H17. 6.30 広島地方裁判所 平成15年(行ウ)第16号 退去強制令書発付処分等取消請求事件

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判示事項の要旨:  本邦に滞在中大麻取締法違反で有罪判決を受けるなどしたイラン人に対する①入管法24条4号の退去強制事由がある旨の認定に対する異議の申立てにつき入国管理局長がした異議は理由がない旨の裁決、②入国管理局主任審査官がした退去強制令書発付処分につき、イランに強制送還されれば大麻密輸罪及びイスラム教からの改宗等を理由に過酷な処罰や拷問を受けるおそれがあり、上記各処分は憲法、国際人権規約、難民条約、拷問等禁止条約に違反するなどとする旨の主張がいずれも排斥された事案 判決 主文  1 原告の請求をいずれも棄却する。  2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請 求 1 平成15年5月19日付裁決通知書に基づき、原告に対し同月21日告知された出入国管理及び難民認定法(平成16年6月2日法律第73号による改正前のもの。以下特に断らない限り同じ)49条に基づく異議の申し出を理由なしとした被告広島入局管理局長の裁決は、これを取り消す。 2 被告広島入国管理局主任審査官が原告に対して平成15年5月21日付でなした外国人退去強制令書発付処分はこれを取り消す。 第2 事案の概要  イラン・イスラム共和国(以下「イラン」という)の国籍を有する外国人である原告が、在留特別許可、在留期間更新許可を得て日本に滞在していたところ、大麻取締法の規定に違反して有罪の判決を受け、在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に在留したことから出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)24条4号の退去強制事由があると認定されたため同法49条所定の異議の申立てをしたのに対し、被告広島入国管理局長(以下「被告入管局長」という)が原告に対してした異議は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という)及び被告広島入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という)がした退去強制令書発付処分(以下「本件発付処分」という)はいずれも違法であるとして、その取消しを求める事案である。  1 前提事実   (1) 原告の入国及び在留の状況 ア 原告は、1965(昭和40)年××月××日生れのイラン国籍を有する外国人である。 イ 原告は、1990(平成2)年12月14日、新東京国際空港(以下「成田空港」という)に到着し、東京入国管理局成田空港支局入国審査官から在留資格「短期滞在」、在留期間90日の上陸許可を受けて本邦に上陸したが、在留期間更新又は在留資格変更を受けることなく、在留期限である1991(平成3)年3月14日を経過して本邦に不法残留していたところ、不法残留期間中の1992(平成4)年××月××日、日本人であるAと婚姻した。 ウ 原告は退去強制事由があるとして退去強制手続が開始されたが(所管・東京入国管理局横浜支局)、1994(平成6)年2月14日、法務大臣は、原告が日本人であるAと婚姻生活を営んでいる事実が認められたことなどから、在留資格を「日本人の配偶者等」、在留期間1年とする在留特別許可を付与した。1995(平成7)年2月1日、在留資格「日本人の配偶者等」、在留期間1年で在留期間の更新許可がなされた。 エ 原告は、1995(平成7)年2月2日、再入国許可(有効期限は1996〔平成8〕年2月2日まで)を受けていたが(所管・東京入国管理局横浜支局)、1995(平成7)年12月5日、成田空港からバンコクへ向けて出国した後、上記期限までに再入国しなかった。 オ 原告は、1996(平成8)年2月8日、成田空港から上陸しようとしたが、再入国許可の有効期限が満了していたことにより、東京入国管理局成田空港支局の特別審理官から口頭審理を受け、同日、在留資格「日本人の配偶者等」、在留期間1年とする上陸特別許可を受けた。 カ 原告は、1996(平成8)年2月22日、再入国許可(有効期限は1997〔平成9〕年2月8日まで)を受けて(所管・東京入国管理局横浜支局)、1996(平成8)年2月26日、成田空港からテヘランへ向けて出国し、同年5月9日、テヘランから成田空港に到着し、本邦に再入国した。 キ 原告は、イランに出国中の1996(平成8)年4月29日、イランのバンダラ・アバス港において、大理石の梱包内に隠匿した大麻樹脂約36.541 kg(時価約3億円相当、当時史上最大量)を香港籍船舶B号に船積みし、ドバイ港及びシンガポール港で他の船舶に積み替えた上、同年5月20日、神戸港に接岸係留した船舶から本邦内に陸揚げし、営利の目的で大麻樹脂を輸入させたなどの犯罪事実(以下「本件犯罪」という)により、1998(平成10)年3月3日、神戸地方裁判所において大麻取締法違反及び関税法違反により懲役8年及び罰金200万円の刑事判決(以下「神戸地裁判決」という)の言渡しを受け、同月18日、同判決は確定した。  原告は、同年4月8日、神戸拘置所から大阪刑務所に移送された後、1999(平成11)年11月2日広島刑務所に移送され、2003(平成15)年6月3日、同刑務所から仮出獄の許可を得て出所した。   (2) 本件退去強制令書発付に至る経緯について ア 広島入国管理局入国警備官は、原告について入管法24条4号ロ(在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者)及びチ(昭和26年11月1日以後に大麻取締法の規定に違反して有罪の判決を受けた者)該当容疑で違反調査を行った上、各退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、2003(平成15)年4月24日、原告を法24条4号ロ及びチ該当容疑者とする違反事件を関係書類とともに広島入国管理局入国審査官に引き継いだ。 イ 広島入国管理局入国審査官は、同年5月9日、原告に対し審査を実施した結果、同日、原告が法24条4号ロ及びチに該当する旨の認定を行い、原告にこれを通知したところ、原告は、直ちに特別審理官に対する口頭審理の請求をした。 ウ 広島入国管理局特別審理官は、同年5月15日、原告に対し口頭審理を実施した結果、入国審査官の前記認定には誤りがない旨認定し、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対して異議の申し出をした。 エ 入管法69条の2及び出入国管理及び難民認定法施行規則61条の2第9項、10項により法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、同年5月19日、原告の異議の申し出は理由がない旨の裁決(本件裁決)を行い、同日、被告主任審査官に通知した。   被告主任審査官は、これを受けて、同月21日、原告に本件裁決を告知するとともに、退去強制令書(乙4)を発付し(本件発付処分)、広島入国管理局入国警備官は、同年6月3日これを執行し、原告を広島入国管理局収容場に収容した。 ア 広島入国管理局入国警備官は、同年6月4日、原告を入国者収容所西日本入国管理センターへ護送した。  2 主要な争点及び当事者の主張   (1) 本件裁決は違法といえるか。    (原告の主張) 被告入管局長は、以下のとおり、原告に在留特別許可を与えるべきだったにもかかわらずこれを与えなかったのであるから、本件裁決は違法であり、取り消されるべきである。 ア 原告の経歴等 原告は日本での生活歴が短くなく、日本人の配偶者がおり、日本で会社を経営していたなど、日本における生活が定着していた。原告の婚姻生活も、被告らが指摘するように破綻しているとはいえない。また、本件犯罪は冤罪であるし、神戸地裁判決を前提としても、原告が服役して矯正教育を受けたこと、前科がないこと、累犯でないことなどを有利に斟酌すべきである。 イ 憲法及びB規約違反(難民関係を除く) (ア) 二重処罰の危険(憲法39条、B規約14条7項)  イランの刑法は、第7条において、「イラン国外で罪を犯したイラン人が国外で捕まったときは、イランの刑法によって処罰する」と規定しており、実際に同一事実による二重処罰が行われている。  イランの麻薬取締法4条4項では、5 kgを超えた大麻輸入罪の法定刑が死刑(及び刑の宣告を受けた者の家族が一般的に生活ができるだけの財産を除く財産の没収)とされ、注意書きで、「その罪を犯すのが初めてで、それらの頒布・売買に成功しなかったことが明らかとなったとき」は終身刑及び鞭打ち74回(並びに前記同様の没収。以下死刑と併せて「死刑等」という)とされている。  以上から、本件犯罪で有罪判決が確定した原告がイランに送還されれば、再度同一事実で処罰される危険があり、本件裁決は二重処罰を禁ずる憲法39条後段及び市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という)14条7項に違反する。 (イ) 裁判を受ける権利の侵害(憲法37条、B規約14条)  原告がイランに送還されれば、麻薬犯罪等を所管するイスラム革命裁判所(以下「革命裁判所」という)で審理される可能性が高い。革命裁判所は政治と宗教の影響下にあり、裁判官は検察官を兼任しており、起訴状は不明瞭で、密室裁判や略式容疑も実施されているといわれ、適正手続は全く保障されていない。  以上から、原告がイランに送還されれば、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利及び弁護人依頼権が著しく侵害されるから、本件裁決は憲法37条及びB規約14条に違反する。 (ウ) 生命に対する権利の侵害(B規約6条1項、2項)  前記のとおり、原告はイランに送還されれば大麻密輸罪で死刑等に処せられるおそれがある。したがって、原告をイランに送還することは、生命に対する権利を定めたB規約6条1項、2項に違反する。  なお、「最も重大な犯罪」(B規約6条2項)については同条も死刑制度の存置を認めているが、人の殺害を伴わない薬物犯罪がこれに当たらないことは明らかであり、大麻密輸罪に死刑を適用することは罪刑の均衡を著しく欠くものである。 (エ) 拷問又は残虐な刑罰の禁止違反(B規約7条)  前記のとおり、原告はイランに送還されれば残虐な人権侵害を受ける蓋然性が極めて高いから、本件裁決はB規約7条の拷問又は残虐な刑罰の禁止に違反する。 ウ 原告の難民該当性を考慮しなかったことの違法性   原告は、以下のとおり、難民申請中であり、また難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という)上の難民(以下「条約上の難民」という)に該当するから、在留特別許可を与えないのは、憲法13条、14条、B規約6条、7条、9条、26条に反し、違法である。 (ア) 総 論   難民該当性を判断するためには、国の状況いかんが重要である。   イランでは宗教と政治は一体であり、イスラム原理主義による規律は厳しく、信教の自由は著しく制限されており、基本的人権は守られていない。その統治形態は、ある程度の民主主義的基盤のある統治とイスラム法学者である聖職者による統治の二重構造になっている。軍隊・警察・司法機関等も同様に二重構造があり、いわば表向きの権力組織があると同時に、最高指導者が君臨する権力組織が存在しており、後者は秘密裏に活動し、より強力であり、その活動に法的根拠を必要としない。 (イ) 大麻密輸罪で迫害・拷問を受けるおそれ 原告がイランに送還されれば、①薬物犯罪に対する刑罰としては著しく苛酷な死刑に処せられるおそれがあること、②改宗を理由とする迫害を隠れた目的として処罰されるおそれがあること、③適正手続が保障されず拷問を受ける可能性があることなどから、大麻密輸による処罰も「迫害」(難民条約1条A(2))に当たる。   そして、原告は「薬物犯罪を犯し、又はその容疑をかけられた者」という属性で他との認識が可能であるから、「特定の社会的集団の構成員」(同号)に該当する。   以上から、原告は条約上の難民に該当する。 (ウ) 改宗等により迫害・拷問を受けるおそれ イランでは、キリスト教徒は信仰を理由として投獄、嫌がらせ、脅迫等を受けている。特に、イスラム教から他の宗教に改宗すると死刑とされる。実際に改宗により「棄教」又は「神に背く行為」で有罪となり、死刑を宣告された例がある。   原告は元イスラム教徒であったがキリスト教に改宗し、また、イランではイスラム教に対する批判を内容とする書籍であるサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を所持していた。イランの当局がこれらの事実を把握していることは、①イランで原告に対する逮捕状(甲13の2、14の2)が発付されていること、②イランに帰国していた1996(平成8)年3月か4月頃、イギリスに旅行した友人から英語の『悪魔の詩』を譲り受けたこと、③これをテヘランにある自分の事務所に日記(イスラム教とキリスト教の違いなどについて記載したもの)とともに隠し、事務員であるCにこれをペルシャ語に翻訳するように頼んでおいたところ、原告がイランを離れて日本に再入国した後である同年5月15日頃、同女が何者かによって殺害され、『悪魔の詩』と日記が持ち去られたこと、④イラン在住の原告の家族がイランの警察から③の殺人事件の取調べと称して原告が普段読んでいた本の内容等原告の思想・信仰に関する取調べを受けたこと、⑤前記友人が1996(平成8)年5月以降行方不明であることなどから明らかである。   以上から、原告は、イランに送還されれば、改宗及び『悪魔の詩』の所持(以下これらを併せて「改宗等」という)を理由として迫害・拷問を受けるおそれがあるから、原告は条約上の難民に該当する。 (エ) 原告が強制送還が許される例外事由に該当しないこと   被告らは、仮に原告が難民であったとしても難民条約33条2項及び入管法53条3項の定める強制送還が許される場合に該当する旨主張する。   しかし、これらの例外事由は、「難民を送還することにより考えられるリスクと国家の安全に及ぼす危険を比較して、後者の危険が前者の危険を圧倒的に優位に上回っている場合」に限定的に解釈すべきである。   そして、大麻密輸罪は「特に重大な犯罪」(難民条約33条2項)とまではいえないし、原告には前科前歴もなく、常習犯でも累犯でもないから、「社会にとって危険な存在」(同項)及び「日本国の利益又は公安を著しく害する」(入管法53条3項)者とはいえず、本件は前記例外事由には当たらない。 (オ) 難民認定手続と退去強制手続の関係   前記のとおり、原告は難民に該当するから、これを考慮しないで在留特別許可を与えないこととした本件裁決は違法である。   被告らは難民認定手続と退去強制手続が別個独立であることを強調するが、前記平成16改正後の入管法(以下「改正法」という)により両者の手続は関連付けられることになった。実質的にも、法務大臣等が条約上の難民に対して退去強制手続を進めて在留を認めないとすれば、著しく不当である。    (被告らの主張) 争う。以下のとおり、本件裁決は、原告に退去強制事由があり、被告入国管理局長の裁量権の逸脱・濫用もないから、適法である。    ア 退去強制事由の存在  原告は、大麻輸入罪による有罪判決(神戸地裁判決)を受けた者であり、入管法24条4号チに該当する。また、最終在留期限である平成9年2月8日を超えて不法残留しており、同24条4号ロに該当する。   したがって、原告には同法24条4号の退去強制事由がある。 イ 本件裁決の適法性 (ア) 入国管理局長の広範な裁量権   憲法上、外国人は我が国に在留し、又は引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもなく(最高裁昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)、法もこれを前提としている。   また、在留特別許可の判断を行うに際しては、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外国政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情が総合的に考慮されなければならない。   そして、在留特別許可は、在留期間の更新許可の場合とは異なり、入管法24条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者を対象として判断されるものである。それらの者には在留特別許可の申請権も認められておらず、在留特別許可の要件は「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」とされている。   以上によれば、法務大臣等の在留特別許可についての裁量権の範囲は広範なものというべきであり、裁量権の行使がその範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるというためには、法務大臣等がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてそれを行使したものと認め得るような特別の事情があることが必要である。 (イ) 本件裁決の適法性 不法薬物の密輸入が我が国の安全及び公共の秩序に対する重大な犯罪であることはいうまでもないところ、本件犯罪は、営利目的で約36.5 kgという当時史上最大量の大麻樹脂を我が国に密輸入し、これを所持していたというのであるから、その責任は極めて重大であり、出入国管理行政上も決して看過することはできず、これ自体、原告の我が国への在留を許可すべきでない事情といえる。 原告は日本人Aと婚姻したが、その婚姻関係は破綻状態にあることが窺われ、Aとの間に子はなく、ほかに我が国に係累もいない。 被告入管局長は以上のような事情を総合考慮して本件裁決をしたのであり、その認定・判断が付与された権限の趣旨に明らかに背いてそれを行使したものではない。 ウ 憲法及びB規約違反の主張について(難民関係を除く) (ア) 原告は、本件裁決が憲法37条、39条、B規約6条、9条、14条、26条に違反する旨主張する。   しかし、憲法上外国人には我が国に在留する権利は保障されていないし、B規約も締約国が外国人を合法的に国外追放することを認めているから、基本的人権及びB規約に基づく権利は、いずれも、外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎない。また、これらの規定は、外国人を原告が主張する各権利が保障されていない国へ送還することまでも禁止するものではない。   したがって、原告が主張するような各権利は、いずれも、本件裁決が違法であることの根拠とはならない。 (イ) なお、二重処罰の危険については、そもそもイランで原告が処罰される可能性があるのは本件犯罪とは別個の事実である大麻輸出の事実のはずである。また、憲法39条、B規約14条7項は我が国の裁判権によって二重処罰することを禁じているに過ぎず、イランで二重処罰を受けることがこれらの規定に触れるわけではない。 (ウ) また、生命等に対する権利(B規約6条)については、B規約6条2項は締約国が「最も重大な犯罪について」死刑制度を存置することを容認しているところ、犯罪に対していかなる刑を科すかは、原則として当該国家がその広範な裁量に基づいて決定すべき事柄であり、諸外国においても薬物犯罪に対して厳罰を課す法制度を持つ国は少なからず存在することなどに鑑み、原告の主張は失当である。 エ 原告の難民該当性を考慮しなかったことの違法性の主張について (ア) 難民認定手続と退去強制手続の別個性 退去強制手続と難民認定手続は、全く別個の手続であり、法務大臣等は在留特別許可を付与するか否かを決する上で難民該当性を判断しなければならないものではなく、入管法上、法務大臣により難民と認定された者に対する退去強制手続が予定されていることなどに鑑み、難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていること自体は、退去強制手続を当然に停止させるものではない。また、条約上の難民に該当することが直ちに退去強制手続を停止させるわけでもない。 (イ) 難民条約33条2項、入管法53条3項該当性   原告は営利目的による約36.5 kgもの大麻樹脂の輸入等により有罪判決を受け、同判決が確定したのであるから、「特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となったもの」(難民条約33条2項)であり、原告の在留を認めることが「日本国の利益又は公安を著しく害する」(入管法53条3項)と認められる。したがって、仮に原告が難民であるとしても国籍国に送還できる場合に当たるから、本件裁決は難民条約33条1項、入管法53条3項の趣旨にも反しない。 (ウ) 大麻密輸罪で死刑に処せられる危険性について 原告は大麻密輸罪で死刑に処せられることが「特定の社会的集団の構成員であること……を理由に迫害を受ける」場合に当たると主張するが、そのように解する余地はない。 (エ) 改宗等を理由として死刑等に処せられる危険性について 原告は、イラン政府が原告の改宗等の事実を把握していると主張するが、否認する。原告がその根拠として提出する逮捕状(甲13、14の各2)については偽物である旨の在京イラン大使館領事からの回答があるし、その他の主張にも信憑性がない。   (2) 本件発付処分は適法といえるか。    (原告の主張)    ア 違法性の承継   本件裁決が違法である以上これを前提とする本件発付処分も違法である。    イ 拷問等禁止条約第3条1項違反 (ア) イランの拘禁施設では、歪んだ姿勢のまま長時間の吊り下げ、タバコによる火傷あるいは睡眠剥奪、ケーブルや他の器具での背中や脚のかかとを激しく繰り返し打つ方法などによる拷問が実際に行われている。   イラン憲法は拷問を禁止しているが、拷問禁止案が議会で通過した後憲法院で否決されたこと、議会のテヘラン代表がその理由を「被疑者・被告人が爆弾犯や薬物犯のような場合に、素早く自白を獲得して裁判官に懲役刑を言い渡してもらうためには、強制的な手段も必要だといっている」としていることなどから、イランで拷問が行われていることは明らかである。 (イ) 前記のとおり、原告は大麻密輸罪に関して拷問を受けるおそれがあるし、大麻密輸罪によって受けるおそれのある死刑等自体が「拷問」(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約〔以下「拷問等禁止条約」という〕1条)に当たる。 (ウ) 前記のとおり、原告は改宗等を理由としてイラン当局から処罰される具体的危険があり、取調べ等の過程で拷問を受ける危険がある。 (エ) 以上のとおり、原告をイランに送還すれば拷問が行われるおそれがあると信じられる実質的な根拠があるから、本件発付処分は拷問等禁止条約3条1項(「締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない」)に違反する。    ウ 難民条約第32条、33条1項、入管法53条第3項違反   前記のとおり原告は難民であるから、被告主任審査官は原告を国外に追放できず(難民条約32条1項)、少なくともイランに強制送還することはできない(同条約33条1項、入管法53条)。    (被告らの主張)    ア 違法性の承継について 争う。前記のとおり本件裁決は適法である。    イ 拷問等禁止条約第3条1項違反について (ア) イランでは憲法上拷問は禁止されており(38条)、憲法院が拷問禁止法案を否決したのも、自白の認容性について判断を下す裁判官の権限を制限することがイスラム教の原則に反するとの理由によるものとされているから、憲法院で拷問禁止案が否決されたからといって、イランにおいて一般的に拷問が行われるおそれがあるということはできない。   また、イランにおいて原告が主張するような拷問が薬物犯罪に関して実際に行われていると信ずるに足りる実質的な根拠はない。 (イ) 拷問等禁止条約にいう「拷問」には「合法的な制裁の限りで苦痛が生じること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えること」を含まない(同項第2文)から、死刑等はいずれも拷問等禁止条約にいう「拷問」には当たらない。また、麻薬犯罪者及びその被疑者に対して拷問が行われていると信ずるに足りる実質的な根拠はない。 (ウ) イラン当局が原告の改宗等の事実を把握していることは否認する。 (エ) 以上から、本件発付処分は拷問等禁止条約3条1項に反しない。    ウ 難民条約第32条、33条1項、入管法53条第3項違反について   争う。理由は前記(1)(被告らの主張)エと同様である。 第3 争点に対する判断  1 争点本(1)(件裁決は違法といえるか)について   (1) 総 論 被告らの主張するとおり、在留特別許可の判断には当該外国人に関する個人的事情のみならずその時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外国政策、当該外国人の本国との外交関係等諸般の事情が総合的に考慮されなければならないこと、憲法上外国人は我が国に在留し、又は引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもなく、法もこれを前提としていると解されること、在留特別許可は法24条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者(原則として退去強制されるべき者)を対象として判断されるものであることなどに照らし、法務大臣等には在留特別許可をするか否かにつき広範な裁量権があり、その行使が違法であるというためには、法務大臣等がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてそれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを要するものと解するのが相当である。   以下、そのような特別の事情があるかどうかを検討する。   (2) 憲法及びB規約違反の主張について(難民関係を除く) ア 二重処罰の危険(憲法39条、B規約14条7項)について 原告は、イランに強制送還されると大麻密輸罪で二重処罰されるおそれがあり、憲法39条後段及びB規約14条7項に違反すると主張する。   しかし、これらはいずれも同一国内における二重処罰を禁ずる規定であって、そのような保障のない国に外国人を送還することを禁止するものではないと解されるから、その余の点を検討するまでもなく、原告の主張は採用できない。 イ 裁判を受ける権利の侵害(憲法37条、B規約14条)について   原告は、イランに強制送還されると革命裁判所で不公平な裁判を受けるおそれがあり、憲法37条及びB規約14条に違反すると主張する。   しかし、これらの規定は外国人が外国において受ける裁判についての権利まで保障するものではなく、したがってそのような保障のない国に外国人を送還することが禁止されていると解することもできないから、その余の点を検討するまでもなく、原告の主張は採用できない。   なお、原告は「原告については、送還されれば、その場で逮捕され革命裁判を行われることが必至である具体的危険が切迫しているため、そのような場合での母国イランへの送還を強制することは、明らかに原告の人権を侵害することになり、憲法及び人権規約に反する」と主張するが、外国人には国際法上原則として我が国に在留する権利があるとはいえないのであるから、国籍国等で拷問や迫害を受けるおそれがある場合については難民条約、入管法、拷問等禁止条約等によって強制送還の可否が判断されるとしても(後述)、それ以外の場合についてまで原告が主張するように解する根拠はない。 ウ 生命に対する権利の侵害(B規約6条1項、2項)について   原告は、イランに強制送還されると大麻密輸罪で死刑等に処せられるおそれがあるが、いずれの場合も罪刑は著しく不均衡であるから、原告をイランに強制送還することはB規約6条1項、2項に違反すると主張する。   しかし、B規約6条は、我が国に外国人の外国における生命に対する権利の保障を義務付けるものではない。また。B規約6条2項は、「最も重大な犯罪について」死刑制度を存置することを容認している。ところで、犯罪に対していかなる刑を科するかは、原則として当該国家がその広範な裁量に基づいて決定すべき事柄であり、証拠(乙18の1)によれば、韓国では大麻の営利目的等輸出入に死刑が、シンガポールでは大麻樹脂の200 gを超える輸出入に唯一の法定刑として死刑が、マレーシアでは大麻の200 g以上の所持に唯一の法定刑として死刑が、フィリピンでは大麻の750 g以上の輸入等に死刑がそれぞれ規定されていることが認められる。そうすると、薬物犯罪がB規約6条の「最も重大な犯罪」に該当せず、これに対する刑罰法規において死刑を規定することが許されないものであるということはできない。   以上によれば、この点に関する原告の主張は採用できない。 エ 拷問又は残虐な刑罰の禁止違反(B規約7条)について   原告は、拷問又は残虐な刑罰を受ける危険性(B規約7条)を主張するが、この規定は外国人の外国における同条規定の権利を保障するものではなく、したがってそのような保障のない国に外国人を送還することが禁止されていると解することもできないから、その余の点を検討するまでもなく、原告の主張は採用できない。   (3) 原告の難民該当性を考慮しなかったことの違法性の主張について ア 原告は、自らが難民であることを理由として、本件裁決が憲法13条、14条、B規約6条、7条、9条、26条に反し、違法であると主張する。 イ(ア)しかし、難民条約32条1項は「締約国は、国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか、合法的にその領域内にいる難民を追放してはならない」とし、同条約33条2項は「特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となったもの」は同条1項の規定(「締約国は、難民をいかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放又は送還してはならない」)による利益の享受を要求することができないと規定している。   したがって、難民条約は、33条2項に該当する者に対する追放及び送還を許容しており、難民であるからといって当然に締約国に在留する権利が与えられているわけではない。また、締約国に在留許可を与えるべき法的義務があるともいえない。 (イ) なお、入管法上も、法務大臣により難民と認定された者に対する退去強制手続が予定されており、難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていることによって当然に退去強制手続が停止されるものではない。 (ウ) 以上の点につき、原告は、難民認定手続と退去強制手続が関連付けられたことを強調する。   在留資格の取得を許可された者については退去強制手続を行わないとされている(改正法61条の2の6)が、法務大臣が難民の認定をする場合であっても、「第24条第3号又は第4号ホからヨまでに掲げる者のいずれかに該当するとき」はその例外事由として、在留資格を当然には与えないこととされている(改正法61条の2の2第1項3号)。 そして、前記前提事実によれば、原告が入管法24条4号チに該当することは明らかであり、仮に改正法が適用される事案であったとしても、難民と認定されたからといって当然には在留許可が与えられる地位にはなく、退去強制手続が停止されることもないことになる。 ウ また、本件犯罪は、営利目的で史上最大量の大麻樹脂を本邦に輸入したことなどを内容とするものであるから、原告が「特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となったもの」(難民条約33条2項)及び「日本国の利益又は公安を著しく害する」場合(入管法53条3項)に該当するといわざるを得ない。   そうすると、原告は、難民条約33条1の規定による利益の享受を要求することができず(難民条約33条2項)、入管法53条3項の「難民条約第33条第1項に規定する領域の属する国」に送還することが許される場合にすら該当することになる(この点は、直接的には退去強制を受ける者の送還先に関する問題であるが、在留特別許可を与えるかどうかの判断に当たっても考慮されるべき事情であると解される)。   以上によれば、仮に原告が難民に該当したとしても、原告に在留特別許可を与えないこととした本件裁決が難民条約及び難民認定法に反するものということはできないし、以上に加えて既に(2)で判示したところを総合すれば、憲法13条、14条、B規約6条、7条、9条、26条に違反するものともいえない。 エ なお、原告は神戸地裁判決について冤罪を主張する。   しかし、本件裁決がされた当時神戸地裁判決は確定しており、再審その他その効力が覆される可能性があるといえるような事情があったことも窺われない。したがって、被告入管局長が在留特別許可をするかどうかを判断する際は、神戸地裁判決で認定された犯罪事実があることを前提とすべきである。   原告の冤罪に関する主張は採用できない。 オ 以上によれば、その余の点を検討するまでもなく、この点に関する原告の主張は採用できない。   (4) その他の事情 原告には妻・A以外の係累が日本にいない(争いがない)。そして、証拠(乙7の2、8、15)によれば、Aが平成15年5月23日の広島入国管理局における取調べに対して原告との離婚手続を取る予定であって原告にもその旨直接伝えた旨供述していること、原告も平成15年4月21日の入国警備官の取調べに対してAとの婚姻関係は続いておらず出所後に離婚について話し合いたい旨供述したこと、同年5月9日の入国審査官の取調べに対してももし妻が離婚してくれというのであれば応ずる旨供述したことがそれぞれ認められる。   (5) 小 括     以上のとおり、①原告が単に形式的に入管法24条4号所定の退去強制事由に該当し、法律上原則として退去を強制されるべき地位にあるというだけでなく、②実質的にも在留特別許可を与えないことによって憲法及び条約で保護された権利を侵害する結果となるとはいえず、また我が国で形成した人的関係が破壊されて家族その他の生活の基盤を失うような自体になるとはいえないばかりか、③かえって原告が本件犯罪により有罪判決を受けたことによって難民条約33条2項、入管法53条3に該当するものといわざるを得ないことなどを総合すれば、被告入管局長が原告に対して在留特別許可を与えなかったとしても、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてそれを行使したものと認められるような特別の事情があるとはいえない。     原告は在留特別許可が与えられるべき事情があるとして他にも縷々主張するが、既に述べたところに照らし、採用できない。     したがって、本件裁決は違法とはいえず、この点に関する原告の主張は理由がない。  2 争点(2)(本件発付処分は適法といえるか)について   (1) 違法性の承継について   原告は本件発付処分が本件裁決の違法性を承継して無効であると主張するが、1で判示したとおり本件裁決が違法であるとは認められないから、この点に関する原告の主張は採用できない。   (2) 拷問等禁止条約違反の点について ア 条約の規定   拷問等禁止条約「の適用上、『拷問』とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。『拷問』には、合法的な制裁の限りで苦痛が生じること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることは含まない」(1条1項)。   そして、「締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない」(3条1項)。「権限のある当局は、1(項)の根拠の有無を決定するに当たり、すべての関連する事情(該当する場合には、関係する国における一貫した形態の重大な、明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する」(同条2項)。同条については、難民条約33条2項のような例外規定は存在しない。   以上によれば、イランで原告に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があると認められるときは、原告をイランに送還することは許されないことになるので、以下検討する。 イ 大麻取締法に関する拷問について (ア) 前記前提事実、証拠(甲4の1、21、38の1・2)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。 a. イラン憲法38条には、「自白の強要、又は情報を得るためのいかなる拷問も禁止される。自供、自白、証言を強制することは許されず、かかる自供、自白、証言は証拠能力を有しない。これに違反した場合には法律により処罰される」という趣旨の規定がある。   イランでは、2002(平成14)年3月、拷問禁止案が議会を通過したが、同年6月、憲法院は、自白の認容性について判断を下す裁判官の権限を制限することがイスラム教の原則に反することを理由として、この案を否決した。 b. 『2002年度国別人権状況報告書』(甲4の1)は、アメリカ合衆国国務省民主主義・人権・労働局が、2003(平成15)年3月31日付で、アメリカ政府以外の情報源に基づいてイランの人権状況をまとめた報告書であり、拷問に関しては次のような記述がある。 (a) 「憲法は拷問の使用を禁止している。しかし、治安部隊と刑務所職員が非拘禁者と囚人を拷問し続けたという多数の確証高い報告があった。テヘランのエヴィン刑務所を含むいくつかの刑務所は、政治的敵対者に対する残虐で長期にわたる拷問で有名である。一般的な方法は、歪んだ姿勢のままの長時間吊り下げ、タバコによる火傷あるいは睡眠剥奪であるが、最も頻繁に使われるのは、ケーブルや他の器具で背中や脚のかかとを厳しく繰り返し打つ方法である」 (b) 「野党のイラン・クルド民主党(PDKI)は、政府が12月11日にサナダジュ市でハビブラー・タンハエヤンを逮捕し、4日間の尋問と拷問の末、12月15日に処刑したと申し立てた」 (c) 「2000年11月、ジャーナリストのアクバル・ガンジは、2004年4月ベルリンの会議でイランの政治に関して発言したことで裁判にかけられた。……彼はイランに帰国した時点で逮捕され、6ヶ月以上もの長期間、独房に監禁された。ガンジは法廷で、刑務所で殴られ拷問されたと証言した」 (d) 「刑務所の状況はひどい。自白強要のため独房に監禁したり、適切な食物や治療を与えないこともある」  なお、薬物犯罪について特に拷問が行われた旨の報告は存在しない。 c. 2003(平成15)年12月2日に英国民間放送「チャンネル4」で報道されたドキュメンタリー番組は、全体として、イランで学生運動について取材していたカナダ人ジャーナリストが殺害された事件を踏まえて、イランにおける反体制派の学生運動に対する弾圧の状況について報道する内容であるが、冒頭部分において、刑務所において暴力的な刑罰がされている旨の説明とともに、姦通者に対する投石、手の切り落とし、眼のくり抜きなどの刑罰が行われている映像や、薬物を購入した女性の遺体(死因等についての説明はない)がクレーンで吊るされている写真が放映された場面がある。 (イ) 以上の各事実によれば、次のようにいうことができる。 a. 原告は憲法院が拷問禁止案を否決したこと、これにつき拷問禁止案推進派のテヘラン代表の議員が憲法院は薬物犯罪等について拷問によって素早く自白を得るために拷問禁止案を否決したとコメントしたことを指摘して、イランでは拷問が認容されていると主張する。   しかし、イラン憲法は拷問を禁止しているし、拷問禁止案の具体的内容や議会及び憲法院における審議過程も明らかでないから、原告の指摘するような事実があるとしても、イランの憲法院や政府が薬物犯罪で自白を得るための拷問を容認しているものということはできない。 b. 『2002年度国別人権状況報告書』には拷問の事例が挙げられている。しかし、拷問に関する報告は政治犯罪に関するものがほとんどであり、それ以外については被疑事実が不明であって、薬物犯罪について特に拷問がされていることを記載した部分は見当たらない。また、同報告書の情報源は不明であり、信憑性の有無を検討する材料に乏しい。したがって、報告書の記載内容が直ちにイランで薬物犯罪に関して拷問が行われていることの根拠となるものということはできない。   また、チャンネル4の番組ではイランで拷問が行われている旨の放送内容が含まれている。しかし、この番組は全体として学生運動に関するものである。冒頭部分では薬物を購入した女性の遺体がクレーンで吊るされている写真が放映されているが、これが刑罰ではなく拷問によるものであるという説明はない。そうすると、拷問に限っていえば、『2002年度国別人権状況報告書』に挙げられた政治犯罪に対するものと同じく、非政治犯である薬物犯罪についても拷問がされるおそれがあることの根拠となるものとはいえない。 c. そして、他にイランで政治犯罪ではなく薬物犯罪に関して拷問が行われていると認めるに足りる証拠はないから、原告が本件犯罪に関して拷問を受けるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるとは認められない。   この点に関する原告の主張は採用できない。 (ウ) なお、原告は大麻密輸罪による死刑等も「拷問」に当たると主張する。   しかし、拷問等禁止条約上、「合法的な制裁の限りで苦痛が生じること」は拷問に当たらないところ、死刑等は大麻密輸罪に対する合法的な制裁としてイランの麻薬取締法に規定されているものであるから、拷問等禁止条約上の「拷問」には当たらない。したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。 ウ 改宗等に関する拷問について (ア) 前記前提事実、証拠(甲3の1、4の1、10、11、34の1・2、38の1・2、乙7の2・3、8、9、31)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。 a. 原告の両親はイスラム教徒である。イスラム教徒である両親を持つ者はイスラム教徒とされていることから、原告は生来のイスラム教徒であった。   しかし、1991(平成3)年頃東京都新宿区の教会で洗礼を受けてキリスト教(カトリック)に改宗した。その際洗礼証明書が発行され、原告はこれをノートに挟んでイランに持ち帰ったが(なお、被告は改宗後もイランの出入国を繰り返していた)、1996(平成8)年5月にイランを出国したときはこれを持ち出さなかった。   原告は、刑務所に服役する際自分がカトリック教徒である旨申告し、少なくとも、1999年11月に広島刑務所に移送されてから、刑務所内における集合及び個別の宗教教誨に数年間にわたって参加していた。 b. 原告は、2003(平成15)年4月21日の入国管理局長の取調べに対し、イランに帰りたいが大麻密輸罪で死刑になるかもしれず不安である旨述べている。また、翌22日付の取調べでも、イラン革命検察庁から逮捕状が出ているためイランに送還されれば死刑になるおそれがあるので難民申請する予定である旨供述している。同年5月15日の口頭審査でも、イランでは大麻密輸罪で死刑になるのであり、家族からの手紙で自分に逮捕状が出ていることが分かった旨述べている。これらの供述の中に改宗等を理由する拷問・処罰のおそれに触れた部分はない。 c. 原告は、同年7月17日、改宗等及び大麻密輸罪を理由に迫害を受ける可能性があるとして難民申請した。 d. 『2002年度国別人権状況報告書』(甲4の1)には、信教の自由に関して、要旨、次のような記述がある。 (a) 「政府は信教の自由を制限している。憲法は『イランの公式の宗教はイスラムであり、これを奉ずる宗派は『ジャーファル(12イマーム)・シーア派』であり、この原則は『恒久的に不変である』と宣言している。……憲法はさらに『その他のイスラム教派も完全に尊重される』としており、ゾロアスター教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒などイスラム教以前から国に存在する宗教を、唯一の『保護される宗教的少数派』として認めている。具体的に憲法の下で保護されていないイランの宗教的少数派は、信教の自由を享受していない。イランの宗教的少数派のバハイ教徒やユダヤ教徒、キリスト教徒、スーフィー主義イスラム教徒などは、その信仰によって投獄、嫌がらせ、脅迫などを受けていると報じられている」 (b) 「近年、バハイ教徒、福音派キリスト教徒およびスンニ派聖教者など、マイノリティの宗教グループの信者が多数、政府関係者又は直接当局の手で殺されたという申し立てがある」 (c) 「政府は非ムスリムがムスリムを改宗させるのではないかと非常に疑っており、特にバハイ教徒と福音主義キリスト教徒に対して厳しく対応している。……政府は市民の改宗や棄教の権利を保証していない。改宗、特にイスラム教からの改宗には死刑もあり得る」 (d) 「当局は近年、ペルシャ語で礼拝を行う福音主義キリスト教徒の布教活動を抑えることに特に熱心である。政府は福音主義教会を閉鎖し、改宗者を逮捕している」 (e) 「キリスト教のグループは、1997年11月から1998年11月……の間に15人~23人のイラン人キリスト教徒が行方不明になったと報告した。行方不明になった人々はイスラムからキリスト教への改宗者であり、その洗礼を当局に発見されていた」 (f) 「1998年9月、政府は、英国作家サルマン・ラシュディの命を奪えという1989年のファトワにかかわらず、彼および彼の作品『悪魔の韻文』の関係者の命を脅かすようなことはしないと公表した。……一部の革命財団やマジュレス議員は、政府の約束を否認し、1989年のアヤトラ・ホメイニによるファトワは『取り消し不能』であると主張してラシュディの殺害を要求した」(注・『悪魔の韻文』は『悪魔の詩』と同じ) e. 前記チャンネル4の番組には、冒頭で、前に認定した暴力的な刑罰等に関する説明と並んで、27歳男性の遺体の写真を示して「明らかに当局による拷問死であるが、三日三晩拷問があったとされる。罪は、イスラム教から古代ペルシャの宗教ゾロアスター教へ改宗したことである」旨説明される場面がある。 (イ)a. 以上の各事実によれば、イランではイスラム教徒が他の宗教に改宗したときは背教の罪で死刑に処せられる可能性があり現にこれが行われたという報告や報道があり、また『悪魔の詩』はイスラム教に対する批判的な内容の書籍であるとはいえ、前記報告書の記述が必ずしも具体的でなく、また報告書及びテレビ番組の信憑性を判断するための資料にも乏しいこと、1998(平成10)年9月にイラン政府が『悪魔の詩』の関係者の命を脅かすようなことはしないと公表していること、原告はカトリックに改宗した平成3年以後もイランの出入国を繰り返しており、最後に入国したときは1996(平成8)年5月までイラクに滞在していたことなどの事実に照らし、原告が単にキリスト教に改宗し、また『悪魔の詩』を所持していたというだけでイランの公務員等による拷問のおそれがあるとは認め難い。   原告に対する拷問のおそれが実質的根拠を有するというためには、原告が最後にイランを出国した後にイランの当局によって原告の改宗等の事実が把握され、これを理由する危害が加えられるおそれがあるといえるような状況に変化したことを要するというべきである。   以下具体的に検討する。 b.(a) 原告は、イランの司法当局が発付したものであるとして、原告を被疑者とし、「背教罪」(改宗等)を被疑事実とする逮捕状(甲13の2、14の2)を提出する。 (b) しかし、証拠(乙31)によれば、この逮捕状について在京イラン領事に照会したところ、「イラン国籍を有する者の逮捕状の真偽についてですが、本国に問い合わせた結果、本国司法府国際局より、『当該逮捕状は偽物であり、発行部署にそのような逮捕状は登録されていない』との正式な回答がありました」という書面による回答があった事実が認められる。 また、仮にイランの当局が逮捕状を発付したとしても、原告ないしその家族がこれを入手できること自体極めて不自然である。原告自身、逮捕状は2004(平成16)年3月22日にイランの母親から届いたものであり、入手には「弁護士が関与している」というのみで、それ以上に合理的な説明をしていない。   さらに、原告は、2003(平成15)年4月21日、22日の入国管理局長の取調べでは大麻密輸罪で死刑になるおそれがある旨、同年5月15日の口頭審査ではこれに関して逮捕状が出ていることが分かった旨それぞれ供述しているが、改宗等を理由とする逮捕状については何ら述べていない。そうすると、原告が口頭審査までに言及していた逮捕状は大麻密輸罪に関するもののみであることと、原告が入手したと主張する逮捕状の被疑事実が背教罪のみであることとの整合性にも疑問が残る。 (c) 以上によれば、前記逮捕状が真正なものであると認めることはできず、むしろ在京イラン大使館領事の回答にあるとおり偽造文書である可能性が高いといわざるを得ない。 c.(a) また、原告は『悪魔の詩』に関してイランで拷問を受けるおそれがあると信ずるに足りる実質的根拠があると主張する。その根拠として挙げるのは、前記逮捕状のほか、①原告がイランに帰国していた1996(平成8)年3月か4月頃、イギリスに旅行した友人から英語の『悪魔の詩』譲り受けたこと、②これをテヘランにある自分の事務所に日記とともに隠し、事務員であるCにこれをペルシャ語に翻訳するように頼んでおいたところ、原告がイランを離れて日本に再入国した後である同年5月15日頃、同女が何者かによって殺害され、『悪魔の詩』と日記が持ち去られたこと、③イラン在住の原告の家族がイランの警察から②の殺人事件の取調べと称して原告が普段読んでいた本の内容等原告の思想・信仰に関する取調べを受けたこと、④前記友人が1996(平成8)年5月以降行方不明であることなどにある。 (b) しかし、(a)①については、そもそも原告が『悪魔の詩』を所持していたことを示す客観的な証拠が存在しない。原告の提出する最も重要な証拠の一つというべき逮捕状が前記のとおり偽造文書ではないかと疑われることを考慮すれば、客観的な裏付けがないまま原告の主張するような事実を認めることは困難である。原告の証拠収集能力に限界があり、イランに帰国して証拠を収集することができない立場にあることを最大限考慮しても、同様に解せざるを得ない。   (c) (a)②については、証拠(甲35の1~6)によれば、テヘラン市内の墓地にD(原告によればCの本名)の墓があり、墓石には同人が1996〔平成8〕年5月15日に死亡した旨刻まれていることが認められる。 しかし、原告がCに『悪魔の詩』の翻訳を依頼したこと、Cの死が自然死でなく殺人であること、Cの死亡と同時に『悪魔の詩』と原告の日記が紛失したことを示す客観的な証拠はない。   また、原告はCが何者かに殺されたとは主張しているが、イランの「公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に」(拷問等禁止条約1条1項第1文)殺されたと主張しているわけではない。そのような事実を示す客観的な証拠も皆無である。したがって(a)②の点がそれ自体としてイランの当局が原告の改宗等について個別的に把握している根拠となるものではない。 (d) そして、原告は、(a)②とイランの当局が原告の改宗等を知って同人を逮捕・処罰すべく捜査に着手したこととを関連付ける事情として(a)③の事実を主張するが、これについても客観的な裏付けがなく、にわかに採用できない。   (e) (a)④についても、証拠がないだけでなく、単に『悪魔の詩』を所持していた友人と連絡が取れなくなったというだけで、同人が同書籍の所持を理由としてイランの公務員等から拷問を受けたものであること、及び原告がこれを所持したことがイラン政府に発覚してこれを理由とする逮捕状が発せられたことをそれぞれ推認させるような事情であるとも認め難い。 d. 以上によれば、イラン政府が原告の改宗等について個別に把握しているものと認めることはできない。したがって、原告がイランの「公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に」拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるとまでは認められない。 エ 小 括 以上によれば、拷問等禁止条約違反に関する原告の主張は理由がない。   (3)難民条約第32条、33条1項及び入管法53条3項違反について     前記のとおり原告は難民条約33条2項及び入管法53条3項に該当する。したがって、仮に難民であったとしても国籍国であるイランに送還することが許される場合に当たるから、その余の点を検討するまでもなく、この点に関する原告の主張は理由がない。   (4)小 括     以上のとおり、本件発付処分は適法であると認められる。 第4 結 論    よって、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決をする。 広島地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官  橋  本  良  成 裁判官  木  村  哲  彦 裁判官  相  澤     聡

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