H17. 4.19 広島高等裁判所 平成16年(う)第116号 死体遺棄,殺人(原審の認定は傷害致死),傷害致死幇助被告事件

判示事項の要旨:
死体遺棄,殺人(原審の認定は傷害致死),傷害致死幇助被告事件について,殺人の公訴事実について,殺意を否定して,傷害致死罪が成立するにすぎないとした原判決には事実の誤認があり,また原判決の量刑は,著しく軽きに失して不当であるとする検察官からの控訴に対し,少なくとも未必の殺意を有していたことは明白であって,未必の殺意を否定した原判決の認定は到底是認することができないとして破棄した上,懲役12年を言い渡した事案


      主        文
原判決を破棄する。
被告人を懲役12年に処する。
原審における未決勾留日数中900日をその刑に算入する。
      理        由
 検察官の控訴の趣意は,検察官見越正秋提出(検察官山舖弥一郎作成)の控訴趣意書に,これに対する答弁は,主任弁護人本田兆司及び弁護人桂秀次郎連名作成の答弁書に,被告人の控訴の趣意は,主任弁護人本田兆司作成の控訴趣意書に,それぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。
 検察官の論旨は,要するに,(1)被害者Aに対する殺人の公訴事実について,殺意を否定して,傷害致死罪が成立するにすぎないとした原判決には事実の誤認があり,この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである上,(2)被告人を懲役8年に処した原判決の量刑は,著しく軽きに失して不当である,というのである。
 他方,弁護人の論旨は,要するに,被告人は,本件各犯行当時,共犯者のBから受けたドメスティック・バイオレンスの影響により,是非善悪の弁識能力は保たれていたものの,これに従って行動する能力が阻害されていたから,少なくとも心神耗弱の状態にあり,原判決が被告人に完全責任能力を肯定したのは,責任能力に関する証拠の評価を誤り,事実を誤認したものであって,この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。
第1 検察官の事実誤認の論旨について
 1 被害者Aに対する殺人の公訴事実の要旨と原判決の認定の要旨
 (1) 本件公訴事実の要旨は,被告人は,広島市内のマンションの一室において,長男A(当時6歳),Bらとともに生活していたものであるが,Bとともに,平成11年8月下旬ころから,Aに対し,その裸体に花火の火の粉を浴びせ,あるいは,Aの両手両足を紐様の物で緊縛した上,水を入れた浴槽に沈め,さらには,Aの体を布団たたき等で多数回殴打するなどの虐待行為を繰り返し,Aが極度に衰弱していることを認識していたにもかかわらず,同年9月26日ころ,上記マンションの一室において,Aをビニール袋に入れて同袋の口を真結びにした上,その状態でAを大型スポーツバッグに入れてファスナーを閉めるなどして密封状態にし,Bと共謀の上,殺意をもって,助けを求めるAの声を無視してそのまま放置し,よって,そのころ,同所において,Aを窒息死するに至らしめて殺害した,というものである。
 (2) 原判決は,上記殺人の公訴事実について,被告人及びBは,本件犯行当時,Aの死が相当に切迫していることを認識していたが,死に至ることを認容していたと断じるには,なお合理的な疑いが残るとして,殺意の存在を否定して,傷害致死の限度でBとの共同正犯が成立すると認定した。
 2 当裁判所の判断
   原審の記録及び当審における事実調べの結果を併せて検討すると,所論が指摘するとおり,被告人は,後述するように,AがBから執拗で強烈な暴行等によるいわゆる虐待行為を繰り返し受けた結果,全身衰弱状態に陥っていた上,BがAを二重のビニール袋に入れて,その口を固く二重に結び,大型スポーツバッグ内に押し込んだことを熟知していながら,Bとともに,約5分間にわたって,そのまま放置した(以下「本件密封行為及びその後の放置行為」という。)のであるから,少なくとも未必の殺意を有していたことは明白であって,未必の殺意を否定した原判決の認定は到底是認することができない。以下,説明を加える。
 (1) まず,関係証拠によれば,本件犯行に至る経緯,本件犯行状況,その後の状況として,次の事実が認められ,この認定を左右する証拠はない。
 ① 被告人は,平成5年7月8日,Cとの間にもうけた長男Aを,平成7年6月3日,別の男性との間にもうけた長女Dをそれぞれ出産し,平成11年4月末ころから,C,A及びDと上記マンションの一室で生活していたが,同年6月ころ,Cと喧嘩別れした。他方,Bは,広島県呉市内において,妻子と同居し,B建設と称して土木工事の下請をしていたが,次第に仕事が減少して収入も少なくなった焦燥感も加わり,妻に暴力を振るったり,覚せい剤を頻繁に使用するようになっていたところ,同月初旬ころ,広島市内のいわゆるファッションヘルスにおいて,いわゆるヘルス嬢をしていた被告人と知り合って,交際を始め,度々肉体関係を持つようになった。そして,Bは,同月末ころ,仕事を請け負っていた工事業者から今後B建設には発注しない旨通告を受けて,自暴自棄となり,同年7月初旬ころ,妻子のもとを飛び出し,被告人,A及びDが居住していた上記マンションの一室に転がり込んで同居するようになり,その後,連日にわたって,被告人と濃厚な種々の性行為を続けた。被告人は,それまで経験したことのないような性的満足感を得て精神的にも身体的にもBに心酔して,パチンコやスロットマシーン等の遊技にふけっていたBに金員を貢いでいたところ,Bとパチンコ店に同行した際,打ち方が悪いなどと言われて,Bから暴行を受けたため,同月8日,別れ話を切り出し,手切れ金として10万円を渡したものの,同月9日,通行中の男性から強制わいせつの被害を受けて警察に保護された際,Bが迎えに来てくれたことを喜んで,Bとよりを戻し,その後,Bから暴行を受けることもなくなったため,一層Bに傾倒するようになった。
 ② Bは,その後も,被告人から受け取った金員でパチンコ等の遊興にふける一方,妻子のことや仕事のことなどを思い巡らしてはいら立ちを募らせ,当初は覚せい剤を使用して気を紛らわせていたが,同月中旬ころからは,Aに対して,いたずらをしたなどと称して,その頭部や顔面等を平手で殴打したり,点火したタバコをその身体に押し付けたり,被告人に命じて購入させたもぐさを使用して,その身体にきゅうを据えるようなことを繰り返すようになった。そして,同年8月16日ころ,被告人の留守中,Bは,Aの左前頭部を右手こぶしで殴打して,安静加療約1週間を要する頭部打撲等の傷害を負わせるに至った。被告人は,Bから電話連絡を受けて帰宅し,Aの頭部に大人の握りこぶし大の巨大なこぶができているのを見て驚き,Bに対し,Aを病院に連れて行って診察を受けさせたいと言ったところ,Bから,自己のこれまでの虐待行為が発覚するとして反対されたものの,Bの行為によるものとは言わない旨の約束をして,Aを病院に連れて行くことの了承を得て診察を受けさせた。そして,診察した医師から,このようなことを続けると,今後は警察に通報することになる旨告げられ,受診後,Bにもその話を伝えた。
 ③ しかしながら,Bは,依然としてAに対して暴行等を加え続け,顔面をこぶしで殴打したり,身体を足で蹴るなどしたほか,身体にガムテープを巻き付けダンボール箱に収納して押し入れに閉じ込め,頭からビニール製のゴミ袋をかぶせて犬の首輪をはめ,これをロープでカーテンレールにつないで,腹部をサンドバッグのようにこぶしで殴打し,足で蹴るなどしたり,プラスチック製の掃除用具や布団たたきで後述する火傷により皮膚がはがれた状態の背中等を多数回殴打した結果,掃除用具が折れたことさえあり,また,尿を飲ませたり,漏らした大便が付着したパンツを頭にかぶらせてちょう笑したり,陰茎の先端を縛って排尿できないようにしたり,パンツ1枚にして手錠を掛けたAに犬の首輪をはめて,これをロープで結んでドア上部につないで,そのような状態下でのAの行動を密かにビデオカメラで撮影したビデオテープを被告人とともに鑑賞して楽しむなどしていた。さらに,同月下旬ころから,3回にわたって,全裸のAを風呂おけに入れ,点火した多数の花火の火の粉を頭や背中に浴びせたことがあるほか,全裸のAに対して,噴射した靴の消臭スプレーに点火して胸付近に浴びせたり,ライターオイルを手足にかけて点火したり,背中にティッシュペーパーを粘着テープで貼り付けた上,ライターでこれに点火したり,タバコの火を身体に押し当てるなどの行為を繰り返して,「Aの熱がり方が面白い。」などと言い放っていた。そして,同年9月初旬ころからは,手首と足首を縛って水を張った浴槽内に座らせ,首に巻いた紐を蛇口に結んで,その紐を操作して浴槽内に沈めたりするなどしたほか,同月中旬ころには,大型スポーツバッグ内に正座させたAを入れてファスナーを閉め,乾燥機に放り込んで,温風を浴びさせた上,これを浴槽内に移して水を張り,30秒くらいの間隔で,上記バッグを沈めたり引き上げたりするうち,Aの声が聞こえなくなったことから,慌てて引き上げて上記バッグを開けたところ,Aが意識を失っていたため,上記バッグから取り出したAの腹部を押して,水を吐かせるなどしたり,身体を硬直させて引付けを起こしていたのを,頬をたたくなどして,ようやく意識を回復させたことがあった。しかも,Bは,同年8月下旬ころからは,被告人に対して,Aの食事を全面的に禁止する旨指示し,Bの目を盗んで被告人がわずかに与えた食事についても,Aの腹部が膨らんでいるのに気付くと,勝手に食事をしたと言っては,その身体に暴行を加える有様であり,空腹に耐えかねたAは,シャワーを浴びる際,隠れて大量の水を飲むことさえあった。
 このような一連の暴行の結果,Aの身体は衰弱の一途をたどり,原判示第1の犯行前には,頭部や左頬の傷口が化膿して開き,顔や胸が腫れ上がり,前歯は二,三本欠けていたほか,背中,大腿部,尻,手の甲,足裏や足の指など,広範囲に及ぶ火傷があり,傷口の皮膚が破れてしまい,これらの傷口からは膿や血が混じった汁が出てきており,異臭が甚だしく,栄養不良の状態にあることも加わって,全身性炎症反応症候群の状態にあり,足を引きながら,辛うじて歩行できる状態にあったとはいえ,Bに閉じ込められた部屋の中で,全裸のまま,一日中横になっていることが多くなっていた。
 ④ 被告人は,当初のうちこそは,Bの暴行を諫めたり,Aの火傷の手当をするなどしていたが,Bの機嫌を損ねた場合には,Bと別れなければならなくなると恐れて,Bの暴行等を放置するようになっただけではなく,Bに命じられて,上記花火の火の粉を浴びせた際や,浴槽の水中に紐を使用して沈めた際には,自らBと同様の行為に直接加わっており,しかも,このようなAに対する暴行等が発覚することを恐れて,Aを病院に連れて行くこともなく,Aを幼稚園に通園もさせず,実父が自宅を訪問することさえ避けるようになり,Bの目を盗んで,わずかな食事を時折与えることがあるだけであった。
 ⑤ Bは,同年9月26日午前零時過ぎころ,Aがいる部屋に赴いて,夕方摂取した食事のため,腹部が膨れていることに気付き,「腹が膨れとるじゃないか。」「寝たふりをしたって。」などと怒鳴り,「立て。」と命じて,「ごめんなさい。」と謝罪するAに対して,約30分間にわたって,その身体を激しく殴打するなどの暴行を加えた上,被告人を呼び付けてから,大の字になって倒れ,息荒く腹部を上下させている状態のAに対して,繰り返し,「はよ立て。」と命じながら,その大腿部を足で小突いたところ,Aは,ようやく上半身を起こし,手で支えながら座った。すると,Bは,上記大型スポーツバッグ(底部の縦約33センチメートル,横約73センチメートル,高さ約30センチメートル。以下「本件バッグ」という。)と黒色ビニール製ゴミ袋(縦90センチメートル,横80センチメートル,厚さ0.04ミリメートル。以下「ビニール袋」という。)を持ち出して,本件バッグの中にビニール袋を入れて口を開き,Aに対して,「汚いけえ,よういらわん。」と言いながら,その中に入るように命じて,Aがよろめきながら立ち上がってビニール袋内に入って正座すると,本件バッグのファスナーを閉めてから,これを手にして自分の部屋に赴き,敷いてあった布団から約1メートル離れた位置に本件バッグを置き,遅れて駆けつけた被告人とともに,布団に横になった。ところが,本件バッグの中から物音がしなかったため,Bは,本件バッグのファスナーを開けて,「死んだふりか。」と言うと,Aが本件バッグの外に手の指を出してきたことから,「汚い。」「穴を開けて息をしよる
。」「袋を二重にしちゃろうよ。」と言って,台所から持ち出したビニール袋にAが入ったビニール袋を入れて二重にして,2枚のビニール袋の端を重ねて持ち,両端を交差させて固く2回真結びにして,完全な密封状態にした上,本件バッグのファスナーを閉めてから,部屋の照明を豆電球だけにして,周囲を暗くし,布団に横になっていた被告人に対して,「静かにしとけよ。」と声を掛けた。間もなく,本件バッグ内のAが,「B君ごめんなさい。」「B君開けて。」などと5分くらいの間に30回くらい繰り返し声を上げたほか,身動きしながらごそごそと物音を立てていたが,いびきの音のような,ガァッという大きな音(以下,「いびき音」という。)が七,八秒の間に3回続いた後からは,音がしなくなった。すると,Bは,被告人の顔を見ながら,「A,死んだんじゃないか。」と言って起き上がり,本件バッグのファスナーを開け,被告人とともにビニール袋を破って,中からAを出したが,ぐったりとして呼吸をしていなかったため,2時間30分くらいの間,被告人とBが,代わる代わる口移しの人工呼吸をしたり,心臓マッサージを施したものの,蘇生しなかった。Bは,Aの顔にティッシュペーパーを載せて,「ほんまに息しよらん。」と言って,Aの上半身を起こして,倒れるところを確認して,被告人に対して,「お前には悪いと思うけど,Aが死んでも,まだ腹が立つ。」と言って,その頬や足を叩いたり,遺体となったAに対して,「死にやがって,このくそやろう。」などと発言していた。そして,被告人が「私が自首するわ。」と言うと,Bは,「何を言いよるんなら,そがあなことしたら,わしのシャブもばれて大ごとになる。わしは一生出てこれんようになる。そうなったら,わしはお前を一生許さん。」と言った後,新しいビニール袋を持ってきて,手首と足首を縛ったAの遺体を入れて,本件バッグに詰め,「わしが分からんように山に捨ててくる。」と言い,被告人もこれを了承した。Bは,同日の日中はパチンコ店に赴き,深夜帰宅してから,Aの遺体が入った本件バッグを被告人から受け取って自動車に積載し,死体を遺棄するに適した場所を探し回った挙げ句,原判示第2記載のとおり,Aの遺体を山中に投げ捨てた。
 (2) ところで,健康な6歳くらいの男児の場合,ビニール袋やスポーツバッグに密封されて,低酸素の状態に置かれた場合には,10分ないし15分で低酸素血症により死亡すると考えられること,Aの場合には,Bによる長期間に及ぶ暴行等によって,全身の衰弱状態が甚だしく,栄養の低下により,肺がむくんで肺の酸素の通りが悪くなって,血液中への酸素の取り込みが悪くなる一方で,血液自体も脱水状態となって粘りが出て,末梢血管の通りが悪くなって,全身の細胞への酸素の供給状態が悪くなったり,生命エネルギーを生み出すための反応を制御する酵素類が欠乏するなど,種々の要因が相乗的に作用して,より短時間で死亡する可能性が高かったことが認められる。そして,被告人及びBは,Aに対して,上記のような種々の暴行等を加え続けており,Aが極度に衰弱した状態にあることを認識していたこと,本件時より全身の状態が良好であったと思われる時期に,Bが上記スポーツバッグごと浴槽内の水に沈めた際にも,Aが仮死状態に陥った経験があるのであるから,極度の衰弱状態にあるAをビニール袋に二重に密封して,スポーツバッグ内に閉じ込めた場合には,短時間のうちに,生命維持に必要な酸素不足により死亡することは,格別の医学知識を有さなくても容易に予測できたと思われること,しかるに,被告人及びBは,Aがビニール袋内で必死に動いて,助けを求め続けていたことを認識していながら,これをそのまま放置していたものであり,異常としかいうほかのないいびき音がしても,何らの措置もとらず,全く物音がしなくなってから初めて本件バッグを開けるなどしていること,Aが死亡したことを確認した後も,Bが上記のような言動に出ていただけではなく,直ちにAの遺体を山中に遺棄するための準備行動に及んでいること等が認められるのであって,このような諸事情を総合すると,被告人及びBには少なくとも未必の殺意があったというべきである。そして,被告人に未必の殺意があったことは,被告人の検察官に対する供述調書によっても裏付けられている。すなわち,被告人は,検察官に対して,BのAに対する虐待行為や被告人自身がこれに加担したことを供述した上で,Bのことが好きで,一緒にいたかったから,Bに好きなだけAを虐待させておくしかなかった,その時点で,Aのことを諦め,切り捨てた,Bの虐待によりAが死ぬかもしれないと思っていたが,浴槽に沈められて仮死状態になった平成11年9月中旬ころからは,Aが死ぬに違いないと思うようになった,本件当日,被告人が,Aの入ったビニール袋を本件バッグに入れて,ファスナーを再度閉じた後,部屋の明かりを豆電球だけにして,布団の上に寝ころんだ,次の瞬間からバッグの中でAが騒ぎ始めた,このまま放っておけば,Aは息ができずに死んでしまうことは,分かっていた,Aをスポーツバッグの中から助け出さなかった,数日前から,Aは死んだ方がいいと思うようになっていた,Aの身体がどんどん醜くなるのを見たくなかったし,いずれ死ぬのであれば,早く死んだ方がAも楽になれると思った,しかし,本件後,ぴくりとも動かないAのその姿を見たとき,初めてうろたえた,気が付けば,Aの口に自分の口を当て,息を吹き込んでいたなどと供述している。被告人の検察官に対する供述調書の内容は,Aへの虐待に関する事実経過を含めて極めて具体的かつ詳細であるところ,この点は,被告人の原審公判廷における供述とほぼ一致しており,それ自体信用性が高いこと,そして,被告人の主観面に関する上記供述内容は,Bとの性生活により高い満足感を得てBに傾倒していた被告人において,虐待や覚せい剤使用の事実が発覚してBが逮捕されることを免れるとともに,Aの苦痛及びそれを見ていた被告人自身の忍び難い気持ちを回避しようとした複雑な心情について率直に供述したものであり,客観的な事実とよく符合しており,特に不自然不合理な部分は見当たらないことなどに照らし,十分に信用することができる。
したがって,被告人及び共犯者のいずれにおいても,少なくとも未必の殺意を有していたことを優に認めることができるのである。
 (3) これに対し,原判決は,被告人らにおいて,本件犯行当時,Aの死が相当に切迫していることを認識していたが,死に至ることを認容していたと断じるには,なお合理的な疑いが残るとして,未必の殺意を否定し,その根拠として,①Bが,これまで実際に行った虐待行為に際して具体的にAの死を認識し,かつこれを認容していたような状況までは認められない上,その虐待行為の延長線上で行われた密封行為の際のBの意図も,Aに死の恐怖を味わわせることにあったと認められるから,密封行為の際はもちろん,その後Aが本件バッグ内で助けを求めていた際にも,被告人において,Aが死亡する以前にBが解放してくれると考えていたとしても不合理ではない,②被告人は,BがAを密封した後,Bとともにその側にいて終始Aの反応をうかがっており,Aを助け出そうと思えば容易にそうすることのできる状態にあったこと,③医学的に素人である被告人らにおいて,Aの発したいびき音が極めて切迫した生命の危険を示す兆候であると認識していなかったとしてもやむを得ない面があること,④Aがいびき音を発していたのは,約七,八秒という短い時間であり,Bは,いびき音が途絶えるや慌てて本件バッグ内からAを出し,Aを蘇生させるべく,被告人とともに長時間にわたって真摯な救命措置を講じており,このような救命行動は,Aの死を認容していた者の行動とはそぐわないものがあることなどの事情を指摘している。
   しかしながら,①の点について,Bが,本件犯行前の虐待行為に際して,具体的にAの死を認識し,かつこれを認容していたような状況まで認められないことは原判決指摘のとおりであるが,本件犯行当時,Aは,極度の全身衰弱状態にあったこと,本件密封行為及びその後の放置行為は,その継続により確実に死の結果を招来する高い蓋然性を有しており,それ以前の虐待行為と対比してみても,死亡に至る危険性が格段に高い異質のものであり,被告人もそのことを認識していたこと,Aは,本件バッグの中から,「B君ごめんなさい。」「B君開けて。」と30回くらい繰り返し懇願し,最後にも3回くらい大きな声で助けを求めて叫んだが,それでも被告人及びBは,これらの声を無視し,死亡直前の舌根沈下により気道が閉鎖して生じる大きないびき音が3回して,Aが動けなくなって息絶えるまで解放しようとはしなかったことが認められる。この点について,Bは,Aに謝まってほしかったが,謝罪の言葉がなかった,ビニール袋を二重にしてこぶ結びにした覚えもなく,息ができなくなるとは思わなかったなどと弁解しているが,上記の事実経過とは明らかに異なっており,信用することができないばかりか,いつまで密封行為を続けるつもりであったのか分からないなどとも原審公判廷において供述しており,Bにおいて,Aが死亡するに至る前の時点で確実に解放する意図を有していたことをうかがわせるような言動等は全く見当たらないのである。また,被告人は,原審公判廷で,Aが死亡する前に,Bが本件バッグを開けてくれるのを待っていた,その可能性はあると思っていた,Bは虐待を楽しんでいたのであり,死亡させるとまでは思っていなかったなどと供述しているが,その根拠については,BがAに対する虐待を加えた後,Aを風呂に入れてくれたことがあるとか,Aを浴槽の水の中に沈めて仮死状態にさせた際,Bが水を吐かせて息を吹き返したことがあったと指摘するに過ぎず,本件犯行時において,BがAを解放してくれると考えた具体的な根拠については,何ら合理的な説明をしていないし,その供述は上記検察官調書の自白と対比してみても,不自然に変遷しているのであって,信用することができない。そうだとすると,被告人において,BがAの死亡前に同児をビニール袋から解放してくれると考えていたとしても不合理ではないとした原判決の証拠評価は到底是認することができない。
次に,②の点について,Aを本件バッグ内に密封した後,Bが,本件バッグから1メートルくらい離れた布団の上に被告人とともにいたことは認められるが,それは,いざというときにAを助け出すためのものではなく,Aの呼吸が困難になり,その苦しむ様子を楽しむためにしていたことが明らかである上,被告人に対し,静かにしておくように命じたほか,上記のとおり,Aが繰り返し助けを求め,最後には3回くらい叫び声を挙げているにもかかわらず,これらの声を無視して大きないびき音を3回発して息絶えるまでAを密封状態のまま放置していたのであるから,被告人とBがAの近くにいたことをもって,未必の殺意を否定する事情とはいえないのであって,この点に関する原判決の証拠評価は当を得ないものである。
さらに,③の点について,格別の医学知識のない一般人であっても,本件密封行為及びその後の放置行為により死の結果を招来する蓋然性が極めて高いと判断することは容易なことであり,現に,被告人もその旨明確に供述しているところである。そして,被告人らにおいて,Aの発したいびき音が極めて切迫した生命の危険を示す兆候であると認識していなかったという事情をことさら取り上げて,未必の殺意を否定する証左とすることはできないのであるから,この点に関する原判決の判断も相当ではない。
   最後に,④の点について,Aがいびき音を発したのは,合計七,八秒の短時間であり,その後,被告人とBが約2時間30分にわたり,人工呼吸等の措置を講じたことは,原判決が指摘するとおりであるが,他方では,犯行後,Aに対する虐待の事実が発覚することをおそれる余り,119番通報をして救急車の派遣を要請したり,病院へ搬送して専門的な医療措置を受けさせることもしていないのであるから,真摯な救命措置を講じたなどといえないことが明らかである。そして,Aの異変に気付いて,我に返り,とっさにビニール袋の中からAを解放して人工呼吸等の救命措置をとったことは,未必の殺意の存在と何ら矛盾するものではないというべきであるから,原判決の証拠評価を受け入れることはできない。
 したがって,被告人らにおいて,Aの死が相当に切迫していることを認識しながら直ちに救出行為に出なかったものであるとしつつ,その際,同児が死に至ることを認容していたと断じるには,なお合理的な疑いが残るというべきである旨判示した原判決は,証拠の取捨選択及びその評価を誤ったものといわざるを得ない。
 (4) 以上のとおり,被告人は,Bの本件密封行為によりAが死亡するに至るかも知れないことを認識しながら,あえて,その後の放置行為に及んだものであり,その際,Bと暗黙のうちに意思を相通じていたことも認められるから,被告人にはBとの間で,殺人の共同正犯が成立することが明らかであり,被告人らの殺意を否定して,傷害致死罪の限度でBとの共同正犯が成立するにとどまるとした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。
  論旨は理由がある。
第2 弁護人の事実誤認の論旨について
関係証拠によれば,原判決の(責任能力についての判断)の項における説示は,当裁判所も概ね正当なものとしてこれを是認することができ,被告人が本件各犯行当時,心神喪失及び心神耗弱の状況になかったことが明らかであるから,原判決には所論のいう事実誤認はない。以下,所論にかんがみ,若干付言する。
 1 所論は,要するに,被告人は,Bからの身体的暴力に加え,言葉の暴力や性的暴力によるいわゆるドメスティック・バイオレンスを受けていたのであり,医師E作成の鑑定書及び同人の原審公判廷における供述(以下,両者を併せて「E鑑定」という。)によれば,被告人には不安障害(全般性不安障害)という精神症状が発現しており,是非善悪の弁識能力は保たれていたものの,その行動能力が高度に害されていたから,心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと認められるのに,原判決は,ドメスティック・バイオレンスによる精神障害を誤解し,証拠の評価を誤った結果,責任能力に関する事実を誤認した,というのである。
 2 そこで,検討すると,関係証拠によれば,被告人は,平成11年7月6日,Bとパチンコ店に同行した際,その打ち方が悪いなどと言われ,同日午後11時ころから同月8日午後8時ころまでの間,出勤した時間を除いて,説教を受け,頭部や顔面を平手で多数回殴打されたこと,その後も,Bから侮辱的な発言が継続的になされたこと,心理検査の結果,被告人は,本件各犯行当時,全般性不安障害,すなわち,常に何らかの不安を持続的に抱えているような病態にあったことが認められる。
しかしながら,被告人は,本件各犯行当時,意識障害や知的障害,幻覚妄想などの精神障害はなかったこと,上記全般性不安障害は,ドメスティック・バイオレンスにより抵抗が困難になることとの結び付きは余りないこと,被告人は,元々,相手の言うことに反対することができにくい傾向があり,困難な状況に陥った場合に,積極的な回避行動をとらないという性格的な特徴があること,このような性格でありながら,被告人は,Bから上記暴行を受けた後,自らBに別れ話を切り出し,手切れ金として10万円を渡したこと,同月9日午前3時過ぎころ,強制わいせつの被害に遭った際,Bが警察署まで迎えに来てくれたことを喜んで,Bとよりを戻したこと,なお,その際,警察官が撮影した写真によれば,被告人の頭部や顔面に傷や腫れの存在はうかがわれないこと,その後,Bは,本件各犯行に至るまで被告人に暴行を加えていないこと,被告人は,同年8月16日ころ,BにAが殴打されて大きなこぶを作った際,Bが反対するのを押し切ってAを病院に連れて行ったこと,BがAに花火の火の粉を浴びせた際,Bを諫める発言をしたこと,また,BからAに食事を与えないように言われていたが,Bの目を盗んでAに時折わずかな食事を与えていたこと,Aの死体を遺棄した後の同年9月28日以降,Bに愛想を尽かし,Bに黙ったまま,Dと2人でマンションの一室を退去し,しばらくの間,Bからの電話連絡にも出なかったこと,そして,BがDに対する虐待行為を継続中,その腹部を強打した際には,やめるように言葉で制止したことなどが認められる。
また,既に検討したとおり,被告人は,Bとの濃厚で様々な性行為により,性的満足感を得て精神的にも身体的にもBに傾倒していたところ,Bの機嫌を損ねた場合には,Bと別れなければならなくなると恐れて,Bの虐待行為を放置するようになり,次第にAの症状が悪化して衰弱していったが,その一方で,虐待行為や覚せい剤使用の事実が発覚すればBが逮捕されてしまうことを恐れる余り,病院や幼稚園などの関係機関に連絡することができなくなり,遂に,変わり果てたAの姿を見て,その生存を諦めるに至ったこと,次いで,Bの虐待行為がDに及ぶようになったが,もし,そのことが発覚すれば,A殺害の事実も発覚することになると恐れて,BのDに対する虐待行為についても放置したという悪循環に陥っていたことも認められる。
ところで,E鑑定は,被告人について,Bからの心理的被影響性が著しく高い状態にあった,Bからのドメスティック・バイオレンスの心理的影響により,本件事件当時,被告人は,Bの言動に抗することが困難な状態にあった,というのであるが,信用性に問題のある被告人の原審公判供述や面接の結果を過大に重視している上,ドメスティック・バイオレンスによる被害者の一般的特性をもって,被告人の精神状態を評価している傾向が強くうかがわれるのであって,鑑定資料の選択及び判断手法の点に重大な疑問があるといわざるを得ない。
上記認定の事実によれば,被告人は,本件各犯行当時,全般性不安障害の状況にあり,また,Bの言動に多少なりとも影響されてはいたが,行為の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力を喪失していたり,著しく低下した状態になかったことが明らかである。その他,所論が種々指摘している点を十分検討してみても,心神喪失及び心神耗弱の主張を排斥した原判決の認定に事実の誤認はない。
論旨は理由がない。
第3 破棄自判
   以上によれば,検察官の事実誤認の論旨は理由があるところ,原判決は,上記のとおり事実を誤認した原判示第1の事実について,原判示第2ないし第4の各事実と併せて,刑法45条前段の併合罪の関係にあるものとして1個の刑をもって処断しているから,刑訴法397条1項,382条により原判決を全部破棄し,検察官の量刑不当の論旨に関する判断を省略し,同法400条ただし書に従い,当裁判所において,更に判決する。
(原判示第1の事実に代えて当裁判所が新たに認定した事実)
 被告人は,Bとともに,平成11年8月下旬ころから,Aに対し,その裸体に花火の火の粉を浴びせたり,その両手両足を紐様の物で緊縛した上,首に付けた紐を操作して水を入れた浴槽に沈めたり,また,満足に食事を与えないようにしたりし,Bにおいて,大型スポーツバッグに入れたAを浴槽の水の中に沈めて仮死状態にさせたり,火傷を負ったその身体を布団たたき等で多数回殴打するなどの虐待行為を繰り返したため,Aが全身性炎症反応症候群の状態にあって,極度に衰弱していることを認識していたにもかかわらず,さらに,同年9月26日午前零時過ぎころ,Aの腹部が膨れていることに気付き,食事をしたと言って因縁を付け,その身体を激しく殴打するなどの暴行を加えた上,Aを二重にした黒色ビニール製ゴミ袋の中に入れて,その口を二重に真結びにし,その状態のままAをスポーツバッグ(当庁平成16年押第6号符号3)の中に押し込み,ファスナーを閉めるなどして密封状態にした。その様子を見聞きしていた被告人は,Aの親権者として,直ちに上記スポーツバッグ及びビニール袋の中からAを解放して救命すべき義務があり,かつ,その措置をとればAの生命を保護することができたのに,Bから「静かにしておけよ。」と言われて,Bの意図を察知し,Bとの間で,暗黙のうちに意思を相通じて共謀の上,Aが窒息により死亡するに至るかも知れないことを認識しながら,あえて助けを求めるAの声を無視してそのまま数分間放置し,よって,そのころ,同所において,Aを窒息死(低酸素血症)するに至らしめて殺害した。
(弁護人の主張に対する判断)
 被告人が,本件各犯行当時,心神喪失や心神耗弱の状況になかったことは,上記第2で説示したとおりである。
(量刑の理由)
 本件は,被告人と同棲していた男性が,当時6歳の被告人の長男に対し,虐待を繰り返した上,二重のビニール袋及び大型スポーツバッグの中に閉じ込めて密封状態にした際,被告人は,その親権者として,長男を解放して救命すべき義務があったのに,この男性と共謀の上,死亡するに至るかも知れないことを認識しながら,あえてそのまま放置して窒息死させ,その死体を遺棄した殺人及び死体遺棄のほか,その男性が当時4歳の被告人の長女に対し,虐待を加えた末,腹部を多数回殴打して死亡させた際,その親権者として暴行行為を防止すべき義務があったのに,暴行開始後しばらくの間,何らの措置をとることなく放置し,その犯行を容易にして幇助し,その死体を遺棄した傷害致死幇助及び死体遺棄の事案である。
 被告人は,親権者として被害者両名を保護すべき立場にありながら,長男に対する残忍で凄惨極まりない共犯者の虐待行為を制止することなく放置したばかりか,共犯者から言われるまま,自ら虐待行為に加担した挙げ句,未必的殺意のもと,同人を窒息死させ,さらに,その約2週間後に長女に対する共犯者の虐待行為を放置して傷害致死の犯行を幇助したのであって,2名の尊い生命を失わせた結果は誠に重大である。被害者両名は,いずれも幼く,母親である被告人に助けを求める以外には,虐待行為から身を守る術がなかったにもかかわらず,その最も信頼すべき母親に救いの手を差し伸べてもらうことができないまま,非業の死を遂げたのであって,無念の思いは察するに余りある。特に,長男が受けた虐待行為は熾烈を極め,身体各所を多数回殴られたり蹴られたりし,大型スポーツバッグに閉じ込められたまま浴槽の水の中に沈められて仮死状態になったり,裸体に花火の火の粉を何度も浴びせられ,身体の広範囲に火傷を負ったのであり,適切な治療も満足な食事も与えられないまま著しく衰弱した状態で,二重にした密封状態のビニール袋と大型スポーツバッグの中に閉じ込められ,息苦しさの余り何度も助けを求め,断末魔の叫び声を上げながら殺害されたのであって,その恐怖や身体的・精神的苦痛には筆舌に尽くし難いものがある。また,可愛い盛りの被害者2名を失った祖父母や親族が受けた衝撃も甚大であり,祖父母は,自ら助け出すことができなかった後悔の念に苛まされている。
 そして,被告人は,共犯者の機嫌を損ねると別れなければならないなどと考え,共犯者との愛欲生活を継続したいがため,母親としての責任を果たさず,自己の利益を優先して本件各犯行に関与したのであり,その経緯や動機に酌むべき事情はない。さらに,被告人らは,被害者両名を虐待死させた事実を隠し,責任を免れるため,2名の死体を山の中に投棄しており,その死体は,約1年間,野ざらしの状態で放置され,白骨化した無惨な姿を示しているのであって,死体遺棄の犯行も身勝手というほかなく,被告人らの行為により,死体に対する畏敬の念さえ踏みにじられている。加えて,児童虐待は大きな社会問題となっており,その量刑判断に当たり,一般予防及び特別予防の観点を考慮すべきことはいうまでもない。
 そうすると,本件の犯情は甚だ悪質であり,被告人の刑事責任は誠に重大である。
 しかしながら,他方,長男に対する殺意は未必的なものであること,本件各犯行を主導したのは共犯者であり,被告人は,従属的な立場にとどまること,特に,傷害致死に関しては,不作為による幇助という消極的な態様により関与したものであること,被告人は,本件発覚後,虐待の経過について事実関係を率直に供述しており,2名の生命を奪ったことについて,反省の態度を示し,その冥福を祈って写経を続けていること,前科前歴がないこと,被告人の更生について,両親の協力が期待できることなど被告人のために酌むべき事情も認められる。
 そこで,このような被告人に有利不利な一切の事情を総合考慮して,主文のとおり刑を定める。
  平成17年4月19日
    広島高等裁判所第1部
        裁判長裁判官   大   渕   敏   和
           裁判官   芦   高       源
 裁判官島田一は,転補のため署名押印することができない。
        裁判長裁判官   大   渕   敏   和

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最終更新:2005年08月01日 10:43
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