H17.10.11 甲府地方裁判所 平成13年(ワ)第452号 医療過誤による損害賠償請求

判示事項の要旨:
 被告甲府市が開設する市立A病院において,肝臓の病変の処置を受けることとなった原告の母Bに対して,肝動注化学療法のための肝動注リザーバー留置の施術を行った際,Bに大動脈解離が生じ,心不全により死亡したことに関して,医師らにカテーテル等の操作を誤るなどの過失があったとして,被告に不法行為あるいは債務不履行に基づく損害賠償を求めた事件につき,原告の請求を一部認容した事案。



判決
当事者 省略
主文
 1 被告は,原告に対し,金2796万5148円及びこれに対する平成11年5月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 原告のその余の請求を棄却する。
 3 訴訟費用はこれを4分し,その1を原告の,その3を被告の負担とする。
 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由 
第1 請求
 1 被告は,原告に対し,金3619万3739円及びこれに対する平成11年5月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 訴訟費用は被告の負担とする。
 3 仮執行宣言
第2 事案の概要
 1 本件は,被告が開設する市立A病院(以下「市立病院」という。)の医師らが,市立病院において肝臓の病変の処置を受けることとなった原告の母であるBに対して,肝動注化学療法のための肝動注リザーバー留置(以下「肝リザーバー留置」という。)の施術を行った際,Bに大動脈解離が生じ,心不全により死亡したことにつき,原告が,医師らが上記施術に際して,カテーテル等の操作を誤り,その先端で大動脈弓等の内膜を傷付けたこと,施術前及び施術中の検査,調査不足のためBの血管の状態を把握せず施術に及んだこと,そもそも上記施術の危険性についての説明がB及びその家族になされていなかったことにつき,医師らに注意義務等の違反があったと主張して,医師らの使用者である被告に対し,民法715条の不法行為に基づく損害賠償請求として,また,被告のBとの間の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求として,3619万3739円及びこれに対するBの死亡の日である平成11年5月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めるという事案である。
 2 前提となる事実(証拠を掲記した事実以外は争いがない。)
  (1) 原告は,Bの実子であり,唯一の相続人である。
  (2) 被告は,市立病院を開設している。
    C,D,Eは,いずれも医師であり,平成11年4月,5月当時(C,Dは平成11年3月当時も),市立病院に勤務していた。CとDは外科,Eは放射線科の担当である。
  (3) Bは,平成11年2月25日ころ,右前胸部痛を訴え,同月26日F医院にて受診し,肺梗塞の疑いありとのことで市立病院を紹介された。Bにつき,心エコー,胸部・腹部CT検査が行われたところ,肝臓内に異常が認められ,3月8日,市立病院内科に検査入院することとなった。さらに,同月9日から10日にかけての腹部等の精査の結果,大腸回盲部癌と肝臓の病変(多発性肝転移)が発見され,担当医師から,このまま放置しておけば腸閉塞になってしまうため,人工肛門造設及び肝リザーバー留置が必要であるとの説明を受け,外科手術を受けることとし,同月15日外科に転科した。
    担当医となったC,Dらは,Bは年齢より元気で体力もあることから,大腸癌については回盲部切除を行うこと,肝臓については,転移が見られることから,上記手術の経過を見てから肝リザーバー留置を行うとの方針を決め,同月16日,Bに回盲部を切り取って,肝臓に直接抗生剤を流すことを説明した。さらに,同月21日ころには,内科担当医のGからBや原告らに対し,Bの病状が癌であることが告げられるとともに,Cから原告及びその夫のHに対し,回盲部の癌は人工肛門造設ではなく,切り取って摘出することとし,同月24日に手術をする予定であること,肝臓の方は,上記の手術の経過を見てから,右鼠径部から細い管を肝臓まで挿入し(肝リザーバー留置),副作用を見ながら少しずつ抗癌剤を投与してゆく(肝動注化学療法)という治療方針であること,市立病院の移転に伴う事務のため,4月14日にI病院にて手術を行う予定であるといった旨の説明がなされ,このころ,Bや原告らは上記の治療方針に同意をした(乙2の2の1及び2の9頁)。
  (4) 同年3月24日,BとHが,大腸癌の摘出手術を行うことの承諾書に署名,押印をし,同日午後1時ころから,Cを執刀医,Dを助手として回盲部切除術が開始され,上行結腸に確認された腫瘍を切除し,午後3時10分ころ,手術は終了した(同,5頁,35頁)。
    Bの体調は数日で回復し,4月9日から10日かけては一時外泊の許可も出されたが,翌11日,Bが腹痛を訴え,小腸に腸閉塞の症状が認められたため,肝リザーバー留置の施術は延期することとされ,Bらに説明がなされた(同,11頁)。
    Bは状態が良く,腹部の異常も認められないことから,4月24日から一時退院し,5月7日,肝リザーバー留置の手術を受けるために,市立病院に再入院した。Bは徒歩で入院し,全身の健康状態も良好とみられた。
    同日,Cは,Bに対し,肝リザーバー留置に際して,右足の付け根(鼠径部)からカテーテルを肝臓へ進める操作をすること,手術時間として2ないし3時間がかかる旨の説明を行った。
  (5) 同年5月10日午前9時から,肝リザーバー留置の施術(以下「本件施術」という。)が開始された。Cが血管の確保を行い,EとJがカテーテル操作を行ったが,実際にカテーテルの手技を行ったのはEであった。
    本件施術の経過は以下のとおりである。
    同日午前9時ころ,Bを血管撮影室へ移し,その後,右大腿部局所麻酔を施してから,右大腿部に4フレンチロングシースを留置し,上腸間膜動脈,腹腔動脈,胃十二指腸動脈をそれぞれ撮影した。この間の午前9時52分ころから10時24分に,ガイドワイヤーを肝臓の動脈の奥に入れてカテーテルを進める作業を行った。午前10時20分ころ,Bに背部痛があり,セルシン(精神を安定させ,楽にする薬)5ミリグラムの投与をした後,胃十二指腸動脈を塞栓し,塞栓を確認した後,胃十二指腸動脈撮影をした。午前10時49分から58分にかけて,Eは,腹腔動脈の撮影,胃十二指腸動脈撮影等の操作から,右大腿動脈からのアプローチは難しいと判断し,左鎖骨下動脈からのアプローチを考えた。
    午前10時58分ころから,左鎖骨下動脈からのアプローチの準備がなされた。その後,左鎖骨下動脈穿刺部を消毒して局所麻酔をしてから,皮膚の切開を行い,左鎖骨下動脈穿刺部に穿刺し,4フレンチショートシースを挿入し,これを通して,カテーテル,ガイドワイヤー操作を行うこととし,その後,Eが,左鎖骨下動脈から総肝動脈に向けてカテーテルを挿入する施術に着手した。
    同日午後零時35分ころ,Bが背部痛を訴え,セルシン5ミリグラムの注射をしたが,午後零時43分ころには,Bにひどい背部痛と体動が生じ,午後零時45分ころ,呼吸停止状態となった。その後,投薬や蘇生術が施されたが,CT検査を施行した結果,午後2時21分,呼吸停止の原因が,胸部大動脈の解離によるものであることが判明した。午後2時30分,Bに人工呼吸器を装着するなどの救命措置がとられたが,午後3時10分,Bの死亡が確認された。
3 争点
  (1) Eによる本件カテーテル操作の状況
  (2) Bの死亡原因
  (3) 被告の責任原因(注意義務違反及び説明義務違反)
  (4) 損害
第3 当事者の主張
 1 原告の主張
  (1) Eによる本件カテーテル操作の状況
    Eが,Bの左鎖骨下動脈から総肝動脈に向けてカテーテルを挿入する施術に着手したのは,看護記録によれば,早くとも午後零時20分ころであって,午前11時40分ころからカテーテル操作を行ったとする被告主張の事実はない。カテーテルを下行大動脈に進める前の段階である午後零時35分位には大動脈解離が生じてしまったので,一度もカテーテルを下行大動脈や腹腔動脈に進めた事実はなく,腹腔動脈の造影写真も残っていない。
(2) Bの死亡原因
    Bの死亡は,カテーテル操作に際して,Eがガイドワイヤーないしカテーテルによって,直接その血管に傷を付け,損傷が生じたことによる。
    そもそもBには,高血圧症,糖尿病,肥満,喫煙・アルコール摂取,ストレスなど動脈硬化の原因となる病歴,身体状況,生活環境等が見られず,かつ,各種検査結果から見ても動脈硬化の所見はなく,血管がもともと脆かった可能性は存在しない。解離性大動脈瘤は,大動脈の内膜に亀裂が生じた場合に発生し,発症と同時に胸背部に激しい痛みが生じるところ,本件においては,Eによるカテーテル等操作の時点で解離性大動脈瘤が発生したと考えられる。そして,解離性大動脈瘤の形状から,大動脈のどこに内膜損傷等が生じたのかが推定できるところ,BのCT検査等の結果によれば,その上行大動脈に解離の起始部が存在しているのであるから,この部分にカテーテル等の先端によって,血管内膜の損傷が生じたことは明らかである。
  (3) 被告の責任原因
   ア カテーテル操作の誤り
    (ア) 第1次的主張
      柔らかい血管の中にカテーテルやガイドワイヤーを挿入する本件施術においては,血管の走行の仕方を的確に把握し,カテーテル等を押す力の入れ方に十分注意し,カテーテル等の先端によって血管の内膜を傷付けることを防止するという注意義務が課せられていた。特に,鎖骨下動脈からのカテーテル操作に際しては,血管内膜損傷の危険性が高度に存在していた。
      しかし,Eは,上記注意義務に違反し,血管の構造や蛇行の仕方を的確に把握したり,カテーテルを押す力の入れ方に十分注意しなかったため,カテーテル等を下行大動脈に誘導する前に,心臓方向にカテーテル等を進め,まっすぐ進行させた結果,Bの血管の形状により,カテーテル等を大動脈弓ないし上行大動脈に衝突させ,内膜に解離を生じさせた。
    (イ) 第2次的主張
      シースを用いて血管造影を行う場合,カテーテルの挿入に先立って,①エラスター針で穿刺部を穿刺,②シース用ガイドワイヤーの挿入,③シースの挿入という手順が必要となるが,左鎖骨下動脈からのカテーテル操作にあたっては,大腿部に比べて血管の位置が十分に把握できないため,ガイドワイヤーやシースを血管の内膜下に進行させる可能性が高い。内膜下にシースの進行がある場合は,何度もカテーテルの出し入れをすることによって内膜の損傷を拡大させ,解離を生じさせることは十分想定できるのであるし,血管造影等を行うことで血管のどの部分をシースやカテーテルが進行しているか容易に把握できたはずである。したがって,本件施術に際し,Eは,シース,ガイドワイヤー,カテーテル等が内膜下に進行していないかを明確に確認し,その後の施術によって血管を損傷させないように注意する義務が課せられていた。
      しかし,上記②,③の操作に際し,左鎖骨下動脈穿刺部付近か,あるいは,左鎖骨下動脈から大動脈弓につながる部分において,ガイドワイヤーとシースを内膜下に進行させたのに,これに気付かず,カテーテル等が血管の内腔を進行していると判断し,ガイドワイヤーやカテーテル操作を繰り返し,漫然と施術を継続させた結果,シースによって傷付けられた内膜の損傷は徐々に大きくなっていき,この部分から動脈の解離が生じた。
    (ウ) なお,被告は,Eの証人尋問終了後,カテーテル等の先端による血管損傷は,同施術に内在する避けられない危険であるとの主張をするに至ったが,医学文献を検討してもそのような記載はみられない。上記主張は,争点を整理した後に事後的に行われた自己防衛的な主張である。
   イ 本件施術前及び施術中の検査・調査不足(動脈硬化部分から解離が生じた場合の仮定的主張)
     本件施術は,カテーテル等で直接に動脈硬化部分を損傷したり,血管を詰まらせて血流に変化を与えることで動脈硬化部分に損傷が起こる危険性を有するものであるから,本件施術の施行前には,既往症の聞き取り調査やCT検査を行い,カテーテル等を進行させる部分の血管の状態をしっかり調査する必要があるとともに,本件のように一旦大腿部からカテーテルが挿入された場合には血管の血管造影を行うことも可能である。そして,施術の最中は,動脈硬化の存在を的確に把握し,これを認識した場合には施術を取りやめる必要がある。本件について,Eには,カテーテル等の挿入を行う前に進行する部分の血管の状態を十分に調査し,実際の施術に際しても動脈硬化部分の存在の発見に努力し,動脈硬化部分を損傷することを防止する注意義務が課せられていた。
     しかし,E及びCは,カテーテル挿入を行う前に左鎖骨下動脈から肝臓に至る血管の状態に関する検査を行うことなく本件施術を施行し,また,本件施術の最中には動脈硬化の生じている部分を見落とした結果,カテーテルの先端を動脈硬化の生じている大動脈弓に衝突させ,その内膜を傷付けた。
   ウ 本件施術の危険性に関する説明義務違反
     本件施術においては,カテーテル,ガイドワイヤー,シースなどによって,血管の内膜を傷付けたり,動脈硬化部分を損傷したりする危険性があり,これによって血管の損傷部分に解離を生じさせ,患者の生命,身体に危険性が及ぶことにもなりかねないのであったのであり,医療の専門家である医師であれば,このような危険性は十分に想定ができたものである。医学文献によっても,左鎖骨下動脈からのアプローチに際しては,最も避けなければならない合併症として内膜損傷から起こり得る医源性心タンポナーデが挙げられている。
     このような生命,身体に対する危険性を伴う施術を行う場合には,医師としては,患者やその家族に対し,施術に内在する危険性の中で想定できるものを明らかにするなど,患者自身が施術を受けるか否かを適切に判断できるに足る情報を事前に提供しなければならず,本件においては,血管損傷等の危険性を,B,原告及びHに対して明らかにし,Bが本件施術を受けるか否かの適切な判断を下せるような情報を提供すべき注意義務があった。
     しかし,E及びCは,カテーテルの挿入に伴う危険性の説明をBに対して行っておらず,原告及びHに対しても行っていない。
     被告が,事前にBに示したと主張する「腹部血管造影をされる方へ」と題する書面については,そもそもBが事前に医師から見せられた書面であるとは考えられないが,仮に見せられているとしても,当該書面にカテーテル挿入に伴う生命,身体に対する危険性の指摘は行われていないし,原告及びHは口頭での説明を受けておらず,上記の書面も示されていなかったため,Bに手術を受けるか否かを決定する上で適切な助言を与えることもできなかった。Bは当時82歳であったが,そのような高齢の患者の場合,家族と相談しなければ,手術を受けるかどうかの判断は容易にできるものではない。
     カテーテル操作による心タンポナーデ等の発生の頻度に関する被告の主張は,危険性の高い本件同様の施術に限った数値ではなく,本件を希な例とみることは相当でない。
   エ 以上は,いずれも本件施術に際して市立病院の医師に課せられていた注意義務の内容とこれに違反する同医師らの行為である。
     CやEらの行為は,いずれも不法行為を構成するものであり,被告は同医師らの使用者であるから,原告に対して上記不法行為によってBが受けた損害を賠償する義務がある。
     また,上記市立病院の医師らの行為は,Bが被告との間で平成11年5月7日に締結した診療契約において,被告の履行補助者である同医師らが診療契約上要求される注意義務に従った診療債務を完全に履行しなかったのである。
  (4) 原告の損害
    上記の不法行為ないし債務不履行により,Bには以下のとおり合計3619万3739円の損害が生じたところ,Bの唯一の相続人である原告はこれを相続した。
   ア 死亡による逸失利益       729万3739円
     Bは,平成11年5月10日当時,年齢82歳の女性であった。賃金センサス平成11年第1巻第1表(企業規模計産業計女性労働者学歴計)による平均年収額は293万8500円であり,就労可能年数は4年,生活費控除割合は3割であるから,死亡による逸失利益は以下の計算により上記金員となる。
     293万8500円×(1-0.3)×3.5459(ライプニッツ係数)=729万3739円
   イ 葬儀費用            120万円
   ウ 死亡に伴う慰謝料       2300万円
     Bは,十分な説明を受けることなく本件施術に臨み,医療事故の結果全く予期せずに死亡する結果となったのであり,その精神的苦痛は図り知れず,上記金員を下らない。 
   エ 損害賠償請求費用(弁護士費用) 
     被告が任意に損害賠償請求金を支払わないため,原告訴訟代理人に本訴提起及び追行を委任することとなったのであるから,弁護士報酬標準額を基準とすると,その報酬は470万円が相当である。
   オ 上記アないしエの合計は,3619万3739円となる。
 2 被告の主張
  (1) Eによる本件カテーテル操作の状況
    Eが,午前10時58分に鎖骨下動脈造影をし,Bに左鎖骨下動脈からのアプローチをとることを説明した後,消毒,麻酔,穿刺といった一連の作業に要する時間を考えても,午後零時10分にカテーテル操作が開始されたとみることはできない。午前11時20分ころまでには左鎖骨下動脈の穿刺部の切開を行い,このころから午前11時40分ころまでの間に,大動脈から挿入したガイドワイヤーを見ながら,左鎖骨下動脈に4フレンチショートシースを挿入して,動脈内にシースが正確に入っていることを示す血液の逆流を確認し,午前11時40分ころから午後零時35分ころまでの間,ガイドワイヤーを使用してカテーテルを進める操作をしたのである。この間一度は腹腔動脈まで進め,腹腔動脈に造影剤を入れて腹腔動脈を撮影し確認しているし,カテーテルの交換をするたびごとに大動脈弓部から腹腔動脈までにカテーテルを到達させる操作を繰り返しているのであって,Bが背部痛を訴えたのは,カテーテルは抜いていて,カテーテルを腹腔動脈に挿入するにはどういう形がいいか考えていたときであった。確かに,腹腔動脈の造影写真は残っていないが,カテーテルの先を腹腔動脈の入口に掛けた後のテストインジェクションで腹腔動脈が造影されたことにより,腹腔動脈を選択したのである。
  (2) Bの死亡原因
    Bの死亡原因は,何らかの理由で胸部大動脈に損傷が生じ,その損傷が原因で大動脈解離が生じ,大動脈解離が心のう腔に破裂して心タンポナーデを生じさせ,心臓のポンプ機能が喪失し,心停止に至ったためと推定できる。CT検査等の結果からは,解離の発生部位を推定するのは困難であり,Bの場合,上行大動脈から腹部下行大動脈の上腸間膜動脈の分岐より上まで解離がみられるため,そのうちのどこから解離が発生したかは判断できない。ガイドワイヤーあるいはカテーテルの先端で,Eが胸部大動脈を損傷したとの原告の主張は,証拠に基づかない推定といわざるを得ない。
    本件の血管損傷の可能性としては,①カテーテル等の挿入に関連して血管が損傷する可能性,②カテーテル等の挿入と無関係に動脈硬化部分等が損傷する可能性があり,さらに①は,ⅰカテーテル等によって直接動脈を傷付けて動脈が損傷する場合,ⅱカテーテル等によって直接血管に損傷を与えたわけではないが,カテーテルないしガイドワイヤーを挿入し,血管の奥に進める操作をすることによって血管に物理的な力,作用を与えてその影響で動脈硬化等で脆くなっていた部分が損傷する場合,が考えられるところ,本件が①ⅰであると推定することはできない。なお,カテーテル操作(動脈撮影)によって内膜(動脈)損傷が発生し,内膜損傷から大動脈解離に発生する頻度,大動脈解離からさらに心タンポナーデが発生する頻度は,これらを推定する資料を合わせて考えてもごくわずかな確率(0.0026パーセント。4万例に1例)に過ぎないものである。したがって,カテーテル操作に関連した血管損傷を,大動脈解離,ひいては心タンポナーデと直接的に結びつけることはできない。
    Bに鎖骨下動脈の血管撮影上,動脈硬化を示唆する所見がないことは事実であるが,一般的指標,一般的危険因子が動脈硬化の存在を一般的に推定させる指数まで行っていないからといって,動脈硬化は存在しないと断定することはできない。かえって,Bの腹部大動脈の造影で著しい血管の蛇行がみられることや,CT検査で動脈壁に軽度の石灰化がみられることは,動脈硬化の間接所見あるいはそれを示唆する所見である。動脈硬化の危険因子として,血管の加齢性変化も指摘できる。
  (3) 被告の責任原因
   ア カテーテル操作の誤りがあったとの主張について
     柔らかい血管の中にカテーテルを挿入する場合,挿入の方向,力の加え方など施術の方法次第では,カテーテルの先端によって血管の内膜を傷付け血管に解離性の瘤を生じさせる可能性があることは認めるが,その可能性は著しく低く,患者を死に至らしめる危険性を大いに伴うものであるということはない。本件で主にカテーテル操作を行ったのはEであるが,Eは,平成3年3月にK大学を卒業して後,現在に至るまで,K大学,市立病院等に医師として12年間勤務しており,カテーテル手技も概算で約900件に,本件発生時である平成11年5月時点でも約660件の実績があるが,大動脈解離が生じたのは今回1回のみである。市立病院において行われた血管撮影(腹部,脳,心臓含む。平成6年からの資料)は,平成14年までの間に合計2374件に上るが,大動脈解離が発生したのは本件のみである。
    (ア) 第1次的主張について
      本件ではそもそもBの胸部大動脈のどこに,いかなる理由で損傷が生じたのかは全く判明しておらず,解離の発生した範囲が判明しているのみである。ガイドワイヤーないしカテーテルの先端で大動脈ないしは上行大動脈を損傷した,あるいはシースを内膜下に進行させたという原告の主張は証拠に基づかない推定である。なお,Eが,原告の主張するような血管の構造を把握していたことは当然である。
      仮に,ガイドワイヤーやカテーテル等の先端で大動脈を損傷した結果が発生したとしても,そのことはカテーテル操作に内在する避けられない危険であるというべきである。本件施術において,Eに具体的な操作ミスがあったとする証拠はない。
    (イ) 第2次的主張について
      大腿動脈も鎖骨下動脈も血管の走行を把握できない,蛇行の可能性があるという点では同じである。異なるのは,鎖骨下動脈は,皮膚の上からでは拍動(動脈の血圧で心臓から送られてくる血液の力を感じること)を通常は触れない点であり,大腿動脈では触知により穿刺ができるところ,鎖骨下動脈については造影を行って血管の場所を確認することである。本件においては,Eは,左鎖骨下動脈の撮影を行った上,皮膚を少し切開し拍動触知を試みて触知した後にシースの挿入を行っている。
      また,血管造影ないしテストインジェクションを行っても,カテーテルの中間部が血管中のどの部分を進行しているかを確認できるわけではないし,本件においては,鎖骨下動脈からのアプローチで腹腔動脈を選択した際にはテストインジェクションを行っている。通常,シースの挿入後の確認は,血液の逆流を確認することで動脈内にシースが入っていることを確認するのであるから,血液の逆流が的確にある場合には,テストインジェクションを繰り返しながらシースの挿入を進めるべき注意義務は通常存在しない。
      さらに,シースの挿入については,①エラスター針で穿刺部を穿刺,一度血管の前後壁を穿通させる,②動脈を穿刺後,内筒針を抜去し,外筒をゆっくり抜く。外筒の先端が動脈内に引き戻されると動脈性の血液が拍出してくるので,外筒が動かないように固定し,ガイドワイヤーを挿入する,③エラスターの外針を抜去し,体外に出ているガイドワイヤーを保持しながらシースイントロデューサーを挿入し,その後,シース内のダイレーターを抜去する,この際にも血液の逆流を確認する,という過程をたどるところ,原告の主張するように,ガイドワイヤーとシースを左鎖骨下動脈の穿刺部付近において内膜下に進行させたままであったとすると,シースの先端が内膜下にあるのであるから③での血液の逆流を確認できないことになり,これによりシースの先端が血管の内腔内にないことが確認できる。また,シースをさらに左鎖骨下動脈から大動脈弓につながる部分で内膜下から内腔に進行させたとすると,③での血液の逆流は通常のように確認できることになるが,この状態であれば,シースの先端は,血管の内腔内にあり,その中をガイドワイヤーやカテーテルを通しても,それらで血管の内腔を傷付けることはない。
    (ウ) なお,カテーテルの操作は,透視装置を使って行われるが,血管が確認できるわけではなく,半盲目的な作業であるから,カテーテル等の手技をどれほど注意深く,慎重に行っても,血管の壁にカテーテルが当たるなどして,血管を損傷することは考えられ得ることである。しかし,その可能性を上回る医療的効果が期待できるため実施されている。
   イ 本件施術前及び本件施術中の検査・調査不足の主張について
     そもそもカテーテル操作を行う際に,血管に動脈硬化が存在するか否かの走行を把握するための大動脈撮影やCT検査を行うことは一般的ではないし,カテーテル検査を行う前にCT検査や動脈硬化の程度を認識するために既往症の聞き取り調査をすることも一般的には行わない。Bについては,肝臓に多発性転移があったため肝臓のCT検査は行われているが,カテーテル操作を行うため血管に動脈硬化が存在するか否かの走行を把握する目的でしたものではないし,血管撮影において,各分岐血管の撮影を行う前に大動脈撮影を行うとかCT撮影で造影する血管を事前に調べることは一般的に求められておらず,医学的判断上の検査義務違反に当たらない。
     また,Eは,左下動脈穿刺前に,穿刺血管の存在の確認と穿刺部を確認するために左鎖骨下動脈撮影を行って,左鎖骨下動脈の位置を確認し,左鎖骨下動脈には著しい動脈硬化や動脈瘤が存在していないことを確認しているのであり,この検査の際,カテーテル操作の妨げとなるような強い血管の蛇行はなかった。
     さらに,血管撮影は,動脈硬化による血管の詰まり方を調べるためにも行われるのであるから,動脈硬化を認識したらカテーテル操作をやめるということはあり得ない。
   ウ 本件施術の危険性についての説明義務違反について
     本件施術に関しては,その実施のため再入院した5月7日に右足の付け根からカテーテルを肝臓に進める操作を説明し,さらに,Bに「腹部血管造影をされる方へ」を渡して説明している。
     また,カテーテル操作(動脈撮影)に非常に少ない率で大動脈解離心タンポナーデ等の合併症が発生する可能性があることを否定するものではないが,その発生の頻度は,前記のとおり,4万例に1例(0.0026パーセント)という非常にまれなものであるから,起こる可能性の極めて低い合併症についての説明義務は生じないというべきである。
     大腿動脈と上腕動脈からのカテーテル挿入のアプローチに関しては,経験を有する術者にとってその危険性は変わらない。また,Bは当時82歳であったが,判断能力に問題はなく,カテーテル挿入の施術を行う際にも麻酔は局所麻酔のみで,Bの意識ははっきりした状態で行うものであるから,術中ではあったが,午前10時49分から58分の間に行った腹腔動脈撮影,胃十二指腸動脈撮影等の操作により,右大腿部からのアプローチは難しいと判断した段階で,B本人に左鎖骨下動脈からのアプローチについて説明をし,同意を得た。
     したがって,左鎖骨下動脈からのカテーテル挿入が大腿動脈からよりも特別危険性を増すわけでなく,手技を中止してあらためて実施することの患者本人の負担も考慮し,判断能力に問題のなかったB本人にその説明をして同意を得ているのであるから,B本人及びその家族への説明義務違反は存在しない。
  (4) 原告の損害について
    原告の主張する損害については,争う。
第4 争点に対する判断
 1 当事者間に争いのない事実に証拠(省略)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
  (1) Bが平成11年3月8日に市立病院内科に検査入院した時の血液検査によれば,Bの白血球,赤血球,血小板,ヘモグロビン,総コレステロール,中性脂肪,HDLコレステロールなどの値はほぼ正常値の範囲内であり,動脈硬化の所見はみられなかった。
  (2) 平成11年5月10日に行われた本件施術の経過は,以下のとおりであった。
   ア 同日午前9時,Bは血管撮影室に入室した。その際の血圧は,最高値が138,最低値が74,脈拍数は1分に64回,酸素飽和度97パーセント,両足の動脈の触知結果も良とされた。
     Bに右大腿部局所麻酔を施した後,午前9時20分ころから,Eは,Bの右大腿部に4フレンチロングシースを穿刺して留置し,ガイドワイヤーを用いてカテーテル操作を行い,午前9時44分には,上腸間膜動脈を,午前9時47分には上腸間膜動脈を,午前9時52分には腹腔動脈を,血管造影してそれぞれ撮影をした(甲6の4ないし7,乙3)。また,その後,ガイドワイヤーを肝臓の動脈の奥に入れてカテーテルを進行させ,午前10時24分には,胃十二指腸動脈を血管造影して撮影し,さらに,胃十二指腸動脈をコイルで塞栓した状態で総肝動脈を撮影するなどした(甲6の8,9,乙3)。
     この間の午前10時20分ころには,Bに背部痛があったが,Eは,寝台が固いために生じた痛みと判断して施術を続け,セルシン(精神を安定させ,楽にする薬)5ミリグラムの投与をした。
     午前10時49分から58分にかけて,上記のとおりの腹腔動脈,胃十二指腸動脈の撮影をした結果,Eは,Bの腹腔動脈及び腹部大動脈に強い蛇行があることを認め,カテーテル操作が困難であると考え,右大腿動脈からのアプローチをやめることとした。そして,胸部は一般的に動脈の蛇行が少なくカテーテル操作が容易であるとの判断から,左鎖骨下動脈からカテーテル操作を行う方法を採ることとした。そこで,Eは,大腿動脈から左鎖骨下動脈にカテーテルを進め,午前10時58分には,左鎖骨下動脈の血管造影して撮影をした(甲6の9)。カテーテルの挿入部位を変更するについて,Eは,局所麻酔のため意識があったBに対し,鎖骨下動脈からカテーテルを入れる旨の説明をした。なお,その際,Bはうなずいた程度であった上,施術に伴う危険性等の説明は行わなかった。
     市立病院の放射線科で平成6年から平成14年までの間に行われた腹部血管撮影は859件あるが,そのうち左鎖骨下からのカテーテル操作を行ったのは4,5件である。E自身,他病院での経験を含め平成11年5月までに約660件のカテーテル手技の実績があったが,カテーテルの大腿部(鼠径部)からの挿入を試みた後,途中で左鎖骨下からの挿入に切り替えた例はBの手術が初めてであった。
   イ Eは,Bの同意を得たと判断し,左鎖骨下動脈穿刺部を消毒して局所麻酔を施し,皮膚の切開を行い,左鎖骨下動脈穿刺部に穿刺し,4フレンチショートシースを挿入し,これを通して,カテーテル,ガイドワイヤー操作を行うこととした。左鎖骨下動脈から総肝動脈に向けてカテーテルを挿入し,腹腔動脈までカテーテルを進めた。
     この際用いられたガイドワイヤーは,先端部が緩やかなカーブを描いた形状で先端部が柔らかくなっているもので,カテーテルは,Eにおいてその先端部をやや長めに弯曲して形成したもので,ヘッドハンター型といわれるものであった。
   ウ Eが行ったカテーテル操作はすべてエックス線透視装置の下で行われたが,鎖骨下動脈からのカテーテル操作においては,午前10時58分の撮影後は,血管造影やエックス線撮影等は行われていない。
     なお,アンギオ(血管造影)検査記録の看護記録欄には,午後零時10分を意味する記載の後に,同時刻のBの血圧を示す値「106/35」や,「水様性嘔吐約20mlあり プリンペラン(吐き気止めの薬のこと)管注(点滴から注射すること)する」といった記載があるほか,「鎖骨下よりカテ」との文言が記載されている。ここに「カテ」とはカテーテルのことである。
   エ カテーテルの操作中であった午後零時35分ころ,Bの血圧が最高値168,最低値82と上昇し,また,Bが背部痛を訴えたため,セルシン5ミリグラムを点滴から注射した。午後零時40分ころには,さらにBに強い背部痛があり,午後零時43分ころには体動が激しくなり,ショック状態となった。
     午後零時45分ころ,Bの意識がなくなり,呼吸停止状態となった。
     Eらは,挿管,投薬や,心臓マッサージなどの蘇生術を施し,血液検査,超音波検査,胸部エックス線検査等を行ったほか,午後2時21分にはCT検査を施行し(乙4の1ないし4),検査の結果,同医師らは,Bの呼吸停止の原因が,胸部大動脈の解離によるものであると判断した(診療録〔乙2の3の2の3頁〕に,「緊急で血液検査,US,胸部X-P CTを施行すると,胸部大動脈の解離と判明。」との記述がある。)。
     午後2時30分,Bに人工呼吸器を装着して病棟へ移動し,強心薬の投与などの救命措置がとられたが回復はしなかった。
オ C,D,Eらは,駆け付けた原告とHに施術経過と解離の生じた原因として考えられる二つの可能性,すなわち,①カテーテルの先端が動脈壁を傷付けた可能性,②動脈の蛇行もあり,動脈硬化が強く血管がもともと脆かった可能性を説明した。
     午後3時10分,上記医師らは,Bの心肺の停止を確認し,人工呼吸器を外し,死亡を確認した。
   カ Bの死亡後,Eは,CT検査結果を精査し,Bの死亡原因は,何らかの理由で大動脈に損傷が生じ,その損傷が原因で大動脈解離が生じ,大動脈解離が心嚢腔に破裂して心タンポナーデを生じさせ,心臓のポンプ機能が喪失し,心停止に至ったものと判断した。
     解離性大動脈瘤の病型分類の方法として,解離の起始部と広がりにより3型に分けるディバーキー分類があるが,Bの大動脈解離は,解離が上行大動脈にはじまり,左鎖骨下動脈分岐部を越えて下行大動脈にまで達するものであり,上記分類のⅠ型に入るものと考えられ,具体的には,上行大動脈から腹部下行大動脈の上腸間膜動脈の分岐点までの間のいずれかの部分で解離が発生したものと認められたが,具体的にどの部分で損傷が生じ,解離が上下いずれの方向に進展したかは明らかとはなっていない。
  (3) Bの遺体は,同年5月13日まで市立病院に安置され,葬儀の翌日である同月15日には,C,D,Eらが原告方へ赴き,焼香をした。この際,Eらは,「市立甲府病院外科,放射線科」として1万円の香典を出した。
    同月22日には,Eと外科部長のLが原告,HにBの死亡について説明をし,Lは図を書き(甲3),大動脈弓のどこかに内膜の亀裂が生じた,上行大動脈か大動脈弓かに破裂があり,薄い膜へ漏れた血が入った旨の説明を行い,同医師らは,原告らに謝罪をした。
    その後同年7月16日,同月31日にも原告らと医師らとの話し合いがもたれたが,同日には,Lは,動脈に開いた穴は,開けたものではなく,開いてしまったものであったこと,死因は合併症に基づくものであった旨を伝えた。    
 2 上記の認定事実に基づき,以下検討する。    
 (1) Eによる本件カテーテル操作の状況(争点(1))
    原告は,Eが,Bの左鎖骨下動脈からのカテーテル挿入に着手したのは,アンギオ検査記録中の看護記録(「鎖骨下よりカテ」との記載)によれば,早くとも午後零時20分ころである旨主張している。
    しかし,上記看護記録は,手術に立ち会った看護師が,患者の血圧や状態を記録するもので,Bの血圧や状態,投薬などの医療措置をおおまかに記載したものに過ぎない。確かに,Bの病状が急変した以降の処置については,時間,投薬などの処置についての詳細な記録がみられるものの,午前10時52分に背部痛があったとの記載の後は,午後零時10分までの間,医師の行った個々の処置を一切記録していないのであって,同記録が,本件施術の個々具体的な詳細な流れを記載したものとは認められない。また,午前10時58分に左鎖骨下動脈の撮影が行われていることは明らかであるところ,Eは,カテーテルの穿刺から,施術の終了までに要した時間は約1時間10分ほどであり,カテーテル操作自体は30分から40分行ったという記憶である,カテーテルの先を腹腔動脈まで進め,造影剤を少量注入するテストインジェクションで確認をしたとの証言をしている。Eの証言する上記施術の状況は,当初の大腿部からのカテーテル操作に要した時間と比較しても不合理とはいえないし,証言態度やその証言内容をみても不自然なところはみられず,責任回避のために弁解を弄したり,ことさらに虚偽の事実を述べているような姿勢もみられない。
    そうしてみると,Eの行ったカテーテル操作の状況については,Eの述べるとおりの事実を認めるのが相当である。すなわち,午前10時58分の左鎖骨下動脈の撮影後,午前11時30分ころまでには左鎖骨下動脈の穿刺部の切開を行い,このころから,大動脈から挿入したガイドワイヤーを見ながら,左鎖骨下動脈に4フレンチショートシースを挿入して,動脈内にシースが正確に入っていることを示す血液の逆流を確認し,遅くとも午前11時50分ころから午後零時35分ころまでの間,ガイドワイヤーを使用して腹腔動脈までカテーテルを進める操作をしたものと認められる。
  (2) Bの死亡原因(争点(2))
ア Bの死亡が,カテーテルの操作中,大動脈に何らかの理由で損傷が生じ,大動脈解離を引き起こし,その大動脈解離から心タンポナーデが生じたことによって,心肺機能が停止したことに起因することは当事者間に争いがない。
まず,大動脈解離の原因となった血管損傷について検討するに,本件では,カテーテル操作と無関係にBの血管に損傷が生じ,解離が発生したことをうかがわせる事情は認められず,被告もこれを争わない。したがって,大動脈解離を生じさせた血管の損傷は,①カテーテル等によって直接動脈を傷付けて動脈が損傷したか,あるいは,②カテーテル等によって直接血管に損傷を与えたわけではないが,カテーテルないしガイドワイヤーを挿入し,血管の奥に進める操作をすることによって血管に物理的な力,作用を与え,その影響で動脈硬化等で脆くなっていた部分が損傷したか,いずれかによって生じたものであるといえる。
   イ この点,原告は,カテーテル操作に際して,Eがガイドワイヤーあるいはカテーテルによって,解離の起始部に当たる上行大動脈の血管内膜に傷を付けるなどし,損傷を生じさせたことによると主張し,Bには,動脈硬化の原因となる病歴や身体症状,生活環境等もみられないから,血管がもともと脆かった可能性は存在しないとする。
     他方,被告は,Bには,上行大動脈から腹部下行大動脈の上腸間膜動脈の分岐より上までの範囲に解離がみられるが,その発生部位を推定するのは困難であるし,Eが血管を損傷したとの主張は証拠に基づかない推定である,Bに鎖骨下動脈の血管撮影上,動脈硬化を示唆する所見がないことは事実であるが,Bの腹部大動脈に著しい血管の蛇行がみられたこと,CT検査で動脈壁に軽度の石灰化がみられたこと,加齢による血管の変化が指摘できるのであるから,動脈硬化がなかったとはいえない旨主張している。
   ウ 本件においては,Bの大動脈解離の生じた範囲までは特定できているものの,具体的にいずれの部位から解離が生じたか,上下いずれの方向に解離が進展したかについては特定が困難といわざるを得ない。
     しかし,大動脈解離の生じていることは明らかであり,その原因は,上記①,②のいずれかであるのであるから,大動脈解離の原因として,いずれの蓋然性が高いかを検討する。
    (ア) Bに動脈硬化があったか否かに関してみるに,Bは本件手術当時82歳の高齢であったものの,本件に係る大腸部の癌が発見されるまでは,特段の疾病はみられず,アルコールの摂取や喫煙等の生活習慣もなかった。また,入院時や入院中の血圧や血液検査にも異常はなく,ほぼ正常値の範囲内にあり,本件施術において行われた血管撮影でも明らかな動脈硬化の所見はみられなかった。これに関しては,Eも,Bの腹腔動脈,腹部大動脈にはカテーテル操作が困難であるほどの強い蛇行があったとはいうものの,腹部の血管にひどい不整はなく,腹部の血管に一見して分かるような狭さくもなかったこと,大腿動脈に蛇行はなく,左鎖骨下動脈にも動脈硬化の所見はなかったこと,後日精査したCT検査の結果からも,Bには強い動脈硬化はなかったことを証言している。
      他方において,腹腔動脈や腹部大動脈の強い蛇行は,動脈硬化の一所見であるし,Bの年齢に照らせば,加齢性変化による動脈硬化が生じていたとしても不思議ではない。
      しかしながら,Bに生じた大動脈解離は,内膜裂口,内腔側の亀裂が上行大動脈にあり,上行・弓部大動脈より下行大動脈に及ぶディバーキーⅠ型であったところ,医学文献によれば,その解離の部位としては,通常,上行大動脈が考えられるというのである。Bには,一般的な動脈硬化の所見がなかった上,Eは,胸部の動脈に,狭さくや蛇行などを認めなかったというのであり,鎖骨下動脈からのカテーテルのアプローチにおいては,血管造影も行っていない。また,解離が上下いずれの方向にも進展する可能性は否定できないとして,仮に下行大動脈から解離があったと考えても,Bには腹腔動脈及び腹部大動脈の蛇行が確認されたのみで,下行大動脈をはじめとした胸部付近の動脈には何らかの異常があることは確認しなかったというのである。Bの血管が特に脆かったことをうかがわせるような証拠も存在しない。
      さらに,明確な動脈硬化の所見がみられなかったBについて上記②が原因で大動脈解離が生じたならば,動脈硬化が進んだ患者についてはより一層大動脈解離が生じる可能性は高いはずである。しかし,Eの証言によれば,血管撮影検査をする患者の約9割には動脈硬化があるが,それにもかかわらず,市立病院で血管撮影検査の際に大動脈解離が生じたのはBの例1件だけだというのである。
      そうしてみると,Bの大動脈解離が,カテーテル等の操作に伴って,上行大動脈から下行大動脈までのいずれかに存在した動脈硬化部分が剥離して生じたものであると認めるに足りる証拠はないというほかなく,上記②が大動脈解離の原因であると認めることはできない。
    (イ) 次に,カテーテル操作の手技につき検討するに,Eは,左鎖骨下動脈からのカテーテル操作において,血管の蛇行や狭さく等は認めず,手技の困難だったことはないし,血管を損傷させた心当たりもない旨証言している。反面,Eは,カテーテル操作は,エックス線透視装置の助けを借りて行うが,血管の壁が見えるわけではなく,半盲目的な作業であり,血管の壁にカテーテルが当たることはあり得ることであり,その結果,血管が損傷することは考え得ることであるとも証言し,本件においてもカテーテル等で血管を損傷させた可能性はゼロではないとも証言している。
      カテーテルやガイドワイヤーの粗暴な操作によって血管内膜や大動脈壁の損傷が生じ,大動脈解離に至る危険のあることは,医学文献上も明らかである(甲7ないし9,11,14,乙7の2)。そして,上記のとおり,Bについては,明らかな動脈硬化の所見は見当たらなかったものの,腹腔動脈,腹部大動脈に強い蛇行があったため,急きょカテーテル操作を左鎖骨下動脈から行う方針に切り替えたという経緯があった。
      上記各証拠によれば,大腿部動脈から行うカテーテル操作と比較して,上腕動脈から腋窩動脈に進行し,左鎖骨下動脈を経由してカテーテル操作を行う場合などについては,下行大動脈へカテーテル先端を導入する際,大動脈弓から上行大動脈に迷入してしまったり,左心室内へ進んでしまったりすることがあることから,カテーテルやガイドワイヤーの種類の選択に工夫が必要であるとともに,カテーテル等の操作自体もやや難しく,少しの抵抗であっても無理をすることなく指先の感覚に十分注意をしながら進める必要があり,初心者が単独で行うことは避けるべきものであるなどの指摘がなされている。そして,特に動脈硬化の所見があったり,血管の蛇行が強い高齢者等において,上記に述べたとおりの血管への迷入やカテーテル操作に伴う血管損傷を生ずる危険性の高いことの指摘もみられる(甲7,8)。
      上記検討のとおり,Bに生じた大動脈解離が動脈硬化部分の剥離によって発生したと認めることはできないこと,そして,鎖骨下動脈からのカテーテル等の操作に伴う困難さ,Eにとっても,左鎖骨下動脈からのカテーテル操作の経験は少なく,大腿部動脈からのカテーテル操作を途中で左鎖骨下動脈からのカテーテル操作に切り替えた手術を行ったのは本件が初めてであったことなどに照らせば,Bの血管内膜等の損傷とこれに基づく大動脈解離の発生は,鎖骨下動脈から実施されたカテーテルやガイドワイヤー等の操作に直接起因して生じた蓋然性が高いというほかない。
   エ 次に,カテーテル等の操作の際の血管損傷から大動脈解離,さらに心タンポナーデが発生したといえるかどうかにつき検討する。
     被告は,動脈損傷から大動脈解離に発生する頻度,大動脈解離からさらに心タンポナーデが発生する頻度は,これらを推定する資料を合わせて考えてもごくわずかな確率に過ぎないものであるから,カテーテル操作に関連した血管損傷を,大動脈解離,ひいては心タンポナーデと直接的に結びつけることはできない旨主張する。
     しかしながら,カテーテル等の操作に伴って血管損傷の危険性があり,これに基づき大動脈解離が生じ得ることは上記のとおりであり,医学文献上も,上肢からの(左鎖骨下動脈を経由して行う)カテーテル操作で最も避けなければならない合併症の一つとして,心臓の近くにガイドワイヤーやカテーテルを通すため,内膜損傷から起こり得る医源性心タンポナーデが指摘されている(甲7)ほか,心タンポナーデは,大動脈解離による死亡の最も一般的な原因とも指摘されている(乙8の2)。Bの大動脈解離は,ディバーキーⅠ型に分類されるところ,同型における解離においては,一般的に,偽腔(解離腔)の拡張・破裂は,中膜最外層ないし中・外膜境界部に生じた解離に多く,心のう内に破裂して,心タンポナーデを生ずることがあるとの指摘もなされている(乙10)。被告においても,確率は低いとはいえ,血管造影に際して大動脈解離が生じ,これにより心タンポナーデを生じるといった症例のあることを把握していたものであり,Bの死亡した日のうちに,CT検査の結果を精査の上,すぐに心タンポナーデが死亡原因であるとの見解を示していた。
     したがって,カテーテル等操作の際の血管損傷と心タンポナーデ発生との間に因果関係があるものと認めることができる。
   オ 以上のとおり,Bの死亡原因は,動脈硬化部分が解離したことによるのではなく,カテーテル,ガイドワイヤー等の操作に直接起因して胸部血管内膜の損傷が生じ,これによって大動脈解離が発生し,心タンポナーデを生じたものと認めるのが相当というべきである。
  (3) 被告の責任原因(カテーテル等の操作に注意義務違反があったか否か。)(争点(3))
   ア 上記のとおり,Bの死亡原因がカテーテル等の操作に直接起因するものと考えられるところ,この点につき,被告の被用者たるEらに注意義務違反があったといえるかにつき検討する。
     一般に,カテーテルやガイドワイヤーを血管の中に挿入する医療行為は,血管内膜の損傷を引き起こす危険があり,生命や身体に対する侵襲を伴う高度の危険を有するものであるから,当該医療行為を実施する際には,医師は,血管の走行やカテーテル等の位置を的確に把握し,血管の内膜損傷を引き起こすことのないよう施術を進めなければならない注意義務があるといえる。
  本件施術についても,Eには,Bの血管の走行を的確に把握し,カテーテル等を押す力の入れ方に十分注意し,カテーテル等の先端によって血管の内膜を傷付けることを防止する注意義務が課せられていたというべきである。また,これに加え,本件施術においては,Bの腹部大動脈に強い蛇行がみられたため,大腿動脈から鎖骨下動脈へカテーテル操作の部位を変更したという経緯のあったことに照らすならば,Eは,より一層,血管の走行の把握やカテーテル等の進行状況を把握しておく必要があったというべきである。
 イ 被告は,Bについては,大動脈解離の発生した範囲が明らかになっているのみで,胸部大動脈のどこに,いかなる理由で損傷が生じたのかは全く判明していないから,ガイドワイヤーやカテーテルの先端で大動脈ないしは上行大動脈を損傷した,あるいはシースを内膜下に進行させたという原告の主張は証拠に基づかない推定であるとし,大腿動脈も鎖骨下動脈も血管の走行を把握できず,蛇行の可能性があるという点では同じであって,本件施術の経過に照らしても,Eのカテーテル操作の手技にも,シースの挿入過程にも何ら問題はみられず,注意義務違反はない旨主張する。そして,鎖骨下動脈からのアプローチで腹腔動脈を選択した際にはテストインジェクションを行っており,通常,血液の逆流を確認することで動脈内にシースが入っていることを確認するのであるから,血液の逆流が的確にある場合には,シースの先端が血管の内腔内にあるといえ,ガイドワイヤーやカテーテルで血管の内腔を傷付けることはなく,原告のいうように,テストインジェクションを繰り返しながらシースの挿入を進めるべき注意義務は通常存在しないなどとも主張している。
   ウ Eは,平成3年3月に大学を卒業後,医師として勤務し,カテーテル手技も本件当時までに約660件の経験があったという者で,手技の経験に乏しいといったことは認められないし,その経験の中で,カテーテル手技を受けた患者が大動脈解離を起こしたことは本件1件のみであるというのであり,技術的に劣っていたというような事情は認められない。本件施術におけるカテーテル操作の手技や施術経過をみても,用いたカテーテルやガイドワイヤーの種類,シースの挿入方法,テストインジェクションの方法などについて,医学文献に指摘されている標準的なカテーテル操作と大きく異なる点もみられない。
     しかし,本件では,Bの腹腔動脈,腹部大動脈に強い蛇行がみられたため,急きょ,カテーテル等の挿入部位を大腿部から左鎖骨下に変更したという経緯があったにもかかわらず,午前10時58分に,大腿部からのアプローチに際して腹腔動脈の血管造影を行った以降は,鎖骨下動脈からのアプローチに際して胸部動脈などの血管造影が行われた記録は存在せず,Eも撮影を行っていないことを認めている。また,上記のとおり,Eは,鎖骨下動脈からのカテーテルの挿入の経験は少なく,本件のように,施術を開始してから,カテーテルの挿入部位を大腿部から鎖骨下に変更した症例は,本件が初めてであったのである。
     そうしてみれば,鎖骨下動脈からのカテーテル等の操作においては,当該部位がより心臓に近いことや,カテーテル等が迷入してしまう可能性が高く,その操作においては,進行方向や指先の感覚等に十分な注意を要することが求められていたにもかかわらず,Eは,鎖骨下動脈からカテーテル操作を行った経験が豊富とはいえず,また,Bの腹部の動脈には強い蛇行がみられたのであるから,鎖骨下動脈からの手技に際しても,血管造影を行うなど

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最終更新:2005年10月14日 16:15
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