hanrei @Wiki H17. 8.18 広島地方裁判所 平成13年(ワ)第1512号 損害賠償請求事件



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 眼内レンズ移植術を受けたところ脈絡膜出血を起こしてその後右眼失明に至った場合につき,説明義務違反,手術に関する過失の主張がいずれも排斥された事例



主文
          1 原告の請求を棄却する。
          2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請 求
  被告は、原告に対し、3900万円及びこれに対する平成12年9月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
  被告の開設するA病院で原告が右眼に眼内レンズを縫着する手術(以下「本件手術」という)を受けたところ、術中に脈絡膜出血を起こすなどして右眼失明に至った。この点につき説明義務違反、術中の手技の誤り及び出血に対する処置の懈怠の各過失があると主張して、医療契約上の債務不履行及び不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提事実(争いのある事実は、認定証拠を該当箇所に掲記する)
(1) 当事者
ア 原告(昭和16年1月28日生)は、17年前に白内障の手術を受け、その後、両眼にコンタクトレンズを使用していたものである。
イ 被告は、A病院を開設し、医療業務を営むものである。
(2) 医療契約の締結
原告は、平成12年9月6日、A病院に入院し、翌7日に本件手術を受けることとなった。その際、原被告間において、眼科を有する総合病院として、被告が最善の注意義務を尽くして眼内レンズ縫着術を実施し、重篤な合併症等を起こさないよう最善の注意を払い、さらに、合併症を起こした場合には最善の注意を払って救急処置に当たる旨の医療契約が成立した。
(3) 眼球の構造(甲14)
眼球の構造は以下のとおりである。
ア 眼球壁は外の線維層、中間の血管色素層、内の神経層の3層が区別される。
  眼球前面の透明な角膜、及び眼球の残りの外表部分の不透明な強膜が眼球壁線維層をなす(角膜と強膜は繋がっている)。
  血管色素層は後方から前方に向かって脈絡膜、毛様体、虹彩が順に眼球壁色素層をなす。毛様体は後方で脈絡膜に、前方では虹彩にそれぞれ接続する。毛様体輪、毛様体突起、毛様体筋で毛様体が構成される。虹彩は収縮能に富み、色素を含むような1枚の薄い隔膜(角膜と水晶体の間に存在)であり、その中央にある穴が瞳孔をなす。虹彩と角膜の間を前房(前眼房)、虹彩と水晶体の間を後房(後眼房)という。いずれの眼房も水様の液(眼房水)で満たされる。
  網膜は外周の色素上皮層(脈絡膜に接する)と内部の神経層(硝子体に接する)からなる。
イ 眼房水、硝子体及び水晶体が眼球の内容物である。硝子体は水晶体よりも後方における眼球内容物であり、透明なゲル状物質の形で存在する。水晶体は透明で前後に凸面を備える構造であり、透明な被膜により包まれながら、虹彩と硝子体に前後から挟まれて周囲を毛様体突起群で囲まれるような眼球内位置を占める。
(4) A病院における診療経過等
ア A病院における受診歴
(ア) 昭和57年12月22日から、右眼白内障で外来受診
(イ) 昭和59年1月19日、右眼水晶体嚢内摘出術(ICCE)
(ウ) 昭和62年5月19日から、左眼白内障で外来受診
(エ) 昭和62年11月17日、左眼水晶体嚢外摘出術(ECCE)
(オ) 昭和62年12月4日から、術後経過観察及びコンタクトレンズの調整で受診
イ 平成12年5月24日
(視力) 右眼矯正0.7 左眼矯正0.7
(眼圧) 右眼10 mmHg 左眼14 mmHg
(所見) 瞳孔領に硝子体脱出あり
眼底両眼異常なし
(角膜内皮細胞検査)
右眼1000個/mm2 左眼1500~2000個/mm2
(説明) 原告から眼内レンズ縫着希望あり
原告は、コンタクトレンズは外れやすいし、今後事務系の仕事から外で働く仕事に異動することになったので、その仕事のためにほこりが入りやすいコンタクトレンズを中止したいとの希望を述べる。原告は、担当医師の話を聞いた後、手術を選択する
ウ 平成12年9月6日
入院
(視力) 右眼0.03(矯正視力0.4) 左眼0.03(矯正視力0.8)
(眼圧) 右眼12 mmHg 左眼20 mmHg
(所見) 眼瞼 異常なし
結膜 充血なし
角膜 透明
前房 深度-正常 内容-硝子体ヘルニアあり
水晶体 右眼-水晶体嚢なし 左眼-水晶体嚢鼻側は確認できる
眼底 左右とも、乳頭境界鮮明で色調良好、異常なし
エ 平成12年9月7日(エ全体につき乙2)
右眼内レンズ縫着術(本件手術)
12時50分 術前処置開始
グリセオール200 ml(眼圧降下剤)、KN3B 200 ml(電解質輸液)+アドナ100㎎(血管強化・止血剤)+セファメジン1 g(セファロスポリン系抗生物質)を点滴静注
ダイアモックス1錠(炭酸脱水酵素抑制剤・眼圧低下剤)、アタラックス20㎎(精神安定剤)を投与
13時55分 入室、洗眼、局所麻酔 血圧138~92 脈拍60 酸素飽和度97
14時04分 手術開始       血圧141~91 脈拍55
結膜を半周切開
強膜弁作成、上方に7 mmの強角膜切開
スリットナイフで前房に穿刺、前部硝子体切除を眼内還流液ボトルの位置を下げて行う
創口を拡大し、27ゲージ針で強膜弁の下から前房に穿刺
pc-9糸(縫着用針つき糸)を眼内レンズに固定した後、前房から強膜側へ誘導
反対側のpc-9を通糸した後、眼内レンズを眼内に誘導したが、耳側の光学部の固定が困難で時間を要する
血圧133~88 脈拍49 酸素飽和度96
人工レンズ縫着
15時15分 局所麻酔追加、強膜を縫合、結膜を縫合
16時20分 手術終了 血圧138~86
手術室から帰室、ガーゼ汚染なし
17時    ボルタレン50㎎(消炎鎮痛剤)座薬投与
19時    眼痛、気分不良なし
オ 平成12年9月8日
(所見) 右眼球結膜わずかに充血
角膜 デスメ膜すう壁軽度あり
前房 正常よりやや深め、炎症細胞あり
前房出血あり
眼内レンズ後方に硝子体混濁、前房出血のため詳細不明
(眼圧) 右眼19 mmHg 左眼19 mmHg
(対光反応) 左眼 相対性求心性瞳孔反応欠損なし
眼痛なし
(指示) 安静、昼は坐位、ベッド挙上10度のこと
(処置) 眼内炎症強いためデカドロン0.5 ml(副腎皮質ホルモン)結膜下注射、平常どおり点眼及び内服を行う
アドナ100㎎+セファメジン1 g+生理食塩水100 mlを点滴静注
カ 平成12年9月9日
(所見) 右眼 前房に脱出した硝子体に付着した出血あり
フィブリン膜、昨日よりは減少
前房出血あり
角膜 デスメ膜すう壁あり 浮腫あり
前房 深度正常 炎症細胞(+++)
眼内レンズ 固定良好
瞳孔 正円ではない
(視力) 右眼 光覚弁
(眼圧) 右眼12 mmHg
(処置) 同月8日と同様にデカドロン0.5 ml結膜下注射
アドナ100㎎+セファメジン1 g+生理食塩水100 mlを点滴静注
キ 平成12年9月10日
(所見) 結膜 充血軽度
角膜 デスメ膜すう壁あり 浮腫あり
前房 周辺部はややせまい 炎症細胞(++)
   前房出血あり
眼内レンズ 表面にフィブリンあり
瞳孔 上方に切れ込み
(眼圧) 右眼12 mmHg
(処置) 本日も炎症強いのでデカドロン0.5 ml結膜下注射
   (眼内炎症は少しずつ軽快し、出血も吸収されてきている)
ク 平成12年9月11日
(所見) 角膜 かなり透明になってきた
眼内レンズ後面に膜状組織 毛様体扁平部?
(視力) 右眼 光覚弁 左眼 矯正0.8
(検査) 超音波検査にて網膜剥離はなかった
(処置) デカドロン0.5 ml結膜下注射
ケ 平成12年9月12日
(所見) 球結膜 充血軽度
角膜 デスメ膜すう壁(+)だが、浮腫は軽減
前房 炎症細胞(+)だが、減少
瞳孔 ハンモック状
眼内レンズの後方に茶色の膜状組織あり
眼内レンズの表面に色素付着あり
硝子体ヘルニア(脱出)あり
(処置) デカドロン0.5 ml結膜下注射
コ 平成12年9月13日
(所見) 右眼 前房に脱出した硝子体に付着した出血あり
前房出血あり
毛様体扁平部-脈絡膜剥離
その後方は網膜の色調のよう
下方で網膜の血管がわかる
視神経乳頭不明
(眼圧) 右眼12 mmHg
(処置) アドナ100㎎+プレドニン(副腎皮質ホルモン)40㎎+生理食塩水100 mlを点滴静注
B病院眼科受診
 脈絡膜下出血があり、手術で復位させた方がよいだろうとのこと(E医師)。月曜日に再診し、B病院で手術となる予定
サ 平成12年9月14日
(処置) アドナ100㎎+プレドニン30㎎+生理食塩水100 mlを点滴静注
ダイアモックス(炭酸脱水酵素抑制剤・眼圧低下剤)3錠
アスパラK(カリウム補給剤)3錠
シ 平成12年9月15日
(所見) 球結膜 わずかに充血
角膜 平滑で透明
前房 正常よりやや深い
瞳孔 中等度散瞳、上方にとがっている
眼内レンズ後方に毛様体と思われる膜状組織がみられる
毛様体-脈絡膜剥離は変わらず
眼底 詳細不明
(眼圧) 右眼12 mmHg
(検査) 視力 右眼光覚弁
     光投影はっきりせず
対光反応 左眼相対性求心性瞳孔反応欠損(±)
超音波検査 網膜剥離なさそう
(処置) アドナ100㎎+プレドニン30㎎+生理食塩水100 mlは効果がみられないため本日で中止する
ス 平成12年9月16日
(所見) 球結膜 わずかに充血
角膜 平滑で透明、デスメ膜すう壁(+)やや増強
前方に脱出した硝子体が混濁している
眼内レンズ 後方に毛様体と思われる塊あり
前房 正常よりやや深い、炎症細胞(±)
前房に脱出した硝子体に付着した出血あり
   硝子体の混濁が少し増強
(眼圧) 右眼15 mmHg
(処置) デカドロン0.5 ml 結膜下注射
念のため抗生剤投与 スリペラゾン1 g(抗生剤)+生理食塩水100 mlを点滴静注(朝夕)
ダイアモックス3錠
アスパラK3錠
タリビッド(抗菌剤・点眼薬)
ジクロード(消炎鎮痛剤・点眼薬)
0.1%フルオメソロン(副腎皮質ホルモン・点眼薬)
ミドリンp(散瞳剤・点眼薬)
セ 平成12年9月17日
(所見) 前房蓄膿、前房出血なし
デスメ膜すう壁やや増強
(眼圧) 右眼11 mmHg
(処置) スリペラゾン1 g+生理食塩水100 mlを点滴静注
A病院を退院
ソ 原告は、平成12年9月18日と10月2日の2回にわたってB病院眼科で手術を受け、同年10月27日に退院し、通院を続けたもののこれ以上の改善の見込みがないので、自宅近くの眼科で診てもらうように言われた(甲1、8、9)。
そこで、原告は、再びA病院を受診することとした。
タ 平成13年1月31日
(視力) 右眼 手動弁  左眼 矯正0.8
(所見) 球結膜 わずかに充血
角膜 デスメ膜すう壁あり、全体に肥厚
前房 正常よりやや深い、炎症細胞なし
瞳孔 正常よりやや大きい
眼内レンズ 不明
眼底 詳細不明
(眼圧) 右眼 4 mmHg 左12 mmHg
(検査) 超音波検査では網膜剥離不明
チ 平成13年2月21日
(所見) 眼瞼幅 右4.0 mm 左6.0 mm
球結膜 充血なし
角膜 デスメ膜すう壁あり 中等度
前房 やや深い
(視力) 右眼 光覚弁
 2 争点及び当事者の主張
(1) 説明義務違反の有無
ア 原告の主張
(ア) 一般に、眼内レンズ縫着術は硝子体出血や網膜剥離を起こしたり水疱性角膜症を発症したりする可能性があり、その結果視力低下や失明に至る危険性のある手術である。殊に、原告については、以前に受けた白内障手術が完璧でなく、硝子体脱出、瞳孔偏位、角膜内皮細胞減少が生じていたため、思いがけない合併症やさらなる角膜内皮損傷が起こり得る状態にあり、コンタクトレンズが装用可能な限り手術は控えるべきであった。したがって、A病院の担当医師は、原告が眼内レンズ移植手術を希望しても、思いがけない合併症等が予想されるためコンタクトレンズの装用が可能な限り手術は控えるべきことを正確に分かりやすく説明する義務があったのにこれを怠ったため、原告は本件手術を受けて失明したものである。
(イ) 被告はA病院のカルテの記載等を根拠として合併症の説明をした旨主張する。しかし、本件手術直後から原告の右眼は光覚のみとなり、その原因について原告側とA病院の間で何度かやりとりがあったのであるから、被告が将来の紛争を予想してカルテを書き替えた疑いがある。
イ 被告の主張
以下のとおり、A病院の担当医師は、原告に対し、眼内レンズ縫着術の危険性及び合併症について説明し、原告はそれを了解した上で手術を選択したものである。各説明はカルテにも記載されている。
(ア) 平成12年5月24日の説明(乙1・36頁)
A病院の医師Cは、原告から眼内レンズ縫着の希望があったので、角膜内皮細胞の余裕は余りないが手術は可能であろうこと、結果は手術をやってみないと分からないこと、水疱性角膜症発症の可能性があること、視力はコンタクトレンズ程には出にくいこともあることなどを説明した。そして、コンタクトレンズの装用続行か眼内レンズ縫着術かを選択してもらったところ、原告は強い希望で手術を選択した。
(イ) 平成12年9月6日の説明(乙2・9頁)
  A病院の医師Dは、原告に対し、眼内レンズ縫着術について、術後、硝子体出血や網膜剥離が起きる可能性があること、これらが起こるとさらに何回か手術をしなければならなくなったり視力が低下したりすること、手術が成功してもコンタクトレンズより視力が低下すること、水疱性角膜症が起こる可能性があり通常の白内障手術より合併症の多い手術であることを説明し、万一のことを考えて手術は視力の悪い右眼から行うよう勧めたところ、原告はその旨了解した。
(2) 技術的な過失の有無等
ア 原告の主張
(ア) 脈絡膜出血を起こした過失
  本件手術の担当医らは、本件手術を実施する際、脈絡膜出血等の合併症を発症させないように慎重に手術をする義務を負っていた。そして、脈絡膜出血は術者の不注意や技量不足、装置の設定ミスなどが原因となるとされているところ、本件では術中に脈絡膜出血が起こったのであるから、本件手術の担当医らには、予防措置の点を含めて、技術的な過失があったものと推定すべきである。
  なお、本件手術後の出血は切開による眼圧低下、通針時の眼球変形による急性脈絡膜出血であり、典型的な駆逐性出血とは異なるものの病態的には駆逐性出血の前段階又は程度の軽い状態であり、発生メカニズムは同じである。
(イ) 術中に眼底検査、創口の閉塞、強膜切開を怠った過失
  本件手術の担当医らは、術中に何らかの異常(硝子体圧の上昇)に気付いた時点で眼底検査を行う義務があり、また術中に網膜・脈絡膜に異常を感じた時点で即座に創口を閉鎖して眼内圧を高め、眼圧測定・眼底検査を行い、脈絡膜出血を認めた場合は強膜切開を行う義務があったにもかかわらず、これらを怠った過失がある。
イ 被告の主張
(ア) 脈絡膜出血を起こした過失について
a 出血の病態について
  本件手術における原告の出血は駆逐性出血の前段階である脈絡膜出血であると考えられ(臨床的には駆逐性出血とは区別される)、稀な合併症である。脈絡膜出血の原因として、一般的には眼内圧の変動が最も重要であると考えられている。もっとも、脈絡膜血管が脆弱化している場合は予防措置を行ったとしてもこれを完全に防ぐことはできない。
b 術前の出血予防措置について
  A病院では、出血の発生を防止するために、術前に出血の予防措置を十分に行った。右眼の眼圧は入院時(手術前日)で12 mmHgと正常範囲内であり、術前には低眼圧、低眼窩内圧を確保するために炭素脱水酵素阻害剤(ダイアモックス)1錠の内服、高浸透圧剤(グリセオール)の点滴を行っている。
c 手技的な過失について
  本件手術は、後房レンズの毛様溝縫着術であり、具体的な手術方法は次のとおりである。
(a) 球後麻酔を行った後、強角膜の半層切開を行い、3 mmの創口で前房に穿刺、眼内に灌流を行いながら、眼内レンズを挿入しやすくするため、前部硝子体切除を行う。
(b) 縫着専用の直径7 mmの眼内レンズの支持部に縫着専用糸(pc-9)を固定。耳側と鼻側の強膜から毛様溝に向けて27ゲージ針を穿刺。創口から縫着用針を眼内の27ゲージ針に向けて挿入し、毛様溝から眼外に通糸する。
(c) 眼内レンズを挿入するため創口を7 mmに拡大し、眼内レンズを眼内に誘導した後、糸を強膜に縫合し眼内レンズを固定する。
手術時間は2時間16分で、慎重に手術を行っており、術中の脈絡膜出血を引き起こすようなものは何らなく、手技的な過失はない。眼内レンズ縫着術においては、毛様溝部に通糸することや虹彩に接触することなどによって前房出血や硝子体出血を生じる可能性がある。これらは脈絡膜出血とは全く関連性がなく、また針先が直接網膜や脈絡膜を穿孔することはない。
(イ) 術中に眼底検査等を怠った過失について
  原告の出血は典型的な駆逐性出血ではなく、術中に脈絡膜出血が発生したことを認識することは不可能だったのであり、この点にも過失はない。
  手術後しばらくは前房出血のため脈絡膜を確認できず、A病院の担当医らは、平成12年9月11日、眼内レンズ後面に膜状組織を確認し、超音波検査を行って初めて脈絡膜出血又は脈絡膜剥離を疑い、同月13日、確定診断と手術の要否を判断するため、原告をB病院に紹介したのである。その結果、脈絡膜出血は自然消退することもあるので、内服治療を行い、消退しないようなら強膜切開術で出血を除去することとして経過を観察したものの自然消退の傾向がないため、手術のためB病院に転院することになった。
(3) 損 害
ア 原告の主張
(ア) 逸失利益 2500万円
右眼失明は、後遺障害等級表8級の1に該当するから、労働能力喪失率45%、手術当時59歳男子の平均年収660万円に就労可能年数11年でホフマン式で計算すると、逸失利益は2500万円を下らない。
(イ) 慰謝料 1000万円
(ウ) 医療費 50万円
(エ) 弁護士費用 350万円
(オ) 合 計 3900万円
イ 被告の主張
争う。
第3 争点に対する判断
1 認定事実
前記争いのない事実等、証拠(該当箇所に掲記)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。
(1) 眼内レンズ移植とその合併症(甲4~7、14、16、19、鑑定の結果、証人E)
ア 白内障手術をして無水晶体眼になると高度の遠視になるので、これを矯正するために眼鏡、コンタクトレンズ又は眼内レンズのいずれかを使わなければならない。安全性や処方しやすさでは前記の順であり、患者の満足度では逆になる。コンタクトレンズは、取扱いが面倒で70歳を超えると一人で取り扱うことが難しくなることなどから、敬遠される傾向にある。
イ 眼内レンズ移植には、白内障手術と同時に眼内レンズを移植する場合と、既に何年か前に白内障手術をしてある眼に眼内レンズを移植する場合がある。前者を一次移植、後者を二次移植という。また、眼内レンズを入れる場所により、前房レンズ、後房レンズなどと区別する。現在は白内障手術と同時に後房レンズを移植する方法が一般的である(本件手術は後房レンズの二次移植手術)。また、原告のようにICCEなどのため後嚢がない場合は、人工レンズを縫着する必要があるため、レンズの挿入操作が煩雑で手術の難度としては比較的高い。平成12~13年度21世紀型医療開拓推進研究事業の「科学的根拠(Evidence)に基づく白内障ガイドラインの策定に関する研究」班が提示した「白内障ガイドライン」では、眼内レンズ挿入術は非挿入の場合に比べてQOLが良好であるというエビデンスから強く推奨できるとされている。もっとも、これは主として一次移植を念頭に置いたものであって、二次移植については、無水晶体眼の症例で眼鏡やコンタクトレンズがうまく使用できない場合に二次移植の適応になるとされる。
ウ(ア) 眼内レンズ二次移植の手術をするか、コンタクトレンズの装用を続けるかを判断するに当たって最大の目安は角膜内皮損傷である。手術では一過性の角膜内皮損傷が起こり得るし、コンタクトレンズの装用を続けても角膜内皮損傷が起こり得る。すなわち、コンタクトレンズの装用続行に全く問題がなければ手術は控えるべきであり、手術の危険性を強調して手術を回避するよう説明することが望ましい場合もある。他方、コンタクトレンズ装用続行が困難であり、コンタクトレンズの長期装用によると考えられる角膜内皮減少がある状況で、患者からの後房レンズ二次移植手術の要望がある場合は、一般に眼内レンズ二次移植手術を回避すべきであるとは考えられていない。
(イ) また、以前受けた白内障手術が完璧ではなかった場合(その場合、硝子体脱出、瞳孔偏位、角膜内皮減少等が認められる)、思いがけない合併症が起こる可能性があり、このことは医師として知っておくべき知見である。
エ 後房レンズ二次移植手術でも内眼手術で起こる可能性のある全ての合併症が起こり得る。多いのは硝子体出血、レンズの傾斜・偏移である。硝子体出血とは、硝子体ゲル内に出血を生じた状態をいい、多くの場合比較的軽度で、数日で自然に吸収される。レンズの傾斜等は、術後乱視や屈折誤差を生ずる。稀にレンズ落下、脈絡膜剥離、脈絡膜出血、網膜剥離、眼内炎が起こるとされる。ただし、絶対数が少なく、統計的な頻度は不明である。
オ 脈絡膜出血は脈絡膜深層血管の破綻によって起こる病態である。原因は眼内手術の術中術後の低眼圧、網膜剥離手術の排液時の強膜穿刺、角膜潰瘍の穿孔や穿孔性外傷による低眼圧、眼球打撲等の他に特発性のものもある。眼内レンズ縫着術では血管の通っている脈絡膜等を針で穿刺することになるため多少の出血は避けられないが、眼圧が正常のときは脈絡膜出血が起こっても眼圧によって出血が止まる。手術中は穿刺により眼内外の交通が生ずるため、麻酔が切れて痛んだときなどに患者が力むと、眼圧が眼外に逃げて低下し、脈絡膜出血が起こりやすくなる(すなわち、脈絡膜出血は、強角膜切開によって眼内外の交通が生ずること自体によって発生し得るのであって、縫合針による穿刺等がなければ発生し得ないものではない)。脈絡膜出血では、出血が黄斑部に及べば視力低下や変視をきたすが、周辺部なら無症状のことが多い。
  次に、脈絡膜剥離は、脈絡膜が上脈絡膜腔で強膜から分離し、また脈絡膜実質も海綿状の浮腫を生じ脈絡膜が半球上に硝子体腔に向かって隆起している状態をいい、眼内手術の後に合併する(南山堂『医学大辞典』第17版1900頁)。
  術中に明らかな脈絡膜出血や脈絡膜剥離に気付いた時点で、眼底観察を行い、状況に応じて創口を閉じることが重要である(これにより硝子体及び眼内組織の眼外出血を防ぐとともに、眼内圧の上昇による止血防止効果が生ずる)。また、進行性前房消失、進行性硝子体圧上昇が認められた場合は駆逐性出血を疑って緊急措置を取るべきである。しかし、術中の脈絡膜出血や脈絡膜剥離は稀な合併症であり、かなりの経験がなければ気付かないのが通常である。手術中に患者が痛みを訴えたときは、まず痛みに対する麻酔追加等の処置を行い、痛みのみで脈絡膜出血や脈絡膜剥離に気付かなければ眼底検査は行われていない。また、術後に脈絡膜出血が発生した場合、出血の自然吸収を待てば数週間から数か月で消退するのが通常である。経過を観察しても出血が消退しない場合、強膜切開手術を行って貯留した血液を排出する。
出血後の視力は脈絡膜出血の程度によって決まる。軽度の場合は自然吸収され視機能に対する影響も少なく、大きな出血の場合は視機能の回復は困難である。脈絡膜出血が起こった場合、出血後の対処のいかんで結果が異なることは少なく、出血を排出するために強膜切開を行う場合も、その時期が術後の視機能に与える影響は明らかでない。
カ 駆逐性出血は、脈絡膜から流出する血管が強膜を貫通する部位で物理的な狭窄・閉塞によって血液の流出が妨げられ、脈絡膜の血圧上昇が起こり、それに加え眼内圧低下、血圧上昇、咳嗽発作等による眼窩圧上昇が相乗的に働いて、脈絡膜血管が脆弱化している場合には破綻をきたし、主に短後毛様体動脈からの出血が駆逐性出血となる。高度な出血となりやすく、放置すると硝子体、網膜、脈絡膜など全ての眼内組織が創口から眼外に脱出し得る。多くの場合硝子体出血を伴い術中に突然起こり、痛みを伴う。多くの場合脈絡膜が急激に盛り上がり、網膜、脈絡膜の眼外脱出及び動脈出血を伴い、最終的には眼球癆(眼球が縮んでゆく状態)となって光覚を失うことが多い。
キ 高齢者、高血圧、術前高眼圧、術中頻脈(85/分以上)などが駆逐性出血、脈絡膜出血の危険因子とされ、発症を予防するためには術前低眼圧及び低眼窩内圧の確保が重要である。また、手術の長時間化は出血の頻度を高める。
(2) 本件手術に至る経緯(甲2、乙1~3、証人D、原告本人)
ア 原告は本件手術当時59歳であった。勤務先の定年は60歳であり、息子から定年後は土木の仕事を手伝ってほしいと言われていた。そうなると、道路の石垣などのセメントで吹付作業をすることになるため、コンタクトレンズでは眼にごみが入って作業がしにくくなることが予想された。また、老後はコンタクトレンズの装着に難渋をきたすおそれもあった。そこで、原告は眼内レンズ移植手術を受けることを考えるようになった。
  なお、原告については前回の白内障手術が完璧に行われておらず、その場合に認められる硝子体脱出、瞳孔偏位、角膜内皮減少の各所見があった。
イ(ア) 医師Cは、平成12年5月24日、原告から、今後事務系の仕事から外で働く仕事に変わることになり、コンタクトレンズはほこりが入りやすく外れることもあったので、眼内レンズにしたいという希望を聞いた。
  そこで角膜内皮細胞を検査した結果、右眼1000個/mm2、左眼1500~2000個/mm2であった(コンタクトレンズの長期装用によると考えられる角膜内皮細胞の減少が認められる)。
  そのため、原告に対し、角膜内皮細胞の余裕は余りないが手術は可能であろうこと、しかし実際には水疱性角膜症発症の可能性もあり、また予期しない合併症が出る可能性があることを説明した。この時、原告から合併症とはどういうことかと聞かれたので、どういう手術でも合併症は出るが手術してみないと分からないという趣旨の説明もした。
  そして、原告にコンタクトレンズを続けるか眼内レンズ移植手術を受けるか選択させたところ、手術を希望したため、手術の予約を入れた。
(イ) この点につき、原告はそのような説明を受けたことはないと主張し、原告本人尋問にはこれに沿う供述部分があるところ、別の部分において「医師Cから眼が少し見えにくくなること、合併症の出るおそれがあることについては説明を受けた。合併症とはどういうことかと質問したところ、どういう手術でも合併症は出るが、手術してみないと分からないと言われた」旨供述していることなどに照らし、採用できない。
ウ 医師Dは、手術前日である同年9月6日、視力(矯正視力が右0.4、左0.8)、眼圧(右12 mmHg、左20 mmHg)等の検査をし、角膜が透明であること、結膜等に異常がないことなどを確認した。そして、原告に対し、術後に硝子体出血、網膜剥離が起きる可能性があること、コンタクトレンズより視力は低下すること、水泡性角膜症発症の可能性があり通常の白内障手術よりも合併症が多い手術であることを説明し、万一の危険を考えて、当初の予定とは逆に視力の悪い右眼から手術を行うことを勧め、原告はこれを了承した。
  なお、本件手術を担当することになった医師Dは本件手術以前に後房レンズ二次移植手術の経験が十四、五例であった(白内障手術自体は約1000例)。十四、五例という数は、同手術が元来少ないことから、経験数として少ないとはいえない。
(3) 本件手術及びその後の経過(甲2、8、9、10の②、11、乙1~3、5、証人E、同D、鑑定の結果)
ア A病院医師は、平成12年9月7日午後0時50分頃術前管理を開始しし、眼圧降下剤、血管強化・止血剤、精神安定剤を投与した(詳細は前記第2・1(4)エの12時50分の箇所記載のとおり)。午後1時55分に原告を入室させ、血圧等を測定するとともに、洗眼と局所麻酔(球後麻酔)を行って、午後2時4分頃手術を開始した。
イ 手術は次のように行われた。
(ア) 強角膜の半層切開を行い、3 mmの創口で前房に穿刺、眼内に灌流を行いながら、前部硝子体を切除する(前回の白内障手術によって硝子体が脱出していたので、レンズを挿入しやすくするために切除したもの)。次に、縫着専用の直径7 mmの眼内レンズの支持部に縫着専用糸(pc-9)を固定する。そして、耳側と鼻側の強膜から毛様溝に向けて、内腔のある27ゲージの注射針を穿刺し、これに向けて創口から縫着用針を挿入する。続いて27ゲージ針を引いて毛様溝から眼外に誘導することにより、眼外に通糸する(この時耳側の光学部の固定が困難で時間を要した)。さらに、眼内レンズを挿入するため創口を7 mmに拡大し、眼内レンズを眼内に誘導した後、糸を強膜に縫合し眼内レンズを固定する。
  以上の操作を経て、午後4時20分、本件手術は終了した。
  なお、以上のような方法以外に勘に頼って眼外に通糸する方法もあるものの、医師Dはできるだけ眼内組織を傷付けることのないようにするため、確実に毛様溝を通って眼外に通糸できる前記のような手技を採用していた。
(イ)手術中(15時15分頃)、原告が熱さと痛みを訴えたため、医師Dは局所麻酔を追加して手術を続行し、強膜縫合、結膜縫合をした。手術中は出血、眼内組織の脱出その他の異状は確認されなかった。事後的、客観的にみれば、15時15分頃に脈絡膜出血が発生したと判断されるところ、この時点では出血は軽度であって手術の続行は可能であった(なお、手術中に進行性前房消失及び進行性硝子体圧上昇が確認されたこと、医師Dが脈絡膜を手術針で穿刺したようなこと、本件手術で用いた針による穿刺が脈絡膜出血の原因となり得るという医学的知見が存在することを認めるに足りる証拠はない)。
(ウ) 本件手術には約2時間16分を要しており、通常の時間(約1時間。一次移植で縫合もしない場合は10分程度の手術である)より長いものの、二次移植の手術時間は手術前の眼球状態によって左右され、また、二次移植は元来手術数が少ないため、事前に手術時間を予測することは困難とされている。
ウ 翌8日、原告の右眼球には、前房出血、前房の炎症細胞、硝子体混濁が認められたが詳細は不明であり、右眼の視力は対光反応のみとなっていた。翌9日に他に硝子体出血が確認され、翌10日には前房の出血と炎症は引いてきて、角膜も透明になってきていた。硝子体出血のある期間は眼底の観察は難しく、レンズ挿入眼においては超音波による診断も困難であるため、同日までに眼底の検査をすることはできなかった。
  翌11日、医師Dが原告を診察したところ、前房出血は収まってきていたものの、眼内レンズの後ろに本来見えるはずのない毛様体扁平部が見えたため、脈絡膜出血又は脈絡膜剥離が疑われた。そこで、止血剤の点滴をするとともに、超音波検査をした結果、脈絡膜出血によると思われる混濁と明らかな脈絡膜剥離が確認された。
  そこで、B病院医師と相談したところ、原告を診察したいと言われたため、同月13日、原告にB病院の診察と検査を受けてもらった結果、内服薬を処方して数日様子を見ることとし、18日に再診を受けるよう指示された。そして、同日原告を診察した医師Eは、右眼に脈絡膜剥離、脈絡膜出血が起こっていると判断して強膜切開術をして脈絡膜下に貯留している血液を除去して経過観察をすることとした。しかし、その後網膜剥離が疑われる状態になったため、10月2日、医師Eが網膜を復位させて失明を防止するための硝子体手術をし、原告は同月27日に退院したものの、眼球癆となって視力を失った。
エ 本件で発生した急性脈絡膜出血は、切開による眼圧低下と通針時の眼球変形によるものであり、病態的には駆逐性出血の前段階又は程度の軽い状態で、発生メカニズムは似ているが、臨床的には別のものである。
2 争点(1)(説明義務違反の有無)について
  医師の患者に対する説明義務のうち患者の有効な同意を得るための説明義務は、当該医療行為を施すこと又は施さないことが患者の今後の人生にとって重大な影響を及ぼす可能性があるとしてそのいわゆる自己決定権を確保することを根拠とするものである。
  いずれにせよ、患者の承諾はその真意に基づくものであることが必要であるから、一般には、医師による説明は病状・治療方法・予後など必要な情報について患者の理解可能な内容で必要十分な範囲にわたってなされる必要があるということはできるものの、診療・治療の危険性をいたずらに強調することは却って適切な時機に患者が診療・治療を受ける意思を喪失させたり、予後に影響を及ぼしたりするおそれがあるということもできるから、具体的な局面における説明の時期・内容・程度については、診療・治療方法の選択のためにその病状を適切に把握していると認められる限りで、当該患者と接している医者の裁量に相当程度委ねられていると解すべきである。
 そして、前記1(1)及び(2)で認定した事実によれば、次のようにいうことができる。
(1) 後房レンズ二次移植手術は、硝子体出血、レンズの傾斜・偏移の合併症が起こりやすいこと、また前回の白内障手術が完璧でなかった場合には角膜内皮細胞の減少が懸念されること、予期しない合併症が起こり得ることなどが知られていることから、担当医は手術を受けようとする患者に対し、以上の危険性について説明する義務がある。他方、本件で発生した脈絡膜出血の起こる頻度は稀であること、他にも稀な合併症が存在する以上、可能性のある合併症について網羅的に説明することは不可能であること、またそのような説明をすれば患者をいたずらに不安に陥れることになることなどから、頻度が稀な合併症については逐一説明する義務はなく、頻度や重篤さを考慮して代表的な合併症を挙げれば、あとは概括的に予想外の合併症が起こり得るという程度の説明をすれば足りるというべきである。
  また、眼内レンズ移植手術を行うか否かの判断に当たっては、患者の希望の有無及び強さが重視され、医師において眼内レンズ移植手術の適応があると判断した場合に、患者が眼内レンズ移植手術を希望したときは、あえて手術の危険性を強調して手術を回避するよう勧めるまでの義務を負うということはできない。
(2) 本件においては、原告は前回の白内障手術が完璧でなかったことから、コンタクトレンズの装用が続行可能であれば眼内レンズ移植手術は控えるべき状態にあったとはいえるものの、現にコンタクトレンズの長期装用によると考えられる角膜内皮細胞の減少が起こっていたのであるから、眼内レンズ移植手術の適応はあったというべきである。
  そして、平成12年5月24日に医師Cが水疱性角膜症発症の可能性があること、予期しない合併症が出る可能性があることを説明して原告にコンタクトレンズの装用続行か手術かを選択させたところ、原告が手術を選んだこと、同年9月6日(手術前日)に医師Dが硝子体出血、網膜剥離が起こる可能性があることや水泡性角膜症を発症する可能性があり通常の白内障手術よりも合併症が多い手術であることを説明し、当初の予定は左眼からとされていたところ、万一のことを考えて視力の悪い右眼から手術をするよう勧め、原告もこれを了承したことなどを総合すると、前者の説明に概括的に過ぎ、またいずれも失明の危険があるということを端的に説明したとはいえないとしても、両者相まって、A病院の担当医は、頻度や重篤さを考慮して代表的な合併症を挙げた上、予想外の合併症が起こり得ることをも説明したということができ、後房レンズ二次移植手術を行うに際して医師が患者に対して説明すべき法的義務を負う事項につき原告に対して説明したものと評価することができる。
  以上によれば、この点に関する原告の主張は理由がない。
3 争点(2)(技術的な過失の有無等)について
 前記1(1)及び(3)で認定した事実によれば、次のようにいうことができる。
(1) 手技上の過失について
ア 脈絡膜出血の危険因子としては術前高眼圧等が挙げられているから、眼内レンズ移植の際脈絡膜出血を予防するためには、全身状態を把握し、術前に低眼圧及び低眼窩内圧を確保するための措置を講ずる必要がある。
  本件では、担当医は、本件手術の前日に視力、眼圧、眼瞼、結膜、角膜等に異常がないことを確認した上、手術当日には術前管理として眼圧降下剤、電解質輸液、血管強化・止血剤、抗生物質、眼圧低下剤、精神安定剤をそれぞれ投与し、血圧、脈拍、酸素飽和度を測定して全身状態についても把握してから洗眼と局所麻酔を行った。
 以上によれば、A病院の担当医は、脈絡膜出血の危険因子を可能な限り除去するための術前措置を施行したものというべきであり、術前管理を怠った過失があるということはできない。
イ また、脈絡膜出血は術前管理を適切に行っていたとしても発生する可能性のある合併症であり、また強角膜の切開によって眼内外の交通が生ずること自体によって発生し得るのであって、縫合針による穿刺等の過誤がなければ発生し得ないものではないから、脈絡膜出血が発生したこと自体から執刀医の過失を推定することはできず、具体的な手技上の誤りがあったか否かを検討すべきである。
  本件では、本件手術中に医師Dが脈絡膜を直接穿刺したような事実は認められないこと、本件手術を担当した医師Dに後房レンズ二次移植手術の経験が不足しているとはいえないこと、医師Dは本件手術の際眼内組織を傷付けないようにするためできるだけ確実性の高い手技(内腔のある針で糸を眼外に誘導して縫着する方法)を採用していたこと、また手術時間が2時間16分に及んでいることが直ちに医師Dの技量不足によるものともいえないこと、他に医師Dの手技の誤りなどによって脈絡膜出血が発生したことを基礎付けるような事実を認めるに足りる証拠もないことなどの点に照らし、医師Dに手技上の過失があったと認めることはできない。
(2) 早期発見・早期処置を怠った過失について
  次に、原告が本件手術中に痛みを訴えた時点で脈絡膜出血を疑い、眼底検査、創口の閉塞、強膜切開の措置を取るべきであったか否かについて検討する。
  本件手術中に原告が痛みを訴えた時点では、出血や右眼の内容物の脱出などの症状が現れておらず、駆逐性出血を疑い眼底観察や創口閉鎖等の緊急措置を取るべき兆候とされる進行性前房消失、進行性硝子体圧上昇もなかった。このような場合、まず麻酔を追加するのが通常であり、標準的な眼科医において脈絡膜出血を疑って眼底検査等の措置を取ることを期待することは困難であったというべきであるから、本件手術中に原告が痛みを訴えたのに対して麻酔を追加して手術を続行した医師Dの判断に誤りがあったものということはできない。この点に関する原告の主張は採用できない。
  (なお、術後、平成12年9月10日までは硝子体出血のため眼底の観察は困難であったし、脈絡膜出血の存在が疑われた翌11日の時点においても、脈絡膜出血が発生した場合は自然に吸収されるか否かを経過観察するのが通常であり、早期に手術をすることによって予後が改善されるものでもないから、本件手術後しばらくの間投薬の上経過観察することとした医師Dの診療に過失があったということもできない)
(3) その他の点について
原告は、本人尋問等において、原告とその家族が、本件手術後、同手術によって原告の右眼の視力が失われたことについてA病院の医師と面談した際、医師Dにおいて本件手術における過失を自認するような発言があったことなどを指摘する。しかし、そのような事実がA病院の担当医に本件手術に関して法律上の過失があったことを基礎付けるものとは必ずしもいい難い。
(4) 小 括
  以上によれば、術前措置、術中及び術後管理に関する各過誤の主張は理由がない。
第4 結 語
よって、その余の点を検討するまでもなく原告の請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決をする。

広島地方裁判所民事第2部

裁判長裁判官  橋  本  良  成


裁判官  木  村  哲  彦


裁判官  相  澤     聡