H17.10.25 東京地方裁判所 平成16年(行ウ)第524号 ハンセン病補償金不支給決定取消請求事件

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平成17年10月25日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 平成16年(行ウ)第524号 補償金不支給決定取消請求事件 口頭弁論終結日 平成17年8月29日 判        決    当事者の表示    別紙当事者目録記載のとおり 主        文 一 被告が原告らに対して平成16年10月22日付けでした ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する 法律に基づく補償金の不支給決定をいずれも取り消す。 二 訴訟費用は、被告の負担とする。 事実及び理由 第一 請求  主文同旨 第二 事案の概要 一 事案の骨子 本件は、第二次世界大戦の終結前(以下「戦前」ということがある。)の日本統治下における台湾に設置された臺灣總督府癩療養所樂生院(以下「楽生院」という。)に入所していた原告らが、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号)に基づき、被告に補償金の支給を請求したところ、被告が、原告らに対して、平成16年10月22日付けで、原告らが同法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」に入所していた事実を確認することができないとの理由により、それぞれ不支給決定をしたため、原告らが、楽生院は、同条に基づき厚生労働大臣の定めた厚生労働省告示第224号1号所定の「国立癩療養所」に該当するから、同条に定める「国立ハンセン病療養所等」に当たるなどと主張して、上記各不支給決定の取消しを求める事案である。 二 関係法令の定め 1 ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号。同年6月22日施行。以下「ハンセン病補償法」という。) (一) 前文   ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。我が国においては、昭和28年制定の「らい予防法」においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、加えて、昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわらず、なお、依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることなく、隔離政策の変更も行われることなく、ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されたのは平成8年であった。   我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびするとともに、ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見を根絶する決意を新たにするものである。   ここに、ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表するため、この法律を制定する。 (二) 1条   この法律は、ハンセン病療養所入所者等の被った精神的苦痛を慰謝するための補償金(以下「補償金」という。)の支給に関し必要な事項を定めるとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復等について定めるものとする。 (三) 2条 この法律において、「ハンセン病療養所入所者等」とは、らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号。以下「廃止法」という。)によりらい予防法(昭和28年法律第214号)が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所(廃止法第1条の規定による廃止前のらい予防法第11条の規定により国が設置したらい療養所をいう。)その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)に入所していた者であって、この法律の施行日(以下「施行日」という。)において生存しているものをいう。 (四) 3条 国は、ハンセン病療養所入所者等に対し、その者の請求により、補償金を支給する。 (五) 4条  1項 補償金の支給の請求は、施行日から起算して5年以内に行わなければならない。 2項 前項の期間内に補償金の支給の請求をしなかった者には、補償金を支給しない。 (六) 5条  1項 補償金の額は、次の各号に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分に従い、当該各号に掲げる額とする。   1号 昭和35年12月31日までに、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者   1400万円 2号 昭和36年1月1日から昭和39年12月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者                1200万円 3号 昭和40年1月1日から昭和47年12月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者                1000万円 4号 昭和48年1月1日から平成8年3月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者                 800万円 2項 前項の規定にかかわらず、同項第1号から第3号までに掲げる者であって、昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に国立ハンセン病療養所等から退所していたことがあるものに支給する補償金の額は、次の表の上欄に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分及び同表の中欄に掲げる退所期間(昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に国立ハンセン病療養所等から退所していた期間を合計した期間をいう。以下同じ。)に応じ、それぞれ、同表の下欄に掲げる額を同項第1号から第3号までに掲げる額から控除した額とす   る。 ハンセン病療養所入所者等   の区分 退所期間 額 前項第1号に掲げる者  24月以上120月未満 200万円 120月以上216月未満 400万円 216月以上 600万円 前項第2号に掲げる者 24月以上120月未満 200万円  120月以上 400万円 前項第3号に掲げる者 24月以上 200万円 3項 退所期間の計算は、退所した日の属する月の翌月から改めて入所した日の属する月の前月までの月数による。 4項 昭和35年1月1日から昭和39年12月31日までの間の退所期間の月数については、前項の規定により計算した退所期間の月数に2を乗じて得た月数とする。 (七) 12条   この法律に定めるもののほか、補償金の支給の手続その他の必要な事項は、厚生労働省令で定める。 2 厚生労働省告示第224号(以下「本件告示」という。)   ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号)2条の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所は、次のとおりとする。 1号 明治40年法(昭和28年法(らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号)第1条の規定による廃止前のらい予防法(昭和28年法律第214号)をいう。以下同じ。)附則第2項の規定による廃止前の癩予防法(明治40年法律第11号)をいう。以下同じ。)第3条第1項の国立癩療養所及び第4条第1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所 2号 前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる次に 掲げるハンセン病療養所 イ 明治40年法律第11号中改正法律(昭和6年法律第58号)が施行されるまでの間における国立癩療養所長島愛生園 ロ 国に移管されるまでの間における沖縄県立国頭愛楽園及び沖縄県立宮古保養院 ハ 1945年米国海軍軍政府布告第一号及び1945年米国海軍軍政府布告第一のA号の規定により施行を持続することとされた明治40年法第3条1項の国立癩療養所 3号 昭和28年法第11条の規定により国が設置したらい療養所 4号 ハンセン氏病予防法(1961年立法第119号)第14条の規定により琉球政府が設置したハンセン氏病療養所及び琉球政府が指定した政府立病院 5号 次の表に掲げる私立のハンセン病療養所(平成8年3月31日までの間又は当該療養所を廃止するまでの間に名称の変更があった場合には当該変更後の名称のもの及び当該ハンセン病療養所の事業を承継したハンセン病療養所があった場合には当該事業を承継した ものを含む。)   設置時の名称 設置された都道府県   鈴蘭病院   聖バルナバ医院   慰廃園   起廃病院   衆済病院   身延深敬病院   回天病院   復生病院   明石叢生院   深敬病院九州分院   回春病院   持労院 群馬県 群馬県 東京府 東京府 東京府 山梨県 岐阜県 静岡県 兵庫県 福岡県 熊本県 熊本県 3 らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号。同年4月1日施行)1条による廃止前のらい予防法(昭和28年法律第214号。本判決においても「昭和28年法」という。) (一) 11条 国は、らい療養所を設置し、患者に対して、必要な療養を行う。  (二) 附則2項    癩予防法(明治40年法律第11号。…(中略)…)は、廃止する。 4(一) 昭和6年法律第58号による改正前の癩豫防ニ關スル法律(明治40年法律第11号。以下「昭和6年改正前の明治40年法」という。) 3条   1項 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官廳ニ於テ命令ノ定ムル所ニ從ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ但シ適當ト認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ    2項、3項 (省略) (二) らい予防法(昭和28年法律第214号)附則2項による廃止前の癩豫防法(明治40年法律第11号。昭和6年法律第58号による改正により「癩豫防法」という題名が付された。本判決においても「明治40年法」という。)    (1) 3条      1項 行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第4條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ       2項、3項 (省略) (2) 4条     1項 主務大臣ハ2以上ノ道府縣ヲ指定シ其ノ道府縣内ニ於ケル前條ノ患者ヲ收容スル爲必要ナル療養所ノ設置ヲ命スルコトヲ得     2項 前項療養所ノ設置及管理ニ關シ必要ナル事項ハ主務大臣之ヲ定ム    3項ヲ削ル 5(一) 昭和6年勅令第11号による改正前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号) 1条 國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル  (二) 昭和7年勅令第301号による改正前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)  (1) 1条    國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル (2) 9条    國立癩療養所ノ名称ハ内務大臣之ヲ定ム (三) 廃止前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号。(以下、単に「國立癩療養所官制」という。)  (1) 1条    國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル (2) 9条    國立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム (四) 厚生省官制(昭和13年勅令第7号)  (1) 1条    厚生大臣ハ國民保健、社會事業及勞働ニ關スル事務ヲ管理ス  (2) 5条    豫防局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル   1号 傳染病、地方病其ノ他ノ疾病ノ豫防ニ關スル事項    (以下省略) (五) 厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)   1条 左ニ掲グル勅令中「内務大臣」ヲ「厚生大臣」ニ改ム        (省略)       國立癩療養所官制       (以下省略) 6(一) 臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10年法律第3号)  (1) 1条     1項 法律ノ全部又ハ一部ヲ臺灣ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム   2項 前項ノ場合ニ於テ官廳又ハ公署ノ職権、法律上ノ期間其ノ他ノ事項ニ關シ臺灣特殊ノ事情ニ因リ特例ヲ設クル必要アルモノニ付テハ勅令ヲ以テ別段ノ規定ヲ爲スコトヲ得  (2) 2条    臺灣ニ於テ法律ヲ要スル事項ニシテ施行スベキ法律ナキモノ又ハ前條ノ規定ニ依リ難キモノニ關シテハ臺灣ノ特殊ノ事情ニ因リ必要アル場合ニ限リ臺灣總督ノ命令ヲ以テ之ヲ規定スルコトヲ得 (3) 3条     前條ノ命令ハ主務大臣ヲ經テ勅裁ヲ請フヘシ (二) 質屋取締法外16件施行ニ關スル件(大正11年勅令第521号) 1条 左ニ掲グル法律ハ之ヲ臺灣ニ施行ス   (以下省略) (三) 行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号。なお、「行政諸法臺灣施行令」とは、質屋取締法外16件施行ニ關スル件(大正11年勅令第521号)を指す。)  (1) 1條中「明治30年法律第37號」ノ次ニ「癩豫防法」ヲ加フ  (2) 32条    癩豫防法中道府縣トアリ又ハ北海道地方費又ハ府縣トアルハ州又ハ廳地方費トシ市町村長又ハ市町村トアルハ臺灣市制又ハ臺灣街庄制ヲ施行スル地域ニ在リテハ各市尹、街庄長又ハ市街庄トシ其ノ他ノ地域ニ在リテハ臺灣總督ノ定ムル所ニ依ル (3) 33条   癩豫防法第8条中6分ノ1乃至2分ノ1トアルハ3分ノ1乃至3分ノ2トス (4) 附則 本令施行ノ期日ハ臺灣總督之ヲ定ム  (四) 昭和9年臺灣總督府令第65号    昭和9年勅令第164號ハ昭和9年10月1日ヨリ之ヲ施行ス 7 癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日臺灣總督府令第66号) (一) 3条 1項 癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノアルトキハ郡守、支廳長、警察署長又ハ警察分署長ハ患者ノ所在、環境及病状等ヲ具シ知事又ハ廳長ニ報告スベシ 2項 知事又ハ廳長ハ前項ノ報告ヲ受ケタル場合ニ於テ癩豫防上必要アリト認ムルトキハ療養所ニ照會ヲ經タル上送致ノ手續ヲ爲スベシ 3項 (省略)  (二) 4条    前條ノ規定ニ依リ癩患者ヲ入ラシムベキ療養所ハ患者所在地ノ州廳ノ療養所又ハ國立癩療養所トス但シ療養所管理者ノ協議ニ依リ之ヲ變更スルコトヲ得 (三) 5条 1項 (省略) 2項 前項ノ規定ニ依リ收容シタル場合ニ於テハ療養所ノ長ハ國立療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ承認ヲ求ムルコトヲ要ス (四) 6条 1項 癩豫防法第4條ノ規定ニ依ル療養所ハ臺灣總督ノ指定シタル知事又ハ廳長ニ於テ之ヲ建設管理スベシ 2項 當該知事又ハ廳長ハ臺灣總督ノ認可ヲ得テ療養所ノ位置及管理方法ヲ定ムベシ (五) 7条 1項 療養所ノ長ハ入所患者ニ對シ左ノ懲戒又ハ檢束ヲ加フルコトヲ得    1号から4号まで (省略) 2項 (省略) 3項 第1項第4號ノ監禁ニ付テハ情状ニ依リ國立癩療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ認可ヲ得テ其ノ期間ヲ2月迄延長スルコトヲ得 (六) 8条   前條ノ外懲戒又ハ檢束ニ關シ必要ナル細則ハ國立癩療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ認可ヲ得テ療養所ノ長之ヲ定ム (七) 附則   本令ハ昭和9年10月1日ヨリ之ヲ施行ス   (以下省略) 8(一) 臺灣總督府官制(明治30年勅令第362号)    1条     1項 臺灣總督府ニ臺灣總督ヲ置ク     2項 臺灣總督ハ臺灣及澎湖列島ヲ管轄ス  (二) 臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)   (1) 1条    臺灣總督府癩療養所ハ臺灣總督ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル  (2) 9条     癩療養所ノ名称及位置ハ臺灣總督之ヲ定ム (三) 昭和5年臺灣總督府告示第102号  臺灣總督府癩療養所ノ名称及位置左ノ通相定ム      名称   樂生院      位置   臺北州新莊郡新莊街頂坡角 三 前提事実 本件の前提となる事実は、次のとおりである。なお、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実は、その旨付記してあり、その余の事実は、当事者間に争いがないか、当裁判所に顕著な事実である。 1 当事者     原告らは、楽生院に入所していた者である。その入所歴は、別紙一覧表に記載したとおりであって、入所の時期は、最も早い者が昭和12年5月、最も遅い者が昭和20年2月である。(甲1001から1025まで、1026、1027の1から5まで、原告番号11番本人尋問) 2 各不支給決定に至る経緯等 (一) 原告らは、被告に対し、平成16年8月23日、ハンセン病補償法3条に基づき、補償金の支給を請求した。 (二) 被告は、原告らに対し、平成16年10月22日付けで、原告らがハンセン病補償法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」に入所していた事実を確認することができないとして、それぞれ不支給とする決定(以下「本件各不支給決定」という。)をした。  被告は、原告らの代理人に対し、同月23日、本件各不支給決定を通知した。 3 ハンセン病補償法の制定に至る経緯 (一) 平成13年4月にハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会(以下「議員懇談会」という。)が設置され、江田五月議員が会長に就任した。議員懇談会は、ハンセン病の患者等による裁判の側面支援、ハンセン病問題の最終解決、国会の責任の検証を目的に掲げた超党派の議員連盟で、野中広務元自民党幹事長、菅直人元民主党代表を始め、各党の幹事長クラスが名を連ね、100人以上の国会議員が参加して設立された。 (二) 熊本地方裁判所は、平成13年5月11日、昭和28年法の定めるらい療養所に入所していたハンセン病患者らが、当時の厚生大臣が策定・遂行したハンセン病患者の隔離政策の違法や、国会議員が昭和28年法を制定した立法行為又は昭和28年法を平成8年まで改廃しなかった立法の不作為の違法等を主張して、国家賠償法に基づき、国に対して損害賠償を求めた事案に関し、概要次のとおりの判決を言い渡した(同裁判所平成10年(ワ)第764号ほか同13年5月11日判決・判例時報1748号30頁参照。以下「熊本地裁判決」という。)。   すなわち、熊本地裁判決は、遅くとも昭和35年以降においては、も早ハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別な疾患ではなくなっており、病型のいかんを問わず、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要が失われたとして、隔離政策の抜本的な変換やそのために必要となる措置を執らなかった当時の厚生大臣の国家賠償法上の責任を認めた。また、遅くとも昭和35年には、昭和28年法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白になっていたとして、遅くとも昭和40年以降に昭和28年法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為についても、国家賠償法上の責任を認めた。その上で、隔離による被害と、社会から差別・偏見を受けたことによる精神的被害について、①昭和35年以前から入所しており、昭和28年法が廃止されるまで退所を経験していない者の慰謝料基準額を1400万円とする、②それより入所時期が遅い者は、昭和35年から入所時までの期間部分の慰謝料を①から減額し、③昭和35年から昭和49年までの15年間に退所していた期間がある者については、当該期間に係る隔離による被害部分の慰謝料を①から減額するという考え方によるとして、同事件の原告らにそれぞれ800万円から1400万円の損害賠償の支払を国に命じた(他に弁護士費用分の賠償も認めた。)。(甲1) (三) 内閣総理大臣小泉純一郎は、平成13年5月25日、熊本地裁判決を受け、概要下記のとおりの談話を発表した(以下、これを「内閣総理大臣談話」という。)。(乙6)                記   去る5月11日の熊本地方裁判所におけるハンセン病国家賠償請求訴訟判決について、私は、…(中略)…控訴を行わない旨の決定をした。…(中略)…ハンセン病問題については、できる限り早期に、そして全面的な解決を図ることが、今最も必要なことであると判断するに至りました。…(中略)…今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者を対象とした新たな補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。(以下省略) (四) 熊本地裁判決が確定したこと等を契機として、当時会期中であった第151回国会の平成13年6月7日の衆議院本会議及び同月8日の参議院本会議において、それぞれ、「…(中略)…本院は、永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により、多くの患者、元患者が人権上の制限、差別等により受けた苦痛と苦難に対し、深く反省し謝罪の意を表明するとともに、多くの苦しみと無念の中で無くなられた方々に哀悼の誠を捧げるものである。…(中略)…我々は、…(中略)…すみやかに、患者、元患者に対する名誉回復と救済等の立法措置を講ずることをここに決意する」とのハンセン病問題に関する決議案を採択した。(乙34の2頁、乙35の1頁) (五) その後、いわゆる議員立法により、ハンセン病補償法案が平成13年6月11日に第151回国会に提出されて、可決成立し、ハンセン病補償法が平成13年法律第63号として、同年6月22日に公布され、同日施行された。本件告示も、同日、厚生労働大臣により定められた。 4 台湾割譲後の台湾の法制等 (一) 日本は、明治28年(1895年)4月17日、清国との間で日清戦争の講話条約を締結し、台湾の割譲を受けた。  (二) 日本は、明治28年5月、臺灣總督府假條例を発布して、台湾総督を任命し、明治29年(1896年)3月30日、明治29年勅令第88号臺灣總督府條例(甲17)を発布して、台湾に台湾総督府を設置して台湾総督を任命し、台湾総督府に台湾総督を置いた。以後、台湾では、第二次世界大戦の終結まで、台湾総督による統治が行われた。  (三) 台湾総督には、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(明治29年法律第63号)1条の「臺灣総督ハ其ノ管轄區域内ニ法律ノ効力ヲ有スル命令ヲ發スルコトヲ得」という規定により、委任立法の権限が付与された。また、同法5条により、内地の法律のうち台湾に施行することを要するものは勅令をもってこれを定めることとされた。(甲16、乙30) (四) 大正10年には、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10法律第3号)が定められた。この法律は、天皇が勅令を発し、その施行を介して、内地の法律が台湾にも施行される(同法1条1項)という仕組みを基本としていた。また、同法2条により、台湾の特殊の事情により必要ある場合に限り、台湾総督の命令をもって規定することができるとされた。(甲21、乙3)  5 楽生院の沿革等 (一) 昭和5年9月27日、臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)が公布された。(公布日につき、甲26、乙4)   (二) 楽生院は、昭和5年(1930年)10月1日、臺灣總督府癩療養所官制に基づき、台湾総督により、「臺灣總督府癩療養所」として名称及び位置指定がされ、設置された。(甲26、27、乙4、32)     楽生院は、同年12月22日、患者収容定員100人をもって開所した。   (三) 昭和9年、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年勅令第164号)により、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10年法律第3号)に基づき台湾に施行される法律を定めていた行政諸法臺灣施行令(大正11年勅令第521号)が改正された。これにより、同年10月1日、台湾に施行される法律に明治40年法が加えられた。なお、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年勅令第164号)は、明治40年法につき、道府県を州・廳に、市町村長・市町村を市尹・街庄長・市街庄にそれぞれ読み替えるとする規定を置き、また、国庫補助金の割合を内地の場合よりも増やす規定を置いていた。(甲28、30、乙5) (四) また、昭和9年には、台湾総督によって、癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)が定められ、同年10月1日に施行された。(甲28、30、乙5) (五) 楽生院の患者収容定員は、昭和9年には115人、その翌年には227人となり、昭和14年に700人となった。 (六) 楽生院は、臺灣總督府癩療養所官制に基づくものとして、昭和20年8月まで存続していた。 四 争点  本件の主たる争点は、楽生院がハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当するかという点であり、具体的には、次の各点である。 1 楽生院は、本件告示1号前段にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所に当たるか。 2 楽生院は、本件告示1号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所として、本件告示1号又は2号を類推適用することができるものに当たるか。 五 争点に対する当事者の主張の要旨 争点に対する当事者の主張の要旨は、別紙「当事者の主張の要旨」記載のとおりである。 第三 争点に対する当裁判所の判断 一 争点1(本件告示1号該当性)について 1(一) 前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、ハンセン病補償法は、①ハンセン病問題の解決を進めようという機運の高まる中、平成13年4月に、ハンセン病患者等による裁判の側面支援、ハンセン病問題の最終解決及び国会の責任の検証を目的に掲げた超党派の国会議員連盟である議員懇談会が設置されたこと、②同年5月11日の熊本地裁判決が、もはやハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別な疾患ではなくなっており、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われていたにもかかわらず、当時の厚生大臣は隔離政策の抜本的な変換を怠り、国会議員も昭和28年法の隔離規定の改廃を怠ったなどとして、国の国家賠償法上の責任を認めたこと、③これに対し、内閣総理大臣が、控訴しないことを決定した上、新たな立法措置により補償を行うこととする旨の内閣総理大臣談話を発表し、当時の与野党も、ハンセン病問題の早期の全面的解決を求めたことなどを契機として、当時開会中の第151回国会において、永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により多くの患者・元患者が受けた苦痛と苦難に対する反省と謝罪の意を表明する旨の同年6月7日又は8日の衆議院及び参議院の各本会議決議等を経て、同月11日に第151回国会に提出され、可決成立して、平成13年法律第63号として、同月22日に公布され、同日施行されたものと認めることができる。  そして、ハンセン病補償法前文、1条、2条、3条及び5条の規定や他の諸規定並びに上述した立法経緯に照らすと、ハンセン病補償法による補償金の支給は、ハンセン病患者が、これまで永年の間、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきたこと、昭和28年法においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策が採られてきたこと、加えて、昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白になったにもかかわらず、なお依然としてハンセン病に対する誤った認識や隔離政策が改められなかったことを真しに認めた上で、かつてハンセン病患者の救護・療養施設に入所した者の心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資するために、「ハンセン病療養所入所者等」の精神的苦痛の慰謝、名誉の回復、福祉の増進等を目的として、単なる損害賠償ないし損失補償ではなく、特別な政策的考慮に基づいて行われる特別な補償を行うものであると解するのが相当である。 (二) このような目的を達成するため、ハンセン病補償法3条は、国は、「ハンセン病療養所入所者等」に対し、その者の請求により、補償金を支給すると定めている。そして、同条による補償金の支給対象者となる「ハンセン病療養所入所者等」の意義については、ハンセン病補償法2条が規定しており、同条によると、「ハンセン病療養所入所者等」とは、「…(中略)…らい予防法(…略…)が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所(…(中略)…らい予防法第11条の規定により国が設置したらい療養所をいう。)その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)に入所していた者であって、この法律の施行日(…略…)において生存しているもの」をいうと定められている。   このように、ハンセン病補償法による補償金の支給要件の一つとして、そこへの入所歴が必要となる「国立ハンセン病療養所等」については、ハンセン病補償法自体は、「国立ハンセン病療養所」すなわち「らい予防法11条の規定により国が設置したらい療養所」という例示を1個挙げているのみであって、そのすべてを定め切ることはせず、残りの特定を厚生労働大臣に委任している。そして、その委任に基づいて、本件告示がハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」が何を指すかについて定めている。   したがって、ハンセン病補償法による補償金の支給を受けるためには、結局、請求人の入所していた施設が、本件告示1号から5号までに掲げられた施設の一つに該当することがまず必要であるということになる。なお、そのうち3号は、ハンセン病補償法自体が既に例示している「国立ハンセン病療養所」を挙げているのであって、ハンセン病補償法による補償金の支給を受けるために必要な入所歴の対象となる「国立ハンセン病療養所等」は、すべて本件告示に列挙されているから、入所歴の対象施設か否かを判断するためには、本件告示1号から5号までへの該当性を判断すれば足りるという構造になっている。 (三) そこで、本件でまず問題となる本件告示1号を見ると、同号は、「明治40年法(…(中略)…)第3条第1項の国立癩療養所及び第4条第1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所」を挙げている。楽生院が「2以上の道府県が設置した療養所」に当たらないことは明らかであるから、本件では、前者についてのみ検討すれば足りることとなる。   明治40年法3条1項は、「行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第四條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ」と定めている。そうすると、本件告示1号前段は、結局、明治40年法3条1項に基づき、行政官庁が命令の定めに従ってハンセン病患者を入所させることとなる國立癩療養所を「国立ハンセン病療養所等」の一つとして定めていると解することができる。 (四)(1) 次に上記の「國立癩療養所」の意義について検討することとする。  まず、明治40年法自体には、「國立癩療養所」の定義規定は見当たらない。しかし、国立癩療養所という文言の通常の意味及び明治40年法の文理及び趣旨に照らして考察すると、「國立癩療養所」とは、国すなわち所管の大臣が法令に基づいて設置・管理していたハンセン病患者の救護及び療養を行う施設をいうものと解すべきである。 (2) また、このような施設について定める法令としては、明治40年法が公布された昭和6年4月1日より前の昭和2年10月10日に制定された國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)が存在する。そして、厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)1号による改正前の國立癩療養所官制1条は、「國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル」と定めている。また、國立癩療養所官制9条(昭和7年勅令第301号による改正後のもの)は、「國立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム」と定めている。したがって、少なくとも、國立癩療養所官制に基づき内務大臣がその名称及び位置を定めて管理していた癩療養所が、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に該当することは明らかというべきである。  しかし、その後、厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)が定められ、その1号において「左ニ掲グル勅令中「内務大臣」ヲ「厚生大臣」ニ改ム」とされており、國立癩療養所官制も同条に掲げる勅令の一つに挙げられている。また、國立癩療養所官制は、昭和21年11月2日勅令第514号による医療局官制の改正により廃止されて医療局官制に集約されている。そうすると、少なくとも、厚生大臣が國立癩療養所官制に基づき、また、厚生大臣が医療局官制に基づき、それぞれ名称及び位置を定めて管理していた癩療養所も、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に該当すると解するのが相当である。  さらに、証拠(乙24から28まで)及び弁論の全趣旨によると、昭和19年12月に設置された駿河療養所も、行政官庁が命令の定めに従ってハンセン病患者を入所させる施設の一つであり、ハンセン病患者の救護及び療養を行っていたこと、駿河療養所の設置根拠となる法令は、設立当初は軍事保護院官制(昭和14年勅令第479号)であり、昭和20年12月1日に軍事保護院官制が廃止された後は医療局官制(昭和20年勅令第691号)であったこと、駿河療養所の設立当初の官制上の名称は「傷痍軍人駿河療養所」であり、昭和19年12月15日、厚生省告示第111号により、厚生大臣によって名称及び位置の指定がされたこと、国は、駿河療養所を設立当初から本件告示1号にいう国立癩療養所に該当するものとして取り扱っていることが認められる。  また、そもそも、國立癩療養所官制等は、各施設の組織法上の設置根拠等を定めているものにすぎず、設置根拠が特定の官制に基づき、かつ、管理権が特定の大臣に帰属していなければ、明治40年法にいう「國立癩療養所」に該当するということができないと解すべき根拠は見いだし難いところである。  そうすると、その設置根拠が國立癩療養所官制であることに依拠して、当該施設を明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に当たると判断することはできるものの、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」が、前記(1)に記載した施設のうち、その設置根拠となる法令が國立癩療養所官制であって、管理権等が内務大臣に帰属する施設に限られると解することはできないというべきである。また、このことは、上記にいう國立癩療養所官制を「國立癩療養所官制又は医療局官制」に、内務大臣を「内務大臣又は厚生大臣」に置き換えて考えてみても、なぜそのように限定すべきかという根拠が更に薄弱になるので、なおさらのことである。 (五) また、以上に述べてきた点や、ハンセン病補償法2条の規定が「らい予防法(昭和28年法律第214号)が廃止されるまでの間に」(廃止は、平成8年4月1日である。)として、入所歴が必要とされる時期の終期を定めているものの、「○年○月○日以降に入所した」などというように、入所歴が必要とされる時期についての始期を限定することはしていないこと、補償金の額について定めているハンセン病補償法5条1項の規定も、「昭和35年12月31日までに、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者」などと定めて、一定額の補償金の支給を受けるための入所歴の必要とされる時期の終期を定めているものの、入所歴について最も早い始期を定める条項は存しないこと、また、支給者を日本国籍を有する者あるいは日本に居住する者に限ると解すべき根拠となる条項がどこにも見当たらないこと、及び前述したハンセン病補償法の趣旨・目的に照らし、所定の施設への入所歴のある者につき日本人と外国人とを区別する合理的理由は見当たらないことからすると、ハンセン病補償法3条による補償金の支給を受けるためには、①一定の療養所等への入所歴の存在、②その入所歴が平成8年3月31日までに入所したものであること、③ハンセン病補償法の施行日である平成13年6月22日における生存を要件とするものの、その入所時期が幾ら古いものであっても支給要件に該当し、その限りでは、時効、除斥類似の問題は生じず、かつ、国籍や居住地による制限もないと解すべきである。 2(一) 以上を前提として、楽生院が、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に当たるか否か、すなわち、本件告示1号前段の定める明治40年法3条1項の国立癩療養所に該当するか否かについて検討することとする。 (二)(1) 前記第二の三の前提事実のとおり、楽生院は、昭和5年9月27日に公布された臺灣總督府癩療養所官制に基づき、同年10月1日に台湾総督により臺灣總督府癩療養所として設置され、同年12月22日に開所したものである。そして、臺灣總督府癩療養所官制によると、臺灣總督府癩療養所は臺灣總督の管理に属し(1条)、癩療養所の名称及び位置は臺灣總督がこれを定める(9条)旨定められており、これらの規定振りは、「内務大臣」が「臺灣總督」と換わっているだけで、國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)1条及び9条と同一である。 (2) そして、証拠(甲1001から10025まで、1026、1027の1から5まで、原告番号11番本人尋問)及び弁論の全趣旨によると、楽生院は、ハンセン病患者の救護及び療養を行っており、昭和9年10月1日から昭和20年8月までの当時、行政官庁が、癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)の定めに従い、ハンセン病患者を楽生院に入所させていたことを認めることができる。 (3) また、前記第二の二の関係法令の定め、前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、①戦前の日本の内地と、その統治下にあった朝鮮、台湾、樺太、関東州及び南洋諸島という外地は、適用法令を異にする異法地域であり、行政法に関して、原則としてそれぞれ別個の法域を形成し、その各法域において各々自己の特有な行政法を有していたこと、②その組織の実体においても、内地と外地とは相分離されており、内地の行政は天皇の下に各省大臣がその各部を分担しているのに対し、外交及び軍政を除き、その他の一般行政に関しては、各省大臣の権限は直接的には外地に及ばず、内地においては各省大臣に分属する一般行政の権限が、包括的にすべて外地の総督又は長官に委任されていたこと、③しかし、台湾については、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律(大正10年法律第3号)により、いわゆる内地法律延長主義が導入され、その1条1項が、「法律ノ全部又ハ一部ヲ臺灣ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と定めていたこと、④質屋取締法外16件施行ニ関スル件(大正11年勅令第521号)1条柱書が、「左ニ掲グル法律ハ之ヲ臺灣ニ施行ス」と定めていたところ、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号)が、「1条中「明治30年法律第37號」ノ次ニ「癩豫防法」ヲ加フ」と定めており、行政諸法臺灣施行令とは、上記の質屋取締法外16件施行ニ関スル件を指すものであること、⑤行政諸法臺灣施行令中改正ノ件は昭和9年10月1日から施行されたことを認めることができる。    そうすると、台湾においては、昭和9年10月1日から、明治40年法が施行されていたということができる。 (4) さらに、台湾では、前記の行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号)の制定後、昭和9年9月22日に、癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日台湾総督府令第66号)が定められた。同規則は、「癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノアルトキハ郡守、支廳長、警察署長又ハ警察分署長ハ患者ノ所在、環境及病状等ヲ具シ知事又ハ廳長ニ報告スベシ」(3条1項)、「知事又ハ廳長ハ前項ノ報告ヲ受ケタル場合ニ於テ癩豫防上必要アリト認ムルトキハ療養所ニ照會ヲ經タル上送致ノ手續ヲ爲スベシ」(同条2項)、「前條ノ規定ニ依リ癩患者ヲ入ラシムベキ療養所ハ患者所在地ノ州廳ノ療養所又ハ國立癩療養所トス但シ療養所管理者ノ協議ニ依リ之ヲ變更スルコトヲ得」(4条)、「前項ノ規定ニ依リ收容シタル場合ニ於テハ療養所ノ長ハ國立療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ承認ヲ求ムルコトヲ要ス」(5条2項)などと定めて、行政官庁がハンセン病の患者を癩療養所に入所させる手続について定めている。   そして、同規則4条及び5条2項のほか、7条3項及び8条においても「國立癩療養所」という文言が用いられているところ、前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、上記の癩豫防法施行規則が施行された昭和9年10月1日当時、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制に基づき設置した臺灣總督府癩療養所は楽生院のみであり、上記の癩豫防法施行規則にいう「國立癩療養所」に該当し得る施設は楽生院しかないことが認められる。 (5) 以上認定判断したところや、前記第二の二の関係法令の定めを総合して考察すると、①ハンセン病補償法は、昭和35年以降のハンセン病患者の隔離政策の継続等に着目し国の国家賠償法上の責任を認めた熊本地裁判決等を契機として立法に至ったものであるが、ハンセン病補償法2条及び5条は、前述のとおり、入所歴の必要とされる時期について、終期を定めているものの、始期を定めておらず、幾ら古い入所であっても、また、戦前の入所であっても、補償金の支給に必要な入所歴の要件を満たすものと認めていることが明らかであり、②本件告示も、戦前に存在した施設も列記しており、③ハンセン病補償法前文も、昭和30年代に至っても隔離政策等の変更が行われなかったことを指摘しているものの、時系列の流れの中でそのように記したものであって、むしろ前文が「ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。」という文言で始まっていることや、一定時期以降の被害の回復を目的とする旨の文言が何もなく、ハンセン病の患者に対する慰謝のほか、福祉の増進等も目的とされていることからすると、ハンセン病補償法は、全体として見れば、前記の終期の点を除き時期を問わず、広くこれまでハンセン病の患者が被った有形、無形の苦痛について、損害賠償の趣旨のみにはとどまらない特別な政策的な補償を行うものと考えられ、④補償金の受給権者から外国人や外国居住の者を除外するものと解することはできず、⑤ハンセン病補償法2条は、補償金の支給を受けるために必要な入所歴の対象施設につき、国立ハンセン病療養所その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所と定めているものであって、そもそも「国立」であると限定することさえしておらず、広く、ハンセン病療養所に入所していた者一般につき、救済を行う規定振りとなっており、これを特定の種類の施設や、入所者に損害賠償請求権が認められやすい施設など狭い範囲の一定の施設に限定すべきであるという立法者意思を読み取ることのできる文言や、他の条項は見当たらず、⑥本件告示でも、これを受けて、我が国の施政権外であった時期の沖縄所在の施設への入所者や、私立の施設への入所者まで補償金の支給対象としており、ハンセン病補償法と同様に、そこへの入所歴が必要とされるハンセン病の救護・療養施設につき、これを一定の理由により限定していこうという趣旨を読み取ることは困難であり、⑦本件告示1号前段は、明治40年法に基づき、行政官庁が命令の定めに従って入所させる施設であって、国すなわち担当大臣が法令に基づいて設置・管理していたハンセン病患者の救護及び療養を行う施設を意味すると解されるのであって、かなり広範な定めであり、これを更に一定の施設に絞り込む解釈は文理上困難であり、⑧台湾では昭和9年10月1日以降、明治40年法が施行されているところ、この施行当時、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制に基づいて設置した臺灣總督府癩療養所は楽生院のみであったのであるから、楽生院は、明治40年法3条1項の定める行政官庁が入所させる国立癩療養所に当たると解しないと矛盾が生じることとなり、⑨台湾では、行政官庁がハンセン病患者を施設に入所させるための手続等を定める癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)が定められており、⑩同規則4条、5条2項、7条3項及び8条は、「國立癩療養所」という文言を用いているが、これは楽生院のことを意味するものと解するほかなく、⑪戦前に日本の統治下にあった外地においては、内地では各省大臣に分属する一般行政の権限が包括的にすべて外地の総督又は長官に委任されていたところ、楽生院は、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)1条(臺灣總督府癩療養所ハ臺灣總督ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル)及び9条(癩療養所ノ名称及位置ハ臺灣總督之ヲ定ム)により設置、管理している癩療養所であり、内地の内務大臣等の所管大臣が名称及び位置を定めて管理していた國立癩療養所官制に基づく療養所と同視することができるというべきである。  以上を総合すると、少なくとも、台湾において明治40年法が施行された昭和9年10月1日以降の楽生院は、台湾総督が、臺灣総督府癩療養所官制に基づき、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設として、名称を付して設置し管理している國立癩療養所であって、明治40年法3条1項に基づき、行政官庁が命令で定めるところに従いハンセン病患者を入所させる国立癩療養所に当たるということができる。 (三) 以上によると、少なくとも、昭和9年10月1日以降は、楽生院は、ハンセン病補償法3条による補償金を支給するために必要な入所歴の対象施設の一つである本件告示1号にいう「明治40年法(…(中略)…)第3条第1項の国立癩療養所」に該当するというべきである。 (四)(1) これに対し、被告は、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」とは、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設のうち、その設置根拠となる法令が國立癩療養所官制又は医療局官制に基づくものに限られるから、楽生院はこれに該当しない旨主張する。  (2) しかし、前記1(四)(2)において説示したように、明治40年法にいう「國立癩療養所」を一定の官制に設置根拠を有するものに限ると限定的に解釈すべき根拠はない。    また、楽生院の場合、既に判示したところによれば、①一般行政権の行使において内地における所管の大臣に相当する台湾総督が、臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)により名称及び位置を定めて管理して、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設であり、②臺灣總督府癩療養所官制1条及び9条は、内地に適用される昭和7年勅令第301号による改正後の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)1条及び9条と同旨であり、③明治40年法3条1項にいう命令に当たる癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日台湾総督府令第66号)も制定されており、④同規則は、「國立癩療養所」についても定めているが、これは楽生院のことを意味すると解することができるというのである。    したがって、楽生院は、「國立癩療養所」に該当すると言って何ら差し支えがないと考えるべきである。    上記のとおりであって、被告の上記(1)の主張は、採用することができない。 3(一) これに対し、被告は、ハンセン病補償法の立法経緯や国会の審議経過、立法者意思、予算措置等から見ても、台湾所在の楽生院がハンセン病補償法による補償金の支給に必要となる入所歴の対象施設に該当しないことは明らかである旨主張する。    そこで、本件告示の規定ないしは前記1及び2のとおりの本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所の解釈と昭和9年10月1日以降の楽生院がこれに該当するという判断がハンセン病補償法の立法趣旨に反するものかどうかという点について、更に検討することとする。 (二) そもそも、告示とは、行政機関がその意思や事実を広く一般に公示する方式であって(国家行政組織法14条1項)、その内容は様々であるが、法律の内容を補充する法規たる性質を持つことがある。   この場合、告示は、一種の法規定立行為として機能し、行政立法の性質を持つ。しかし、個別の法律の委任に基づき法律によって規定すべき事項を定める命令である委任命令は、あくまでも法律の定めを補充する規定、ないしは法律の定めをより具体的、特定的にする規定にとどまるものであり、法律の定めそのものを変更する規定を設けることはできない。そして、法律において、行政立法に委任する場合、授権の範囲が明文で定められていないときには、法律の全体構造や趣旨・目的等を勘案して、授権の範囲を解釈することになる。   したがって、告示の内容は、法律の授権の範囲内において、かつ、上級の法令に抵触しないものでなければならない。   そうすると、ハンセン病補償法の立法経緯、立法趣旨等から、ハンセン病補償法をその文理以上に限定解釈することができるのであれば、ひるがえって本件告示についても、それを一部無効としたり、限定的解釈をする余地が生じ得るということになる。   そこで、以下このような観点から、再度検討を加えてみることとする。   (三) 前記第二の三の前提事実に、証拠(甲31、34、乙6、8から11まで、17、34、35、36の1から3まで、37から43まで)及び弁論の全趣旨を総合すると、ハンセン病補償法の成立に至る経緯等として、以下の事実を認めることができる。なお、以下は特に記載しない限り、すべて平成13年の事実である。 (1) ハンセン病補償法の制定に至る経緯について   ア ハンセン病国家賠償請求訴訟に関する熊本地裁判決は、5月11日に言い渡された。   イ 内閣総理大臣は、5月23日、熊本地裁判決に対し、控訴しないことを決定した。 ウ 5月24日に催された与党3党会談   (ア) 5月24日付け朝日新聞(夕刊)の報道(乙36の1)    熊本地裁判決について、政府が控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の幹事長、政調会長らは、5月24日朝、東京都内で会談し、患者、元患者を対象にした損失補償の立法措置などについて協議をしたこと、その場において、患者、元患者を補償するための特別法を今国会中に成立させる方針を確認したこと、補償の対象は4千数百人で、補償額は最大で600億円を見込んでいること、法案は、議員立法として6月上旬をめどにまとめられる予定であることを報道した。  (イ) 5月24日付け日本経済新聞(夕刊)の報道(乙36の2)     熊本地裁判決について、政府が控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の幹事長及び政調会長が、5月24日午前、会談を行い、補償問題について協議したこと、その結果、補償の対象は患者、元患者を合わせた約4千数百人で、訴訟に加わっていない人も含めること、財源は予備費を充てること、補償総額は、熊本地裁判決を基準に最大で600億円と見込まれていることなどを報じた。 (ウ) 5月24日付け読売新聞(夕刊)の報道(乙36の3)     政府が熊本地裁判決について控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の各幹事長らが、5月24日午前、会談を行い、元患者への補償問題を行うための特別立法について協議したこと、その結果、①法案は、6月第2週までに議院立法で提出し、今国会中に成立させる、②法案の内容は、与党三政調会長が患者団体と協議して決めることなどを合意した旨報じた。 エ 5月25日付け内閣総理大臣談話(乙6)   内閣総理大臣は、概要下記のとおり、ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話を公表した。                記   …(中略)…ハンセン病訴訟は、本件以外にも東京・岡山など多数の訴訟が提起されており、また、全国には数千人に及ぶ訴訟を提起していない患者・元患者の方々がおられる。さらに患者・元患者の方々は、既に高齢になっている。    こういったことを総合的に考え、ハンセン病問題については、できる限り早期に、そして全面的な解決を図ることが、今最も必要なことであると判断するに至った。    このようなことから、政府としては、本判決の法律上の問題点について政府の立場を明らかにする政府声明を発表し、本判決についての控訴は行わず、本件原告の方のみならず、また、各地の訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者の方々全員を対象とした、以下のような統一的な対応を行うことにより、ハンセン病問題の早期かつ全面的解決を図ることとした。   ① 今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者全員を対象とした新たな補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。   ② 名誉回復及び福祉増進のために可能な限りの措置を講ずる。具体的には、患者・元患者から要望のある退所者給与金(年金)の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業などの施策の実現について、早急に検討を進める。     (以下省略) オ 5月29日の衆議院厚生労働委員会(乙10)  衆議院厚生労働委員会は、5月29日、ハンセン病問題についての調査を進めるとして、草案作成の前に審議を行った。その質疑の際に、次のような要旨の発言があった。 (ア) 日本共産党の瀬古由起子委員は、納骨堂について言及し、「2万3700のふるさとに帰れない遺骨が眠って」いる旨

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