hanrei @Wiki H17. 8.31 名古屋地方裁判所 平成16年(行ウ)第48号,同第49号,同第50号 採決取消等請求事件



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判示事項の要旨:
 イラン人の夫,コロンビア人の妻及び夫婦の長男がそれぞれ,不法在留に当たる旨の判定に対して異議の申出(入管法49条1項)をしたところ,被告から異議申出は理由がない旨の本件各裁決を受けたため,本件各裁決には,被告入管局長が裁量権の範囲を逸脱し又は濫用して在留特別許可を付与しないという違法があり,また送還先として,長男はイラン,妻はコロンビアと異なる国を指定したことにも違法があるとして,これらの処分の取消しを求めた抗告訴訟であり,どちらにも裁量権の逸脱・濫用はないとして請求を棄却した事案


平成17年8月31日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成16年(行ウ)第48号,同第49号,同第50号 裁決取消等請求各事件(以下,それぞれの事件を事件番号に則して「48号事件」のようにいい,これらの事件を併せて「本件各事件」という。)
口頭弁論終結の日 平成17年6月16日
判        決
           主        文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 原告らの請求
(48号事件)
1 48号事件被告名古屋入国管理局長が平成16年8月6日付けで48号事件原告に対して行った出入国管理及び難民認定法(ただし,平成16年法律第73号による改正前のもの。以下,法律名を示すときは「入管法」といい,条文を示すときは「法」という。)49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 48号事件被告名古屋入国管理局主任審査官が平成16年8月6日付けで48号事件原告に対して行った退去強制令書発付処分を取り消す。
(49号事件)
1 49号事件被告名古屋入国管理局長が平成16年8月6日付けで49号事件原告に対して行った法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 49号事件被告名古屋入国管理局主任審査官が平成16年8月6日付けで49号事件原告に対して行った退去強制令書発付処分を取り消す。
(50号事件)
1 50号事件被告名古屋入国管理局長が平成16年8月6日付けで50号事件原告に対して行った法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 50号事件被告名古屋入国管理局主任審査官が平成16年8月6日付けで50号事件原告に対して行った退去強制令書発付処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,外国人夫婦である48号事件原告(以下「原告夫」という。)及び50号事件原告(以下「原告妻」といい,原告夫と併せて「原告ら夫婦」という。)並びにその間の子である49号事件原告(以下「原告長男」といい,原告ら夫婦と併せて「原告ら」と総称する。)が,平成16年8月6日付けで,法務大臣から権限の委任を受けた本件各事件被告名古屋入国管理局長(以下「被告入管局長」という。)によって法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁決」という。)を受けるとともに,本件各事件被告名古屋入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)から退去強制令書の各発付処分(以下「本件各発付処分」といい,本件各裁決と併せて「本件各処分」という。)を受けたため,本件各裁決には,被告入管局長が裁量権の範囲を逸脱し又は濫用して在留特別許可を付与しないという違法があり,本件各裁決を前提としてなされた本件各発付処分も違法であると主張して,本件各処分の取消しを求めた抗告訴訟である。
1 前提事実(以下,日本国内における事象については元号及び西暦で,外国における事象については西暦で表示する。)
(1) 当事者
ア 原告夫は,イラン・イスラム共和国(以下「イラン」という。)の国籍を有する男性であり,原告妻は,コロンビア共和国(以下「コロンビア」という。)の国籍を有する女性であるが,イラン大使館に原告夫との婚姻届を提出した結果,イランの国籍をも取得することになった。
原告長男は,本邦において,原告ら夫婦の間に生まれた男子であり,イラン及びコロンビアの両国籍を有する者である(乙1,3)。
イ 被告入管局長は,法69条の2,平成16年省令第79号による改正前の法施行規則61条の2第9号に基づいて,法務大臣から法49条3項の裁決を行う権限の委任を受けた者である。
(2) 原告らによる入国及び在留の経緯
ア 原告夫は,平成3(1991)年9月26日,成田空港に到着し,東京入国管理局成田空港支局入国審査官から,在留期間を90日とする短期滞在の在留資格による上陸許可を受けて,本邦に上陸したが,その後,在留期間の更新又は在留資格の変更等を受けることなく在留期限である同年12月25日を超えて不法残留した(乙2)。
イ 原告妻は,平成9(1997)年3月10日,関西空港に到着し,大阪入国管理局関西空港支局入国審査官から,在留期間を90日とする短期滞在の在留資格による上陸許可を受けて,本邦に上陸したが,その後,在留期間の更新又は在留資格の変更等を受けることなく在留期限である同年6月8日を超えて不法残留した(乙2)。
ウ 原告長男は,平成13(2001)年1月16日,名古屋市千種区において,原告夫を父,原告妻を母として出生したが,在留資格取得申請をすることなく,出生から60日を経過した同年3月17日を超えて本邦に不法残留した(法22条の2第1項。乙2)。
(3) 原告ら夫婦による婚姻届の提出
原告ら夫婦は,平成13(2001)年6月14日,名古屋市守山区長に婚姻届を提出し,同年12月18日,在東京コロンビア大使館に婚姻届を提出し,さらに,平成14(2002)年1月10日,東京都品川区所在のアフルルバイト・センターにおいてイスラム方式での結婚の手続をした(乙5,6,7の1・2)後,イラン大使館に婚姻届を提出した。
(4) 本件各処分に至る経緯
ア 原告妻は,平成16(2004)年4月12日,不法残留(法24条4号ロ)の容疑で愛知県緑警察署に逮捕され,同年6月10日,名古屋地方裁判所において,入管法違反の罪により懲役2年,執行猶予3年の判決言渡しを受けた。
名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)入国警備官は,同日,原告妻が法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,これを執行し,名古屋入管入国審査官に引き渡した。
名古屋入管入国審査官は,原告妻について,違反審査を実施した結果,同年7月9日,法24条4号ロに該当する旨認定し,原告妻にこれを通知したところ,原告妻は,同日,口頭審理を請求した(乙8,9ないし11の各1,12)。
イ 原告夫は,平成16(2004)年4月12日,原告妻が警察に逮捕されたことから,同年6月14日,名古屋入管に出頭申告し,同日,名古屋入管入国警備官は,原告夫が法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同収容令書を執行し,名古屋入管入国審査官に引き渡した。
名古屋入管入国審査官は,原告夫について,違反審査を実施した結果,同年7月8日,法24条4号ロに該当する旨認定し,原告夫にこれを通知したところ,原告夫は,同日,口頭審理を請求した(乙9ないし11の各2,13)。
ウ 名古屋入管入国警備官は,平成16(2004)年7月22日,原告長男が法24条7号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同収容令書を執行し,名古屋入管入国審査官に引き渡した。
名古屋入管入国審査官は,同日,原告長男に対して仮放免を許可するとともに,同人の法定代理人を原告妻として,違反審査を実施した結果,法24条7号に該当する旨認定し,原告妻にこれを通知したところ,同人は,同日,原告長男のために口頭審理を請求した(乙9ないし11の各3,14)。
エ 名古屋入管特別審理官は,平成16(2004)年7月16日に原告妻に対して,同月20日に原告夫に対して,同月22日に原告長男に対して,それぞれ口頭審理を実施し,その結果,名古屋入管入国審査官の上記各認定には誤りがない旨判定し,各人にこれを通知したところ,原告らは,同日,同判定について,それぞれ異議の申出をした。
被告入管局長は,同年8月6日付けで,原告らの異議申出は理由がない旨の本件各裁決をし,これを受けて,被告主任審査官は,同日,原告らに対して本件各裁決を通知するとともに,本件各発付処分をした(乙15ないし18の各1ないし3)。
2 本件の争点
本件各処分の違法性の有無。具体的には,
(1) 原告らに在留特別許可を付与しなかった本件各裁決は,被告入管局長の裁量権を逸脱,濫用する違法なものか。
(2) 本件各発付処分において,原告長男についてはイラン,原告妻についてはコロンビアと異なる国を送還先として指定することが違法か。
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(原告らに在留特別許可を付与しなかった本件各裁決は,被告入管局長の裁量権を逸脱,濫用する違法なものか)について
(原告ら)
本件では,①原告らの宗教的態度(形式的改宗や従前宗教の継続による神の冒涜行為)に基づく生命・身体の危険,②送還先における治安状況,及び③家族の結合が失われること,これらについて配慮すべきであるにもかかわらず,本件各裁決はこれらの配慮を欠いており,違法である。
ア 在留特別許可の許否の判断基準について
(ア) 広範な裁量にゆだねられている旨の被告らの主張の不当性
被告らは,最高裁昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁(以下「最高裁マクリーン判決」という。)を引用して,国際慣習法上,特別の条約がない限り,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,外国人を自国に受け入れるかどうかを自由に決定できるから,在留特別許可を与えるべきか否かは,法務大臣及び同人から委任を受けた地方入国管理局長(以下,法務大臣と併せて「法務大臣等」ともいう。)の極めて広範な裁量にゆだねられている旨主張する。しかしながら,以下のとおり,かかる見解を導く前提は,質的に大きな変容を受けており,法務大臣等の裁量の及ぶ範囲は限定されていると解すべきである。
a そもそも,被告らの上記主張については,すでに50年以上前に,「国際慣習法上」という前提によりたやすく外国人の入国を憲法の保障外におくことは,新しい理想を盛った我が憲法の基本原理を全く無視するものであり,国際慣習法上なる前提に無批判に立脚すべきではないという指摘がなされている(最高裁昭和32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁における小林俊三,入江俊郎各裁判官の意見参照)。
b そして,最高裁マクリーン判決は,特別の条約がない限り,国家は外国人を受け入れるかどうかについて自由に決定することができると判示しているところ,同判決後,日本は,経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という。昭和54年8月4日公布),市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。昭和54年8月4日公布),難民の地位に関する条約(昭和56年10月15日公布),児童の権利に関する条約(平成6年5月16日公布),あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(平成7年12月20日公布),拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(平成11年7月5日公布)について批准・加入している。これらの条約は,上記の「特別の条約」に該当し,外国人の在留権を根拠付けるものとなり得るはずであるところ,上記各条約は,誠実に遵守されなければならないのであるから,法務大臣等が在留の許否を判断するに当たり,これらの条約によって保障されている諸権利は重要な考慮要素とされなければならない。
c しかも,今日の国際社会においては,出入国管理に関する各国の裁量権を承認しながらも,各国の裁量権の行使が国際人権条約の人権保障規定に抵触する結果となる場合には,その限度で制約されると解されている。
d さらに,平成13年法律第136号による入管法の改正により,法務大臣の権限を地方入国管理局長に委任できる旨の規定が新設されているところ,永住許可や難民認定の取消しのように極めて高度な判断が求められるものについては権限を委任できないとされているが,このことは,それ以外の権限は高度の判断を要するものではないことを意味しているから,地方入国管理局長の権限について,法務大臣と同様の広範な裁量を有すると解すべきでない。
(イ) 裁量統制の基準
上記のとおり,外国人の出入国に関する裁量権の行使は,国際人権条約の認めた人権保障規定に抵触する結果となる場合には,その限度で制約される。
そして,外国人に対して退去強制令書が発付されれば,その身柄が拘束され,国外に送還される結果となることにかんがみれば,厳格な比例原則の適用が要請されるべきであるから,退去強制によって当該外国人が被る不利益と,この者を退去強制することによって得られる出入国管理の秩序維持に関する利益とを比較衡量することによって,その条約適合性を判断すべきである。
イ 原告らがイランで生活することが不可能であることについて
(ア) イランにおける宗教的冒涜者の危険性
イランは,16世紀以来,シーア派イスラム教を国教としており,全人口の約99パーセントを占めるイスラム教徒のうち,シーア派が90パーセントを占めている。イスラム教徒以外は,キリスト教徒が0.3パーセント,ユダヤ教徒が0.5パーセント,ゾロアスター教徒が0.2パーセントであり,その割合は小さい。特に,最高指導者として,シーア派のセイエド・アリー・ハメネイ師が君臨していて,西洋文化の持込みを禁止し,アンサル・エ・ヒズボラという強硬派自警団が人々にイスラム革命的態度を取るよう強要するなど,極めてイスラム色の濃い国家といわれている。
そして,イラン憲法19条,12条は,キリスト教徒にも法律の範囲内での信教の自由を保障しているが,イスラム教シーア派以外の宗教は制約を受けており,特に,イスラム教から非イスラム教への改宗は,背信者として死刑でもって処罰されるものとされ,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告によれば,1997年11月から1年の間にイスラム教からキリスト教に改宗した15名から23名が行方不明となっているが,同人らは殺害されたと考えられている。
この点につき,被告らは,イラン憲法上,宗教の自由が保障されていることを理由に,原告らの生命・身体に対する危険がない旨主張するが,実際には,米国国務省2002年国別人権状況報告書によって報告されているとおり,バハイ教徒,キリスト教徒,スーフィー主義イスラム教徒などは,その信仰によって投獄,嫌がらせ,脅迫などを受けており,現に,イラン国籍の者が平成11年に5名,平成13年に8名,それぞれ難民認定を受けていることに照らせば,被告らも,イランにおいて宗教的迫害の危険が存在していることを認識しているはずであり,上記主張は楽観的すぎる。
(イ) 原告妻の信仰
原告妻は,もともと熱心なキリスト教徒であったところ,本邦入国後も,スペイン語で月に2回ミサが行われる緑ヶ丘教会の存在を知ってからは,毎回休むことなく同教会のミサに参加しており,しかも,原告長男にもキリスト教の洗礼を受けさせるなど,熱心なキリスト教徒であることに変化はなかった。
ところが,原告長男のために,原告夫との正式な結婚手続を取るには,ルサリと呼ばれるベールによって髪を覆った上で写真を撮り,シャリーアの名の下に証明するという形式が要求された。原告妻は,この形式に従ったが,キリスト教徒であることに変わりはないから,これが宗教的冒涜に当たるとして,危害を受ける可能性がある。
(ウ) 原告らの宗教上の理由による危険
上記のとおり,原告妻が形式的にイスラム教に改宗したにもかかわらず,キリスト教を依然として信じていることがイラン国内で判れば,それを容認している原告夫も,イスラム教の冒涜に当たるとして命を失う危険がある。また,原告長男も,イスラム教徒の子であるにもかかわらず,キリスト教の洗礼を受けていることが判ると,同様の危険がある。
(エ) 女性の権利の制約
イランにおいては,国際的水準や日本社会の人権水準からみて,許容される範囲を逸脱するほど,女性の権利が制限され,極端な男女差別が行われており,コロンビアと日本という差別のないところで生活してきた原告妻にとっては,耐えられない。
(オ) 小括
上記のとおり,原告らがイランで生活することは,生命を失う危険があるため,現実には不可能である。このことは,原告妻が直接イランに送還される場合でも,いったん,コロンビアに送還されてその後イランに行く場合であっても異ならない。
ウ 原告らがコロンビアで生活することが不可能であることについて
(ア) コロンビアの状況
コロンビアにおいては,コロンビア革命軍(FARC)や国民解放軍(ELN)といった左翼ゲリラと右翼非合法武装集団(パラミリタリー)との間で,またこれらと治安当局との間でも武力対立があるなど複雑な状況があり,爆弾テロ事件も跡を絶たないなど,その治安は極めて悪い。しかも,このような状況は,過去20年の間に悪化しており,改善される見込みがない。
さらに,2001(平成13)年7月のフェリックス・ポサダ氏の講演によれば,過去3年間に300万人が中産階級から貧困層に移行し,16歳から24歳までの若年の失業率は50パーセントに達し,武力勢力のうち6000人が16歳未満であると報告されている。また,同年9月の難民情勢についての報告によれば,国内避難民が220万人ともいわれ,1年間で12万8000人(2000年),13万7000人(2004年)が新たに避難民となったが,おおよそその7割近くを女性と18歳未満人口が占めているとされている。
我が国の外務省によっても,コロンビアのほとんどの地域への渡航延期が勧められているほか,毎年多数の爆弾テロ事件が発生したり,誘拐事件の発生が跡を絶たない(毎年2000件以上)上に,強盗や殺人等の一般犯罪の発生率も高い水準で推移している。日本人も過去幾度となく誘拐事件に巻き込まれ,2003(平成15)年11月には,2年9か月間拘束されていた日本人が遺体で発見されたと報告されているが,これは,日本人だから財産を持っているに違いないという理由によるものである。日本からコロンビアに帰国した者が強盗等の被害を受けることが多い原因として,日本と関連があって裕福そうに見えるため,危険性を格段に高めていることが挙げられる。
(イ) コロンビアへの送還による不利益
上記のとおりの経済情勢,原告夫の38歳という年齢,その言語能力などにかんがみると,原告夫がコロンビアにおいて仕事を見つけることは,ほとんど絶望的であり,結局,家族全員がコロンビアで生活することはできず,家族の生活の本拠をコロンビアに置いたとしても,原告夫がイランへ出稼ぎに行くことを強いられ,家族の結合が破壊されてしまう。
しかも,コロンビアの治安状況にかんがみると,原告ら家族は実際には大金持ちというわけではないにもかかわらず,日本から帰国したというだけで,財産を多く持っていると思われてしまい,原告長男が身代金目的で誘拐されるなど,その生命や財産を奪われる危険は,決して机上のものではなく,現実のものである。
エ 原告らが長期間にわたって平穏に在留していたこと
原告らは,6年余にわたって平穏かつ公然と在留を継続し,善良な一市民として生活の基盤を築いてきた。
このように,原告らの日本における生活は安定しており,在留特別許可の申出についても,これを求める相当数の署名が提出されている。
オ 本件各裁決が違法であること
(ア) 自由権規約17条1項及び23条1項違反
自由権規約17条1項は,「何人も,その私生活,家族,住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。」と規定し,家族に対する恣意的又は不法な干渉を禁止している。また,同規約23条1項は,「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位であり,社会及び国による保護を受ける権利を有する。」と定め,より一般的に,社会及び国による家族の保護を保障している。
そして,規約人権委員会の一般的意見15(1986年7月22日採択)は,外国人の地位に関し,「規約は,締約国の領域に入り又はそこで居住する外国人の権利を認めていない。何人に自国への入国を認めるかを決定することは,原則としてその国の問題である。しかしながら,一定の状況において外国人は,入国又は居住に関連する場合においてさえ規約の保護を享受することができる。例えば,無差別,非人道的な取扱いの禁止又は家族生活の尊重の考慮が生起するときがそうである。」と述べ,家族の保護が,外国人の入国・在留に関する政府の判断を制約する原理となり得ることを明示的に承認し,さらに,同意見16(1988年3月23日採択)は,同規約17条1項の「恣意的……干渉」について,「……恣意的干渉という語句は,法に規定された干渉をも含むものである。法によって規定された干渉であってさえも,本規約の規定,目的及び目標に合致しなければならないし,かつまた,どんなことがあろうとも,特定の状況の下で,合理的な干渉でなければならないということを保障しようとして,恣意的という概念を導入したものである。」と述べて,比例原則が適用されることを明らかにしている。一般的意見は,締約国を法的に拘束するものではないが,少なくとも,最高裁マクリーン判決の述べるような国際慣習法がもはや存在していないことは明らかであり,自由権規約の締約国である日本において,一般的意見が,自由権規約の解釈に当たって重要な指針になることはいうまでもない。
また,家族結合の尊重については,平成11年及び平成16年の入管法の改正の際,衆議院及び参議院の各法務委員会が,①退去強制手続,在留特別許可等の運用に当たって,当該外国人の在留中に生じた家族的結合等の実情を十分考慮し,画一的な運用とならないよう留意すべきこと,②新しい制度の運用に当たっては,本邦に在留する外国人の生活及び家族関係等に十分配慮すべきことを附帯決議しているが,このことも,外国人の出入国に関する国の決定が,国際人権条約に基づく制約や比例原則に服すべきことを立法府自ら宣明したものといえる。
しかるところ,上記のように,原告妻がイランに行くことは生命・身体の危険を伴い,原告夫及び原告長男がイランに送還されれば,家族が離ればなれとなり,また,原告夫は,コロンビアに行っても間違いなくイラン等に出稼ぎに行かなければならなくなるのであるから,原告妻がコロンビアに送還されれば,家族が離ればなれになる。このような事情を考慮せずになされた本件各裁決は,自由権規約17条1項,23条1項に反し,違法である。
(イ) 児童の権利に関する条約3条1項違反
児童の権利に関する条約3条1項は,「児童に関するすべての措置をとるに当たっては,公的若しくは私的な社会福祉施設,裁判所,行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても,児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と定めているが,この規定は,退去強制処分にも適用される。
この点について,被告らは,同条約9条4項を理由に,児童の最善の利益についても外国人在留制度の枠内で保障されるにすぎない旨主張するが,同項は,親の退去強制により親と児童が分離された場合に,親の所在についての情報を児童に提供すべきことを保障する規定にすぎず,むしろ,児童の最善の利益を考慮してもなお,親の退去強制が正当化されるような特別の状況においても最低限の保障が与えられるべきことを明らかにするものと解すべきである。
しかるところ,上記のとおり,原告長男は,すでに日本語を話しており,送還されれば生活環境の悪化は必至であるところ,これらの事情を考慮せずに,原告長男の異議申出を却下した裁決は違法である。
また,原告長男について,最善の利益を尊重した結果,退去強制をすべきではないという判断がなされた場合には,自由権規約17条1項等に基づき,原告ら夫婦についても,退去強制すべきではなく,このことを看過した本件各裁決は違法である。
  (被告ら)
原告らの主張は争う。
ア 法務大臣等の裁量について
(ア) 法50条1項3号の在留特別許可の性質と裁量権
外国人は,憲法上,在留の権利を保障されていない。憲法22条1項は,日本国内における居住・移転の自由を保障するものにすぎない。このことは,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを,当該国家が自由に決定することができることと,その趣旨を同じくするものである。したがって,外国人は,憲法上,本邦に入国する自由を保障されているものではなく,在留の権利ないし引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもない(最高裁マクリーン判決)。
そして,外国人の出入国管理は,国内の治安と善良の風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定など国益の保持を目的として行われるものであって,その判断については,広く情報を収集し,その分析の上に立って,時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,ときには高度な政治的な判断を要する場合もあり得る。加えて,在留特別許可の対象となる容疑者は,既に法24条各号所定の退去強制事由に該当し,本来的には本邦から退去強制されるべき地位にあることが前提であるから,在留特別許可は,本邦からの退去を強制されるべき者に対し,特に在留を認める処分であって,恩恵的な処分である。それゆえ,法50条1項3号も在留を許可すべき事情について,判断を羈束するような定めをおいていない。
したがって,在留特別許可を与えるか否かは,法務大臣等の極めて広範な裁量にゆだねられているというべきである。
(イ) 司法審査の在り方
このような在留特別許可の性質から,その許否の判断についての司法審査基準についても,裁判所が法務大臣等と同一の立場に立って在留特別許可をすべきであったか又はいかなる処分を選択すべきかについて判断すべきではなく,法務大臣等の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として,その判断が社会通念上著しく妥当性を欠き,裁量権を付与した目的を逸脱し又はこれを濫用したと認められるかどうかを判断すべきである。
そして,外国人は,憲法上,在留の権利を保障されるものではなく,在留期間の更新に比べてもその裁量権の範囲は格段に広範なものというべきであるから,在留特別許可を与えない処分が違法となるのは,法律上当然に退去強制されるべき外国人についてなお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由が認められるときなど,法務大臣等がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したと認め得るような特別の事情がある場合であることを要するのであって,極めて例外的な場合に限られるというべきである。
イ 本件各裁決の適法性について
本件各裁決が違法であるというためには,原告らにおいて「在留を特別に許可すべき事情」を主張立証する必要があるところ,本件については,以下のとおり,原告らに在留特別許可を付与しないことが,本件各裁決の裁量権の逸脱・濫用になることはない。
(ア) 原告夫及び原告妻の基本的な事情
原告らは,いずれも本邦に不法に残留していたものであるが,原告夫は,入国当初から稼働目的で入国して不法に就労しており,出頭申告した時点で13年9月弱もの長期間にわたり,不法残留,不法就労を継続していたものである。原告妻も,在留期限満了後に,名古屋市の自宅において国際電話のテレホンカードの販売を行い,その後も店舗を経営するなどして不法に就労していたものであり,不法残留の期間も6年10月に及んでいる。このような不法就労は,公正な出入国管理の秩序を乱すものである。
(イ) 原告らの主張に対する反論
原告らは,在留を特別に許可すべき事情として,①宗教的自由に対する配慮,②家族の結合に対する配慮,③原告らの生活基盤が本邦にあることなどを主張するが,以下のとおり,原告らの主張は失当である。
a 宗教的自由に対する配慮
原告らは,原告夫がイランに送還された場合,宗教上の理由によって危害を加えられるおそれがあると主張するが,その具体的内容は明らかでないばかりか,そもそも原告夫はイスラム教徒であるから,帰国によって危害を加えられるおそれなるものは想定し難い。
次に,原告らは,原告妻の行為がイスラムに対する冒涜に当たるから生命の危険がある旨主張するが,原告妻は,もとより積極的に反宗教的活動を行ったり,そうした活動を指導する地位にある者ではないから,仮にイランの宗教指導者が,イスラム教以外の宗教に不寛容な立場を採っているとしても,そのような者の内面的宗教観についてまで逐次調査・確認して危害を加えるとは考え難い上,原告妻が結婚の際にブルカを着用したり,原告長男にキリスト教の洗礼を受けさせた行為のみをもって,直ちにイスラム教を冒涜したとの評価がなされることも容易に想定し難い。さらに,原告長男の洗礼は2歳8か月余のときであり,自らの意思で洗礼を受けていないことも明らかであるから,そのことを理由に,イラン政府等から危害を加えられるおそれがあるとまでは認め難い。
そもそも,原告妻の送還先はコロンビアであるから,イランにおける宗教上の理由による危害のおそれはなく,原告らの主張は,その前提を誤るものとして失当である。
b 家族の結合に対する配慮
(a) そもそも,上記のとおり,憲法上,外国人が我が国に在留を求める権利は保障されていないから,我が国に在留する外国人は,法に基づく外国人在留制度の枠内でのみ,憲法の基本的人権の保障が与えられているにすぎないというべきであって,在留の許否を決定する国家の裁量を拘束するまでの保障が与えられていると解することはできない。
そして,原告らは,飽くまで不法残留者であり,我が国の法に基づく外国人在留制度の枠外にある者である。
(b) また,原告らは,自由権規約,社会権規約及び児童の権利に関する条約により,法務大臣等の在留特別許可の許否の判断が法的に拘束される旨主張する。
しかしながら,国家は,外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約等がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうかなどを当該国家が自由に決定することができることは国際慣習法として確立しているところ,自由権規約,社会権規約及び児童に関する条約においても,外国人を自国内に受け入れるかどうかを自由に決定できることを否定する規定はなく,かえって,社会権規約13条は,合法的に締約国の領域内にいる外国人について,法律に基づいて行われた決定により退去強制され得ることを認め,児童の権利に関する条約9条4項も,父母の一方又は双方と児童との分離が,「締約国がとった父母の一方若しくは双方又は児童の抑留,拘禁,追放,退去強制,死亡(略)等のいずれかの措置に基づく場合には,当該締約国は,要請に応じ,父母,児童又は適当な場合には家族の他の構成員に対し,家族のうち不在となっている者の所在に関する重要な情報を提供する。」と定め,退去強制の結果として,児童が父母から分離されることをも予定している。
そうすると,法務大臣等が在留特別許可の付与に関する判断をするに当たり,「児童の最善の利益」,「家族の保護」,「親子分離の禁止」といった事項に羈束されると解することはできないというべきである。したがって,憲法98条2項違反に係る主張も理由がない。
(c) なお,原告らの上記主張は,本邦における家族の結合を前提としているが,原告ら家族の結合は,本邦外においても実現し得る。すなわち,原告妻は,正式に原告夫と婚姻してイラン国籍が付与されているから,イラン旅券が発給されれば,イランへの入国は可能であり,また,原告夫は,被退去強制者であるため,本邦から直接コロンビアに入国することは困難であるが,いったんイランに帰国した後,在外コロンビア公館において査証申請すれば,コロンビア人の配偶者として査証を取得することは可能であるから,このような手続を経ることによって,家族の離散を回避することは十分に可能である。
(d) この点について,原告らは,イラン又はコロンビアにおいて生活することには支障がある旨主張するが,原告ら夫婦は,国籍及び宗教の違いを十分承知の上で自らの意思により婚姻したものであり,その際生じる困難等については当事者で受忍し,克服すべき事柄であるから,本来,法務大臣等が本邦における在留を特別に許可することで解決されるべき問題ではない。
また,イラン憲法19条は,「イラン人民は,民族,種族の如何を問わず平等な権利を享受し,肌の色,人種,言語等により差別されることはない。」と定め,また,12条は,「イランの国教はイスラム教・12イマーム派のジャアファル学派であり,この原則は永遠に変更することができない。ただし,イスラム教の他の学派であるハナフィー学派,シャーフィイー学派,マーリク学派,ハンバル学派,ザイド派は完全に尊重され,これらの宗派の信徒が自らのイスラム法学に従い宗教儀礼を行うことは自由である。宗教教育,私人的行為(婚姻,離婚,相続,遺言),及びそれに関する訴訟は法廷において有効とする。これらの宗派の信徒が多数を占める全ての地域においては,条例が地方評議会の権限においてその教義に基づき制定される場合,他宗派の信徒の諸権利を保障すること。」と定め,さらに,13条は,「…キリスト教徒のイラン人は宗教マイノリティとして,法律の範囲内で自らの宗教儀礼を行う自由並びに自らの教義に基づいて私人的行為及び宗教教育を行うことが認められる。」と定めている。つまり,イランにおいては,憲法上,民族による差別は禁止され,キリスト教であっても信教の自由が保障されているのであり,原告らのこの点についての供述も憶測を述べたものにすぎないから,原告らの主張する支障があるとは認め難い。なるほど,イランにおいて,女性の行動に一定の制限があるとしても,もとより原告妻に限られるものではなく,また,原告夫との間の相互扶助等によって克服されるべき問題であると解される。なお,原告夫は,イランに帰国後,両親や兄,妹などの親族からの援助や庇護が期待できるから,イランでの生活に何ら支障がないことが明らかである。
次に,原告らは,コロンビアは治安情勢が悪く,また,現状のコロンビアの経済状況や原告夫の言語能力等にかんがみると,原告ら家族がコロンビアで生活することは事実上不可能であるなどと主張するが,およそ国籍国以外の国で生活する者は,言語能力等の問題に直面するのであって,原告夫に限られるものではなく,原告夫自身,本邦入国前は,日本語を話したり理解することは全くできなかったのであるから,仮に,コロンビアで生活することになったとしても,かかる困難は,相応の努力によって克服することが可能というべきである。また,コロンビアの治安情勢についての誘拐等の危険は,いずれも抽象的で,具体的根拠も不明であって,主観的な憶測の域を出ず,結局のところ,コロンビアと比較して治安情勢や経済情勢が良好である我が国に滞在したいという自己都合を述べるにすぎない。さらに,原告妻は,本国の親族と連絡を密に取り合っていて,良好な関係を維持していることは明らかであり,そうだとすれば,帰国後も,親族の援助や庇護を受けることが十分に期待できるというべきである。
なお,原告長男は,本件各裁決当時3歳であり,いまだ可塑性に富む年齢であるから,イランないしコロンビアに帰国したとしても,同国での生活に十分適応できるものと思料される。
c 本邦における生活基盤の存在
原告らは,原告ら家族が6年余りにわたって平穏かつ公然と在留を継続し,既に善良な一市民として生活の基盤を築いている旨主張するが,本邦に不法入国し,そのまま在留を継続する外国人は,出入国管理令9条3項の規定により決定された在留資格をもって在留するものではないので,その在留の継続は違法状態の継続にほかならず,それが長期間平穏に継続されたからといって直ちに法的保護を受け得る筋合いのものではないとの判示(最高裁昭和54年10月23日第三小法廷判決・集民128号17頁)に照らせば,在留特別許可を付与すべきかどうかの判断において,これらの事情を原告らに有利に考慮すべきではない。
そもそも,このような事情を許容することは,およそ不法な状態であっても,生活の基礎を本邦で築き上げれば在留特別許可を付与しなければならないことを意味するが,このようなことが,出入国の公正な管理を図るという入管法の目的(1条)に照らして容認できないことは明らかである。
d 原告長男について
原告長男は,出生後,原告ら夫婦によって養育されており,本件各裁決当時,年齢が3歳であることを考慮すれば,今後とも原告ら夫婦による養育が必要である。しかるところ,原告ら夫婦については,なお本邦に在留を認めるべき積極的な理由が認められないのであるから,原告長男も不法残留である以上,本邦に在留すべき理由は認め難い。
なお,原告らは,長男がイランに送還された場合,既にキリスト教の洗礼を受けていることから,イスラム教との関係で問題が生ずる旨主張するが,原告長男がキリスト教の洗礼を受けているからといって,直ちに宗教上の問題が生じるとは考え難い。
(2) 争点(2)(本件各発付処分において,原告長男についてはイラン,原告妻についてはコロンビアと異なる国を送還先として指定することが違法か)について
(原告ら)
ア 被告主任審査官は,本件各発付処分前に,その送還先についてわざわざ在日イラン大使館に問い合わせをしているのであるから,家族の結合の観点から,原告らに対して十分な聞き取りを行い,同一送還先を指定すべきであった。
にもかかわらず,本件各発付処分においては,原告らの意思を確認することもなく,原告夫及び同長男の送還先ををイランとし,同妻のそれをコロンビアとして,原告の家族の結合を破壊しようとしている。
イ この点について,被告らは,原告ら夫婦が希望しさえすれば,今後,原告妻の送還先をイランに変更することは可能である旨主張するが,かかる説明は本件各発付処分前にされておらず,あまりに不当である。
翻って,後に送還先について本人の希望が変更されることに期待し,3歳(処分時)の子供を母親から引き離すこととなる送還先の指定は,人道に反するものとして,明らかに裁量権を逸脱している。
(被告主任審査官)
原告らの主張は争う。
ア 主任審査官は,法務大臣等から「異議の申出は理由がない」と裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,退去強制令書を発付しなければならない(法49条5項)とされているところ,主任審査官が法務大臣等から異議の申出に理由がないと裁決した旨の通知を受けたにもかかわらず,退去強制令書を発付しないことを予定した規定は存在しない。したがって,主任審査官が退去強制令書を発付するか否か,またいつ発付するかについて,裁量権を認める余地はないというべきである。
そうすると,前記のとおり,本件各裁決は適法であるから,本件各発付処分も当然に適法である。
イ 退去強制令書上の送還先については,法53条に基づいて指定されるべきものであるが,原告妻については,原告夫との婚姻をイラン政府が正式に認めていることから,イラン国籍を有する可能性も認められた。
ただし,①原告妻は,コロンビア旅券を所持するのみで,イラン旅券を所持しておらず,また,②イラン大使館領事部の説明によれば,日本からイラン国籍以外の者をイランに強制送還させることはできないが,イラン国籍男性との婚姻手続を届け出ている場合は,イランの身分証明書とイラン旅券を取得した後,その本人がイランへの強制送還を希望し,夫であるイラン国籍男性も配偶者のイランへの強制送還を希望し,その旨イラン大使館に申し出たときに限り,イランへ渡航することが可能であるとのことであるところ,原告ら夫婦のいずれもイランへの強制送還を希望しなかったことから,イランへの渡航が可能であるとは認められなかった。
そこで,被告主任審査官は,原告妻が,本邦に入国するまでコロンビアに居住していたことなどを踏まえて,その送還先をコロンビアと指定したものであり,原告ら夫婦が希望しさえすれば,原告妻の送還先をイランに変更することが可能である。
ウ 原告長男は,原告夫のパスポートに併記されていることから,少なくともイラン国籍を有することが明らかである。他方,原告長男がコロンビア国籍を有する可能性は否定できないものの,本件各発付処分当時,そのことを証する公的資料が存在しなかったため,その送還先をイランとしたものである。
第3 当裁判所の判断
1 在留特別許可の性質と司法審査の在り方について
(1) 国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは,専ら当該国家の立法政策にゆだねられているところであって,当該国家が自由に決定することができるものとされている。我が国の憲法上も,外国人に対し,我が国に入国する自由又は在留する権利(ないしは引き続き在留することを要求することができる権利)を保障したり,我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けたりしている規定は存在しない(最高裁マクリーン判決参照)。
ところで,法50条1項は,法務大臣が法49条1項の異議の申出に理由があるかどうかを裁決するに当たって,当該容疑者について法24条各号に規定する退去強制事由が認められ,異議の申出に理由がないと認める場合でも,当該容疑者が,永住許可を受けているとき(1号),かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき(2号),特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき(3号)には,その者の在留を特別に許可することができると規定しており,法50条3項は,この許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすと定めている。
このように,法50条1項は,既に法24条各号の規定する退去強制事由が存在すると認定され,本来的には我が国から退去を強制されるべき地位にある外国人に対し,特別に在留を許可できる場合を定めたものであるから,その許可が恩恵的な性質を有することは否定できない。しかも,1号と2号は具体的な許可事由を定めているものの,3号については,その許否の判断に当たって必ず考慮しなければならない事項など,上記判断を羈束するような文言を用いていないところ,外国人の出入国管理は,国内の治安と善良の風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定などの国益の保持を目的として行われるものであるが,このような目的に沿うか否かの判断については,内外の情報を広く収集し,これを精密に分析した上で,時宜に応じて的確になされる必要があり,ときには高度な政治的な要素の考慮を要求される場合もあり得ると考えられる。
これらを総合的に勘案すれば,法務大臣等は,異議の申出に対し,我が国の国益を保持し出入国管理の公正な管理を図る観点から,当該外国人の在留状況,特別に在留を求める理由の当否のみならず,国内の政治・経済・社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲などの諸般の事情を総合的に勘案して,当該外国人に対して在留特別許可を付与すべきか否かを判断する広範な裁量権を与えられているというべきである。
したがって,在留特別許可を付与するか否かに係る法務大臣等の判断が違法となるのは,上記判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した場合に限られるというべきである。
(2) この点に関し,原告らは,①国際慣習法上という前提によって外国人の人権を憲法の保障外に置くべきでない,②我が国が自由権規約,社会権規約,児童の権利に関する条約等を締結したことにより,各国の裁量権は制約を受ける,③特に,平成13年法律第136号による入管法の改正により,法務大臣から地方入管局長に権限が委任された事項については,法務大臣と同様の広範な裁量権を有すると解すべきものではない,④退去強制令書の発付については,比例原則が妥当し,在留特別許可を受けることによる利益と退去強制によって得られる国益とを比較衡量すべきであるなどと主張する。
なるほど,主権国家が,自らの意思で主権の一部を制約する内容の条約を締結する行為も,主権行使の一態様と解されるから,このような条約を締結した結果,本来的に有する主権の一部が行使できないこととされても,そのこと自体は,国家原理や国際慣習法に反するものとはいえず,我が国の憲法前文及び98条2項も,このことを前提としていると解される。外国人の入国・在留については,前記のとおり,国家がこれを受け入れなければならない義務を負うものではないが,我が国が締結,批准した難民の地位に関する条約によって,難民と認定された外国人の退去強制手続に一定の制約を設けている(同条約31ないし33条,61条の2の2,61条の2の6など)ことは,その表れと解することができる(同条約は,最高裁マクリーン判決のいう「特別な条約」に当たると解される。)。
(3) しかるところ,自由権規約17条1項は,「何人も,その私生活,家族,住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。」と定めて,家族に対する恣意的若しくは不法な攻撃を受けないことを保障し,同規約23条1項は,「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位であり,社会及び国による保護を受ける権利を有する。」と定めて,社会の基礎的単位である家族が国家による保護を受けるものであることを宣言している。そして,自由権規約委員会の一般的意見15は,外国人の地位に関し,外国人の在留を認めるか否かは,原則として,その国の問題であるとしつつも,「しかしながら,一定の状況において外国人は,入国又は居住に関連する場合においてさえ規約の保護を享受することができる。例えば,……家族生活の尊重の考慮が生起するときがそうである。」と,同意見16は,同規約17条1項の「恣意的干渉」について,「法に規定された干渉をも含むものである。法によって規定された干渉であってさえも,本規約の規定,目的及び目標に合致しなければならないし,かつまた,どんな事があろうとも,特定の状況の下で,合理的な干渉でなければならないということを保障しようとして,恣意的という概念を導入したものである。」と述べて,自由権規約の解釈上の指針を示している。さらに,児童の権利に関する条約3条1項は,「児童に関するすべての措置をとるに当たっては,公的若しくは私的な社会福祉施設,裁判所,行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても,児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と,同条約16条1項は,「いかなる児童も,その私生活,家族,住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。」とそれぞれ定めている。
これらの条項は,いずれも具体的な要件・効果を定めているものではないものの,その趣旨に照らせば,児童の最善の利益,家族的結合の保護,親子の分離の禁止などの利益は,法務大臣等が在留特別許可を付与するかどうかを判断する際に考慮されるべき要素の一つであると解するのが相当である。
(4) もっとも,原告らの指摘する自由権規約,社会権規約,児童の権利に関する条約などにおいても,国際慣習法上,国家が外国人を受け入れる義務を負うものではないとの理解を否定する規定はなく,家族の分離の結果を伴う退去強制が,すべからく,これらの条約に反するとは解されない。
このことは,自由権規約28条に基づく人権委員会の一般的意見15が,外国人の地位に関し,「規約は,締約国の領域に入り又はそこで居住する外国人の権利を認めていない。何人に自国への入国を認めるかを決定することは,原則としてその国の問題である。」と述べていること,日本国政府が,児童の権利に関する条約を批准した際,同条約9条1項の「締約国は,児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」については,「児童の権利に関する条約第9条1項は,出入国管理法に基づく退去強制の結果として児童が父母から分離される場合に適用されるものではないと解釈するものであることを宣言」していること(平成6年外務省告示第262号),同条約9条4項本文は,「(父母の一方又は双方からの)分離が,締約国がとった父母の一方若しくは双方又は児童の抑留,拘禁,追放,退去強制,死亡(その者が当該締約国により身体を拘束されている間に何らかの理由により生じた死亡を含む。)等のいずれかの措置に基づく場合には,当該締約国は,要請に応じ,父母,児童又は適当な場合には家族の他の構成員に対し,家族のうち不在となっている者の所在に関する重要な情報を提供する。」と定め,締約国の行為によって家族の分離がもたらされる場合があり得ることを承認していると解されることなどによってもうかがうことができる。したがって,児童の最善の利益,家族的結合の保護,親子の分離の禁止といった利益は,前記のとおり,在留特別許可を付与するか否かについて判断する上での考慮要素となることは否定できないものの,これを超えて,法務大臣等の判断を直接的に規制するものとはいえず,これを付与しなかったため,上記利益が損なわれる結果をもたらしたとしても,それだけで,直ちに当該判断が裁量権を逸脱又は濫用するものとして違法となると解することはできない。
そして,このことは,平成13年法律第136号による改正により,在留特別許可に関する権限が法務大臣から地方入管局長に委任することができるようになったからといって,異なるものとは解されない。在留特別許可の付与を判断するに当たり,国内の治安と善良の風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定,国際的協調などの国益を考慮して,時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,ときに高度な政治的な判断を要求される場合もあり得ることは,永住許可や難民認定の取消しなど,委任の対象となっていない事項と同様であるからである。
2 争点(1)(原告らに在留特別許可を付与しなかった本件各裁決は,被告入管局長の裁量権を逸脱,濫用する違法なものか。)について
(1) 以上の判断枠組みを前提として,本件各裁決の適否について検討するに,前記前提事実に後掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告夫を巡る状況(甲30,乙13,20,21の1ないし3,原告夫本人)
(ア) 原告夫は,1966(昭和41)年7月12日,テヘラン市において出生したイラン国籍を有する外国人である。
(イ) 原告夫は,1984(昭和59)年6月にテヘラン市のハサンガダミ高校を中退した後,2年4か月の間,イラン空軍で運転手として勤務するなど兵役に就いていたが,イラン・イラク戦争の終結直前である1988(昭和63)年10月,軍隊を除隊し,その後は,金装飾品の製造工場に勤務していた。当時,イランの経済状態は悪く,多くのイラン国民が出稼ぎに行っていたことと,戦後の復興工事のためにイランに来ていた日本人が優秀で勤勉であったことから日本への興味を抱くようになったため,原告夫も,日本という国を実際に見てみたい,できれば日本で仕事もして家族に仕送りをしたいと考え,1991(平成3)年9月26日,成田空港から短期滞在の資格で日本に入国した。
(ウ) 原告夫は,本邦入国後,友人を頼り,静岡県浜松市において配管工,土木作業員として稼働したが,やがてその仕事がなくなったため,別の友人から紹介を受け,愛知県津島市において塗装工として働いた。原告夫は,平成5年1月21日ころ,より多額の給料を得るべく,名古屋市a所在の八一(はちいち)産業株式会社で,鉄板をプレスカットする仕事に就いたが,その仕事を始めてから約1週間後である同月28日,プレス機で右手を挟み,右手中指,薬指及び小指を切断する事故に遭った。約2か月間に及ぶ治療を受けた結果,中指は繋がったもの