H18. 1.25 横浜地方裁判所 平成13(ワ)531 損害賠償請求事件

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 胎児であった原告がIUGR(子宮内発育遅延)と診断され,被告病院において経膣分べんによる出産後,精神遅滞等の後遺症が生じたことにつき,被告病院の医師に高度医療機関に転送すべき義務があったのにこれを怠った過失を認定した上で,上記過失と後遺症との間に因果関係は認められないが,後遺症が生じなかった相当程度の可能性を侵害したとして原告の請求の一部を認容した事例(なお,本件については東京高裁に控訴提起あり。)           主         文  1 被告は,原告に対し,550万円及びこれに対する平成13年3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。  2 原告のその余の請求を棄却する。  3 訴訟費用は,これを10分し,その1を被告の負担とし,その余は原告の負担とする。  4 この判決は,1項に限り仮に執行することができる。ただし,被告が300万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。           事実及び理由 第1 請求  (1) 被告は,原告に対し,2億3795万7904円及びこれに対する平成13年3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(附帯請求の始期は,訴状送達の日の翌日である。)。  (2) 訴訟費用は被告の負担とする。  (3) 仮執行宣言 第2 事案の概要  本件は,胎児であった原告が被告病院においてIUGR(intrauterine growth retardation 子宮内発育遅延)と診断され,同病院において経膣分べんによる出産後,精神遅滞,運動発達遅滞及び協調運動障害等の後遺症(以下,原告に発症した後遺症を「精神発達遅滞等」という。)が生じたことにつき,被告病院の医師にIUGR児である原告の分べん前及び分べん時の管理義務に違反した過失があり,又は高度医療機関に転送すべき義務があったのにこれを怠った過失があるとして,被告に対し主位的に上記精神発達遅滞等の後遺障害を残したことによる損害について,2億3795万7904円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年3月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,予備的に,上記後遺症が残らなかった相当程度の可能性を侵害したことによる損害について,慰謝料3000万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年3月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,診療契約上の債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき請求する事案である。 1 前提となる事実(証拠の引用のないものは当事者間に争いがない。)  (1) 被告は,病院及び老人保健施設を経営する医療法人社団であり,肩書地において乙総合病院(以下「被告病院」という。)を開設し運営している。  (2)原告は,甲野太郎(以下「太郎」という。)と甲野花子(昭和(略)生まれ。以下「花子」という。)の長男として,平成6年5月4日,被告病院で出生した。  (3) 平成5年8月22日,花子は,実家の近くにある被告病院で初めて診察を受け,分べん予定日は平成6年4月9日と告げられた。その際,切迫流産のおそれがあるとして,入院,加療を受けた。  その後は,特に問題もなく推移し,当初は1か月に1回,平成6年2月に2回,同年3月には4回の割合で,被告病院にて定期的に診察を受けた。  平成6年3月16日の診察の際,花子は原告の発育が遅れているとの指摘を受けた。  花子は,平成6年4月に数回診察を受けたが,予定日を過ぎても出産の兆候がなかったため,心配となり,診察した医師に質問したところ,同医師は「大丈夫心配ない。」「予定日に生まれる方が少ないのだから。」などと述べた。  同じころ,花子に対して,子供が生まれやすくなるようにとマイリス(妊娠末期子宮頸管熟化不全における熟化促進剤)が数回にわたり注射されたが,それでも生まれてくる様子がなかった。  (4) 平成6年5月2日午後11時ころ,いったん陣痛が始まったので,花子は翌3日午前0時10分ころから被告病院に入院したが,微弱陣痛ということで,同日午後4時ころ退院して帰宅した。  翌4日午前2時ころから再び陣痛が始まり,被告病院に再入院した。この間,花子は破水し,早期破水であるといわれた。  同日午前8時10分ころには,花子のもとへD助産師が来て,胎児の心音が落ちているという趣旨のことを述べ,花子に対して酸素吸入を行った。そのころ,子宮口がほぼ全開大となり,A医師(以下「A医師」という。)により花子に対して陣痛促進剤が打たれたが,分べんは余り進行しなかった。  同日午前9時ころ,担当医師がA医師から,非常勤で花子とは初対面のC医師に交代し,その後C医師が内診を行った。  (5) 花子は前記D助産師から「もっと力を入れて。」など言われながら,同日午前11時19分に,原告を出産したが,原告は泣き声を上げることもなく,全体が紫色で,手足もぐったりとしていた。  (6) 原告に対して,出生後あらかじめ待機していた小児科のG医師によって,救急そ生術がされたが,アプガースコアは1分値1点,5分値4点という新生児仮死状態であり,アプガースコア10点となるまでに出生後59分を要し,原告には神経症状である落陽が認められた。  (7) 原告は,直後に救急車で丙医大病院(以下「医大病院」という。)のNICU(新生児集中治療室)に搬送された。 2 争点 (1) 診療契約の主体 (2) 分べん以前の管理義務違反 (3) 分べん時以前の管理義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係 (4) 分べん時の管理義務違反 (5) 分べん時の管理義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係 (6) 高度医療機関への転送義務違反 (7) 高度医療機関への転送義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係 (8) 損害額 (9) 重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の侵害 3 争点に対する当事者の主張  (1) 争点(1)(診療契約の契約主体)について  (原告の主張)  本件に関し,原告は契約当事者又は第三者のためにする契約の第三者であり,いずれにしても契約責任を追及する権利を有するものである。  すなわち,原告の両親である太郎と花子は,平成5年8月22日,被告との間において,花子が原告を出産するに際し,当時の医療水準において必要とされる最善の注意をもって適切な診療を行う旨の診療契約を締結した。同契約は,原告を受益者とする第三者のためにする契約であり,原告は出産とともに法定代理人である両親によって代理され,診療を受けることにより受益の意思表示をしたものであって,被告に対し債務不履行責任を問うことができる。  (被告の主張)  争う。被告は,平成5年8月22日,花子との間で,分べん管理を行うことを内容とする診療契約を締結したのであり,契約当事者でない原告が診療契約に基づく債務不履行責任を追求できる根拠が明らかでない。また,診療契約当時,原告は胎児であり権利能力を有していないのであるから,受益者たる地位を有しない。 (2) 争点(2)(分べん以前の管理義務違反)について  (原告の主張)  ア 妊娠週数及び分べん予定日は,IUGRを早期に診断し,適切な管理を行うために,妊娠初期において正確に診断されるべきものであるところ,A医師らは,当初から妊娠週数,分べん日の診断を誤っただけでなく,その誤りを妊娠初期の段階で修正することを怠り,また,IUGRを早期に診断すべきでありながら,IUGRを疑いつつも,IUGRの確定診断をせず,その結果IUGRに対応した胎児の適切な管理を行わなければならないという医師としての基本的な注意義務に違反したものである。  イ IUGRには,それ自体を治療する決定的な治療方法はなく,胎盤機能検査,胎児ウエルビーイング(健康な状態,well-being),頭部発育の評価による胎児べん出の時機及び方法の検討が最重視される。胎児がウエルビーイングであるかどうかは,妊婦尿中エストリオール(E3)測定や,ノンストレステスト(NST),コントラクションストレステスト(CST)などのほかに胎児心拍数モニタリング(FHR)あるいは胎児バイオフィジカルプロフィールスコア(BPS),羊水量の測定などを度々行い,それらの検査結果を総合して,いつ分べんするかというターミネイションの時機を決めることが必要不可欠であるとされる。また,NST,CST,胎児心拍数モニタリング所見で,胎児仮死が発見されればterm(在胎月齢が満37週以上満42週以下)以前にべん出の方針を決定するか,それらの所見がなければ38週までもたせてべん出すべきで,IUGRの胎児は,40週までべん出をもたせず帝王切開を行った方が良いという考え方が一般的である。  ウ 本件においては,出産予定日を過ぎ,IUGRであることが明白に認められ,頭部発育障害も発生し,尿中エストリオール値の異常低値が出現するなどの異常兆候が顕著にあったものであり,妊娠38週前後から,遅くとも40週までの間に,CST等により,胎児ウエルビーイングを正確に評価し,適切な時機に分べんを選択すべきであった。また,べん出方法も,分べん誘発を試み,それができないときには,帝王切開を選択し,実行すべきであった。それにもかかわらず,被告は,IUGRの胎児を42週3日まで,漫然と胎内に放置し,そのために原告を慢性的な低酸素,低栄養状態にさらし,頭部の発育を阻害し原告に精神発達遅滞等の後遺症を負わせたという過失がある。    (被告の主張)  ア 平成5年9月28日における出産予定日及び推定妊娠週数12週3日との診断を事後的に補正したからといって,エコーによる妊娠週数の診断には1週間程度の誤差があるのであるから,当時の診断に誤りがあったとはいえない。本件においては,妊娠39週5日に当たる4月7日になっても,頸管の熟化が不良で児頭下降が見られないなど,分べん予定日間近の所見とはいえないような状態にあったことから,上記の誤差を考慮して補正したものであり,妊娠週数,分べん予定日の把握,外来管理につき過失はない。  被告の主張は,IUGRの発症と妊娠週数の補正とは関連がないと主張しているのであって,原告はこれを診断上の過誤の問題とすり替えて論じている。妊娠週数が正確に診断されるべきことは被告も同様に理解している。平成5年9月28日に超音波断層写真による胎児頭殿長(CRL)は3.9㎝であり,11週2日が相当であった。確かに,超音波断層写真を重視すべき見解もあるが,超音波断層写真によっても1週間程度の誤差はあり得るのである。正確な在胎週数は,超音波断層写真による胎児頭殿長(妊娠1週間程度),児頭大横径(妊娠20週前後)の測定値と最終月経から算出した妊娠週数を比較して算出補正される性質のものである。平成5年9月28日に,妊娠週数12週3日と診断したことが直ちに誤りとはいえず,その後の経過を考慮して,平成6年4月7日に補正を行ったことも不適切な管理ではない。被告病院の医師はIUGRを常に念頭において経過観察を行っていたのであって,「IUGRの問題は解決したとする誤りを犯している」などの非難は妥当しない。  イ 被告病院においては,平成6年3月25日,同年4月16日胎盤機能検査を,同月7日,21日にノンストレステスト(NST)をそれぞれ実施しているが,異常所見は認められなかった。  IUGRの胎児であることのみを以て帝王切開を選択することにはならない。一見,帝王切開は経膣分べんに比し児への侵襲は小さいと思われるかもしれないが,呼吸窮迫症候群(RDS)の発症率は有意に高く,安易な帝王切開は見直される傾向にある。しかも,母体にとっては開腹手術であり,術後合併症などのリスクは高い。  ウ 原告は,15年以上前の文献をもとに,べん出を40週までもたせるべきではないと主張するが,これは必ずしも一般的な見解ではない。児の推定体重が1500g以上で,NSTの検査結果が反応型(reactive)の場合には,経膣分べんを行うのが基本的であり,この場合は陣痛の発来を待つことになる。原告に対しては,5月3日,約5時間に及ぶモニタリングを行い反応型であることが確認されていたのであり,その後も帝王切開を施行しなければならないような重篤な胎児仮死の徴候は存在しなかったのであるから,帝王切開を施行しなかったとしても不適切な医療行為とはいえない。  (3) 争点(3)(分べん時以前の管理義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係)について  (原告の主張)  本件において,脳の機能が不可逆的に障害される頭部発育停滞が生じる以前の37週から39週6日(E3異常低値)まで,良好な生命予後,神経学的予後を両立しうる適切な分べん時機があったと考えられる。したがって,頭部の発育障害を注意深く観察した上で,適切な分べん時機の検討がされていれば,当然この時期に分べん誘発若しくは帝王切開にて胎児をべん出し,環境の悪化した子宮内から整備されたNICUへ児をゆだねられたものであり,慢性的な低酸素,低栄養状態による胎児脳への悪影響は避けられた。  (被告の主張)  原告は,38週の時点で帝王切開をしなかったことを問題とするが,原告に発症した精神発達遅滞等の原因を,周産期の低酸素状態に求めることができない以上,仮にこの時点で帝王切開によるべん出を試みたとしても,同様の症状が発症した可能性は極めて高い。  IUGRの原因については,①母胎因子,②胎盤因子,③胎児因子等が考えられるが,シンメトリック(symmetric-対称性)なIUGR(頭部及び全身の発育が不良なIUGR)の場合には,③胎児因子が最も疑われる。そして,IUGRに対する治療法がいまだ発見されていないため,IUGRにおいては発育が停止した時点でべん出を試みる手技が望ましいとされるが,この方法は,べん出前に発生したIUGRの原因を除去,治療するものではなく,分べんに伴う低酸素状態等の二次的危険を回避する目的の手段に過ぎない。  原告に発生した精神発達遅滞等の原因は不明であるが,原告がIUGRの胎児であったこと,同児に心房中隔欠損症(ASD),心室中隔欠損症(VSD)等の心奇形が認められたこと等に照らせば,心奇形のため循環動態に異常を来し,精神発達遅滞等に至ったと考えるのが合理的である。  そもそも,帝王切開等の早期べん出により回避することができるのは周産期の低酸素状態であり,それ以前の低栄養状態ではない。本件において,IUGRそのものが精神発達遅滞の危険を内在しており(IUGRの胎児の場合,何らかの原因があって胎内での発達が遅延しているのであり,出生後においても同様の機序により成長が遅れることは当然に予想される。),周産期の低酸素状態と精神遅滞とが関連性を有しないことは前述のとおりであり,IUGRの胎児は発育が止まったと判断する時点において帝王切開によりべん出するべきであるとしても,本件結果は回避することができなかった。  本件において,周産期の低酸素状態と原告に生じた精神発達遅滞等に関連性がない以上,同人の精神発達遅滞等は,IUGRにより既に発生していたものと考えるが合理的である。したがって,厳重な管理をしたとしても結果は同様であったといえる。  (4) 争点(4)(分べん時の管理義務違反)について  (原告の主張)  ア IUGRの胎児は,ストレスに対する予備能が低く,分べん時に容易に急性胎児仮死に陥るので,注意深いウエルビーイングの評価のもと,ストレスを与えないべん出方法で分べんするのが基本原則である。  そのために,帝王切開が選択されることが多くなるが,経膣分べんを行うにしても,分べん中の急性胎児仮死は必発と考えて,人工羊水投与の対策や分べん中にいつでも帝王切開が可能なように準備(ダブルセットアップ)をしておく必要がある。  イ また,妊娠42週(294日)になっても分べんに至らない妊娠を過期妊娠というが本件はこれに当たる。過期妊娠は胎盤機能不全の結果,胎児低酸素症の危険があるものや,分べん状態不良による難産の可能性があるので,厳重な妊娠管理が必要とされており,重症の遷延性徐脈や遅発一過性徐脈が生じたときは,子宮胎盤循環不全による胎児仮死を疑い直ちに帝王切開をすべき義務があるのに,本件ではそれもされていない。  すなわち,本件においては,平成6年5月3日午後0時50分の時点において,変動一過性徐脈の所見が認められたが,子宮収縮を伴わないこのような早い時期での変動一過性徐脈は,たとえ軽度であっても正常例では考えられないものであって,胎児仮死を警戒すべき所見である。  また,翌4日午前8時10分ころ,胎児の心拍数が60bpm以下に達し,約10分間持続する遷延徐脈が出現し,続いて子宮収縮の度に変動一過性徐脈が頻回認められ,しかも,それは子宮収縮間欠期に頻脈を伴って発生しており,非典型的波形の遅発一過性徐脈として評価すべきものであった。  ウ このように,同日午前8時半から9時の間には,変動一過性及び遅発一過性徐脈が頻発しているが,これは胎児予備能の限界を示すものであるにもかかわらず,同日午前9時より子宮収縮剤の投与が開始されている。これは,胎児の急性仮死をさらに悪化させる処置である。すなわち,仮死徴候がある場合,子宮収縮剤の投与は,胎児の急性仮死をさらに悪化させる処置で禁忌とされているものであり,それ自体医療過誤といわざるを得ない。  エ したがって,午前8時10分の遷延徐脈後も変動一過性徐脈が一向に改善されていないのであるから,分べん第2期に入る以前で午前9時00分くらいまでに子宮緊縮の低減をはかり,帝王切開にこの時点で移行すべきであった。  (被告の主張)  ア 被告病院は,いつでも帝王切開を施行することが可能な病院であり,分べん中に異常があった場合に,直ちに帝王切開に移行できる準備を整えて経膣分べんを監視すべきであるというのであれば,被告病院は常にダブルセットアップ体制で分べんに臨んでいる。  イ 原告の指摘する平成6年5月3日午後0時50分における変動一過性徐脈は,胎児仮死を疑う徴候ではない。同日の午前11時から午後4時までの5時間にわたって胎児心拍数をモニタリングした結果である分べん監視記録によれば,前述の午後0時50分以外に徐脈は見られない。しかも,その後は頻繁に一過性頻脈が確認されているが,これは胎動に一致して出現するものであり,胎児が健全で元気なこと(ウエルビーイング)を意味する。  午後0時50分の所見が胎児心拍数を意味するものか不鮮明なところもあるが,仮にこれが胎児の心拍数であるとしても,最下限は60bpmを下回るものではなく,軽度変動一過性徐脈と評価されるものであり,この所見のみで病的意義を認めることはできない。被告は,その後も3時間以上,モニタリングを継続しているが,胎児仮死を疑わせるような徴候は皆無であり,異常がないと判断した。  ウ 分べん監視記録によれば,5月4日午前8時10分ころ,約10分間にわたって胎児心拍数が60bpmから80bpmになっているが,これは酸素投与,体位変換により速やかに回復できている。その後の変動一過性徐脈は,児頭が下りてきて骨盤内に進入したために起きたものであり,児頭が圧迫され一時的に胎児心拍数が低下したものであって,胎児仮死の所見とはいえない。  確かに,午前10時40分ころ,分娩室に移した後,変動一過性徐脈とも遅発一過性徐脈ともとれる徐脈が出現しており,胎児仮死の徴候が疑われないでもない。しかし,仮に,この時点において胎児仮死と判断したとして,帝王切開の準備をしているよりも,経膣分べんによった方が早期べん出が可能である。事実,午前11時25分にはべん出を終えている。そして,帝王切開による場合には,下降してきた児頭を膣から手を入れて押し上げる必要があり,児に大きなストレスを与えかねず,また,帝王切開のリスク(母体術後死亡,術後合併症)を考えれば,被告病院の選択は不適切であるとはいえない。  (5) 争点(5)(分べん時の管理義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係)について  (原告の主張)  ア 原告の精神発達遅滞等は,被告の被用者であり,診療契約の履行補助者である担当医師らの医療過誤に基づくものである。  イ 原告が,本件分べんによって精神発達遅滞等にり患したことは,①分べん時に酸素欠乏症(低酸素状態にあった)があったこと,②それによって分べん時に重篤な仮死状態で生まれたこと,そして蘇生したこと,③低酸素虚血性脳症,落陽等がみられること,④MRI等で脳の萎縮がみられること,⑤先天代謝異常,症候群障害,染色体異常がないこと等から明らかである。すなわち,被告は,子宮収縮剤を用いた稚拙な経膣分べんを強行したものであり,これによって,原告を重篤な急性胎児仮死に至らしめ,重症新生児仮死,胎便吸引症候群(MAS)及びそれらに続発する呼吸障害,脳実質内出血の状態に陥らせた。分べん時,低酸素状態におかれると胎児は胎便を排出し,さらにあえぎ呼吸することにより,大量の排便で汚染された羊水を吸引してMASとなるが,そのこと自体,分べん時に急性胎児仮死が存在した証拠である。また,新生児仮死に続発する脳実質内出血は予後不良であり,発育遅滞の原因となる。すなわち,これらは原告の神経学的予後に不可逆的な悪影響を与えたものであり,結果として,原告を精神発達遅滞等という重篤な後遺障害に至らしめたものである。  ウ 被告は,精神発達遅滞等が分べん時の低酸素症によって起こる場合には,必ず脳性麻痺もみられると主張するが,分べん時の低酸素症による発達遅滞で,脳性麻痺を伴わないものも存在しており,被告の主張は当たらない。分べん中の急性低酸素症と児の後遺症という問題は未だ統一した見解がないのが現状であり,精神発達遅滞等の発症と周産期要因が否定されているわけではなく,妊娠後期,分べん時の適切な管理と処置が重要であることにかわりはない。  (被告の主張)  ア 「All or None」の法則によれば,仮死状態で出生した児は,「死亡」するか「脳性麻痺を発症」するか,あるいは「正常」かのいずれかであるから,「死亡もせず,脳性麻痺も発症せず,正常でもない」場合というのは考えられない。仮に周産期の低酸素状態(asphyxia)を原因とする精神発達遅滞(MR:mental retardation)であれば,常に脳性麻痺(CP)を併発しなければならない。  原告の精神発達遅滞等は,脳性麻痺を伴っておらず,周産期の低酸素状態とは無関係に発症したものであることは明白である。  イ 本件においては,分べんの20分ほど前から胎児性仮死の徴候が胎児にうかがわれ,新生児仮死に陥っているが,6分後には自発呼吸が認められるほどに回復しており,低酸素状況下にさらされた時間は極めて短時間である。上述のとおり,周産期の低酸素状態を原因とする精神発達遅滞は必ず脳性麻痺を伴うのであって,これを伴わない原告の精神発達遅滞等は,周産期の低酸素状態を原因とするものではない。  ウ 鑑定意見書を作成したE医師も本症例には脳性麻痺が存在しないので,精神発達遅滞等はIUGRによるものとしている。なお,原告は,アプガースコア1点(心拍のみ)の状態でべん出されているが,待機していた小児科医師により,吸引,アンビューバッグによる酸素投与の措置が実施され,4分後には発声があり(アプガースコア4点),6分後には自発呼吸が確認されている(アプガースコア5点)。  エ また,脳神経欠損が周産期の低酸素状態を原因とするものであったとされるのは,以下ⅠからⅣの条件をすべて満たした場合に限られる(アメリカ産婦人科学会の基準)。本件の場合,少なくともⅡ,Ⅳを満たしていないことは明らかである。  Ⅰ 代謝性又は呼吸代謝混合性の深刻なアシドーシスの存在(pH<7.00)。  Ⅱ 生後5分以上にわたってアプガースコアが「0~3」と極めて低いこと。  Ⅲ 新生児期に神経学的な後遺症を示していること。  Ⅳ 同時にいくつかの臓器系にみられる機能障害(心臓血管系,消化器系,造血機能,肺機能,腎機能など)。  このことは,原告に脳性麻痺が発症していないという客観的事実とも合致し,同人の低酸素状態が極めて短時間であったことを意味するものであり,原告に胎児性仮死,新生児仮死が存在したとしても,これにより精神発達遅滞等を生じたとすることは否定される。 (6) 争点(6)(高度医療機関への転送義務違反)について (原告の主張)  外来管理時より,本件出産がハイリスク妊娠であることは産科医であれば容易に判断できたものであるにもかかわらず,被告の担当医らは,自施設での管理,処置の技術的限界の判断を誤り,より高度医療機関への適切な転院,紹介をする義務を怠ったものである。すなわち,本件では胎児のウエルビーイングの診断検査はNSTが2回されたのみであり,同検査は手技が簡単で非侵襲的であるため胎児がIUGRと診断されたら少なくとも1週に1回は実施されるべき検査であることは一般の産科診療では常識的な事項になっている。また,NST以外のAFI測定,臍帯血管の血流診断,BPSという胎児の総合評価方法,臍帯血のガス分析などは一切実施されていないが,これらの検査の多くは妊婦の診療を行っている施設の全てで実施することが可能というわけではなく,周産期センター的施設でなくては実施が可能ではないのであって,花子の診療を行った被告病院においても実施不可能であったと考えられる。  そこで,被告病院としては,母体搬送(高度医療機関への転送)という手段を執るべきであったのであり,神奈川県のように母体搬送システムが整備されている地域にあっては,上記に述べた諸検査が不可能であるのであればNSTのチェックのみで漫然と妊娠経過をみているのではなく,本症例のIUGR胎児管理により高度な対応が可能な周産期センター的施設の基幹病院に本件診療を依頼し,転送すべきであった。そして,本件では,平成6年3月16日にIUGRと診断しているのであるから,転院する時間的余裕は十分あったのであり,専門医による適切な管理と処置によって後遺障害は回避できた。  (被告の主張)  IUGRであるからといって,それのみで高度医療機関へ紹介する注意義務は存在しない。しかも,被告病院は,帝王切開に必要な設備,人員が整った病院であり,必要な状況下に至れば帝王切開による胎児のべん出も可能な病院であって,本件においては,モニタリング上,帝王切開を行わなければならないような所見は認められなかった。  また,E医師のいうようにバックアップテストを実施する施設が存在していたとしても,母体搬送はIUGRに対する治療方法ではないのであるから,当該施設においていかなる治療が,いつの時点で実施されるかが問題とされなければならない。本件においては母体搬送時期が問題となるのではない。  (7) 争点(7)(高度医療機関への転送義務違反と原告の精神発達遅滞等との因果関係)について  (原告の主張)  被告がIUGRの胎児を妊娠中の花子を,適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠ったために,IUGRの胎児管理による高度な対応が可能な高度医療機関(周産期センター的施設の基幹病院)において,適切な胎児管理,検査,診療等の医療行為を受けることができなかったことにより,原告は次のとおり重大な後遺症を残すに至った。  原告は,精神発達遅滞等により,立ったり歩いたりすることはどうにかできるが,足の運びがうまくいかずよく転ぶ。階段の上り下りは困難である。道路を一人で歩くことはできない,常に手をつなぐか,体をつかまえておかなければならず,有意語はなく言語理解も困難である。精神,運動両面にわたって発達が遅れていて,6歳8か月時の発達指数は精神発達が15,運動発達が25で1歳8か月相当という状況であり,1歳8か月から現在に至るまで,戊地域療育センターや養護学校等に通って機能向上を目指してリハビリを行っているが,改善するのは困難であるといわれている。原告は,現在身体障害者等級1級と認定されており,食事や入浴,排せつに至るまで,日常生活全般にわたって常時介助を要する状態にある。  (被告の主張)  否認する。  IUGRの胎児であるというだけでは帝王切開の産科的適応はなく,分べん監視装置により胎児心拍の異状が確認された時点で帝王切開に踏み切ることになる。本件においては,べん出前日,当日に長時間にわたって胎児心拍のモニタリングが実施されているが,胎児性仮死を疑う徐脈はべん出直前まで認められていない。したがって,仮にE医師のいうような高度医療機関に花子を転送しバックアップテストを実施していたとしても,本件と同様の経過をたどったものと推定される。  (8) 争点(8)(損害額)について  (原告の主張)  ア 後遺症による遺失利益  金1億0830万1864円  賃金センサス平成10年版男子労働者平均賃金年額569万6800円を基準に,就労の終期(67歳)までの年数に対応する新ホフマン係数19.011に後遺障害等級第1級に対応する労働能力喪失割合100パーセントを乗じた数額  569万6800円×19.011×100/100=1億0830万1864円  イ 慰謝料  金3000万円  精神発達遅滞等により後遺障害等級第1級の障害を残し,生涯話すことも一人で生活することも,働くこともできない生活を余儀なくされた原告の後遺障害慰謝料として,金3000万円が相当である。  ウ 付添い費用  金7865万6040円  原告は,生涯付添い介助が必要であり,付添い費として1日あたり6000円で計算し,過去6年分の1314万円及び将来分(平均余命71年,新ホフマン係数29.916で計算)の,6551万6040円の合計金7865万6040円が付添い費用として相当である。  過去分の計算 6000円×365日×6年=1314万円  将来分の計算 6000円×365日×29.916=6551万6040円  エ 弁護士費用  金2100万円  オ 合計 2億3795万7904円  (被告の主張)  争う。  (9) 争点(9)(重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の侵害)について  (原告の主張)  ア 予備的請求原因として主張している転送義務が履行されていたならば原告に重大な障害が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたことに対する損害は,慰謝料3000万円である。  イ 本件では被告病院の診療ミスによる原告の後遺症の発症は明らかであるが,仮に因果関係が不確かである場合でも,被告病院が損害賠償責任を負うことに変わりはない。すなわち,最高裁平成16年1月15日第一小法廷判決(裁判集民事第213号229頁)によれば,医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において,その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は患者が上記可能性を侵害されたことによってこうむった損害を賠償すべき不法行為又は債務不履行責任を負うものと解すべきであるとされる。  そして,本件において,被告病院はIUGRの胎児に対する十分な検査,管理能力を有しなかったのであるから,より高度の医療機関への転送をし,原告が同医療機関において適切な胎児管理,検査,診療等の医療行為を受け,至適分べん時機に適切な方法でべん出する機会を与えるべきであったのにこれを怠り,後遺症を生じさせたものである。  したがって,被告は原告がこうむった損害を賠償すべき債務不履行責任がある。 ウ 本件を考えるに当たっては,患者の診療に当たった医師が,過失により患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において,その転送義務に違反した行為と患者の上記重大な後遺症の残存との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な医療機関への転送が行われ,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けていたならば,患者に上記重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師が上記可能性を侵害したことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うと解した最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決・民集57巻10号1466頁が参考となる。  (被告の主張)  ア 原告には,胎生初期の異常(IUGR)があったほか,平成8年2月1日より「てんかん発作」が頻発しており,小児期にり患した身体疾患の影響も強く示唆されている(ウエスト症候群類似の疾患)。また,精神発達遅滞等が観察されはじめた生後9か月ころには「全体的に1児(原告)との接触機会が少ないのでは」との母子関係についての問題が指摘され,原告の精神発達遅滞等に母親の関与の薄さという環境因子の影響も強く疑われるところである。したがって,原告の精神発達遅滞等の原因をIUGRのみに求めることはできない(乙15)。  イ 仮に,原告の精神発達遅滞等がIUGRによるものであると仮定したとしても,本件では,頭部及び全身状態の発育が共に不良な対称性IUGRであったこと,先天性の心奇形が存在したこと等から,IUGRの原因としては,胎生期の器官形成期に原因があったことが考えられ(乙15),早期の胎児べん出に至っても,後遺症が全く存在しない症例になって生存したと断定することはできない。そもそも,IUGRは,それ自体,出生後の児の短期,長期予後を左右する病態であり,特に対称性IUGRの場合には出生後の脳障害の頻度が非常に高くなる。  そして,IUGRに対する治療法は存在しないのであって,本件のような対称性IUGRに対し早期べん出を行いNICUにて管理したとしても,予後の改善が図れるかどうかはいまだ研究課題である。しかし,早期べん出によって予後の改善が図れるのは,子宮内環境の悪化に起因するものに限られ,原告のように,精神発達遅滞等に脳性麻痺を伴っていないような場合には,その精神発達遅滞が子宮内環境の悪化による影響を受けたことによるものであることは否定的に考えられており,仮に早期に児をべん出したとしても,精神発達遅滞等の発生を回避することは不可能であった。  したがって,原告が,対称性IUGRであったことにかんがみれば,同人の予後は極めて不良であったといえ,原告が主張するように,精神発達遅滞等の後遺症の程度が軽減された可能性は十分にあったということはできない。  ウ 原告の引用する最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決は,重度後遺症の場合にも「相当程度の可能性」が法的に保護に値するものであることを認めたものであるが,原告らの主張する妊娠,分べん管理を実施したとしても「患者に重大な障害が残らなかった相当程度の可能性」が証明されない本件において,被告に対し損害賠償義務を課すことはできない。 第3 医学的知見及び診療経過についての事実関係に係る当裁判所の認定  証拠(甲1~3,5~7,10~13,15,17~23,25~30,乙1~7,9~15,16の1,16の2,17の1,17の2,18~21,証人A,証人C,証人D,原告法定代理人甲野花子,原告法定代理人甲野太郎)及び前提となる事実によれば,以下の事実が認められる。  1 IUGRについて  (1) 定義  IUGR(子宮内発育遅延)とは,子宮内で胎児の発育が何らかの原因により障害され妊娠週数相当の発育ができなかった状態をいう。IUGRというのは,胎児の発育遅延の状態を示す症候群の名称である。厳密には,出生体重が妊娠週数に比して小さく,胎児子宮内発育曲線の10パーセンタイル以下の出生体重をもつ児と定義される。  IUGRは全妊娠の8から10%,周産期死亡例の18%,胎児死亡例の31%に認められ,ハイリスク妊娠例には高率に合併すると報告されている(甲22)。  (2)IUGRの病因  IUGRの病因は多岐にわたるが,主に胎児そのものの成長ポテンシャルが低下するもの(胎児要因)と母体を含めた子宮内環境の悪化に伴うもの(母体,胎盤要因)とに分けることができる。前者は,胎児の染色体異常,先天性形態異常,心血管系奇形や妊娠早期の胎内感染,代謝異常が考えられる。後者には,妊娠中毒症,糖尿病,SLEなどの自己免疫性疾患に代表される母体微小血管障害に起因するほか,低栄養状態,喫煙,飲酒,抗けいれん剤なども原因となる。胎盤要因には,胎盤梗塞,臍帯及び卵膜辺縁付着,前置胎盤,胎盤血管腫などが原因となる(甲17参考資料7,22)。  (3) 病態生理  ア 臨床的にIUGRは,その身体的特徴により対称性(symmetric)IUGRと非対称性(asymmetric)IUGRに分類される。対称性IUGRは,頭部及び躯幹の発育がともに障害されたタイプ(TypeⅠと呼ばれる。)で,その発育障害は妊娠20週以前の妊娠早期に始まることが多い。非対称性IUGRは,IUGRの80%をしめるタイプ(TypeⅡと呼ばれる。)で,頭部の発育はある程度正常に保たれているが,躯幹の発育が障害されているもので,臨床的に妊娠28週以降にその発育障害が出現することが多い。躯幹の発育が障害されているのに,頭囲の発育が保たれている機序としては,低酸素症に胎児が陥るとノルエピネフリンやバソプレシンなどの血管収縮作用を有するストレスホルモンを分泌し,腸管や筋肉の血管を収縮し,重要臓器である脳,心臓,副腎,胎盤へ血流を優先的に送ろうとする血流再分配作用が働くためと考えられている(甲22)。  イ これらの病態生理は,前述のIUGRの病因と以下のような相関関係が見いだされる。すなわち,子宮内で胎児の発育を抑制する因子として胎児自身に基づく要因(内的因子)として,前述のように染色体異常,先天性奇形などが挙げられるが,この内的抑制因子は,妊娠中極めて早期から作用するので,胎児の細胞数も著しく減少し,身体の中でも頭部発育が抑制され,小頭傾向を示し,対称性IUGRとなりやすい。このような対称性IUGRは,先天奇形が高頻度に発生し,生命及び発達予後は極めて不良である。これに対し,母体疾患と胎盤の機能不全を主とする外的発育抑制因子は,作用時期が妊娠後半で,胎児の細胞増殖が終了するころであるので発育抑制は重篤なものには至らず,身体はやややせるが,頭部の発育は順調で身体に比して頭部が大きい非対称性IUGRとなり,発達予後は比較的良好である。しかし,これらTypeⅠ及びTypeⅡの中間型ともいうべきグループは母体及び胎児因子が相互に関連し,外的抑制因子でありながら,作用時期が早期のため対称性IUGRの型となる(甲21)。  (4) IUGRの診断  IUGRの診断には,まず妊娠週数を正確に決定しておくことが重要であり,何らかの方法で排卵日が特定されていることが望ましいが,特定できない例に対しては超音波検査で妊娠8週から12週の胎児頭殿長(CRL)などを元に妊娠週数の確定を行う(甲22,23,25)。IUGRの診断は胎児体重と妊娠週数により判定されるので超音波断層法により,児頭大横径(BPD)や推定体重(EFBW)の計測を行い,これを妊娠週別にみた胎児発育曲線に経時的にプロットし,体重が10パーセンタイルの曲線より下であればIUGRと診断する(甲23)。  (5) IUGR児の分べん前管理  ア 前述のようにIUGRの胎児は胎児自身が先天異常の症例であったり,大きな奇形部分を持っていたり,母体に高血圧があったり,胎盤や臍帯などに異常があるために発症する状態なので,妊娠中又は分べん中に多くの合併症を発生しやすくなり,IUGRの症例を妊娠した母体はハイリスク妊娠に入ることになる。その結果IUGRの症例は妊娠中の胎児死亡,胎児仮死,出生時の新生児仮死,胎便吸引症候群,感染症の発生率が高く,長期的予後も精神発達遅滞(MR)を残し,障害児となる可能性が高い。すなわち,このような障害を残した症例の約40%はIUGRとされており,この予後の改善,又はIUGRだと妊娠中に診断された胎児が障害児にならないようにどうすべきかが重要であり,そのためIUGRの胎児には正常な胎児を妊娠している妊婦の胎児管理とは別に特殊なハイリスクの厳重な胎児管理が必要となる。  イ 他方で,妊娠中に,IUGRの胎児の発育を良好にして,発育を促進させ成熟児にする治療法がないかという点について,従来から多くの研究や治験が実施されてきた。例えば,マルトース母体投与法,ソルコセリル投与法,微量酸素吸入療法など多数の方法が考案され世界中で実施されたが,いずれも効果は認められず,悪化した子宮内環境の改善によるIUGRの胎児の妊娠中の治療は,現時点では不可能であるとされている。  ウ そうなると,IUGRの胎児は悪化した子宮内の環境改善が望めない以上,栄養状態の悪化及び低酸素状態が劣悪化しないうちにある程度のところでべん出を計画することとなるが,この胎児の健康状態(胎児ウエルビーイング)を把握する方法としては数多くの手技が考案され,これらを用いてより適切なIUGRの胎児べん出時機を決定する妊娠中の胎児診断が重要となっている(甲17)。  2 精神発達遅滞(精神遅滞)について  (1) 定義  ア 精神発達遅滞とは,種々の原因により精神発育が恒久的に遅滞し,このため知的能力が劣り,自己の身辺の事柄の処理及び社会生活への適応が著しく困難であるもの(昭和28年の文部省次官通達),又は一般的知的機能が有意に平均よりも低く,同時に適応行動における障害を伴う状態で,それが発達期に現れるものをいう(米国精神薄弱協会 1973年)と定義される。後者の定義によれば,①有意(平均より2標準偏差以上)に低い知的機能,②年齢に応じた適応行動の発達不全,③18歳未満の発症が診断基準となる。したがって,低IQ(知能指数)であることだけで精神発達遅滞の診断が下されるのではなく,知的機能と適応行動との両者に障害があると確認されたものだけが,精神発達遅滞として分類される。  イ 精神発達遅滞の程度は,軽度から最重度までの4段階に分類されるが,その程度は個人差,個人内差,年齢,教育及び養育環境により,対人関係,集団適応等により異なる。  精神発達遅滞の発生率は報告者により0.86から5.6%までと幅広く,通常人口50人に約1人(出生100に対し2から3人)の高率に上っている(甲6,7)。  (2) 原因  精神発達遅滞は一つの疾患単位ではなく状態像であり,その原因も脳性麻痺と同様に,出生前,周産期,出生後障害の多岐にわたっている。精神発達遅滞の原因としては以下のようなものが挙げられる(甲7)。  ア 原因不明:約30~40%  イ 遺伝的要因(約5%):先天性代謝異常単一遺伝子異常(結節性硬化症),染色体変位(転座型ダウン症候群)。  ウ 胎生初期の異常(約30%):染色体異常(例;21トリソミー型ダウン症候群),毒物や感染症による出生前の障害(アルコール,風疹,サイトメガロウィルス等)。  エ 妊娠及び周産期の問題(約10%):胎生期の栄養不良,未熟児,低酸素症,外傷。  オ 小児期にり患した身体疾患(約5%):感染症,外傷,重金属中毒  カ 環境の影響と精神障害(約15~20%):養育の欠如,社会的,言語的,その他刺激欠如及び重度の精神病の合併。  (3) 症状  精神発達遅滞に伴う症状は,知的発達障害を主に,行動障害,精神症状,性格上の問題,身体症状として身体諸器官の形態的及び機能的問題,運動機能,てんかん発作等,言語の問題,学習上の困難性等が認められる(甲7)。  (4) 脳性麻痺(CP)との関係  ア 脳性麻痺とは,受胎から新生児期(生後4週間以内)までの間に生じた,脳の非進行性病変に基づく,永続的なしかし変化し得る運動及び姿勢の異常であり,その症状は満2歳までに発現する,非進行性疾患や一過性運動障害,又は将来正常化するだろうと思われる運動発達遅延は除外される(厚生省脳性麻痺研究班 昭和43年 乙15)。  イ 脳性麻痺児においてはいわゆる「All or None」の現象がみられる。すなわち,児は,死亡するか,脳性麻痺を発生するか,あるいは正常かのいずれかとなる。  脳性麻痺と精神発達遅滞とは別の疾患であるが,一部重複しているところもあり,以下のような関係が認められる。  ①脳性麻痺児の約50%は正常な知能指数を示すが,約25%は高度な精神発達遅滞である,②高度な精神発達遅滞児のうち約10から15%までは脳性麻痺を併発し,周産期の低酸素状態(asphyxia)がその原因として推定される。したがって,もし精神発達遅滞が低酸素状態によって起きる場合には,脳性麻痺も同時にみられる。③脳性麻痺を併発しない精神発達遅滞は分べん中の低酸素状態との関連はない。(乙1,2)  3 本件分べんに至る経過(認定に供した証拠は,認定事実の末尾に摘示するほかは,乙3ないし5に基づく。)  (1)ア 原告の母である花子は,昭和(略)生まれであり,平成5年当時32歳であった。非妊娠時の身長は154㎝,体重は48.5㎏であった。  イ 平成5年8月22日午後1時15分,花子は被告病院の産婦人科を受診したところ,妊娠7週1日と診断されたが,切迫流産のおそれがあり安静が必要であったので,同病院に同年9月12日まで入院した。花子は,同病院の医師に最終月経日を同年7月3日と申告し,分べん予定日は平成6年4月9日であると診断された。  ウ 平成5年9月12日の退院に際しての診断では,胎児の胎児頭殿長(CRL)18㎜,8週5日相当,胎児心音ありで,外来フォローアップが必要であるとされた。  (2) その後は,特に問題もなく推移し,当初は1か月に1回,平成6年2月に2回,同3月には4回の割合で,被告病院にて定期的に診察を受けた。  平成5年9月28日から平成6年4月30日までの診察,検査内容は以下に付け加えるもののほかは別表1記載のとおりであり,同期間内における頸管熟成度を確認するビショップ(Bishop)スコアの結果は別表2のとおりである。なお,ビショップスコアとは,「頸管開大度」「展退度」「児頭の下降度」「硬さ」「子宮口の位置」の5項目により頸管熟成度を評価するもので,9点以上が熟化と評価される。  ア 平成5年9月28日,花子は被告病院でA医師の診察を受けたところ,妊娠12週3日,異常所見なし,CRL(胎児頭殿長)39㎜,妊娠11週2日相当,胎児心拍あり,性器出血なしとの診断であった。  イ 同年10月27日,胎児のCRLは93㎜であった。  ウ 同年11月29日,花子は貧血の疑いがあると診断された。A医師は,CBC(全血液計測)を行い,同人に対して補中益気湯を3包/3×14TDの割合で処方した。  エ 同年12月27日,太郎が風しんにり患したため,花子についても風しんが疑われた。なお,花子に対する風疹赤血球凝縮阻止抗体検査の結果は,64倍との数値が出た。  オ 平成6年1月25日,B医師は花子に対しブドウ糖負荷試験(GTT)を実施した。花子の血算は12.4g/迎であり,クラミジア反応は陰性であった。B医師は,花子の尿から糖が検出されたことから,糖尿病を疑った。後日,糖尿病自体にはり患しておらず問題のないことが判明した(甲15)。  カ 同年2月22日,花子の体重が60.7㎏に増加したため,被告病院のB医師らは同人の体重増加に注意した。  キ 同年3月11日,A医師は,花子の胎児の推定体重が妊娠週数に比して軽いことから,妊娠週数の違いであるか又は胎児がIUGRではないかと疑った。この点につき,同医師は同月16日の診断の際に確認し,花子の胎児がIUGRであると確定診断をするに至った(A尋問調書18頁)。しかし,同医師は,花子に対して胎児の発育が遅れているとの指摘をしたにとどまった(花子尋問調書22頁)。  ク 同月25日,花子の血算は12.9g/迎,また,HPL(ヒト胎盤性ラクトゲン)及び尿中E3(尿中エストリオール)の胎盤機能検査を実施し,その結果はそれぞれ4.9?/急,10?/急であった。同病院のH医師は,内診により児頭に触れ,その時にはまだ骨盤の中に児頭が入っていない状態を確認し,さらに,ザイツ法(児頭骨盤不均衡判定方法)により児頭骨盤不均衡の所見が認められたため,必要なら次回診察でグットマン検査(児頭骨盤不均衡を測定する際に用いるX線骨盤計測)を行うように指示したが,その後必要ないと判断され同検査は行われなかった(A尋問調書23ないし24頁)。  ケ 同年4月7日,B医師は,花子に対してノンストレステスト(NST)を実施したところ,反応型(reactive pattern)の所見を示した。同日,同医師はマイリス200急及び5%ブドウ糖(GLO)20急を花子に投与した。この診断の際に,頸管熟化や児頭の下降がみられなかったため記録の再検討がされ,上記NSTの結果が反応型であったことから週数の補正をして様子を見ることとし,推定妊娠週数が39週5日から38週4日に,同年4月9日の出産予定日が,同月17日に補正された(A尋問調書2頁)。  コ 同月11日,被告病院の医師は,マイリス200急及び5%ブドウ糖(GLO)20急を花子に投与した  サ 同月16日,ヒト胎盤性ラクトゲン及び尿中エストリオールの胎盤機能検査を実施し,その結果はそれぞれ5.5?/急,5?/急であった。  シ 同月21日,B医師は花子に対し,NSTを実施したところ,反応型の所見を示した。同日,同医師はマイリス200急及び5%ブドウ糖(GLO)20急を花子に投与した。  ス 同月30日,A医師は,内診の際に,花子に対して卵膜剥離の処置を行い,頸管を広がりやすくし,陣痛の発来が容易になるような処置を行った(A尋問調書4頁)  (3) 上記(2)に認定したように,花子は,平成6年4月に数回の診察を被告病院で受けたが,予定日を過ぎても出産の兆候がなかったため,心配となり,診察したB医師に質問したところ,同医師は「大丈夫心配ない。」「予定日に生まれる方が少ないのだから。」などと述べた(甲11)。  また,前記認定のとおり,花子に対して,子供が生まれやすくなるようにとマイリス(妊娠末期子宮頸管熟化不全における熟化促進剤)が数回にわたり注射されたが,それでも出産の兆候が生じなかった。  4 分べん中の経過(認定に供した証拠は,認定事実の末尾に摘示するほかは,乙3ないし5に基づく。)  (1)ア 平成6年5月2日午後7時ころ,花子には不規則に陣痛があり,その後10分間欠,5分間欠の陣痛が始まり,同日午後11時50ころ,同人は被告病院に5分間隔の陣痛が発来した旨電話で連絡し,花子の母親が運転する車で被告病院に到着した。花子は,翌3日午前0時10分ころから被告病院に独歩して入院し,分べん準備室に入り,その後花子に対し浣腸が行われた。この時点において,子宮口は,2㎝開大していた。同日から翌4日までのビショップスコアの数値は別表3のとおりである。  イ 同月3日午前1時ころ,胎児心拍数モニターを装着したところ,反応型(reactive pattern)の所見を示した。  ウ 同日午前9時15分ころ,花子に対しプロスタグランジンE1錠が挿入された。  エ 同日午前11時ころ,CTG(胎児心拍陣痛計(図))による,モニタリングが開始された。  オ 同日午後0時40分,A医師は,内診を行い花子の子宮口が4㎝に開大したことを確認し,花子に対しマイリス600㎎を静脈注射した。  カ 同日午後0時50分ころ,CTGによるモニタリングにより,心拍心音が一時的に80bpm以下に変動する変動一過性徐脈が確認された。その時点において,花子に陣痛は認められなかった。  キ 同日午後1時30分ころ,CTGによるモニタリングより一過性頻脈が認められ,反応型(reactive pattern)の所見を示した。同日午後2時30分,花子は不規則な陣痛があると訴えたが,分娩監視装置上,ほとんどはりは認められなかった。  ク 同日午後4時,約5時間に及ぶモニタリングにより,反応型(reactive pattern)であることが確認されたので,CTGによるモニタリングを終了した。A医師は内診を行った上,CTG上異常所見がみられず,陣痛の増強もなかったので微弱陣痛と判断して,花子をいったん帰宅させた。  (2)ア 同月4日午前2時ころ,再び約5分おきに陣痛が始まったので,花子は太郎の運転する車で被告病院に到着し再入院した。なお,この時点における花子の妊娠週数は42週3日であり,いわゆる過産期となっていた。  イ 入院後の同日午前2時20分ころ,花子に対しCTGによるモニタリングが開始され,内診により,陣痛は不規則かつやや弱めであること,花子の子宮口が4㎝に開大していることが確認された。この時点から同日午前7時10分までのビシ

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