H18. 2.24 東京地方裁判所 平成16年(行ウ)第191号 行政処分取消請求事件

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◆H18. 2.24 東京地方裁判所 平成16年(行ウ)第191号 行政処分取消請求事件 事件番号  :平成16年(行ウ)第191号 事件名   :行政処分取消請求事件 裁判年月日 :H18. 2.24 裁判所名  :東京地方裁判所 部     :民事第38部 平成18年2月24日判決言渡し 同日原本領収 裁判所書記官 平成16年(行ウ)第191号 行政処分取消請求事件 口頭弁論終結日 平成17年12月26日 判          決   愛知県一宮市       原告         A       訴訟代理人弁護士 岡田泰亮       訴訟復代理人弁護士 加藤興平   東京都千代田区霞が関一丁目2番2号       被告         厚生労働大臣B       指定代理人    市原久幸                  瀬戸 勲                  藤田一郎                  松本良一                  手島一嘉                  木下栄作 主          文         一 原告の請求を棄却する。         二 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第一 請求 被告が原告に対して平成16年3月18日付けでした、平成16年4月1日から平成19年9月30日までの期間、医業の停止を命ずる旨の処分を取り消す。 第二 事案の概要  一 事案の骨子 本件は、抗がん剤の過剰投与により患者が死亡した医療事故に関し、被告が、その主治医であった原告に対し、「罰金以上の刑に処せられたため。」及び「医事に関し不正の行為のあったため。」を理由として、医師法7条2項に基づき、3年6か月の期間医業の停止を命ずる旨の処分をしたところ、原告が、医事に関し不正の行為はなく、上記処分は重すぎるので違法であるなどと主張して、上記処分の取消しを求める事案である。 二 関係法令の定め  本件に関連する医師法の規定は、次のとおりである。 4条(相対的欠格事由) 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。 1号及び2号 (省略) 3号 罰金以上の刑に処せられた者 4号 前号に該当する者を除くほか、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者 7条(免許取消し、医業停止、再免許) 1項 (省略) 2項 医師が第4条各号のいずれかに該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生労働大臣は、その免許を取り消し、又は期間を定めて医業の停止を命ずることができる。 (以下省略) 三 前提事実 本件の前提となる事実は、次のとおりである。なお、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実並びに当裁判所に顕著な事実は、その旨付記しており、それ以外の事実は、当事者間に争いのない事実である。 1 原告の経歴(乙2、15、弁論の全趣旨) 原告(昭和45年○月○日生まれ)は、平成8年3月に埼玉医科大学を卒業し、同年4月に医師国家試験に合格して、医師免許を取得した者であり、耳鼻咽喉科を専門としていた。なお、原告には、医師法による処分歴はなかった。 原告は、医師免許を取得後、埼玉医科大学総合医療センター(以下「医療センター」という。)において、研修医として2年間、病院助手として約1年間勤務した後、外部の病院で1年間働き、平成12年5月から医療センターの病院助手として勤務していたもので、平成12年10月7日当時、医師として5年目であった。 なお、原告は、後記3の医療事故の後、埼玉医科大学を懲戒解雇された。 2 本件医療事故の関係者等(乙15) (一) C(以下「C」という。)は、昭和58年○○月○○日生まれの女子であり、平成12年10月7日当時、16歳であった。Cは、後記のとおり、医療センターにおいて、抗がん剤である硫酸ビンクリスチンの過剰投与により、平成12年10月7日に死亡した(以下、この医療事故を「本件医療事故」という。)。 (二) D(以下「D医師」という。)は、平成4年に医師免許を取得した医師で、耳鼻咽喉科を専門としていた。D医師は、本件医療事故当時、埼玉医科大学耳鼻咽喉科助手として同大学に勤務し、医療センターにおいて治療行為に従事していた。D医師は、本件医療事故当時、医師として9年目であり、日本耳鼻咽喉科学会が主催する専門医試験に合格していた。 (三) E(以下「E教授」という。)は、昭和37年に医師免許を取得した医師で、耳鼻咽喉科を専門としていた。E教授は、本件医療事故当時、耳鼻咽喉科教授として、埼玉医科大学に勤務し、耳鼻咽喉科の診療部門の統括責任者である科長として、医療センターにおいて治療行為に従事していたほか、複数の学会等の役員に就任していた。 (四) 本件医療事故の当時、埼玉医科大学耳鼻咽喉科には、診療科長であるE教授の下に、講師1名、医局長としてF(以下「F医局長」という。)、助手としてD医師、病院助手としてG(以下「G医師」という。)及び原告ほか4名、研修医としてH(以下「H研修医」という。)及びI(以下「I研修医」という。)ほか1名の合計12名の医師が在籍していた。 3 本件医療事故(乙2、15、22) (一) Cは、平成12年4月ころ、右顎下にしこりの存在を訴え、そのころ、埼玉県北本市所在のJ診療所において、当時外来担当として医療センターから派遣されていた原告の診察を受けた。Cは、原告の勧めにより、医療センターへ転院することになり、同年7月10日以降、医療センターにおいて治療を受けることになった。また、原告は、主治医として、Cの治療を担当することになった。 (二) Cは、平成12年8月23日、D医師の補助の下、原告の執刀により、右顎下の腫瘍の摘出手術を受け、摘出された腫瘍は、病理検査に出された。Cは、同月29日、いったん医療センターを退院した。同年9月6日、病理検査の結果、摘出された腫瘍は、滑膜肉腫であることが判明した。 Cは、数回の検査を経て、同月25日、医療センターへ再入院した。 (三) 原告は、Cの治療方法として、硫酸ビンクリスチン、アクチノマイシンD及びシクロフォスファミドの3種類の抗がん剤を組み合わせて用いるVAC療法を選択し、文献から、VAC療法のプロトコール(投与量と間隔を定めた投薬計画のことである。)をコピーして入手した。原告は、Cに対する投薬計画を作成するに当たり、上記プロトコールの薬剤投与頻度が週単位で記載されているのに、これを日単位で記載されているものと誤解し、投与開始日から12日間連続して、硫酸ビンクリスチン(商品名オンコビン)を1日当たり2mg、投与開始日及び12日目、22日目、36日目に、アクチノマイシンD(商品名コスメゲン)を1日当たり0.5mg、診療開始日から6日目以降連日2年間、シクロフォスファミド(商品名エンドキサン)を1日当たり125mg、それぞれ投与する旨の治療計画を立案し、D医師及びE教授の了承を得た。 (四) 原告は、平成12年9月27日から、Cに対し、上記計画に従い、硫酸ビンクリスチンの連日投与を開始した。Cは、連日投与開始の翌日から、食欲低下、顎や顔の痛み等を訴え始めたが、さらに、日を追うごとに、発熱、吐き気、歩行困難等の症状が出現した。 原告は、同年10月3日、Cに対する硫酸ビンクリスチンの投与を中止した。しかし、Cは、翌4日に、40度近くまでの体温の上昇、腸管麻痺による腹痛及び排便不能、排尿困難等の症状が現れ、同月6日には、自力呼吸が困難となり、人工透析が試みられたが、心臓が一時停止するまでに至った。 (五) D医師、G医師及び原告は、平成12年10月6日午後5時ころ、Cのカルテに添付されていた前記プロトコールを見て、Cに対する投薬計画において、1週を1日と誤っていることを発見した。 (六) その後、Cは、平成12年10月7日午後1時35分ころ、硫酸ビンクリスチンの過剰投与の副作用による多臓器不全によって、死亡した。 4 Cの死亡に係る業務上過失致死被告事件(以下「本件刑事事件」という。)の経過 (一) さいたま地方裁判所は、平成15年3月20日、業務上過失致死罪により、原告を禁錮2年執行猶予3年に、D医師を罰金30万円に、E教授を罰金20万円にそれぞれ処する旨の判決を宣告した。 なお、上記判決において認定された罪となるべき事実は、以下のとおりであった。(乙13) 「Eは、…(中略)…埼玉医科大学総合医療センター耳鼻咽喉科科長兼教授として、同科における診療全般を統括し、同科の医師らを指導監督する業務に、Dは、同大学助手として、Aは、同科病院助手として、患者の診療の業務にそれぞれ従事していた者であるが、Dをリーダー、Aを主治医として、研修医Hを加え、医療チームを組み、右顎下部の滑膜肉腫に罹患したCに対し、抗がん剤である硫酸ビンクリスチン、アクチノマイシンD及びシクロホスファミドの3剤を投与する化学療法(VAC療法)を実施するに当たり、 1 Aは、滑膜肉腫やVAC療法の臨床経験がなく、抗がん剤は細胞を破壊する作用を有するもので、その投与は患者の身体に対する高度な侵襲であることから、その用法、用量を誤ると患者の命にも関わる事態となり、また、強い副作用があることから、これを用いるに当たっては、当該療法についての文献、医薬品添付文書等を調査して、その内容を十分理解し、副作用についても、その発現の仕方やこれに対する適切な対応を十分把握して治療に臨むべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同療法や硫酸ビンクリスチンについての文献、医薬品添付文書の精査をせず、同療法のプロトコールが週単位で記載されているのを日単位と読み間違え、2ミリグラムを限度に週1回の間隔で投与すべき硫酸ビンクリスチンを12日間連日投与するという誤った治療計画を立て、それに従って研修医らに注射を指示し、平成12年9月27日から同年10月3日までの間、同センターにおいて、入院中のCに対し、1日当たり2ミリグラムの硫酸ビンクリスチンを7日間にわたって連日投与し、更には、投与開始4、5日後には、Cに高度な副作用が出始めていたのに、これに対して適切な対応をとらなかった過失 2 Dは、…(中略)…しなかった過失 3 Eは、…(中略)…しなかった過失 の競合により、Aらにおいて、同年9月27日から同年10月3日までの間、同センターにおいて、Cに対し、連日硫酸ビンクリスチンを投与して多臓器不全に陥らせ、よって、同月7日午後1時35分ころ、同所において、Cを硫酸ビンクリスチンの過剰投与の副作用による多臓器不全により死亡させたものである。」(乙2) (二) 上記判決について、検察官(D医師及びE教授の関係でのみ)及びE教授のみが控訴した。東京高等裁判所は、平成15年12月24日、上記判決中、D医師及びE教授に関する部分を破棄し、D医師を禁錮1年6か月執行猶予3年に、E教授を禁錮1年執行猶予3年にそれぞれ処する旨の判決を宣告した。 5 本件処分の手続経過等 (一) 被告は、医師法7条5項に基づき、埼玉県知事に対し、平成15年10月2日付けで、原告について意見の聴取を行った上、被告に報告すべき旨を依頼した(乙3)。 (二) 埼玉県職員は、平成15年11月12日、原告について意見の聴取を実施した(乙4)。 (三) 埼玉県知事は、被告に対し、平成15年12月1日、意見の聴取に係る意見書を提出した(乙5)。 (四) 被告は、原告に対する聴聞の実施を決定し、原告に対し、平成16年2月26日付けで、聴聞通知書を送付した。 上記聴聞通知書に記載された予定される不利益処分の内容は「医師免許取消又は医業停止」であり、上記聴聞通知書に記載された不利益処分の原因となる事実は、以下のとおりであった。(乙6) 「1 業務上過失致死(平成15年3月20日、禁錮2年執行猶予3年) 2 あなたは、埼玉医科大学附属病院において右顎下部滑膜肉腫で入院中のCに対し、平成12年9月27日から同年10月3日までの間、抗がん剤である硫酸ビンクリスチンの処方を誤り過剰に投与し、重篤な副作用を引き起こさせた事実が判明した後の平成12年10月6日から7日の間、過剰投与を引き起こした医師としてまた主治医として、拮抗剤の投与など、その副作用に対する適切な処置を行うことを怠り、結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。   上記の事実は、医師法第4条第4号に規定する医事に関し不正の行為があったものと認められる。」 (五) 厚生労働事務官は、平成16年3月4日、原告について医師免許取消し又は医業停止についての聴聞を実施した(乙7)。 (六) 上記聴聞を主催した厚生労働事務官は、被告に対し、平成16年3月16日付けで、聴聞報告書を提出した(乙8)。 (七) 被告は、平成16年3月17日、医道審議会医道分科会に対し、原告に対する医師の免許の取消処分又は医業停止処分について、諮問した。これに対し、医道審議会医道分科会は、被告に対し、同日、原告に対する処分として医業停止3年6月が相当である旨、答申した。 なお、被告が、医道審議会医道分科会への上記諮問に際し、医道審議会医道分科会へ提出した行政処分関係審議資料(乙46)の「事案の概要」欄には、「業務上過失致死」として、前記4(一)の原告に対する前記判決において認定された罪となるべき事実と同旨の記載が、「医事に関する不正」として、前記(四)の聴聞通知書に記載された不利益処分の原因となる事実の2(後述する処分の命令書の理由欄の2と同旨である。)と同旨の記載が、それぞれ記載されていた。(乙9、10、46) (八) 被告は、原告に対し、平成16年3月18日付けで、同年4月1日から平成19年9月30日までの期間、医業の停止を命ずる旨の処分(以下「本件処分」という。)をし、同月24日、原告に通知した。 なお、本件処分の命令書(以下「本件命令書」という。乙1)に付記された本件処分の理由は、以下のとおりであった。(乙1、11) 「1 罰金以上の刑に処せられたため。 平成15年3月20日 禁錮2年、執行猶予3年 (業務上過失致死) 2 医事に関し不正の行為のあったため。 埼玉医科大学総合医療センターにおいて右顎下部滑膜肉腫で入院中のCに対し、平成12年9月27日から同年10月3日までの間、抗がん剤である硫酸ビンクリスチンの処方を誤り過剰に投与し、重篤な副作用を引き起こさせた事実が判明した後の平成12年10月6日から7日までの間、過剰投与を引き起こした医師としてまた主治医として、拮抗剤の投与など、その副作用に対する適切な処置を行うことを怠り、結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」 (九) 原告は、平成16年5月14日、本件処分の取消しを求める訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。 6 ほかの医師に対する処分 (一) 被告は、本件医療事故に関し、D医師に対して、平成17年7月27日付けで、2年間の医業停止を命ずる旨の処分をした。なお、上記処分は、「罰金以上の刑に処せられた」ことのみが理由とされ、「医事に関し不正の行為のあった」ことは、理由とされなかった。(弁論の全趣旨) (二) 被告は、本件医療事故とは別の医療事故について、東京慈恵会医科大学附属青戸病院(以下「青戸病院」という。)の医師2名に対し、平成16年3月18日付けで、いずれも2年間の医業停止を命ずる旨の処分をした。 なお、そのうち1名の処分理由は、「(医事に関する不正) 当人は、…(中略)…病院手術室において前立腺癌で入院中の患者に対して行われた前立腺摘出手術について、1 腹腔鏡下前立腺全摘除術が高度な技術を要することを承知のうえ、以前から当該術式に関心を寄せいていたこと、及び自らの技量を過信したことから、当該術式を執刀した経験がないにもかかわらず、当該術式による手術の執刀医となるべき旨の依頼を安易に引き受け、2 執刀医という立場でありながら、指導医を手術の場に招かず、当該手術を安全・適切に施行する知識、技術を持たない者のみによる腹腔鏡下前立腺全摘除術を選択・施行・執刀したが、危険性の認識のないまま当該術式を継続し、適当な時期での開腹術への切り替えの判断、出血量に関する適切な評価が行えず、3 結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」というものであった。 また、上記の他の1名の処分理由は、「(医事に関する不正) 当人は、…(中略)…病院手術室において前立腺癌で入院中の患者に対して行われた前立腺摘出手術について、1 主治医という立場でありながら、腹腔鏡下前立腺全摘除術が高度な技術を要することを承知のうえ、以前から当該術式に関心を寄せていたこともあり、自ら執刀するつもりもないにもかかわらず、当該術式による手術を患者に提案し、自らは当該術式の経験がないにもかかわらず、自らの技量を過信したことから泌尿器科診療部長から提案のあった指導医の立会を断り、安全・適切に施行する知識、技術を持たない者のみによる同術式の実施をあえて選択し、2 助手として、当該術式の十分な経験、知識、技術を有しないまま、同手術に参加し、一部執刀し、危険性の認識のないまま当該術式を継続し、適切な時期での開腹術への切り替えの判断に影響を与え、3 結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」というものであった。(乙17、弁論の全趣旨、公知の事実) 四 当事者の主張の要旨  別紙記載のとおり 第三 当裁判所の判断 一 本件処分の根拠について 1(一) 原告は、本件命令書(乙1)の理由欄の記載内容のうち、「2 医事に関し不正の行為のあったため。」という表題の下の記載等を根拠として、被告が、本件処分を行う際に、上記記載にある「その副作用に対する適切な処置を行うことを怠り、結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」という事実、すなわち、Cの死亡の結果を、処分理由である「医事に関し不正の行為」の内容として考慮したものである旨主張する。 そして、原告は、上記主張を前提として、Cへの硫酸ビンクリスチンの過剰投与が判明した平成12年10月6日の夕方以降においては、Cの救命の可能性は失われていたことからすると、本件においては、抗がん剤の過剰投与の判明後、原告が副作用に対する適切な処置を行うことを怠った結果、Cを死亡させたという事実は存しなかったのであり、したがって、本件処分は、処分の理由とされた事実が存しないにもかかわらず、存することを前提としてされたものであるから、違法であり、取り消されるべきである旨主張する。 (二) これに対して、被告は、本件処分の適法性の根拠として、医師法4条3号所定の「罰金以上の刑に処せられた」事実(これについては、Cを死亡させた事実が含まれる。)と、同条4号所定の「医事に関し不正の行為」があった事実を挙げ、そのうち後者の事実としては、別紙「当事者の主張の要旨」1(一)のように主張し、Cの死亡の結果については主張していない。また、被告は、本訴第8回口頭弁論期日における裁判所からの本件の争点の提示に関しても、「『医事に関し不正の行為』に関し、原告の不適切な医療行為と患者の死亡との間に法的因果関係が存在するという主張はしない。」と明確に陳述している。 このように、被告は、本件訴訟における主張として、医師法4条4号所定の「医事に関し不正の行為」に当たる事実としては、「結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」という事実を主張していない。 2(一)(1) ところで、前記前提事実によると、本件命令書の「理由」欄中の「2 医事に関し不正の行為のあったため。」という表題の下には、原告の主張するとおりの内容の記載があり、その中には、「結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」という記載があることが認められる。 この点につき、被告は、事案を全体として明らかにするために、事実経過として記載されたものにすぎないなどと主張する。しかし、本件命令書の「理由」欄中の「2 医事に関し不正の行為のあったため。」の項目の中に、「その副作用に対する適切な処置を行うことを怠り、結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」と明記されていることや、同項目全体の文脈からすると、「結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」いう事実は、「医事に関し不正の行為のあったため。」という処分理由の内容として、記載されたものであると解すべきであり、被告の上記主張は、採用することができない。 そうすると、被告は、本件処分の際に、原告の主張するように、「医事に関し不正の行為」の内容として、Cの死亡の結果も考慮したものと認めるのが相当である。 (2) そうだとすると、被告は、本件処分時に、医師法4条4号所定の「医事に関し不正の行為」に当たる事実として考慮した「結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」という事実を本件処分の適法性根拠事実として、本件訴訟において主張していないことになる。 原告は、この点を問題としているので、まず、取消訴訟において、被告が、処分時に処分理由として考慮した事実の一部を当該処分の適法性根拠事実として主張しないことが、許容されるか否かについて検討することとする。 (二)(1) 行政処分の取消訴訟における訴訟物は処分の違法一般であると解すべきであり、処分について定められた処分要件が充足されていないときは、当該処分は違法になるということができる。 したがって、行政処分の取消訴訟においては、当該処分について定められた処分要件の充足の有無が争点になるわけであり、この要件の充足をめぐって、当事者が主張を行うということになる。もっとも、実際の取消訴訟では、処分行政庁が処分時に認定していた事実関係の存否等が争われることもあるが、この点は、上記争点と重なり合う限度で意味のある争いにすぎず、これ自体によって、当該処分の適否が定まるものではないし、これが当該取消訴訟の争点であると理解することもできない。 また、行政事件訴訟法は、取消訴訟における被告の主張の制限に関して特段の規定を置いていない。そして、民事訴訟においては、ある事実を主張するかしないかは、当事者の任意である。 以上からすると、行政処分の取消訴訟において、被告が、処分時に処分理由として考慮した事実の一部を当該処分の適法性根拠事実として主張しないことは、許容されるというべきである。 (2) また、行政処分の処分要件や、処分要件の構成要素は、一個であるとは限らず、複数あることが珍しくないのであるから、たとえば、被告が、a、b、c及びdの事実が存在することを理由としてX処分を行ったと仮定した場合に、法令上、a及びbの事実又はc及びdの事実があることがX処分の適法要件又は適法要件を肯定させる事実であるのならば、取消訴訟において、被告が適法性を基礎付ける事実として主張したa、b、c及びdの事実のうち、a及びbの事実が認められなくても、c及びdの事実が認められるときは、これにより当該処分の適法性が肯定されるのであり、裁判所は、その処分を取り消すことはできないということになる。そして、このことは、被告が訴訟においてa、b、c及びdの事実すべてを主張した場合と、c及びdの事実しか主張しなかった場合とで、結論が異なるはずはない。 上記のことからも、被告において、処分時に処分理由として考慮した事実のうちから、訴訟において、あらかじめ、当該処分の適法性を基礎付ける根拠事実を絞り込んで、その一部のみを主張することは当然に許されるものというべきである。さらにいえば、適正かつ迅速に行政処分の取消訴訟を審理するためには、事案によっては、このような被告の主張の絞り込みがむしろ望まれることもあるのである。 (3) なお、本件のように理由付記が必要とされている行政処分については、付記理由の一部を取消訴訟において主張しないことが理由付記制度の趣旨に反するのではないかという点も問題とされるかもしれない。 しかし、一般に、行政処分に理由付記を要求する趣旨は、行政庁の判断を慎重にし、合理性を確保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服申立ての便宜を与えることにあると解される。 そうすると、被告が訴訟において主張する当該行政処分の適法性の根拠事実が付記理由中にも示されていた本件のような場合に、その付記理由にある事実の一部しか被告が訴訟において主張しないことは、付記理由において単に余分な主張も一部示し、ないしは多目に理由を示していたにすぎないのであるから、原則として、上記理由付記制度の趣旨に反することにはならないというべきである。なお、たとえば、付記理由において関連事実すべてをただ羅列していただけであるなど、もともと理由付記制度の趣旨に反するようなずさんな理由が付記されていたときなどには、被告が、取消訴訟において、理由を絞り込み、その一部しか主張していないとしても、理由付記の瑕疵を理由として、当該処分が違法とされることがあり得るであろうが、本件は、そのような事案に当たるということはできない。 (三) 以上のことからすると、被告が、行政処分の取消訴訟において、処分時に処分理由として考慮した事実の一部を当該処分の適法性根拠事実として主張しないことは、許容されるというべきである。 そうすると、被告が、本件処分時に「医事に関し不正の行為」の内容の一部として考慮した「結果として、患者を死亡させるという事態を引き起こした。」という事実を、本件訴訟において、本件処分の適法性根拠事実として主張しないことは、残された事実のみで本件処分の適法性を肯定し得るかという問題があることはもちろんであるが、それ自体としては、許容されるというべきである。 3 以上によれば、被告は、前記1(二)のとおりに本件処分の適法性根拠事実を主張しているのであるから、本件訴訟においては、この被告主張の事実が認められるか否かという点と、認められた事実によって本件処分の適法性を肯定し得るかという点について検討すべきであるり、かつ、これらを検討すれば足りるということができる。 したがって、原告の前記1(一)の主張は、採用することができない。 二 争点 以上を前提にすると、本件における争点は、下記のとおりである。 1 医師法4条4号所定の「医事に関し不正の行為」に当たる事実の有無 具体的には、Cに対する硫酸ビンクリスチンの過剰投与が判明した後、原告は、支持療法や拮抗剤の投与の検討、実施を行わず、救命専門家へ助力を求めるなどの適切な措置をしなかったのであり、「医事に関し不正の行為」があったということができるか。 2 本件処分が重きに失するか。 具体的には、医師法4条3号所定の「罰金以上の刑に処せられた」点に関し認定し得る事実及び争点1の同条4号所定の「医事に関し不正の行為」に関し認定し得る事実を前提として、医業停止期間を3年6か月間とする本件処分が処分の重さとして重きに失するか。 三 認定事実 前記前提事実に加え、証拠(甲1、乙2、7、12から15まで、22から30まで、32、35、39から45まで、48、証人D、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。ただし、甲第1号証、乙第7、第30及び第43号証並びに原告本人の供述中には、下記認定事実に反する部分や認定をしていない部分があるが、それらの部分は、内容が不自然である上、他の証拠や容易に認定し得る事実関係とも整合しないので、採用することができない。なお、後記事実認定に関する補足説明参照。 1 診療態勢等 (一) 医療センターの耳鼻咽喉科では、患者を治療することが決まった場合、その患者を外来等で最初に診察した医師が、以後治療の必要性がなくなるまで、継続して主治医として担当するという慣例に従い、主治医が決められていた。 また、主治医が決まると、原則として、その主治医と同じ曜日に手術を行うことが決められている別の医師が、主治医と共に、その患者を担当することが自動的に決まり、さらに、研修医を1名加えて、当該患者に対する医療チームを編成することになっていた。そして、研修医を除く2名の医師のうち、経験の少ない者が主治医となる場合は、他方の医師は、指導医という立場でチームに参加することとなっていた。 (二) 医療センターの耳鼻咽喉科においては、科長に対する治療内容の報告及び科長の承認がなければ、手術及び手術以外の治療を実施することはできなかった。そのため、主治医その他の担当医が独断で診療や治療を決定して実施することは許されなかった。 具体的には、個々の患者に対する治療方針・治療方法は、まず、チーム内で決定されたが、それを最終的に実行するためには、毎週木曜日に医局員が参加して行われるカンファレンスで報告するか、又は個別に科長であるE教授に上申するかのいずれかの方法によって、E教授に報告し、その承認を得る必要があった。 2 滑膜肉腫と抗がん剤による治療 (一) 滑膜肉腫は、滑膜を発生母地とする非上皮性腫瘍(肉腫)であり、悪性の軟部腫瘍である。滑膜肉腫は、整形外科領域の悪性軟部腫瘍の中でもまれなものであり、頭頸部の発症例については、学会報告や研究は相当数があるものの、耳鼻咽喉科の医師が実際に経験することはほとんどないものである。 (二) 化学療法は、細胞を死滅させる機能を有する抗がん剤(抗悪性腫瘍剤)を、正常細胞は破壊されないが腫瘍細胞を破壊するに足りる量、あるいは正常細胞は修復しているが腫瘍細胞がいまだ修復していない間隔で投与するというものである。しかし、抗がん剤の投与により正常細胞も破壊され得るため、投与量及び間隔のコントロールを厳密に行う必要があるとともに、投与開始後においては、正常な体細胞の破壊の度合いを各種検査数値により正確に把握して、身体が受けるダメージを制御する必要があるものである。 VAC療法は、抗がん剤である硫酸ビンクリスチン、アクチノマイシンD及びシクロフォスファミドの3剤を組み合わせて行う化学療法で、アメリカの横紋筋肉腫治療研究グループ(以下「IRS」という。)が、横紋筋肉腫の治療法の一つとして、プロトコール(投与量と間隔を定めた投薬計画)を確立している。なお、Cのり患した滑膜肉腫は、本当は、横紋筋肉腫とは異なるものである。 (三) 硫酸ビンクリスチンは、抗がん剤の一つで、強い細胞毒性を有する薬剤である。そのため、医薬品の解説書や硫酸ビンクリスチンの医薬品添付文書においては、用法・用量として、成人については体重1kg当たり0.02ないし0.05mgを週1回静脈注射するものとし、副作用防止のため、1回の投与量は2mgを超えないものとすると記載されていた。 硫酸ビンクリスチンが投与されると、その細胞毒性による副作用として、白血球及び血小板の減少と貧血といった造血機能障害、知覚鈍麻、四肢運動障害、麻痺性イレウス(腸閉塞)といった神経障害が生じる。医薬品の解説書や硫酸ビンクリスチンの医薬品添付文書には、重大な副作用として、①神経麻痺、知覚異常、知覚消失、しびれ感、四肢疼痛、顎痛、めまい、言語障害、筋萎縮、運動失調、歩行困難、排尿困難が現れることがあり、これらの場合には、減薬又は投与を中止すること、②腸管麻痺(食欲不振、悪心・嘔吐、著しい便秘、腹痛、腹部膨満、腹部弛緩、腸内内容物のうっ帯等)から移行した麻痺性イレウスが現れることがあり、この場合には、投与を中止した上、腸管減圧等の適切な処置を行うこと、③アナフィラキシー様症状(じんましん、呼吸困難、血管浮腫等)が現れることがあり、その場合には投与を中止して適切な処置をすること等の記載がある。 (四) オンコビン(Cに投与された硫酸ビンクリスチンの商品名である。)の医薬品添付文書(乙25)には、3頁に、〔使用上の注意〕「8.過量投与」として、以下の記載がある。 「本剤の過量投与により、重篤又は致死的な結果をもたらすとの報告がある。支持療法として次の処置を考慮すること。 ①抗利尿ホルモン不適合分泌症候群(SLADH)の予防(水分摂取の制限及びヘレン係蹄や遠位尿細管に作用する利尿剤の投与) ②抗痙攣剤の投与 ③イレウスを予防するための浣腸及び下剤の使用(症例によっては腸管減圧を行う。) ④循環器系機能のモニタリング ⑤血球検査を毎日行い、必要であれば輸血を行う。 フォリン酸を本剤の致死量が投与されたマウスに使用したところ有効であったとの報告がある。また、フォリン酸がヒトにおいても本剤の過量投与の治療に有益であったとする症例報告もある。フォリン酸100mgを3時間ごとに8回投与し、その後は6時間ごとに少なくとも8回投与することが奨励されている。フォリン酸の投与は支持療法と併せて行う。本剤は透析液中にほとんど流入せず体外除去のための血液透析は有効ではない。」 (五) 原告は、平成8年末ころに、当時医療センターの医局員であったK医師が、横紋筋肉腫の患者に対し、硫酸ビンクリスチン等を投与した化学療法を行った際に、研修医として携わったことがあったが、そのプロトコールや、使用薬剤の特性を研究したことはなかった。また、原告が医療センターで担当する症例は、各種中耳炎、扁桃炎、副鼻腔炎(蓄膿症)等が主で、悪性腫瘍の治療経験は少なかった。 E教授もD医師も、VAC療法の経験はなく、硫酸ビンクリスチンを使用した経験もなかった。 3 術後化学療法の決定 (一) 原告は、平成12年9月8日、同月6日付けのCの病理検査の報告書に目を通したところ、そこに記載されていた「synovial sarcoma」(滑膜肉腫の意味である。)という病名を理解することができなかったが、その意味を調べることはしなかった。 そして、原告は、上記報告書の病理所見欄の冒頭に「横紋筋」という単語があったことから、外来で受診していたCの両親に対して、同月8日、「病名は横紋筋肉腫である。」と説明した。 原告は、その後、辞書で「synovial sarcoma」の意味を調べ、また、参考書で滑膜肉腫についての簡単な知識を得るなどして、同日夕方、電話で、Cの母に対し、病名が横紋筋肉腫ではなく滑膜肉腫であること等を伝えた。 (二)(1) Cは、埼玉県立がんセンターで医師の診察を受けたりしたが、CとCの両親は、平成12年9月18日、原告に対し、抗がん剤治療であれば、医療センターで治療をしてほしい旨の希望を述べた。 原告は、この申出を受けて、引き続きCの主治医として滑膜肉腫の治療に当たることになった。なお、それ以前に、Cに対する医療チームとしては、リーダーをD医師とし、主治医を原告が務め、それにH研修医が加わるという構成が決まっていた。 (2) 原告は、上記申出を受けて、平成12年9月18日、医局に、G医師とF医局長がいたことから、とりあえずCの治療方法について相談してみた。G医師は、原告に対して、「VACじゃないかな。」などと述べ、検討を勧めた。 原告は、このとき、VAC療法が化学療法であることの想像がついただけで、その適応症等については全く分からない状態であった。このため、原告は、さらに、G医師やF医局長に対し、VAC療法のプロトコールについて尋ねたが、分からないなどと言われたのみであった。 (三)(1) 原告は、平成12年9月18日、医療センターの図書室で「VAC」をキーワードとしてパソコンの検索システムにより検索を行ったところ、整形外科領域の論文等が数点表示された。原告は、図書室の整形外科関連の本棚から探し出した書籍である「新図説臨床整形外科講座13 骨・軟部腫瘍及び類似疾患」末尾の索引で「VAC」を探したところ、277頁(乙39(添付の資料5))に、横紋筋肉腫の項の中で、VAC療法のプロトコールである「図8 IRSの治療プロトコール」(以下「本件プロトコール」という。)が登載されているのを見付けた。 本件プロトコールは、表題である「図8 IRSの治療プロトコール」以外は、すべて英語で記載されたものであった。また、本件プロトコール自体は、横紋筋肉腫の患者をステージ別に分類した後にグループ分けし、それぞれ異なる治療方法を行って、その効果を比較するという、研究の内容を示すものであった。上記文献には、滑膜肉腫についての項もあったが、VAC療法の適応を述べる記載はなかった。 原告は、滑膜肉腫の項にも目を通したが、確立した治療法はないという記載から、滑膜肉腫にVAC療法を行うことについて特に疑問を抱かなかった。 (2) 原告は、本件プロトコールを見付けたことで、これでCに対し、VAC療法を行えばよいと考え、本件プロトコールを拡大コピーして入手した。 しかし、原告は、本件プロトコールの内容を熟読することなく、それまで原告が使用していたプロトコールがすべて日単位で記載されていたことから、本件プロトコールも同様であろうと思い込み、本件プロトコールが、1行目の数字に記載された日ごとに、各薬剤の投与を指示するものと誤解した。そして、本件プロトコールを参照として引用している本文を読むことも、英語による各記載の意味を調べることもせず、さらには本件プロトコールに記載されている「Group Regimen Week」との記載にも気付かず、また、本件プロトコールが作成された目的も理解しないまま、本件プロトコールの「A」の行の計画に従って(ただし、数字の表示については、日単位で)、同行に記載された薬剤を投与すれば良いものと考えた。 原告は、薬剤の投与方法さえ分かれば足りると考えていたことから、それ以上に、本件プロトコールの原典に当たることも、使用薬剤の特性や作用機序、副作用等を調査することもしなかった。 (四)(1) 原告は、平成12年9月18日から同月20日ころまでの間に、コピーした本件プロトコールを持って、D医師の下へ行き、本件プロトコールのコピーを渡すとともに、Cに対して、VAC療法を行うこと、本件プロトコールの「A」の行に従い、抗がん剤を投与することとし、硫酸ビンクリスチン2mgを12日間連続投与、アクチノマイシンD0.5mgを5回投与、シクロフォスファミド125mgを6日目から2年間毎日連続投与すること等を説明した。 これに対して、D医師は、見せられた本件プロトコールの内容や出典を確認することなく、原告の説明した方法による抗がん剤の投与を承認した。 (2) また、原告は、平成12年9月21日ころ、E教授に対し、Cに対して化学療法としてVAC療法を行いたい旨申し出た。 E教授は、悪性腫瘍に対する化学療法としてVAC療法という治療法があるという一般知識を持っていたことのみから、具体的な治療計画の内容を確認しないまま、原告の申出を承認した。 (3) このようにして、原告は、Cに対し、平成12年9月25日の入院以降、VAC療法として、硫酸ビンクリスチンを12日間連続、アクチノマイシンDを治療開始日、12日目、22日目、36日目に、シクロフォスファミドを6日目から2年間毎日、そえぞれ投与することを決定した。 4 硫酸ビンクリスチンの過剰投与の判明前までのCに対する治療 (一) 平成12年9月25日 Cが医療センターに入院した。原告は、同月28日以降に、前記各抗がん剤の投与を開始することとし、前記のとおりの誤った内容で医師注射指示伝票を作成するとともに、コピーしたカレンダーに、同日以降に投与すべき各抗がん剤と血液検査の予定を記入してカルテにつづった。また、原告は、H研修医に対し、Cに対する投薬及び検査の日程を説明した。 (二) 平成12年9月26日 Cは、血液検査を受検した。原告は、Cの血液検査に特に異常がなかったことなどから、翌27日に予定していた尿検査の結果を待たずに、翌27日から抗がん剤の投与を開始することとし、医師注射指示伝票をもう1枚作成するとともに、カレンダーに記載した予定を書き換えた。また、原告は、朝の注射や点滴等を担当していたI研修医に対し、翌27日からCに対し、毎日硫酸ビンクリスチンを注射するように指示した。 (三) 平成12年9月27日 (1) 原告は、I研修医に対し、硫酸ビンクリスチンの投与方法を説明し、自ら溶液を作るとともに、I研修医にも溶液を作らせた。そして、原告は、アクチノマイシンDの溶液をCの側管から注射するとともに、I研修医にも、同様に、硫酸ビンクリスチンの投与を行わせた。 (2) 午前中、L看護師(以下「L看護師」という。)は、原告の作成した医師注射指示伝票の内容が、1日2mgの硫酸ビンクリスチンを毎日投与することになっていることに気付いた。L看護師は、小児科病棟における勤務の経験から、上記指示伝票の内容に疑問を抱き、原告に対し、投与量及び連日投与の指示に間違いがないかを尋ねた。これに対し、原告は、L看護師の質問に何ら疑問を抱かず、「そうだよ。」などと答えた。原告は、医薬品添付文書をカルテにとじておくという耳鼻咽喉科の慣習に従い、L看護師から受け取ったオンコビン(硫酸ビンクリスチンの商品名である。)の医薬品添付文書をCのカルテにとじたが、これに目を通すことはしなかった。 (3) Cは、看護師に対し、若干の食欲の低下を訴えた。 (四) 平成12年9月28日 (1) I研修医は、Cに対し、予定どおり、硫酸ビンクリスチンの注射を行った。また、Cに対し、吐き気止めの投与も行われた。原告は、Cの食欲不振の訴えを認識したが、吐き気はそれほどでもないと観察した。同日、Cの全身状態は、悪くなかった。 (2) 午後、毎週恒例のカンファレンスが行われ、原告がCに対する治療経過として、Cが平成12年9月25日から入院していること、化学療法としてVAC療法を行っていることを、E教授を始めとする医局員らに説明した。しかし、カンファレンスでは特段の意見や質問は出ず、結局、Cの病状や治療法に対する検討は、原告の上記説明だけで終わった。 (五) 平成12年9月29日 H研修医は、Cに対し、硫酸ビンクリスチンの注射を行った。Cは、H研修医に対し、怒った様子で、「だんだんムカムカしてきました。」と訴え、また、顔色も悪かった。しかし、吐き気は見られず、元気な様子を見せていた。 (六) 平成12年9月30日 Cは、気持ちが悪い旨看護師に訴え、また、顔色も悪かったが、I研修医は、予定どおり、Cに対し、硫酸ビンクリスチンの注射を行った。Cは、微熱を出すとともに、舌がはれている感じがする旨看護師に訴えた。また、この日、血液検査が行われたが、血小板数が、同月26日の19万2000個(血液1立方ミリメートル当たり。以下単位同じ)から13万6000個に減少していた。 なお、原告は、終日、派遣先である他の病院へ勤務に出ていたため、医療センターには出勤しなかった。 (七) 平成12年10月1日 (1) Cは、朝、吐き気を訴えたが、原告は、自ら、Cに対し、硫酸ビンクリスチンを注射した。 (2) 原告は、午後、CとCの両親に対し、病状及び治療状況等の説明を行ったが、Cは、気分不良を訴え、説明を座って聞くことができず、原告の説明を最後まで聞かないうちに、車いすで病室に戻った。 (3) Cは、足が思うように動かない様子で、手洗いに行くにもふらつくようになり、身体の痛みを訴えた。 (八) 平成12年10月2日 (1) I研修医は、Cに対し、硫酸ビンクリスチンを注射した。また、この日、シクロフォスファミドの経口薬も投与された。 (2) Cは、H研修医に対し、「かなりつらい。起きあがれない。」と訴えた。Cは、体温37.8度で、吐き気はないものの顔色は悪く、のど、口腔内及び下顎部の痛み、全身関節痛、食欲の低下、強い全身倦怠感、手指のしびれが見られた。しかし、原告は、前日同様、抗がん剤の通常の副作用であろうと考えただけであった。 (九) 平成12年10月3日 (1) I研修医は、Cに対し、硫酸ビンクリスチンを注射した。 (2) Cの全身倦怠感やしびれ、四肢末梢の痛みは更に強くなった。Cは、午後1時ころには、歩くことができなくなり、手洗いには車いすで行くようになった。食欲不振に加え、咽喉・口腔内の痛みのため、食事の摂取はさらに困難になった。体温は37度ないし38度であった。 (3) 原告は、午後2時ころ、血液検査を見て、血小板数が、6万9000個に下がっていたことや、首や下肢に出血傾向を示す点状出血が現れていたことから、硫酸ビンクリスチンの投与を一時中止することを決めた。原告が午後3時ころ、再度血液検査をしたところ、血小板数は、さらに下がって5万1000個になっていたことから、血小板輸血を行った。しかし、原告は、Cの各症状が単なる副作用であろうと考えただけで、自らの投与計画が誤っているとは考えなかった。 (4) 原告は、午後5時ころ、Cの両親に対し、硫酸ビンクリスチンの投与を一時中止する旨伝えた。原告は、Cの両親から投与を7日間でやめて良いのかと聞かれ、「規定量は入っているから良い。」などと説明した。 (5) D医師は、それまで夏休みを取っていたこともあり、5日ぶりにCの様子を見て、抗がん剤の副作用が強く出ていると思った。D医師は、原告に対し、「大丈夫なのか。」と尋ねたが、原告が「抗がん剤の副作用です。もう薬は中止しました。」などと答えたため、それ以上の疑問を抱いたり、処置を検討したりはしなかった。 (一〇) 平成12年10月4日 (1) Cは、未明から、腰痛、肩凝り、顔面のしびれのほか、呼吸が苦しい旨を訴えた。Cは、食事をとることができなかった。原告は、胃にチューブを入れて、濃流動食を流し込む処置をした。しかし、硫酸ビンクリスチンの副作用である麻痺性イレウスの可能性を前提とすると、胃に流動食を流し込むのは誤った措置であった。 Cは、胃痛や腹満苦、下腹部の痛みを訴え、腹部が硬くなるなどした。また、正午ころになっても朝から尿が出ていなかったことから、H研修医は、バルーンを挿入した。 (2) 午後1時40分ころ、血液検査の結果が判明したが、それによると、白血球数が400個(血液1立方ミリメートル当たり。正常値は5000個ないし8000個。以下単位同じ。)、炎症を示すCRP値が6.9、CPKが1531と異常値を示していた。H研修医は、感染症の危険が高いと判断したが、原告やD医師が手術中であったため、F医局長に指示を求め、白血球数を増加させる薬剤であるグランを投与した。また、感染症防止策として、抗生剤を変更したほか、一般の個室に消毒措置等を施して準クリーン室とし、Cを移動させた。ただし、感染症防止のためには、専用の空調を備え、1立方インチあたりのダスト数が400程度の無菌室に入室させる必要があるところ、医療センターには無菌室がなく、ダスト数が1000程度であったICUが準無菌室として使用されていた。なお、病室のダスト数は、10000程度の手術室のダスト数よりも更に高いものであった。 Cは、再度血小板輸血を受け、摘便や浣腸も受けた。体温は39.8度に上昇し、体熱感やふらつきを訴えた。 (3) H研修医から外来診療を依頼された第一内科の医師は、触診で硬便があり、便による腸管閉塞の可能性があるとして、摘便と下剤投与を継続した上、便通のコントロールがつくまで食事を中止する必要があると診断した。Cは、摘便を受けたが、その後、下痢になった。 (4) D医師は、この日、Cの様子を見に行かなかったが、Cの病室の前を通ったとき、内科の医師がCを診察しているのを見かけた。D医師は、原告に対し、「量を間違っていないか。」と尋ねたところ、原告は、何ら確認することなく、間違いないと答えた。 (5) 午後11時ころ、Cの体温は39.8度であり、腹が張る感じを訴えた。医師の指示で導尿を行い、100mlの排尿があったが、腹満感は同様であり、この日の尿量は250mlで、前日の2100mlから極端に減少した。 (一一) 平成12年10月5日 (1) Cは、午前1時ころ、吐き気が見られた。Cは、頸部が膨張して点状出血が増大し、午後7時ころには体温が40.6度に上昇した。Cは、全身の倦怠感と痛み、体熱感、腹満感があり、足がしびれて立つことも困難で、意識ももうろうとしていた。また、呼吸数が1分間に56回まで増加し、午後1時30分ころ、酸素の投与が開始された。 (2) 原告は、G医師から、第2内科のM医師に、Cの症状の対策を聞いてくるように指示され、M医師に対し、VAC療法を行っている患者であることのみを説明して、対策を相談した。M医師は、原告に対し、体温の上昇については解熱剤を使用せず、クーリング(強制的に冷やすこと)のみとすること、白血球減少に対してはグランを投与すること、血中ヘモグロビン値は投薬により維持すること、血小板については再検査の上輸血を検討すること、血中ナトリウム、カリウム等については輸液で維持すること、炎症反応については抗生剤を投与すること等を指示した。 (3) 夕方になると、Cは、下痢便を失禁するようになり、嘔吐も継続した。血液検査が実施されたが、CPKは測定されず、白血球数は300個、血小板数は5万7000個であり、カリウム値等の電解質が異常を示し、CRPも18.9と高値を示した。チアノーゼが見られ、脈拍も190近くまで上昇した。 (4) Cは、意味不明の言動が見られるようになった。 (5) なお、D医師は、終日、別の患者の手術等を行っていたため、Cをみなかった。 (一二) 平成12年10月6日 (1) 午前0時40分ころ、Cの両鼠径部、両腋窩、腸骨部に潰瘍が発見された。Cの上半身には発赤疹があり、両下肢には出血班様の発疹が出、口唇や爪にはチアノーゼが生じ、次第に悪化した。Cは、普通に会話ができることもあったが、意味不明なことを言うようになり、苦痛を訴えて手足を激しく動かしたりした。 (2) 午前4時ころには、当直のN医師が診察したところ、酸素飽和度は90パーセントに低下し、体温は39.8度で、意識はもうろうとし、心拍数は上昇していた。N医師は、血液検査を行うとともに、第2内科のO医師の往診を求めた。 O医師は、Cの症状から、敗血症、腸炎、薬品アレルギー、重症感染症、横紋筋融解症の疑いがあるとし、便培養、皮膚科の受診、肝臓の超音波検査等を指示したので、同席していた原告は、O医師の指示に従ってそれぞれ処置を行った。 (3) Cは、午前7時ころには、呼び掛けに反応しなくなり、呼吸も努力様となったため、人工呼吸器による管理が開始された。また、午前10時ころには、無尿状態となった。また、鎮静処置が施行され、強心剤が投与された。 (4) 正午ころの血液検査の結果、CPKは91080、CRPは27.2、白血球数は400個、血小板数は7万2000個であった。 (5) 午後1時ころ、Cに対し、腹部超音波検査が実施された。その結果、胆嚢から子宮にかけて腹水があったため、穿刺が試みられたが、吸引することはできなかった。 (6) 午後2時ころ、第4内科の医師が、Cに対し、人工透析を実施するため、鼠径部の血管に針を刺したところ、Cの心臓が停止した。これに対し、心臓マッサージや強心剤の投与が行われた結果、蘇生した。 5 硫酸ビンクリスチンの過剰投与の判明後のCに対する治療等 (一)(1) D医師は、平成12年10月6日午後4時ころ、第2内科のM医師から、プロトコールがおかしいのではないかとの指摘を受けたことから、G医師、原告と共に、本件プロトコールを検討することとした。しばらく3人で本件プロトコールを見ていたところ、G医師が「1年は何週だっけ。」と言ったことから、本件プロトコールの投与頻度が、日単位ではなく週単位による記載であることが初めて判明し、同日午後5時ころ、ようやく、原告等は、硫酸ビンクリスチンを過剰投与したことに気付いた。 ここに至って、原告、D医師及びG医師は、やっとCの容態が改善しない原因を理解した。しかし、原告及びD医師を始めとした医局の医師らは、硫酸ビンクリスチンの過剰投与の対策として、Cにどのような治療を行えば良いか分からなかった。 (2) 原告は、D医師に対し、過剰投与の事実をCの両親に告げるべきかを相談したが、D医師は、原告に対し、「まだ、いいだろう。」などと言った。 D医師は、原告等に対し、とにかく全力でCの治療に当たるようにと指示した。なお、D医師は、このとき、原告に対して、「過剰投与による副作用の対策は、Dらが行う。」、「とにかくAは病室に戻ってCさんの治療に当たれ。」などとは言わなかった。 (二)(1) 硫酸ビンクリスチンの過剰投与が判明した平成12年10月6日午後5時時点より前において、Cの全身状況は相当に悪化していた。そのため、Cに対しては、一般的には、感染症対策、輸液管理及び呼吸管理等の全身管理が必要な状況であり、救命救急等の専門家により、ICU等において、全身管理による治療をすべき状態であった。 しかし、原告及びD医師を始めとした医局の医師は、その後も救命救急の専門家の助力を求めなかった。 原告は、研修以外で、救命救急措置を行ったことはほとんどなかった。医療センター救命救急セン

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