H17.12.12 東京地方裁判所 平成15年(ワ)第27245号 損害賠償等請求事件

平成17年12月12日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成15年(ワ)第27245号 損害賠償等請求事件
口頭弁論終結日 平成17年9月12日
判        決
原     告             A
原     告             B
原告ら訴訟代理人弁護士   木 内 千登勢
井浦謙二
被告       学校法人 東京醫科大学
同代表者理事長           C
同訴訟代理人弁護士     加藤済仁
              桑原博道
蒔田 覚
大平雅之
主        文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告Aに対し金4695万0200円,原告Bに対し金4478万3053円及びこれらに対する平成13年12月6日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告の設置する病院において診療を受けていた患者が全脳虚血により死亡したことにつき,その両親である原告らが,全脳虚血は感染性心内膜炎の進行に起因するものであるとした上,担当医師において,より早期に,感染性心内膜炎の発症を疑って,適切な鑑別診断を実施することにより同疾患を発見して,これに対する治療を行うべきであったにもかかわらず,これを怠った(早計に成人スチル病と誤診して同疾患に対する治療のみを継続し,感染性心内膜炎の診断,治療が遅れた。)などと主張して,被告に対し,債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求として,患者の逸失利益,慰謝料及び原告ら固有の慰謝料並びにこれらに対する患者死亡の日からの民法所定の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
1 前提事実(証拠原因により認定した事実については,括弧書きで当該証拠原因を掲記する。その余の事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告Aと同Bは,夫婦であり,その長女がD(昭和56年9月22日生,平成13年12月6日死亡。)である。
イ 被告は,東京都新宿区内において「東京醫科大学」を開設する学校法人であり,東京都八王子市内に附属の「東京医科大学八王子医療センター」という名称の病院(以下「被告病院」という。)を設置している。
(2) 被告病院におけるDの診療経過の概要(甲A1,2の1ないし18,3,B22,乙A1ないし5,9ないし12,証人E,同F,原告B本人,弁論の全趣旨)
ア Dは,平成13年1月中旬ころ(以下の日付は,特に断らない限り,平成13年の日付である。)から微熱を伴う感冒様症状を訴えるようになり,2月ころからは,しばしば38℃ないし39℃の発熱をみるようになったため,複数の市中病院を受診していたが,諸検査によってもその原因が判然としなかった。そのため,Dは,4月10日,そのころ受診していた「G医院」の紹介により,精査,加療目的で被告病院の免疫・血液内科外来を受診し,その際,被告との間で診療契約を締結した。
被告病院におけるDの診療は,主として,免疫・血液内科のE医師及び神経内科のF医師が担当した。
イ 被告病院初診時,Dは,諸検査を受けるとともにE医師の診察を受けたところ,リンパ節等には異常は認められなかったが,聴診により軽度の収縮期駆出性心雑音が聴取された。E医師は,上記の検査及び診察の結果のほか上記アのような症状経過や「G医院」から提供された診療情報等から膠原病を疑ったが,当面は経過観察を行うことにした。なお,胸部レントゲン検査では特段の異常は認められなかったが,血液検査の結果,白血球数,血沈,CRP値に異常が認められ,何らかの炎症が生じていることを示していた。
Dは,初診以後,被告病院の免疫・血液内科に幾度か通院し,5月29日の受診時に,E医師により成人スチル病と診断され,以後,概ね1か月に2,3回の頻度で同科外来を受診し,ステロイド剤の投与等を中心とする治療と経過観察を継続して受けていた。
ウ Dは,9月28日,発熱と左手足のしびれ,吐気,軽度頭痛を訴えて被告病院に救急搬送され,翌29日,被告病院の神経内科を受診して,F医師の診察及び頭部CT検査を受けた結果,軽度くも膜下出血と右視床の梗塞所見が認められたため,そのまま同科に入院した。
その後,Dは,10月24日に症状が軽快したとして被告病院を退院し,以後,再び免疫・血液内科外来に通院することになったが,11月5日に被告病院腎臓内科を受診した際,同科医師から,収縮期心雑音,上下肢・眼瞼の紫斑等の症状を指摘されて,感染性心内膜炎も疑われるとされ,また,11月7日,3日前から右眼が赤く見えると訴えて被告病院眼科を受診した際も,右視力低下と眼底出血を指摘され,さらに,同月13日,E医師の診察時に心エコー検査を受けた結果,僧帽弁閉鎖不全と疣贅(ゆうぜい)が発見されて感染性心内膜炎と診断され,そのまま被告病院に緊急入院となった。
エ Dは,11月15日,被告病院心臓血管外科に入院し,同月26日の脳血管造影検査により脳内に動脈瘤が発見された。そのようなことから,Dに対して,僧帽弁形成術ないし置換術を実施し,その後に脳動脈瘤破裂の予防のための開頭術(クリッピング術)を施行することになった。
Dは,同月27日,人工心肺下で僧帽弁置換術を受けたが,術後,覚醒せず,緊急に実施された脳血管造影検査の結果,動脈瘤からの少量の出血のほか,脳血管の緊張性変化が認められ,全脳虚血の状態にあることが判明し,いわゆる脳死状態に陥り,その後も容態の改善が見られないまま,12月6日,死亡が確認された(死亡時20歳)。
なお,被告病院心臓血管外科のH医師作成の死亡診断書には,直接死因は「感染性心内膜炎」,その発症からの期間は「11か月」と記載されている。
(3)ア 4月10日から12月6日までの被告病院におけるDの診療経過は,別紙「診療経過一覧表」(ただし,「カルテ等の記載」欄のうち下線を付した部分を除く。)記載のとおりである。
イ 4月10日から9月29日までのDの発熱状況(熱型)は,別紙「熱型表」(別紙診療経過一覧表の上記期間に対応する「体温」欄記載の数値をグラフ化したもの)記載のとおりである。
ウ 4月10日から11月5日までのDに対する血液検査等の結果は,別紙「血液検査等結果一覧表」記載のとおりである。
(4) Dの死亡原因について
Dは,直接的には,血管攣縮による全脳領域の虚血及びそれに伴う多臓器不全により死亡した(ただし,その血管攣縮が感染性心内膜炎に起因するものであるか否かについては争いがある。)。
(5) 本件に関連する医学的知見
ア 感染性心内膜炎(甲B2ないし4,5の1,9,10,13,14,乙B1,2)
(ア) 疾患の概要
感染性心内膜炎は,弁膜や心内膜,大血管内膜に細菌集蔟を含む疣贅を形成し,菌血症,血管塞栓,心障害など多彩な臨床症状を呈する全身性敗血症性疾患であり,頻度の多い疾患ではないが,いったん発症すれば多くの合併症を引き起こして,ついには死に至る疾患である。
感染性心内膜炎の発症に関しては,多くの場合,弁膜疾患や先天性心疾患に伴う異常血流の影響や人工弁置換術後例等異物の影響で生じた非細菌性血栓性心内膜炎が重要と考えられており,そのような原疾患により心内膜の内皮細胞が障害され,膠原線維が露出すると,その部分に血液うっ滞が生じ,血小板とフィブリンからなる血栓が生じる。この状態で,菌血症(本来無菌であるはずの血中に細菌(感染性心内膜炎の場合は,緑色レンサ球菌,黄色ブドウ球菌,腸球菌,表皮ブドウ球菌,グラム陰性桿菌等)が検出される状態であり,敗血症ほどの強い全身症状を呈さないもの。)を誘発する感染症が起こると,その原因菌が血小板やフィブリンに付着して細菌の増殖が始まり,これを血中の線維成分や血小板などが更に取り囲んで,あたかも培養地のような状態を形成し,更に細菌が増殖していくことになる。このように弁膜,心内膜等に生じた菌塊や血中のフィブリン,血小板,血球が付着してできた箇所を疣贅(vegetation。「疣腫」ともいう。)という。
菌血症を合併したり,あるいは菌血症を生じうるような手技や小処置(抜歯等の歯科処置,扁桃摘除等の耳鼻咽喉科処置,婦人科処置,尿道カテーテル挿入等の泌尿器科措置)の後に持続する不明熱を訴える場合や以前に聴取されなかった逆流性心雑音が出現したような場合は,感染性心内膜炎を疑わなければならないとされている。
(イ) 臨床経過
菌血症が起こってから感染性心内膜炎の症状の発現までの期間は短く,80%以上の例では2週間以内であるとの報告もある。感染性心内膜炎の臨床症状は亜急性あるいは急性の経過を辿り,亜急性の場合は,発熱,全身倦怠感,食欲不振,体重減少,関節痛等の非特異的な症状を呈する。症状は,徐々に見られ,その発現日は通常特定しにくいが,抜歯,扁桃摘除等と関連する場合もある。一方で,病原性の高い原因菌による急性の場合には,高熱を呈し,心不全症状が急速に進行する。
(ウ) 臨床症状
(あ) 発熱
継続する菌血症による感染症状として最も頻度の高い(80~85%)症状であるが,亜急性の場合は,微熱が長期にわたり持続する場合がある。他の感染症状として,脾腫,貧血,白血球増多,赤沈亢進,CRP陽性,IgG上昇等がある。
基礎疾患となる心疾患が存在する場合,人工弁置換術後の例で説明のつかない発熱が続く場合は,感染性心内膜炎の可能性を念頭に置くことが重要であるとされている。
(い) 心雑音等
ほとんど(80~85%)の例で聴取される。特に,新たに出現した弁逆流性雑音は,急性感染性心内膜炎あるいは人工弁置換術後感染性心内膜炎を疑う所見として重要であるとされており,他にも,心肥大,心悸亢進,心電図変化,心不全等の感染症状が認められることがある。
(う) 末梢血管病変
点状出血は最も頻度の高い所見であり,眼瞼結膜・頬部粘膜・四肢に見られる微小血管塞栓により生じ,その他,Osler結節(指頭部にみられる紫色又は赤色の有痛性皮下結節),Janeway発疹(手掌と足底の無痛性小赤色斑),ばち状指,Roth斑(眼底の出血性梗塞で中心部は白色)などの所見がある。ただし,これらの所見は急性期には見られず,亜急性でも出現頻度は従前より低くなっているといわれている。
(え) 関節痛,筋肉痛
羅病期間の長い亜急性例では脾腫も見られるが,全体ではその頻度は多くはない。
(お) 全身性梗塞症
重要な合併症であり,全体の約40%に見られる。これは,感染性心内膜炎に随伴する疣贅から菌塊等が遊離して血流を通じて他臓器に塞栓症状を発症させるものであり,中心網膜動脈の塞栓による眼底変化,中大脳動脈領域の塞栓(脳梗塞)による片麻痺の出現,四肢動脈の塞栓による四肢痛や虚血,腸間膜動脈の閉塞による腹痛,イレウス,血便のほか,腎梗塞,脾梗塞等が認められることがある。
(か) 神経学的症状
感染性心内膜炎の30ないし40%に見られる。細菌性動脈瘤ができることがあり,これが脳血管に生じた場合の動脈瘤破裂や梗塞部位に生じた動脈炎による動脈破裂により,脳出血やくも膜下出血等の頭蓋内出血を生じることもある(感染性心内膜炎の1.2ないし5%に生じるとの報告もある。)。
(き) その他
うっ血性心不全(弁の破壊,逆流,腱索断裂の結果として生じるもの)や腎不全(免疫複合体による糸球体腎炎の結果として生じるもの)がある。
(エ) 検査所見等
(あ) 血液培養陽性
感染性心内膜炎の診断については,血液培養で起炎菌を同定し,それに対する抗生物質の投与が重要とされており,持続する発熱患者では常に感染性心内膜炎を疑い積極的に血液培養を行うべきとする文献もある。
(い) 心エコー
心エコーにより弁や心内膜に付着した疣贅を検出したときは,感染性心内膜炎の診断は確定するとされている。
臨床上,感染性心内膜炎が疑われる場合やそのリスクが高い場合は,血液培養陰性例を含めて,心エコーを施行すべきであるとする文献もある(一方で,不明熱を示すが他には臨床的に感染性心内膜炎の疑いが少ない場合等にまで全例でスクリーニング検査として心エコーを行うのは効率的でないとする意見もある。)。
(オ) 診断基準
感染性心内膜炎の診断は,敗血症に伴う臨床症状,血液中の病原微生物(原因菌)の確認,疣贅を始めとした感染に伴う心内構造の破壊の確認に基づいてなされる。
国際的に承認されている感染性心内膜炎の診断基準としては,1994年に米国デューク大学のグループが提唱した基準(以下「Duke診断基準」という。)があり,その内容は別紙「感染性心内膜炎(IE)のDuke臨床的診断基準」のとおりである。
なお,同診断基準では,血液培養陽性が大基準に含まれているが,感染性心内膜炎であっても何らかの原因で血液培養が陽性に出ない場合があることはしばしば経験されるとの報告もある。
イ 不明熱(甲B5の1,7,8,11,13)
体温は,視床下部の体温調節中枢で制御されており,正常では37℃に設定されているが,それ以上に高い温度にセットされると発熱をみる。
発熱を伴う疾患には種々のものがあり,その中でも高熱を呈する疾患としては,感染症(細菌性,ウイルス性,真菌性,原虫等),膠原病及び類縁疾患(全身性エリテマトーデス,成人スチル病,側頭動脈炎,結節性多発動脈炎,過敏性血管炎),血液疾患(悪性リンパ腫,急性白血病,無顆粒球症,溶血性貧血,血栓性血小板減少性紫斑病),その他(サルコイドーシス,亜急性甲状腺炎,悪性腫瘍,薬物,詐熱)が挙げられるが,感染症以外の悪性腫瘍,膠原病などの発熱機序はほとんど解明されていない。
発熱の原因のつかめないものを不明熱(fever unknown origin。「FUO」ともいう。)といい,不明熱の基礎疾患としては,感染症,悪性腫瘍,膠原病で全体の3分の2を占める。
熱型(発熱の態様)は,疾患鑑別に参考となるところ,概ね下記のような分類がされている。
              記
稽留熱:日差1℃以内で高熱が続くもの,腸チフス,大葉性肺炎,脳炎,化膿性髄膜炎等
弛張熱:日差1℃以上であるが,低いときでも37℃にならないもの,敗血症,感染性心内膜炎,膠原病,悪性腫瘍等
間欠熱:日差1℃以上であるが,低いときは37℃以下になるもの,マラリア等
波状熱:有熱期と無熱期を不定期に繰り返すもの,ブルセラ症等
周期熱:規則的な周期で発熱を繰り返すもの
ウ 成人スチル病(甲B5の2,6,15,16,17,18)
小児の慢性関節炎である若年性関節リウマチには,全身型の関節症状に加えて,発熱,皮疹,リンパ節腫脹などの全身症状が見られるという特徴があり,これが成人に認められる場合が成人スチル病と称されている。
発症機序については,免疫異常を含む宿主側の要因が絡んで発症するとの見解もあるが,その病因は不明である。
臨床症状は,発熱と関節症状が必発であり,皮疹,咽頭痛,リンパ節腫脹,脾腫も高頻度に認められる。発熱は,典型的には夕方から夜間にかけて急激に上昇し,朝方には自然に解熱する「イブニング・スパイク」(evening spike)と称される熱型を示す。皮疹は,比較的特異性が高く,本症の診断上も重要な所見とされており,定型的には,掻痒感のない赤桃色の紅斑で,?幹や四肢近位部に見られやすく,発熱時に出現しやすいという特徴を持つ。
本疾患には非特異性所見が多く,早期診断に困難を来すことが多いが,上記の臨床像が見られる発熱患者については必ず念頭に置いておくことと,発熱を来す他の疾患(感染症,悪性腫瘍,膠原病)を十分に除外することが重要であるとする文献がある。
検査所見としては,白血球増加(1万/μl以上,うち好中球80%以上),肝機能異常,自己抗体陰性,血清フェリチン値著増(正常値上限の10倍以上),炎症所見は高度で赤沈亢進,CRP高値,炎症性貧血,低アルブミン血症などが見られる。
治療としては,非ステロイド性抗炎症薬が第一選択とされているが,大部分の症例では副腎皮質ステロイドの投与が必要とされている。
成人スチル病の一般的な分類基準は,下記のとおりと理解されている(以下,この基準を「成人スチル病診断基準」という。)。
           記
(大項目)
(1) 発熱(≧39℃,1週間以上持続)
(2) 関節痛(2週間以上持続)
(3) 定型的皮疹
(4) 80%以上の好中球(杆状核球,分葉核球)増加を含む白血球増加(≧10000/μl)
(小項目)
(1) 咽頭痛
(2) リンパ節腫脹あるいは脾腫
(3) 肝機能異常
(4) リウマトイド因子陰性及び抗核抗体陰性
大項目2項目以上を含む合計5項目以上を成人スチル病と分類する。ただし,除外項目は除く。
参考項目:血清フェリチン著増(正常上限の5倍以上)
除外項目:Ⅰ 感染症
Ⅱ 悪性腫瘍
Ⅲ 膠原病
2 原告らの主張
(1) 被告病院医師の過失ないし義務違反
ア 初診時ないしこれに近接した時期における過失ないし義務違反
(ア) Dの感染性心内膜炎の発症時期
Dは,被告病院初診時前に38℃以上の発熱が2か月以上継続しており,抗生物質の服用中は解熱し,服用を止めるとまた発熱するといった状態であった。また,被告病院初診時,心雑音が認められており,血液検査の結果も白血球増多,赤沈亢進,CRP陽性,IgG上昇等と炎症徴候が顕著であった。さらに,成人スチル病との診断のもとに5か月間以上にわたってステロイド剤が投与されたが,発熱が止むことはなく,血液検査の結果にも改善が見られなかった。しかも,若年女性であったにもかかわらず9月29日に脳梗塞を発症しており,同日の診察で再び心雑音が聴取され,10月1日の心電図でも左心房肥大の徴候が見られた。このような臨床経過等によれば,Dが被告病院初診時に感染性心内膜炎に罹患していたことは明らかである。なお,H医師も,死亡診断書に感染性心内膜炎の罹患期間を11か月と記載しており,被告病院初診時において既に感染性心内膜炎に罹患していたことを認めている。
(イ) Dは,被告病院初診の時点で,2か月以上継続する38℃以上の発熱があって,抗生物質服用中だけ解熱するといった状態であり,白血球増多,赤沈亢進,CRP陽性,IgG上昇等の炎症徴候を示す血液検査所見があったほか,心雑音が聴取されていた。このような臨床所見や検査結果等からすれば,被告病院初診時において,上記(ア)のとおり感染性心内膜炎に罹患していたことは明らかであり,仮に明らかとまではいえないとしても,感染性心内膜炎を疑うべき徴候は十分に揃っていたといえるし,少なくとも,不明熱として原因検索を実施する必要がある症状を呈していたといえる。
したがって,E医師は,被告病院初診時あるいはこれに近接した時期において,感染性心内膜炎の発症を疑い,あるいは不明熱の原因検索としても,血液培養を行って感染症の原因菌を同定し,心雑音に対しても心エコー検査を施行して,感染性心内膜炎を発見し,直ちにその治療に着手すべき注意義務を負っていた。にもかかわらず,同医師は,これを怠り,血液培養も心エコー検査も行わず,感染性心内膜炎の診断及び治療をしなかった。
イ 被告病院通院中(9月29日の脳梗塞発症まで)における過失ないし義務違反
E医師は,4月17日の診療時以後,成人スチル病との前提でステロイドを投与した。しかし,その後も,週に1,2回は38℃程度の発熱があり,白血球増多,CRP陽性等の炎症所見も全く改善傾向を示していなかった。また,5月30日には,骨盤内感染症や尿路感染症を疑うべき発熱,右側腹部痛を発症している。さらに,9月13日には感染性心内膜炎を示唆するリウマトイド因子検査(別紙血液検査等結果一覧表の「RAPA」の検査項目欄)が陽性となり,血清補体値(別紙血液検査等結果一覧表の「CH50」の検査項目欄)も初診時及び9月13日のいずれも低値を示しているなど,成人スチル病の診断とは矛盾する検査結果も現れている。
このような臨床所見や検査結果等に上記アの初診時前後における所見等を併せれば,被告病院通院中において,感染性心内膜炎に罹患していたことは明らかであり,仮に明らかとまではいえないとしても,感染性心内膜炎を疑うべき徴候は十分に揃っていたといえるし,少なくとも,成人スチル病との診断を見直して,改めて不明熱として原因検索を実施する必要がある状態にあったということができる。
したがって,E医師は,被告病院通院中(9月29日の脳梗塞発症まで)において,感染性心内膜炎の発症を疑い,あるいは不明熱の原因検索としても,血液培養を行って感染症の原因菌を同定し,心エコー検査を施行して,感染性心内膜炎を発見し,直ちにその治療に着手すべき注意義務を負っていた。にもかかわらず,同医師は,これを怠り,血液培養も心エコー検査も行わず,感染性心内膜炎の診断及び治療をしなかった。
ウ 脳梗塞発症時(9月29日)ないしこれに近接した時期(10月18日まで)における過失ないし義務違反
Dは,9月29日,右視床部梗塞と軽度くも膜下出血を起こしており,心雑音も聴取された。また,同日までの診療経過をみても,発熱傾向は改善していなかった。さらに,神経内科入院後の10月1日の心電図検査では左心房肥大の徴候が,同月9日,12日,17日に行われた血液検査では白血球増多,CRP陽性等の炎症徴候がそれぞれ見られた。しかも,10月1日には感染性心内膜炎を示唆するリウマトイド因子検査が陽性を,同月12日には血清補体値が低値をそれぞれ示していたほか,抗生物質を服用すると解熱するといった状態にあった。
このような臨床所見や検査結果等に脳梗塞発症時までの所見等も併せみると,脳梗塞発症時において,感染性心内膜炎に罹患していたことは明らかであり,仮に明らかとまではいえないとしても,感染性心内膜炎を疑うべき徴候は十分に揃っていたといえるし,少なくとも,成人スチル病との診断を見直して,改めて不明熱として原因検索を実施する必要がある経過を辿っていたといえる。
したがって,被告病院医師は,9月29日の脳梗塞発症時ないしこれに近接した時期(10月18日まで)において,感染性心内膜炎の発症を疑い,あるいは不明熱の原因検索としても,血液培養を行って感染症の原因菌を同定し,心雑音に対しても心エコー検査を施行して,感染性心内膜炎を発見し,直ちにその治療に着手すべき注意義務を負っていた。にもかかわらず,被告病院医師は,これを怠り,血液培養も心エコー検査も行わず,感染性心内膜炎の診断及び治療をしなかった。
(2) Dの死因及び被告病院医師の過失ないし義務違反とDの死亡との間の因果関係
ア 死因について
Dは,感染性心内膜炎の進行に伴って,脳梗塞,細菌性脳動脈瘤が発生したほか,右椎骨動脈も途絶し,かつ,脳血管が脆弱化した状態になっていたところに,11月27日,人工心肺下での長時間にわたる僧帽弁置換術を受けたことから,脳出血,脳血管の緊張性変化などの脳循環障害が発生して全脳虚血となり,これに引き続く多臓器不全によって死亡したものである。
上記の全脳虚血は,塞栓によってではなく血管攣縮によって生じたものであるが,その血管攣縮は,上記のとおり,感染性心内膜炎が進行して脳合併症が生じたまま心臓外科手術を余儀なくされたことに起因するものである。
イ 因果関係
(ア) 上記(1)のア,イとの因果関係
初診時から脳梗塞発症までの時期に,感染性心内膜炎との診断がされて,血液培養で同定した菌に対して有効な抗生物質が投与されていれば,治癒して,外科的手術の必要は生じなかった(したがって,血管攣縮が生じることもなかった。)から,死亡することもなかった。仮に,内科的な治療だけでは治癒せず,外科的手術の必要があったとしても,その時期には上記アのような脳合併症は生じていなかったから,血管攣縮が生じることはなく,やはり死亡することはなかった。
(イ) 上記(1)のウとの因果関係
9月29日の脳梗塞発症時に,感染性心内膜炎との診断がされて,強力な抗生物質の投与と可及的速やかな僧房弁置換術が実施されていれば,その時期には脳合併症は重篤ではなかった(脳梗塞は小さかったし,脳動脈瘤や右椎骨動脈の途絶は生じていなかった。)から,血管攣縮が生じることはなく,死亡することはなかった。
(3) 損害
ア Dの損害
(ア) 逸失利益 4772万3732円
Dは,死亡時は20歳でI専門学校の5年生に在学しており,平成16年3月には卒業見込みであったから,同年4月から67歳まで就労可能であったとの前提で同人の逸失利益を算出すると,以下のとおりとなる。
基礎年収379万1600円(平成13年賃金センサス女子高専・短大卒平均年収額)×(1-生活費控除率0.3)×17.981(就労可能年数47年に対応するライプニッツ係数)=4772万3732円
(イ) 入通院慰謝料 170万円
(ウ) 死亡慰謝料 2200万円
(エ) 原告らは,Dに発生した上記損害について,法定相続分(各2分の1)に応じて被告に対する損害賠償請求権を相続したものであり,その額はそれぞれ3571万1866円となる。
イ 原告Aの損害
(ア) 治療費 36万7874円(Dの治療費負担分)
(イ) 通院付添交通費 3万0260円
(ウ) 入院雑費 7万2000円
(エ) 葬儀費用 150万円
(オ) 慰謝料 500万円
(カ) 弁護士費用 426万8200円
ウ 原告Bの損害
(ア) 慰謝料 500万円
(イ) 弁護士費用 407万1187円
3 被告の主張
(1) Dの感染性心内膜炎の発症時期について
11月27日の僧帽弁置換術の際に切除された僧帽弁前尖後尖に細菌塊の付着した小凝固壊死巣が確認されているところ,それより半年以上も前である被告病院初診時に既に感染性心内膜炎に罹患していたと解することは不合理である。
すなわち,被告病院初診時において既に菌血症ないし感染性心内膜炎に罹患していたのであれば,その後,易感染性の副作用のあるステロイド剤が継続投与されていたのであるから,敗血症に移行しないままに外来診療の範囲内での管理が可能であったとは考えられない。また,Dは,被告病院初診時において19歳と青年期にあり,心臓の基礎疾患も免疫不全を引き起こす基礎疾患もなく,免疫学的検査においても感染抵抗性の減弱を示す結果は得られていなかった。このような状態にあったDが菌血症を発症するとすれば,事前に血管内に大量の病原性微生物が侵入していたとの事情を想定せざるを得ないところ,そのようなエピソード(カテーテル検査や抜歯等)はなかった。また,血液検査によっても溶血性連鎖球菌やグラム陰性桿菌は検出されていなかった。
もっとも,被告病院初診時において心雑音が聴取されたが,これは,注意深く聴診した際にようやく聴取される程度のものであり,かつ,器質性のものではなく機能性の雑音であったこと,1月以後不明熱が続いて前医の診察を受けていたが,前医から提供された診療情報にも心雑音が聴取されたとの指摘はなかったこと,感染性心内膜炎による心機能障害が生じていれば,左心房の拡張,肺循環不全,左心室肥大が生じていてしかるべきところ,初診時に実施された胸部レントゲン検査ではそのような異常は指摘されなかった(心胸郭比は40%程度である。)こと,再診後の診療経過の中では心雑音は聴取されていないこと等からすれば,上記の初診時における心雑音は感染性心内膜炎を疑わせるものではないということができる。
むしろ,初診時以後の臨床所見及び各種検査結果によれば,成人スチル病診断基準の大項目(1),(2),(4)及び小項目(1),(3),(4)を満たしており,成人スチル病が強く疑われるものであったといえるから,E医師が成人スチル病と診断してステロイド治療を継続したことに不合理な点はない。
これに対し,原告らは,血液培養の実施をしていないなど感染症との鑑別診断が不十分である以上,成人スチル病の診断をすることはできないと主張する(後記4(1))。しかし,血液は強い殺菌力を有しているのであって,菌血症の状態になるためには,血液中に大量の病原性微生物が侵入するようなエピソードがあったり,免疫力が低下しているなどの事情が必要であるところ,Dについては両者とも否定されていた。E医師は,このような事情に各種検査所見等を踏まえて感染症を除外したのであるし,感染症の除外のために血液培養が必須というものでもないから(感染性心内膜炎でも何らかの原因で血液培養が陰性となることはしばしば経験されることである。),E医師が血液培養等を行わずに菌血症ないし感染性心内膜炎を除外したとしても,鑑別診断は実施されており,その診断手法に不合理な点はない。
診療経過を概観すれば,Dの感染性心内膜炎は11月7日に近接した時期に発症したものと解するのが合理的である。
(2) 被告病院医師の診断の相当性
ア 初診時から脳梗塞発症までについて
上記(1)のとおり,4月10日の被告病院初診時ないしこれに近接した時期に感染性心内膜炎に罹患していたとは考えられない。
また,臨床所見等に照らしてみても,初診時において,呼吸器症状,消化器症状,泌尿器症状,循環器症状はいずれも認められず,胸部レントゲン検査の結果も異常所見はなく,感染症を疑わせる局所感染巣所見もなかったほか,菌血症の発症を疑わせるエピソードや免疫系疾患も存在しなかったこと等の事情からすれば,感染性心内膜炎を疑うべき事情すらなかったというべきである。むしろ,上記(1)のとおり,成人スチル病が強く疑われる状態にあったといえるから,E医師が成人スチル病と診断したことは正当である。
この点,原告らは,ステロイド治療の継続によっても発熱がコントロールされていないと主張するが,発熱は,体内に生じた炎症により惹起されるものであるところ,成人スチル病のような自己免疫疾患(免疫機能の異常により正常な臓器まで攻撃されてしまうことによる疾患)でも炎症は生じるのであって,感染症(感染性心内膜炎)のみから引き起こされるものではないから,発熱が治まらなかったことをもって感染性心内膜炎への罹患が疑われるものではない。また,原告らは,血液培養を行っていない以上,成人スチル病との確定診断はできるものではないし,感染性心内膜炎の鑑別診断を尽くしていないと主張するが(後記4(1)),上記のとおり成人スチル病の診断に際して感染症を除外する上で血液培養は必須のものではない。
イ 9月29日以降について
9月29日に心雑音が聴取されたものの,その後のF医師の診察では心雑音は聴取されていない。また,神経内科入院時の胸部レントゲン及び心電図検査でも特段の異常は認められなかった。10月2日に実施された脳血管造影検査の結果でも脳動脈瘤や明らかな梗塞所見を認めず,同月12日に実施された頭部MRI検査の結果でも梗塞症が疑われるような大脳皮質を含んだ梗塞所見を認めなかった。さらに,同月15日に実施されたガリウムシンチでも感染性心内膜炎を疑うような異常集積像は認められなかった。一方,成人スチル病(膠原病)に起因して脳血管に血管炎を合併することもあり得る。このような事情からすれば,神経内科入院中の感染性心内膜炎発症は否定的に解すべきであり,この時期にE医師あるいはF医師が血液培養あるいは心エコーを実施しなかったとしても,過失ないし義務違反を構成しない。
なお,仮に神経内科入院中に感染性心内膜炎に罹患していたとしても,F医師は抗生剤の投与によって感染予防に努めていたのであるから,その対応に不適切な点はない。
(3) Dの死因及び因果関係について
ア 死因
僧帽弁置換術を施行したところ生じた血管攣縮により全脳虚血の状態となったことが直接死因であると考えられるが,これは,原告らが主張するように感染性心内膜炎の増悪により生じたものではない。
すなわち,僧帽弁置換術の直後に実施された脳血管造影検査の結果によれば,脳に向かう4本の血管がすべて攣縮して虚血状態に陥っていたのであって,これは,疣贅から血栓等が飛んで脳血流が途絶するという感染性心内膜炎の合併症として生じ得る梗塞症状とは全く異なるものであり,極めて稀な特異的所見である。
この点,H医師はDの死因を感染性心内膜炎と記載した死亡診断書を作成しているが,これは,E医師やF医師と協議の上で作成されたものでもないし,また,死亡時において感染性心内膜炎に罹患していたことが明白であったことから,そのように記載されただけのことであって,同診断書の存在をもって死亡原因が感染性心内膜炎であったということにはならない。
イ 因果関係
(ア) 上記のとおり,Dの死因は感染性心内膜炎の増悪とは直接関連しない脳血管攣縮による全脳虚血が最も疑われるところであるから,原告ら主張の感染性心内膜炎の診断,治療の遅れとDの死亡との間には因果関係がない。
(イ) Dに認められた脳血管攣縮は,成人スチル病による血管炎,外科的侵襲に対するDの特異体質,外科的手術の際の麻酔,人工心肺等の影響が考えられ,これらが相互に関連しあって生じたものと解される。しかして,仮に11月7日よりも前に感染性心内膜炎に罹患していたとしても,抗生剤投与の内科的治療のみで治癒を期待することは困難であり,いずれかの時期に僧帽弁置換術等の外科的手術を実施することは避けられなかったといえるから,Dの上記症状は不可避的に生じた結果あるいは外科的手術に通常随伴するやむを得ない合併症の発現と評価せざるを得ないものであって,いずれにせよ死亡を回避することはできなかったというべきである。
(4) 損害
いずれも否認し,又は争う。
4 被告の主張に対する原告らの反論
(1) 上記3(1)に対し
被告は,Dについて,被告病院初診時の時点で成人スチル病に罹患していたと主張する。しかし,上記1(5)ウの成人スチル病診断基準に照らしてみても,Dの臨床所見はこれを満たさず,同疾患に特異的な定型的皮疹もなかった。また,成人スチル病は,我が国では稀な疾患であって,上記診断基準にあるとおり,その確定診断を行うためには血液培養等の方法による感染症の除外診断ないし鑑別診断が必須であるにもかかわらず,Dについてそのような除外診断は一切されていない。さらに,被告が主張するような臨床ないし検査所見(発熱,咽頭痛,好中球増加)は感染性心内膜炎の所見でもあるし,リウマトイド因子陽性,血清補体値の低下等の検査所見(9月13日以後)は,成人スチル病の所見とは矛盾するものである。このような事情に加え,被告病院も,本訴提起前には,Dの疾病について感染性心内膜炎,脳血管障害であると説明するのみで,成人スチル病であったとの説明をしていなかったことも考え併せれば,被告病院受診中に成人スチル病であった可能性はない。
(2) 上記3(2)に対し
ア 同アについて
心雑音の聴取自体が感染性心内膜炎の臨床所見として挙げられていること,感染症状であれば常に局所感染病巣が認められるものではなく,免疫不全症等の基礎疾患,菌血症の発症の原因となる事柄あるいは心疾患の既往がなければ感染性心内膜炎を発症しないということにもならないこと,被告病院医師が行った感染症の除外診断も感染性心内膜炎の原因菌を網羅的に除外したものではないことからすれば,被告主張の事由はいずれも感染性心内膜炎の発症を疑い得なかったとする合理的理由にはならないし,E医師において診療義務を尽くしたということもできない。また,被告は,被告病院初診時及びそれに近接する時期のDの症状や検査所見からすれば,むしろ成人スチル病が疑われるものであったと主張するが,仮にそうであったとしても,成人スチル病の確定診断のためには感染症を除外することが必須なのであるから,やはり血液培養及び心エコー検査を行うべき注意義務があったといえることに変わりはない。
イ 同イについて
Dは,当時20歳に達したばかりの若年女性であり,脳出血の原因として動脈硬化等は考え難いのであるから,9月29日の脳梗塞所見は感染性心内膜炎の合併症と疑うのが合理的であること,一般的に成人スチル病の合併として血管炎は認められないこと,F医師は神経内科入院中に心音の聴診をしていない可能性があること,ガリウムシンチグラフィは常に動いている弁膜に付着した疣贅を確認するには不向きであり,同検査結果で異常所見がないことが直ちに僧帽弁の感染病巣の不存在を示すことにはならないことからすれば,被告主張の事由はいずれも,9月29日時点において感染性心内膜炎に罹患していなかったことの裏付けとはならない。
(3) 上記3(3)に対し
Dはそもそも成人スチル病であったとはいえないのであるし,外科的侵襲に対して脳血管が全般的に萎縮するような体質であったとか,僧帽弁置換術の影響であるというのも被告の推論の域を超えるものではないから,いずれにせよ,被告の主張では脳血管攣縮の原因を合理的に説明したことにはならない。
第3 当裁判所の判断
1 事実関係
前記前提事実に証拠(甲A2の1ないし18,3,4の1,2,B22,乙A1ないし5,6の1,2,7ないし12,証人E,同F,原告B本人)及び弁論の全趣旨を併せると,以下の事実が認められ,他に同認定を覆すに足りる証拠はない(なお,主要な証拠を認定事実ごとに掲記する。)。
(1) 被告病院受診前のDの症状等(甲A3,B22,乙A1,11,証人E,原告B本人)
Dは,1月中旬ころから微熱を伴う感冒様症状が現れ,2月になると,しばしば38℃程度の発熱と咽頭痛を感じるようになった。同月15日,J病院を受診して咽頭炎との診断を受け,抗生剤等の投与を受けたが,抗生剤の服用中は解熱するが服用を止めると発熱がぶり返すといった状態であり,症状に特段の改善は見られなかった。4月2日,近医のG医院を受診して,抗生剤,解熱剤の投与を受けたが,同医院で施行された血液検査,胸部レントゲン検査等の結果でも異常所見は窺われなかった。そのような中,同月8日,9日には感冒様症状を伴わない39℃程度の発熱をみたため,G医院の紹介により,精査,加療目的で被告病院を受診することになった。
(2) 被告病院初診時の状況(甲A3,B22,乙A1,6の1,2,11,証人E,原告B本人)
Dは,4月10日,被告病院の免疫・血液内科外来を受診し,E医師の診察を受けたほか,血液検査,尿検査,胸部レントゲン検査等を受けた。
E医師は,頚部,腋窩のリンパ節触診では異常を認めなかったが,聴診により軽度の収縮期駆出性心雑音を聴取した。なお,Dには,心臓疾患の既往はなく,被告病院受診前の数か月間に大量の細菌が体内に侵入したことを窺わせるエピソード(大怪我や外科手術,カテーテル操作,抜歯,扁桃摘除等)もなかった。
E医師は,このような前提に加え,DがJ病院受診中からメモをしていた発熱時の体温等の症状経過の内容,G医院から提供された診療情報から,同医院及びJ病院の診療経過のうち,抗生剤を投与しても解熱期間が短いとされていたこと,胸部レントゲン検査の結果に異常はないとされていたこと,血液検査の結果は白血球8600,CRP0.6,α2グロブリン,γグロブリンのほかに異常はなかったことなどに着目して,膠原病を疑ったが,当面は経過観察を行うことにし,G医院が処方していたものと同一の抗生剤及びロキソニン(非ステロイド系プロピオン酸消炎剤)の服用を指示するとともに,熱型を精査する目的で体温測定の結果をグラフ化しておくことを指導して,一週間後の受診を指示した。なお,Dが作成した上記メモには,2月26日,3月23日に足が腫れるといった症状が記載されていた。
(3) 再診時から脳梗塞発症までの診療状況(甲A2の1ないし16,B22,乙A1,10,11,証人E,原告B本人,弁論の全趣旨)
E医師は,4月17日にDを再診したが,初診時に施行した胸部レントゲン検査には特段の異常を認めず,血液検査の結果,白血球数は11010,血沈は64㎜/時,CRPは3.97,フェリチンは158と異常値を示し,ALP,NAPスコア(高値の場合は細菌感染症等を疑わせる。)も基準値よりは高値を示していたものの,免疫不全等の基礎疾患による感染抵抗力の顕著な減弱を示す所見(IgG,IgA,IgM値)や真菌及びグラム陽性菌,溶血性連鎖球菌感染を疑わせる所見(エンドトキシン値,β-D-グルカン値,ASO値)は認められなかった。E医師は,このような検査結果に加え,Dから足首,膝の関節痛の訴えがあったことなどから,成人スチル病罹患を疑い,ステロイド剤であるプレドニゾロン(商品名プレドニン錠)等の服用を指示して,更に経過観察をする予定とした。
その後,E医師は,概ね1週間ごとの再診を継続する中で,プレドニゾロンの投与量を調整したり,抗生物質や抗菌剤を併用したりして経過観察を続けていたが,その間,熱発が治まるまでには至らなかったものの全体的に軽減傾向を示し始めてきたこと,発熱がないときには関節痛も治まるといった相互関連性が認められたこと,聴診で肺の湿性ラ音や異常心音を認めなかったこと,顕著な体重減少等の消耗性症状が見られなかったことなどから,上記(1),(2)の臨床経過,血液検査所見等を併せて,5月29日の診療時に,Dの疾病を成人スチル病とする確定診断をし,プレドニゾロンによる発熱のコントロールを主眼とした治療を行うことにした。
Dは,5月30日,発熱,右側腹部痛及び吐き気等を訴えて被告病院に救急搬送され,K医師の診察と処置を受け,翌日も症状が改善しないとして再度診察を受けたが,腹部エコー検査の結果にも特段の異常所見は認められず,被告病院婦人科で骨盤内感染症,尿路感染症の検索のための検査も受けたが,婦人科領域でも特段の異常は認められなかった。
その後,E医師は,月に2,3回の頻度でDを診察していたが,関節痛,手先の腫脹,筋痛は残っていたものの,常時発熱しているという状況にはなくなり,咽頭痛,咳等の訴えもなくなるなどしたため,プレドニゾロンの投与量を発熱状況に応じて増減させながら,9月18日の診療日まで外来での病状管理を継続した。なお,6月26日には尿の細胞診が実施されたがクラスⅠであり異常はなく,8月中に実施された感染症鑑別検査(トキソプラズマ,マイコプラズマ,オーム病,ツツガムシ病)の結果も陰性であり,副甲状腺ホルモン検査も陰性であった。
もっとも,上記の期間も,Dにおいて,足底痛(8月7日診療時)を訴えたり,夕方から翌朝にかけて38℃台まで発熱し,夕方までには沈静化するという棘熱(Spike Fever)がしばしば見られた。
(4) 脳梗塞発症後の神経内科入院時の診療経過(甲A2の16,4の1,2,B22,乙A1,2,4,7,11,12,証人E,同F,原告B本人)
Dは,9月28日,前日夕方からの38℃台の発熱,左手,足のしびれ,頭痛等を訴えて被告病院を受診し,特段の他覚的異常が見当たらなかったことから,経過観察となりいったん帰宅したものの,症状が改善しなかったため,翌29日に再び被告病院を受診した。その際,診察を担当したL医師は,神経学的な著変はなかったものの,Dが半年で約6キロの体重減少を申告したことや収縮期駆出性心雑音を聴取したこと及び上記の主訴を考慮して,心電図と頭部CTをオーダーするとともに,神経内科にコンサルトした。
しかして,頭部CT検査の結果は,右扁桃部近傍に少量のくも膜下出血と右視床に梗塞の疑いというものであったため,Dは,そのまま精査,加療目的で被告病院神経内科に入院となった。
同科のF医師は,Dについて,免疫・血液内科で成人スチル病と診断されて治療を受けている患者であったこと,10月1日に行われた血液検査の結果においても白血球数,CRP値,リウマトイド因子が異常値を示したが,免疫グロブリン値には特段の異常は現れなかったこと,Dも関節痛を訴えることはなかったこと,同月2日に実施された脳血管造影検査により,椎骨脳底動脈から後大脳動脈起始部にかけて蛇行が認められたものの,脳塞栓症が疑われる所見はなかったことなどから,Dの脳血管疾患について成人スチル病に起因する血管炎を疑い,輸液及びラジカット投与により神経症状が軽快し,左上肢のしびれ感も低減してきたことを受けて,同月10日からプレドニゾロンの投与を再開した。
その後,同月15日に実施された核医学検査(ガリウムシンチグラフィ検査)によっても,全身に明らかな異常集積はなく,関節への集積も特に高くなく,検査所見としても有意な異常はないとの結果が報告され,また,同月12日に実施された頭部MRIによっても明らかな異常所見は指摘されず,同時期に実施された血液検査(凝固系線溶因子系検査(Dダイナー),自己抗体系検査(抗核抗体),免疫系検査(IgG抗体検査))によっても特段の異常所見は認められず,入院後には心雑音も聴取されなかった。
他方,同月1日の心電図検査の結果は「左房室肥大,異常心電図」というものであり(ただし,自動診断の結果である。),また,F医師自身も同月18日にはDの発熱について不明熱と診断し,同月19日には,Dの症状について成人スチル病としては低補体価(CH50の値が同月1日が30.1,同月9日が24.8,同月17日が23.5)であることがカルテ上指摘された。
その後,脳血管疾患の症状が軽快したとして同月24日に退院となり,以後,免疫・血液内科で継続して経過観察を行うこととされた。
(5) 神経内科退院後,感染性心内膜炎の確定診断に至るまでの診療経過(甲A2の17,18,B22,乙A1,5,11,12,証人E,同F,原告B本人)
E医師は,10月30日,神経内科を退院したDを診察したが,上記(4)のとおりガリウムシンチでも異常は認めなかったものの,左足小指の痒みを訴えられ,血管炎症状と認めたが,リウマトイド因子に上昇傾向が認められたこと,補体価(CH50)が軽度低下していたことなどから,腎臓内科にコンサルトした。
被告病院腎臓内科のM医師が,11月5日にDを診察した。その結果は,収縮期心雑音(Ⅲ度)を認めること,上下肢・眼瞼の紫斑,プレドニゾロン服用中の38℃超の発熱を認めることなどからして,膠原病は考えにくく,心エコーを含めて細菌性心内膜炎の検討を勧めるといったものであった。E医師は,上記の腎臓内科からの指摘を受けて,同月7日,F医師にも意見を求め,同医師から,心房駆出性収縮期雑音を認めること,発熱に対し抗生剤が効果的であることからして,亜急性細菌性心内膜炎も十分可能性があるとの回答を得た。
Dは,同月7日,右眼の一部に赤い色が付くとの主訴で被告病院眼科を受診したが,その際の所見は,両眼眼底出血(Roth斑),右眼は黄斑出血で視力低下というものであった。
E医師は,このような他科の診療結果や意見を踏まえ,同月13日の診療において心エコーを実施したところ,心臓に僧帽弁閉鎖不全と疣贅を認めたため,感染性心内膜炎と診断した。そのため,Dは,同月15日,僧帽弁置換術(可能であれば形成術)の施行を前提に被告病院循環器内科に緊急入院となり,同日中に心臓血管外科に転科となった。
(6) 心臓血管外科入院後,死亡に至るまでの診療経過(甲B22,乙A3,5,8,9,11,12,証人E,同F,原告B本人)
Dは,11月15日に心臓血管外科のN医師の診察を受けたが,その際,収縮期心雑音(Ⅳ度ないしⅥ度)と手指の発赤と腫脹が認めらた。同日実施された頭部MRIの結果は,正中構造に変化なし,脳室系にも拡大や変形なし,脳実質には,右頭頂葉及び左前頭葉に皮質下梗塞を認める,小脳や脳幹には異常は認められないというものであった。
また,Dは,同月16日に被告病院脳神経外科のO医師の診察を受けたが,その結果は,僧帽弁形成ないし置換術前にセルディンガー法による脳血管造影検査を要するというものであった。さらに,Dは,同日,胸腹部CT検査を受けたところ,両側腎臓皮質が局所的に萎縮して変形が認められ,多発性の陳旧性梗塞も認められるとともに,上腸間膜動脈についても分岐後数㎝の箇所に感染性と見られる狭窄所見が発見された。そして,同日及び同月22日の心エコー検査により,僧帽弁後尖弁尖中央に可動性の疣贅(1.36×0.74㎝)及び同前尖弁尖中央に円形の可動性の疣贅(0.67×0.66㎝)が認められ,いずれも弁尖に付着しており,重篤な血液の逆流も認められた。
Dは,同月16日午後7時30分ころに痙攣発作を起こし,その後はCCU(冠疾患集中治療室)で治療を受けることになった(同月17日にも眼振を伴う痙攣発作を起こした。)。
N医師とO医師は,以上の諸検査結果を踏まえ,Dに対して僧帽弁形成ないし置換術を施行するものとしたが,他方でDの右中大脳動脈末梢に動脈瘤を疑わせる所見があり,これが破裂すると予後不良となる危険が高まることから,僧帽弁形成ないし置換術の前日にセルジンガー法による脳血管造影検査を行い,動脈瘤が発見された場合には僧帽弁形成ないし置換術に引き続いて開頭術を実施することにし,原告らにもその旨を説明して,同月22日までにこれらの手術の承諾を得た。
その後,同月26日にDに対してセルジンガー法による脳血管造影検査が行われたが,その結果,10月段階では開通していた右椎骨動脈が途絶しており,また,角状動脈の末梢に6㎜前後の動脈瘤及びその下方に小動脈瘤を認めたため,被告病院医師は,上記のとおり,僧帽弁形成ないし置換術の翌日に開頭術(クリッピング術)を予定することとした。
Dは,同月27日午前9時から人工心肺下で開胸術(僧帽弁置換術)を受け,同手術は同日午後5時43分ころに終了した。しかし,Dは,その後も覚醒せず,同日午後7時の時点で,瞳孔が8㎜に拡大し,対光反射もない状態となった。翌28日午前0時の段階で脳血管造影検査が実施されたが,その結果は,動脈瘤から少量の出血があり,術前は開通していた左椎骨動脈も途絶していたほか,全脳虚血によると思われる浮腫が強く,塞栓による閉塞所見はないものの,全体的に緊張性となり血液循環不良となっており,重篤な脳障害を生じていた。
Dは,同日午前4時には自発呼吸が停止して脳死に近い状態に陥り,その後に延命的治療が行われたが回復の様子はなく,12月6日午前2時43分に死亡が確認された。
2 前記前提事実及び上記認定事実(以下「前提事実等」という。)に基づき,まず,被告病院医師の過失ないし義務違反の有無について検討する。
(1) 被告病院初診時ないしこれに近接する時期における過失ないし義務違反の有無
ア(ア) 前提事実等によれば,Dについては,被告病院初診前から,発熱が治まらず,感冒様所見を伴わない39℃台の発熱もあり,抗生剤の投与による一定の解熱効果が得られていたほか,足ないし足裏の腫れを訴えていたこと,初診時,血液検査の結果は白血球数,CRP値,血沈,フェリチンともに異常値(高値)を示しており,心雑音も聴取されていたことが認められるところ,これらの発熱の継続を主とする臨床所見等は,一応感染症の罹患を疑わせる所見であるということができる。
(イ) しかしながら,他方で,被告病院受診までのDの発熱経過をみると,抗生物質による解熱効果は一時的であって根本的な解熱効果は得られていなかったほか,38℃台の発熱が恒常的,継続的に現れていたものでもなかった(甲A第3号証によれば,少なくとも,4月2日から同月7日までは38℃台の発熱はないことが認められる。)ことが認められるのであって,このことは,Dの発熱が感染症以外の原因によるものであることを窺わせるものといえる。
また,感染性心内膜炎の発症については,心疾患の既往が原因疾患となることが多いとされているところ,Dにそのような既往はなかった。
さらに,感染性心内膜炎は,敗血症の一種であり,全身性の菌血症の発症を前提とするものであると解されているところ,血液にはそれ自体に強い殺菌作用がある関係で,悪性腫瘍,腎不全等の基礎疾患がある場合,免疫力の低下(感染防御能の低下)が認められる場合,大量の細菌が体内に侵入するようなエピソードがある場合に,敗血症ないし菌血症を起こしやすいと解されている(甲B9,乙A11,証人E)ところ,Dについては,被告病院受診前数か月間に,大量の細菌の侵入を窺わせるものとして通常考えられている外科手術,カテーテル操作,抜歯,扁桃切除等のエピソードはなく,また,未だ19歳と若く,血液検査の結果によっても免疫不全等の基礎疾患による感染抵抗力の減弱を示す所見は見られなかったことが認められる。
そして,感染性心内膜炎については,発熱,心雑音のほかにも,前提事実(5)ア(ウ)のとおり,心肥大等の胸部異常所見,末梢血管病変,関節痛,筋肉痛,全身性梗塞症,神経学的症状,その他の所見(うっ血性心不全や腎不全)が認められるとされているところ,Dについて,そのような症状が初診時までに顕著に存在したと認めるに足りる証拠はなく,また,このような典型症状は菌血症の発症から2

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2006年01月30日 12:52
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。