hanrei @Wiki H17. 8.10 広島高等裁判所岡山支部 平成17年(う)第80号 殺人被告事件



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被告人の妻が不貞をして出産した子(当時2歳)に対する被告人の不作為による殺人被告事件について,被告人は殺意を持って妻と黙示の共謀をしたと認定した原判決に対する事実誤認,法令適用の誤りを理由とする被告人からの控訴に対し,控訴が棄却された事例


           主         文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中70日を原判決の本刑に算入する。
                  理         由
1 本件控訴の趣意は,弁護人杉本秀介作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから,これを引用する。
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討し,次のとおり判断する。
2 控訴趣意中,事実誤認について
論旨は,要するに,原判決は,被告人が,妻のAが不貞をして出産した子であるBを引き取ったが,平成15年10月26日B(当時2歳)が生命に危険を生じかねない重い熱傷を負ったことを知り,さらに,遅くとも同月29日午前3時ころ,そのままBに医療機関の治療を受けさせないで放置すると,Bが死亡することを予見しながら,これを認容し,もって殺意を抱き,Aと暗黙のうちに意思を相通じ,Bを自宅の押入に入れるなどして放置し,同年11月2日午前5時ころ,Bを上記熱傷による敗血症のため死亡させたという,殺人の事実を認定したが,被告人には殺意がなく,被告人とAとの間に黙示の共謀もなかったので,被告人がBに対する殺意を持ってAと黙示の共謀をしたと認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある,というのである。
この点につき,関係各証拠によると,(1)Bは,前額部,左顔面,後頭部,後頸部,左右側頸部及び背部に合わせて体表面積の20パーセントの第2度の熱傷を負い,体表に形成された水疱が破れて真皮が露出し,その血管から細菌に感染して敗血症に罹患し,これが原因で死亡したもので,栄養状態が悪くて抵抗力が弱っていたとはいえ,死亡の前日であっても,医師による適切な処置が施されておれば救命された可能性があったこと,(2)Bは,平成13年10月20日に出生したが,平成15年11月3日の解剖時,体重が7キログラムで,平均的な2歳児に比べて明らかに体重が少なく,しかも1,2歳の女児では平均28.12グラムある胸腺の重さが4グラムしかなく,暴力的な虐待を受けた形跡はなかったものの,以前から食事を満足に与えられず,精神的な虐待を受けていたと推測されたこと,(3)Aは,不貞により妊娠してBを出産し,Bを乳児院に預けたまま被告人方に戻った,平成15年4月19日から被告人の了解を得てBを自宅に引き取ったが,同年5月ころから被告人がBを避けるようになり,被告人に負い目を感じていたため被告人の気に入るようにしようと思い,精神的に追い詰められ,同年6月ころからBを居間の押入に閉じこめ,同年7月に入ると十分な食事を与えなかったため,同年8月ころにはBが急激にやせ細ったこと,(4)Aは,同年10月25日夕方,被告人が「わしの子じゃねえけえ。」などと言ったうえ,Bに与える毛布がないのを知りながら「風邪を引かさんようにせえ。」と言ったことで,わざとらしく心配するような口振りをしたとして憤まんの情を募らせ,さらに同月26日午前零時ころ,Bを風呂に入れようとしたとき,警戒するような目つきでにらまれたため,激情に駆られ,Bに熱湯を浴びせて上記熱傷を負わせたが,浴槽の水で冷やした後,消毒してガーゼを当てただけで,食事を十分与えていないなどのそれまでの虐待の事実の発覚をおそれて病院に連れて行かなかったこと,(5)Aは,その後も毎日ガーゼ交換をしてBの手当をすると共に1日3度の食事を与えていたが,同月28日にはBが立ち上がれなくなったうえ,夕方に嘔吐し,同月29日午前3時ころにはぐったりした様子で,日毎に衰弱しており,Bの死が迫っていることを認識したにもかかわらず,なお虐待の発覚をおそれ,病院に連れて行かず,Bが死亡しても構わないとの決意を固め,同年11月2日午前5時ころBを死亡させたこと,(6)一方,被告人は,同年4月ころ,世間体等を考えてAとは離婚せず,やむなくBを引き取ったが,Bの姿からAの不貞が想起されて苦痛を感じ,その存在を無視し続けたため,Aが被告人の面前で食事を与えないなどBを蔑ろにするようになり,同年8月ころには,AがBを乳児院に連れて行くと言い出したものの,Bがやせ細っていたため,虐待の発覚をおそれ,乳児院に連れて行かせなかったこと,(7)被告人は,同年10月26日,Bが上記熱傷を負ったことを知り,Aが熱傷を負わせたかも知れないと察知し,しかも自宅で治療できるような熱傷ではないと認識し,一応救急当番医院を探してAに連れて行くよう指示したものの,Aが自分で治療すると言い張ったことや,自ら病院へ連れて行くとやはりBに対する虐待の事実が発覚すると思ったことから,AにBを病院へ連れて行くようそれ以上強く勧めず,自分で病院へ連れて行くこともしないまま,押入からBのうめき声が聞こえても放置したこと,(8)被告人は,同月29日午前3時ころ夜勤明けで帰宅した際,その途上でAからBが吐いたと聞いたので様子を確かめ,押入の奥でぐったりしたBを抱きかかえるように押入から出して乳酸菌飲料をすすらせ,同日昼前ころにもBに飲料を与えたが,同月30日午前3時ころ帰宅したときは押入からBの声が聞こえず,Aがガーゼ交換をしたときにBが泣き叫んだことに驚き,同日昼前ころ起きたときにもBの声は聞こえず,死が間近であると察しながら放置したことの各事実が明らかである。
以上の認定事実を基に判断すると,被告人は,同月26日午前零時ころBが熱傷を負った後,AのBに対する虐待及び自らもそのような状態を放置し続けていたことが発覚することをおそれ,医師の治療を受けさせず,押入からBのうめき声が聞こえても放置し,AからBが吐いたと聞いて様子を確かめ,同月29日午前3時ころ押入の奥でBがぐったりしているのを認めたのであるから,その時点でBの容体が死を予見させるほど重いことを認識したことは明らかであるが,他方,被告人は,Aが毎日ガーゼ交換をしたり食事を与えたりしてBの日毎に衰弱する様子をつぶさに認識していたのとは異なり,Bが上記熱傷を負った日に一旦は病院に連れて行くよう指示しているうえ,夜勤の多い勤務体制の影響もあり,同月26日から同月29日午前3時ころまでの間Bの衰弱していく様子を熟知してはいなかったこと,また,被告人がそのころBを押入から出して飲料を与えた行為は,自己の罪障感を軽減しようとしたものと見る余地がある一方,救命の効果はともかく,少なくともBの生命に対する配慮から出たものと見る余地もあり,Bの死を認容していた者の行為に必ずしもそぐわない側面があることに徴すると,被告人が同月29日午前3時ころBが極度に衰弱していることを知ったことから,直ちにその時点でその死を認容したと認めるにはなお若干の疑問が残るというべきである。しかしながら,被告人は,上記のとおり同月29日にBがぐったりし,危険な状態となっているのを確知したのであるから,同月30日午前3時ころ押入からBの声が聞こえないことに気付き,同日昼前ころにもBの声は聞こえなかったにもかかわらず,Bを押入に入れたまま,全く救命のための措置をとることなく放置したことは殺意を推認させる行動であるといわざるを得ず,被告人は,遅くとも同月30日昼前ころ,Bの死が目前に迫っていることを認識しながら,Bが死に至ることを認容し,この時点で,被告人がBに対する未必的な殺意を抱き,既にBの死亡を認識し認容していたAと意思を相通じ,被告人とAとの間に黙示の共謀が成立したというべきである。
したがって,原判決が,被告人においてBに対する殺意を抱き,Aと暗黙のうちに意思を相通じて共謀したと認定したこと自体は相当であるが,その殺意の発生及び共謀の成立の時期につき,平成15年10月30日昼前ころと認定すべきであったのに,被告人の捜査段階の自白を過信し,被告人の殺意発生になお疑問の余地の残る「遅くとも同月29日午前3時ころ」と認定した点に事実の誤認があるといわざるを得ないところ,この点は判決の結論に影響を及ぼすものではないので,原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるとまでは認められない。
結局,論旨は理由がない。
3 控訴趣意中,法令適用の誤りについて
論旨は,要するに,原判決は,被告人がBに対する刑法上の保護義務を負い,Bに医療機関による治療を受けさせるべき地位にあったので,被告人の不作為が殺人の構成要件に該当すると判断したが,実母であるAがBの世話を全面的に引き受け,また熱傷を負わせたという先行行為により被告人よりも強度の保護義務を負っており,AがBに医療機関による治療を受けさせることが十分期待できたのであるから,被告人の不作為が作為による殺人と同様の類型的危険性を有するものとはいえないので,被告人の不作為が殺人の構成要件に該当すると判断した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある,というのである。
しかしながら,前述のとおり,被告人は,Aの不貞行為により出産した子であるBを被告人方に引き取って養育することを了解したものの,その存在をことさら無視する冷淡な態度を取り続け,そのため精神的に追い詰められたAがBを虐待するのを放置し,さらにAがBに熱傷を負わせた後も,自宅で治療できるような熱傷ではないことを認識し,かつ,Bに医師の治療を受けさせられる立場にあるのがAと被告人だけであったにもかかわらず,Aと同様,虐待の発覚をおそれて医師の治療を受けさせないこととしたうえ,押入からBの声が聞こえなくなってBの生命に切迫した危険が生じた後も,なおBに対する虐待の発覚をおそれ,Bに医師の治療を受けさせなかったため,Bを死亡させたものである。そうすると,被告人は,(1)Aの不貞行為の結果出産した子であるBを乳児院から引き取って同居したことにより,たとえそれが被告人にとって不本意な決断であったとしても,少なくともBが健全に生育できるような生活環境を整えるべき法的義務を負担したと解されること,(2)平成15年10月29日ころには,Bが重度の熱傷により生命の危険があるほど衰弱していることを確知し,Bを救うことができるのはA以外には被告人しかいないことを十分認識していたこと,(3)その熱傷はAが負わせたと察知し,かつAがそのような行為に及んだのは,被告人がBの存在を無視する態度を取ってAを精神的に追い詰めたためであることを熟知しており,被告人が積極的にBの生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる行為をとらない限り,Bが自発的にそのような措置をとる可能性が極めて低いことを十分認識していたことの3点が明らかである。以上によれば,被告人には,遅くとも同月30日昼前ころの時点において,Bに緊急の医療措置を受けさせるべき法的義務があり,かつその義務を尽くすことは十分可能であったといわなければならない。それにもかかわらず,被告人は,未必的な殺意をもって,上記医療措置を受けさせないまま放置してBを死亡させたのであるから,被告人がBに上記医療措置を受けさせなかったという不作為は,作為によってBを殺害する行為と構成要件的に等価値であり,殺人罪の構成要件が予定する違法類型に当たると評価すべきものである。一方,Aは,被告人に負い目を感じていたため,Bを押入に閉じこめ,十分な食事を与えなかったうえ,Bに熱傷を負わせながら,虐待の発覚をおそれて医師による治療を受けさせず,Bを熱傷による敗血症のため死亡させたのであるが,AがBの実母であること,Bを被告人方に引き取って養育していたこと,自らBに熱傷を負わせてその生命に切迫した危険を生じさせたことを考慮すると,Aにつき不作為による殺人罪が成立することは明らかである。したがって,被告人は,Aと暗黙のうちに意思を相通じ,被告人とAの各不作為によりBを死亡させたのであるから,被告人とAが共同して作為によりBを殺害した場合,すなわち殺人の実行共同正犯と構成要件的に等価値であると評価することができ,不作為による殺人の実行共同正犯が成立するといわなければならない。
したがって,原判決が(罪となるべき事実)と(事実認定の補足説明)第7の3でそれぞれ説示するところは,作為義務発生の根拠についていささか不明確な部分が認められるものの,結局のところ被告人の不作為が殺人の構成要件に該当する行為(実行行為)であると判断したものと解されるので,その判断は結論において相当である。
論旨は理由がない。
4 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審における未決勾留日数中70日を原判決の本刑に算入し,当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととし,主文のとおり判決する。
  平成17年8月10日
   広島高等裁判所岡山支部第1部

            裁判長裁判官   安   原       浩


               裁判官   河   田   充   規


               裁判官   吉   井   広   幸