hanrei @Wiki H17.10.21 岡山地方裁判所 平成16年(ワ)第402号 損害賠償請求



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        1 原告らの請求をいずれも棄却する。
        2 訴訟費用は原告らの負担とする。

             事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは連帯して,原告A男に対し,金2775万7536円及びこれに対する被告財団法人は平成16年5月17日から,被告Bは平成16年5月16日から各支払済みまで年5分の割合による金員を,原告C及び同Dに対し,各1382万8768円及びこれに対する被告財団法人は平成16年5月17日から,被告Bは平成16年5月16日から各支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2(予備的)担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 事案の概要
 一 前提事実(当事者間に争いがないか挙示する証拠又は弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実)
1 当事者及び診療契約
 (一) 被告財団法人は,その肩書所在地で総合病院(以下「被告病院」という)を運営する。
   E女(昭和35年生)と被告財団法人の間で,昭和60年7月2日,被告病院において精神疾患の治療をする準委任契約が成立し,被告財団法人は同女の疾病を完治するため最大限の努力をする義務を負い,一般的な医療水準に従って医療行為をなすとともに,自らがその医療行為を行うのに必要な設備,技術を有しない場合には直ちに患者及びその保護者にその旨告げて,十分な設備,技術を有する他の医療機関に転医させ,患者が適切な医療を受ける機会を与えるべき義務を負っていた。
   被告Bは,被告病院心療内科医師であり,被告財団法人の履行補助者兼被用者として,平成9年10月ころから平成14年3月9日まで,E女の治療を担当した。
 (二) E女は,平成14年3月9日午前0時51分,自宅近くの倉敷駅前のビル4階から投身自殺を図り,脳挫傷・頸髄損傷のため死亡した(甲A1,以下「本件自殺」という)。
   原告A男は,亡E女(以下「亡E女」という)の夫であり,原告C及び原告Dは,いずれも亡E女の子であり,原告らが亡E女を相続承継した(原告A男2分の1,その余の原告ら各4分の1,甲C1,2)。
2 本件自殺に至る経緯
 (一) 亡E女は,昭和60年7月1日,前記ビル6階から投身自殺を図り,一命を取り留めたものの(以下「第1回自殺未遂」という),第1腰椎骨折等の傷害を負い,救急搬送されて,被告病院整形外科に入院し,翌7月2日からは,被告病院心療内科で精神疾患の治療を受けた。そして,亡E女は,同年11月22日,整形外科は退院したが,被告病院心療内科での通院治療は継続した。当初の傷病名は統合失調症であったが,平成9年7月9日,うつ病と変更されている。当時の担当医師はF医師であったが,平成9年10月から,被告Bが亡E女の担当医師となった(乙A1)。
 (二) 被告Bも亡E女の傷病名をうつ病であると診断し,亡E女は,当初は症状が比較的安定しており,毎月1回程度,被告病院に通院して被告Bの診療を受けていたが,平成13年6月ころから症状が悪化したため,一,二週間に1回程度の通院治療となり,治療頻度が増えていた。
   亡E女は,同年12月8日,自宅納屋で首吊り自殺を図ったが,紐がはずれ,大事に至らなかった(以下「第2回自殺未遂」という)。
 (三) 被告Bは,亡E女を治療するに当たり,種々の薬剤を投与したが,平成13年1月31日ないし平成14年2月28日における投薬状況をみると,平成13年12月7日から平成14年2月28日まで,抗うつ薬であるアナフラニールを,平成13年12月14日から平成14年2月28日まで,抗精神病薬であるセロクエルを処方していた。セロクエルの添付文書には,「慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)」との項目において,「自殺企図の既往及び自殺念慮を有する患者〔症状を悪化させるおそれがある〕」と記載され(甲B1の4),アナフラニールの添付文書にも,「慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)」との項目において,「躁うつ病患者〔躁転,自殺企図があらわれることがある〕」と記載されている(甲B6)。
 (四) 亡E女は,第2回自殺未遂後も被告Bの診察を受けていたが,平成14年2月28日の通院治療後,同年3月9日,本件自殺に及んだ。
二 本件各請求
原告らは,第2回自殺未遂後,亡E女の自殺危険性が高かったことを前提に,被告財団法人の履行補助者兼被用者である被告Bにおいて,①十分な治療と観察の態勢がとれる入院治療に切り替えるか,入院設備の整った医療機関に転医させるべきであったのにこれを怠り,また,②自殺危険性に留意すべき薬剤であるセロクエル及びアナフラニールを処方するに際し,亡E女又は夫の原告A男らに対し自殺の危険等に関する説明を怠った医療契約上の義務違反又は過失があり,そのため亡E女を死亡させたものであると主張し,被告Bに対し民法709条の不法行為責任に基づき,被告財団法人に対し債務不履行責任又は民法715条の不法行為責任に基づき,被告らに対し,①亡E女が被った損害金(逸失利益2901万5073円,葬祭費150万円)についての各相続分(原告A男2分の1,同C及び同D各4分の1),②原告らが被った損害金(原告A男・慰謝料1000万円及び弁護士費用相当損害金250万円,同C及び同D・慰謝料各500万円及び弁護士費用相当損害金各120万円)と,①及び②に対する各被告に対する訴状送達の日の翌日(被告財団法人につき平成16年5月17日,被告Bにつき平成16年5月16日)から各支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の連帯支払いを各請求した。
三 争点
 1 入院治療義務違反等の有無
 2 説明義務違反等の有無
 3 因果関係の有無
 4 過失相殺
 5 損害賠償額 
四 争点についての当事者の主張
 1 入院治療義務違反等の有無
  (一) 原告らの主張
   (1) 亡E女の症状は,平成13年夏ころから悪化し,8月は特に悪く,9月,10月は落ち着いたが,11月からさらに悪化した中で,同年12月8日には第2回自殺未遂に及び,その後も父親を脅かす等の異常行動があり,精神療法や薬物療法によっても症状は改善せず,不眠,不安過呼吸の症状が続いていた。
   (2) 第2回自殺未遂は,明確なサインのないまま敢行されたことからすると,通院治療のままで推移すれば,医師又は家族が再度の自殺企図を予見することは不可能であり,また,自殺未遂経験者の自殺既遂率は非常に高率である上,亡E女の病態の背景には父親の束縛等の家族間の問題,家業の負担の問題があり,そうした問題から一旦引き離すことが必要であった。
   (3) したがって,被告Bは,遅くとも平成14年2月28日までには,入院治療を施すべきであり,被告病院に入院させるか,入院に適した病院に転医すべき注意義務があったのに,これを怠った。
   (4) 平成13年12月10日の受診の際に,被告Bが亡E女に対し、精神科病院への入院を勧めた事実はない。
(二) 被告らの反論
 (1) 亡E女の罹患していたうつ病は,正確にいえば,非定型精神病(分裂感情性障害)又は精神病像を伴ううつ病であった。
   亡E女の症状は,平成14年1月から2月にかけて好転しており,最終通院時においても,亡E女には自殺念慮をうかがわせる自棄的,悲観的発言や態度はなく,また,突飛な行動があった旨の報告もなく,同亡女の自殺を疑わせるべき事情はなく,予見不可能であって,入院治療を要する程の病状にはなかった。
 (2) 被告Bは,亡E女に対し,平成13年6月,同亡女の症状が悪化していた当時,娘の原告Dの統合失調症の症状が思わしくなく,同年8月には,原告A男の営む酒店の大きな働き手であり親族内の緩衝役を果たしていた叔父が大腸癌治療のため入院し,母も病気で入院し,同年9月には上記叔父が死亡するなど,同亡女の症状悪化の背景事情を理解した上で,同亡女に共感的,支持的に接し,真情を吐露させて精神浄化させ,それを共感的に傾聴することなどを通して精神療法を行っていた。
   被告Bは,入院治療への切替も選択肢の一つとして考えており,第2回自殺未遂後の平成13年12月10日の受診時に,亡E女に入院を勧めたが,同亡女は,娘の病気や酒店の経営について心配であることを理由に,明確に入院を拒否し,二度と自殺を図らないと約束したことから,どうしても入院させようとすれば医療保護入院の形をとらざるを得ず,また閉鎖病棟を主とする精神病院への入院となるため,これまで構築してきた医師との信頼関係が壊れることを懸念し,また,被告B自身,同亡女の家庭事情を十分過ぎる程,理解していたことから,原告A男に最大限,同亡女に付き添ってもらうよう了解してもらった上で,外来治療継続を選択したものである。
 (3) ①うつ病患者の自殺防止のためには,うつ病を寛解させることが最良の方法であり,そのためには,開放的な治療が効果的であって,閉鎖治療から開放治療への転換が世界的潮流になっていること,②うつ状態のほとんどは自殺の危険を孕んでいる以上,相当程度具体的な予見可能性があって初めて自殺の予見可能性があると評価すべきものであること,③精神科医療は,診断者と患者との人間的接触を通じてしか,その病状等を捕捉し得ない特殊性を有し,具体的な治療方法については,治療者の個性,人格,個々の患者のあり様によって,各様のものとならざるを得ないことからすると,精神科医には治療方法の選択につき広範な裁量が認められるべきは当然であり,(ア)うつ病寛解に向けたより開放的な治療方法の選択の必要性と,(イ)患者の自殺危険性を比較考量し,明白に(イ)が(ア)に勝る場合でない限り,精神科医の採った開放的な治療方法は裁量の範囲内であり,注意義務違反は存しないというべきである。
 本件では,第2回自殺未遂があったことから当然に,入院適応となるわけではないし,亡E女には明白な自殺のサインもなく,むしろ表情も穏和で家業の税金の処理を行えるような状態であったことからすれば,被告Bにおいて,本件自殺を具体的に予見することは不可能であったもので,原告A男の協力が得られることなどに鑑み,亡E女の通院治療を継続したことは,プロスペクティブには適切な判断であったというべく,当然に,裁量の範囲内であったものといえる。
2 説明義務違反等の有無
(一) 原告らの主張
(1) セロクエルの添付文書の副作用の欄の「慎重投与」の項に,「自殺企図の既往及び自殺念慮を有する患者〔症状を悪化させるおそれがある〕」と記載されているのは,統合失調症を対象にした国内治験において,セロクエルとの因果関係を否定できない自殺企図が安全性評価症例584例中1例(0.2%)見られたこと及び一般的に統合失調症患者において注意すべき事象だからである。全ての抗精神病薬等の添付文書にこの記載がされているわけではなく,上記治験において症例が見られたから,慎重投与と記載されているものである。
(2) アナフラニールの添付文書の「慎重投与」の項に,「躁うつ病患者〔躁転,自殺企図があらわれることがある〕」と記載されているのは,本剤承認前から他の抗うつ剤に記載があったのを踏襲したものであるが,これは,うつ病患者はもともと自殺念慮が高率である上に,躁うつ病の患者は,抗うつ剤治療によりうつ状態が軽快し,躁転した回復期に自殺念慮が起こりやすいことによるものである。平成16年5月12日に厚生省から製薬企業に対して「使用上の注意」の改訂指示に基づき,添付文書の「使用上の注意」の「その他の注意」の項に記載されていた「うつ病の患者では,自殺企図の危険が伴うため,注意すること。また,自殺目的での過量服用を防ぐため,自殺傾向が認められる患者に処方する場合には,1回分の処方日数を最小限にとどめることが望ましい。」との記載を「重要な基本的注意」の項に記載したのは,うつ病患者では自殺企図の危険が伴うことがあるため,より一層の注意が必要であると考えられたことによるものである。
(3) 被告Bは,少なくとも,第2回自殺未遂後は,説明することによる患者,家族の不安よりも,自殺の危険を重視し,上記各投薬による自殺危険性を本人又は家族に伝えて同人らに注意を促すべき義務があり,被告Bは,亡E女又は原告A男に対し,その病状・家庭環境・家族状況等に応じた方法により,上記各薬剤の自殺危険性を説明すべきであったのに,全く説明しなかったもので,医療水準としての説明義務を果たしていない。
(二) 被告らの反論
 (1) 「自殺の既往を有する患者には慎重に投与する」旨の注意書きは,自殺傾向の発生率がセロクエルよりも低いと報告されているリスパダール等他の抗精神病薬についてもあり,セロクエルが特異的に自殺を助長するからというものではない。しかも,抗精神病薬投与患者とプラセボ(偽薬)群での自殺とのリスクに差異は見られない旨の報告もあり,セロクエルが他の薬剤と比較して自殺危険性を高めるという根拠はない。
 (2) 「躁うつ病患者〔躁転,自殺企図が現れることがある〕」との慎重投与の項の記載は,トリプタノール,トフラニール等のほとんどの抗うつ薬の添付文書にもあり,アナフラニールが特異的に,自殺企図を助長するからというものではない。そして,うつ病患者における自殺企図の危険性については抗うつ薬の種類に明らかな差は認められず,むしろ過量服用した直接の結果として高い死亡率がもたらされるとの報告がある一方,アナフラニールとうつ病患者における自殺企図発生を関連させた報告は見られない。
 (3) セロクエルあるいはアナフラニールの投与の際に,医師において,自殺の危険性に留意すべきであるとしても,自殺企図の危険性をことさらに説明することは,患者とその家族が薬剤の服用に懐疑的になり,治療上マイナスでしかない。
 (4) したがって,薬剤服用による重要な副作用等については説明義務があるが,セロクエル及びアナフラニールの自殺企図の危険については,添付文書の注意書に沿った慎重処方が求められるに過ぎず,被告Bには説明義務違反はない。
3 因果関係の有無
 (一) 原告らの主張
①入院治療により,主治医が患者の病状を密に把握できる上,②亡E女の病態の背景には家族間の問題があったから,そこから引き離すだけで自殺の危険は低くなると考えられ,③原告A男の付添いが期待できるから,開放病棟でも自殺危険性が低くなるといえ,④平成12年の調査では,入院患者の自殺既遂率は通院患者のそれより約2割も低いことなどからすれば,亡E女に対し,平成14年2月28日以前に入院治療がなされていたら,同人が同年3月8日に生存していた高度の蓋然性があるか,又は生存していた相当程度の可能性があったといえる。
 (二) 被告らの反論
①精神科病院における入院治療下でも自殺が頻発しており,亡E女に入院治療を施したとしても本件自殺が防止できたとはいえず,②セロクエル及びアナフラニールの服用と本件自殺との間の因果関係は明白ではないし,原告A男らは抽象的な意味での自殺危険性は認識しており,薬剤についての説明を受けたからといって自殺を防止できたわけではないから,原告らの主張する過失はいずれも,結果との間に相当因果関係を有しない。
4 過失相殺(被告らの主張)
①亡E女は,自己の精神疾患の治療を他者に委任しながらも自ら生命を絶ったもので,その事理弁識能力は備わっており,②原告A男は,できる限り亡E女に付き添うことを了解していたにもかかわらず,本件自殺直前,亡E女が投身自殺をなし得る状況を作出したことからすれば,本件の損害発生は,もっぱら,亡E女及び原告ら側の寄与によって発生したもので,民法418条又は722条2項を適用(類推適用)し,過失相殺による8割以上の減額がなされるべきである。
5 損害賠償額(原告らの主張)
 (一) 逸失利益
   亡E女は,死亡時42歳で,主婦として家事に従事し,夫及び両親の経営する酒店の営業を手伝っており,本件の疾病があるほかは健康であった。
   平成14年度の女子平均賃金月額30万3300円を基礎収入として,就労可能な67歳までの逸失利益を,5割の生活費控除をなし,新ホフマン係数15.9441により,中間利息を控除した現価を算定すると,
  30万3300×12×15.9441×0.5=2901万5073円となる。
 (二) 葬祭費 150万円
 (三) 相続承継
   上記損害賠償債権につき,原告A男は2分の1である1525万7536円,その余の原告らは4分の1である各762万8768円を相続承継した。
 (四) 原告らはその愛する妻もしくは母を失い,物心両面に亘る金銭に見積もり難い損害を負った。これを慰謝料として評価すると,原告A男につき1000万円,その余の原告らにつき各500万円をもって相当とする。
 (五) 原告らが本訴提起を余儀なくされ,その訴訟追行を原告代理人らに委任したが,弁護士費用のうち,原告A男につき250万円,その余の原告らにつき各120万円の範囲で,被告らにおいて負担すべきものである。
第三 争点についての当裁判所の判断
 一 入院治療義務違反等の有無について
  1 前提事実に,甲B第15号証,乙A第1,第3号証,原告A男及び被告Bの各本人尋問結果並びに弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
   (一) 被告Bは,平成9年9月より前医から引き継ぎ,亡E女の外来治療を担当していた。同被告は,①亡E女が変調したときの主症状は,抑うつ気分,不安感,不眠,食欲不振等であり,時に衒奇的な態度に出たり思考のまとまりが悪くなるなどの精神病像を伴うが,国際疾病分類の診断基準であるICD-10におけるうつ病に罹患しているものと診断し,②平素は,責任感が強く,懸命に家族の面倒をみつつ,また,家業の酒店のことにも心を砕くなど,主婦兼酒店経営者の一人として,社会適応上良好に過ごしていると考え,③うつ病が増悪したとき,亡E女の社会的機能を生かして全人格を尊重しながら治療することとした。
(二) 亡E女の病状は,平成11年夏ころまでは安定していたが,その後,家族や仕事等の環境的要因による悪化と改善を繰り返し,平成13年6月ころ,娘の病気等を機に病状を悪化させた。
  被告Bは,亡E女の娘の原告Dの統合失調症の症状が思わしくなく,同年8月には,原告A男の営む酒店の大きな働き手であり親族内の緩衝役を果たしていた叔父が大腸癌治療のため入院し,母も病気で入院し,同年9月には上記叔父が死亡するなど,同亡女の症状悪化の背景事情に鑑み,同亡女に共感的,支持的に接し,真情を吐露させて精神浄化させ,それを共感的に傾聴することなどを通して精神療法を行うとともに,薬剤の種類や量を調整しながら,その経過を観察しつつ,用法・用量の範囲内で薬物療法を継続した。
(三) 被告Bは,同年8月28日の診察時,亡E女に,衒奇的で思考にまとまりを欠く状態が見られたことから,行動の抑制がなくなり衝動的な行動に出ることを心配して,薬を増量して処方することとし,それでも症状が改善しなければ,通院治療から入院治療に切り換えることも視野に入れることとした。その後,亡E女の症状は,同月末から同年9月初旬は持ち直したが,同月15日に再び不調となった後,一時的には改善したものの,十分には安定しない状態が続いた。
(四) そのような中で,第2回自殺未遂がなされたことから,被告Bは,その直後である平成13年12月10日の診察時,亡E女に入院治療を施すことも検討したが,①同亡女の態度には衒奇的で思考にまとまりを欠く状態が見受けられず,その態度から再度自殺に及ぶ危険性は感じられなかったこと,②同亡女は,従前より同被告の指示を守ってこまめに通院し,きちんと服薬するなどしており,今後も真摯に通院治療を受けるものと考えられたこと,③通院治療に対する家族の協力が期待できたこと,④当日付き添っていた原告A男から,入院を希望する旨の発言はなかったこと,⑤入院治療を施せば,亡E女の社会的機能は否応なしに損なわれることなどを考慮して,通院治療を継続することとした。
   被告Bは,「亡E女に入院を勧めたが,同亡女は,娘の病気や酒店の経営について心配であることを理由に,明確に入院を拒否した」と供述するが,カルテ等にもその旨の記載がないことなどに照らし,にわかには採用できない。
 (五) 被告Bは,亡E女の診察において,①平成14年1月7日,「年末は平穏に過ごせて,薬を飲むと少し眠気を催した」と報告を受け,同亡女が表情穏和で態度も自然であったことから,不安感が軽減しているものと診断したが,②同月21日には,同亡女が過呼吸発作様の息苦しさを訴え,父親の借金に関する心配を述べたことから,その不安症状が病的なものでなく現実の悩みに基づくものと考え,受容的に傾聴し,③同年2月4日には,同亡女が睡眠良好で,めまいも減り,家業の酒店における税金の事務処理をしている旨報告し,表情は穏和で態度も自然で,憂うつ,不安感等のうつ症状や衒奇等の精神病的症状も認められなかったことから,病状は改善傾向にあると判断した。④しかし,同月18日には,過呼吸発作様の不安症状や不眠等の症状の訴えがあり,原告A男が「一人になると不安な感じ」「まだ突飛な行動が出る心配あり」等と述べたことから,診察間隔を1,2週間に一度と密にした。
(六) 被告Bは,同月28日の診察時(最終診察となる),亡E女から「眠りが浅く過呼吸発作が増えた,すぐ泣く」との訴えを聞いたが,自虐的・悲観的発言や態度等,希死念慮を窺わせる言動はなく,その表情も穏和で態度も自然であったことから,うつ症状はやや増悪したものの,現段階では入院治療に切り換える必要性がないものと判断して,今回は薬剤を増量して処方し,通院治療を継続することとし,3月11日の診察予約をした。
(七) 同月8日,亡E女は,原告A男および原告Dとともに,ガラス細工の展示会の鑑賞に出かけたが,途中で理由なく行方不明となった。亡E女は,原告らが長時間にわたり捜索中,家の近くまで歩いて帰って来た。
  原告A男は,亡E女の上記行動が異常であるとは認識したものの,被告病院に報告することもなく,その後,亡E女が洗い物をして普段の状況に戻ったことに気を許し,入浴中,亡E女は外出し,本件自殺に及んだ。
2 前提事実及び上記認定の事実を前提にして,被告Bの入院治療義務違反等の有無につき検討する。
   (一) うつ病,躁うつ病などの気分障害において生じるうつ状態のほとんどは自殺の危険を孕んでおり(乙B17),また自殺企図の既往は,自殺の危険因子として重要なものであり(乙B14),自殺企図後に自殺既遂に至る危険性は,自殺企図1年以内では一般人に比べて約100倍危険性が高く,その後,危険性は徐々に下がるものの,8年間は危険性は持続するとされている(甲B14)。
     亡E女は,昭和60年7月1日,ビルから投身自殺を図って(第1回自殺未遂),傷害を負い,被告病院で,うつ病との診断のもとに通院治療中,平成13年12月8日,自宅納屋で首吊り自殺を図った(第2回自殺未遂)ものであり,いずれも致死度の高い手段を用いた自殺態様であって,自殺意図の強さを反映している(乙B14)。
     したがって,亡E女は,第2回自殺未遂後も,さらに自殺を図る危険性が高い状態にあったものといわざるを得ない。
   (二) 自殺の危険性の高い患者に対する精神疾患の治療に当たる精神科医は,自殺の危機が繰り返し起きてくる可能性が高いことを念頭において,治療計画を立て,入院治療と外来治療の間で緊密に連携できるような場で治療を進めていく必要がある(乙B15)。その場合,入院治療の適応がある(甲B14)ものと考えて,常時,入院治療を視野においておくべきであるが,後記の精神科治療の特殊性に鑑み,精神疾患の重症度や,家族や周囲の人々から得られる援助の程度,自殺の危険性の具体的切迫性等を考え,外来治療をするのは不相当とはいえず,治療に当たる医師においてその治療の場を見極める必要がある(乙B15)。
   (三) 入院治療においては,開放化が進んでおり,これによって,自殺事故が増加してはいないとの報告がある(乙B19)が,開放病棟の方が自殺既遂率は高く(乙B21),自殺防止を期するためには,患者を拘束し,個室への隔離や間断ない監視等,閉鎖病棟での厳重な看護措置を執ることが要請され,しかも,入院病棟においても,自殺事故は相当程度発生しており,退院後,通院に切替後の自殺事故も後を絶たない(乙B20,21)。
     したがって,うつ病患者の最良の自殺防止方法は,うつ病を寛解させることであって,そうしなければ,最終的な自殺防止を図ることはできない。 そして,精神科医療は,診察者と患者との人間的接触を通じてしか,その病状等を捕捉し得ず,具体的な治療方法については,治療者の個性,人格,個々の患者のあり様によって,各様のものとならざるを得ない特殊性を有し,診察者に対する患者の信頼と患者の自己治癒力が不可欠であって,自殺防止を期するために前記のような厳重な看護措置を執ることは,うつ病患者の効果的治療を妨げる有害な結果となり,治療(即ち最終的な自殺防止の手段)と,当面の自殺防止の措置とは二律背反性を有する(乙B22)。
   (四) そうすると,自殺の危険性の高い患者に対する精神疾患の治療に当たる精神科医は,患者との人間的接触を通じて,その病状等を把握し,当該患者の自殺の危険性の具体的切迫度を見極めながら,精神疾患の寛解に向けた治療を施して行くべき立場にあり,当面の自殺の危険を凌ぐために具体的に切迫した危険性がないのに安易に閉鎖病棟に入院させることも診察上の義務に反する一方,自殺の切迫した危険を認識し得るのに漫然と放置することも診察上の義務に反する立場に置かれている。したがって,その場合,精神科医には治療方法の選択につき,具体的状況に応じた高度な総合的判断が必要とされ,その反面としての裁量的判断が認められるべきところであって,その判断が不合理でない限り,注意義務違反は生じないものというべきである。
   (五) 本件における被告Bの亡E女に対する診療の経緯は,前記認定したところを整理すると,次のとおりである。
    (1) 被告Bは,亡E女が変調したときに,抑うつ気分,不安感,不眠,食欲不振等の症状が生じ,時に衒奇的な態度に出たり思考のまとまりが悪くなるなどの精神病像を伴ううつ病に罹患しているものと診断し,平素は,責任感が強く,社会適応上良好に過ごしていると考え,亡E女の社会的機能を生かして全人格を尊重しながら治療する方針をとってきた。
    (2) 亡E女の病状は,家族や仕事等の環境的要因による悪化と改善を繰り返してきたところ,被告Bは,亡E女の娘の原告Dの統合失調症の症状の悪化や,叔父の入院,死亡,母の入院等,同亡女の症状悪化の背景事情に鑑み,同亡女に共感的,支持的に接し,真情を吐露させて精神浄化させ,それを共感的に傾聴することなどを通して精神療法を行うとともに,薬剤の種類や量を調整しながら薬物療法を継続した。
(3) 被告Bは,平成13年8月28日の診察時,亡E女に,衒奇的で思考にまとまりを欠く状態が見られたことから,行動の抑制がなくなり衝動的な行動に出ることを心配して,薬を増量して処方することとし,それでも症状が改善しなければ,通院治療から入院治療に切り換えることも視野に入れることとした。その後,亡E女の症状は,同月末から同年9月初旬は持ち直したが,同月15日に再び不調となった後,一時的には改善したものの,十分には安定しない状態が続く中で,第2回自殺未遂がなされたことから,被告Bは,その直後である平成13年12月10日の診察時,亡E女に入院治療を施すことも検討したが,同亡女の態度には衒奇的で思考にまとまりを欠く状態が見受けられず,同亡女は,従前より同被告の指示を守ってこまめに通院し,きちんと服薬するなどしており,今後も真摯に通院治療を受けるものと考えられ,切迫した自殺の危険性はないものと判断し,通院治療に対する家族の協力も期待できた上,強引に入院治療を施せば,亡E女の社会的機能は否応なしに損なわれることなどを考慮して,通院治療を継続することとした。
  (4) その後被告Bは,平成14年1月7日の診察時には,亡E女から,「年末は平穏に過ごせて,薬を飲むと少し眠気を催した」と報告を受け,同亡女が表情穏和で態度も自然であったことから,不安感が軽減しているものと診断し,同月21日には,同亡女が過呼吸発作様の息苦しさを訴え,父親の借金に関する心配を述べたことから,その不安症状が病的なものでなく現実の悩みに基づくものと考え,受容的に傾聴し,同年2月4日には,同亡女が睡眠良好で,めまいも減り,家業の酒店における税金の事務処理をしている旨報告し,表情は穏和で態度も自然で,憂うつ,不安感等のうつ症状や衒奇等の精神病的症状も認められなかったことから,病状は改善傾向にあると判断した。
  (5) しかし,同月18日には,過呼吸発作様の不安症状や不眠等の症状の訴えがあり,原告A男が「一人になると不安な感じ」「まだ突飛な行動が出る心配あり」等と述べたことから,診察間隔を1,2週間に一度と密にした。被告Bは,同月28日の診察時(最終診察となる),亡E女から「眠りが浅く過呼吸発作が増えた,すぐ泣く」との訴えを聞いたが,自虐的・悲観的発言や態度等,希死念慮を窺わせる言動はなく,その表情も穏和で態度も自然であったことから,うつ症状はやや増悪したものの,現段階では入院治療に切り換える必要性がないものと判断して,薬剤を増量して処方し,通院治療を継続した。
   上記事実に照らすと,被告Bにおいて,亡E女が自殺する抽象的な危険性があるとしても,自殺を図る具体的で切迫した危険性まではないものと考え,治療方法,治療効果等の点も考慮の上,入院させる措置を選択しなかった判断が不合理であるとは認め難いから,被告Bに,医療契約上の注意義務違反は認められない。
 二 説明義務違反等の有無について
  1 前提事実に,甲B第1の1ないし5,第6ないし第9,第17号証,乙A第1,第3号証,乙B第1ないし第12(第8ないし第12は翻訳を含む),第17号証,被告Bの本人尋問結果並びに弁論の全趣旨を総合すると,次のとおり認められる。
   (一) セロクエルの添付文書には,著しい血糖値の上昇に伴う重大な副作用が発現し,死亡に至る可能性があるとして,上記副作用について患者及びその家族に十分に説明することが必要であること(【警告】という冒頭の欄に赤字で記載されている)や,高齢者・妊産婦等・小児等への投与,過量投与については具体的な注意事項が記載されているものの,自殺企図の既往及び自殺念慮を有する患者に対しては,抽象的に「慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)」と記載されているに過ぎないところ,【用法・用量】の欄において「患者の状態に応じて徐々に増量する。通常,1日投与量は150~600mgとし,2又は3回に分けて経口投与する。なお,投与量は年齢・症状により適宜増減する。但し,1日量として750mgを超えないこと」旨記載されていること,抗精神病薬投与が自殺危険性を高めるという医学的根拠は明確でない上,セロクエルの治験584例中1例に自殺企図がみられたに過ぎないこと,他の抗精神病薬の添付文書にも同様の記載があることを併せ考えれば,上記記載は,慎重に経過観察して過量投与を避けるべきことを注意喚起するに過ぎないものというほかない。
   (二) アナフラニールの添付文書には,セロクエルのように患者らに説明すべき事項に関する記載はなく,「重要な基本的注意」との項目において,「うつ病の患者では,自殺企図の危険が伴うため,注意すること。また,自殺目的での過量服用を防ぐため,自殺傾向が認められる患者に処方する場合には,1回分の処方日数を最小限にとどめることが望ましい」旨,「慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)」との項目において,「躁うつ病患者〔躁転,自殺企図があらわれることがある〕」旨記載されているが,この記載は,高齢者・妊産婦等・小児等への投与,過量投与の項目における具体的な記載と比べて抽象的なものであるところ,【用法及び用量】欄の「アナフラニール錠10mg うつ病・うつ状態には,通常成人には1日5~10錠を1~3回に分割投与する。ただし,症状により適宜増減するが,1日最高量22錠までとする」という記載,抗うつ薬投与が自殺危険性を高めるという医学的根拠は明確でない上,アナフラニールの治験中に躁転した症例はみられないこと,他の抗うつ薬の添付文書にも同様の記載があることを併せ考えれば,上記記載は,慎重に経過観察して過量投与を避けるべきことを注意喚起するに過ぎないものというほかない。
   (三) 医師において,患者やその家族に,自殺企図の危険性をことさらに説明することは,患者とその家族が薬剤の服用に懐疑的になり,治療効果が阻害されることになることは否定できない。
2 そうすると,セロクエルあるいはアナフラニールの投与が患者の自殺危険性を高めることの確たる医学的根拠は認め難く,他方で,患者やその家族に,自殺企図の危険性をことさらに説明することが,治療効果を阻害する結果となることに鑑みると,被告Bにおいて,亡E女やその家族である原告らに対し,セロクエルあるいはアナフラニール投与が自殺危険性を高める旨の説明をしなかったことが,医療契約上の説明義務違反等を構成するものとは認められない。
 三 してみれば,その余の点につき触れるまでもなく,原告らの本件請求はいずれも理由がないから棄却すべく,訴訟費用の負担について民訴法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
   岡山地方裁判所第1民事部

       裁判長裁判官    金  馬  健  二


          裁判官    徳  岡     治


          裁判官    髙  橋  孝  治