小刀を隠し持っているとは考えにくい。アリスは話を続ける事にした。 油断はできないが、このままでは話は進まない。他の参加者の介入を受ける前に、成すべき事を成そう。 「貴方はこのゲームに……いや、殺し合いに乗っている?」 「……意味わかんない。これは自主参加イベントよ。乗らない奴がいるの?」 「……質問を変えるわ。貴方もバトルロワイヤルの影響で幻想郷の情勢が不安定なのは知ってるわよね。……それに関しては、どう思うの?」 小首を捻るような仕草で、リリカは考える素振りを見せる。そのまましばしうーんと唸っていたが、やがて首を振った。 不思議そうにアリスを横目で見やり、リリカが答える。 「どうって言われても……まあ危なっかしいのはわかるわ。で、何が言いたいのかしら?」 「……単刀直入に言うわ。私と一緒に、主催者に立ち向かって欲しいの」 「なんで? これはあくまでごっこよ?」 もっともな疑問である。それに対し、アリスは自身の思惑を包み隠さず答えた。プリズムリバー楽団には、人間のファンも多いはずだ。 心情に訴えかけるつもりで、昨今の状況に怯える人間達の不安を語った。 ルールに真っ向から歯向かう形になるので、様子を伺っている主催者に消される可能性もあったが、対主催すらも勝利条件に組み込まれているとアリスは考えている。 それなら、手を下す事はないはずだ。アリスの話にはリリカも少し考えさせられたらしく、しばらくの間両者には沈黙が流れた。 「……なるほど、わかったわ。貴方に協力する」 「助かるわ。それじゃ――……」 沈黙を破って、リリカが言った。アリスはほっと安堵して、銃口を降ろそうとした。しかし同時に、視線を落とすと気になるものを見つけた。 それは、リリカの足首に巻いてあるロープだった。今まで丈の低い雑草に隠れて見えなかったが、一体何故――? 直感が囁く、反射的にアリスは右に飛び退いた。その直後、背後から白皙の頬を何かが掠めて飛び去っていく。 冷たい痛みが走り、金髪の一房が切断され空気抵抗を受けながら舞い落ちる。 「ありゃ、完全に決まったと思ったんだけど……上手くいかないものねー」 回避の隙に距離を取って、残念そうに告げたリリカの胸の前には、アリスの血を刃先に付けた両刃のナイフが浮遊していた。 ……アリスは己の迂闊さを悔いた。騒霊、つまりポルターガイストにとって、手足を使わずに物を動かす事など造作もないはずだ。 恐らく足に巻いていたロープは、簡易的なナイフホルダーだったのだろう。目立ちにくい足元にナイフを隠し、今のようにそっと動かして奇襲する戦法か。 有無を言わさず仕掛ける相手には通じないが、オープニングセレモニーに集まった参加者の顔ぶれを見るに、そんな性格の者ばかりではない。 狡猾なやり口である。特に自分のような存在は格好の獲物だったに違いない。 「貴方もこの状況は危ういと感じているのでしょう、それなのに何故!?」 「私はこのゲームに優勝して、ソロデビューで注目を浴びるきっかけにするのよ」 銃口を向けて問うたアリスに、リリカが言い返す。リリカ・プリズムリバーは、かねてより自身のソロ活動を目標としていた。 姉二人と違って、今まで彼女はソロで演奏会を開く事がなかった。しかし、ソロ活動への意欲がないわけではなく、数年前に起きた花が咲き乱れる異変の際には姉達とはぐれ一人音ネタ集めをしたりもした。 どうせなら鮮烈なデビューを飾りたい。それなら噂のバトルロワイヤルごっこで優勝して、衆目を集めてはどうだろう。それがリリカの思惑だった。 「幻想郷がどうなってもいいの!?」 「本当にいよいよ大変となれば、賢者ってのがどうにかしてくれるでしょ」 言い返せなかった。それは正論だった。確かにいよいよとなれば、幻想郷の賢者達が情勢不安を平定する為に、強引にでも解決を図ってくれるはずである。 ……しかし、状況は既に危険な領域に突入しているとアリスは見る。賢者達が抜本的な解決に乗り出す前に、いつ悲劇が生まれるかわからない。 面倒とは思いながらも、それを看過しておけないからアリスはここにいるのだ。みんなの為に。 「貴方とは戦うしかないみたいね」 「そうそう、そういうゲームだからね、これ」 やむなくコルト・ガバメントの引き金を絞る。乾いた銃声が轟き、.45ACP弾が銃口から飛び出した。 ……しかし、弾丸はリリカではなく、その近くの青竹を穿った。拳銃は素人が撃ってもそうそう当たるものではないのだ。 さらに、大型拳銃のリコイルを女の細腕でコントロールするのは難しく、よろめいて隙を作ってしまう。 その隙を逃さず、リリカはナイフを操り、アリスの首の頚動脈目掛けて飛来させた。 猛然と迫るナイフを、アリスはよろめいた勢いを利用し体を逸らしていなした。弾丸に比べると、ナイフの速度は遅い。だからこそ最初に奇襲を選んだのか。 弾幕ごっこで培われた経験を生かせば回避も難しくないが、場所が場所なだけに動きを著しく制限されている。 「これならどうかしら!?」 息つく暇も与えず、リリカは音符型の弾幕を放った。数は多いものの、展開速度は遅く決して避けきれない程ではない。 ――しかし、これは布石だ。本命は背後から迫るナイフ。それはアリスも理解していた。弾幕に被弾しながらも、半ば倒れこむような姿勢で、アリスはナイフから逃げた。 僅差で両刃のナイフが頭上を通り抜ける。こんな攻撃を何時までも避けきれるはずがない。対策を講じなければ、敗北は時間の問題である。 「どうすれば……」 同じように弾幕を放ち、拳銃で一撃必殺を狙うか。しかし、それではナイフが余計に見えにくくなる。 ただでさえ視界と動きを制限される竹林という立地に、弾幕に紛れて送り込まれるナイフの一刺し。拳銃があっても形勢は不利である。 体勢を立て直す為に逃げるのも不可能だ。ろくに身動きも取れないのに、逃げ切れるはずがない。無防備な背中にナイフが突き立つ光景が容易に想像できた。 「……なんだか、疲れてきちゃったわね。でも、そろそろ終わりよー」 口調は楽天的だったリリカだが、表情に明らかな疲労の色を見せていた。僅かに、弾幕の展開とナイフによる攻撃に隙が生じた。 ――今しかない。アリスは青竹を押し退けて、リリカを待ち伏せていた窪地に滑り込んだ。そして、拳銃を手にしたままディパックを掴む。 その時、窪地の上からリリカがアリスを見下ろし、とどめの一撃を与えるべく弾幕を放った。当然、その中にはナイフが紛れ、頚部に向かって――。 「……狙い通りね」 冷や汗を流しながら、口の端を吊り上げてアリスが笑んだ。両刃のナイフはアリスの頚動脈をかき切る事なく、ディパックに突き立っていた。 連続して頚部を狙ったのは恐らく、手足を使わずにナイフを動かす力が非力で、人体の弱点を突く必要があったからだ。 敵の狙いが一点に絞られているなら、あのナイフの速度なら、反応して防御する事も不可能ではない。事実、こうしてナイフは止められた。すぐさまディパックごとナイフを地面に押さえ込んで無力化し、拳銃を構える。 そして素早く狙いを定めて引き金を引いた。銃声が響き、狼狽するリリカの脹脛を拳銃の弾丸が撃ち抜いた。狙いはもっと上だったが、弾道が逸れたのだろう。 しかし、勝負は決した。 アリスが窪地を登ると、そこには脹脛に銃創を負って動けずに倒れたリリカがいた。脚力を失ったとはいえ、まだ弾幕による抵抗は可能なはずだが、何もして来ない。 ……既に、己の敗北を悟ったのだろう。苦悶の表情に混じって、諦めの色が伺える。アリスは、コルト・ガバメントの銃口を下げた。 「あはは、参ったなぁ……勝てると思ったんだけど……」 「……ごめんなさい。面倒だけど他人任せにはできなくてね」 両者の間に沈黙が流れる。聞こえるのは、笹が風で揺れる音と、リリカの乱れた息遣いの音だけ。 果てなく続くかのように思えた無言の静寂は、アリスによって破られた。穏やかな目つきで、リリカに語りかける。 「貴方、ソロライブがやりたかったのよね。……もしライブを開催したら、私が聞きに行くわ」 「……本当に?」 「本当よ」 その言葉を聞いたリリカも、銃創による苦悶を滲ませながらも穏やかな笑顔を浮かべた。 「……絶対よ。約束だからねー」 「ええ、約束するわ」 約束を交わし、アリスは両手でしっかりとコルト・ガバメントを構えた。出血多量による緩慢な死は、より多くの苦痛を与えるだけだ。 せめて、自分の手で苦しませずに終わらせるべきだろう。銃口がリリカの心臓に狙いを定めた。リリカは瞼を閉じて、その瞬間に備える。 既に覚悟は決めている。アリスは躊躇から震える指を制して、引き金を絞った。――迷いの竹林に、大きな銃声が響き渡った。 アリスはディパックに刺さった両刃のナイフを抜き出すと、穴の開いたノートの一部を破り取り、慎重に刃先の血や土を拭って捨てた。 盾に使ったディパックを見ると、中央に大きな刺し傷があった。先ほどは中にノートなどの道具類があったからナイフの刃を止められたのだろう。 下手をすれば、そのまま貫通して頚部に突き刺さっていた恐れもあった。ぞっとする話である。 次いでアリスは自分のディパックからロープ、懐中電灯、そして二つの赤いオーブを取り出すと、元はリリカの物だったディパックに入れた。 まるで追いはぎみたいで気が引けるが、目的の為にも有効活用できる物は使うべきだろう。 自分を苦しめた両刃のナイフもディパックに仕舞い、そうして一通り荷物の整理が完了すると、地図と方位磁石を手に現在地を推測し最初の行き先を決める事にした。 「……やっぱり、まずは永遠亭に向かうべきかしら」 地図を眺めながら一人ごちる。 永遠亭。それは迷いの竹林にある古風な屋敷である。アリスはかつて霧雨魔理沙と『満月が上らなかった』異変の時に永遠亭に赴いた事があった。 永遠亭には医療施設としての側面もあるので、そこで怪我の手当てをしたり、治療器具を入手できるかもしれない。しかし、自分の家がある魔法の森も捨てがたい。人形があれば確実に戦闘力は上がる。 悩んだ結果、アリスは永遠亭行きを選択した。彼女は万能型の魔法使いなので、自分の家にある人形を手にしなくても戦えると踏んだのだ。 ――出立の前に、アリスは仮初の命を失って横たわるリリカを見た。胸の前で手を組み、その表情は安らかに眠っているようだった。 ゲームとはいえ、遺体を弔う事なく先を急ぐのは憚られたが、悠長な事をしている余裕はない。アリスは背を向け、永遠亭を目指して歩き出した。 その途中……一度だけ足を止め、振り向いてリリカの亡骸を一瞥したが、またすぐに向き直って歩みを再開した。 【C-6・迷いの竹林・朝】 【アリス・マーガトロイド】 [状態]:数発分の弾幕の被弾によるダメージ、頬に切り傷、疲労(小) 残り体力(80/100) [装備]:コルト・ガバメント(4/7)、両刃ナイフ [道具]:オーブ×4、支給品一式 [思考・状況] 基本方針:仲間を集めて、仮想空間にいる主催者を倒す 1:まずは永遠亭に向かう 2:積極的に殺したくはないが、敵なら倒す覚悟は決めている 3:……仮想空間とはいえ、殺しは嫌なものね &color(red){【リリカ・プリズムリバー リタイア】} &color(red){【残り 33人】} ※リリカの遺体と刺し傷のあるディパック(入ってるのはロープ、懐中電灯を除く共通支給品のみ)がC-6に安置されています。 【武器・道具解説】 「コルト・ガバメント」 .45口径の大型自動拳銃。設計は古いが堅実な作りで、大口径の.45ACP弾を発射する。 この.45ACP弾は人体に対する効果(ストッピングパワー)が高く、威力がある反面リコイル(反動)も大きい。 **ページをめくる(時系列順) 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意識が暗闇に呑まれた次の瞬間、アリス・マーガトロイドは鬱蒼と生い茂る竹やぶの真っ只中にいた。 青竹の枝葉によって覆われた空を仰げば、その隙間から紅魔館の暗く赤に染まった館内とは全く違う、晴れ晴れとした天気が広がりを見せていた。 しかしアリスは、人形のように整った顔に驚嘆や困惑を浮かべる事はない。冷静にゲーム開始の事実を受け止め、琥珀色の瞳に憂鬱を映していた。 「……始まったわね」 己に言い聞かせるように細く呟き、ざっと周りに視線を配って警戒する。 入り組んだ竹林は視界が悪く、遠景は殆ど伺えない。そこで意識を集中して耳を澄ませたが、風が笹を揺らす音しか聞こえなかった。 そうして近隣には竹林しか存在しない事がわかると、アリスはやっと一息ついて胸をなでおろした。 アリスはひとまず小高く盛り上がった地面の傍に身を寄せ、姿勢を低くしてディパックの中身を改める事にした。 ファスナーを開いて覗き込むと、事前に神社で説明を受けた通り、地図や方位磁石といった道具類が詰め込まれていた。 その中でも一際目立つ、黒と茶色の無機質な物体があった。アリスはそれを手に取り、緊張した面持ちで眺めた。 「支給品は拳銃……か」 M1911、通称コルト・ガバメント。.45口径の大型シングルアクション自動拳銃である。 彼女は神社の説明を思い出す。支給されるアイテムには、当たり外れがあるという。ならばこのコルト・ガバメントは、当たりの部類に属すると言って良いだろう。 付属していた説明書を読み流し、手順に則ってコルト・ガバメントのスライドを後退させた。ハンマーが起き上がり、発砲の準備が整う。 コルト・ガバメントの使用する弾薬は.45ACP。説明によると、これは普通の拳銃に使われている弾薬よりも強力な物だという。 大口径なのでマン・ストッピングパワーに優れ、つまり相手を行動不能に至らしめる能力が高い。この特製はゲームでも有効に働く事だろう。 しかし、アリスの表情は優れない。強力な武器を手にしても、瞳に滲むのは憂慮の色。彼女は、バトルロワイヤルごっこに乗り気でなかった。 「異変解決は本来人間の仕事だし、出来れば『あいつら』にも手伝って欲しいんだけど……期待できるかしら?」 人も妖怪も遠ざける瘴気漂う魔法の森に居を構えるアリスが、バトルロワイヤルについて詳細を知ったのは、その人気が拡大した後だった。 人形劇を披露しようと久しぶりに訪れた人里は静かで、自分を遠巻きに眺める不安げな人々がいた。何事かと思っていると人間から慕われる半人半獣の妖、上白沢慧音に会った。 曰く、バトルロワイヤルという書物が妖怪達の間で噂となり、それに感化された妖怪達が暴走しているというのだ。自警団とも衝突したらしく、人々は不安に怯えているという。 大人しそうな雰囲気から勘違いされやすいが、アリスは意外に好戦的な性格である。しかしそんな彼女も、この現状には眉をひそめた。 殺し合い、生き残る事を至上とする戦い。スペルカード・ルールに真っ向から反するそれは、血が流れ、死人が出る。アリスに静かな義憤が沸いた。 他人には無関心で、素っ気ない態度が目立つ彼女だが、世の中がどうなっても良しとする程薄情ではない。 問題の書物を手に入れ研究し、事態の拡大を食い止められないかとアリスは考えを重ねた。 しかし、バトルロワイヤルの影響は大きく、既に一介の魔法使いが足掻いてどうにかなる状況ではない事を痛感させられた。 どこかで血が流れるのも時間の問題と思っていた、その矢先――彼女の元にバトルロワイヤルごっこ開催の報が届いた。これはチャンスだと思った。 「まぁいいわ。どっちにしても、私は私の正しいと思った事をするまでよ」 自己を奮い立たせるようにアリスは言った。下手をすれば幻想郷を危うくしかねない異変を逆に利用して、このような形で不満を封じ込めた賢者達の手腕には感服する。 確かにこれなら血も流れず、死人は出ない。あくまでゲームなのだから健全な勝負である。しかし、一回や二回の開催では妖怪達も収まらないだろうし、恒例になっても問題である。 バトルロワイヤルの機運そのものを根絶しなければ、平穏は返って来ない。目を盗んで、あるいは暴走して、ごっこに収まらない戦いを始める者がいるかもしれない。 賢者達も恐らくこれは時間稼ぎと考えているだろう。自分が手を出すまでもないかもしれないが、人々の、子供の不安な顔が脳裏から離れない。 悩んだ末、彼女はバトルロワイヤルごっこへの参戦を決意した。そして目指すのは、仮想空間にいる主催者と戦って勝利する事。 それも、できる限り仲間を集め大人数の状態で挑む方が好ましい。好戦的な妖怪達が望む勝利とは別の形を見せる事で、牽制するのだ。 最悪敗れ去ったとしても、徒党を組んで主催者に立ち向かい、バトルロワイヤルそのものに反抗したという事実が残せればいい。志を受け継ぐ者がいれば、殺し合いを求める妖怪達も抑えられる。 あとは賢者達に直談判して、事態の早期収拾を図ってもらう。肝心要の部分で他力本願とは情けないが、一番確実な手である。そうした思惑を胸に、アリス・マーガトロイドはこのゲームに赴いた。 追い風もある。主催者の出す勝利条件には、明らかに対主催を意識したものがあった。ルールに盛り込まれているなら、優勝して望みを叶える事を目的とする者もこちらの陣営に引き込めるかもしれない。 もっとも、オーブを巡るルールがあるので、仲間を集める傍ら敵となる参加者も倒す必要がある。戦闘は避けて通れない道であり、悩みの種だった。 「現在地は迷いの竹林のどこかだから、最寄の人が集まりそうな施設といえば――」 ディパックから地図を取り上げて広げ、目的地を定めようとした時だった。不意に、大きな葉音がした。笹の葉同士が擦れ合って、生命の息吹を感じない静寂を乱した。 アリスは思考を打ち切り、音の方角を見定める。少し離れた場所に、小柄な人影が見えた。亜麻色の髪に、赤いベストとキュロット、インナーには白いシャツを着用しているようだ。 彼女はすぐに、それが騒霊姉妹の三女リリカ・プリズムリバーとわかった。彼女とその姉達はプリズムリバー楽団を結成しており、アリスも宴会で何度か演奏を聴いた事があった。 膝を折り、体勢を低くして見つめていると、今度は枯れた竹を踏み折る乾いた音がした。音源はやっぱりリリカだ。あれでは自分の居場所を教えるようなものだが、もしかしたら罠でも仕掛けているのか。 様子を探るべく、アリスはディパックを手にそっと位置を移して、相手の死角になるちょうどいい塩梅の窪地に屈みこんだ。 コルト・ガバメントのグリップを強く握りながら、ゆっくりと顔だけを出して相手の動静を注意深く観察する。 リリカは、当ても無く彷徨っているように見えた。先ほどの音は、迂闊なミスで生起したものなのか。それとも静かな所が苦手な騒霊が、静寂に包まれた空気につい耐え切れなくなのか。 ……理由は判然としないが、考えている余裕はない。リリカの足が、こちらに向いた。足取りは慎重で、ゆっくりと接近を始めている。 段々と相対距離が狭まり、焦燥がアリスの胸を駆け巡る。このゲームでは、あらゆる能力は制限下にある。 アリス・マーガトロイドといえば、華麗な人形の魔法の数々が代名詞であるが、あいにく手元に人形はない。何時も使う魔道書もない。 彼女は属性に得手不得手のない万能型魔法使いなので、人形がなくても魔法で戦う事は可能だが……制限の状況が確認できなかったし、得意技に頼れないというのは甚だ不安である。 よって、もしもリリカに声をかけるとするならば、拳銃の射程距離内にいる時が望ましい。 銃器を突きつけてリリカを制止させ、色々と聞き出して仲間にできそうなのか確かめるのだ。相手は不快に思うかもしれないが、これが確実な方法である。 決断は早かった。足音が近づき、彼我の距離が十分に接近したその瞬間――アリスは銃を構えて窪地から飛び出した。 「動かないで! 動いたら撃つわよ!」 「――!?」 突然飛び出してきたアリスに驚き、リリカは狼狽する。一見したところ、武器の類は所持していないようだ。 コルト・ガバメントの銃口をリリカの額に向けながら、アリスは厳しい口調で続けた。 「まずはディパックを降ろして。それからゆっくりと両手を挙げて、三歩後退したら背中を向けなさい」 「……参ったわねー。開始早々ピンチなんて」 ため息をつくと、リリカはアリスの指示通りにディパックを降ろし、両手を挙げて三歩後退した後、背後を向けた。 コルト・ガバメントの銃口をリリカから外す事なく、アリスはディパックの中身を素早く改めた。自分と同じく各種道具類が詰まってるが、やはり武器は見当たらない。 疑念が深まる。全員に配られるはずの支給品を一体どこにやったのか。 「……武器は持ってないの?」 「フォークならあったけど、食事時でもないからねー」 「外れを掴まされたって訳? それが本当ならご愁傷様だけど……そのフォークは?」 「捨てちゃったわ」 念の為にディパックを開きっぱなしにしてアリスは問う。俄かに信じられる内容ではないが、実際に武器は見つけられなかった。 入念にリリカの服装を観察しても、不自然に盛り上がった部分はなく、拳銃や小刀を隠し持っているとは考えにくい。アリスは話を続ける事にした。 油断はできないが、このままでは話は進まない。他の参加者の介入を受ける前に、成すべき事を成そう。 「貴方はこのゲームに……いや、殺し合いに乗っている?」 「……意味わかんない。これは自主参加イベントよ。乗らない奴がいるの?」 「……質問を変えるわ。貴方もバトルロワイヤルの影響で幻想郷の情勢が不安定なのは知ってるわよね。……それに関しては、どう思うの?」 小首を捻るような仕草で、リリカは考える素振りを見せる。そのまましばしうーんと唸っていたが、やがて首を振った。 不思議そうにアリスを横目で見やり、リリカが答える。 「どうって言われても……まあ危なっかしいのはわかるわ。で、何が言いたいのかしら?」 「……単刀直入に言うわ。私と一緒に、主催者に立ち向かって欲しいの」 「なんで? これはあくまでごっこよ?」 もっともな疑問である。それに対し、アリスは自身の思惑を包み隠さず答えた。プリズムリバー楽団には、人間のファンも多いはずだ。 心情に訴えかけるつもりで、昨今の状況に怯える人間達の不安を語った。 ルールに真っ向から歯向かう形になるので、様子を伺っている主催者に消される可能性もあったが、対主催すらも勝利条件に組み込まれているとアリスは考えている。 それなら、手を下す事はないはずだ。アリスの話にはリリカも少し考えさせられたらしく、しばらくの間両者には沈黙が流れた。 「……なるほど、わかったわ。貴方に協力する」 「助かるわ。それじゃ――……」 沈黙を破って、リリカが言った。アリスはほっと安堵して、銃口を降ろそうとした。しかし同時に、視線を落とすと気になるものを見つけた。 それは、リリカの足首に巻いてあるロープだった。今まで丈の低い雑草に隠れて見えなかったが、一体何故――? 直感が囁く、反射的にアリスは右に飛び退いた。その直後、背後から白皙の頬を何かが掠めて飛び去っていく。 冷たい痛みが走り、金髪の一房が切断され空気抵抗を受けながら舞い落ちる。 「ありゃ、完全に決まったと思ったんだけど……上手くいかないものねー」 回避の隙に距離を取って、残念そうに告げたリリカの胸の前には、アリスの血を刃先に付けた両刃のナイフが浮遊していた。 ……アリスは己の迂闊さを悔いた。騒霊、つまりポルターガイストにとって、手足を使わずに物を動かす事など造作もないはずだ。 恐らく足に巻いていたロープは、簡易的なナイフホルダーだったのだろう。目立ちにくい足元にナイフを隠し、今のようにそっと動かして奇襲する戦法か。 有無を言わさず仕掛ける相手には通じないが、オープニングセレモニーに集まった参加者の顔ぶれを見るに、そんな性格の者ばかりではない。 狡猾なやり口である。特に自分のような存在は格好の獲物だったに違いない。 「貴方もこの状況は危ういと感じているのでしょう、それなのに何故!?」 「私はこのゲームに優勝して、ソロデビューで注目を浴びるきっかけにするのよ」 銃口を向けて問うたアリスに、リリカが言い返す。リリカ・プリズムリバーは、かねてより自身のソロ活動を目標としていた。 姉二人と違って、今まで彼女はソロで演奏会を開く事がなかった。しかし、ソロ活動への意欲がないわけではなく、数年前に起きた花が咲き乱れる異変の際には姉達とはぐれ一人音ネタ集めをしたりもした。 どうせなら鮮烈なデビューを飾りたい。それなら噂のバトルロワイヤルごっこで優勝して、衆目を集めてはどうだろう。それがリリカの思惑だった。 「幻想郷がどうなってもいいの!?」 「本当にいよいよ大変となれば、賢者ってのがどうにかしてくれるでしょ」 言い返せなかった。それは正論だった。確かにいよいよとなれば、幻想郷の賢者達が情勢不安を平定する為に、強引にでも解決を図ってくれるはずである。 ……しかし、状況は既に危険な領域に突入しているとアリスは見る。賢者達が抜本的な解決に乗り出す前に、いつ悲劇が生まれるかわからない。 面倒とは思いながらも、それを看過しておけないからアリスはここにいるのだ。みんなの為に。 「貴方とは戦うしかないみたいね」 「そうそう、そういうゲームだからね、これ」 やむなくコルト・ガバメントの引き金を絞る。乾いた銃声が轟き、.45ACP弾が銃口から飛び出した。 ……しかし、弾丸はリリカではなく、その近くの青竹を穿った。拳銃は素人が撃ってもそうそう当たるものではないのだ。 さらに、大型拳銃のリコイルを女の細腕でコントロールするのは難しく、よろめいて隙を作ってしまう。 その隙を逃さず、リリカはナイフを操り、アリスの首の頚動脈目掛けて飛来させた。 猛然と迫るナイフを、アリスはよろめいた勢いを利用し体を逸らしていなした。弾丸に比べると、ナイフの速度は遅い。だからこそ最初に奇襲を選んだのか。 弾幕ごっこで培われた経験を生かせば回避も難しくないが、場所が場所なだけに動きを著しく制限されている。 「これならどうかしら!?」 息つく暇も与えず、リリカは音符型の弾幕を放った。数は多いものの、展開速度は遅く決して避けきれない程ではない。 ――しかし、これは布石だ。本命は背後から迫るナイフ。それはアリスも理解していた。弾幕に被弾しながらも、半ば倒れこむような姿勢で、アリスはナイフから逃げた。 僅差で両刃のナイフが頭上を通り抜ける。こんな攻撃を何時までも避けきれるはずがない。対策を講じなければ、敗北は時間の問題である。 「どうすれば……」 同じように弾幕を放ち、拳銃で一撃必殺を狙うか。しかし、それではナイフが余計に見えにくくなる。 ただでさえ視界と動きを制限される竹林という立地に、弾幕に紛れて送り込まれるナイフの一刺し。拳銃があっても形勢は不利である。 体勢を立て直す為に逃げるのも不可能だ。ろくに身動きも取れないのに、逃げ切れるはずがない。無防備な背中にナイフが突き立つ光景が容易に想像できた。 「……なんだか、疲れてきちゃったわね。でも、そろそろ終わりよー」 口調は楽天的だったリリカだが、表情に明らかな疲労の色を見せていた。僅かに、弾幕の展開とナイフによる攻撃に隙が生じた。 ――今しかない。アリスは青竹を押し退けて、リリカを待ち伏せていた窪地に滑り込んだ。そして、拳銃を手にしたままディパックを掴む。 その時、窪地の上からリリカがアリスを見下ろし、とどめの一撃を与えるべく弾幕を放った。当然、その中にはナイフが紛れ、頚部に向かって――。 「……狙い通りね」 冷や汗を流しながら、口の端を吊り上げてアリスが笑んだ。両刃のナイフはアリスの頚動脈をかき切る事なく、ディパックに突き立っていた。 連続して頚部を狙ったのは恐らく、手足を使わずにナイフを動かす力が非力で、人体の弱点を突く必要があったからだ。 敵の狙いが一点に絞られているなら、あのナイフの速度なら、反応して防御する事も不可能ではない。事実、こうしてナイフは止められた。すぐさまディパックごとナイフを地面に押さえ込んで無力化し、拳銃を構える。 そして素早く狙いを定めて引き金を引いた。銃声が響き、狼狽するリリカの脹脛を拳銃の弾丸が撃ち抜いた。狙いはもっと上だったが、弾道が逸れたのだろう。 しかし、勝負は決した。 アリスが窪地を登ると、そこには脹脛に銃創を負って動けずに倒れたリリカがいた。脚力を失ったとはいえ、まだ弾幕による抵抗は可能なはずだが、何もして来ない。 ……既に、己の敗北を悟ったのだろう。苦悶の表情に混じって、諦めの色が伺える。アリスは、コルト・ガバメントの銃口を下げた。 「あはは、参ったなぁ……勝てると思ったんだけど……」 「……ごめんなさい。面倒だけど他人任せにはできなくてね」 両者の間に沈黙が流れる。聞こえるのは、笹が風で揺れる音と、リリカの乱れた息遣いの音だけ。 果てなく続くかのように思えた無言の静寂は、アリスによって破られた。穏やかな目つきで、リリカに語りかける。 「貴方、ソロライブがやりたかったのよね。……もしライブを開催したら、私が聞きに行くわ」 「……本当に?」 「本当よ」 その言葉を聞いたリリカも、銃創による苦悶を滲ませながらも穏やかな笑顔を浮かべた。 「……絶対よ。約束だからねー」 「ええ、約束するわ」 約束を交わし、アリスは両手でしっかりとコルト・ガバメントを構えた。出血多量による緩慢な死は、より多くの苦痛を与えるだけだ。 せめて、自分の手で苦しませずに終わらせるべきだろう。銃口がリリカの心臓に狙いを定めた。リリカは瞼を閉じて、その瞬間に備える。 既に覚悟は決めている。アリスは躊躇から震える指を制して、引き金を絞った。――迷いの竹林に、大きな銃声が響き渡った。 アリスはディパックに刺さった両刃のナイフを抜き出すと、穴の開いたノートの一部を破り取り、慎重に刃先の血や土を拭って捨てた。 盾に使ったディパックを見ると、中央に大きな刺し傷があった。先ほどは中にノートなどの道具類があったからナイフの刃を止められたのだろう。 下手をすれば、そのまま貫通して頚部に突き刺さっていた恐れもあった。ぞっとする話である。 次いでアリスは自分のディパックからロープ、懐中電灯、そして二つの赤いオーブを取り出すと、元はリリカの物だったディパックに入れた。 まるで追いはぎみたいで気が引けるが、目的の為にも有効活用できる物は使うべきだろう。 自分を苦しめた両刃のナイフもディパックに仕舞い、そうして一通り荷物の整理が完了すると、地図と方位磁石を手に現在地を推測し最初の行き先を決める事にした。 「……やっぱり、まずは永遠亭に向かうべきかしら」 地図を眺めながら一人ごちる。 永遠亭。それは迷いの竹林にある古風な屋敷である。アリスはかつて霧雨魔理沙と『満月が上らなかった』異変の時に永遠亭に赴いた事があった。 永遠亭には医療施設としての側面もあるので、そこで怪我の手当てをしたり、治療器具を入手できるかもしれない。しかし、自分の家がある魔法の森も捨てがたい。人形があれば確実に戦闘力は上がる。 悩んだ結果、アリスは永遠亭行きを選択した。彼女は万能型の魔法使いなので、自分の家にある人形を手にしなくても戦えると踏んだのだ。 ――出立の前に、アリスは仮初の命を失って横たわるリリカを見た。胸の前で手を組み、その表情は安らかに眠っているようだった。 ゲームとはいえ、遺体を弔う事なく先を急ぐのは憚られたが、悠長な事をしている余裕はない。アリスは背を向け、永遠亭を目指して歩き出した。 その途中……一度だけ足を止め、振り向いてリリカの亡骸を一瞥したが、またすぐに向き直って歩みを再開した。 【C-6・迷いの竹林・朝】 【アリス・マーガトロイド】 [状態]:数発分の弾幕の被弾によるダメージ、頬に切り傷、疲労(小) 残り体力(80/100) [装備]:コルト・ガバメント(4/7)、両刃ナイフ [道具]:オーブ×4、コルト・ガバメントの予備マガジン(7/7)×2 支給品一式 [思考・状況] 基本方針:仲間を集めて、仮想空間にいる主催者を倒す 1:まずは永遠亭に向かう 2:積極的に殺したくはないが、敵なら倒す覚悟は決めている 3:……仮想空間とはいえ、殺しは嫌なものね &color(red){【リリカ・プリズムリバー リタイア】} &color(red){【残り 33人】} ※リリカの遺体と刺し傷のあるディパック(入ってるのはロープ、懐中電灯を除く共通支給品のみ)がC-6に安置されています。 【武器・道具解説】 「コルト・ガバメント」 .45口径の大型自動拳銃。設計は古いが堅実な作りで、大口径の.45ACP弾を発射する。 この.45ACP弾は人体に対する効果(ストッピングパワー)が高く、威力がある反面リコイル(反動)も大きい。 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