掠れる音を立てて襖が開き、和風の屋敷の雰囲気に似つかわしくない、金髪の少女がこっそりと顔を出した。
きょろきょろと部屋の隅々まで目を配り、忍び足で部屋に入ると、襖に手をかけて、隙間から覗き見る。
先程からずっとその繰り返しだった。
永遠亭に到着したアリス・マーガトロイドは、広大な屋敷の内部を、一人で散策していた。
その足運びは慎重そのもので、細い手には常にコルト・ガバメントが握られている。
もちろん、それは何時どこから襲い掛かってくるかもしれない他の参加者に備えてのことである。

「……しかし、広いわね」

元々永遠亭は広々とした屋敷である。ミニ幻想郷でもそれは変わらず、巨大な屋敷を誇示していた。
しかし妖怪兎達もおらず、静まり返った今の無人の永遠亭は、その広さもあわさって不気味で、まるでお化け屋敷のようである。
アリスは慎重に、幾つもの襖を開き、板張りの廊下を歩いていると、今までと雰囲気の違う場所に出た。

「ここはあの薬師の部屋ね」

と、アリスが言って、部屋の中をぐるりと見回した。
大きな薬味箪笥が壁に置かれ、机の上には薬研やすり鉢といった道具類が無造作に並べられている。
永遠亭の薬師、八意永琳の部屋だということは一目見てわかった。
そしてアリスの視線は、一際異彩を放つ、部屋の中心の満月を象った巨大な置物に向けられた。
ただのオブジェではなく、大きなレバーに投入口がある。なるほどこれがガチャガチャね、とアリスは思った。

「でも、手持ちのオーブは四個。中吉アイテムは手に入らないわね」

中吉に拘らずとも、オーブを一個だけ残して小吉アイテムを一挙に三個入手する方法もある。
リリカとの戦いで味わったが、コルト・ガバメントは反動が大きく、負担の強い拳銃だった。扱いやすい武器を手に入れたいという思いはある。
悩みながら、アリスがディパックを開き、四個のオーブとしばしの間見つめあう。
その時、微かに板張りの廊下を踏み鳴らす、靴音が聞こえた。
耳ざとく音を拾ったアリスはディパックを閉じ、コルト・ガバメントを握ってスライドを後退させると、壁に耳を寄せて様子を伺うことにした。

「誰かいるのかしら? ……数は二人、か」

よくよく聞いてみると、二種類の靴音が重なっており、二人の参加者の存在を示していた。
他の参加者に遭遇したのなら、まずは交渉して、そして仲間を得たいところだったが、二対一の状況では決裂した時に不利となる。
ここは息を潜めてやり過ごすのが懸命か、と思った時、不意に靴音がアリスの部屋の近くでぴたりと止んだ。
アリスの顔に焦燥が浮かぶ。
再び靴音が聞こえた時、その足取りは真っ直ぐにアリスに向かってきた。心臓が早鐘のように動悸する。

「来る……!?」

襖から離れ、月型のガチャガチャを盾にしながら部屋の入り口に向けてコルト・ガバメントの銃口を構える。
人の気配が襖の向こうで濃くなった。
もしも敵意のある者に存在を悟られてしまったのなら、迎え撃つしかない。アリスの細い指が引き金にかかる。
目線の高さまでコルト・ガバメントを持ち上げ、襖ごしに警告する。

「そこで止まりなさい。聞き入れない場合は撃つわよ」

制止の声に気配が止まったかと思うと、互いに無言のまま、数秒の沈黙が訪れた。
しかし緊張がもたらす錯覚は、沈黙の間を何倍にも感じさせる。
すると静寂を破って、襖ごしにゆっくりと宥めるような女性の声が聞こえてきた。

「大丈夫ですよ。私達に敵意はありません」

落ち着きある声で、襖の向こう側の女性は言った。まるで教師が生徒を諭す様な声音だった。
その柔らかな言葉に僅かに毒気を抜かれたような気がしたが、アリスは油断なく、銃口の狙いを外さずに構えていた。
襖ごしにいる女性は、どうやって自分の感情を読んだのか。深まる警戒心を見抜いたように女性が続ける。

「といっても、そう簡単には信用できないでしょうね。でも、今この場は信じて頂くしかありません。私は豊聡耳神子と言います。そして、こちらは――」

女性が促すように言うが、後が続かない。耳を澄ませば襖ごしにかすかに小声で話す声が聞こえる。
私を差し置いて勝手に話を進めるな、とか、向こうにいるのは誰なんだ、とか、そんな不機嫌そうな幼い声が漏れている。
その不満を垂れる幼い声に、女性が宥めるように言って、ようやく二人目の自己紹介が行われた。

「レミリア・スカーレット。吸血鬼よ。これ以上の言葉は不要でしょう」

吸血鬼らしい、傲慢さが現れた台詞だった。
アリスとレミリアは既知の間柄である。アリスは普段のレミリアの有り様を思う浮かべ、ますます警戒を深めた。
そんなアリスの心情を知ってか、襖ごしに、ますます警戒してますよ、とか、うるさい、とか、また揉める声が聞こえた。

「とにかく、自己紹介したんだからそちらも名乗りなさい」
「……アリス・マーガトロイドよ」
「なんだ、お前か。ふむ、互いに知らない間柄でもないしな。短刀直入に言おう。私達と共に来い。お前もあの神に刃向かう腹積もりなんだろう?」

およそ人を迎える態度とは思えない、尊大な調子である。
多少むっとさせられたが、レミリアの態度はいつものことだと、アリスは大して気にした風でもなく流した。
それよりも、アリスは自分の考えが読まれていることに疑念を持ち、そのことを問う。

「どうしてそれを?」
「全ては私の運命通り……。と、言うのは冗談で、神子は悟りのような読心能力を持ってるのよ」
「否定はしません」

何か引っかかる物言いだったが、襖ごしに完璧に考えを読み当てられている以上、読心能力の類を持っているのはまず間違いない。
そんな能力を持つ古代の聖人が最近幻想郷の一員となったのを噂に聞いた覚えもある。
少し考え、アリスは申し出を受け入れることにした。恐らく、このゲームの参加者の大半はマーダーである。打倒主催を目指す人材は得がたい存在だった。

「でも、決して貴方の配下になる訳じゃないわ。あくまで対等な立場、同志として扱ってもらいたいわね」

承諾の旨を告げた後、アリスが鋭く言い足した。襖ごしに、わかったわかった、とレミリアが返事をした。
それから襖が静かに開かれ、アリスは神子とレミリアに対面する。
神子が獲物の刀を鞘に収めており、レミリアも拳銃の銃口を地面に向けているのを確認すると、アリスはコルト・ガバメントを目線の高さから下ろした。

「同じ志を持つ仲間として、これからよろしくお願いします」

まず初めに、神子が微笑を浮かべ、慇懃に慎ましく一礼した。
しかしそれはどこか人を食った感じがあり、笑顔の仮面の下に底知れぬ思惑を抱いてそうな不気味さを漂わせていた。
それからレミリアがよろしく、と短く告げると、無遠慮に歩み寄って、支給品とオーブの確認をさせろ、と述べた。
先にそちらが見せるのが道理だとアリスが言うと、まず神子が微笑を崩さずこちらですと言って刀を差し出し、振り返ったレミリアも無言でそれに倣って拳銃を示した。
それを見届けたアリスはコルト・ガバメントとナイフを紹介して、次いでディパックの中のオーブも二人に見せた。

「へぇ、早速誰か殺してきたの?」
「そうよ」
「相手は?」
「リリカ・プリズムリバー」
「あの騒霊か」

アリスが竹林での戦いを説明すると、レミリアは感心したように言った。
支給品を互いに確認しているうちに判明したことだが、レミリアの持つ拳銃――M39は、コルト・ガバメントよりも反動の小さい弾薬を使うようだ。
人間とあまり身体能力の変わらない魔法使いのアリスにはコルト・ガバメントの反動は強く、そしてレミリアには制限があるとはいえ吸血鬼の力が備わっている。
二人は拳銃を交換することにした。
それから全員がディパックを広げて八個全てのオーブを確認しあった後、神子がゆっくりと口を開いた。

「これで、この場にあるオーブは合計八個となりますね。つまり……」

もったいぶるように言って、神子が部屋の中央にある月型のガチャガチャに視線を送った。

「中吉アイテムを得る為に五個のオーブを消費しても、一人一個はオーブを持てる訳です」
「言われるまでもない。そんなことはわかってるわ」
「……でも、そうしたら六時間以内に二人ないし三人は倒さなくてはいけない。仲間を増やすなら、それ以上のオーブが必要になるかもしれないわ」
「だったらゲームに乗ってる奴や、仲間にしても役立ちそうにない奴を殺して獲得すればいい。明快でしょう?」

レミリアは、吸血鬼の証左たる発達した牙を見せて、さも当然というように微笑んだ。
アリスもゲームに乗っている者を倒すのは当然と考えているし、必要とあれば戦闘力に欠ける者や負傷者を切り捨てる覚悟もある。
それで切り捨てられるのが例え、自分になったとしても。

「でも、仲間は多ければ多いほどいいと思うわ」
「私も、来る者は拒まず、という気持ちでいるけど、人数が多くなればそれだけ獅子身中の虫を飼う危険性が高くなる。
 特に力のない者ほど集団を利用しようとするでしょう。……まあ、こいつがいるから、そんな不埒な奴は真っ先に死ぬけどね」
「恐れ入ります」

確かに読心能力か、その類の能力を持つ神子なら、仲間内に何か良からぬことを企む者がいても洗い出せる。
だが果たして、神子を信用しきっていいものかと、アリスの頭には不安が擡げた。
神子の瞳を覗き込む。相変わらず神子は穏やかな微笑を浮かべ続け、アリスを不思議そうに見返した。

「さて、それじゃ中吉ガチャアイテムを手に入れるけど、異論はないわね?」

わざとらしい咳払いを一つして、レミリアが等分に神子とアリスに目を配った。二人とも頷いた。
主導権を握ろうと仕切りたがるレミリアは、率先してオーブを五個選び出すと、ガチャガチャに歩み寄り、投入口に入れようとした。
……だが、小さな体躯のレミリアは、僅差で手が届かない。
私がやりましょうか、と言った神子を、レミリアは少し顔を赤くし、うるさいと言って撥ね付けると、机の傍にあったスツール(背もたれのない椅子)を持ってきて、今度こそオーブを投入した。
どこか和むやりとりに、アリスは募る緊張感が和らぐ気がして、声を出さずに小さく笑った。

「気を取り直して……。さあ、現れなさい、私に相応しき恐るべき殺戮兵器よ!」

スツールをどかし、ガチャガチャのレバーを力強く回転させると、レミリアが声高に叫んだ。
あまりに大きく勢いのある声だったので、アリスは冷や冷やしながら、振り返って部屋の入り口を見たが、誰かが来る気配はない。
ごろんごろんと音を立てて起動するガチャガチャに向き直り、ことの推移を見守った。

「ほう、剣か。もちろん、ただの剣じゃないわよね」

転がり落ちてきたカプセルを開封すると、その中には一振りの剣が収まっていた。
まるで紅魔館を彷彿とさせる、悪趣味な真紅の刀身が特徴的である。どれだけ多くの血を吸っても目立たないだろう。
レミリアは剣を片手に、カプセルに同封されていた説明書を読んでいたが、おもむろに邪悪なひびきのある高笑いをあげた。
運命を操る力のお陰かどうかは定かでないが、彼女の願いは通じたらしい。

「ふふっ、これはただの偶然とは思えないわね。まるで運命に導かれたみたい。貴方達は聞いたことがあるからしら? レーヴァテインと呼ばれる、禁忌の剣を」

振り返ってレミリアが前置きする。いえ、と言って神子は首を振ったが、アリスは肯定して応えた。
レーヴァテイン、それは神話の巨人が持つという炎の剣である。あるいは杖と言われることもある。
その話を持ち出してきたということは、真紅の剣はレーヴァテインという名前なのだろう。

「私の妹、フランのスペルカードにも同様の名前を冠するものがあってね。どうやら、これはそれを基にして作り上げた剣らしいわ。早速だけど、威力を試しに表へ出ましょう」

レミリアは上機嫌で剣を掴んで部屋の入り口まで行き、襖を開くと、突然神子が、待ってください、と言って引き止めた。
むすっとした表情を浮かべてレミリアが振り返り、興を削がれたとでも言いたげに神子をねめつける。
鋭く射込むような視線に物怖じすることなく、神子は告げた。

「その前に、日を遮る物を捜しませんか?」
「あ……」

喜びのあまり、すっかり失念していたらしい。レミリアが間の抜けた声を出した。




巨大な炎が迸り、一瞬の間を置いて青竹の群れが悉く斬り倒された。
倒れた竹の断面は黒く炭化している。レーヴァテインはその名に恥じない威力を持っていた。
満足げにレミリアがふっと笑みを浮かべる。
しかしその直後、レミリアはその直後にふらりと足を崩し、地面に剣を突きたてて何とか倒れないように堪えた。

「……なるほど、威力は申し分ないけど、相応に体力を消耗するらしいわね」

アリスが気遣わしげに、大丈夫、と聞くと、レミリアは平気だというように目で返した。
しかし幼い白皙の顔には、やはり疲労の色が浮かんでいる。レーヴァテインはその破壊力相応に使用者の体力を奪い取る代物らしい。
鞘に剣を収めると、レミリアはアリスと神子の元へと戻った。

「この程度なら問題ないわ。そろそろ行きましょう」
「……それもそうね、時間が惜しい状況だもの」
「わかりました。もう一度確認しますが、目的地は人里ですね?」

疲労感を矜持で繕ったレミリアが言うと、アリスが瞼を閉じて頷き、神子が確認の意味を含めてそう返した。
永琳の部屋で武器を手に入れたあと、レミリアと神子は日を遮る物を探し、アリスは部屋の物を作って何か作れないかと試していた。
魔法使いというものは、普段から研究で砒素や水銀といった様々な材料を取り扱うので、薬や毒の調合はお手の物なのである。
レミリアたちは予備も含めて二本の和傘を調達し、アリスは治療道具を纏め、それから薬味箪笥の材料でマジックポーションを作り出した。
そして合流したあと、目的地を話し合って、出立の前にレーヴァテインの破壊力を試したのである。既に準備は整っていた。

「ええ、そこで打倒主催を目指す仲間を集めるわ。でも、戦闘になる可能性も高いでしょうね。ふふ、腕が鳴るわ」

レミリアはレーヴァテインを高く掲げ、笑った。そして調達した傘を取り出して開くと、先頭に立って歩き出した。
アリスが緊張した面持ちを浮かべ、神子も締まった表情になり、そのあとについていく。
彼女らの姿は、やがて深い竹林の中に消えていった。



「てんこちゃーん、誰もいなかったよー!」
「そ、そう、お疲れ様」

肩を小さく上下させ、僅かに呼吸が荒くなった大妖精が地上に降りると、同道する比那名居天子にそう告げた。
本来の名前とは違う、てんこちゃんという響きに、天子は小さく苦笑するが、咎めはしない。
最初は間の抜けた呼び名にがっくりときたものだが、何度も言われるちにだいぶ慣れてきてしまった。

「人間の里までは、あとどれくらいかしら?」
「うーん、さっきよりははっきりと見えるようになったと思いますけど」
「この調子で行くと、人里まではいま少しかかりそうね……」

向日葵畑にあった家を出て、大妖精の能力制限を確かめたあと、彼女らは人里に向けて出発した。
しかしその進行速度は遅々としたものだった。
それというのも、彼女らは目測で一定の距離を歩くと、交代制で一人が空高く飛び、辺りの様子を伺っていたからである。
足を止めることになる上に、飛行には体力の消耗が伴うから、定期的に小休止を取らなければいけない。

「やっぱり、お友達のことが心配かしら?」
「ええ……でも、これが一番だと思いますし……」

大妖精はこくりと小さく頷いた。
大妖精は他人に痛みを与えることを恐れ、ゲームのルール的に不利な思惑を持って行動している。
なるべく相手を傷つけず、オーブだけを奪って、友達と一緒に優勝したい。天子は不利を承知で、そんな大妖精の考えに理解を示した。
そして少しでも不利な立場を解消するために、飛行による情報収集を考案した。
オーブを奪うにしろ、大妖精の友人らと合流するにしろ、まずは他の参加者を見つけ出す必要がある。
そして現在地は緩やかな勾配があるが、基本的に起伏に乏しい平原地帯である。飛行による情報収集は効果的だった。

「いや、少し急ぎましょうか」

ゲーム開始直後は、当然ながら参加者全員が無傷で、戦意に溢れている頃合である。
天子の遅々たる行動には、そんな興奮を無事に過ごす目論見もあったのだが、大妖精の友人のことを思えばもっと急ぐべきだったかもしれない。
しかし道を急いで危険に晒され、大妖精が脱落することにでもなれば本末転倒である。ジレンマだった。
手短に話し合った結果、飛行による情報収集の感覚を開けることになった。天子が飛んで、降りたあと、その先で再び大妖精に順番が回った。

「それじゃあ、行ってくるね」

頷く天子の見送りを受けて、大妖精が飛び立つ。
この辺りは平原といっても緩やかな勾配や段差があり、不意の遭遇になりやすい、大妖精は目を凝らした。
すると斜め後方の川の近くに何かがある。それは傘と二人の人影だった。
驚き、大妖精が高度を下げてじっくり注視すると、不意に傘の角度が変わって、その影にいる小柄な人物を見つけた。

「て、てんこちゃん、川の所に誰かいたよ!」

大妖精は、落下するような勢いで地面に降り立ち、影を見た方向を指を差してそう言った。
慌てた大妖精の報告に、面白くなってきた、と快い緊張感を感じ、天子が問い返す。

「数は何人かしら? 相手の名前とか種族とかわかる?」
「三人だったかな……そ、それと、名前はわかんないけど紅い館の吸血鬼っぽいのまでいたよ!」

大妖精の判断は、かつて日傘を差してメイドを引き連れる吸血鬼らしきを遠めに見た経験に由来するものである。
しかしこの恐れ様はただ事ではない。というのも、大妖精を含む妖精たちは、霧の湖を遊び場にすることもあり、その近くに居を構える紅魔館について、たまに噂するのだ。
例えば、図書館の悪魔は四次元殺法使う、などその大半は信憑性に乏しいものばかりだったが、妖精にリテラシーの概念などあるはずもなく、吸血鬼の情報も誇張されていた。
尋常ではない大妖精の慌てぶりはそれが原因だった。

「吸血鬼ねぇ」

小首を傾げるような仕草で、天子が小さく唸って、件の吸血鬼について考える。
紅い館の吸血鬼と聞いて真っ先に思い浮かぶのはスカーレットの姓を持つ二人の姉妹である。
妹のほうはよく知らないが、風の噂では危険人物と聞く。姉のほうは弾幕ごっこで戦ったこともあるので、その性格と戦闘力は身に染みてわかっている。
プライドが高く、好戦的な性情からして、仲間に引き入れるのは困難だろう。
大妖精の言う吸血鬼がどちらだったとしても、無難に事を運ぶならば三十六計逃げるに如かず。それが常識的な判断だ。しかし――。

(面白そうじゃない……!)

天子の目的は、ゲームを楽しむことである。
一応優勝も視野に入れているが、勝ちにだけ拘るつもりはない。敵がいれば立ち向かうつもりでいる。
強敵の存在に、こうして高揚感と闘志が湧き上がってくる自分は、やはり不良天人なのかもしれない、と薄く笑いながら大妖精に向き直った。

「私はそいつらに仕掛けるわ。貴方は遠くから見ていて」
「し、仕掛けるって……戦うんですか!? 無理ですよ!」

及び腰の大妖精。彼女の中では実態のわからない吸血鬼への恐れと不安が募るばかり。
悪鬼の如き凶相で、牙を向く吸血鬼が天子を頭からばりばりと食べてしまう、そんな妄想さえしてしまう。
しかし天子は柔らかい笑顔を浮かべ、落ち着かせるように言った。

「貴方の吸血鬼という推測が正しければ、恐らく相手は川を渡れるようにしてる途中でしょうね。
 となると、こっちの方向に来る可能性が高いわ。それなら機先を制して戦うべきよ。それにこんな面白そうな相手……私は見逃せないわ」

もしも真っ直ぐ川を越えてくるなら、何れ背後を突かれる可能性がある。
だからといって見つからないように迂回すれば、さらに人里への到着は遅れる。友人を慮る大妖精の為にも、これ以上の遅延は避けたかった。
そう思って、天子は仕掛けると言い出したのだ。心配そうな大妖精の肩に、優しく手を乗せる。

「大丈夫よ。私はやられないわ。でも、万が一の時に備えて、これは持っててちょうだい」

もちろん天子は無事に帰るつもりだったが、万が一ということもある。
彼女はそう言ってディパックのオーブを取り出すと、なおも物憂げな表情の大妖精に渡した。




和傘を差したレミリアを先頭に、アリスと神子が並んでその後を追っている。
途中に流れる川があり、レミリアが通れるように埋め立てたあと、彼女らは平原地帯に出た。
互いに視界の死角をカバーし、思い思いに武器を構え歩くが、行程は穏やかだった。
辺りには他の参加者の姿も見えず、やや緩んだ気持ちが、全員の中に広まりつつある。だが敵はすぐ近くに忍び寄っていたのである。

「それ以上進むと危ないわよ?」

突然、横手にある勾配の向こう側から声がした。声の主を怪訝に思い、全員が警戒して動きを止める。
それこそ敵の狙いとも知らずに……。
初めに敵の目論見を見抜いたのは神子だった。彼女は咄嗟に近くにいたアリスの手を引っ張った。遅れて忠告が飛ぶ。

「逃げて!」
「え、どうし……うわっ!」

地面が揺れた。そして次の瞬間には、先程まで自分たちがいた場所が、崩れて陥没しているのをアリスは見た。
先頭を歩いていたはずのレミリアの姿もない。地崩れに巻き込まれてしまったらしい。
と、横手の緩やかに盛り上がった丘陵部分から、誰かがやってきた。舞い上がった土煙が落ち着き、姿がはっきりと見えた。
美しい青の豊かな髪。宝石のように綺麗な赤い瞳。
神子は面識がなかったが、アリスは彼女を知っていた。天人、比那名居天子である。

「まあ、立ち止まっても危ないんだけどね。お見事、どうやって避けたか知らないけど、いい反応だったわ」

わざと挑発めいた口調で天子はそう言い放った。手には矢をつがえたボウガンが握られている。
先程の地面の陥没は、能力的に彼女の仕業と見てまず間違いない。アリスはM39の銃口を向けて迎撃体勢を取るが、しかし神子は刀を抜かない。

「すみません、先程の衝撃で、足を挫いてしまったようです」

不思議そうにアリスの瞳が神子を見やると、それに気づいたのか苦々しげな表情で申告してきた。
先程アリスを助けた時に足を挫いたらしい。神子は足を庇っている。それではボウガンの的になるから下がりなさい、とアリスは告げた。
再び神子が申し訳なさそうにすみません、と言うと、忠告に従って後退を始める。

「……おや、貴方の連れは、どこか怪我でもしたの?」
「足を挫いたらしいわ」
「そう、これで一対一になったわね。あの吸血鬼が這い上がってくる前に、片付けないと」

天子がボウガンを構え、殆ど同時にアリスがM39を構える。
ほんの一瞬だけ、対峙して睨みあったあと、先に仕掛けたのはアリスだった。
M39の引き金を引き、9mmパラベラム弾を撃ち出す。

「甘いわ!」

それを待っていたように、にやり、と笑みを浮かべて天子が叫ぶ。その直後、地面が隆起し、弾丸は盛り土の中に吸い込まれた。
彼女は大地を操る程度の能力を持つ。こうして土塁を構築することなど、お手の物なのだ。
天子は身を屈めると、土塁の影に消えた。そして小走りに動いて位置を変え、土塁の端っこからボウガンの矢を放った。
寸でのところで、アリスが回避する。

「……なるほど、自分に有利な地形を作り出して、アドバンテージを背負う戦い方ね」
「古典的だけど有効なやり方でしょ? で、不利を悟ってるなら、大人しくオーブを差し出してくれないかしら。私もあまり他の参加者は傷つけたくなくてね」
「先に仕掛けてきたのはそっちなのに、厚かましい奴ね」

能力で土塁を作り上げて防御し、その影に隠れながら発射音の小さなボウガンで狙い撃つ。
単純ながら効果的な戦法である。しかもアリス側には、殆ど遮蔽物がない。
思いつく対処法は主に二つ。土塁を迂回するか、さっさと逃げてしまうことである。
しかし逃げても矛先が別の仲間に向くだけだし、この場では迂回するのが一番にアリスには思えた。ボウガンの装填を待ち、弾かれたように走り出す。

「回りこむ気ね。でも、そうはさせないわよ!」

それを土塁の端から見ていた天子が地面に気を放った。すると、大地が脈動し、尖った岩が隆起してアリスの道を塞ぐ。
やむを得ず立ち止まったアリスに、装填完了したボウガンから再び矢が放たれた。
矢はロングスカートを掠め、さらに注連縄の付いた要石まで飛んできた。要石は腕に当たり、アリスはM39を落としてしまう。

「本当なら貴方は仲間にしても良かったんだけど、あの吸血鬼といたのが運の尽きだったわね」

要石の衝撃に倒れ、地面に崩れるアリスの体を、矢をつがえたボウガンが狙いすます。
回避の余裕はない。アリスは訪れる痛みに耐えるべく、歯を食いしばる。
正確な狙いで、矢が放たれた。しかしそれとほぼ同時に、空気を切り裂いて、何かが飛んできた。

「――神槍『スピア・ザ・グングニル』!!」

紅い魔力の槍が、一直線に飛来し、矢と土塁の一部を吹き飛ばした。
天子は慌てて受身を取ったので軽傷で済んだものの、大きくバランスを崩してしまう。
その間に、アリスはM39を拾い、紅い槍が射出された方向を見やった。

「レミリア!」
「……傘は折れるし、土は噛むし、翼は日に焼かれるし、散々だったわ。
 そこの不良天人にはお礼をしてあげないとねぇ。胸焼けしそうなくらいたっぷりとフルコースで」

骨の折れた傘を差したレミリアが、怒気を孕んだ声で言い、天子のいた場所を睨む。
レミリアが神子は、と問うと、アリスは負傷で離脱したと伝え、少し苦い表情になったが、まあいいと吐き捨てた。
ともあれ、レミリアの戦線復帰により戦局が傾いた。
二手に分かれ、同時に別方向から攻撃すれば、土塁の防御を突破することが出来る。

「……約束、果たせないかもしれないわね。ごめんなさい、大妖精」

土塁の裏手で、天子が呟く。少しでも脅威を減らし、オーブを集め、また自らも楽しむ為に仕掛けた戦いだった。
最初の地面の陥没で敵を纏め、逃げ場を封じてボウガンで脅しをかけオーブを奪う。
相手をなるべく傷つけず、また、恫喝行為を嫌がるであろう大妖精の為に一人で仕掛けたが、無謀な試みだったらしい。

「あの子ともここでお別れかしら……。それならせめて、大妖精が逃げられるようにド派手な逃走劇を演じないとね
 生き残ることができたら、今度こそ一緒にお友達を見つけ出してあげましょう」

大妖精には、いざとなったら川を越えて逃げろ、と伝えてある。短い付き合いだったが彼女との時間は楽しかった。
最初に出会った時を思い出して、ふっ、と笑い、逃げ出す前にせめて一矢報いようと、天子は矢をつがえて立ち上がった。
二手に分かれたアリスとレミリアが、それを合図のように疾走する。
天子はレミリアに、牽制の矢を発射した。レミリアは身を翻して回避し、アリスがM39を向ける。
無防備な天子の背中を、M39の銃口が狙う。
と、その時、アリスの行く手を阻むように突然小柄な人影が歪んで現れ、弾幕を放った。アリスはそれを横手に飛んで回避する。
驚愕する天子が、その小さな背中に戸惑いの声を投げかける。

「な、なんで来たのよ……危なくなったら逃げなさいって、あれほど……」
「何言ってるのてんこちゃん! 友達を置いて逃げられる訳ないでしょ!」

テレポーテーションで現れ、振り返った大妖精が天子に向かって力強く言った。
本当は怖いのだろう。大妖精の瞳には、不安と恐れのいろがありありと浮かんでいる。それでも彼女は来た。

(ああ――……この子は、本当に、友達思いなのね)

知り合って間もないというのに、何時の間にか自分は大妖精の友人の輪に組み込まれてしまったらしい。
妖精らしい無垢な単純さ。
不思議とそれが、天子にはとても眩しいものに思えた。面映く、くすぐったくなるような、しかしそれでいて快い気持ちが胸の奥からこみ上げてくる。

「ふふっ、そうよね、ごめんなさい」

それを聞いた天子は、自然と笑顔を浮かべた。大妖精もそれに笑って応えた。
親の七光り、と他の天人に疎まれ、久しく友人などいなかった。いつしか友人などいらないと思い始めた。
しかし今、大妖精の言葉によって天子は言葉に出来ない熱い情感に満たされていた。

「なんか、私達悪者みたいじゃない?」
「吸血鬼とそのお仲間なんてダークヒーローでいいのよ。悪役上等! ワルモノ見参!」

急に大妖精が現れたので、しばらく静観していたレミリアとアリス。
しかし彼女らそっちのけで楽しそうに会話する天子と大妖精を見て、苛立ちが募りたまらなくなったレミリアは、高々と宣言して吶喊した。
肩を竦め、やれやれ、という風に曖昧に笑んでアリスも飛び出し、土塁を乗り越え、M39を発砲する。

「大妖精、危ない!」
「わ、わわ!」

天子が大妖精を引っ張りながら銃弾を回避し、ボウガンを捨てて開いた手に要石を出現させると、踵を返して背後から迫っていたレミリアの鋭い手刀を受け止めた。
しかし吸血鬼の力は強く、要石に稲光のような皹が走り、割れてしまう。
その隙を逃さず、レミリアが追撃を入れようとするが、大妖精が至近から弾幕を放って阻止した。レミリアが後退して距離を取る。

「茶番は終わりよ!」

力強く言い放ち、レミリアが鞘をはらってレーヴァテインを構える。それを見てアリスも追撃の手を緩め、拳銃を持ったまま土塁の後に下がる。
その禍々しい紅い刀身と、込められた気迫に、天子と大妖精も強烈な一撃を予感した。
レミリアは小さな体を深く沈め、傘を捨て、風のように疾走した。そして目にもとまらぬ早業で、レーヴァテインを一閃した。
業火が迸り、大気が陽炎となって歪む。

「あち、あちちち!」

何とも格好がつかないが、レーヴァテインを薙いだレミリアは、刺すような日差しの痛みにたまらず背を向けた。
傘の所まで戻るレミリアと入れ替わるように、アリスが慎重に天子と大妖精の様子を伺いに行く。
業火の残滓が燻る中、天子と大妖精がいた場所に目を凝らすと、そこには穴があった。
すぐさまアリスが、レミリア、と鋭い声を飛ばしたが遅かった。言い終わる前に天子と大妖精が穴から飛び出し、アリスを尻目に逃げ出した。
逃がすまいとM39が火を噴くが、弾丸は天子の横を飛びぬけ、何処かに消えた。追いかける気力もなく、ただ呆然と見送る。
「……逃げられたわね」
「逃げ足の速い連中だこと」

骨の折れた傘を差して戻ってきたレミリアが、してやられたという風なアリスの横に並んで、小さくなっていく二つの影を見送った。
レミリアは日光による傷を受けており、アリスが心配して声をかけるが、あれくらい、とシニカルに笑って済ませた。
……しかし白皙の顔には冷や汗が浮かんでおり、どう見てもやせ我慢の類だったが、それを口に出すのは本人の矜持が許さないのだろう。

「戦いは終わったみたいですね」

ひょっこりと、背後から神子も出てきた。その顔には、力になれなかったことに対する申し訳なさが漂う。
しかし表情とは裏腹に、神子の心中には、興味深いものが見れたという喜びの念が渦巻いていた。
天人とは欲を断ち、煩悩から解放された存在と聞く。
だが先程の天人は、そうした情報とはまるで違い、俗的ですらあった。

(百聞は一見に如かず。面白いものが見られたわ)

彼女だけが特別に俗的な天人という訳ではない。過去を読めば一目瞭然である。
当然だと神子は思った。人が住み、暮らし、営みがある以上は人間的な感情と完全に決別することなどできない。
いつの時代、どんな場所でも、人が人である限り変わらないものがある。

「で、戦果はあいつらの残した矢くらいなものかしら」

心境を顔に出すことなく、思いを馳せる神子の横で、レミリアが戦いの痕跡を眺め肩を落として忌々しげに呟く。
敵も取り逃がし、戦いで得たのは、地面に刺さった銀色の矢と、体に重く圧し掛かる疲労くらいなもの。
愚痴も一つも零したくなるだろう。と、そこで神子がレミリアを見て、その背中にディパックがないことに気づいた。

「おや、君のディパックは?」
「ん、それなら最初に出来た落とし穴のところに……」

疲れた表情でレミリアが最初の陥没した地点まで戻り、確かめに行く。
と、急にレミリアが陥没して出来た穴の前で立ち止まり、ただでさえ悪い顔色が青ざめている。
呆然と立ち尽くすレミリアを不審に思い、アリスと神子が歩み寄り、一緒に穴を覗き込む。

「そんな、まさか……!」

引っくり返ったディパックが中身の物を散乱させているが、その中にはあるべきオーブの姿が見当たらない。
斜面を下り、レミリアが散乱した物をさらに散らかし、ディパックの中を隅々まで改めるが、やはりオーブはどこにもなかった。

「あ、あ、あいつら~!!」

天を仰いだレミリアの、悲痛な叫びが青空に木霊した。


【E-5・平原の南・朝】
【比那名居天子】
[状態]:疲労(中)
残り体力( 50/100)
[装備]:ボウガン&矢37本
[道具]:オーブ×1、支給品一式
[思考・状況]
基本方針:紫の思惑通りゲームを楽しむ。一応優勝狙いだが、「異変解決」としての主催者討伐も視野に入っている。その場合、人間の仲間がほしい。
1:逃げるわよ!
2:戦闘を楽しんでいる者には戦闘で、ゲームには乗っているが戦闘を嫌っている者にはオーブだけを奪う方法で、自分達のような者は仲間に引き込むことで参加者と相対する。
3:第二回放送前に大妖精のオーブを二個以上にする。(自分の生き残りよりも優先)


【E-5・平原の南・朝】
【大妖精】
[状態]:疲労(小)
残り体力( 75/100)
[装備]:大江戸爆薬からくり人形一体
[道具]:オーブ×2、支給品一式
[思考・状況]
基本方針:なるべく相手を傷つけない。
1:は、はい!
2:天子の提案に乗ってゲームに参加する。
3:友達に会ったら仲間に引き込む。
4:本当は傷つけるのは嫌だけど、友達の為なら戦いも辞さない


【E-5・平原の南・朝】
【レミリア・スカーレット】
[状態]:疲労(中)、打撲、日光によるダメージ(小)
残り体力( 40/100)
[装備]:コルト・ガバメント(4/7) 、レーヴァテイン
[道具]:オーブ×0、和傘×1、骨の折れた和傘×1、コルト・ガバメントの予備マガジン×2、支給品一式
[思考・状況]
基本方針:紅魔館の奪還
1:追いかけるわよ!
2:アリスはまだマシだけど、やっぱり咲夜と早く合流したい
3:邪魔するものには容赦しないが、協力するものは迎え入れる


【E-5・平原の南・朝】
【豊聡耳神子】
[状態]:疲労(小)
残り体力( 95/100)
[装備]:庭師の長刀(楼観剣の劣化品)
[道具]:オーブ×1、支給品一式
[思考・状況]
基本方針:妖怪の欲を見て回る
1:やれやれ……
2:レミリアとアリスについていく
3:自分からは殺さないが、流石に自衛はする

※足を挫いたと言ったのは戦闘を回避する方便です

【E-5・平原の南・朝】
【アリス・マーガトロイド】
[状態]:弾幕のダメージ(手当済み)、頬の切り傷(手当済み)、腕に打撲
残り体力( 80/100)
[装備]:S&W M39(5/8)、両刃ナイフ
[道具]:オーブ×1、M39の予備マガジン×2、マジックポーション×3、治療道具(応急手当用)、支給品一式
[思考・状況]
基本方針:仲間を集めて、仮想空間にいる主催者を倒す
1:はあ……
2:積極的に殺したくはないが、敵なら倒す覚悟は決めている

【武器・道具解説】
「レーヴァテイン」
固有アイテム。フランドールのスペルカードを基に作られた真紅の剣。
体力を大きく消費することで、一瞬だけ巨大な炎の剣と化す。

「マジックポーション」
魔力回復剤。体力を若干回復する。

※E-5南西の川が人一人渡れる程度に埋め立てられています
※E-5にはボウガンの矢が二本落ちてます(三本目はグングニルで破壊)

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最終更新:2012年03月15日 23:05