H17.12.14 京都地方裁判所 平成17年(ワ)第32号 損害賠償請求事件

市の職員から,「殺したろか。」と怒鳴られた市民が,外傷後ストレス障害(PTSD)になったとして,市に対し,損害賠償(慰藉料)を請求した国家賠償請求が一部認容された事例


        主         文
1 被告は,原告に対し,50万円及びこれに対する平成15年12月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
        事実及び理由
第1 請求
  被告は,原告に対し,500万円及びこれに対する平成15年12月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告の職員から,「殺したろか。」と怒鳴られた原告が,外傷後ストレス障害(PTSD)になったとして,損害賠償(慰藉料)を請求した国家賠償請求事件である。
 2 前提事実(争いがない事実)
(1) 原告は,肩書住居に居住する京都市民である。
(2) 訴外Aは,本件当時,京都市左京区役所福祉部保険年金課(以下「年金課」という。)に勤務し,国民健康保険に関する事務処理を担当していた被告の職員である。
(3) 平成15年12月12日,Aは,年金課において,原告に対し,机の上に置いてあったプラスチック製の書類入れのカゴを振り上げ,「殺したろか。」と発言した(発言回数については争いがある。)。
 3 争点
(1) Aの行為の違法性の有無
(2) 原告が外傷後ストレス障害(PTSD)になったか
(3) 原告の慰藉料額
4 当事者の主張
 (1) 原告
  ア 平成15年12月11日午後2時頃,原告は,例年であれば自宅に郵送されてきているはずの国民健康保険被保険者証(以下「保険証」という。)が届かないことから,年金課に電話したところ,Aと名乗る男性職員が電話に応対した。そこで,原告がAに対し,用件を告げて,早急に保険証を送付するよう求めたところ,Aは保険証を再発行すると回答したので電話を切った。
   イ 翌朝(平成15年12月12日)の午前8時40分頃,原告は送られてきてもいない保険証が再発行されるということはおかしいこと,そして何よりも再発行であれば,もともと発行された保険証を悪用された場合の責任が原告に転嫁される可能性があることをAに電話し,保険証の再発行では承諾できない旨を伝えた。また,保険証の再発行について,原告側に何らの落ち度が無いにもかかわらず再発行と表示されれば,医療機関において,「だらしない人物」と評価される恐れがある旨を伝えて,再発行では困ると言った。すると,Aは全く原告の話を聞こうとしなかった。そこで夫に電話を替わったところ,今度は「ハイハイ。」と人を馬鹿にしたような対応をしたことから,夫が抗議すると,「うるさい。ガタガタ言うなら,こっちへ来い。」と大声で怒鳴って一方的に電話を切った。
   ウ 原告は,これまで京都市の職員からAのような態度を取られたことが皆無であったことから,驚き,同日午前8時50分頃,左京区役所の年金課へ直接赴いた。一方,原告の夫は,直ちに左京区の保険年金課長のBに電話して,事の顛末を伝え,責任をもってAの態度について謝罪するよう求め,B課長が夫に対し謝罪をした。
   エ そして左京区役所において,原告は,「Aはどの人。」と言った。そして,応対したAに対し,「あんた,電話で何を言ったの。」と先ほどの電話の態度について直接抗議した。これに対し,Aは,「オレや,オレや,Aや。」,「何か文句あるのか,このおばはん。」と原告の前に出てきて大声を出した。そこでAのあまりの言葉に驚いた原告が再度抗議したところ,Aは,今度は,区役所内のコピー機の横に置いてあった書類入れのカゴをつかんで原告の目の前まで来て,胸を押し付けるようにして,カゴを振り上げ,原告に対し,「おばはん,殺したろか。」と数回怒鳴った。
   オ 原告とAの周囲には,複数の京都市職員がいたが,誰もAの行動を制止するものはおらず,図に乗ったAは,なおも原告に対し数回,「殺したろか。」と怒鳴り続けた。原告が,Aにこのような脅迫・暴行を受けているにもかかわらず,制止する者もいないなか,Aが原告に殴りかかろうとした瞬間になってようやく,年金課保険料係長のCが,Aの背後から羽交い締めにして同人の言動を制止した。そして,原告に面談室に入ることを強制した。
   カ 面談室にいち早く入っていたAは,面談室内において,「こっちへ来い,おばはん。話つけたるから。」と喚いていた。そこで,面談室に押し込まれた原告が,B課長,C係長,Aらに対し,Aの原告らに対する態度の問題点を指摘し,謝罪を求めた。また,区長にも直ちに報告し,区長に面談室へ来るよう連絡を求めた。すると,Aが必死になって謝り始め,B課長らも原告に対し,「この場で事を納めて欲しい。」などと言った。しかし,原告は到底納得できなかったことから,再度区長を呼ぶよう求めたところ,B課長がD副区長を面談室に連れてきた。D副区長が原告に謝罪したものの,区長ではなかったことから,原告が,「区長が何故来ないのか。」と尋ねると,D副区長は,「区長は外出中であるが,区長には本件を報告する。」と言った。そこで,原告は,区長に自宅へ謝罪に来るよう求めた。なお,原告が左京区役所を出たのは午前10時過ぎであった。
キ 原告は,平成15年12月12日から,何故自分がAにより,かような仕打ちを受けなければならなかったのか自問自答するようになり,不眠症状が出るようになっただけでなく,常時神経が張って緊張状態に陥り,かつ頭痛等を感じるようになった。そのため,同月15日から医療法人社団E診療所を受診し,外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受けた。平成16年1月からは,「死にたい」という気持ちに度々なり,気持ちが落ち込むことが度々重なったことから,同月7日からは抗うつ剤を投与されるほどであった。薬物療法により,不眠不安症状は若干改善はあるものの,本件直後から発症した不眠,抑うつ感,不安感,焦燥感,恐怖感等の精神症状や腹痛,背部痛等の身体症状は長期に渡って持続しており,事件の記憶,突然のフラッシュバック,繰り返し見る夢,集中困難,現実的な回避等が現在も続いている。
ク Aのこのような言動によって原告が被った精神的苦痛は多大であって,加害者であるA本人やその上司らの謝罪によってだけでは到底慰謝されるものではない。また,Aに対する処分や他区への異動にて違法性が阻却されるものでもない。被告は当初,Aを解雇する旨言明していたし,区長を始めとして原告に対する謝罪を繰り返していた。このことは,Aの原告に対する言動が極めて違法性の高いものであり,被告においても懲戒事由に該当すると判断していたことを物語っているのである。原告の毀損された名誉を回復するためにも,慰謝料としては金500万円が相当である。
  (2) 被告
ア 原告が「届かない」と主張する保険証は,原告の夫を世帯主とする平成16年11月30日が有効期限の保険証のことであるが,平成15年度の国民健康保険料のうちすでに納期限が到来したものの大半が未納であったため,原告に対し,例年通りの時期に当該保険証を発行することができなかった。そして,原告と原告の地区の担当者であったAとの間で,未納分の一部を納入することを条件に保険証を送付する話になり,平成15年12月9日,Aは納付を確認した上で,保険証を発行し,同日付で原告宅に郵送する手続を行った。その後,保険証は,普通郵便で発送された。なお,京都市では,保険証は普通郵便で郵送する処理をしており,年に数件届かなかったという連絡を受けるが,そのときは,従前発行した保険証と区別するためにも「再発行」という表示のついた保険証を送付し,その旨市民に説明して了解頂いてきた。
   イ 平成15年12月11日,Aは,原告に対し,「保険証を送付してから日数が経っておらず,区役所にも郵便が戻ってきていないので原告宅に届くはずである。」と伝え,もし届かない場合には再発行の手続をとる旨も併せて説明し,原告の了承の上電話を終えている。
ウ 平成15年12月12日午前8時40分頃,原告からA宛に電話があり,Aが対応したところ,未だ保険証が届かないという話であった。そこで,Aが原告に対し,郵便局も忙しいときには配達が遅れることもあるのでもうしばらく待ってほしいと言ったが,原告は,「なんでつかへんねや。」「つかへんかったら,どこへいくんや。」「保険証が他人のところに行ったらどうするんや。」「その人がサラ金に走ったらどうするんや。」と話をふくらませて感情的になり,Aに対し,「あんたどうしてくれるんや。」「あんたが悪いんや。」「あんたは保険証預かっとるんやで。人の命預かっとるんやで。そのへん自覚しとるんか。」と非難の言葉を浴びせた。また,原告は,保険証に再発行の表示がされると医療機関に不審に思われるので許せない趣旨のことを言い,Aが,原告に説明をしようとして,「聞いてもらえますか。」と言っても「どないすんねん。あんたが悪い。」と電話口で叫んで一向に話を聞いてもらえなかった。そこで,Aも大声で,「ちょっと待ってえな。」と原告に言ったところ,原告から「待てというのは何言うねん。」と言われ,次第に原告は,激昂し悲鳴のような声をあげて「あんたが悪い。」等と叫んだ。その後,原告の夫に電話を替わり,原告の夫は,Aに対し,「アホ,ボケ,カス。」と大声でAを罵倒し続け,一方的に電話を切った。
   エ B課長は,原告の来庁前に原告の夫からの電話を受けていた。原告の夫は,B課長に対し,「お前がBか。わしはさっきAのぼけと話していた者や。わしは組を束ねている者や。これから若い者と街宣車で乗りつけてお前らを皆殺しにしてやる。」と一方的に捲し立てた。それに対し,B課長は,「対応に失礼があればお詫びする。」と返答した。
   オ 同日午前9時頃,原告が年金課に来庁し,無断で年金課のカウンター内の執務室に立ち入り,「Aはだれや。」と言った。Aは,原告と面識がなかったが,名前を呼ばれて立ち上がり,原告に近づいたところ,原告は,大声で,「あんた電話で何言うたんや。」とAを一方的に責め立てた。それに対し,Aも感情的になって「ちょっと待ってくれや。」と大声を出していると,原告がAの胸を押した。周囲の被告の職員は,しばらく原告とAの様子を見ていたが,原告とAとの距離が縮まり,ついに原告が手でAの胸を押したことを見て,C係長が,二人の間に入った。また,Aは,原告に押されて少し後ろに下がる形になったところ,原告から胸を押されて感情を抑えることができず,近くの机の上に置いてあったプラスチック製の書類入れのカゴを振り上げ,「殺したろか。」と一回発言した。その後,C係長がAのカゴを持つ手を押さえ,年金課の職員のFがAの腕を背後から掴んでその場から引き離し,Aの腕を引っ張って面談室に入れた。
   カ 原告の夫との電話が終わったB課長が,原告に対し,面談室に入るように促し,原告は面談室に入った。先に面談室に入ったAは,Fから椅子に座るように促されて座ると,後悔と反省の念に襲われた。そして,B課長に続いて原告が面談室に入ってくると,Aは,椅子から立ち上がって「すみませんでした。」と言った。それに対し,原告は,「保険証はどこに行ったのか。」「たとえ気の触れた人が来ても,あんたみたいな態度をとったらあかん。」と大声を出し,Aは再度「すみませんでした。」と謝罪した。すると原告は,Aに対し,「あんたみたいのは保険料係にむいていない。ここはあんたには向いていない。」と言った。その後,B課長が間に入って,原告に対し,「私がここの責任者なので謝ります。このようなことがないよう努めるので許してもらいたい。」と謝罪したが,原告は了承せず,区長を呼ぶように言った。そのとき区長が不在であったため,D副区長が面談室に来て謝罪したが原告は了承せず,区長が謝罪に来ること及び保険証を持ってくることを要求して帰った。
   キ 同日午前11時45分頃,G副区長とB課長が,「再発行」という表示がされないようにして新たに発行した保険証を持って原告宅を訪問し,再度謝罪したところ,原告から区長が直接謝罪に来るべきであること,監督不行届であること,Aを処分して他区へ異動させるよう要求があった。
ク 同日午後2時頃,原告の夫からB課長席へ電話がかかり,課長が不在のため,課の職員が受けたところ,原告の夫は,「わしはI組のHや。Aという者が嫁さんを殺したろうかと言ったそうだが,わしが45口径のピストルでお前らを全部殺したろうか。」と言って電話を切った。
   ケ 平成15年12月13日,左京区長及びG副区長が午前9時55分頃,原告宅を謝罪のため訪問したところ,自己紹介をする間もなく,原告の夫から「おっさん殺したろうか。けじめつけたる。帰れ。」と怒鳴られ,また,「俺は,I組の幹部や。けじめつけたるから覚悟をしとけよ。嫁さんの親戚はJ会の組長や,かわいがってもらっている。そっちの方からけじめがあるやろう。帰れ。」と言われた。また,原告から区長に対し,「区長さん,あんたの指導が足りないのや。私は昨晩一睡もしていない。これから私,医者にもかからなあかんし。あんたはいいわな,謝ったらいいだけや。私の気持ちはどうなるんや。」との発言があり,また副区長に対し,「区長は飾り者や,実質的な責任者はあんたやで。分かっているんか。」との発言があった。
コ PTSDの診断基準は,アメリカ精神医学会と世界保健機構の2通の診断基準があるが,いずれも生命を脅かすような出来事や並はずれた脅威や破局的な性質をもったストレスフルな出来事であることを要するところ,本件では,これらの診断基準に該当しない。原告の現在の症状とAの行為との間に因果関係はない。
   サ 本件一連の経緯に鑑みると,Aの言動は決して容認できるものではないが,国家賠償法1条の違法性を有するとは認められず,原告の請求は棄却されるべきである。
第3 判断
 1 事実認定
 証拠(甲2,4,乙1,9ないし11,証人A,同C,同B,同E,原告),弁論の全趣旨及び文中掲記の証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1) Aは,平成14年5月1日から左京区役所の年金課に勤務し,国民健康保険料の徴収や支払相談を担当していたものであるが,平成15年9月頃,原告から平成15年度の国民健康保険の保険料の督促状が送付されたことで抗議の電話があった。Aは,保険料が未納であれば機械的に送付される旨説明したが,平成15年8月に保険料の減免申請(名義人は原告の夫である。)を行っていた原告が納得しなかったため(乙6),Aは,指定期限までに納付額が納付されれば,督促状は送付しないことを約した。
(2) 同年10月ないし11月頃,原告から,本来なら同年10月中に送られてくるはずの平成15年度の新しい保険証が送られてこないと苦情の電話があった。Aは,平成15年度の国民健康保険料のうちすでに納期限が到来したものの大半が未納であったため,原告に対し,例年通りの時期に当該保険証を発行することができなかったと述べ,原告側で未納分の一部を納入することを条件に保険証を送付することになった。そして,同年12月9日,Aは原告の夫名義で納付がなされたことを確認した上で,保険証を発行し,同日付で原告宅に郵送する手続を行った。なお,京都市では,保険証は普通郵便で郵送する処理をしている。
(3) 同年12月11日午後2時頃,原告から,「保険証が届いていない。」と苦情の電話があった。Aは,原告に対し,「保険証を送付してから日数が経っておらず,区役所にも郵便が戻ってきていないので原告宅に届くはずである。」と伝え,もし届かない場合には再発行の手続をとる旨も併せて説明した。というのも,前記のとおり,京都市では,保険証は普通郵便で郵送する処理をしており,年に数件届かなかったという連絡を受けることがあるが,そのときは,従前発行した保険証と区別するためにも「再発行」という表示のついた保険証を送付することにし,その旨市民に説明して了解をもらってきたからである。原告も,Aの説明を聞き,その日は了承の上電話を終えた。
(4) 同日,原告は,帰宅した夫にAとのやりとりを話したところ,紛失も毀損もしていないのに再発行はおかしいと言われ,翌12月12日午前8時40分頃,A宛に電話をした。Aは,「郵便局も忙しいときには配達が遅れることもあるのでもうしばらく待ってほしい。」と言ったが,原告は,「なんでつかへんねや。」「つかへんかったら,どこへいくんや。」「保険証が他人のところに行ったらどうするんや。」「その人がサラ金に走ったらどうするんや。」と次第に感情的になり,「あんたどうしてくれるんや。」「あんたが悪いんや。」「あんたは保険証預かっとるんやで。人の命預かっとるんやで。そのへん自覚しとるんか。」と非難の言葉を浴びせた。また,原告は,保険証に再発行の表示がされると医療機関に不審に思われるので許せない趣旨のことを言い,Aが,原告に説明をしようとしても,「どないすんねん。あんたが悪い。」と電話口で叫んで一向に話を聞いてもらえなかった。そこで,Aも大声で,「ちょっと待ってえな。」と原告に言ったところ,原告から「待てというのは何言うねん。」と言われ,次第に原告は,激昂し,悲鳴のような声をあげて「あんたが悪い。」等と叫んだ。その後,原告の夫に電話を替わり,原告の夫は,Aに対し,「アホ,ボケ,カス。」と大声でAを罵倒し続け,Aも,「うるさい。ガタガタ言うなら,こっちへ来い。」と言った。
  (5) そこで,原告の夫は,B課長に電話をし,「お前がBか。わしはさっきAのぼけと話していた者や。わしは組を束ねている者や。これから若い者と街宣車で乗りつけてお前らを皆殺しにしてやる。」と一方的に捲し立てた。それに対し,B課長は,「対応に失礼があればお詫びする。」と返答した(乙4)。
  (6) 同日午前9時頃,原告が年金課に来庁し,無断で年金課のカウンター内の執務室に立ち入り(乙8),「Aさんてだれや。」と言った。Aは,原告と面識がなかったが,名前を呼ばれて立ち上がり,「俺や,俺や,Aや。」と言って原告に近づいたところ,原告は,大声で,「あんた電話で何言うたんや。」とAを一方的に責め立てた。それに対し,Aも感情的になって「何か文句あんのか,このおばはん。」と大声を出していると,原告がAの胸を押した。Aも,原告から胸を押されて感情を抑えることができず,近くの机の上に置いてあったプラスチック製の書類入れのカゴ(乙12)を振り上げ,「おばはん,殺したろか。」と発言した。C係長が,二人の間に入り,Aのカゴを持つ手を押さえ,年金課の職員のFがAの腕を背後から掴んでその場から引き離し,Aの腕を引っ張って面談室に連れて行った。
  (7) 原告の夫との電話が終わったB課長が,原告に対し,面談室に入るように促し,原告は面談室に入った。先に面談室に入ったAは,当初は興奮していたが,Fから椅子に座るように促されて座ると,後悔と反省の念に襲われた。そして,B課長に続いて原告が面談室に入ってくると,Aは,椅子から立ち上がって原告に対し,「すみませんでした。」と謝った。それに対し,原告は,「保険証はどこに行ったのか。」「たとえ気の触れた人が来ても,あんたみたいな態度をとったらあかん。」と大声を出し,Aは再度「すみませんでした。」と謝罪した。すると原告は,Aに対し,「あんたみたいのは保険料係に向いていない。ここはあんたには向いていない。」と言った。その後,B課長が間に入って,原告に対し,「私がここの責任者なので謝ります。このようなことがないよう努めるので許してもらいたい。」と謝罪したが,原告は了承せず,区長を呼ぶように言った。そのとき区長が不在であったため,D副区長が面談室に来て謝罪したが原告は了承せず,区長が謝罪に来ること及び保険証を持ってくることを要求して帰った(乙3)。
  (8) 同日午前11時45分頃,G副区長とB課長が,「再発行」という表示をしないで新たに発行した保険証を持って原告宅を訪問し,再度謝罪したところ,原告から,区長が直接謝罪に来るべきであること,監督不行届であること,Aを処分して他区へ異動させることの要求があった(乙4)。
(9) 同日午後2時頃,原告の夫からB課長席へ電話がかかり,課長が不在のため,課の職員が受けたところ,原告の夫は,「わしはI組のHや。Aという者が嫁さんを殺したろうかと言ったそうだが,わしが45口径のピストルでお前らを全部殺したろうか。」と言って電話を切った(乙4)。
  (10) 同年12月13日,左京区長及びG副区長が午前9時55分頃,原告宅を謝罪のため訪問したところ,自己紹介をする間もなく,原告の夫から「おっさん殺したろうか。けじめつけたる。帰れ。」と怒鳴られ,また,「俺は,I組の幹部や。けじめつけたるから覚悟をしとけよ。嫁さんの親戚はJ会の組長や,かわいがってもらっている。そっちの方からけじめがあるやろう。帰れ。」と言われた。また,原告から区長に対し,「区長さん,あんたの指導が足りないのや。私は昨晩一睡もしていない。これから私,医者にもかからなあかんし。あんたはいいわな,謝ったらいいだけや。私の気持ちはどうなるんや。」との発言があり,また副区長に対し,「区長は飾り者や,実質的な責任者はあんたやで。分かっているんか。」との発言があった(乙5)。
(11) 原告は,同年12月12日から,理不尽な対応,ひどい扱いを受けたとして不眠となり,家事ができなくなって,同年12月15日,E診療所を受診した。原告には,不眠,抑うつ感,不安感,焦燥感,恐怖感等の精神症状や腹痛,背部筋肉痛等の身体症状が見られ,自分はひどい扱いを受けるようなどうしようもない人間のように感じられ,しんどくて何も出来ないと訴え,主治医のE医師は,「急性ストレス障害」として,薬物,精神療法を開始した。現在でも2週間に1度通院しており,薬物療法により,不眠,不安症状はやや改善しているが,前記症状は長期に渡り持続しており,生々しい事件の記憶,突然のフラッシュバック,繰り返し見る夢,焦燥感や怒りの爆発,集中困難,関係する状況からの現実的な回避,希死感等が現在も続いている。そして,E医師は,世界保健機構の外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準(ⅠCDー10)に該当するとして,外傷後ストレス障害(PTSD)と診断している(甲1)。
(12) 平成16年1月21日,Aには,市長から停職10日間の処分が行われ,B課長にも左京区長から厳重文書訓戒の処分が行われた。そして,同年5月,Aは北区役所の市民税課へ異動となった。
 2 争点に対する検討
(1) Aの行為の違法性の有無
    前記認定事実からすると,Aが原告に対して,プラスチック製の書類入れのカゴを振り上げ,「おばはん,殺したろか。」と発言したことは,いかなる経緯があるにせよ,公務員としてあるまじき行為であって,明らかに違法であると言わざるを得ない。
    被告は,本件一連の経緯に鑑みると,Aの言動は決して容認できるものではないが,国家賠償法1条の違法性を有するとは認められない旨主張する。
    確かに,前記認定の平成15年12月12日午前8時40分頃の原告からの電話の様子からすると,原告は,Aの説明や弁明を聞こうとせず,一方的にAに非があるとして責め立て,また,原告の夫もAを罵倒しており,午前9時頃,左京区役所の年金課においても,原告は執務室に無断で立ち入り,Aの胸を押したことが認められるが,Aも,感情的になって「何か文句あんのか,このおばはん。」と大声を出して原告に応対し,前記言動に及んでおり,その後面談室において,原告に対して謝罪したことを考慮しても,違法性が阻却されるものではない。
なお,Aの「殺したろか。」との発言の回数について,原告は,複数回と主張し,原告本人も同旨の供述(甲2の陳述書を含む。)をしているのに対し,被告は,1回である旨主張し,被告側の証人A及びCは同旨の証言(乙9,10の陳述書を含む。)をしている。そして,E診療所の初診時(平成15年12月15日)のカルテ(甲3)の現病歴欄には回数の記載はなく,被告の職員が事件当時に作成したメモ(乙1,3)の記載からも,回数は明らかではない。また,原告の症状からすると,繰り返して発言がなされたと思い込むことも考えられる。
これらからすると,Aの「殺したろか。」との発言の回数については,いずれの主張もその裏付けが十分ではなく,結局,発言回数は認定しないこととする。
  (2) 原告が外傷後ストレス障害(PTSD)になったか
    前記認定のE医師の診断結果からすると,原告は,Aの言動によって,外傷後ストレス障害(PTSD)になったものと認めるのが相当である。
    被告は,PTSDの診断基準は,アメリカ精神医学会と世界保健機構の2通の診断基準があるが,いずれも生命を脅かすような出来事や並はずれた脅威や破局的な性質をもったストレスフルな出来事であることを要するところ,本件では,これらの診断基準に該当しない旨主張する。
E医師の診断が被告主張の診断基準に厳格に合致するか否かはともかく,前記認定の原告の症状は,平成15年12月12日以前には存在していなかったのであるから(甲1,証人E),E医師のいう外傷後ストレス障害(PTSD)は,Aの言動と因果関係が認められることは明らかである。
(3) 原告の慰藉料額
  前認定のAの言動に加え,原告の症状は長期に渡り持続しているものの,薬物療法により,不眠,不安症状は改善していること,また,外傷後ストレス障害(PTSD)自体,元来快復が期待できるものであること(乙13,14)のほか,平成15年12月12日の原告や夫の電話における対応や原告の左京区役所における行動なども総合考慮すると,原告の慰藉料額として,50万円が相当である。
第4 結論
 以上のとおりであるから,原告の本訴請求は,主文掲記の限度で理由がある。

     京都地方裁判所第1民事部

         裁判官 中 村  隆 次

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最終更新:2005年12月27日 16:53
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