H17. 5.16 大分地方裁判所 平成14年(わ)407 殺人

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判示事項の要旨: 両親を殺害した被告人について,本件犯行当時,有機溶剤中毒特有の酩酊状態下にあり,心神喪失の状態にあった旨の弁護人の主張を排斥し,被告人が完全責任能力を備えていたと認められる旨判断した上,被告人を無期懲役に処した事例 主文 被告人を無期懲役に処する。 押収してある鉄棒1本を没収する。 理由 (犯行に至る経緯等) 1 被告人は,昭和41年9月,被告人の両親である被害者らの間の二男として出生した。   被告人は,昭和57年ころから長年にわたって有機溶剤を常用し,幻覚や幻聴の症状を呈したり,度々暴力行為に及ぶなどしたため,有機溶剤依存症ないし有機溶剤精神病等と診断されて入退院を繰り返した。被害者らは,被告人の暴力行為等を避けるため,自動車の中で寝泊まりを強いられることが度々あった。   被告人は,平成14年4月2日,北九州市内の病院に入院した。被告人は,同病院において,有機溶剤精神病のほか,肺結核の疑いがあると診断されて治療を受けていたが,同病院院長は,被告人の肺の状態が悪いことから,今後も治療を継続すべきことを伝える意味で,被告人に対し,このままでは50歳までもたない旨述べた。被告人は,同年9月30日,同病院を退院した。 2 被告人は,退院後,仕事が見つからなかった上,自分の余命が短く,体調の心配から仕事ができないと考え,将来への不安を抱えて悩んでいたことなどから,自分の気持ちを紛らわせるため,同年10月19日ころ以降,接着剤の吸引を再開し,連日接着剤を吸引していた。 3 被害者らは,同月22日から同月24日までの間,知人の稲刈りの手伝い等のため,ほとんど家を留守にしていた。被告人は,前記の不安や,被害者が帰宅せず,電話連絡もないことに対するいら立ちを抑えるため,接着剤を吸引するなどしていた。 4 被害者らは,同月24日午後9時ころ,帰宅した。被告人は,女性被害者に対し,電話連絡もせずに帰宅しなかったことについて不満を述べたところ,男性被害者から仕事をしないことなどについて非難されたため,同人は被告人が体調や仕事について悩んでいることなどを考えずに文句を言ってきたと考えて腹を立てた。被告人は,仕事のことなどを考えてはいるが,体調がよくないので仕事ができない旨述べたが,これに対する被害者らの発言を聞いて,被害者らは被告人の気持ちを理解せずに被告人を冷やかすようなことを言ってきたと考えて,ますます腹を立てた。   被告人は,自分の気持ちを落ち着かせるため,いったん自宅の外に出て缶コーヒーを飲むなどした後,同日午後10時ころ,帰宅して自室に戻った。しかし,被告人は,被害者らに言われた言葉や,過去に被害者らにされた嫌な出来事を思い出し,いったん眠ってもこれらを忘れることができなかった。そして,被告人は,被害者らは被告人の悩み等を分かっているはずであるのに,なぜ被害者らにそこまで言われなければならないのかなどと考えて,被害者らに対する怒りがこみ上げ,憎しみを抱いた末,いがみ合って一緒に生きていても仕方ないなどと考えて被害者らの殺害を決意した。 5 被告人は,興奮してきたが,被害者らは自分の両親なので,しらふでは殺せない,親殺しの勢いをつけるために接着剤を吸おうと考え,ふだんより多量の接着剤を吸引し始めた。   被告人は,接着剤を吸引しながら被害者らの殺害方法を考え,鉄棒の重さと硬さから,これで被害者らの頭部を一,二回殴れば,苦しめずに,間違いなく,すぐに殺せるに違いない,被害者らを苦しめずに殺してやるのが最期の親孝行だなどと考え,鉄棒で被害者らの頭部を殴って殺害することに決めた。 6 被告人は,その後も勢いをつけるために接着剤を吸引し続け,同月25日,鉄棒を持って被害者らが寝ていた寝室に入った。 (罪となるべき事実) 第1 被告人は,平成14年10月25日,大分市大字ab番地にあるA方寝室において,同人(当時67歳)に対し,殺意をもって,その頭部を鉄棒(長さ約78センチメートル)で数回殴打し,よって,そのころ,同所において,同人を頭部打撲に起因するくも膜下出血により死亡させて殺害した。 第2 被告人は,同日,前記第1記載の場所において,B(当時61歳)に対し,殺意をもって,その頭部を同記載の鉄棒で数回殴打し,よって,そのころ,同所において,同女を頭部打撲に起因する脳挫傷及びくも膜下出血により死亡させて殺害した。 (弁護人の主張に対する判断) 1 弁護人の主張   弁護人は,本件犯行当時,被告人は有機溶剤中毒特有の酩酊状態下にあり,精神の障害により事物の是非善悪を弁識する能力がなく,又はこの弁識に従って行動する能力(行動制御能力)のない状態,すなわち,心神喪失の状態にあったから,被告人は無罪である旨主張する。   ところで,この点について判断するためには,その前提となる事実関係を確定する必要があるが,被告人は,捜査段階と公判段階で異なる供述をしているから,まずそれぞれの供述の信用性を検討して事実関係を確定した後,これを踏まえて被告人の犯行時の責任能力の存否について判断することとする。 2 被告人の捜査段階の供述の信用性  (1) 被告人の捜査段階の供述の要旨   ア 被告人は,平成14年9月30日,結核やシンナーの治療のために入院していた北九州市内のC病院を退院した後,仕事を見つけなければならないと思いつつも,仕事を見つけることができなかった。また,被告人は,同病院の医師からこのままでは50歳までもたないと言われたが,親に相談することもできないし,これから先どうすればいいだろうか,仕事を始めても,体調が悪くなり,血を吐いたらどうしようかなどと思い悩んでいた。被告人は,仕事面と体調面の不安を忘れるため,ドライブに行ったり,パチンコをするなどして過ごしていたが,不安がどんどん大きくなり,どうせ体が悪いのであれば,またシンナーでも吸って寿命を縮めようとか,自殺すれば悩まなくて済むが,自殺はいつでもできるし,それなら寿命のことを気にせずにシンナーを吸おうなどと考えて,むしゃくしゃした自分の気持ちを紛らわせるため,同年10月19日ころから,接着剤の吸引を再開した。   イ 被告人の両親である被害者らは,同月22日から同月24日までの間,知人の稲刈りの手伝いのため,ほとんど家を留守にしていた。被告人は,前記の不安や,被害者が帰宅せず,電話連絡もないことに対するいら立ちを抑えるため,接着剤を吸引するなどしていた。その間,畑の境界の件で被告人の父あてに電話があった。   ウ 被害者らは,同月24日午後9時ころ,帰宅した。2階の自室にいた被告人は,1階に下り,台所にいた女性被害者に対し,電話連絡なく帰宅しなかったことなどについて不満を述べ,2階に戻ろうとした。そのとき,寝室にいた男性被害者は,被告人に対し,「何言いよんのか。働き口も見つけんで,ぶらぶらしよんのに。」と怒鳴った。被告人は,その言葉を聞いて,男性被害者は被告人が体調や仕事について悩んでいることなどを考えずに文句を言ってきたと考えて腹を立てたが,話をしようと考え,寝室のベッドに座っていた男性被害者に対し,「何が言いてえんか。自分なりに仕事やら何やら考えよんのじゃ。前んごと,仕事ができる体じゃねえんじゃ。」などと,自分が結核の治療を終えたばかりで体調がよくないので仕事ができないことを述べた。すると,寝室で立っていた女性被害者は,被告人に対し,「そんなら,首でんくくりい。」と言った。被告人は,その言葉を聞いて腹を立て,頭に血が上り,男性被害者にも聞こえるように,大きな声で,「おまえらは,寿命があとどれくらいとか言われたことねえだろ。おれは,こん年でもう何年とか言われちょんのぞ。」などと怒鳴った。それにもかかわらず,男性被害者は,被告人を冷やかすように,「そんなら,一緒に死ぬか。」などと言った。被告人は,自分の寿命のことなどについてまじめに話をしたのに,このように男性被害者から言われて,いら立っていると,さらに,男性被害者は,また冷やかすように,「おれの方が年がいっちょん。順番から言やあ,おれから先に行くのが本当やけん。」と言った。被告人は,その言葉を聞いて,いらいらも限界近くにまで来ていたので,壁か何かをたたいて家を出ようかとも考えたが,自動車で家を出て寝泊まりして結核が再発したら困るなどと考え直し,これ以上相手にしても仕方がないし,ジュースでも買いに行こうと思い,寝室を出て,自動車のかぎを自室に取りに行くために階段を上がろうとした。そのとき,被告人は,男性被害者が「おれがやったようにおまえもやりゃあいいじゃねえか。」などと言っているのが聞こえた。被告人が二十四,五歳のころ,突然被害者らが自室に入ってきて,寝ていた被告人をステンレスのパイプ等で殴ったことや,被害者らが被告人を農薬で殺そうとしたことがあったので,被告人は,男性被害者がそのことを言っているとすぐに分かり,腹を立てたが,自分の怒りを抑えるように,「分かった。分かった。」とだけ返事をして取り合わず,自動車のかぎを持ってジュースを買いに外に出た。   エ 被告人は,自動車を運転して,缶コーヒー及びタバコを買いに行き,自宅付近の農道に自動車を停めて,コーヒーを飲みながら,被害者らからいろいろ言われてむしゃくしゃしていた自分の気持ちを落ち着かせようとしたが,どうしても自分の気持ちを全く理解せずに冷やかしてきた被害者らの言葉が頭から離れなかった。   オ 被告人は,同日午後10時ころ,帰宅し,自室に戻った。被告人は,被害者らに言われたことを思い出し,被害者らは自分の気持ちも分からず,なぜあんなことばかり言うのかなどと考えていら立った。そして,被告人は,これまでにあった嫌なこと,すなわち,被害者らがパイプ等で被告人をたたいたこと,男性被害者が被告人の元妻に「やらせろ。」などと卑わいなことを言ったこと,男性被害者が冷蔵庫に入っていたジュースの中に農薬を混ぜて,それを飲まされそうになったこと,自分が幼いころ,男性被害者から押し入れやトランクの中に詰め込まれたことなどを思い出してしまい,このような場合,今までは物に当たるなどして気持ちを静めていたが,このときのいら立ちはもう物に当たっても静められない程度まできており,これをどうやって抑えればいいのかと考えた。しかし,被告人は,気持ちを静めるように,いらいらしても始まらないと自分に一生懸命言い聞かせているうちに,いつの間にか1時間くらい,ベッドで寝ていた。   カ 被告人は,同月25日午前1時ころ,目を覚ますと,また被害者らに言われた言葉が耳から離れず,さらに,寝る前に思い出したこれまでの嫌な出来事をどうしても忘れることができなかった。被告人は,自分としては,これまでに家の手伝いもしていたつもりであった上,病院の医師からは50歳まで生きられない旨告げられ,実際はあと5年くらいしかもたないのではないかと悩んでおり,被害者らは自分が体調が悪いことを分かっているはずであるのに,なぜ被害者らにそこまで言われないといけないのか,子供の体のことを気遣うのが本当の親ではないのかなどと考えて,悔しく,被害者らに対する怒りがこみ上げてきた。そして,その気持ちは,一瞬にして被害者らに対する憎しみに変わり,被告人は,このままでは自分の気持ちがもたない,被害者らがあのような態度を取るなら,いがみ合って一緒に生きていても仕方ない,もうこちらから被害者らを殺してやる,男性被害者は先ほど年の順について言ってきたから同人から殺してやる,今まで自分は「ワル」であったから,最後まで「ワル」を通して被害者らを殺してしまおう,そうすれば,この先,被害者らも自分のことで悩むこともないなどと考え,被害者らの殺害を決心した。   キ 被告人は,頭に血が上り,興奮してきたが,さすがに自分の親だから,しらふでは殺せない,親殺しの勢いをつけるために接着剤を吸おうと考え,いつもより多くの接着剤をポリ袋に入れて,これを吸い始めた。被告人は,接着剤を吸いながら,被害者らの殺害道具として,被告人が板場の見習をしていたときに使っていた包丁が自宅にあることを思い出したが,その包丁は被害者らがどこかに隠しているし,刃先も丸くなっているから,それを探し出して刃を研いでいる暇はないし,親を何度も包丁で刺す勇気はないなどと考え,包丁を使うのはやめた。また,被告人は,被害者らの首を絞めて殺害することも一瞬考えたが,親の顔を見ながら首を絞める勇気はないと考え,その手段は取らなかった。そして,六,七年くらい前からダンベル代わりに使っていた,長さ約80センチメートル,重さ約7キログラムの鉄棒がベッドの足下にあるのが被告人の目に止まり,被告人は,これで被害者らの頭を殴って殺してやると考えた。その際,被告人は,この棒の重さと硬さであれば,被害者らの頭を一,二回殴れば,苦しめずに,間違いなく,すぐに殺せるに違いないとも考えた。被告人は,被害者らを苦しめずに殺してやるのが最期の親孝行だと思っていたので,ちょうどこの鉄棒を使うのがぴったりであった。なお,被告人は,納屋に置いてあったなたを使うことも一瞬考えたが,手元に鉄棒があり,納屋までなたを取りに行くまでもなかったので,なたは使わなかった。   ク 被告人は,その後も,勢いをつけるため,接着剤を吸引し続け,同日午前三,四時ころ,今から被害者らを殺してやると決心して立ち上がり,右手で鉄棒を持ち,階段の電気をつけて1階に下り,被害者らを殺すため,迷うことなく,被害者らが寝ている寝室に向かった。被告人は,被害者らを殺してやるという気持ちが高ぶっていたため,寝室のガラス戸を日ごろより素早く開けると,そのまま急いで寝室の中に入った。男性被害者はベッドに,女性被害者はその下に,頭を廊下側に向けて寝ていた。     被告人は,普通,人間は年齢の順に死ぬのだから,男性被害者から殺してやろうと決めていたので,まず同人を殺害するために同人の方を向いた。被告人は,寝室の入り口付近の内側に立ち,右手で鉄棒の真ん中やや後方辺りを,左手でその端を持って,これを自分の右肩の上まで振り上げ,自分がぐらつかないように,右足を一歩前に踏み込んで,右半身の姿勢で,思いきり力を込め,男性被害者の額を目がけて振り下ろすと,「ボクッ」という鈍い音がして,鉄棒が同人の頭に命中した。その音は,被告人が生まれて初めて聞くような音で,被告人が鉄棒を振り下ろした瞬間,鉄棒は跳ね返ってくることはなく,そのまま沈み込むような重く鈍い感触が被告人の左手に伝わってきた。ただ,被告人は,殺される男性被害者の顔を見ることまではできず,鉄棒で同人の顔をたたく瞬間には目をそらしてしまった。それに,被告人は,右足を踏み込んだものの,親を殺すことに多少のためらいがあったのか,腰を引いてしまい,腕が多少伸びた状態で男性被害者をたたいたため,鉄棒の先端が同人の額に当たった。同人は,身動き一つせず,ただ「ブフッ」というような音が同人の口元から聞こえた。被告人は,その後も,夢中で,一気に殺してやる,できるだけ苦しめずに殺してやろうと考え,続けざまに一,二回,強くたたくために1回目よりも更に右足を強く踏み込んで,男性被害者の頭を目がけて鉄棒を振り下ろすと,これが同人の頭に命中し,「ボクッ」という鈍い音がした。被告人が男性被害者に向かって鉄棒を振り上げた際,その先端が寝室入り口のガラス戸に当たって,なぜかガラスが割れた。しかし,被告人は,被害者らを殺すために迷うことなく鉄棒を振り上げていたので,ガラスが割れようとどうしようと関係なく,無我夢中で,すぐにそのまま少し後ろに下がって,起きあがってきた女性被害者に向かい,男性被害者と一緒にあの世に行かせてやると考え,真剣に,下向きに持っていた鉄棒を右肩のところまで振り上げ,同女の頭を目がけて振り下ろして殴りつけると,鉄棒が同女の頭に命中し,その瞬間,「ボクッ」という鈍い音と,被告人の手に重い衝撃があった。このとき,同女の口からは,何も声や音等は聞こえなかった。そして,被告人は,ひと思いに殺してやると考え,すぐに,同じように鉄棒を振り上げて,もう一度,同女の頭か顔の付近を思いきり殴りつけた。     被告人は,その後,被害者らが全く動かない様子を見て,被害者らを殺し終えたことが分かり,これだけやれば間違いない,ついにやったと思った。しかし,被告人は,自分が殺した相手が自分の親であることから,死んでいる親の姿など見られないという感覚で,目をつむるようにして,急いで寝室から出た。   ケ 被告人は,被害者らを鉄棒で殴り殺すと,急に血の気が引いていくような感じがし,手に持っていた鉄棒は気持ちが悪くて,自室に持って上がることができず,これを1階の座敷の入り口付近に置いた。そして,寝室の戸は開けたままであったことから,被告人は,自分が殺した親の姿は見たくないと考え,とっさに座敷の押し入れを開け,目に付いた布団,座布団やぬいぐるみ等を両手で抱え,2回くらい寝室と座敷を往復して,これらを寝室の入り口付近から被害者らの顔を目がけてほうり投げてかぶせた。被告人は,最初に女性被害者に布団等を掛けたが,同女の姿ははっきりと見ていない。他方,被告人は,その後,少し寝室の中に入って男性被害者に布団等を掛けた際,ちらっと同人の顔が見え,同人はあお向けのまま,身動き一つせず,白目が開いたままの状態で死んでいた。このときのぴくりとも動かない,開いたままの男性被害者の白い目は,今でも,強く被告人の目に焼き付いている。     被告人は,その後,急いで寝室の戸を右手で閉めようとしたが,割れたガラスの破片が引っかかって,うまく閉まらなかったので,ガラスの破片を拾って廊下の上に置き,これをモップで土間に掃き落とした後,2階の自室に戻った。   コ 被告人は,全身の力が抜けたようにベッドに座り込んでしまい,ついに親をやってしまったと思うと,身も心も疲れ果てた感じになり,ただぼう然と接着剤を吸い始めた。その後,被告人は,接着剤も吸えなくなり,座り込んだまま,この先,自分はどうすればいいのかなどと漠然と考えるだけで,眠ることもできず,ベッドに座ったまま朝を迎えた。     被告人は,少し眠気のようなものが襲ってきたので,1階に下りて,顔を洗い,水を飲んだ。その後,被告人は,寝室の入り口付近の廊下にはまだガラスの破片の細かいものが残っていることを思い出したので,飼い犬や自分が歩くときに破片を踏んだら危ないと考え,廊下に飛び散っていたガラスの小さな破片を柄の付いたモップで土間に掃き落とした。     その後,被告人は,飼い犬を連れて自室に戻り,ベッドに座って飼い犬がベッドの上をうろうろする様子を見ながら,とうとう自分と飼い犬だけになった,これから飼い犬とどうしようかなどと考えていると,自分の親を殺したこと自体が気味悪くなってきて,殺すときに使った鉄棒なんか見たくない,どこか見えないところに捨てようなどと考えた。そこで,被告人は,1階に下り,水屋のそばにあった,新聞紙と同じ大きさの広告の紙を2枚くらい持って,鉄棒を置いていた座敷に向かい,その紙をねじり込むようにして鉄棒に巻き付けた。被告人が鉄棒を手に持った際,その下の畳に血が筋のように付いているのが被告人の目に入った。     被告人は,同日午前,紙を巻いた鉄棒を持って外に出て,自分の自動車の後部トランクの中に入れて川の土手に行き,その棒を川に向かって投げ捨てたところ,鉄棒は草むらの中に落ちた。   サ その後,被告人は,帰宅し,とりあえず,1階の居間にある飼い犬のえさ箱にえさを入れて飼い犬を探した。日ごろ,飼い犬は,居間の犬用のベッドの中にいるが,このときは,座敷の座布団の上に座り込んだまま動こうともしなかった。被告人は,その様子を見て,自分が被害者らを殺し,家の様子がいつもと違うことが飼い犬にも分かっているなどと思った。     被告人は,飼い犬を抱いて2階の自室に上がり,接着剤を吸ったりしながら,「今度は,おれたちの番やのう。」などと,次に死ぬのは自分と飼い犬であるということを考え始めた。被告人がそのようなことを考えていると,ふと刃渡り十五,六センチメートルくらいのナイフが被告人の目に入り,被告人は,これで飼い犬を刺せばすぐに死ぬとも思ったが,このとき,犬を刺した後のシーンが思い浮かんできて,余りにかわいそうでできないと考え,思いとどまった。     その後も,被告人は,自室で身も心も抜けがらのようになって,ただぼう然と,「家に睡眠薬があったなあ。」,「車にホースを引き込んで排ガスとかもあるけど,途中で,苦しくなってドアを開けるかもしれんし。」,「首をくくるにしてん,助かろうとして,もがいて,ロープをほどくかもしれん。」などと自殺方法をいろいろと考えたが,いざとなると,なかなか決心がつかなかった。     また,被告人は,同日,居間に行くため,寝室前の廊下を通った際,寝室出入口のガラス戸の割れた部分から目に入った北側の白い障子に小指の先くらいの茶色っぽい血こんが五,六か所付いているのが見えた。被告人は,それを見て,自分が被害者らを殴り殺したときに飛び散った血であることがすぐに分かり,恐ろしくなると同時に,被害者らに対して申し訳ないという気持ちで,座敷の仏壇にろうそくと線香を上げて,手を合わせながら,「あんまし,苦しまんかったかえ。痛かったやろうなあ。」などと心の中で被害者らに話しかけた。     その後も,被告人は,自室において,少しずつ間をおいては接着剤を吸いながら,あの程度の接着剤を吸ったくらいで勢いがついて,被害者らを殺すことができたのであるから,もっとどんどん接着剤を吸って,自分も死のうかなどと考えた。     そして,被告人は,同日夕方ころ,倉庫から玄関先まで持ってきたくわの柄の部分を約1メートルくらい,のこぎりで切り,これに五,六メートルくらいの犬の散歩用のロープを巻き付けて,首つり自殺をするための道具を作り,これを階段の上の両側の壁に掛けてみたが,もし自分がもがいたら柄が外れるかもしれないと考えた。そこで,被告人は,くわの柄を取ってもう一度玄関に持っていき,電気ドリルで両端に穴を開けた後,再びこれを上記の壁に掛け,くぎを打ち付けて,いつでも首つりができるように準備したが,どうしても自殺する勇気を出せず,自室でいろいろなことを考えていた。   シ 被告人は,同月26日,また自室で自殺方法等を考えていると,息が詰まってしまうような気がしたので,飼い犬を連れて自動車を運転して展望台に行き,飼い犬を連れて歩いていると,海が見えた。被告人は,その際,「車ごと海に飛び込んだら,楽に死ねるかなあ。」,「親から何言われてん,殺したりせんで,ほたっちょったらよかった。けんかしたとき,そんまま家を飛び出ちょけば,こんなことにはならんかったにい。」などと,自殺することや,後悔してもどうにもならないことばかりを考えていた。また,被告人は,飼い犬を見ていると,何だかかわいそうになり,「こいつだけでも,知り合いのところにやろうか。」などとも考えた。     被告人は,同日夕方ころ,帰宅し,また自殺方法を考え始め,倉庫から農薬を取り出して玄関のげた箱の上に置いたが,これを飲むことはできなかった。被告人は,同日夜,また自室で接着剤を吸ったりしながら,睡眠薬を飲んで,自動車の中で排ガス自殺をしようかなどと自殺方法を考えたり,被害者らを殺さないで自分が家を出ていけばよかったなどと悔やんでいた。被告人は,いつの間にかベッドで寝付いていたが,1時間くらいたつと目が覚めて,また同じようなことばかりを考えていた。   ス 被告人は,同月27日,目を覚ますと,自分がやり残したことはなかったかなどと考え始め,消費者金融業者に約10万円の借金が残っていることを思い出したり,飼い犬をどこかに預けようかとも考えた。しかし,被告人は,同日も接着剤を吸ったりして外に出る気分にはなれず,自室において,「こんまま,家に火をつけて,どこかに逃げようか。でも,警察もそんなにあめえもんやねえし,すぐに捕まるやろう。」などとも考えた。また,被告人は,食欲もなく,ビールでも飲んでみようと思い,缶ビールとウインナーを2階に持って上がったが,結局ビールはふたも開けないままで,ウインナーだけを食べた。   セ 被告人は,同月28日,自宅において,ボーっと自殺方法を考えたり,また,自殺するなら,その前においしいものを腹一杯に食べたり,女を買って抱こうかなどとも一瞬考えたが,被害者らを殺した後,食欲もなくなっていたし,人と会う気にもなれず,そのようなことは全くできなかった。ただ,被告人は,車好きで,C病院に入院しているときからずっと自動車を車検に出すときにタイヤも交換しようと思っていたが,同月10日に車検は終えたものの,タイヤは新しいものに交換しないままになっていた。そこで,被告人は,サラ金の借金を返した後,タイヤだけは交換しに行こうと考え,同月28日午前,郵便局において男性被害者名義のキャッシュカードで40万円を引き下ろして,消費者金融業者に10万円を返済した。被告人は,睡眠薬で寝入っている間に何とかして灯油に火をつけ,自宅ごと燃やして自殺しようなどと考えていたので,同日午後,灯油を注文して,玄関前に置いていた約18リットル入る青色のポリ容器3個に灯油を入れてもらい,そのうち1個を玄関に残し,ほかの2個を勝手口内側の土間に置いておいた。     その後,被告人は,飼い犬を預かってもらおうと思い,知人に電話をかけたが,飼い犬を手放す決心がつかず,そのことは言い出せなかった。     被告人は,自動車のタイヤを交換しに行った後,帰宅した。被告人は,また自殺のことをいろいろと考え始め,「睡眠薬を飲んで,寝ている間に家が燃えれば,楽に死ねるかなあ。」,「家が燃えている最中に万が一目を覚ましてしまったらやべえけん,自分が逃げ出せんように灯油を置いておこう。」などと考えた。そこで,被告人は,玄関の上がり口に上記ポリ容器を1個置き,自分が勝手口や居間の窓から出られないようにするため,寝室と居間の間の廊下にも,木製の踏み台の上に上記ポリ容器を1個置き,さらに,その上には,ろうそくを立てた皿を載せて,自宅を燃やす準備をした。そして,被告人は,火が燃え上がったときに自分が2階から飛び降りたりする暇もないようにしようと考え,もう1個の上記ポリ容器を階段を上がったところの板の間に置いた。しかし,被告人は,どうしても最後の踏ん切りがつかず,時間だけが過ぎていった。   ソ 被告人は,同月29日,自室の電話線が少しずれているのに気づき,電話がつながるかを確認した。被告人は,同日も食欲がなく,昼は自宅にあったインスタントのみそ汁だけを口に入れた。被告人は,外には一歩も出ず,同日夕方から夜にかけて,また自室において,接着剤を吸いながら,「確実に死ねる方法はほかにねえやろうか。」,「親のことはほたっちょけばよかった。」,「元には戻れんし,取り返しのつかんことをしてしまった。」などとこれまでと同じようなことを考えたりしていた。接着剤が同日の夜のうちになくなり,被告人は,考え事ばかりをして,ろくな食事も取っていなかったため,体も気持ちも疲れ切っていて,いつの間にか寝込んでしまい,気がつくと朝を迎えていた。   タ 被告人は,同月30日,目を覚ますと,「しらふでは家におれんし,酒も飲む気になれん。昨日なくなったけん,またボンドを買いに行こう。」と考え,同日午前9時ころ,自動車で自宅を出発し,まず銀行に行って,男性被害者名義のキャッシュカードで現金を引き下ろそうとしたが,できなかった。その後,被告人は,接着剤等を買って,帰宅し,自室に上がって,接着剤をコーヒーのびんに移した後,また接着剤を吸い始めた。被告人は,同日昼,カップラーメンだけを食べてから,また自室において接着剤を吸おうとしたが,疲れや眠気が強くて,ほとんど接着剤を吸えず,しばらくすると,いつの間にかベッドで眠ってしまっていた。     被告人の目が覚めたとき,既に外は暗くなっており,被告人は,1階に下りる元気もなく,飼い犬用に用意していた水を飲んだりしていると,1階で人の足音や男性の話し声が聞こえたので,ベッドに座ったまま,「何やろうか。だれが話しよんのやろうか。」と不思議に思っていると,警察官が階段を上がってきて,自分の目の前に立っていた。警察官は,被告人に対し,「親はどこか。」などと被害者らの居場所を尋ねたので,被告人は,正直に「下にいます。私がやりました。」と,被害者らは自分が殺し,その遺体は寝室にあることを説明した。被告人は,そのとき,後悔してもしきれない気持ちや,一人でずっと死ぬことを考えたりしていたのに決心がつかずにいた気持ち等から解放され,一瞬にして楽になったような感覚になり,ドーっと全身から力が抜けていったのを今でもはっきりと覚えている。被告人は,警察署で事情を聞かれた後,同月31日,殺人罪で逮捕された。  (2) 検 討    被告人の捜査段階の供述は,前記(1)のとおり,極めて具体的かつ詳細で,おおむね一貫している。被告人が被害者らと口論になって,怒りを抑えきれずに殺意を抱くに至る経過や犯行前後の心情等の点については,およそ被告人でなければ語ることができない迫真性に富み,あるいは,通常人には容易に想像できない内容であり,取調官が創作,誘導したとは認め難い。また,被告人は,犯行状況について,興奮していたのですべてを正確に覚えているわけではないと述べた上で供述し(乙18),さらに,女性被害者を殺害した状況について,当初は同女が寝ていた旨供述していたが,その後,実況見分の際に思い出したという合理的な理由を付して,同女が動いていた旨供述を変更するなど,当時の記憶に忠実に供述していることが認められる。そして,被告人の前記供述は,被害者らの死体の状況,鉄棒の発見状況,被害者方1階西側勝手口の土間にガラスの破片が落ちていた状況,被害者方階段の上方の両側の壁にロープを巻き付けたくわの柄が打ち付けられ,また,ろうそくを立てた皿が載せられたポリ容器が木製の台の上に載せられていた状況等の客観的事実や第三者の供述(甲5《不同意部分を除く。》,6ないし8)と符合する。    したがって,被告人の捜査段階の供述は信用性が高いというべきである。 3 被告人の公判供述の信用性   被告人は,公判廷においては,捜査段階と異なり,ふだんより多量の接着剤を吸い始めたときは被害者らの殺害を考えておらず,気づいたときには頭の中に「よし」という掛け声がかかり,それと同時に体が勝手に動くような感じで鉄棒を持って立ち上がっていたとか,女性被害者に対する行為等を覚えていないなどと述べ,接着剤吸引の目的,犯行前及び犯行時の状況等に関する供述を変遷させているところ,被告人の供述調書の作成経緯等について,主として,次のとおり述べている。   すなわち,①被告人は,任意同行された平成14年10月30日の取調べの際,警察官に対し,シンナーの影響で記憶がなくて分からないなどと言ったところ,警察官から,殺意がなければ本件のような事件を起こさないのではないかと言われて,そう言われるとそうだと納得し,殺意があったかもしれない旨述べ,これが供述調書に記載された。②被告人は,警察官に対し,女性被害者に対する行為については分からない旨述べたが,警察官から分からないのであれば取調べが終わらないと説明されて,自分の供述を供述調書に記載してくれなかったし,早く事件を終わらせて罪を償うのが一番の供養になると言われて,自分もそのように思い,できるだけ早く刑を受けたいと思ったから,警察官の説明どおりの供述調書が作成された。③被告人が女性被害者を殺害した際に同女が動いていたと捜査段階の供述を変更したのは,被告人が実況見分に立ち会った際,警察官から同女の血しぶきの状況から同女が動いたのではないかなどと説明を受け,そのように納得したからである。④被告人は,警察官による取調べの際,警察官に対し,何かの点について供述調書を書き直してくれと言ったが,警察官は,意味合いが同じであるなどと言って書き直してくれなかったので,被告人は,自分から言っても駄目だと思い,それからは余り書き直してくれと言わなくなった。⑤被告人は,警察官に対し,二,三回,「よし」という言葉が聞こえた旨供述し,警察官から「よし」という声がしたのかと聞き直されたとき,「よし」という声が聞こえたのか,自分がそう思ったのかははっきりとは分からないと答えたが,結局,自分が思っていることとは違う内容の供述調書が作成された。⑥被告人は,犯行当時は鉄棒以外の凶器を使うことについて考えなかったのに,これを考えたかのように検察官調書(乙8)に記載されたが,警察官から,検察官に対して警察官調書のとおりに言わないと取調べに時間がかかるなどと言われ,事件を早く終わらせたかったので,その点については,検察官に対して訂正を申し立てなかった。   しかしながら,被告人を取り調べた警察官は,公判廷において,被告人が女性被害者に対する行為等について記憶がないと述べたことはなく,実況見分の際には同女が若干動いたと自ら述べたなどと供述して,供述の誘導を否定するところ,被告人の捜査段階の供述は,前記のとおり,極めて具体的かつ詳細で,捜査の初期段階から,取調官が知り得なかった被告人の病歴,被告人が鉄棒を用いたことやその投棄場所等に関する供述を含むなど,取調官が創作,誘導したとは認め難い迫真性に富んでいる。また,被告人は,警察官に対し,女性被害者を殴っていないとか,殴った記憶がない旨供述していないとも述べており(第6回公判101項),女性被害者に対する行為については分からない旨述べたとの供述と矛盾する。被告人は,女性被害者に対する行為が明確に記載されている検察官調書(乙18)について,その取調べの際に公判廷と同様の弁解をしなかった旨述べている(第6回公判286項)が,その理由を追及されてもあいまいな答えに終始している。さらに,被告人が鉄棒以外の凶器を使うことを考えたか否かについて訂正を申し立てなかったという検察官調書(乙8)においては,被害者らから農薬を飲まされそうになった件について,実際には農薬を飲み込んでもどした旨の訂正がされており,ほかにも訂正がされた検察官調書があること(乙7)からすると,訂正を申し立てなかった理由に関する被告人の説明は一貫せず,不合理である。そして,被告人は,自分の供述と異なる内容の供述調書を書き直してほしいと思った旨供述しながら,その内容をはっきりと覚えていないと供述している(第6回公判374項)のは不自然である。加えて,被告人を取り調べた警察官は,公判廷において,被告人が何か声が聞こえたなどという話をしたことはない旨供述するところ,被告人は,「よし」という言葉が聞こえた旨が供述調書に記載されなかった理由を合理的に説明していない。   以上によれば,被告人の供述調書の作成経緯等に関する被告人の上記公判供述は,信用性に乏しく,被告人の捜査段階の供述の信用性に影響を及ぼすものではない。したがって,被告人の公判供述のうち被告人の捜査段階の供述と異なる部分は,供述変遷の理由が合理的に説明されていないことから,信用性に乏しいといわざるを得ない。 4 認定できる事実経過  信用することのできる被告人の捜査段階の供述及び関係各証拠によれば,次の事実が認められる。  (1) 被告人は,昭和57年ころから長年にわたって有機溶剤を常用し,幻覚や幻聴の症状を呈し,度々暴力行為に及ぶなどしたため,有機溶剤依存症ないし有機溶剤精神病等と診断されて入退院を繰り返し,平成14年9月30日,北九州市内の病院を退院した。  (2) 被告人は,仕事が見つからなかった上,自分の余命が短く,体調の心配から仕事ができないと考え,将来への不安を抱えて悩んでいたことなどから,自分の気持ちを紛らわせるため,同年10月19日ころ以降,接着剤の吸引を再開し,連日接着剤を吸引していた。  (3) 被告人は,本件犯行の前日である同月24日,父親から仕事をしないことなどを非難されたため,同人は被告人が体調や仕事について悩んでいることなどを考えずに文句を言ってきたと考えて腹を立てた。被告人は,仕事のことなどを考えてはいるが,体調がよくないので仕事ができない旨述べたが,これに対する両親の発言を聞いて,両親は被告人の気持ちを理解せずに被告人を冷やかすようなことを言ってきたと考えて,ますます腹を立てた。被告人は,自分の気持ちを落ち着かせるため,いったん自宅の外に出て缶コーヒーを飲むなどして,自室に戻ったが,両親に言われた言葉や,過去に両親にされた嫌な出来事を思い出し,両親は被告人の悩み等を分かっているはずであるのに,なぜ両親にそこまで言われなければならないのかなどと考えて,両親に対する怒りがこみ上げ,憎しみを抱いた末,両親の殺害を決意した。  (4) 被告人は,興奮してきたが,相手は自分の両親なので,しらふでは殺せない,親殺しの勢いをつけるために接着剤を吸おうと考え,ふだんより多量の接着剤を吸引し始めた。    被告人は,接着剤を吸引しながら両親の殺害方法を考え,鉄棒の重さと硬さから,これで両親の頭部を一,二回殴れば,苦しめずに,間違いなく,すぐに殺せるに違いない,両親を苦しめずに殺してやるのが最期の親孝行だなどと考え,鉄棒で両親の頭部を殴って殺害することに決めた。  (5) 被告人は,その後も勢いをつけるために接着剤を吸引し続け,同月25日,鉄棒を持って両親が寝ていた寝室に入り,右足を一歩前に踏み込んで,鉄棒で父親の頭部を目がけて殴打した。その際,被告人は,殺される父親の顔を見ることができず,目をそらした。被告人は,できるだけ苦しめずに父親を殺してやろうなどと考え,更に右足を強く踏み込んで,鉄棒で父親の頭部を目がけて一,二回殴打して殺害した。    引き続き,被告人は,母親を父親と一緒にあの世に行かせてやると考え,鉄棒で同女の頭部を目がけて殴打し,ひと思いに殺してやると考え,更に鉄棒で同女の頭部付近を殴打して殺害した。  (6) 被告人は,自分が殺した親の姿は見たくないと考え,両親に布団等をかぶせた。また,被告人は,自分の親を殺したこと自体が気味悪くなってきて,両親の殺害に用いた鉄棒など見たくないから,これをどこか見えないところに捨てようなどと考え,広告の紙を鉄棒に巻き付けた上,これを河川敷に投棄した。 5 被告人の犯行当時の責任能力の存否   前記4で認定した事実経過によれば,確かに,被告人は,長年にわたって有機溶剤を常用して暴力行為に及んだことなどから,有機溶剤精神病等と診断されて入退院を繰り返し(前記(1)),本件犯行当時は,連日接着剤を吸引し続けた上,犯行直前にふだんより多量の接着剤を吸引した影響があったと推測されること(同(2),(4)及び(5))が認められる。しかし,本件犯行は,了解可能な動機に基づき,合目的的な行動によって達成され(同(3)ないし(5)),その際,被告人は,父親の顔を直視できないなど,自然な反応を示し(同(5)),また,犯行直後の被告人は,周囲の状況を十分に認識し,これに適応する行動をとっていたこと(同(6))などに照らすと,被告人は,本件犯行当時,接着剤吸引の影響で自己の抑制力が少し低下していたとしても,被告人の行為を外部から支配する,あるいは,被告人の判断を誤らせる音という意味での幻聴を生じていたとか,その精神状態に障害を来していたことはうかがわれず,その行為の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力を備えていたと認められる。 6 鑑定結果の当否   これに対し,弁護人は,鑑定人D作成の鑑定書及び同鑑定人の証人尋問供述が,本件犯行当時における被告人の行動制御能力の低下を認めていることを主たる根拠として,被告人は,本件犯行当時,心神喪失の状態にあったものである旨主張しているので,その鑑定結果の当否について更に検討する。  (1) 鑑定人作成の鑑定書の要旨   ア 被告人は,十五,六歳ころから有機溶剤の乱用を始め,有機溶剤中毒特有の酩酊状態での易刺激性・易怒傾向,不安・恐怖,暴力・精神運動興奮を起こすようになり,その都度両親によって精神病院に入院させられていたが,有機溶剤に対する慢性依存を形成し,これが持続していたものであり,慢性有機溶剤依存・中毒症と考えられる。なお,被告人の脳に異常所見は認められない。   イ 被告人は,鑑定人との面接の際,犯行直前の出来事については細部まで正確に記憶していたが,犯行時及び犯行後の行動については記憶があいまいであり,犯行時に父親を鉄棒で殴った記憶はあるものの,母親を殴った状況は記憶しておらず,犯行後の状況から自身の行動を推察し,つなぎ合わせたものと思われる。   ウ 被告人は,C病院を退院後,自分の余命が短いと考えて不安を感じていたこと,自分が肺結核になったために父親から見捨てられたと思うようになり,また,自宅の工事を自分に頼まずにほかの業者に依頼するなどされたため,父親を恨む感情を持っていたことなどから,抑うつ状態となっており,このような被害的感情が薬物への依存を助長した。   エ 犯行時の被告人は,その数日前から有機溶剤の吸引を続け,有機溶剤酩酊状態となっており,特に犯行直前に「よし」という幻聴があったことが直接犯行につながっていると思われる。   オ 被告人は,本件犯行後,両親に布団をかぶせたり,両親を殴った鉄棒を河原に捨てるなどしながらも,警察に自首することも,逃走することもなく,自宅で無為な生活を続け,借金を返済したり,自動車のタイヤ交換をするなど,およそ両親を殺害したという重大な犯行後にはふさわしくない行動をとっており,これは,有機溶剤特有の,積極性の欠如,無関心,感情の平板化,挑戦・意欲の低下,集中力の欠如等を特徴とする「動因喪失症候群」の症状を呈していたと考えられる。   カ 有機溶剤酩酊下の犯罪のうち,意識障害の状態での運動爆発は場合により心神喪失又は心神耗弱,意識障害があり,幻覚的体験に支配された犯罪は責任無能力とされている。本件犯行時の被告人の状態は,有機溶剤を吸引した酩酊状態であり,日ごろ感じていた父親への恨みの感情から意識障害下の運動爆発により本件犯行に及んだもので,前者の類型から後者の類型への移行状態と考えられる。被告人の「よし」という幻聴体験は,要素的で自身の思考が酩酊状態で幻聴化したものであり,精神病的に体系化された命令的内容とは異なっている。犯行時の被告人の行動制御能力は,有機溶剤の吸引により,かなりの程度低下していたと考えられる。   キ 犯行前の被告人の心理は,自殺念慮があり,むしろ両親を道連れにする無理心中的要素が強いと思われる。被告人は,有機溶剤の乱用を自身ではやめることができず,問題行動をすることで,両親に精神病院入院という形で保護されることを無意識的に期待していた面がある。その意味では,被告人は,有機溶剤を吸引すれば,自身が問題行動を起こすことを承知していたといえるが,本件犯行自体を目的としていたとは考えられない。  (2) 鑑定人の証人尋問供述の要旨   ア 有機溶剤は,脳に直接的に浸透し,アルコール等よりも早く酩酊状態になるため,これを吸い始めると,突然粗暴で興奮的になるという点が一つの特徴である。   イ 有機溶剤を吸引した場合,その間の記憶がないのが普通である。記憶がないのは意識障害の現れであり,原則としては,記憶の程度によって意識障害の程度を判断することになる。被告人は,父親を殴り始めてから,母親を殴り終えて,翌日ころまでは記憶がなく,一番強い意識障害があった。その前後の記憶も断片的であるが,犯行前夜の被告人の記憶は比較的保たれていることなどから,被告人が接着剤を吸い始めてしばらくの間は,意識障害の程度は軽かったと思われる。   ウ 被告人は,両親との口論後,いったん自動車で外に出てから帰宅し,有機溶剤を吸い始めて,今後のことを考え始めたころから,易怒的になった。被告人は,接着剤を吸い続けているうちに,意識障害が強まり,怒り衝動を制御する力が減弱して,日ごろ思っていた,自殺しよう,自分が死ぬなら親も殺して一緒に死のうという思いに移行した。被告人の中で「よし」という声がして,被告人が鉄棒を持った時点では,行動制御能力が3割程度減弱しており,その後,精神運動性の興奮が高まっていき,父親を殴打したことによって,興奮が興奮を呼ぶ悪循環となり,母親を殴打した時点では,被告人は最も意識障害の重い状態に陥り,行動制御能力はほとんどなかった。ただ,被告人は,母親が逃げる姿を見ながら,追いかけるように殴ったのであるから,行動制御能力が全くなかったわけではない。他方,被告人は,本件当時,ある程度,周囲の状況を判断する能力があった。   エ 被告人は,父親に対しては,怒りと依存の感情を持っており,同人と一緒に死ぬとの思いで殴打したが,母親に対しては,敵意も依存性も余りなく,被告人にとって存在感が薄くて,余り影響がなかった人であり,被告人が興奮したからといって,直接的に同女を殴ろうとは思っていなかっただろう。ただ,母親が被告人の存在を脅かす存在であったとすれば,被告人は,同女に対する怒りもあったことになり,逃げていく同女を追いかけて殴る行為も理解できないわけではない。   オ 親を殺して自殺することを合理的に考えて遂行するなら,例えば,包丁で心臓を刺すとか,鉄棒よりも重い鈍器で頭がい骨をつぶすなど,より自然で合理的な方法があるが,鉄棒で親を殴るという方法は,怒りのはけ口として物に当たるような印象を与える異常なもので,行動を律して行ったものではない。口論をして相手を殺したいと思うほどの心理状況になるには,暴力事件等の積み重ねが必要であり,犯行後の行動も本件と違ったものになると考えられるから,被告人が犯行直前に有機溶剤を吸ったことによって,その怒りの感情が形を変えて,事件に発展したものであるといえる。なお,本件は,被告人がそれまでに吸っていた有機溶剤が蓄積された結果ではない。   カ 有機溶剤中毒等では,自分自身の考えに結びつきやすい幻聴が起こりやすいとされ,要素的な幻聴とは,具体的なストーリーを持った内容の幻聴ではなく,非常に短い掛け声だけの幻聴を意味する。「よし」という声は,精神病的に被告人の人格を変えて操る内容の幻聴ではなく,被告人自身が重大な決心を固めたという気持ちが幻聴化して出てきたものであり,その有無は責任能力の評価に影響しない。   キ 被告人が興奮したまま両親に布団等をかぶせたというのは理解できないから,被告人は,本件犯行後,数分間寝くずれて,それから覚めたときに,比較的まともな判断,行動ができる状態になっていて,両親に布団等をかぶせたのではないかと思う。   ク 動因喪失症候群とは,有機溶剤を多量に吸った後の周囲の出来事に無関心な状態をいう。被告人が親を殺した後に,借金を返済したり,自動車のタイヤを交換したり,犬のえさを買いに行ったりしたのは,普通の心理では説明がつかないし,自殺しようとしたものの,その手段が拙劣で成功しなかったことからも,まさに動因喪失症候群の状態であった。その状態が続く期間が長ければ長いほど,本件犯行時の有機溶剤の影響は強かったとみるべきであるところ,本件ではその期間は長かった。犯行前の被告人のうつ症状は積極的にゆううつ感を感じていたが,犯行後には被告人に感情が起こっておらず,うつ症状とは異なる。   ケ 本件犯行は,意識障害の状態での運動爆発に当たるが,犯行前の心理状況には了解しやすい部分も交ざっており,運動爆発の対象者が限定され,少なくとも本件犯行のスタート時点においては合目的的な行動をとっていたことから,了解不能,無差別,非現実的な犯罪の一歩手前であり,有機溶剤酩酊下の犯罪のうち,薬物の影響下に抑制欠如,興奮性・刺激性の圧迫によって,社会的・道徳的抑制が欠如して行われる犯罪(完全責任能力とされる。)としてとらえることもできる。また,運動爆発の程度によっては,心神耗弱に当たらない場合もある。   コ 被告人は,有機溶剤を吸引することによって,情動興奮が起こって粗暴な行為をすることは理解していた。しかし,被告人は,ふだんは親から離れたところで有機溶剤を吸い,後に親に注意されて病院に連れていかれていたが,本件では,親が寝ている家の中でたまたま有機溶剤を吸ってしまって,爆発に移行したものであり,親を殺すために有機溶剤を吸ったものではない。被告人は,しらふでは両親を殺せないから有機溶剤を吸ったと供述するが,有機溶剤を吸ってまで親を殺すことによって被告人に有利な点があるかについて説明がないし,被告人は親を殺しても得にならない。  (3) 検 討   ア 鑑定人は,前記のとおり,被告人が犯行直前に有機溶剤を吸引したことにより,意識障害が次第に重くなっていく状態で本件犯行に及んだものであり,特に被告人が母親を殴打した時点では,行動制御能力はほとんどなかった旨述べる。   イ しかしながら,鑑定人の前記アの判断には次のような問題点がある。   (ア)まず,鑑定人は,被告人の公判供述及び被告人が鑑定人の質問に答えた事実を前提として,被告人は犯行時の行動等について記憶があいまいであり,母親を殴った状況は記憶しておらず,その時点では最も意識障害の重い状態に陥っていたなどと判断している。     しかし,信用することのできる被告人の捜査段階の供述によれば,被告人は,少なくとも取調べの時点では,犯行時の行動等をよく記憶していたことが認められるし,実況見分の際に記憶違いに気づいた部分はあったものの,記憶がないのに犯行後の状況等からつじつまを合わせた形跡はうかがわれない。また,母親に対する行為等を覚えていない旨の被告人の公判供述が信用性に乏しいことは前記のとおりである。   (イ)また,鑑定人は,鑑定書においては,犯行直前に「よし」という幻聴があったことが直接犯行につながっている旨述べている。     しかし,証人尋問においては,「よし」というのは,幻聴というよりも,被告人自身の中の,そういう重大な決心を固めたということで,その「よし」で,そそのかされてやったのではない(質問番号104項),「よし」というものは,幻聴という表現を使ったが,被告人の行動を操る,外からくる幻聴ではなくて,むしろ被告人の中にある思いが幻聴化したものであって,被告人の心理の投影だと思われる,したがって,精神病的に被告人の人格を変えて操る内容の幻聴ではなくて,被告人自身の気持ちが幻聴化して出てきたレベルであり,被告人自身の人間性の表現であって,「よし」があってもなくても責任能力の評価には影響しない(同157項)旨述べており,「よし」という幻聴に支配されて,被告人が本件犯行を行ったものではない旨述べている。そして,そもそも,頭の中に「よし」という掛け声がかかった旨の被告人の公判供述が信用性に乏しいことは前記のとおりである。   (ウ)さらに,鑑定人は,被告人は父親に対しては怒りと依存の感情を持っており,同人と一緒に死ぬとの思いで殴打したが,母親に対しては敵意も依存性も余りなく,被告人が興奮したからといって,直接的に同女を殴ろうとは思っていなかっただろうなどと述べる。     しかし,信用することのできる被告人の捜査段階の供述によれば,被告人は,犯行前に自殺を考えたことはあったものの,犯行時に自殺を考えていた形跡はないし,また,母親に対しても怒りを抱いてその殺害を決意したことが認められる。   (エ)そして,鑑定人は,鉄棒で親を殴るという方法は異常であり,より自然で合理的な殺害方法があるなどと述べるが,必ずしも鉄棒を殺害の道具として用いること自体が異常であるとはいえない。また,前記認定のとおり,被告人は,鉄棒の重さと硬さから,両親の頭を一,二回殴れば,両親を苦しめずに確実に殺せるなどと考えて,鉄棒で両親を殺害することに決めたことや,被告人がほかの殺害方法を選択しなかった理由の捜査段階における説明も合理的であることに照らすと,被告人が鉄棒で両親を殺害するという方法を選択したことも異常とはいえない。   (オ)加えて,鑑定人は,被告人が興奮したまま両親に布団等をかぶせたというのは理解できないから,被告人は,本件犯行後,数分間寝くずれて,それから覚めたときに,比較的まともな判断,行動ができる状態になっていて,両親に布団等を

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