H18. 2. 3 大阪地方裁判所 平成17年(わ)第3350号 現住建造物等放火被告事件

現住建造物等放火被告事件において,任意同行中の被告人(当時は被疑者)に対し,同人が放火を否認し電気的火災によるものではないかとの弁解を述べているにもかかわらず,担当警察官が,具体的証拠に基づかずに被告人が放火等の犯人であると決め付けた上,被告人と肩を組んだり,その両肩に両手を置いて揺するなどしながら,大声で「真実から逃げるな。」「正直になれ。」などと叱るように繰り返し追求したことは違法な取調べであって,その結果作成された警察官調書・検察官調書も基本的に上記自供書等にその内容を依拠するものであって,任意同行中の上記違法な取調べの影響を遮断するような措置も講じられていないから,同様に任意性に疑いがあるなどとして,捜査段階での各自白調書の取調べ請求が却下された事例。



主     文
被告人の検察官調書2通〔乙2,8〕及び警察官調書2通〔乙6,7〕に関する検察官の証拠調べ請求をいずれも却下する。
理     由
第1 争点と当事者の主張
 検察官は,罪体を立証趣旨とする被告人の供述調書として,被告人の警察官調書5通〔乙3~7〕,検察官調書2通〔乙2,8〕の取調べを請求しているのに対し,弁護人は,このうち警察官調書3通〔乙3~5〕の取調べに同意し,これらについては既に取り調べ済みであるが,その余の供述調書,すなわち警察官調書〔乙6,7〕及び検察官調書〔乙2,8〕については供述の任意性を争っている(以下,これら任意性が問題となっている各供述調書を総じて「係争供述調書」という。)。
 したがって,被告人の係争供述調書に任意性が認められるか否かが当面の争点であるが,この点に関し,弁護人は,本件出火当日,被告人は,警察官Aと同Bの取調べを受けた際,放火を自白する旨の被告人の供述書1通(以下「最初の自供書」という。)と同内容の被告人の警察官調書1通(録取者はB刑事。以下「最初の自白調書」という。)が作成されているが,これらは,A刑事による予断と先入観に基づく追及的尋問や身体的接触を伴った違法・不当な取調べの結果なされた虚偽自白を内容とするものであって,任意性がないし,その後警察官Cや検察官Dの取調べの下で録取・作成された係争供述調書は,P署での同一身柄拘束下にある被告人が,自白を撤回して否認するとA刑事から再度違法な取調べを受けるのではないかとの恐怖心から,取調官に迎合し,その誘導に乗って行った虚偽自白にすぎず,その内容も,最初の自供書・自白調書(以下,総じて「最初の自供書等」という。)を真実と措定しこれを詳細・具体化したものにすぎないのであって,実質的には最初の自供書等と一体をなすものであるから,同様に任意性はないと主張している。
 これに対し,検察官は,A刑事が被告人の身体に接触しながらの取調べを行ったことは事実だが,これは暴行・脅迫・利益誘導と評価されるようなものではなく,むしろ被告人の心を開かせるとの目的に沿った穏当なものであって,取調べ方法として許容される範囲内のものであるから,到底自白の任意性に影響を及ぼすものでもないし,黙秘権侵害と評価されるようなものでもない,そして,その後の取調べにはA刑事は関与しておらず,C刑事らは一から取調べを行っているから,A刑事の取調べの影響が残存しているとは認められず,したがって,C刑事らの取調べの下で録取・作成された係争供述調書に任意性があることは明らかであると主張している。
 そこで,当裁判所は,以上のような当事者の主張に鑑み,検察官に係争供述調書の提示を求めるとともに,捜査段階におけるその余の被告人の供述書・供述調書(取り調べ済みの同意書証を除く。)を「供述状況等(任意性・信用性の判断資料として)」という立証趣旨の下に取り調べ,さらに,取調べ状況に関するAの証人尋問や被告人質問を実施し,その余の関連証拠の取調べを行った上で,次のとおり判断した。
(以下の判断中においては,日時はすべて平成17年のそれを指すものとする。)
第2 当裁判所の判断
1 本件の捜査経過とその余の関連事実
 まず,以下の各事実経過等は,当事者間に概ね争いがなく,関係証拠に照らしても動かし難いものとして認めることができる(以下「動かし難い事実(1)」などとして引用することがある。)。
(1) 被告人は,公訴事実記載の共同住宅「Q荘」(以下「本件アパート」という。)1階a号室の住人であるが,5月27日午前5時ころ被告人の居室を火元として発生した火災により,本件アパートは全焼し,同アパート2階の住人2名が焼死した。
(2) 本件火災当時,被告人は,まだ本件アパート1階に煙がうっすらと漂っている段階で,1階玄関前の廊下に俯せの状態で倒れ込んでいるのを2階の住人に発見されて起こされ,自力で本件アパートの玄関前に脱出したが,その後,火元が被告人の居室であること聞知した警察官から同日午前7時25分ころ任意同行を求められたことから,これに素直に応じ,同日午前7時30分ころ,警察官と共に所轄のP警察署に到着した。
(3) その後,被告人は,同日午前中,P署の警察官から取調べを受けたが,その際,被告人の居室が火元であることを指摘し被告人の放火ではないかと追及する取調官に対し,出火原因について,「ホットプレートか漏電ではないか。」などと供述し,自己が放火したことを否認する供述をしていた。
(4) その後昼食時間となり,被告人はP署内で昼食をとったが,この間,P署は,本件火災で焼死者が2名も出ていることから,R府警本部捜査1課の火災班に応援を求め,その求めに応じて同日午後1時ころ来署した同課同班のA刑事とB刑事は,火元が被告人の居室であることや被告人の上記弁解内容などをP署の者から聞き取った上で,同日午後2時10分ころから,P署の警察官と代わり,2人で被告人の取調べを開始した。
(5) そして,このA刑事らの取調べの際,同刑事が黙秘権を告知したか否か,同刑事がどの程度の身体的接触を被告人に行ったのか,被告人に対し具体的にどこまでの発言をしたのかについては,後述のとおり,被告人とA刑事との間に供述の食い違いがあるものの,少なくとも,
ア 取調べの最初の段階では,被告人は午前中に行っていたのと同様に,出火原因について「分からない。」「漏電ではないか。」「ホットプレートで焼き肉をしようとして電源を入れ,そのまま眠ってしまった。」などと放火を否認し,漏電の可能性を示唆する供述をしていたこと
イ その後,被告人の弁解は嘘であると思い込んだA刑事が,被告人に対し身体的接触を伴いつつ大声で叱咤するような取調べを行った結果,夕方ころには,被告人は,泣き出してしまい,「やりました。」と自白したこと
ウ その後,被告人は,A刑事のアドバイスを受けつつ,別紙のような最初の自供書を作成する一方,A刑事が取調室から退席後,B刑事が単独で行った取調べにおいてほぼ同内容の最初の自白調書が録取・作成されたこと
以上の事実は明らかである。
(6) そしてその後,被告人は,同日午後7時40分に,最初の自供書等を疎明資料として発付された通常逮捕状により現住建造物等放火を被疑事実として逮捕され,翌28日には勾留された。
(7) 上記逮捕後,被告人の警察での取調べはR府警本部捜査1課のC刑事とP署の警察官Dが担当し,検察での取調べはE検事が担当した。この間,被告人に対しては警察・検察においてほぼ連日取調べが行われ,同年6月16日に起訴されるまでの間,下表に記載のとおり,数多くの被告人の供述調書・供述書等が作成された(同表中,係争供述調書についてはゴシック体で記載している。)。
 なお,最初の自供書等以降の各供述調書・供述書は,係争供述調書を含め,いずれも最初の自供書等の内容を踏襲しこれを具体化したものであり,核心部分の供述内容はほぼ一貫している。 日 付 作成された書面 取調官 書面の概要
5月27日 【本件火災発生】
最初の自供書
最初の自白調書
【逮 捕】
弁解録取書(警察) 乙10

乙11

乙12 A・B

F刑事
犯行動機,犯行状況,犯行後の行動等
犯行動機
犯行動機,犯行状況
28日

警察官調書
警察官調書
弁解録取書(検察)
勾留質問調書
【勾 留】 乙13
乙14
乙15
乙16 C,D
C,D
G検事
犯行動機,現住性の認識
身上,経歴等
犯行を認める。
犯行を認める。
29日 供述書
警察官調書 乙18
乙17 C,D犯行に至った理由
自白に至った経緯,供述書(5月29日付)作成時の状況
30日 (取調べのみ)
31日 供述書1通 乙21添付 放火に使用したライターについて
6月1日 (取調べのみ)
2日 供述書8通 乙21添付 自室内の家具等
3日 検察官調書 乙2 E自白に至った経緯
4日 警察官調書 乙3 C,D現場アパートに入居した経緯,同アパートの構造・入居状況
5日 警察官調書
供述書2通 乙4
乙21添付 C,D本件火災前日の行動
放火直前の行動等
6日 警察官調書
供述書7通 乙5
乙21添付 C,D自室の家具の設置状況等
放火時の被告人の服装等
7日 警察官調書
供述書2通 乙6
乙21添付 C,D犯行状況,犯行後の行動
犯行状況,犯行後の行動
8日 (現場引き当たり) C,D
9日 (犯行再現) C,D
10日 (燃焼実験)
警察官調書 乙19 C,D
現場引き当たり(6月8日)や犯行再現(同9日)時の状況
11日 警察官調書 乙1 C,D身上・経歴等,犯行に至った経緯
12日 警察官調書 乙7 C,D犯行動機
13日 検察官調書
警察官調書 乙8
乙20 E
C,D犯行動機,犯行状況
被害者に対する感情
16日 【起 訴】
(8) なお,本件アパートの被告人方居室においては,本件火災の約半年前,被告人とその友人とがホットプレートで焼き肉をしている際に,コンセントから煙が出てコンセントが溶けてしまうという事件が発生した事実がある。その後,電気工事業者によりコンセント自体は交換されたものの,ホットプレートを使用中にコンセントから煙が出るという事態の根本原因については解明されたり改善されたりしないまま事件当日に至っており,事件当夜も,被告人は仕事先の者に帰宅後自室で焼き肉をする旨話しているほか,焼き肉用の肉も前夜に購入済みであった。また,本件アパートの消火終了後行われた実況見分の折りには,被告人方居室の床面から,発熱体部分と本体とが分離した状態でホットプレートが発見された。
2 最初の自供書等の任意性について
(1) 検討の必要性
 以上見たとおり,係争供述調書は,いずれも最初の自供書等の内容を踏襲しこれを具体化したものに他ならないのであるから,係争供述調書の任意性を判断するには,まずその大前提として,最初の自供書等の任意性の有無を検討することが不可欠である。
(2) A刑事の下での取調べ状況に関する被告人と同刑事の各供述状況
 そこでまず,最初の自供書等が作成されるに至った本件火災当日午後のA刑事らによる被告人の取調べ状況について見るに,被告人とA刑事がそれぞれ語る取調べ状況は,以下のようなものである。
ア 被告人の公判供述の概要
 まず,被告人は,A刑事の証人尋問に先立つ第2回,第3回公判における各被告人質問において,概要,次のように供述している。
(ア) 昼食後,P署警察官による取調べが再開されたが,しばらくすると,その警察官と入れ替わるようにしてA刑事とB刑事が取調室に入って来,A刑事が机を挟んで私の向かい側に,B刑事が私の左斜め前にそれぞれ座って,取調べを始めた。A刑事は,取調室に入ってくるときから「とぼけているらしいな。」などと言いながら入口のドアを閉めていたが,着席後も,黙秘権の話はしないまま,いきなり「放火して,とぼけている悪いやつがおるということで,おれらがわざわざ来たんや。」などと告げるとともに,持参した大きなかばんを見せながら,「かばんの中に証拠が入っている。」「科学捜査というのがあって,とぼけてもすぐに発見できるんや。」などと言ったり,「人が一応2人死んでるんや。」などと言ったりもした。
(イ) これに対し,私は,午前中と同様,「やっていない。」と言い,漏電やホットプレートからの出火の可能性がある旨述べたが,A刑事は,それに全く耳を貸そうとしないばかりか,「このままとぼけてると不利になるぞ。」「大悪党になってしまうぞ。」と強めの口調で言ったり,「供述しないなら『もう供述しません。もう何も言いません。』と一筆書け。その代わり,書いたらこれを裁判所とかに提出して,お前を完全に不利にしたる。」などと言ったりした。その間,B刑事は,あまり話をしなかったが,私の左斜め前から身を乗り出すようにして間近からのぞき込んできたので,威圧感を感じた。
(ウ) その後,A刑事の指示で両刑事が席を替わり,B刑事が私の正面に座り,A刑事が私の左横で私の方を向いて座った。B刑事は,やや強めの口調で「本当のことを言った方が身のためやぞ。」などと追及してきた。それに対し,私が「やっていない。」と答えたが,耳を貸してくれる様子はなく,左に座っていたA刑事が,右手で私の左肩を掴み,私の顔の間近に自分の顔を近づけつつ「お前がやったんだろう。白状せえ。」「本当のことを言え。白状せえ。」などと何度も言ってきた。そしてさらに,A刑事は,私の耳のすぐ近くまで顔を近づけながら大声で「H〔被告人の姓(仮名処理者注)〕,正直になれ。」などと10回以上も言っただけでなく,次第に興奮してきたA刑事は,右手で私の後頭部の髪の毛を掴み引っ張って,私の顔を上げさせた上,「正直になれ。」などと何回も繰り返し言った。
(エ) 私は,そのようなことを繰り返しされているうち,精神的に耐えられなくなり泣いてしまった。A刑事らの取調べがつらかったし,自分の言い分を聞いてもらえず,犯人扱いされたことに耐えられなかったからである。そして,A刑事が「H,正直になれ。」などと何回も繰り返し言われているうち,もう精神的に耐えられなくなり,「やりました。」と嘘の自白をしてしまった。嘘でも白状すればとにかく楽になれると思ったのと,私の部屋から火を出してしまい2名の方が亡くなったことに対して申し訳ないという気持ちがあったからである。
(オ) その後,A刑事は,B刑事とまた席を交替して正面に座り,「どこに火をつけたのか。」などと尋ねてきたので,私は初め「畳に火をつけました。」と適当に答えたが,A刑事から「違うやろう。」と言われたので,思いつくまま「布団です。」と答えた。そして,とりあえず「(布団の)端っこの角に火をつけた。」と言うと,A刑事から「この1か所だけやったら,こんな火事にはならん。もっとつけたやろう。正直に言え。」などと言われたので,順次,最初の自供書の原案である別の紙に印を書き加えながら,3か所につけたなどと答えた。また,火をつけた方法については,A刑事が「ライターかマッチか。」などと聞いてきたので,当時勤務先にあったライターを家によく持って帰っていたことから,思いつくまま「ライター。」と答えた。さらに,火をつけた動機については,A刑事から尋ねられたものの,私がずっと黙っていたところ,A刑事の方から「いらいらしとったんか。」「ストレスたまっとんか。」「仕事のことで,むしゃくしゃしとったんやろ。」などと聞いてきたので,「はい。」と答えた。火をつけた後の行動についても,私は「布団のところで(火を)見ていた。」と言った。
(カ) 放火の状況について一通り取調べが終わると,A刑事から正式の供述書を書くよう求められたので,私は,先に別の紙に書いた原案を見ながら部屋の見取図を書き,何を書けばいいかA刑事に確認してその都度指示を受けながら,最初の自供書を書いていった。そして,その後,B刑事の作った同じ内容の最初の自白調書にも署名した。
イ A刑事の証言の概要
 これに対し,A刑事は,第3回公判において,被告人質問に引き続いて行われた証人尋問で,概要,次のとおり供述した。
(ア) 私は,R府警察本部捜査1課火災班に所属しているが,上司の命によりP署に赴いてB刑事と2人で被告人の取調べを担当することになった。本件火災当日の午後1時前ころP署に着いて,同署警察官から約1時間ほど話を聞いた。その際,本件火災の火元が被告人の部屋であること等は聞かされたが,被告人の部屋の間取りや出火原因等については全く聞かなった。そして,被告人が「覚えていない。」「漏電ではないか。」などと供述していると聞いて,私は被告人が事実を隠しているのではないかと思った。
(イ) その後,私とB刑事は取調室に入り,私は机を挟んで被告人の正面に,B刑事は被告人の左斜め前にそれぞれ座って,被告人の取調べを開始した。まず冒頭,私は,名前を名乗った後,「今から話をきくんやけども,言いたくないことは言わないでいいけども,うそをつかんと正直に話ししてくれよ。」というような言い方で黙秘権を告げた。その後,被告人は,自分の部屋から火が出てるんと違うかとの私の問いかけに対し,下を向いたまま顔を上げず,たまに「分からない。」「漏電ではないか。」「ホットプレートで焼き肉をしようとして電源を入れ,そのまま寝てしまった。」などとぶつぶつ言うのみで,供述が定まらなかった。私は,その供述態度を見て,いわゆる刑事の勘で,被告人は放火か少なくとも重過失の失火を犯したのにその事実を隠していると直感した。
(ウ) そのため,私は,被告人の心を開いてやらないといけないと思い,取調べ開始後30分ほどして,B刑事と交替して被告人の左横に被告人の方を向いて座るとともに,「火をつけたん違うんか。」「たばこなんか投げ捨てたりしたん違うんか。」などと追及する一方,「なあ貸してみい。」と被告人の手を取りその膝の上で被告人の手を私の両手で握りしめたり,私の右腕を被告人の肩に回して肩を組むようにしたりしながら,被告人の耳元近くで,「逃げたらあかん。自分のしたことは正直に言わなあかん。自分に正直になれ。」などと大きな声で子供を叱るような口調で繰り返し言った。被告人はそれでも目を合わせようとしなかったので,被告人に対して「こっち向け。」「おれの目を見てみい。」などと言って私と向かい合うように被告人に座り直させた上で,被告人の両肩に私の両手を置いて叩いたり揺すったりしながら,被告人の顔の近くで繰り返し「H,逃げるな。」「正直になれ。」「うそをついたら,これから先,人生しんどくなるぞ。」「君は大悪党じゃないだろう。」などと大声で叱るように言って,約30分にわたり説得を続けたところ,そのうち,被告人はわっと泣き出して,「すみません,僕がやりました。」と言った。
(エ) その後私は,B刑事と交替して再び机を挟んで被告人の正面に座り,自分から積極的に話そうとはしない被告人に対し,放火の動機,放火の方法,放火後の行動などについてひとつずつ聞いていった。被告人がそれらについて供述するのに対し,私が「ほんまか。間違いないんか。」などと確認すると被告人が供述を変えることがあったりしたが,20~30分ぐらいで本件について大まかな供述を得ることができた。
(オ) 被告人から本件について一通り話を聞き終わったところで,私は,被告人に対して供述書を書くよう求めた。そして,その書き方が分からない被告人に対して,「間取りをまず書いて欲しい。」「何が置いてあったか書いて欲しい。」「火をつけた順番に番号を打っていったら分かりやすいんと違うか。」「火つけたところを赤でかいたほうがええんとちゃうか。」などと適宜指示をしながら供述書を書かせていった。
(カ) 被告人が供述書を書き終わったところで,私は,供述書の内容と火災現場の状況が符合するか確かめるために,供述書のコピーを持って火災現場へ行ったため,その後の取調べはB刑事が担当した。
(3) A刑事の取調べ方法の違法性と被告人供述の任意性に与える影響
ア A刑事の下での取調べ状況に関する被告人とA刑事の各公判供述は以上見たとおりであって,身体的接触を伴いながら「H,逃げるな。」などと大声で叱りつけるような取調べを受けたという点など,被告人の公判供述の重要部分は,その後行われたA証言によってかなり裏付けられたといえる。
 もっとも,細かな点の相違はともかく,重要な点では,① A刑事が取調べの冒頭で黙秘権を告知したか否か,② A刑事が被告人の後頭部の髪の毛を掴んで引っ張り同人の顔を上げさせるような暴行を加えたか否かに関しては,両者の供述が完全に相反しているが,まず,②の点に関しては,A刑事自らが認めるような常軌を逸した被疑者への身体的接触傾向に照らすと,A刑事が,取調べ中の被告人と肩組みしたり,正面から被告人の両肩を持って揺するなどしているうち,俯いたままA刑事の思うように自白しない被告人の髪の毛を掴んで顔を上げさせるようなことは大いにやりかねないと考えられるのであって,この点に関する被告人の供述を虚偽であると排斥できるだけの材料はないし,また,①の黙秘権告知の点に関しても,仮にA刑事の証言するように,形の上では黙秘権告知らしきことが行われていたとしても,A刑事の証言する表現方法(すなわち「今から話をきくんやけども,言いたくないことは言わないでいいけども,うそをつかんと正直に話ししてくれよ。」というもの)では,それが被疑者の法律上の権利であることなどは全く伝わっておらず,ほんの枕詞的な意味合いを有するにすぎないのであって,その後の取調べ状況に照らしても,被告人がA刑事の形式的告知に気づかなかったとしても,全く無理からぬことだと言わねばならず,この点に関する被告人の供述も,これを虚偽であると排斥できるような要素は乏しいといわざるを得ない。
 そうすると,A刑事の取調べ状況に関する被告人の公判供述は基本的に信用できるものと評価することができるが,ここでは,被告人供述によるまでもなく,A刑事自身が証人尋問で自認しているような取調べ方法だけでも十分に任意性に関する判断は可能であると考えられるので,以下,A証言を基礎に置いて,その判断を行う。
イ A刑事の証言によれば,同刑事は,任意同行中の被告人(当時は被疑者)に対し,漏電等による火災ではないかとの被告人の弁解に全く耳を傾けようとせず,何ら客観的・具体的な根拠に基づかないまま,本件火災が被告人の放火か少なくとも重過失による失火によるものであると決めつけ,その結論に沿う供述を被告人から引き出すために,相当時間にわたり,被告人の膝の上でその手を自分の両手で握りしめたり,被告人の肩に手を回して肩を組むようにしたりしながら,被告人の耳元近くで,「真実から逃げたらあかん。自分のしたことは正直に言わなあかん。自分に正直になれ。」などと大きな声で子供を叱るような口調で繰り返し言ったものの,それでもなお被告人は目を合わせようとしなかったことから,被告人に対して「こっち向け。」「おれの目を見てみい。」などと言って自分に向かい合うように座り直させた上で,被告人の両肩に自分の両手を置いて叩いたり揺すったりしながら,被告人の顔の近くで繰り返し「H,逃げるな。」「正直になれ。」「うそをついたら,これから先,人生しんどくなるぞ。」「君は大悪党じゃないだろう。」などと大声で叱るよう繰り返したというのである。そもそも,当時は,まだ本件火災後間もない時期であり,出火原因についても,未だ何人かの放火又は失火によるものか,それとも電気的火災によるものかなどは全く明らかになっていなかったのであって,殊に本件は,事後的・客観的に見ても,動かし難い事実(8)に記載のとおり,漏電や過電流等が原因で本件火災が生じた可能性も現段階では排斥仕切れない事案(なお,S消防署消防士長作成の火災実況見分・原因判定書〔甲22〕は,火災原因として,電気配線に起因する短絡出火により出火した可能性も否定できないとしている。)であったにもかかわらず,A刑事は,被告人の居室から出火したことや取調べ時の被告人の応答態度のみから,いわゆる刑事の勘に頼り,被告人の犯行により本件出火が起こったなどと自分の中で独善的な「真実」を作り上げた上,被告人の言い分に全く耳を貸そうとしないまま,「真実から逃げるな。」「うそついたら,人生がしんどくなるぞ。」などと被告人に対し自己の「真実」を一方的に大声で押しつけたばかりか,あろうことか,任意同行中の被疑者に対し,なれなれしくも肩を組んだり,その両肩を揺すぶったりと常軌を逸した身体的接触まで行って,その押しつけを一層強めていたのである。関係証拠によれば,被告人は,これまで前科がなく,逮捕されたことすらない当時31歳の青年であって,あまり恵まれた人生は歩んでこなかったとはいえ,平素は温厚かつ気弱な性格であったところ,本件火災当日も,動かし難い事実(2)に記載のとおり,火災当時は廊下に倒れていてもうろうとしており,その後玄関前に立っていたところを,警察の任意同行により,心の準備をする間もなく,いきなり被疑者扱いされ,果ては,同日午後から上記のようなK刑事の常軌を逸した取調べにさらされたというのであるから,体格の点でも勝るA刑事(同証言によれば,身長174.5㎝,体重92㎏で,以前柔道をやっていたとのことである。)を,被告人が痛く恐怖し,その取調べに精神的に耐えられなくなり,最後には自己の意思に基づかない虚偽自白を行ってしまったとしても,当時の状況に照らすと,それ自体無理からぬものがあると言わねばならず,自白に至る心理過程に関する被告人の公判供述は十分に信用することができる。
 そうすると,上記のようなA刑事の取調べ方法は,その後の捜査や裁判の方向性を歪めかねない悪しき「見込み捜査」との誹りを免れないばかりか,社会的に相当なものとして是認される限度をはるかに超えた身体的接触を伴う過度に強圧的で執拗な追及により自己の意図する「真実」に沿う自白を強要したものであって,違法であると断ぜざるを得ないし,また,それにより被告人が自由な意思に基づいて供述し又は供述しないことを非常に困難にしたという点では,被告人の黙秘権を実質的に著しく侵害するものである(なお,A刑事が被告人に対して黙秘権の告知をしたか否かについては前記のとおり供述が対立しているが,上記のような過酷な取調べが現になされている以上,被告人の黙秘権が実質的に損なわれていることは明らかであって,仮に黙秘権の告知が形式的になされていたとしても,それは単なるリップサービス以上の意味を有するものではない。)。
 この点に関し,A刑事は,その証言において,上記のような取調べ方法は「被疑者の心を開かせるためのスキンシップ」であるなどと称しており,検察官も,同刑事の取調べ方法は被疑者の心を開かせるとの目的に沿った穏当なものであり,許容される範囲内のものであるなどと主張しているが,同じく公正な手続的正義を追求する者として,およそ理解に苦しむ主張であるというほかない。A刑事がその証言で自認する限度での取調べ方法だけ見ても,それが「穏当」であるなどとは到底言い得るものではないし,ましてこれを「心を開かせるためのスキンシップ」などと称するのは,要するに最初から被疑者が犯人であるとの前提に立った取調官側の一方的な思い上がりの論理にすぎないように思われる。A刑事や検察官の上記各主張には到底賛同することができない。
ウ そして,上記のようなA刑事の違法な取調べ手法によって,被告人の供述の任意性が著しく損ねる結果となったことは既に述べたとおりであって,その後の最初の自供書等の作成経過等に鑑みても,その自白内容に任意性が認められないことは明白であるといわねばならない。
 この点に関し,検察官は,① 逮捕後当番弁護士と3回にわたり接見している被告人が,同弁護士に対してA刑事らの違法な取調べによって虚偽自白をしたことを訴えていないこと,② また,被告人が,逮捕後起訴に至るまで,裁判官や検察官,C刑事らに対して,同様の訴えをしていないことをもって,被告人がA刑事らの説得に応じて任意に自白したことの証左である旨主張しているが,被告人の公判供述によれば,起訴後拘置所に移るまでの間は,ずっと同じ警察署の留置場内に留置されており,それまでの自白を撤回したり,A刑事の取調べの不当性を訴えたりすると,またA刑事によるつらい取調べが再開される可能性があったので,それが恐ろしくてできなかったと供述しており,前述のようなA刑事の取調べ実態,被告人の年齢・性格や,これまで逮捕・勾留されたことすらなく,捜査手続もよくわからない状況にあったことなどを併せ考えると,その供述には十分な真実味が認められるというべきである(なお,付言すれば,上記当番弁護士の接見は,形式的には確かに3回に及ぶとはいえ,被告人の公判供述やその余の関係証拠によれば,2回目は弁護士会側の手違いによりだぶって派遣された1回目と異なる弁護士と15分程度接見しただけであり,また,3回目は1回目に接見に来た弁護士に私選の依頼を断るため9分間接見しただけであって,実質的な接見は1回目の34分のみであることが認められる。そして,被告人の公判供述によれば,1回目の弁護士は,年配で頼りなさそうに見えたのであまり話ができなかったというのであって,その後私選依頼を断っている事実に徴しても,その供述には相応の説得力が認められよう。)。
3 係争供述調書の任意性について
 そこで,以上を前提に,係争供述調書の任意性について検討する。
 関係証拠によれば,係争供述調書を録取・作成したE検事やC刑事らによる被告人の取調べ方法には,それ自体,特に違法・不当な点はなかった(特に,C刑事らの取調べについては,被告人は「優しかった。」と供述している。)ことが認められる。
 ただその一方,係争供述調書が最初の自供書等の内容を踏襲し具体化したものにすぎないことは,動かし難い事実(7)において認定したとおりであるが,本件では被告人の検察官調書〔乙2〕や任意性の判断資料として取り調べた被告人の警察官調書〔乙17〕からも明らかなとおり,E検事とC刑事は共に,A刑事の懇篤なる取調べにより被告人が真実の自白をするに至ったことを強調するような供述調書をわざわざ作成しているのであって,係争供述調書の任意性・信用性が最初の自供書等のそれに基本的に依拠していることはその供述調書の作成経過からも明らかであるといわねばならない。そして,E検事やC刑事が,A刑事の取調べ手法の問題性を認識し,その影響を遮断する措置を講じた上で,自ら被告人の取調べに臨んでいたのであればまだしも,本件では,両取調官は,それを知ることが全くないまま,何らの遮断措置も講ずることもなく,かえってA刑事の取調べを称えるような供述調書まで作成しているのであるから,最初の自供書等における任意性に関する瑕疵はその後の係争供述調書にもそのまま承継されるものと解するほかない。現に,被告人の公判供述を見ても,前述のとおり,取調官がA刑事からE検事やC刑事に代わっても,自白を撤回するといつまたA刑事の取調べが再開されるかもしれないと恐怖し,本当のことは言えなかったというのであるから,この点からしても,係争供述調書については,最初の自供書等同様,その任意性に疑いがあるといわざるを得ない。
4 係争供述調書の信用性について
 最後に,係争供述調書の信用性についても一言言及しておきたい。その信用性に重大な疑問があることは,被告人がA刑事の違法な取調べの下で自己の意思に基づくことなく虚偽の自白を余儀なくされたという被告人の公判供述を強く裏付けることになり,同供述調書の自白に任意性がないことの一つの重要な現れともみなし得るからである。
 係争供述調書の骨子は,別紙最初の自供書等の内容と同様,要するに「仕事のことでイライラして,火をつけたらスカッとするんじゃないかと思って,火をつけた。部屋に敷いていた布団の3か所,すなわち図の①②③の順に順次ライターで火をつけた。火をつけた後,5分ぐらい部屋の中で炎が大きくなっていくのを見ていたが,煙などで苦しくなって部屋から逃げた。」というものである。
 しかしながら,関係証拠に照らすと,その自白内容には,以下の2点で重大な疑問があるといわねばならない。
(1) 自白の不自然・不合理性について
ア この自白を読んで何より疑問に思われるのは,当時被告人にいくらストレスが溜まっていたとしても,本件アパート以外に帰るべき家があるわけではない被告人が,ストレスを発散するだけの目的で,後先も考えず自分の部屋に放火するようなことが果たしてあるのだろうかという点である。自殺願望の者や精神に異常を来している者が自室に放火する事件は少なくないが,被告人は,当時ある程度アルコール酩酊をしていたとはいえ,特に精神異常を来していたわけでもなく,また,自殺願望もあったわけでもないのに,これまで前科もなく市井の一社会人としてそれなりに安定した生活を送ってきた被告人が,上記のような程度の理由で自室に放火するというのは非常に不自然・不合理であるように思われる。
イ さらに,上記自白によれば,スカッとするために放火したというのであるが,それならば,もっと燃えやすい衣類やゴミ袋類等はいくらでも被告人の居室に存在したのであるから(被告人の公判供述),これに放火すればよいものを,警察官調書〔乙6〕によれば,被告人は自分が着座している敷布団の角をわざわざめくり上げて放火したというのであって,これも理解し難い。このような着火方法は,火を見たいと思ってとっさに放火した者の行為として不自然といわざるを得ないであろう。
ウ さらに,警察官調書〔乙6〕等によれば,被告人は,苦しくなって自室から逃げた際,部屋を出たところで倒れて一時意識を失ったというのであるが,特段自殺願望があったわけでもない被告人が,自ら火の勢いを見ていたというにとどまらず,苦しくなって倒れる直前まで平然と部屋の中にいたとするのもまた不自然の感を否めない。
(2) 自白と客観的証拠関係との不整合について
 しかし,(1)以上に疑問に思われるのは,被告人の自白内容が客観的証拠関係と不整合を来していることである。
ア 布団の焼け残り状況との不整合
 まず,最初の自供書等や係争供述調書によれば,被告人は,別紙最初の自供書にあるように布団の角3か所(①~③地点)にライターで着火したというのであり,警察官調書〔乙6〕によれば,①③付近も②付近もそれぞれ40~50㎝位の炎が上がり,②付近の炎は近くにあったビニール袋(ゴミ等の入ったもの)に燃え移り,たちまち80㎝位の高さに燃え上がったというのである。
 火災事件においては,特別の事情がない限り,出火場所付近が最もよく焼損しているものであるというのは捜査・消防における一般的経験則であるが,これによれば,本件でも,②付近のみならず,①③付近においても上記のように40~50㎝まで炎が立ち上る状態にあったのであるから,当然のことながら,①③付近も②付近と並んで,最もよく焼損していてしかるべきであろう。ところが,本件火災後行われた警察と消防のそれぞれの実況見分の結果によれば〔甲3,22〕,本件居室に敷かれていた布団のうち唯一焼け残っているのは,①③の布団の角を中心とした付近(及び,布団の中心部2か所)なのである。この点に関しては,本件全証拠を通覧しても,その焼け残りの原因がなぜなのか全く解明されていないし,①③付近のみが焼け残るだけの原因も見出し難い。
 これは,上記自白内容に根本的な疑問を抱かせる要因である。
イ 燃焼実験結果との不整合
 それだけでなく,これだけの火災事件になれば,捜査手法としても,被疑者の自白どおりの燃え上がり方が生じるのかを検証すべく燃焼実験が行われるのが通例であり,現に,本件においても,「模擬室内に敷いた敷き布団の角にガスライターで着火した場合に室内はどの様な燃焼状況になるか。」を鑑定事項として府警本部刑事部科学捜査研究所技術吏員において燃焼実験が実施されているのである(鑑定書〔甲14〕)。
 しかし,同鑑定書中には,別紙①~③の各地点に該当する布団部分に着火した場合に布団自体がどのような燃え方をするかについては,全く明らかにされておらず,そこに記載されているのは,②に該当する布団部分に着火し,これがまだあまり燃え上がっていない状態で,これにビニール袋(ゴミ入り)に接着させた場合,その炎が同ビニール袋に燃え移っていくという当たり前の過程だけであって,前記自白のように,②地点付近の炎が40~50㎝立ち上がった後,近くにあったビニール袋に燃え移るという機序すら実験・検証されている様子がないのである。常識的に考えても,布団の裏に火を付けて,これを元に戻せば,酸素の供給がないため火はすぐ消えてしまうか,また仮に火が残ったとしても燻り続けた末ににやっと燃え上がるというのがせいぜいではないかと想像されるが,上記のような一般的な鑑定事項にもかかわらず,自白内容に沿うような実験が前記鑑定書中に全く現れていないのは,むしろ,①~③の各地点に該当する布団部分に着火しても,被告人の自白にあるようなやり方ではその供述どおり燃焼することがなかったからではないかと推認されるのである。
5 結 論
 よって,以上いずれの観点からしても,係争供述調書の任意性には疑いが残るので,主文のとおり,その証拠調べ請求を却下することとする。
    平成18年2月3日
    大阪地方裁判所第7刑事部

        裁判長裁判官   杉 田 宗 久

      裁判官   鈴 嶋 晋 一

      裁判官   小 畑 和 彦

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最終更新:2006年03月06日 13:34
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