H17. 9.27 千葉地方裁判所 平成12年(行ウ)第89号等 療養補償給付等不支給処分取消請求事件等

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 航空会社のチーフパーサーとして勤務していた原告が脳動脈破裂に起因するくも膜下出血を発症し療養及び休業したことについて,業務とくも膜下出血の発症との間における相当因果関係を首肯するためには,その業務が基礎疾患である動脈瘤をその自然経過を超えて憎悪させるに足りる程度の過重負荷になっていたことを要し,かつ,それで足りると解するのが相当であるとした上,原告が従事していた不規則な業務等による疲労を蓄積する程度の過重な負荷とくも膜下出血の発症との間に相当因果関係の存在を認め,被告がした療養補償給付及び休業補償給付の各不支給決定を取り消した事例 平成17年9月27日判決言渡 平成12年(行ウ)第89号 療養補償給付等不支給処分取消請求事件(以下「甲事件」という。) 平成15年(行ウ)第78号 休業補償給付不支給処分取消請求事件(以下「乙事件」という。) 判決 主文 1 被告が平成11年3月31日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。 2 被告が平成13年3月7日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。 3 訴訟費用は,甲乙事件を通じて被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 甲事件  主文1項と同旨 2 乙事件  主文2項と同旨 第2 事案の概要  本件は,航空会社の客室乗務員として勤務していた原告が,平成8年5月29日朝に,乗務のために滞在していた香港のホテルの客室内において,脳動脈瘤破裂に伴う出血に起因するくも膜下出血(以下「本件疾病」という。)を発症(以下「本件発症」という。)し療養及び休業したことにつき,被告に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき2回にわたり保険給付の請求をしたところ,被告が,本件疾病は労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」には該当せず,業務上の疾病に当たらないとして,前記各請求についていずれも不支給決定をしたため,前記各決定の取消しを求めた事案である。 1 前提事実 (1) 原告の経歴  原告は,昭和41年12月1日にA株式会社に入社し,昭和42年4月1日からスチュワーデスとして乗務を開始し,昭和46年4月1日にアシスタントパーサーに,昭和48年4月1月にパーサーに,昭和63年4月にチーフパーサー(現キャビン・スーパーバイザー。以下「チーフパーサー」という。)に昇格し,本件発症前日である平成8年5月28日まで同職として主に国際線に乗務してきた。  原告は,本件発症当時,A株式会社の客室乗員部客室乗員室グループに所属し,同グループ所属の客室乗務員のグループ長を務めていた。  原告は,A株式会社から,平成9年8月4日付けで,本件疾病を理由として休職を発令され,平成12年8月3日の経過をもって,A株式会社から,休職期間の満了による退職の扱いを受けている。  なお,客室乗務員とは,A株式会社が任命したチーフパーサー,パーサー,アシスタントパーサー,スチュワード,スチュワーデス及び訓練生(本件発症当時。平成8年10月1日付けでチーフパーサーはキャビン・スーパーバイザーに,パーサー及びアシスタントパーサーとしての乗務経験が2年以上の者はキャビン・コーディネーターに,アシスタントパーサーとしての乗務経験が2年未満の者及びスチュワーデスはフライト・アテンダントの各新職位に読み替えがなされている。)をいう。 (2) 本件発症前1年間の原告の勤務状況及び本件疾病の発症 ア 原告は,平成7年6月1日から本件発症の前日である平成8年5月28日まで,別紙勤務実態一覧表(以下「一覧表」という。)のとおり勤務していた。原告の同期間におけるデッドヘッド(旅客としての移動)を含まない総乗務時間は870時間31分である。 イ 原告は,平成8年5月26日から,日本・香港間を2往復する4日間連続の国際線(香港シャトル便)に乗務していたが,同月29日の乗務の出頭時刻である10時15分(日本時間。以下,時刻は日本時間(24時間表示)で表す。)になっても集合場所である滞在先の香港のホテルロビーに出頭しなかった。その後,同日11時15分ころ,同僚が原告のホテルの部屋に様子を見に行ったところ,原告は,入口ドアを開けたものの,着衣は下着のみで,間延びをした返事をし,立ったまま寝入りそうな状態であったため,同僚は,原告をベッドに寝かせた。部屋の中は真っ暗で,薬物らしきものは見あたらず,ベッドのシーツに2箇所乾いた嘔吐の痕があった。  原告は,同日12時ころ,ホテルの医師の診断を受け,脳出血又は薬物中毒の可能性があるとして,同日13時ころ,救急車で香港市内にあるB病院に運び込まれた。そして,同日22時30分,前記病院からA株式会社に対し,原告が第3度のくも膜下出血である旨の診断が伝えられた。  原告は,同月30日,前記病院において,手術を受けた。 (3) 本件各処分等 ア 原告は,平成10年5月28日,被告に対し,労災保険法による平成8年5月29日から平成10年3月31日までの療養補償給付及び平成8年5月29日から平成10年5月22日までの休業補償給付の支給請求をしたが,被告は,本件疾病は労働基準法施行規則35条別表第1の2に定める業務に起因することの明らかな疾病とは認められないとして,平成11年3月31日付けでこれらをいずれも支給しない旨の処分(以下「本件処分1」という。)をした。 イ 原告は,本件処分1を不服として,同年4月28日,千葉労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をしたが,同審査官は,平成12年3月27日付けで,前記審査請求を棄却したため,更に,原告は,同年4月27日,労働保険審査会に対し,再審査請求をした(以下「本件再審査請求1」という。)。 ウ 原告は,同年12月1日,甲事件の訴えを提起した。 エ 原告は,同年11月13日,被告に対し,労災保険法による平成10年5月23日から平成12年10月31日までの休業補償給付の支給請求をしたが,被告は,本件疾病は労働基準法施行規則35条別表第1の2に定める業務に起因することの明らかな疾病とは認められないとして,平成13年3月7日付けでこれを支給しない旨の処分(以下,「本件処分2」といい,本件処分1と併せて「本件各処分」という。)をした。 オ 原告は,本件処分2を不服として,千葉労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をしたが,同審査官は,同年7月3日付けで,前記審査請求を棄却したため,更に,原告は,労働保険審査会に対し,再審査請求をした(以下「本件再審査請求2」という。)。 カ 同審査会は,本件再審査請求1及び本件再審査請求2を併合審理し,平成15年9月10日付けで,前記各再審査請求をいずれも棄却する旨の裁決をし,同裁決書は,そのころ,原告に送達された。 キ 原告は,同年12月3日,乙事件の訴えを提起した。 (4) 関連法規等 業務上の事由により疾病にかかった労働者の疾病が労災保険法7条1項1号による保険給付の対象となるといえるためには,前記疾病が労働基準法による災害補償の対象となるものであることを要し,同法による災害補償の対象となる疾病は,同法75条1項所定の業務上の疾病に該当すること,具体的には同条2項,労働基準法施行規則35条別表第1の2の各号のいずれかに該当することを要するというべきである。そして,本件においては,原告主張に係る本件疾病は前記別表第1の2の第1号ないし第8号のいずれにも該当しないから,本件疾病が,労災保険法による療養補償給付,休業補償給付等の保険給付の対象となるといえるためには,前記別表第1の2第9号にいう「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当する(業務起因性がある)ことを要するというべきである。 2 争点及びこれに関する当事者の主張  本件疾病は,原告の業務に起因するものといえるか。 (原告の主張) (1) 業務起因性について  業務起因性とは,業務と疾病との間に合理的関連性があることをいい,業務起因性の判断にあたっては,業務が相対的有力原因であることまでは不要であり,業務により,より増悪させて発症したか否かで判断すべきである。 (2) 客室乗務員の業務の過重性 ア 客室乗務員の労働環境の特殊性 (ア) 時差  国際線客室乗務員は長距離を数時間から十数時間で高速移動することから,出発地と目的地で時間差が発生し,出発地と昼夜が短縮したり逆転したりするため,生体リズムが乱れ,その結果,疲労が蓄積する。特に長大路線勤務後の疲労は極めて高い。長大路線勤務による時差を原因とする疲労は所定休日内では完全には回復・消失しないため,休日後乗務につく者は前回の乗務による疲労を残したまま乗務することになる。なお,時差は,経験を積むことで慣れるというものではなく,乗務経験年数が長くなったとしても時差に伴う睡眠の不良が軽減することはない。 (イ) 低気圧,低酸素,低湿度,騒音  客室内圧の低下により客室乗務員の動脈血中酸素飽和度は最大で3パーセントないし4パーセント低下するところ,動脈血中酸素飽和度が低下した状態で長時間乗務した場合には,客室乗務員の肉体的疲労度は増すことになる。  また,機内では湿度が低下し,20パーセント以下になることもあるところ,低湿度内で過ごすと気道粘膜の活動が低下し,気道感染を受けやすくなる。  さらに,客室内の騒音レベルは,水平飛行時でも71デシベルないし72デシベルと高レベルで推移する。高度3万5000フィート及び速度0.84マッハでの代表的な巡航速度では,比較的前方の通路側座席,頭部の高さで最大87デシベル,比較的後方の通路側座席,頭部の高さで最大95デシベル,機内2階席通路側,頭部の高さで最大87デシベルと相当な騒音に曝される。そして,騒音によって会話が妨害されるため,客室乗務員は,乗客との対応の際に身体を曲げ中腰姿勢で顔を近付けなければならない。このように,騒音は,客室乗務員の自律神経系に影響を与え,身体的負担,ひいては疲労につながっている。 (ウ) その他の作業環境  機内の床面は水平飛行時でも2度ないし3度傾いている。チーフパーサーは,ファーストクラスにおいては,ワゴンによるサービスを行わなければならないが,ワゴンはカートと対比して不安定であり,狭いファーストクラスの客室内では操作しづらい。しかも,ファーストクラスにおいては,サービスの回数が多く,傾斜床面においてワゴンを何度も操作しなければならない。ファーストクラスのない便においてはビジネスクラスを担当するが,その場合カートあるいはワゴンを押す回数は下位職と変わらない。そして,国内線においては下位職と同様にカートを押して,機内サービスを行う。客室乗務員がカートで行うサービスは機内床面の傾斜のために肉体的負担が大きい。  また,機内は常に振動し,度々乱気流に遭遇し,客室乗務員は,このような床面の揺れ,不安定さに対処するために姿勢保持筋を使うことになる。客室乗務員の作業場所である調理場は狭く,引き戸の位置は高く,客室の通路は狭く,座席前後の間隔も狭いことから,客室乗務員は立位や中腰姿勢での業務遂行を余儀なくされる。このように,機内における作業は肉体的負担が大きく,疲労が大きい。  さらに,客室乗務員は高速機で温暖地から寒冷地,湿地から乾燥地へと短時日で移動することから,短時間の間における環境の変化に常に適応しようとする身体的適応を迫られ,肉体的負担となる。 イ 労働態様の特殊性 (ア) 不規則な勤務  A株式会社では1か月単位の変形労働時間制がとられており,勤務開始・終了時刻も1日の労働時間も区々であり,スタンドバイによるスケジュール変更も頻繁にあった。スケジュールの変更については,必ずしもその4日から7日前に通告されていたわけではなく,直前に通告されたと考えられるケースも散見される。  客室乗務員は,時差・早朝深夜・長時間の不規則勤務により,疲労・過労の症状と病気から来る症状との判別が困難なまま勤務してしまっている。  就業規則に定める乗務時間,勤務時間,休日等の基準は,客室乗務員の疲労回復を考えて定められたものではないので,就業規則の基準を満たしたスケジュールに従っているからといって,客室乗務員の業務負荷が過重なものとはならず,業務による疲労が認められない,ということにはならない。 (イ) 生体リズムに反する出発時刻  客室乗務員は,徹夜乗務の後に早朝からの乗務を指示されるなど概日リズムに反する勤務を余儀なくされている。原告の平成7年12月から平成8年5月までの勤務スケジュールで見た場合,成田・羽田への出頭準備の開始時刻が6時以前となると考えられるケースは14回あり,そのうち,それに先行して徹夜便に乗務しているケースが6回ある。 (ウ) 長時間の勤務  長時間飛行を伴う長大路線には,これに伴う自宅から空港への通勤時間,搭乗までの準備時間,機内での準備時間,到着後の次の出発に備えての客室の準備時間も含めれば,1日の拘束時間が20時間を超えるケースもある。  長大路線に乗務した後は,所定休日内には疲労が完全には回復せず,慢性的な疲労状態にある者がかなり存在している。 (エ) 休養,基地外での睡眠,食事,休憩  基地(乗務員の所属場所。成田等がある。)外滞在中の睡眠は良好でなく,疲労回復を妨げている。特に東回便長大路線では不良睡眠が多く,復路時の疲労感が強い。原告のスケジュールは就業規則に反しないよう策定されてはいるが,具体的路線ごとに負荷や疲労の蓄積を考慮してのスケジュール策定とはなっていない。  客室乗務員の食事・休憩時間は定められておらず,食事は概ね10分ないし20分の間に,調理室内あるいは清掃中の客席で取っている。休憩は,短距離便ではなく,長距離便でも不確定であり,特にチーフパーサー職では全く休憩が取れない頻度が最も高い。  機内の設備についても, 臥・小休憩に使用できる休憩室はなく,客室乗務員専用のトイレもないため,常に乗客から見られているという意識が働き,精神的負担が増すことになる。クルーコンパートメントの実態は,客況がよいときは確保すべき専用座席が旅客に販売されていることもあり,決められた収納部に収納しきれない機内持ち込み手荷物の収納場所として使用せざるを得なかったり,また,乗客から返却されたり,余分に搭載されている備品の置き場所になったりで,いつでも休憩場所として使用できるスペースが確保できているわけではない。 ウ 作業内容の特殊性 (ア) 保安業務  客室乗務員のもっとも重要な任務は旅客の安全を確保する任務であり,搭乗開始とともに五官を働かせて異常がないか注意を払い,緊急事態への対応を絶えず準備している。事故に至らなくても,客室乗務員は飛行中のタービュランス(大気の乱れによる機体の振動,乱高下)や急病人の発生への対応,機内秩序維持等を日常的に行っている。こうした事態に備える精神的負担は大変大きい。 (イ) 接客業務  国内線及び短距離国際線の場合には,短い水平飛行時間内に規定のサービスを終了しなければならず,気象条件によっては更にサービスに割ける時間が短くなる。また,旅客層によりサービス内容が過重され,食事も満足に取れず,サービス内容は乗務員の体力を無視して策定されている。チーフパーサーは特に業務が過多であり休憩時間がとれないことが多い。このように,客室乗務員の負担は大きく,特に国内線では乗務回数が増えるため,その影響が多い。  長距離国際線の場合には,旅客が多様なことから多様なサービスが求められるが,サービス内容は乗務員の体力を無視して策定されている。また,長時間機内で過ごすことによるストレスから多発する乗客のトラブルに対する配慮が必要となり,客室乗務員は長時間の乗務中,常に緊張状態に置かれる。実際にトラブルが発生しない場合であっても,乗務時間中にトラブルが発生する可能性は常に存在する。チーフパーサーは客室の最終責任者であるから,トラブルに対する配慮によるストレスは一層大きく,いったんトラブルが発生した際の対処を意識せざるを得ず,常に緊張を強いられている。 (ウ) チーフパーサーの業務  本件発症当時,チーフパーサーが乗務中に体調を崩してもこれに代わる代替要員はなく, チーフパーサーが外地で体調を崩した場合には直ちに交代できるチーフパーサーがいないため,便が欠航したり,出発が遅延することもあり得ることから,チーフパーサーは一旦決定したスケジュールを崩すことは難しいと感じ,健康面で不調を来せないという精神的負担を感じている。  チーフパーサーは,客室内保安任務の最終責任者として緊急事態への対応を意識して,最も大きいストレスにさらされている。近時の機内における迷惑行為の増加・凶悪化により女性チーフパーサーの不安は大きく,緊張・不安とともに乗務している。  ファーストクラスの接客の際,チーフパーサーは,乗客一人一人に対するサービスの内容に高い品質が求められ,乗客からリクエストがくる前にその要望を察知してサービスを行うなど細心の注意の継続が求められている。そして,ファーストクラスのない便においては,ビジネスクラス,エコノミークラスのサービスを配下の客室乗務員と共同で行うことが求められているため,業務の負担は大きい。  チーフパーサーは,サービス業務の最終責任者として,自身の担当クラスだけでなく,手が空けば他のクラスのサービス業務の援助に入ることが求められ,乗客の多いリクエストにも応えながら,時間内にサービスを終了する義務,アロケーションチャート(機内任務分担表又は乗務分担表)の作成,ミールサービスの調整,グループ外の乗務員,外国人乗務員も含めて乗務員間の人間関係の調整,社内管理職としてのグループ管理等,精神的ストレスにさらされている。  新たにグループを持つことになったチーフパーサーは,グループ員の把握に努めなければならず,また,チーフパーサーは,直属の上司のマネージャーとグループ運営に対する意思疎通のために緊密に連絡を取り合わなければならず,グループの販売ノルマの達成を強いられるほか,グループ員の人事考課と昇格適正考課を実施しなければならない。  チーフパーサーは,業務上業務外を問わずグループ員の管理・指導をしなければならず,帰着するまで同乗クルーの管理に責任を負う。  このように,チーフパーサー,特に原告の精神的な負担は極めて大きいものであった。 (エ) 組合問題による精神的負担  原告は,A株式会社客室乗務員組合の組合員であり,A株式会社から前記組合を脱退するように選択を迫られ,強い精神的緊張とストレスを受けていた。また,チーフパーサーは,グループ員の昇格適性考課を行う際には,組合員を差別したと批判されないように気を使わなければならない。 エ 乗務パターンに固有の業務による肉体的・精神的負担 (ア) 国内線連続乗務  国内線3区間・4区間連続乗務は,離着陸に伴う精神的緊張を1日に3回ないし4回経験することによる精神的疲労が大きい。労働時間が10時間以上となることが多く,早朝出社あるいは深夜帰宅の頻度が高い。離着陸時以外は立位や中腰の姿勢,重量物の取扱いの作業を強いられる業務が連続するため,最後の区間には相当の肉体的疲労が生じる。  原告の場合,平成7年6月から平成8年5月まで,国内線3区間乗務日が3日連続する回数は2回,複数区間乗務日が3日連続する回数(ただし,3区間乗務日が3日連続する場合を除く。)は10回,3区間乗務日あるいは4区間乗務日が2日間連続する回数は7回となっている。このように,肉体的・精神的疲労の大きい国内線複数区間乗務日が連続する場合には,各日の労働時間は10時間を超えることが多く,その疲労が蓄積し,疲労は以後容易に回復しない。 (イ) 南米路線(成田・ロサンゼルス,ロサンゼルス・サンパウロ,サンパウロ・ロサンゼルス,ロサンゼルス・成田便)  いずれの便も乗務時間が9時間を超える長大路線であり,基地を9日間も離れるだけでなく,成田・ロサンゼルス間の時差は17時間,ロサンゼルス・サンパウロ間の時差は6時間となり,ロストナイトが生じる。そのため,滞在先において睡眠の質が悪化し,疲労が回復しない。また,緊急時の対応,乗客とのコミュニケーションの困難さ,病人発生の確率の高い便であることから精神的緊張を余儀なくされる。帰着後においても,睡眠中に何度も目覚めて眠りが浅くなる状態が続き,熟眠感が得られず,与えられた休日では疲労が回復しない。 (ウ) ケアンズ・ブリズベン便  2日間連続しての徹夜勤務を余儀なくされ,2日目の徹夜明けにケアンズ・ブリズベン往復便に乗務しなければならず,更に,ケアンズ・ブリズベン往復便乗務後,休日を挟まずにケアンズ・成田便に乗務しなければならないため,所定休日では疲労が回復しない。 (エ) 香港日帰り便  出頭時刻が早朝であるため深夜には起床して準備を始めなければならず,業務終了は21時過ぎであるため帰宅は深夜となり,また,香港で休養する時間は全く保障されておらず,往路・復路とも機内販売や機内食・飲物サービスを一通りこなさなければならず,休憩の暇もないことから,業務による疲労が蓄積する。 (オ) 香港シャトル便  短い乗務時間中にサービスを終えなければならず,労働密度が高く,また,毎日乗務する緊張感とホテルでの休養時間の短さから十分な睡眠が取れず,業務による疲労が蓄積する。 (カ) ニューヨーク便  乗務時間が長い長大路線であり,乗客のサービスの要求水準が高く,平成7年当時はビッグアップル便と呼ばれ,他の路線とは違うサービスを実施していたが,路線に熟知していないと適切なサービスができず,精神的に大変気を遣わなければならない。客室乗務員は,どれだけ経験を積んでも,ニューヨーク便についてはその都度大きな精神的負担を感じている。出頭時刻が10時15分と早いため,自宅において5時過ぎには準備を始めなければならず,前日の睡眠時間は不足し,更に休養時間も昼間であるために十分に休養がとれない。  また,日本とニューヨークとでは昼夜が逆転しており,ニューヨークでの滞在中には概日リズムを現地時間に同調させることは困難であり,乗務のストレスも加わり睡眠の質・量とも悪化する。復路においては,2時30分出発であるため,事実上徹夜勤務を余儀なくされるが,その間,2回のホットミール,その間にリフレッシュメントのサービスをしなければならない。このような事実による精神的・肉体的疲労は著しい。帰着後においても,睡眠中に何度も目が覚めて眠りが浅くなる状態が続き,熟眠感が得られず,その結果,4日の休日では疲労が回復しない。 (キ) マニラ日帰り便  マナーが悪く,ささいなことで客室乗務員にクレームを付ける乗客が多い。また,満席に近いことが多く,業務量も多い。さらに,出頭時刻が早い一方,基地への帰着時刻が遅く,拘束時間が長時間となる。したがって,精神的・肉体的負担が大きい。 (ク) 上海日帰り便  短い乗務時間中に濃い内容のサービスを2回繰り返さなければならない。また,出頭時刻が早い一方,基地への帰着時刻が遅く,拘束時間が長時間となる。したがって,精神的・肉体的負担が大きい。 (ケ) サンフランシスコ便  乗務時間が往復とも9時間を超え,時差も大きい便であり,帰着後においても,睡眠中に何度も目が覚めて眠りが浅くなる状態が続き,熟眠感が得られないことが研究で明らかとなっている。乗務後に与えられた休日では肉体的・精神的疲労が回復しない。 (コ) ジャカルタ・デンパサール往復便  2日間にまたがって深夜時間に乗務を強いられ,ジャカルタ帰着後の睡眠も質が悪くなる。ジャカルタ,デンパサールは1年中高温多湿であり,特に日本が寒い時期においては身体に直接及ぼされるストレスとなり体調の維持が難しい。ジャカルタ・成田便は,出頭時刻が深夜であり,徹夜勤務を強いられ,成田帰着後の睡眠の質が悪くなる。以上により,肉体的・精神的疲労は蓄積する。 (サ) ホノルル便  往路は完全に徹夜での乗務となり,また,時差が19時間もあり,昼夜が逆転することから,ホノルルでの睡眠の質が悪化し,ホノルルにおいて充分な睡眠がとれないため,復路での乗務の際,睡魔に襲われる。東行き便による時差は特に生体リズムを狂わせるものであるから,帰着後においても,睡眠中に何度も目が覚めて眠りが浅くなる状態が続き,熟眠感が得られない。与えられた休日では疲労が回復しない。 (シ) 国際線日帰り便,国際線3日連続乗務  平成5年に勤務協定が破棄されるまでは,国際線日帰り便の後,1日の休日が保障されていたが,現在の就業規則上は国際線日帰り便を乗務しても休日が保障されておらず,肉体的・精神的疲労が回復しない。それにもかかわらず,休日を挟まず更に1泊2日の国際線に乗務するため,客室乗務員にとって過酷な勤務となる。 オ 本件発症前6か月間の原告の業務の過重性・疲労の蓄積 (ア) 年末年始にまたがる業務の過重性  この時期は乗客も多く,老人や子どもなど航空機に不慣れな旅客の比率も高くなる。老人にはトイレの付き添い,食事の手助け等が必要となる場合もあり,子どもについては,お土産品の配布,動き回る子どもへの目配り,周辺の乗客への配慮が必要となる。そして,食事についても,ベビーミール,チャイルドミールのリクエスト客か否かの確認,ミールの提供のタイミングの配慮,ミールの温めの作業等,客室乗務員は通常よりも業務量が増え,一層神経を使うことになる。  また,対処を求められるトラブルも増え,客室の最終責任者であるチーフパーサーの業務量も増える。  以上の事実から,原告の業務量は増加し,精神的疲労は大きくなる。 (イ) 平成7年12月及び平成8年2月のスケジュール変更による疲労の発生  平成7年11月27日のスタンドバイがホノルル便乗務に変更になったため,翌日に予定されていたグループ員の人事考課資料の作成のためのGMDが同年12月2日に変更になったことに伴って,同日から同月6日までのスケジュールが変更になった。  原告は,同月4日に国内線3区間乗務を行っており,自宅への帰着が深夜零時ころとなった。同月6日,7日の休日のうち6日に国内線日帰り便を入れられてしまったため,同月8日から始まる過酷な南米路線の前の休日が1日になってしまった。同月22日のスタンドバイに国内線3区間乗務を指示され,翌日にも国内線3区間乗務を指示されている。同月26日のスタンドバイを突然休日に変更される一方,同月30日の休日が取り消され,同日から平成8年1月2日にかけての国内線のスケジュールをケアンズ・ブリスベン便に変更されている。同年2月1日のスタンドバイに成田・ソウル便の乗務を指示され,翌日の自宅待機もシンガポール便に乗務することとなった(国際線連続勤務)。以後,スケジュール変更が続き,オリジナルのスケジュールに戻る同月21日までにオリジナルスケジュールどおりの休日はわずか2日に過ぎない。  こうしたスケジュールの変更により事前の休養の計画も変更を余儀なくされて,体調の調整が不十分なまま乗務することになり,疲労の回復が困難となった。スケジュール変更の予告は,本件発症当時,前日のことも多かった。 (ウ) 睡眠の質・量の悪化と疲労との関係  原告は,平成8年1月及び同年5月の健康診断の際,問診票の不眠の項にマークをしていないが,客室乗務員においては,睡眠障害が常態化しており,客室乗務員である以上やむを得ないと考える者がほとんどである。しかも,健康診断において不眠を訴えても会社からは何らの配慮もないため,睡眠障害が病的なものでない限りわざわざチェックしない者が多い。したがって,原告は常時睡眠時間数が不足している状態が継続していたといえる。原告は生体の通常の生活リズムに従った睡眠を確保すべき時間帯に充分な睡眠をとれていない状態にあった。  ニューヨーク便,ホノルル便,フランクフルト便,サンフランシスコ便,ロサンゼルス・南米便では,時差の影響で,帰着後においても,睡眠中に何度も目が覚めて眠りが浅くなる状態が続き,熟眠感が得られないため,与えられた休日では疲労が回復しない。そして,渡航滞在先での翌日の勤務開始時刻が前日の深夜から翌日未明にかかるときは,乗務前の睡眠時間は短時間で,浅いものとなる。  翌日の乗務のために自宅での起床時刻が深夜から未明にかかるときは,早めに就寝して睡眠時間を確保しようとしても22時以前に就寝することは困難であり,実際に22時以前に就寝しても,眠りにつくことができず,睡眠時間は極めて短いものとなる。しかも,このような深夜・早朝勤務線の場合には,絶対に遅刻できないとの緊張感からも充分な睡眠がとれない。  零時から8時までの自宅スタンドバイ(S1)の場合には,零時から8時までいつ呼出しの連絡電話がかかってきても対応できるように準備していなくてはならないため,充分な睡眠を確保することが不可能である。  平成7年10月1日から平成8年5月27日までの240日間で,原告の勤務日数は155日,そのうち外泊日数は91日に及ぶ。これは勤務日数の約58.7パーセントにも達する。自宅外での睡眠は自宅でのそれに比して不十分なものになるだけでなく,その都度異なった場所での睡眠を余儀なくされること,国外での精神的緊張により,原告の睡眠は原告の疲労回復にとって不十分であった。 (エ) 平成8年4月のグループ替えに伴う精神的負担  グループメンバーと連携を取ってグループ運営を軌道に乗せるため,グループメンバーの把握に非常に神経を使い,また,チーフパーサーとマネージャーの間で,グループ運営に対する意思疎通のために非常に神経を使う。平成8年4月28日,29日のGMM,GMでは,マネージャーあるいはグループメンバーとの意思疎通に非常に神経を使い,精神的に疲労する。  平成8年5月4日からの成田・フランクフルト往復便にマネージャーと同乗した際,同人から原告自身あるいは原告のグループの作業内容をチェックされ,精神的に緊張し,疲労を募らせた。 (オ) 原告の平成8年4月の労働の負担  1年間の乗務時間制限900時間を1か月当たりで計算した75時間について,1か月当たり乗務可能日数を20日とすると,1日の乗務時間は3時間45分となる。平成8年4月の乗務日数で同月の総乗務時間を割ると5時間14分となり,これは,同年1月の5時間23分に続いて多く,4月の労働の負荷が大きかったことが分かる。 カ 同僚との比較 (ア) 原告及び被告が共に選定した比較対象者10名について,被告の作成した実地調査結果復命書の時間の計算により,本件発症前1年間の乗務時間を比較した場合,最も年齢の高い原告の乗務時間は,合計947.4時間で最も長く,平均値より35時間余り,最も短い者より77.6時間も長くなっている。そして,半年間で比較した場合であっても,原告が最も長く,平均値より35時間余り,最も短い者より67.8時間長くなっている。  また,本件発症前1年間の乗務時間数は,A株式会社の人員計画上のチーフパーサーの乗務時間の実績値(平成7年4月1日から平成8年3月31日まで)を大きく上回っている。 (イ) 原告は,ニューヨーク便に平成8年1月から同年3月まで3回連続して乗務しているが,チーフパーサー職で3か月連続してニューヨーク便に乗務するスケジュールは極めて稀である。 (ウ) 原告及び被告が共に選定した比較対象者10名の内,平成7年12月から平成8年5月までについて,労働時間の記録のない1名を除いた9名について対比すると,労働時間・乗務時間・拘束時間のすべてにおいて原告が最も長く,また,年間乗務時間の上限である900時間を12で割った数値である75時間を基準に見ると,5か月連続で75時間を超えているのは原告のみである。さらに,原告は,6か月間の乗務時間の合計では,前記9名の平均時間より約50時間長くなっているが,これは年間乗務時間の上限を12で割った数値である75時間の3分の2であり,他の同僚が6か月勤務する間に原告が6か月と3分の2を勤務したのと同視することができる。 (エ) 原告及び被告が共に選定した比較対象者10名の内,平成7年12月から平成8年5月までについて,労働時間の記録のない1名を除いた9名についてのデータをベースに22時から5時までの深夜時間帯にかかる乗務を行っている回数を分析すると,原告が32回で原告も含めた10人中上位3番の位置に付けている。また,深夜時間帯の乗務時間数は,原告は10人中上位4番の位置に付けている。さらに,原告の休日数・有給休暇数(本件発症の平成8年5月29日以後同月30日,31日の休日を含む。)は64日であり,原告が一番少ない。 (オ) 以上のように,原告の乗務時間は一貫して高水準にあり,他の同僚と比較して,乗務時間をまとめて減らすことによって疲労を回復することができなかったといえる。 (3) 原告の本件発症前の健康状態 ア 原告は,平成8年1月31日のA株式会社の健康診断の問診票において,疾病の存在を疑うべき諸種の症状のうち9項目につき時々あると記載している。 イ 原告は,平成8年3月ころから疲れていた様子であり,本件発症1か月前くらいから疲れたと頻繁に口にするようになっていた。 ウ 原告は,平成8年5月4日から同月7日までのフランクフルト便の乗務において,マネージャーから原告自身あるいは原告のグループの作業内容のチェックを受け,SUデューティのマネージャーのフォローも行っていたことから,精神的に緊張し,疲労を募らせていた。原告は,フランクフルト滞在中,マネージャーやグループ員との食事もキャンセルしていた。7日のフランクフルトからの帰路においては,ホテルを2時20分に出発し,業務が終了したのは16時12分であったため,睡眠リズムが大きく乱れた。 エ 原告は,平成8年5月12日から関西・ケアンズ,ケアンズ・ブリスベン,ブリスベン・ケアンズ,ケアンズ・成田便に乗務したが,12日の関西・ケアンズ便は徹夜便であり,15日のケアンズ・ブリスベン往復便はケアンズを4時15分に出発する早朝便であることから,睡眠リズム,生活リズムは大きく狂ってしまった。 オ 原告の平成8年5月20日の健康診断の問診票では,同年1月の健康診断の問診票と対比して,自覚症状が時々あるが9から19に,常にあるが0から3に増えており,体調不良の訴えが著しく増加しており,午後の体力測定も見学せざるを得なかった。 カ 原告は,平成8年5月21日から4日間のスタンドバイに同日から1泊2日の国内線乗務を指示され,同日,翌22日と連続して契約制客室乗務員らと国内線3区間乗務を行った。 キ 原告は,平成8年5月26日から同月29日までの予定で香港シャトル便に乗務し,同月28日の乗務後,滞在先ホテル内において本件疾病を発症した。 ク すでに本件疾病を発症した時点において,原告の過去1年間の乗務時間は,A株式会社の乗務時間計算においても,A株式会社の就業規則に定められた1年間の乗務時間の上限である900時間を47.4時間も超えていた。 ケ 当時チーフパーサーの有給休暇の取得は難しかったうえ,原告は,グループ替え直後で,上司から許可されなかったため,有給休暇の取得は極めて困難であった。 コ 以上の経過からすれば,原告は本件発症前に,より著しい疲労状態にあったことが明らかである。A株式会社の健康診断では乗務に支障があっても,それが見逃される場合がある。 (4) 原告の本件疾病の発症と客室乗務員の業務上の要因・寄与に関する医学的知見 ア 脳動脈瘤壁の脆弱化に作用する血圧変化と睡眠の関連 (ア) 血圧には日内変動があり,昼間の活動時には高く維持され,夜間の睡眠時には低下している。 (イ) 生体に与える血圧の負荷の評価については,昼間の覚醒時等の一時的な血圧の測定値のみをもって行うことは必ずしも適当ではなく,日内変動の態様をも含んだ血圧の推移がより重要であることが認識され,とりわけ夜間の血圧の低下の重要性に関する知見が注目されており,概日リズムと同調した規則的に良質な睡眠をとることによる夜間の十分な血圧の低下が脳,心臓,腎臓等の臓器に対する障害の軽減のために重要であることが認識されている。すなわち,良質な睡眠を確保できず,そのために夜間の十分な血圧の低下が得られない場合には,その血圧の状態が動脈瘤壁の脆弱化を進行させ,かつ,動脈瘤壁の脆弱化修復機序の不全を惹起するのである。 (ウ) 動脈瘤壁の脆弱化機序としての血管透過性亢進に由来する類線維素変性は,未破裂動脈瘤壁にも観察されており,この類線維素変性は,進行性のものでない限りは,むしろ「暫定的な補強作用」と解釈し得るものである。さらに,この類線維素変性は,ひとたび形成された後にも血圧を低下させることによって治癒するものであることが証明されている。しかも,この治癒機転には必ずしも血圧の持続的な低下を要するものではなく,一時的な血圧の低下でも有効に作用し得ることが明らかにされている。これらの事実は,動脈瘤壁の脆弱化は一方的に進行するものではなく,適切な血行力学的負荷の軽減によって進行の防止や治癒が得られることを確認するものである。この意味で,血行力学的負荷の軽減をもたらすものとしての睡眠による血圧の低下は,動脈瘤壁の脆弱化を抑制し,修復機序を機能させる上で,極めて重要な役割を果たしている。 (エ) 動脈瘤壁の構成要素は,主として内膜と膠原線維であり,動脈瘤壁の構造的強度は,主に後者,すなわち膠原線維に依存している。そして,膠原線維はある種の結晶構造を有しており,変形することなく比較的長時間の負荷に耐え得るが,限界があり,血管壁の緊張が定期的に解除されることが,この膠原線維の結合状態を再構築するために必要である。加えて,動脈瘤壁を構成する膠原線維は,未成熟であるために,血行力学的負荷に対する抵抗力が弱く,正常な動脈の10ないし20分の1でしかないことが実験的に証明されている。この事実は,動脈瘤壁は,正常な動脈壁よりもより強く血行力学的負荷を受けやすいことを意味している。したがって,これらの事実からも,血管壁に対する血行力学的負荷を軽減するためには,睡眠による血圧の低下が重要であることが確認される。 イ 原告の脳動脈瘤破裂の機序 (ア) 原告の脳動脈瘤は,発生後早期の破裂を免れた後に,傷害性に作用する因子が加えられて脳動脈瘤壁の脆弱化が進行することによって破裂に至ったものである。 (イ) また,原告の脳動脈瘤破裂は,原告の脳動脈瘤壁に類線維素変性が進行し,動脈瘤壁の修復機序を凌駕する血行力学的負荷が連続的に加えられたことにより発生したものである。 (ウ) 原告のウィリス動脈輪に変異が存在した事実はなく,それを推認できる証拠も全く存在しない。したがって,原告の嚢状脳動脈瘤の発生にウィリス動脈輪の変異による血行力学的負荷が関与したとの事実はない。また,中膜欠損の範囲の拡大と血管分岐部の開大は,成長に伴う血管径の増大と血管壁にかかる血行力学的負荷による血管中膜自体の老化,疲労によって加齢とともに次第に拡大していくものであり,個体に特異なものではなく普遍的なものであって,このような事由を原告の先天的(素因的)要因とすること自体が誤りである。 (エ) 若年性の嚢状脳動脈瘤の発生は例外的であり,原告の嚢状脳動脈瘤の破裂は原告が49歳であることからして,頻度は低いが若年性の嚢状脳動脈瘤の発生があることをもって,原告に先天的(素因的)要因が存在したと認めることはできない。また,若年性の嚢状脳動脈瘤の発生も,成長に伴って分岐角の開大等の血管構築上の特性が発生するものであり,それは後天的に生じるものである。なお,原告の嚢状脳動脈瘤の発生に関して遺伝的要因の関与を推認させる根拠は存在していない。 (オ) 嚢状脳動脈瘤が非高血圧者にも発生する場合があるとの事実については,成長に伴って血管分岐角が開大する等の血管構築の特性に基づき後天的に発生するのであり,また,血圧の負荷と嚢状脳動脈瘤の発生,成長との関係については,夜間睡眠時の血圧の低下の程度を含めた負荷の考察が必要であって,健康診断時等の一時的に測定された血圧が高血圧診断基準に該当するか否かのみにより判断することは不十分であり的確ではない。 (カ) 嚢状脳動脈瘤の成長の期間については,月単位で大きくなるものも存在し,このような嚢状脳動脈瘤は破裂しやすいという治験があり,脳ドッグ等で発見される未破裂動脈瘤が6か月ごとの定期的な検査で大きさや形がどんどん変化するものがあり,このような動脈瘤も破裂する確率が高いとの治験があることから,嚢状脳動脈瘤の成長には10年以上かかる,年余にわたって大きくなるとの医学上の知見は改められる必要がある。 ウ 脳動脈瘤壁の脆弱化に対する原告の業務の負荷の影響 (ア) 不規則な勤務形態や,深夜や早朝を含む勤務は,交替制勤務形態に類似した血圧日内変動の異常をもたらし,しかも,深夜や早朝を含む勤務が長時間連続勤務であった事実は,よりその負荷の影響を強くした。また,ステイ中の睡眠時間が不十分であり,睡眠が質,量ともに不良であったことは,原告にノン・ディッパー型の血圧日内変動を惹起し,睡眠による十分な血圧の低下,すなわち,血行力学的負荷の軽減を不十分なものとし,交感神経系の活動性の亢進による血圧の上昇をもたらした。さらに,時差を伴う勤務は,主要な血圧調整因子である概日リズムを撹乱することによって睡眠の質を損ったばかりでなく,休日における休養中も撹乱された概日リズムの中で過ごさざるを得ないことを強いて,疲労回復のための休養の質を不良なものとした。 (イ) 乗客に対する安全の配慮及びサービスの提供に伴う精神的緊張の持続は,精神的緊張が交感神経系の機能の亢進を介して心拍数の増加と小動脈の収縮を生じさせ,血圧を上昇せしめることからして,原告の血行力学的負荷を一段と増大せしめた。原告は精神的要求度の極めて高いチーフパーサーを務めており,しかも,仕事に対する裁量権が極度に制限されていたことに加えて,49歳という仕事上の緊張の影響をより強く受ける年代に属していたこと,更には,原告の乗務時間が多い状態にあったことから,原告の血圧は,その業務によって受け続けていた精神的緊張によって上昇していた。 (ウ) 本件発症前の数か月にわたって与え続けられた業務負荷は,動脈瘤壁に対して血行力学的負荷として作用し続けて血圧を上昇させ,加えて睡眠時の血圧の低下幅を減少させて,その状態が長期間にわたり繰り返されることによって,原告の脳動脈瘤壁を脆弱化させた。 (エ) 原告が平成8年5月23日から同月25日までの休日は「1日横になって寝て」過ごしていたこと,発症の1週間前には「顔色が血の気の引いた疲れた様子」であったこと,倒れる1か月位前から「疲れたと頻繁に口にするようにな」っていたこと,加えて,原告が平成8年5月20日の健康診断で「握力,筋力の低下」「頚・肩のこり,痛み」「下肢のしびれ,痛み」「背部痛」の症状を訴えており,その症状は従前から原告に存在した脊柱管狭窄症に過労が加わって発現したものであること,更には,原告が有給休暇を取得していない状態が続いていたことから,原告は,本件発症直前において極度の疲労状態にあったことが確認される。そして,この極度の疲労状態をもたらした原告の過重な業務の負荷が,原告の血圧を上昇させ,また,血圧低下を妨げて,脳動脈瘤壁の脆弱化に影響を与えた。 (オ) 安静時の一時的な血圧測定では検出できない程度の血圧上昇でも睡眠による夜間の血圧の低下による血管壁の修復機能が害された場合には,それが血管壁に対して十分に傷害性に作用する。 (カ) 動脈瘤壁の構成要素である膠原線維が正常に機能するためには,定期的な血圧の低下を必要とすることに十分に着目し,その血圧低下の減少の有無と程度についての厳格な検討が必要とされる。 (キ) 脳動脈瘤の発生基礎となる血管壁の脆弱性は,高血圧や動脈硬化が存在しない場合でも,後天的,普遍的に惹起され得るものである。 (ク) 本件発症当時の年齢,職種及び業務内容が近似した同性の客室乗務員3名に対して,ニューヨーク便乗務時とホノルル便乗務時に行った携帯型自動血圧計を使用しての連続血圧測定の結果では,以下の事実が確認され,また,就業後や国外におけるステイ中の睡眠時平均血圧は,すべての例において自宅での睡眠時血圧よりも明らかに上昇している事実が確認された。 a 睡眠時の平均血圧は,自宅での血圧値がもっとも低い値を示しており,帰宅後の血圧が高い場合も第2日目には低下している。 b 外国到着後の血圧は,自宅睡眠時に比較して高く,また,ステイ中はこれよりやや低下するものの,依然として高値を示している。 c 同一人物のホノルル便乗務時とニューヨーク便乗務時の血圧を比較した結果では,ニューヨーク便乗務時の血圧はいずれの時点も高く,業務量の負荷の差を反映している可能性が考えられる。 (ケ) 被告がその正当性を主張する脳・心臓疾患の新認定基準においては,業務の過重性を評価するための具体的負荷要因として,不規則な勤務,拘束時間の長い勤務,出張の多い業務,交替制勤務・深夜勤務,騒音,時差,精神的緊張を伴う業務が指摘されているところ,原告の客室乗務員としての業務については,それらの負荷要因のすべてが存在しており,客室乗務員の業務負荷は通常人にとって許容範囲にある負荷であるとの被告の主張は成り立ち得ない。C意見書においても,原告の労働時間数以外の業務上の負荷要因について,① (時差による変動も含め)覚醒・睡眠の生体リズムが不定であること,② 就業時間に長短があり不規則であること,③ 業務環境がエンジン音による騒音等のある航空機内であること,④ 接客業務としての精神的緊張,⑤ 同僚客室乗務員を指揮監督する立場としての精神的緊張等を考慮すべきであると考えられる,と述べられている。 (コ) 原告には,不規則な勤務,拘束時間の長い勤務,出張の多い業務,交替制勤務・深夜勤務,騒音,時差,精神的緊張を伴う業務による精神的肉体的負荷が重複して存在していたのであり,その負荷によって生じた蓄積疲労は,原告の勤務先が設けていた休養時間によって解消されることは不可能なものであった。この点,勤務態様に対する身体的馴化が,不規則な勤務,拘束時間の長い勤務,出張の多い業務,交替制勤務・深夜勤務,騒音,時差,精神的緊張を伴う業務による精神的肉体的負荷の重複による蓄積疲労を発生させず,その疲労の程度を弱めるということはあり得ない。 (被告の主張) (1) 業務起因性について  業務起因性とは,業務と疾病との間に相当因果関係があることをいい,業務起因性の判断にあたっては,業務に内在する危険の現実化(相当因果関係)があり,当該発症につき業務危険性(過重性)が相対的に有力な原因であると認められることが必要であり,業務負荷が病変等を自然経過を超えて「著しく」増悪させる程度の負荷である場合に初めて業務の「危険性」を肯定することができるというべきである。 (2) 客室乗務員の業務の過重性 ア 客室乗務員の労働環境の特殊性 (ア) 時差  時差に関しては,A株式会社では,時差が大きい路線前後には比較的時差の少ない路線を配置するなど,スケジュール上の配慮をしている。  原告自身も,健康診断時の問診票の自覚症状として眠れないということは挙げていない。  そもそも,不規則な生活を続けている人の日内リズムはあまり頑固なものではなく,国際線の客室乗務員も,初期のうちは時差の影響に悩まされるが,経験を積むと次第に慣れてくるものである。原告は,30年近く客室乗務員を経験している。 (イ) 低気圧,低酸素,低湿度,騒音  機内が低気圧,低酸素,低湿度になることは否定しないが,水分補給を制限されていないから,脱水状態になる可能性はない。また,原告に感染症の既往歴は認められない。  水平飛行中の平均的な騒音レベルはおおむね70デシベル程度であり,予防の観点から定めた日本産業衛生学会の「騒音許容基準」よりも低い。 (ウ) その他の作業環境  チーフパーサーは,ビジネスクラスかファーストクラスを担当しており,カート移動業務は行わないか,行うことがあっても下位職と比べて業務が過重とはいえない。そして,カート類は軽量化等が行われ,身体的に大きな負荷が課せられるとは考えられない。  巡航中の振動や揺れは問題になるレベルではない。揺れが激しい場合にはシートベルトをして着席している。  作業空間は機能的に作られている。客室乗務員に,最も立ち働き,中腰等の姿勢が発生すると考えられるのはミールカートを使用した食事サービスの時間であるが,最大でも1時間30分程度であり,しかも,長時間継続してこの姿勢をとり続けているわけでもない。そもそも,チーフパーサーの主な仕事は,ファーストクラス又はビジネスクラスのサービス業務であり,中腰等の作業姿勢になる頻度は比較的少なく,大きな負荷があったとはいえない。  客室乗務員は,高速機で温暖地から寒冷地,湿地から乾燥地へと短時日で移動するが,客室乗務員が業務等を行うのは機内,空港,空港と宿泊場所の移動等の温度等がコントロールされた場所である。そして,客室乗務員は,各自自らに合う衣類等を持参することで対応しており,肉体的負担は問題とならない。 イ 労働態様の特殊性 (ア) 不規則な勤務  スケジュールの変更はある程度行われているが,平成7年6月から平成8年5月までの12か月間において,原告に対して予め通知されたスケジュールがそのまま維持された割合は,全期間の平均値で78.2パーセントであり,同僚客室乗務員の平均値(77.0パーセント)を上回っている。また,勤務スケジュールの変更が通知される時期は,予定勤務日の4日から7日前までに通知されることが一般的であり,原告に対しても同様の取扱いがなされていた。原告の勤務スケジュールが変更される場合には,その大多数がチーフパーサーとしての職務へ変更となっており,その他は下位の職務への変更であるから,原告が従事していた業務の不規則勤務としての負荷の程度はわずかであり,これを過重なものであると評価することはできない。 (イ) 生体リズムに反する出発時刻  勤務スケジュールは,就業規則に定める乗務時間,勤務時間,休日等の基準を満たし,客室乗務員の業務負荷のバランスを考慮して作成されている。原告に,徹夜乗務の後に早朝からの乗務は認められず,また,いずれの乗務にも就業規則に定められた必要な休養時間は必ず確保されている。 (ウ) 長時間の勤務  本件発症前6か月間の時間外労働時間数は,発症前1か月間は1か月当たり1時間30分,発症前2か月間は1か月当たり4時間30分,発症前3か月間は1か月当たり3時間,発症前4か月間は1か月間当たり2時間15分,発症前5か月間は1か月当たり1時間48分,発症前6か月間は1か月当たり1時間53分であり,原告の1か月当たりの時間外労働時間は,いずれも45時間を超えるどころかそれを大幅に下回っている。発症前6か月間の拘束時間も,1か月間(30日間)の総労働時間と同じか総労働時間数をわずかに上回っているにすぎず,長かったとはいえない。 (エ) 休養,基地外での睡眠,食事,休憩  A株式会社では,休日の付与や,長大路線乗務の後は,時差の少ない路線を配置するようスケジュールの工夫をしていることから,これによって,身体的な疲労を軽減でき,身体的に障害が出ることなどないと考えられる。  ほとんどの国際線航空機では,客室とカーテンで仕切ったクルーコンパートメントと呼ぶ専用座席を確保しており,客室乗務員は,交替で休憩や食事をとっている。しかも,乗務時間が9時間を超える路線の航空機の大部分には,クルーバンクと呼ぶ寝台が備えられており,備えられていない場合でも,クルーコンパートメントと隣接する座席をブロックし,休憩場所を確保している。また,客室乗務員の乗務については,おおむね2交替で1時間ないし2時間程度の休憩が取れているのが実態である。 ウ 作業内容の特殊性 (ア) 保安業務  イレギュラー発生時にはチーフパーサーがリーダーシップをとるのが原則であるが,実際は,イレギュラーが発生したコンパートメント担当者

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