hanrei @Wiki H17.12.14 さいたま地方裁判所 平成15年(ワ)第1945号



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食道癌の手術中に,患者が体を動かしたことによって,医師が患者の食道に手術器具で穿孔を生じさせる結果となったことにつき,医師はそれを予見できたとして,注意義務違反を認定し,当該注意義務違反とその後の肺炎発症との間に因果関係を認めた事例



主文
1 被告は,原告両名に対し,各自金88万円及びこれに対する平成15年10月29日から支払済みまで年5分の割合     による金員を支払え。
2 原告両名のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを5分し,その2を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。
4 この判決の第1項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告両名に対し,各自金151万5000円及びこれに対する平成15年10月29日から支払済みまで年5分の  割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告が設置運営する病院において,当該病院に勤務する医師が,訴外亡Aの食道癌を切除する手術の際に,食道に  手術器具を突き刺し,穿孔を生じさせ,その結果,亡Aが肺炎を発症したとして,亡Aの相続人である原告らが,被告に対   し,債務不履行(民法415条)あるいは不法行為(民法715条)に基づき,原告らが亡Aから相続した入院慰謝料等の損  害賠償を求める事案である。
2 前提事実(争いのない事実のほか,後掲の証拠等により容易に認定できる事実)
(1) 当事者等
ア(ア) 亡A(大正11年生)は,靴をワゴンに積んで売り歩く商売を平成12年の夏ころまで行っていたものであるが,      平成13年3月25日に満78歳で死亡した(甲1,原告B本人)。
(イ) 原告C(大正14年生)は,昭和25年11月28日,亡Aと婚姻したが,平成12年の夏以前ころから,身体が      不自由な状態で,家事等には主として亡Aがあたっていた(甲1,原告B本人)。
(ウ) 原告B(昭和31年生)は,亡A夫婦の長男であるが,平成12年の夏ころには既に独立していて,亡A及び原告      Cとは別居しており,両親の様子を見るために月に数回ほど家を訪問するなどしていた。亡Aが,平成12年10月      10日に入院してからは,一人暮らしの原告Cの面倒を見るために,より頻繁に同人方を訪問するようになり,現在      は同人方で原告Cと同居している(原告B本人)。
イ(ア)a 被告は,独立行政法人国立病院機構法に基づき,平成16年4月1日に設立され,国が有する権利及び義務を承       継した。埼玉県蓮田市大字ab番地において,独立行政法人国立病院機構東埼玉病院(旧国立療養所東埼玉病院。以       下「本件病院」という。)を設置運営している。
  b 被告は,亡Aとの間で,本件病院において,亡Aに対し,必要な検査のうえ,適切な治療行為を施す旨の診療契       約を締結した。
(イ)a 訴外D医師は,平成12年当時,本件病院に勤務していた医師であり,平成12年10月16日に実施された亡       Aに対する食道癌の切除手術(以下「本件手術」という。)を担当した。
 b 訴外E医師は,平成12年当時,同じく本件病院に勤務していた医師であって,D医師とともに,亡Aの治療を       担当した。
(2) 亡Aの診療経過概要(以下,特に指摘がない限り,平成12年の出来事である。)
ア 外来受診時の状況
(ア) 亡Aは,8月ころから腹部に痛みを感じるようになり,8月3日,本件病院内科外来を受診した。同科の検査で,      腫瘍マーカーCEAが11.1(基準値5.0以下)と高値を示していたことから,精査のため,同病院外科外来に      回されてさらに検査をしたところ,亡Aの腫瘍マーカーCEAが11.9の高値を示した(乙3・3頁,16頁)。
(イ) D医師は,8月30日,亡Aに対し,上部消化管内視鏡検査(以下「本件内視鏡検査」という。)を行った。その      結果,亡Aの食道の切歯列より30センチメートル左後壁にヨード染色にて癌を認め,さらに生化学検査を行った結      果,扁平上皮癌(以下「本件食道癌」という。)と診断した(乙3・4頁,8ないし15頁)。
(ウ) D医師は,9月5日,他の部位に癌が発生していないかを検査するため,注腸検査を施行した(以下「本件注腸検      査」という。)が,大腸に異常は認められなかった。また,同月12日,腹部造影CT検査を施行したが,肺・胸       膜・縦隔・肝臓・胆嚢・膵臓・腎臓のいずれにも異常は認められなかった(乙3・4頁,25ないし26頁)。
イ 本件病院への入院から本件手術までの経過概要等
(ア) 亡Aは,10月10日,本件病院に入院(以下「本件第1入院」という。)した。本件第1入院の入院期間は,当      初約2週間ないし4週間程度の予定であった(乙1の2・5頁,283頁,乙3・5頁)。
(イ)a D医師は,同月16日,本件食道癌の治療として,内視鏡的粘膜切除術(以下「EMR」という。)を実施し        た。しかしながら,同施術中,亡Aが2度の体動(以下,1度目の体動を「本件第1体動」,2度目の体動を「本       件第2体動」という。)をした後,3度目の体動(以下「本件第3体動」という。)をした際,D医師は,亡Aの       食道に手術器具を突き刺し,穿孔(以下「本件食道穿孔」という。)を生じさせたことから,本件食道癌の切除に       成功しないまま,本件手術を中止した(乙1の2・5頁)。
 b EMRとは,内視鏡を使用して,早期癌等粘膜表層の病変を切り取る方法である。EMRには数種類の術式があ       るが,本件手術においては,EEMR-tube法(以下「本件術式」という。)が採用された。本件術式は,内       視鏡を使用しながら,EEMRチューブ(以下「本件チューブ」という。)を食道に挿入し,本件チューブのサイ       ドチャンネルから,高周波の電流を通すことにより病巣部を焼き切って切除する手術器具(以下「スネア」とい        う。)を挿入して,病巣部の上でスネアを広げ,病巣部を含んだ粘膜をスネアで絞扼し,高周波の電流を通して切       除する方法である(甲5,乙7,乙9)。
 c EMRを含め,内視鏡を使用する検査及び手術において,高齢者,意識障害のある患者及び意思疎通の悪い患者       等治療に非協力的な者の場合については,検査及び手術の施行が困難であるため,場合によっては施行すべきでな       い,いわゆる禁忌に該当する(甲5,甲7,甲8)。
ウ 本件手術後から浦和市立病院(当時。現在はさいたま市立病院。以下「訴外市立病院」という。)への転院,並びに,    本件病院への再入院及び退院までの経過概要
(ア) 10月20日,上部消化管造影を施行したところ,本件食道穿孔が閉鎖し,治癒していることが確認された(乙1      の2・9頁)
(イ) 本件病院の院長,副院長及びD医師らは,同日,原告らに対し,本件食道穿孔について謝罪をした(乙1の2・1      0頁)。
(ウ) 同月23日,胸部X線及びCT検査の結果,亡Aに肺炎(以下「本件肺炎」という。)の発症が認められた(乙1      の2・15頁)。
(エ) 亡Aは,11月15日に,訴外市立病院へ転院したが,11月20日,本件病院に再入院し(以下「本件第2入       院」という。),平成13年2月9日,退院した(乙1の2・63頁,288頁,乙2の2・7頁,乙2の2・41      頁)。
3 争点及び当事者の主張
本件の争点は,(1)D医師が亡Aに本件食道穿孔を生じさせたことにつき過失あるいは注意義務違反があるか,(2)亡A及び  原告らに生じた損害の範囲及び損害額の2点であり,これらに関する当事者の主張は以下のとおりである。ただし,特に指摘  のない限り,平成12年における出来事についての主張である。
(1) 争点(1)(D医師の過失あるいは注意義務違反の有無)について
(原告らの主張)
ア(ア) D医師は,亡Aあるいは原告らに対し,本件手術に先立ち,EMRが簡単な手術であると説明しただけで,EMR      を実施する際の危険性について説明をしなかった。
(イ) 亡Aは,本件手術当時,満78歳と高齢であるうえ,認知症を患っており,EMRの内容及びその危険性について      認識及び理解をしていなかった。本件手術後である12月27日に,「アルツハイマー病として相違ない状態」と診      断されていることからも,本件手術時において,亡Aが重度の認知症を患っていたことは明らかである。
(ウ) D医師は,亡Aが認知症であり,説明した内容を理解していないこと,あるいは,一度は理解したとしても,すぐ      に忘れてしまう状態であることを認識していた。
(エ) 食道に対するEMRは,胃や結腸に対するEMRと比較して,内腔が狭く,呼吸や心拍数等により動きが激しい等      の理由から穿孔を生じさせやすい。
(オ) 本件手術の際,亡Aには,局所麻酔しか施されていなかった。
(カ) 亡Aは,本件手術の際,食道にスネアを突き刺される前に,手足を動かしたり,上向きまたは俯せになろうとする      態様で,2度体動をした。D医師は,本件第1体動の後,鎮静剤の投与等により亡Aの抑制を図ったが,その後本件      第2体動が起こった。
(キ) 本件手術は失敗に終わり,その後,本件癌の切除は行われなかった。
(ク) 亡Aは,本件手術当時,既に末期的な癌性腹膜炎を患っていた。亡Aは,本件第1入院以前から腹痛を訴えていた      のであるから,本件病院が腹部の検査を行っていれば,本件手術以前に癌性腹膜炎を発見することは可能であった。
イ(ア) 上記アの各事実からすると,D医師は,本件手術の際,本件第2体動後,再度の体動を予見することが可能であっ      たのであるから,①本件第2体動後,本件手術を中止せず,漫然と続行し,スネアで食道を突き刺した過失あるいは      注意義務違反,または,②全身麻酔を施して本件手術を実施しなかった過失あるいは注意義務違反がある。
(イ) 上記アの各事実からすると,D医師は,本件第2体動後,再度の体動を予見することが可能であったうえに,亡A      がEMRの禁忌に該当するのであるから,③そもそもEMRを実施したこと自体が過失あるいは注意義務違反にあた      る。
(ウ) 上記アの各事実からすると,D医師には,④亡Aあるいは原告らに対するEMRの内容及びその危険性に関する説      明義務違反の過失あるいは注意義務違反がある。
(被告の主張)
スネアを食道に突き刺して本件食道穿孔を生じさせたことにつき,D医師に,①ないし④の過失あるいは注意義務違反が   あるとの原告らの主張を否認する。
ア D医師が,本件手術時において,本件第2体動後,再度の体動を予見することは不可能であった。
(ア)a 本件第1入院前の外来通院時において,亡Aに認知症の症状は認められなかった。9月12日及び同月21日,       D医師が,亡A及び原告らに対し,本件食道癌,EMRの内容及びその危険性について説明したところ,亡Aはそ       の内容を理解していた。
  b 本件第1入院以降,亡Aには,見当識障害や夜間の徘徊行動といった認知症の兆候が現れていたが,看護師らの       指示については,それを理解し,素直にそれに従って行動する等,認知症の程度は軽微なものであった。
  c 本件第2入院中である12月27日,亡Aには高度の認知症が認められた。しかしながら,これについては,亡       Aがいわゆる術後せん妄を来していた可能性があり,この事実によって,本件手術前及び本件手術時の亡Aの認知       症の程度が高度であったことを裏付けるものではない。
(イ) 本件手術の際と同様の局所麻酔剤及び前投薬の鎮静剤により本件内視鏡検査が行われた際,及び,麻酔を使用する      ことなしに本件注腸検査が行われた際,いずれも亡Aは体動を起こすことがなかった。また,本件内視鏡検査の際       に,局所麻酔剤及び前投薬の鎮静剤の投与にあたり,D医師の指示に反して,局所麻酔剤を飲み込んだりすることは      なかった。
(ウ) D医師は,EMRの侵襲の程度,本件内視鏡検査等における亡Aの協力的な態度,EMRの内容に関する亡Aの理      解の程度,及び,本件手術時において満78歳という亡Aの高齢からくる麻酔そのもののリスクを考慮して,全身麻      酔を施さず,局所麻酔を選択した。
(エ)a EMRガイドラインには,「穿孔の発生を予防するために,患部が生理食塩水注入で膨隆しない場合は注意を要       すること,憩室内病変は切除しないこと」などの注意が喚起されている。本件食道穿孔は,このようにEMRガイ       ドラインが合併症として通常想定している穿孔発症例とは全く異なった,亡Aの体動により生じたものである。
 b しかも本件第3体動の態様は,亡Aが手術台の上で起きあがるといったものであり,EMRにおいて通常予見可       能な体動の程度を超えるものであった。
 c 本件第3体動は,本件チューブを動かし終えた後の本件チューブが消化器官の粘膜と擦れていない状況下,つま       り,患者が苦痛を感じることのない状況下で起こった。
(オ) D医師は,本件第3体動よりも前の2度の体動の際,看護師らとともに亡Aを抑制するとともに,鎮静剤を投与し      て対応した。
(カ) D医師は,本件手術以前に,患者に穿孔を生じさせた経験は1例もなかった。
イ 本件第2体動後,本件手術を中止しなかったことについて,D医師に過失あるいは注意義務違反はない。
EMRにおいては,ある程度の体動を想定し,体動の都度,鎮静剤を投与し,また,看護師等による抑制を施すなど,    手術を施行し得る状況を確認しながら,可能な限り手術を続行することが望ましい。早期の食道癌に対し,通常予見され    る軽度の体動の都度,EMRを中止すべきではない。
ウ 本件手術につき,局所麻酔を選択した理由は上記ア(ウ)のとおりであるから,全身麻酔を施さなかった点につき,D医    師に過失あるいは注意義務違反はない。
エ そもそも亡Aは,EMRの禁忌ではなく,相対的適応であったのであるから,D医師がEMRを実施したこと自体が過    失あるいは注意義務違反にあたるものではない。
(ア)a 本件食道癌の浸潤は粘膜固有層にとどまり,リンパ節転移はなく,周在性(食道を輪切りにした場合に,その円       周上に癌が占める割合)は4分の1,周病巣数1個であった。このような,早期の食道癌に対しては,侵襲の大き       い開胸開腹手術ではなく,内視鏡的治療を選択することが望ましく,根治的治療として確立している。また,内視       鏡的治療の中でも,EMRは,確実に病巣を切除できる等の理由から,主流となっている。
 b 本件術式は,原告らが主張する食道に対するEMRの困難性及び危険性を克服すべく開発された術式で,EMR       の他の術式と比較して,手技が簡単である。
 c 亡Aにおいて,EMRガイドライン上禁忌とされる,出血傾向及び食道静脈瘤はなかった。
(イ)a D医師が,9月12日及び同月21日,亡Aに本件食道癌,EMRの内容及びその危険性について説明したとこ       ろ,亡Aは,その内容を理解して,EMRを受けることを拒否しなかった。
  b 本件内視鏡検査及び本件注腸検査の際,亡Aは体動することなく,検査を終えた。
(ウ) 癌性腹膜炎は,末期的なものであったが,本件手術後に発見されたものであり,また,癌性腹膜炎が腺癌であるの      に対し,本件食道癌は扁平上皮癌でありタイプを異にする相互に関連のない癌であるから,本件手術前に癌性腹膜炎      の存在を予見することは不可能であった。
オ D医師が,亡A及び原告らに対し,EMRの内容及びその危険性につき説明をしたのは上記ア(ア)a及びエ(イ)aのと    おりであるから,D医師に説明義務違反の過失あるいは注意義務違反はない。
(2) 争点(2)(亡A及び原告らに生じた損害の範囲及び損害額)について
(原告らの主張)
ア D医師が,過失あるいは注意義務に反して,スネアを亡Aの食道に突き刺したことにより,本件食道穿孔が生じ,その    結果,本件肺炎が発症した。
イ(ア)a 本件肺炎により,亡Aは,生死が危ぶまれる状態に陥り,平成12年10月10日から平成13年2月9日まで       4か月間入院生活を余儀なくされたのであるから,その苦痛を慰謝するに足りる額は,少なくとも,交通事故によ       る4か月間の入院の場合の入院慰謝料184万円を基礎として,その50%増しである金276万円を下ることは       ない。
 b 原告らは,亡Aが死亡したことにより,同人の上記入院慰謝料を,それぞれ2分の1の割合で相続した(原告ら       一人あたりにつき金138万円)。
(イ) 本件と相当因果関係のある弁護士費用は,少なくとも上記入院慰謝料額の1割である金27万円(原告ら一人あた      りにつき金13万5000円)を下ることはない。
ウ よって,原告両名は,被告に対し,債務不履行または不法行為による損害賠償請求権に基づき,各自金151万500    0円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年10月29日から支払済みまで民法所定年5分の割合による    遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
ア(ア) D医師が,スネアで亡Aの食道を突き刺したことによって本件食道穿孔が生じたこと及びその後本件肺炎を発症し      たことは認めるが,本件食道穿孔と本件肺炎発症との間の因果関係については否認する。
(イ) 肺炎の成因は,ウィルス,細菌,真菌その他の微生物,化学物質(薬物も含む。),ガス,放射線など物理エネル      ギー及び免疫異常(アレルギー等を含む。)等様々なものがある。
 本件食道穿孔部分から胸膜内に空気及び水が入り込むだけで,それが一次的に本件肺炎の原因になったとはいえな      い。本件肺炎の原因は不明である。
イ 亡A及び原告らに生じた損害額については争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(D医師の過失あるいは注意義務違反の有無)に対する判断
(1) 前記前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。ただし,特に指摘のない限り,    平成12年における出来事である。
ア(ア) D医師が,8月30日,本件内視鏡検査等の結果を総合して,亡Aを本件食道癌と診断したのは前記のとおりであ      る。
(イ) 本件内視鏡検査の実施にあたっては,前処置として,まずガスコインドロップ及びプロナーゼを亡Aに服用させた      うえ,咽頭及び喉の奥を麻痺させる目的で,局所麻酔剤として,キシロカインビスカスを処方した。キシロカインビ      スカスはいわゆるコカインの仲間に分類される薬品であり,飲み込むと,キシロカインビスカス中毒の症状を起こす      おそれがあるため,処方にあたっては,飲み込まずに3分間程度喉の奥にためておいた後,吐き出すように指示をし      ている。亡Aは,その指示に従って,同薬品を飲み込むことなく,3分間程度喉の奥にためた後,膿盆に吐き出し       た。その後,亡Aに対し,15分ないし20分くらいをかけて本件内視鏡検査が行われたが,その際,亡Aが体動し      たりすることはなかったし,その他に同検査が困難になっ
      て中止せざるを得ないような状況が発生することはなく,同検査は終了した(証人D医師)。
(ウ) 本件内視鏡検査によれば,局所的所見として,本件食道癌の大きさは,縦軸の長さが約4センチメートル,周在性      は4分の1周であった。肉眼的所見として,本件食道癌は,周囲の食道粘膜と全く段差のない平坦なタイプ(いわゆ      る0-Ⅱb型)であった(乙3・8ないし11頁,証人D医師)。
イ D医師は,亡A及び原告らに対し,9月12日及び同月21日,亡Aが本件食道癌を患っていること,その治療方法と    して,EMRを実施することが簡便であること,ただし,EMRを実施するにあたっては,稀に出血を伴ったり,穿孔を    生じたりする危険性があることを告げたうえ,上記日時の内,少なくとも1回は,EMRの具体的な施術方法について,    タオルをチューブないしスネアに見立てるなどして視覚的な説明を行った(乙3・5ないし6頁,証人D医師,原告B本    人)。
亡Aは,自身の病状及びEMRの方法に関し,驚いたが,その時点では,EMRについてその内容等D医師の説明を理    解していた(原告B本人)。
ウ(ア) 亡Aは,本件第1入院の1ないし2年ほど前に,埼玉県久喜市内の病院に入院した際に,徘徊をすることがあった      が,自宅にいるときは,原告Bが見る限り,認知症の程度が重いと思われることはなく,異常な行動をしたりするこ      とも特になかった。そのため,本件第1入院の前,外来診察等の際に,原告らから,本件病院に対し,亡Aの認知症      の状況について説明をしたことはなかった(原告B本人)。
(イ) 本件第1入院前において,亡Aは,食事の摂取,入浴,衣類着脱,及び見繕いのすべてを自分で行うことができる      程度の状態であった(乙1の2・298頁)。
(ウ) 本件第1入院初日である10月10日,亡Aは,自宅に帰る支度をしたりする等落ち着きがないうえ,入院したと      いう状況等を説明しても,すぐに忘れるような状況であった。
 10月11日以降も,認知症によると思われる不安定な行動があり,入院している部屋の外を徘徊したり,部屋の      中でもなかなか入眠しようとせずごそごそと落ち着きなく動いたり,EMRの説明をされてもすぐに忘れてしまった      り,服を脱いで全身裸になったり,洗面所以外の場所で放尿をしたりするような状況であった。
 本件病院においても,本件第1入院の当初から,そのような亡Aの認知症の状況を認識するとともに,10月11      日のカンファレンスにおいて,亡Aが理解力に乏しく,見当識障害であることの認識を踏まえ,本件手術までの対応      策を検討したり等していた(乙1の2・310ないし313頁)。
(エ) 本件手術当日である10月16日も,亡Aは,朝から不穏な状態で,家へ帰る等と言ったり,徘徊したりしていた      が,午前11時に,本件手術のため場所を移動する旨を伝えると,頷いてこれに従った(乙1の2・314頁)。
エ(ア) 本件手術直前,亡Aには,前処置として,ガスコインドロップ5ml,プロナーゼ0.5g,重曹1g,蒸留水50       mlが経口投与され,キシロカインビスカス5ml及びキシロカインスプレーにより咽頭麻酔がされ,ブスコパン1アン      プルが投与された(乙4・1,3,4頁)。さらに,前投薬として,オピスタン35mlが投与された(乙4・2        頁)。
(イ)a 亡Aを左側面下の臥位にさせ,病変部を確認するため内視鏡を食道に挿入したところ,亡Aが本件第1体動をし       た。D医師や看護師2名が,亡Aに対し,口頭で動かないように注意するなどして抑制を図るとともに,鎮静剤と       してサイレース0.3mgを静脈注射した(乙1の2・314頁,証人D医師)。
 b 本件チューブを挿入する際,亡Aが本件第2体動をした。亡Aは,本件第1体動と同様,手足を動かしたり,臥       位のまま身体を上向きにしたりまたは俯せになろうとしたので,再び,D医師及び看護師2名等で,口頭による注       意で亡Aの抑制を図り,サイレース0.3mgを追加静脈注射した(証人D医師)。
c  本件第2体動が鎮静した後,D医師は,本件チューブのサイドチャンネルからスネアを挿入したが,当初,スネ       アの滑りが悪く入りにくかったため,キシロカインゼリーを使用し,滑りをよくした。その後,本件食道癌を切除       するため,その病巣部の上でスネアを広げようとしたところ,亡Aは,本件第3体動をした。本件第3体動の動き       方は,上半身を起こして手術台の上に膝をついて立つような態様であった。本件第3体動を抑制するため,D医師       らは,総勢5人がかりで,亡Aの手足を押さえて,ゆっくりと手術台の上に寝かせた。そのうえで,サイレースを       さらに0.3mg追加して静脈注射した(乙1の2・314頁,証人D医師)。
d  本件第3体動が鎮静した後,挿入していた内視鏡で食道の様子を確認したところ,粘膜に損傷が認められたた        め,EMRを断念して,出血がないことを確認した後,内視鏡,本件チューブ及びスネアを食道から抜き出して,       本件手術を中止した(乙1の2・5頁)。
オ 本件手術直後,胸部X線撮影を施行したところ,本件食道穿孔が確認された。その大きさは,スネアの外径と同じく,    2.5mm程度であった(乙1の2・5頁,314頁,証人D医師)。
カ 同日午後,D医師は,原告らに対し,本件手術により本件食道癌の切除が成功しなかったこと,スネアを食道に突き刺    したことにより本件食道穿孔が生じたことを説明した(乙1の2・5頁)。
(2)ア(ア) 前記認定事実からすると,本件第1入院前において亡Aには特段原告らが注意を払わなければならないほどの認      知症の症状がなかったこと,本件内視鏡検査の前処置の段階及び同検査の段階,並びに,本件注腸検査の段階におい      ては,亡AがD医師の指示を理解しており,それに従っていたこと,本件第1入院前に本件食道癌及びEMRの内容      等について説明を行った際,亡Aはその説明内容を理解していたこと,内視鏡検査やEMRを行う際,一般的に患者      が苦痛を感じるのは内視鏡等の管類を食道に出し入れした際,それらの管類と食道の粘膜とが直接的に接触する時点      であるところ,本件第3体動は,それらの管が食道の粘膜に直接的に接触する段階を既に終えて,本件チューブのサ      イドチャンネルから挿入したスネアを広げて本件食道癌の
      病巣部をまさに切除しようとしたときに起こったものであること,及び,本件第1及び同第2体動の動き方が本件第      3体動の動き方と異なるものであったこと,つまり,本件第1及び同第2体動の動き方が,手足を動かしたり,臥位      のまま身体の方向を横向きから上向きあるいは俯せに変更しようと試みたりするものであったのに対し,本件第3体      動の動き方は,膝で立ち上がりながら上半身を起こすようなものであったことが認められる。
(イ)a しかしながら,前記認定事実からすると,亡Aの認知症の症状は,本件第1入院時以降,環境の変化等が影響し       て,徘徊が多くなったり,所構わず全裸になったり放尿をしたり,医師や看護師からの説明を聞いてもすぐに忘れ       たりする等悪化したもので,本件第1入院以前のときと比較して,亡Aが,本件手術時,D医師や看護師らから本       件手術についての説明や体を動かしてはいけない旨の注意を受けても,その説明ないし注意内容や自分自身が手術       を受けているという状況を理解できないか,あるいは,理解したとしてもすぐに忘れてしまう程度に,その認識能       力及び理解能力が低下していたことは明らかであり,また,D医師も,亡Aのそのような認識能力及び理解能力の       程度を認識していたものである。
 b また,本件第3体動が起こったタイミングが,内視鏡や本件チューブを食道に出し入れする際といったような患       者が一番苦痛を感じる時点ではなかったものの,それらの管類が挿入されたままであり,そのような場合において       は,自分自身も内視鏡検査を受診したことのあるD医師が認識するとおり,何らかの圧迫感がある状態なのである       から(証人D医師),亡Aに施されていたのが全身麻酔ではなく,局所麻酔で,身体を動かすことが不可能な状況       下ではなかったことからすると,患者が通常あまり苦痛を感じないタイミングにおいても,食道に圧迫感を感じた       亡Aが体動をする可能性は十分にあったものと推測される。
 c 本件第3体動は,確かに,本件第1及び同第2体動と比較した場合,上記のとおり,その動き方に違いがあり,       また,証人D医師も,「内視鏡を用いた検査及び手術のどちらにおいても,その途中で患者が起きあがったこと        は,1例も経験をしたことがなく,調べた範囲の文献でも,そのような例がなかった。」旨証言している。
 しかしながら,本件第3体動の動きのスピードについては,急に飛び上がるような急激なものであったわけでは       なく,本件第1及び同第2体動と,スピードの点ではあまり区別がなかったものであり(証人D医師),カルテ上       も本件第1及び同第2体動と本件第3体動の動き方や動くスピードの違いについて何ら具体的な記載がなされてい       ないことからすると(乙1の2・5頁,314頁),本件第1及び同第2体動と本件第3体動との間には,体動の       予見可能性という観点からは,D医師が証言するほどの差異が実質的にはなかったものと認められる。
(ウ) 以上を総合すれば,亡Aが,本件第1入院以前においてはEMRの内容及び危険性を認識及び理解したうえで,D      医師の指示に従っていたこと,本件第3体動が起こったタイミング及び本件第1及び同第2体動と本件第3体動との      動き方の違いを前提としても,D医師において,本件第2体動が沈静した後においても,亡Aが再び体動をすること      を予見することは十分に可能であった。
イ(ア) 被告は,「D医師が通常予見される程度の体動に備えた準備をしていおり,本件第1及び同第2体動後の抑制方法が     適切なものであったこと,並びに,早期の食道癌に対し,通常予見される軽度の体動の都度,EMRを中止すべきでな     く,本件第2体動後,本件手術を中止せず続行したことにつき,D医師に過失あるいは注意義務違反はない。」旨を主     張する。
 しかしながら,前記認定のとおり,本件手術中既に2度も手足を動かしたり上向きあるいは俯せになろうと体動をし     ていたにもかかわらず,本件第2体動を抑制する手段としては,本件第1体動を抑制するときと同様の手段しか講じら     れなかったものであり,本件手術時における前記のとおりの亡Aの認識能力及び理解能力の程度の低さからすると,本     件手術を続行するうえで,本件第2体動後に採った方法のみで抑制が十分であったとはいえない。
(イ) このような状況下において,D医師が,漫然と,従前と同様の抑制方法等のままで本件手術を続行すれば,再度の体     動により,食道穿孔を生じさせる危険性が高いことは明らかである。
 従って,D医師は,本件第2体動の後,亡Aが再度体動をすることが十分に予見可能であったのであるから,本件第  2体動が起こった後に,口頭による注意で抑制を図るだけでなく,亡Aの手足を看護師らに固定させる等直接的な有形     力の行使による身体の抑制を行う等しながら本件手術を続行するか,あるいは,本件手術をその時点で中止すべきであ     った。それにもかかわらず,D医師は,本件第2体動後も,漫然と,本件第1体動後と同様の抑制処置しか講じないま     まに本件手術を続行し,本件第3体動の際に,スネアを食道に突き刺したものであり,その点につき,過失あるいは注     意義務違反があったものと判断される。
2 争点(2)(亡Aに生じた損害の範囲〔D医師がスネアを食道に突き刺したことと本件食道穿孔並びに本件肺炎発症との間の  相当因果関係の有無を含む。〕及び損害額)に対する判断
(1) 前記認定事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。ただし,特に指摘のない限り,   平成12年における出来事である。
ア 本件手術後,亡Aは,しきりに背中に強い痛みがあることを訴え,「こんなにも痛いのなら死んでしまった方がよ      い。」旨を述べた(乙1の2・316頁,原告B本人)。
イ(ア)a 本件手術後,亡Aに縦隔炎及び胸膜炎が発症した(乙1の2・350ないし351頁)。
  b 縦隔とは,左右の胸膜腔に挟まれた胸郭中央部の胸腔のことをいい,縦隔炎とは,縦隔の炎症である。その原因       の一つとして食道穿孔を含む内視鏡による事故があり,その治療方法としては,ドレナージという,創腔内に排液       管等を挿入することによる排液法ないし排膿法がある(甲2,甲10)。
(イ)a 10月16日の本件手術後,亡AのX線撮影をしたところ,右胸腔内に胸水が貯留していたため,1本目のドレ       ーン(胸水を排出するためにドレナージを行う際に使用する器具)を右胸腔に挿入した。さらに,同日,本件食道       穿孔部より空気が胸腔内に入り気胸となって肺が縮小するのを回避すべく,2本目のドレーンが挿入された(乙1       の2・6頁)。
  b 同月17日,X線及びCT検査により,右胸腔内の背側に胸水の貯留が認められたため,1本目のドレーンを抜       いて,3本目のドレーンが挿入された。CT検査では,縦隔にガス像と少量の液体貯留が認められた(乙1の2・       6頁)。
 c 同月18日,CRP(C反応性蛋白。炎症が発症すると血液中に増加する急性相反性物質。)の数値及び白血球       数が上昇し,炎症所見が増悪であった。D医師は,原告Bに対し,縦隔炎が良くも悪くもなっておらず,炎症が進       行すると重篤になり,生命の危険を争うことになるかもしれない旨を説明した(乙1の2・6頁,357頁)。
d 同月19日,右胸腔内の背部の別の部位にも胸水の貯留が確認されたため,4本目のドレーンが挿入された。その      後のX線検査で,亡Aの炎症検査所見が悪化していることが確認された。D医師は,原告Bに対し,今後の見通しと      して,その時点ではっきりとしたことは言えないが,縦隔炎及び縦隔にたまっているものに菌が入ってしまうと恐ろ      しいことになる旨を説明した(乙1の2・7ないし9頁,358頁)。
(ウ) 同月20日,本件食道穿孔部の閉鎖が認められたこと,及び,同月23日,本件肺炎の発症が認められたことは前      記認定のとおりである。
 同月21日のX線写真の結果からは肺炎は認められなかったが,亡Aは,同月22日から38.6℃の熱を出して      いたため,正確にいつ本件肺炎を発症したのか特定することはできないが,遅くとも同月23日には確実に本件肺炎      の発症が認められた(乙1の2・12頁,16頁,360頁)。
 一方,縦隔炎及び胸膜炎は,その症状が落ち着いてきた(乙1の2・15頁)。
(エ)a 同月25日,呼吸状態が悪くなったため,経鼻挿管のうえ,人工呼吸器が装着された(乙1の2・20ないし2       2頁,75頁,339頁,343頁)。
  b 同月26日,同月24日に実施された痰培養の結果,緑膿菌が検出されたため,気管支鏡にて痰を吸引する等の       治療が行われた(乙1の2・28頁,143頁)。
 c 同月27日,排痰訓練を中心とした肺理学療法が開始された(乙1の2・28ないし33頁,35頁,289        頁)。
  d 同月28日,同月26日に実施された喀痰培養で,MRSA菌(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌の略称)及び緑       膿菌が検出された(乙1の2・33ないし34頁,146頁)。
  e 11月1日,CT検査の結果,肺炎様の陰影が認められたが,胸水については減少が認められた(乙1の2・4       4頁)。
 f 同月2日,10月20日に採取した亡Aの便にMRSA菌が検出された。肺の炎症状況は増悪の状態であった        (乙1の2・45頁,151頁)。
 g 11月4日,胸部X線検査の結果,肺炎の症状は増悪しており,また,10月30日の喀痰培養によりMRSA       菌が検出された(乙1の2・50頁,160頁)。
 h 11月7日,D医師は,原告Bに対し,呼吸の管理をするために,気管切開により管を入れる方法や,管を入れ       ている間発声ができなかったり,管類を通して細菌感染をするおそれがあること等気管切開のデメリットについて       説明をし,同月9日,気管切開を実施した。しかしながら,同月15日の訴外市立病院への転院当日において,本       件肺炎につき,明らかな改善の兆しは何ら認められなかった(乙1の2・56ないし59頁,373頁)。
(オ)a 本件第2入院時である同月20日以降も,本件病院においては,亡Aに人工呼吸器が装着された(乙2の2・1       85ないし186頁)。
  b 同月26日,胸部X線検査の結果,異常陰影が認められたが,自発呼吸にて呼吸管理をする方針に切り替え,亡       Aから人工呼吸器が取り外され,酸素マスクが投与されることとなった(乙2の2・12頁)。
  c 12月6日,胸部X線検査によれば,本件肺炎は改善傾向であったが,陰影は未だに残っていた。同月15日,       胸部X線検査により,本件肺炎の軽快が確認された(乙2の2・176頁,206頁,乙5の1〔平成12年12       月6日付胸部X線写真〕,乙5の2〔平成12年12月15日付胸部X線写真〕)。
 d 同月28日ないし29日ころには,本件肺炎の著明な改善が認められ,平成13年1月5日,本件肺炎が治療に       より消滅した旨が記載されたMRSA感染終結報告書が,D医師により作成された(乙2の2・133ないし13       5頁,145頁,176頁)。
ウ(ア) 一方,本件第1入院時である10月31日,亡Aに対し,腹部超音波検査を実施したところ,亡Aの肝臓の右上側      に腹水が認められた(乙1の2・42頁)。
(イ) 11月13日,亡Aに対し,下腹腔穿刺を実施し,腹水を採取した(乙1の2・58頁)。
(ウ) 同月15日,同月13日に採取した腹水につき諸検査を実施した結果,亡Aに癌性腹膜炎が発症している可能性が      高いことが疑われ,その後の亡Aの症状の経過次第で緊急開腹手術が必要になるかもしれないとの診断がなされた。      しかしながら,本件病院においては,手術室が満杯であったため,亡Aを訴外市立病院へ転院させることとなった       (乙1の2・59ないし63頁,288頁,315頁)。
(エ) 同月20日,訴外市立病院においては,亡Aの全身状態が落ち着いたのと,亡Aの腹水が癌性のものであったこと      が判明したため,開腹手術の適応ではないと判断した(乙1の2・63頁,乙2の2・8頁,142頁)。従って,      同日,訴外市立病院から本件病院への本件第2入院に至ったことは前記認定のとおりである。
(オ) 同月21日,D医師及びE医師は,原告Bに対し,亡Aが癌性腹膜炎を患っていることが判明したこと,その原因      がわからないこと,当該病気によって即座に亡Aの生命に影響が及ぶものではないが,末期的な癌であり,手術によ      っても,投薬によっても治療が不可能であること,従って,癌性腹膜炎の治療よりも本件肺炎の治療に努め,気道の      状態をよくして人工呼吸器等の機械を早く外すことを第一の目標とする旨を説明した(乙2の2・8頁,220        頁)。
エ(ア) 12月27日,亡Aは,アルツハイマー病として相違なく,高度の認知症であると診断された(乙2の2・26な      いし27頁)。
(イ) しかしながら,上記のとおり,同月28日ないし29日ころには,本件肺炎の症状が改善されたため,同月31日      から平成13年1月3日までは,外泊をした(乙2の2・28頁)。
 外泊中,食事をきちんと摂取する等しており本件肺炎の病状の点で特に問題となることはなかったが,認知症の影      響から,夜間に廊下で失禁をしたり,約1か月半の間入院していた影響から,起きあがるときにふらついたり,鍋を      掴もうとして力が入らず落としそうになったり,歩いている際転倒しそうになったり,階段を上れなかったり等体力      の低下が認められた(乙2の2・29頁,236頁,238頁)。
(ウ) 平成13年1月5日,E医師は,原告Bに対し,亡Aが外泊中不穏な行動が少なく,症状も落ち着いていたことか      ら,入院前の元の環境に早く戻すことが,亡Aの余命生活にとって一番大切なことであるとして,早期の退院を提案      した。これに対し,原告Bは,リハビリをして低下した体力をある程度回復してから退院させるように要請した(乙      2の2・30頁,236頁)。
(エ) 同年1月9日,手で鉄アレイを持ち上げたり,椅子に腰掛けて立ち上がったりする等の内容の筋力回復を目的とし      たリハビリが開始された(乙2の2・31頁)。
(オ) 同年1月18日,亡Aがリハビリに対し,拒否反応を示しだすとともに,リハビリ開始時と比較して握力及び下肢      筋力とも向上が認められ,歩行にふらつきがなく,小走りも可能な状態となり,日常生活を送るのに支障がない程度      に筋力が回復したため,リハビリは中止された。また,同年1月19日,このような亡Aの筋力の回復を受けて,原      告Bに対し,亡Aが退院可能である旨が伝えられた(乙2の2・36ないし37頁,259頁,274頁)。
(カ) 同年1月22日,被告病院は,原告Bに対し,本件食道癌が早期癌であるのに対し,癌性腹膜炎が末期癌であるこ      とから,本件食道癌に関しては,今後EMRを含めた何らの処置もしないことを説明した(乙2の2・38頁)。
(キ) 同年1月29日,E医師は,原告Bに対し,亡Aが末期的な癌性腹膜炎を患っており,余命がそれほど長くはない      こと,及び,本件肺炎が治り,また低下した筋力が日常生活に支障がない程度に回復したことから,再度,退院を提      案した。これに対し,原告Bは,試験的に外泊をして,その様子を見たで,問題がなければ後日退院手続きを採る形      にするとした(乙2の2・39頁,275ないし276頁)。
(ク) 亡Aが,同年2月9日に本件病院を退院したのは前記認定のとおりである。
同年1月30日以降は,原告Bの要請を受けて,試験的な外泊が実施されていたものであり,その間,日常生活にお      いて特段の問題がなかったため,そのまま本件病院へ戻ることなく,同年2月9日に本件病院からの退院手続きが採      られたものである(乙2の2・39ないし41頁)。
(2)ア 証拠(証人D医師)によれば,亡Aが縦隔炎を発症した場所と肺との間は2枚の胸膜によって隔てられており,それ    ら2枚の胸膜には損傷がなかったこと,また,縦隔と肺との間の2枚の胸膜が損傷していなくても,本件食道穿孔から漏    れだした水分等の影響で直接的に本件肺炎が発症したことも否定できないがその可能性は低いことが認められる。
しかしながら,一方,上記認定事実のとおり,本件肺炎が発症したのが,本件食道穿孔が閉鎖した後ではあるものの,    遅くともその3日後と時間的に近接していること,また,本件肺炎発症が確認された時点で,上記縦隔炎及び胸膜炎は未    だに完治していなかったこと,本件食道穿孔部より水分等が漏れたため縦隔炎及び胸膜炎が発症し,それらの炎症を治療    するために,4度に渡り胸腔内にドレーンが挿入されたものであるところ,証拠(証人D医師)によれば,本件肺炎の発    症原因としてはチューブ類によるいわゆるたれ込み,つまり,当該縦隔炎等の治療に用いられたドレーン等のチューブ類    を通して細菌感染し,本件肺炎が発症した可能性が非常に高いことが認められる。
これらの本件食道穿孔から本件肺炎発症に至るまでの縦隔炎発生やその治療等の一連の経緯及びその時間的近接性等を    総合的に検討すると,本件食道穿孔部から漏れだした水分等が直接的に本件肺炎を発症させた可能性は低いものの,他に    特段の事情が認められない限り,経験則上,本件肺炎発症の原因が本件食道穿孔に起因する縦隔炎の治療の際に用いられ    たドレーン等のチューブ類からの細菌感染であり,本件肺炎が本件食道穿孔と何らの関係なく発症したものではなく,本    件食道穿孔に起因する縦隔炎と一定の因果関係を有するものと認めるのが相当である。
イ 被告は,「肺炎の成因には様々なものがあり,本件肺炎の原因が不明である。」旨を主張し,証拠(乙1の2・89な    いし90頁〔10月28日付MRSA感染報告書〕)には「感染経路不明」といった上記主張に沿う記載がある。
しかしながら,上記主張はあくまで一般的な可能性の問題を抽象的に主張するにとどまるものであるし,また,当該記    載は本件肺炎発症の数日後に記載されたものであるところ,上記のような本件食道穿孔発生から本件肺炎発症に至るまで    の具体的な経緯に照らし合わせると,当該記載以外に本件肺炎の原因が不明であることや,あるいは,本件肺炎が上記認    定以外の原因により発症したことを窺わせる具体的な事情がない限り,上記認定が左右されるものではない。
従って,被告の上記主張を採用することはできない。
(3)ア 上記認定のとおり,亡Aは,D医師の過失あるいは注意義務違反により本件食道穿孔を負い,本件食道穿孔を起因と    して結果的に本件肺炎を発症し,本件第1入院から訴外市立病院への転院を経て本件第2入院までを含めると,最終的に    退院まで4か月間を要した。
イ 上記認定によれば,12月28日ないし29日ころには,本件肺炎はほとんど改善されており,平成13年1月9日か    らはそれまでの入院により低下した筋力を回復することを目的としたリハビリがメインであり,遅くとも同年1月18日    には日常生活に支障を来さない程度に筋力は回復し,退院が可能であったのものであり,同年1月30日以降は,手続き    上は入院扱いになっているものの,試験的な外泊のうえ,しばらく様子を見てから退院手続きを採る形であり,実質的に    は同年1月30日の時点で退院をしていたものである。
しかしながら,亡Aの癌性腹膜炎が末期的な癌で,治療不可能なものであると判断されていることと照らし合わせて,    平成13年1月18日ころまでの入院期間は,訴外市立病院での5日間程度の入院期間が当該癌性腹膜炎の診断等に充て    られたものとしても,そのほとんどの期間が,本件食道穿孔,それに起因する縦隔炎及び本件肺炎の治療,そして,それ    らにより当初の予定から延長された入院期間中に低下した筋力を回復することに充てられたものであることは明らかであ    る。そして,この入院期間中に,亡Aは本件食道穿孔発生時に背中に多大な苦痛を受けると共に,人工呼吸器を装着され    たり,気管切開の手術を受けたり,癌性腹膜炎による影響も少なからずあるであろうが本件肺炎により延長した入院期間    中に低下した筋力等を回復するた
    めに厳しいリハビリ生活を余儀なくされたことも明らかである。
そのような事情に加えて,前記前提事実のとおり,亡Aが本件第1入院から本件第2入院退院時のころ満78歳という    比較的高齢であったこと,しかしながら亡Aが本件第1入院前の夏ころまで稼働しており,身体障害を煩っている原告C    の身の回りの世話を行っていた等の亡Aの従前の生活状況,本件肺炎の悪化具合によっては生命に危険が及ぶことが想定    された状況であったこと等を総合的に考慮すると,亡Aが,D医師の過失あるいは注意義務違反により入院生活を余儀な    くされたことを慰謝するに足りる額は,160万円が相当である。
イ(ア) 亡Aが死亡したことにより,原告らは上記慰謝料をそれぞれ2分の1の割合(原告ら一人あたりにつき金80万       円)で相続したものである。
(イ) 本件と相当因果関係のある弁護士費用は,原告ら一人あたりにつき金8万円が相当である。
第4 結論
1 前記第3の1のとおり,D医師には,少なくとも,本件第2体動後も,漫然と,本件第1体動後と同様の抑制措置しか講じ  ないままに本件手術を続行し,本件第3体動の際に,スネアを食道に突き刺した過失あるいは注意義務違反が認められ,ま   た,前記第3の2のとおり,D医師がスネアを食道に突き刺したことと本件肺炎発症との間に相当因果関係が認められる。
2 従って,原告C及び同Bの請求は,被告の準委任契約の債務不履行に基づき,前記第3の2で認定した各金88万円の損害  賠償金及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年10月29日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅  延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却し,訴訟費用の負担につき,民事  訴訟法64条本文,61条を適用して,主文のとおり判決し,仮執行免脱の宣言については,相当でないからこれを付さない  こととする。


     さいたま地方裁判所第2民事部


 裁判長裁判官  廣田民生


裁判官  中  山  幾次郎


裁判官 上田真史