H18. 1.12 大分地方裁判所 平成15年(わ)第188号 公職選挙法違反被告事件

1 現職の市議会議員である被告人が戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動を行ったという公職選挙法違反の罪により,罰金  15万円,公民権停止3年間の有罪判決を宣告した事例
2 本件公訴提起には被告人に対する不当な差別や訴追裁量権の逸脱等はなかったとして,公訴権濫用の主張を排斥した事例
3 戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動に対する禁止,制限,処罰等を定めた公職選挙法の各規定は,憲法並びに市民的及  び政治的権利に関する国際規約に違反するものではないと判断した事例
4 間接事実によって投票を得る目的の存在を認定した事例


主文
被告人を罰金15万円に処する。
その罰金を完納することができないときは,金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
被告人に対し,公職選挙法252条1項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を3年に短縮する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成15年4月27日施行の豊後高田市議会議員選挙に際し,同選挙に立候補する決意をしていたものであるが,自己への投票及び自己の当選を得る目的で,いまだ立候補の届出のない同月12日,別表(省略)のとおり,大分県豊後高田市大字ab番地甲1’方ほか17名方を戸々に訪問し,同選挙の選挙人である甲1ほか17名に対し,「あなたのご家族、お知り合い、友人に今すぐAの票を頼んで下さい」,「ひき続き働かせてください」,「選挙のとり組みがが遅れています、みなさんのご支援をよろしくお願いいたします。」旨記載された選挙運動文書1枚を各配付するなどして,自己のための投票を依頼し,もって,戸別訪問をするとともに法定外選挙運動文書を頒布し,一面立候補届出前の選挙運動をした。
(弁護人らの主張に対する判断)
第1 公訴棄却の申立てについて
 1 弁護人らは,本件公訴提起は,公訴権の濫用に当たるとして,公訴棄却の判決を求めている。そこで,本件の捜査及び公訴提起の経緯等に関する事実経過を踏まえて,本件公訴提起が公訴権の濫用に当たるか否かについて検討する。
 2 本件の捜査及び公訴提起の経緯等
  (1) 平成15年3月17日,大分県豊後高田警察署内に統一地方選挙取締本部が設置された。その本部長は署長,副本部長は副署長,総括責任者は刑事生活安全課長警部Bであった。当時,同署には刑事生活安全課に8名,地域交通課に約20名,総務課に2名,警備課に2名の各警察官が所属し,選挙取締期間中は,全署員態勢で,通常の業務を行いながら,協力者等への聞き込み捜査等による選挙犯罪の情報収集,選挙犯罪の取締り等に当たっていた。
  (2) 同年4月12日,同署地域交通課自動車警ら班係巡査長Cは,巡査部長Dとともに,大分県豊後高田市大字ac番地付近路上に駐車したパトロールカー内から,同市大字ad番地にあるE付近の交差点を監視していた。C巡査長らは,午後5時10分ころ,年齢が60歳くらいの黒っぽい背広上下を着た男性が自転車に乗り,その後部荷台のかごにビラ様の紙が入っているのを見かけた。その男性は,Eの駐車場から出てきて,斜め向かいの同市大字aeにあるF方の門の前に自転車をとめ,上記かごの中からビラ様の紙を取り出して右手に持ち,同人方玄関に向かった。その男性は,チャイムを鳴らして家人が出てくるのを待ち,応対した家人にビラ様の紙を渡し,会話をした。その後,その男性は,隣の同市大字af番地にある甲5’方に向かった。C巡査長は,そのころまでに,その男性が,現職の豊後高田市議会議員で,判示の選挙(以下「本件選挙」という。)への立候補が見込まれる被告人であることを確認した。そして,被告人は,甲5’方の敷地内に入り,玄関でチャイムを鳴らして家人が出てくるのを待ち,応対した家人にビラ様の紙を渡し,会話をした。その後,被告人は,甲5’方の裏手の同市大字ag番地にあるG方に自転車をとめ,ビラ様の紙を持って敷地内に入り,すぐに出てきた。さらに,被告人は,同市大字ah番地にあるHを訪問した。
    C巡査長は,被告人について戸別訪問等の疑いがあると判断し,午後5時20分ころ,D巡査部長の携帯電話で,同署にいた当直監督の地域交通課長警部Iに対し,現在,豊後高田市議会議員である被告人が自転車に乗り,H付近をビラ様の紙を持って各戸を訪問しているようであると連絡した。I警部は,C巡査長に対し,よく見ておくように指示するとともに,また刑事生活安全課長から指示がある旨述べた。
    I警部は,B警部に対し,電話で,C巡査長から連絡を受けた内容を報告した。B警部は,被告人の行動範囲を確認しておくように指示し,I警部は,C巡査長に対し,電話で,被告人の行動確認をせよと連絡した。
  (3) B警部は,被告人の戸別訪問を疑い,事実確認をする必要があると判断して,刑事当直の主任であった警部補Jに事情を説明し,C巡査長が被告人を現認した地点付近で現に被告人が各戸を回っているかを確認するように指示した。
    I警部は,外から同署に戻って当直室に立ち寄った警備課長警部補Kに対し,C巡査長から連絡を受けた内容を説明し,刑事生活安全課長の指揮下に入るように指示した。K警部補は,B警部の指示を受けた上,徒歩で被告人を捜しに出た。
  (4) K警部補は,午後5時50分ころ,同市大字ai番地付近歩道上等において,背広姿で自転車に乗った男性が,斜め向かいの同市大字aj番地にあるL前に自転車をとめ,かごからビラ様の紙を取り出して手に持ち,同店の出入口戸を開けて店内に入ったのを見た。K警部補は,横断歩道を同店に向かって横断していたとき,店内からその男性が出てきて,そのころまでに,その男性が被告人であることを確認した。被告人は,自転車に乗って豊後高田市役所方面に行った。K警部補は,被告人が何の用事で同店を訪問したのか,ビラ様の紙はどのようなものであるかを確認するため,同店に赴き,店内をのぞいたが,店主の甲14が客と話をしていたので,店内に入るのをやめた。K警部補は,その約5分後,同店を訪れて店内に入り,甲14に対し,「先ほど,A議員が来たようですが。」と尋ねたところ,甲14は,「ああ,来たけど,『お客さんが来ちょるけん。』と言うと,『お願いします。』と言って,カウンターの上にビラを置いて帰った。」と答えた。そして,甲14は,同店の奥から被告人が置いていった「後援会ニュース」と題する文書(以下,本件において配付された同文書を「本件ニュース」という。)等のビラ3枚を持ってきてK警部補に差し出し,「この3枚を置いて帰ったで。わしゃいらんけどなあ。」と言い,K警部補は,「いらないのであれば,もらえますか。」と尋ねたところ,甲14は,「どうぞ。」と言ったので,K警部補は,上記ビラ3枚の提出を受けた。
  (5) K警部補は,前記ビラ3枚を持って同署に戻り,午後6時ころ,B警部にこれらを渡して,甲14からこれらを入手した状況等を説明した。B警部は,本件ニュースを見て,これは法定外文書ではないかとの疑いを抱き,その点について明確な回答を得るため,大分県警察本部捜査第二課知能犯担当補佐警部Mに電話で連絡をした上,本件ニュースをファクシミリで送信した。M警部は,捜査第二課長Nにそのファクシミリ用紙を見せて,被告人がこのような違反をしているようであると言った。N課長は,日本共産党員である被告人が法定外文書の頒布や事前運動をしたことに驚き,M警部を通じて,B警部に対し,だれが本件ニュースを配ったかを確認するように指示し,これを配ったのが被告人であることに間違いないことを確認した。M警部は,警察庁に上記用紙をファクシミリで送信し,これが法定外文書であることに間違いないとの回答を受けた。N課長は,M警部を通じて,B警部に対し,できるだけ迅速に,被告人を現認した地点の周辺で本件ニュース等のビラの頒布状況や戸別訪問の際のやり取り等を確認した上,ビラを集めるように指示した。
  (6) B警部は,署長,副署長とも協議した上,当時,選挙犯罪の取締り等に当たっていて,本件の捜査に従事することが可能な最大限である同署員14名を招集し,午後7時過ぎころ,C巡査長が被告人を現認した地点から放射線状に範囲を広げたa,k,lの各地区について四つの区域に区割りをして割り当て,各区域内の全戸への聞き込み捜査によるビラの配付先の確認や,配られたビラの収集を指示した。上記署員らは,午後7時30分ころから午後10時前ころまでの間,合計約80戸を訪問して聞き込み捜査をし,そのうち二十七,八戸の家人から本件ニュース等のビラを収集した。B警部は,同月13日にも,上記署員らに対し,前日不在であったり,訪問できなかった居宅のほか,新たに指定した区域の全戸を回るように指示し,上記署員らは,合計約40戸を訪問して聞き込み捜査やビラの収集をした。2日間で収集された本件ニュースの枚数は55枚に上った。B警部は,その都度,この結果を集約して捜査第二課に報告した。
    B警部は,同日午後10時ころ,署長と協議したほか,電話でM警部らと協議した結果,法定外文書が頒布された件数が多いことや文書の内容等から本件は悪質な事案であり,警告にとどめるのは相当でないとして,立件相当の事案として捜査する方針が決まった。N課長は,M警部を通じて,B警部に対し,被頒布者らの供述調書を作成するように指示した。
  (7) 同月14日以降,同署員らのほか,署長の応援要請により派遣された大分県警察本部警備第一課所属の警察官5名が,被頒布者らの供述調書を作成した。その過程で戸別訪問の事実も確認されたことから,本件を戸別訪問でも立件する方針が決まった。これと並行して,ビラの収集も,同月19日まで続けられた。
  (8) B警部は,同月22日,大分県警察本部から被告人の任意同行と取調べをするようにとの指揮を受けた。そこで,B警部は,本件選挙の投票日の翌日である同月28日,被告人に対し,同署に出頭するように求めた。被告人は,同年5月1日,同署に出頭して,J警部補による取調べを受けた。J警部補は,同月3日,18戸に対する戸別訪問,その訪問先を含む36名に対する法定外文書頒布及び事前運動の被疑事実により,被告人を通常逮捕した。
    そして,検察官は,同月23日,18戸に対する戸別訪問,その訪問先18名に対する法定外文書頒布及び事前運動の公訴事実により,被告人を当庁に公訴提起した。
  (9) 本件選挙を含む第15回統一地方選挙に関し,同署内に設置された統一地方選挙取締本部が認知した公職選挙法違反事件のうち,公訴提起されたものは本件のみである。また,警告で終わった事件は5件あり,そのうち4件は,看板各1枚の掲示で,そのほかの1件は,本件より前に行われた3戸に対する戸別訪問及び事前運動である。この戸別訪問は,選挙運動員がパンフレットを持って駐在所を訪問し,よろしくお願いしますと言ったというものであり,同人の供述から3戸に対する戸別訪問が確認され,同年3月19日,同人に対し,警告がされた。なお,上記パンフレットは,法定外文書には当たらないと判断された。そのほか,同取締本部には,買収や供応等の選挙犯罪の情報が寄せられたが,いずれも立件するには至らなかった。
    第15回統一地方選挙における大分県下の戸別訪問ないし法定外文書頒布を含む事件について,公訴提起されたものは本件以外に存しないのに対し,警告で終わったものは9件あるが,いずれも被告人の逮捕時の前記被疑事実と比べて訪問戸数ないし頒布文書数が少ないものであった。また,警察内部において,戸別訪問や法定外文書頒布の事件を立件するか,それとも警告にとどめるかについて,一定の数値等による基準があるところ,本件は,この基準を上回っているのに対し,上記9件は,いずれもこの基準を下回っていた。さらに,同年11月9日施行の中津市長選挙における戸別訪問及び事前運動の事件で,警告で終わったものが1件あるが,これについても上記9件と同様である。
    平成11年4月11日施行の大分県議会議員選挙においては,13戸に対する戸別訪問及びその訪問先13名に対する法定外文書頒布の公訴事実により,3名が公訴提起され,略式命令を請求されたほか,28戸に対する戸別訪問及びその訪問先28名に対する法定外文書頒布の公訴事実により,4名が公訴提起され,略式命令を請求されている。
 3 弁護人らの主張の要旨
   警察は,日本共産党員である被告人の本件選挙における得票を減らすことをねらい,当初から被告人の公職選挙法違反事件を警告で終わらせるのではなく,立件して被告人を検挙する方針で,本件当日に被告人がビラを配っていることを午後5時10分よりもかなり前から知りつつ,本件を現に行っている被告人に対して警察官職務執行法2条所定の職務質問や同法5条所定の警告を行わずに最後まで被告人にビラを配らせた。そして,本件選挙の告示前から迅速かつ大がかりな捜査態勢をとって,広範囲にわたって徹底した聞き込み捜査を行い,買収等の実質犯と同様に選挙の投票日前は選挙に不当な影響を与えないように配慮して,被訪問者らの取調べ等の本格的な捜査は本件選挙後に行うべきであったのに,被告人の公訴提起に備えて強引に被訪問者らの供述調書を作成した。
   また,第15回統一地方選挙において,大分県下で戸別訪問や法定外文書頒布により検挙されたのは本件のみで,全国でも法定外文書頒布で検挙されたのは本件のみであり,本件は警告で終わらせるべきであった。加えて,前記の駐在所等への戸別訪問や前記中津市長選挙における戸別訪問の事件においては,本件のように広範囲にわたって聞き込み捜査をしないなど,捜査態勢の点で本件と大きな差があるし,豊後高田市においては買収や供応の事件が多く,警察等が本件で行ったような熱心な捜査を行えば,これらの事件を立件することが可能であったのに,それをせず,日本共産党員である被告人に対してのみ差別的に捜査をした上,検察官が差別的に公訴提起したものである。
   したがって,本件公訴提起は,憲法14条1項に違反し,検察官の訴追裁量権を逸脱しているから,公訴権の濫用に当たる。
 4 検 討
  (1) 本件捜査の適法性及び妥当性について
   ア しかし,前記認定の本件捜査の経緯等をみると,警察官らが,被告人自身について,その思想,信条等を理由に,一般の場合に比べ,捜査上不当に不利益な取扱いをしたとか,刑事訴訟法や警察官職務執行法等に違反する捜査をした事実は見いだせない。以下においては,弁護人らの前記主張にかんがみ,当裁判所の判断を補足して説明する。
   イ(ア) 本件当日に警察官らが現認したのは,被告人が数戸を訪問してビラ様の紙を渡すなどの行為であるが,これは,その訪問に投票を得る目的がない場合,あるいは,その紙が選挙運動のために使用する文書でなければ適法な行為であるし,その目的の存否や文書の内容は,警察官らが現認した被告人の上記行為の外形から直ちに判明するものではなく,被訪問者から被告人の言動について聴取したり,被告人が配ったビラの内容を確認するなどの事後的な捜査を踏まえて総合的に判断せざるを得ない。そうすると,警察官らが被告人の上記行為を現認しただけでは,これが犯罪に当たるか否かを判断するのは困難であり,警察官らが被告人の戸別訪問等の疑いを抱きつつも,直ちに被告人に対して職務質問や警告をしなかったからといって,これを不当ということはできない。これは,仮に,警察官らが前記認定の時点よりも早い段階から被告人が戸別訪問をしてビラを配っているのを現認し,その後,被告人の動静を監視していたとしても,同様である。なお,警察官らがあらかじめ被告人が戸別訪問等をするとの情報を得て,被告人の検挙等をねらっていたことをうかがわせる証拠は存在しない。
      もっとも,C巡査長は,被告人を現認した当時,E付近の交差点の,一時停止違反の取締りをしていた旨供述している。もしそうであるとすると,一時停止違反を現認すれば直ちにその車両の停止を求めることができる態勢をとっていたはずであるのに,C巡査長は,その当時,同交差点から遠く離れた場所で,もう一人の警察官と二人でパトロールカーの中にいたもので,一時停止違反を現認したとしても,直ちに違反車両の停止を求めることは不可能であった。この点からすると,C巡査長の上記供述は,にわかに信用できない。しかし,その当時は,既に統一地方選挙取締本部が設置されて,全署員態勢で選挙犯罪の取締り等に当たっていた時期である上,本件選挙の告示日が迫っていたことなどからすると,選挙犯罪が行われる可能性が高まっていたといえるから,C巡査長らが交通違反の取締り等とともに選挙犯罪の発生にも関心を持って取締りを行っていたとしても不自然ではない。
    (イ) また,警察の捜査の態勢,方法や時期等の選択は,警察の裁量にゆだねられるべきものである上,本件においては,警察官らが現認した被告人の具体的な行為に照らし,被告人が広範囲にわたって多数の戸別訪問及び法定外文書頒布をした疑いがあり,この点を明らかにするためには,被訪問者の記憶が薄れたり,被告人が配ったビラが捨てられないうちに,多数の被訪問者から被告人の言動について聴取したり,上記ビラを集めるなどの捜査をする必要があったと認められる。すなわち,買収や供応においては,それを行った者だけでなく,それに応じた者も公職選挙法違反となり,また,それに応じて金品や接待等を受けることが選挙違反になることが広報されているから,被買収者や被供応者にも特異な体験として記憶に残りやすいといえる。これに対し,戸別訪問や法定外文書頒布は,それを受けた者には犯罪は成立せず,通常の適法行為であるから,買収や供応を受けた場合に比べ,記憶が薄れやすいという特徴があるといえる。したがって,本件選挙の告示前の時期に,速やかに豊後高田警察署の警察官を最大限動員し,広範囲の区域にある全戸への聞き込み捜査を行って上記ビラを集めたことや,大分県警察本部の警察官らの応援も得て,本件選挙の投票日前に被訪問者らの供述調書を作成したことを不当ということはできない。警察官らが被訪問者らに対し,説得の域を超えて強制的に供述調書の作成に応じさせた事実もうかがわれない。他方,被告人に対する出頭要請を本件選挙の投票日後に行うなど,本件捜査においては,本件選挙の立候補者である被告人に対して一定の配慮がなされていることがうかがわれる。
    (ウ) そして,本件とほかの事件との捜査態勢の違いをいう点については,そもそもほかの事件の詳細が明らかでない上,警察がどのような捜査の態勢をとるかは個々の事案に応じて異なるもので,一概に比較することはできない。また,前記(ア)及び(イ)のとおり,被告人自身に対する警察の捜査が刑事訴訟法や警察官職務執行法等にのっとり,適正に行われており,被告人が,その思想,信条等を理由に一般の場合に比べ,捜査上不当に不利益に取り扱われたものでないときは,仮に,被告人の本件行為と同等か,あるいは,これより悪質な行為を行ったほかの被疑者が,警察段階の捜査において有利な取扱いを受け,事実上刑事訴追を免れるという事実があったとしても,そのために,被告人自身に対する捜査手続が憲法14条1項に違反することになるものではない(最高裁昭和56年6月26日第二小法廷判決・刑集35巻4号426頁)。
  (2) 本件公訴提起等の公平性について
    第15回統一地方選挙における大分県下の戸別訪問ないし法定外文書頒布を含む事件について,公訴提起されたものは本件のみであるが,本件の訪問戸数及び頒布文書数は,警察内部の立件するか否かの基準を上回っている。他方,警告で終わった9件は,いずれも被告人の逮捕時の被疑事実と比べて訪問戸数ないし頒布文書数が少なく,かつ,上記基準を下回っている。また,前記大分県議会議員選挙においては,本件よりも訪問戸数及び頒布文書数が少ない事件について,公訴提起され,略式命令の請求がされている。そうすると,警察官及び検察官は,一定の基準に照らして,本件を立件して公訴提起するのが相当な事案と判断したものと認められ,被告人が日本共産党員であることなどを理由に,一般の場合であれば公訴提起されないような事案であるのに,し意的に被告人を検挙して公訴提起したとはいえない。
    そして,本件の訪問戸数及び頒布文書数のみならず,現職の豊後高田市議会議員で,本件選挙への立候補を予定していた被告人が,自ら多数の戸別訪問及び法定外文書頒布を行った疑いがあり,本件はその一部であるとみられるという本件の特徴等をも併せ考慮すると,本件を警告にとどめずに立件し,公訴提起したという,警察官及び検察官の上記判断は,不公平で不合理なものであるとはいえない。
  (3) 結 論
    以上によれば,本件公訴提起には,被告人に対する不当な差別や訴追裁量権の逸脱等はなかったものというべきである。
    したがって,検察官による本件公訴提起は,公訴権の濫用には当たらないから,これが公訴権の濫用に当たる旨の弁護人らの主張は採用できない。
第2 憲法並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「規約」という。)違反の主張について
 1 憲法違反の主張について
  (1) 弁護人らの主張
    戸別訪問を禁止する公職選挙法138条1項及び文書頒布を制限する同法142条の各規定は,規制の目的に正当性がなく,少なくとも規制が広すぎるから,いずれも表現の自由を保障している憲法21条1項に違反する。次に,事前運動を禁止する公職選挙法129条の規定は,規制の目的に正当性がなく,少なくとも規制の必要性がないから,憲法21条1項に違反する。また,公職選挙法129条にいう選挙運動は日常の政治活動と明確に区別できないのに,これを処罰する同法239条1項1号の規定は,明確性を欠き,憲法21条1項の明確性の原則,31条の罪刑法定主義に違反する。さらに,事前運動,戸別訪問及び法定外文書頒布を処罰する公職選挙法239条1項1号,3号,243条1項3号並びに当選無効の効果を認める同法251条の各規定は,罪刑の均衡を著しく失するから,憲法21条1項,31条に違反する。したがって,公職選挙法の上記各規定は,いずれも無効である。
  (2) 戸別訪問の禁止,処罰について
    憲法21条1項は,言論・出版その他表現の自由を絶対無制限に保障しているものではなく,公共の福祉のために必要がある場合には,その時,所,方法等につき合理的制限がおのずから存するものである(最高裁昭和25年9月27日大法廷判決・刑集4巻9号1799頁参照)。
    そして,戸別訪問の禁止は,意見表明そのものの制約を目的とするものではなく,意見表明の手段,方法のもたらす弊害,すなわち,戸別訪問が買収,利害誘導等の温床になりやすく,選挙人の生活の平穏を害するほか,これが放任されれば,候補者側も訪問回数等を競う煩わしさに耐えられなくなる上に多額の出費を余儀なくされ,投票も情実に支配されやすくなるなどの弊害を防止し,もって選挙の自由と公正を確保することを目的としている。この目的は正当であり,それらの弊害を総体としてみるときには,戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性があるといえる。そして,戸別訪問の禁止によって失われる利益は,それにより戸別訪問という手段,方法による意見表明の自由が制約されることではあるが,それは,もとより戸別訪問以外の手段,方法による意見表明の自由を制約するものではなく,単に手段,方法の禁止に伴う限度での間接的,付随的な制約にすぎない反面,禁止により得られる利益は,戸別訪問という手段,方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるから,得られる利益は失われる利益に比べてはるかに大きいといえる。また,戸別訪問罪の法定刑は,1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金であり,保護法益の重要性,行為の違法性の程度等にかんがみると,罪刑の均衡を失するとはいえない。
    以上によれば,戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法138条1項及びこれを処罰する同法239条1項3号の各規定は,合理的で必要やむを得ない限度を超えるものとは認められず,憲法21条1項,31条に違反するものではない(最高裁昭和44年4月23日大法廷判決・刑集23巻4号235頁,昭和56年6月15日第二小法廷判決・刑集35巻4号205頁,昭和56年7月21日第三小法廷判決・刑集35巻5号568頁,昭和59年2月21日第三小法廷判決・刑集38巻3号387頁等参照)。
  (3) 文書頒布の制限,処罰について
    公職の選挙につき,文書の無制限の頒布等を許容するときは,選挙運動に不当な競争を招き,そのため,選挙の自由と公正を害し,その適正,公平を保障し難いこととなるので,このような弊害を防止するために必要かつ合理的と認められる範囲において,文書の頒布の制限,処罰等の規制を加えることは,選挙の適正,公平を確保するという公共の福祉のためのやむを得ない措置である。また,その違反に対する2年以下の禁錮又は50万円以下の罰金という法定刑は,罪刑の均衡を失するとはいえない。
    したがって,このような措置を認めた公職選挙法142条,243条1項3号の各規定は,憲法21条1項,31条に違反するものとはいえない(最高裁昭和30年4月6日大法廷判決・刑集9巻4号819頁,昭和39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号561頁,昭和41年5月27日第二小法廷判決・裁判集刑事159号891頁,前記昭和44年4月23日大法廷判決,昭和57年3月23日第三小法廷判決・刑集36巻3号339頁,昭和59年2月3日第二小法廷判決・裁判集刑事234号269頁等参照)。
  (4) 事前運動の禁止,処罰について
    公職の選挙につき,常時選挙運動を行うことを許容するときは,その間,不当,無用な競争を招き,これが規制困難な不正行為の発生等により選挙の公正を害するに至るおそれがあるのみならず,いたずらに経費や労力がかさみ,経済力の差による不公平が生ずる結果となり,ひいては選挙の腐敗をも招くおそれがある。このような弊害を防止して,選挙の公正を確保するためには,選挙運動の期間を長期にわたらない相当の期間に限定し,かつ,その始期を一定して,各候補者ができる限り同一の条件の下に選挙運動に従事し得ることとする必要がある。公職選挙法129条が,選挙運動は,立候補の届出のあった日から当該選挙の期日の前日まででなければすることができないと定め,同法239条1項1号が,事前運動をした者を1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処すると定めたのは,まさに,上記の要請にこたえようとする趣旨に出たものであって,選挙が公正に行われることを保障することにより,公共の福祉を維持することができる。そうすると,選挙運動をすることができる期間を規制し,事前運動を禁止,処罰することは,合理的で必要やむを得ない制限であるといえるし,罪刑の均衡を失するとはいえない。したがって,公職選挙法129条,239条1項1号の各規定は,憲法21条1項,31条に違反するものとはいえない(最高裁前記昭和44年4月23日大法廷判決,前記昭和56年7月21日第三小法廷判決,前記昭和59年2月3日第二小法廷判決等参照)。
    また,公職選挙法における選挙運動とは,特定の公職の選挙につき,特定の立候補者又は立候補予定者に当選を得させるため投票を得若しくは得させる目的をもって,直接又は間接に必要かつ有利な周旋,勧誘若しくは誘導その他諸般の行為をすることをいうものであると解される。そうすると,同法における選挙運動の意義が不明確であるとはいえない。同法129条は,このような選挙運動を一定の期間においてのみ行うことを許容し,同法239条1項1号は,これに違反した者を処罰するのであるから,事前運動罪の構成要件が明確性を欠くともいえない。したがって,同法129条,239条1項1号の各規定は,その意味でも,憲法21条1項,31条に違反するものではない(最高裁昭和38年10月22日第三小法廷決定・刑集17巻9号1755頁参照)。
  (5) 当選無効について
    公職選挙法251条が,戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動等の選挙犯罪を犯して刑に処せられた当選人の当選を無効とするのは,公職の選挙が選挙人の自由に表明する意思によって公明かつ適正に行われることを確保し,その当選が公明,適正な選挙の結果となるようにする趣旨である。そして,立候補者又は立候補予定者が自ら上記のような選挙犯罪を行う場合においては,その犯罪行為は候補者の当選に相当な影響を与えるものと推測され,また,その得票も必ずしも選挙人の自由な意思によるものとはいい難い。したがって,その当選は,公正な選挙の結果によるものとはいえないから,その当選を無効とすることが,選挙制度の本旨にもかなうというべきである。
    以上によれば,同条の規定は,憲法21条1項,31条に違反するものとはいえない。
  (6) 結 論
    したがって,公職選挙法138条1項,239条1項3号,142条,243条1項3号,129条,239条1項1号,251条の各規定は,憲法21条1項,31条に違反しないから,弁護人らの前記主張は採用できない。
 2 規約違反の主張について
  (1) 弁護人らの主張
    被告人の行為は,選挙活動ととらえられるとしても,規約19条,25条を統合した,選挙過程における言論・表現の自由に基づく選挙活動の権利として,完全に自由が保障されている。そして,戸別訪問及び文書頒布を禁止,制限,処罰し,当選無効の効果を認める公職選挙法138条1項,239条1項3号,142条,243条1項3号,251条の各規定は,規約19条,25条により許される制限の範囲を超えている。また,事前運動を禁止,処罰し,当選無効の効果を認める公職選挙法129条,239条1項1号,251条の各規定は,規約19条,25条が許容する正当な目的に役立つとはいえず,規制は必要性も合理性も欠いている。さらに,被告人の行為について,その内容,程度,結果のいかんを問わず,選挙権及び被選挙権の停止の効果を認める公職選挙法252条の規定は,規約上の権利制限として著しく比例性を欠いている。したがって,公職選挙法の上記各規定は,いずれも無効である。
  (2) 規約25条違反の主張について
    規約25条は,次のとおり規定している。
    「すべての市民は、第二条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。
(a) 直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、政治に参与すること。
(b) 普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙されること。
(c) 一般的な平等条件の下で自国の公務に携わること。」
    この規定は,市民が政治に参与する権利,投票する権利(選挙権),選挙される権利(被選挙権,立候補の権利)及び公務に携わる権利を保障している。このうち,投票し,選挙される権利は,普通選挙権,平等選挙権,秘密投票及び選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において行使できることを前提とする権利である。そして,選挙活動の自由は,選挙人の意思の自由な表明に基づいて選挙される権利に密接に関連するものとはいえるが,その規定の文脈や「選挙される」との用語の通常の意味に照らすと,同条(b)が選挙活動の自由を直接保障しているとは解されない。
    また,規約28条所定の人権委員会の一般的意見25は,「表現,集会及び結社の自由は投票権の実効的な行使のために不可欠な条件であり,完全に保障されなければならない。」(12項),「25条により保護されている権利の完全な享受を確保するためには,市民,立候補者及び選挙された代表者との間で,公的及び政治的問題に関する情報及び意見の自由な伝達が不可欠である。(中略)これはまた,個人として又は政党その他の団体を通じて政治的活動に従事する自由,政治について討論する自由,平和的示威行動及び集会を行うこと,批判し反対すること,政治的文書を出版すること,選挙活動をすること及び政治的意見を宣伝することなど,規約19条,21条及び22条に保障されている権利を完全に享受し,尊重することを要求する。」(25項)と述べている。すなわち,これは,規約25条により保障されている権利,特に投票する権利を確保するためには,規約19条等により保障されている表現の自由等の権利を尊重することが不可欠であるとの趣旨をいうものであり,選挙活動の自由は,「規約19条,21条及び22条に保障されている権利」の一例としてあげられている。そうすると,選挙活動の自由は,規約25条により保障されている権利を確保するために不可欠な条件の一つとして尊重されるものではあるが,選挙活動の方法,形式等に応じて,表現の自由についての権利(規約19条),平和的な集会の権利(規約21条)及び結社の自由についての権利(規約22条)として保障されるものであって,規約25条によって重ねて保障されるものではないと解される。
    したがって,選挙活動として行われる戸別訪問,文書頒布及び事前運動に対する禁止,制限,処罰等の規制は,規約25条に違反するものではないと解される(最高裁平成14年7月5日第二小法廷判決・裁判集刑事281号705頁,同年9月9日第一小法廷判決・裁判集刑事282号5頁,同月10日第三小法廷判決・裁判集刑事282号251頁参照)。
  (3) 規約19条違反の主張について
   ア 規約19条3項は,表現の自由についての権利(同条2項)に対する制限事由に関し,次のとおり規定している。
     「2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがつて、この権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によつて定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」
     そして,人権委員会の一般的意見10は,「締約国が表現の自由の行使に対し一定の制限を課する場合,その制限は,権利の本質を損なうようなものであってはならない。(中略)制限は,『法律によつて定められ』なければならず,3項(a)及び(b)で定める目的のいずれかのために課することができるだけであり,当該締約国にとってこの目的のいずれかのために『必要』として正当化できなければならない。」と述べている(4項)。
   イ(ア) これを本件についてみると,戸別訪問,文書頒布及び事前運動に対する禁止,制限,処罰等の規制は,表現の自由についての権利に対する制限であるが,これは公職選挙法という「法律」によって定められている。
      また,その規制は,前記のとおり,選挙の自由と公正を確保することを目的としているから,「公の秩序」を保護する目的のためのものであると認められる。人権委員会の一般的意見25が「選挙は,定期的に,公正かつ自由に行われなければならない。」と述べていること(19項)は,選挙の自由と公正が「公の秩序」に当たると解することに沿うものである。
    (イ) 次に,制限の必要性について検討すると,これらの各行為は,前記のような弊害を伴い,選挙の自由と公正を害するおそれのあるものである。そして,選挙の自由と公正は,議会制民主主義にとって不可欠で,極めて重要な意義を有するものであり,これを確保して,選挙人の意思の自由な表明を保障するため,これらの各行為に対する禁止,制限,処罰等の規制をする必要があると認められる。また,選挙運動の方法及び期間を合理的なものにすることによって,財力のある者とない者,選挙に人員をかけられる者とそうでない者との間の不均衡の是正を図り,立候補者間の選挙運動を実質的に公正なものにする必要もあると認められる。
      そして,これらの各行為等の選挙犯罪で処罰された者は,選挙に関与させることが不適当と認められ,その者を一定の期間,公職の選挙に関与することから排除して,選挙の公正を確保するとともに,本人の反省を促すことは相当である。したがって,このような者に対して選挙権及び被選挙権を停止する必要性も認められる。
      加えて,戸別訪問については,前記のとおり,買収等の温床となりやすく,買収等の悪質な選挙犯罪が今日においても後を絶たない我が国の実情にかんがみると,買収等を事後的に取り締まるのみならず,戸別訪問を禁止することによって,これらの悪質な選挙犯罪を未然に防止する必要があると認められる(被買収者の中には,あまり抵抗なく金品を受け取る者もあるが,中には買収者への義理ないし受け取らないことによってその立候補者を支持していないと見られるのが嫌で不承不承受け取っている者もいる《当庁平成17年7月28日判決》。戸別訪問を全面的に認めてしまうと,選挙運動期間中あるいはこれに近接した時期に選挙人宅を訪れることに外形的な規制が外れることになって,立候補者間の相互監視等が働かなくなり,立候補者側の買収する誘惑に対する心理的抵抗が低くなって,後者のような被買収者が増加するおそれがあることは否定できない。)。また,財力のある者とない者,選挙に人員をかけられる者とそうでない者との間の不均衡の是正を図り,立候補者間の選挙運動を実質的に公正なものにするという意味でも戸別訪問を禁止する必要があると認められる。
      人権委員会の一般的意見25も,規約25条(b)所定の投票し,選挙される権利に関し,「選挙人の意思の自由な表明を歪曲し,又は抑制するあらゆる種類の不当な影響又は強制を受けることがあってはならない。投票者はあらゆる種類の暴力,暴力による脅迫,強制,誘惑又は不正工作による干渉を受けることなく,独自の意見を形成することができなければならない。選挙運動の費用に関する合理的な制限は,立候補者又は政党の不相当な支出により投票者の自由な選択が損なわれないようにし,民主的手続が歪められないようにするために必要な場合には,正当化され得る。」と述べている(19項)。すなわち,これは,選挙人の意思の自由な表明に対するあらゆる種類の不当な影響等を排除すべきであるとの趣旨をいうものであり,その不当な影響等の一例として,選挙運動の費用の不相当な支出をあげて,これに対する必要かつ合理的な制限が正当化され得ることを指摘している。戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動の各行為も,選挙人の意思の自由な表明に対して不当な影響を及ぼすものであるから,これらを規制する必要があり,合理的な範囲で正当化されるものといえる。
    (ウ) そこで,その規制が合理的なものとして正当化されるかについて検討すると,戸別訪問の禁止は,意見表明の一手段を禁止するにとどまり,例えば,戸別訪問に当たらない個々面接及び事業所等の訪問や電話による意見表明の自由は何ら制約されていないし,一定の条件の下で個人演説会等を開催して選挙運動のための演説をすることや選挙運動のためにする街頭演説を行うことも可能である(公職選挙法161条ないし166条参照)。
      次に,文書頒布の制限も,意見表明の一手段を制約するにとどまり,相当数の通常葉書等(本件選挙については選挙用である旨の表示をした通常葉書2000枚)を郵送の方法により頒布することが可能である上,制限される文書は,選挙運動のために使用するものに限られ,文書による意見表明の自由一般を制約するものではない。また,事前運動の禁止は,選挙運動の期間を制限するにとどまり,立候補者等の意見表明により情報が伝達されるとともに,各選挙の規模に応じ,立候補者間の公平を図るために必要かつ相当な選挙運動の期間(本件選挙については7日間)が確保されている。しかも,その期間以外に行う選挙運動に当たらない意見表明等の政治活動の自由は何ら制約されていないし,個人の政治活動の自由はその期間中も何ら制約されていない(同法14章の3参照)。例えば,立候補者又は立候補予定者が新聞,雑誌や演説会等で政治的意見を表明することは,その期間の内外を問わず,自由である。現に,被告人は,長年にわたり,自らの議会活動の報告や政治的意見等を掲載した「みんなの高田」と題する文書(以下「みんなの高田」という。)を毎週発行して配付しているが,その行為は何ら制約されるものではないし,これを捜査機関等にとがめられたこともない。また,本件公訴提起の対象となっている本件ニュースと同時に配られた「みんなの高田」等の文書2枚はその対象とはされていない。このように,同法は,政治活動の自由を不当に侵害しないように,選挙運動に対して個別具体的,限定的な規制をして,公権力の濫用に歯止めをかけており,そのため,その規制は慎重に運用されていることがうかがわれるのである。そして,立候補者等が上記のように多様な手段,方法による意見表明を行うことにより,選挙人は,代表者としてふさわしい立候補者の選択に関する独自の意思を形成して選挙権を自由かつ実効的に行使するために情報を得ることができる。
      さらに,戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動の各行為に対する刑罰は,前記のとおり,不当に重いものとはいえないし,禁錮刑に処することにより過酷な結果が生ずる場合には,罰金刑を選択することによりこれを回避することも可能である。本件の求刑も罰金刑であるし,前記第1の2(9)記載の略式命令を請求された者らも罰金刑に処せられている。
      加えて,選挙人によって選挙された代表者は,法律や条例を制定するなど,選挙人を含む国民ないし住民の権利を制約し,義務を課すような重大な職責を負う地位にあるから,選挙人の意思の自由な表明に基づく真正な選挙によって,その地位にふさわしい者が選挙されるべきであり,公職の選挙に立候補する者は,選挙人の意思の自由な表明に不当な影響等を及ぼさないように,公正な選挙運動をしなければならない。そして,立候補者自身に求められる選挙運動の公正さは,上記のような代表者の地位にかんがみ,立候補者以外の者よりも強く要請され,自ら不公正な選挙運動を行って当選した者に対する制裁は,当選人以外の者が同様の行為をしたといういわゆる連座制の場合よりも厳格なものになっていることにも合理性があるというべきである。したがって,当選人が自ら不公正な選挙運動により選挙人の意思の自由な表明に対して不当な影響等を及ぼした場合には,その当選は,真正な選挙の結果によるものではないとして当然に無効とされ,かつ,その対象となる選挙犯罪が買収等の悪質なものに限られなくてもやむを得ないといえる(同法251条ないし251条の5,210条,211条参照)。
      そして,選挙権及び被選挙権の停止についても,犯罪の態様その他情状によっては,その停止に関する規定を適用せず,又はその停止期間を短縮するなど,具体的な事案に応じて,裁判によってその処遇を緩和することが可能である(同法252条4項)。
      そうすると,戸別訪問,文書頒布及び事前運動の各行為に対する禁止,制限,処罰等の規制は,いずれも合理的なもので,権利の本質を損なうようなものとはいえず,我が国にとって前記の目的のために必要として正当化できるものというべきであるから,規約19条に違反するものではないと解される(最高裁前記平成14年7月5日第二小法廷判決,前記同年9月9日第一小法廷判決,前記同月10日第三小法廷判決参照)。
 3 限定解釈の主張について
   弁護人らは,戸別訪問罪,法定外文書頒布罪及び事前運動罪の各構成要件を憲法及び規約に適合するように限定解釈すべきであり,被告人の行為は,このように限定解釈された各構成要件には該当しない旨主張する。
   しかしながら,前記1及び2のとおり,これらの各構成要件は限定解釈しなくても憲法及び規約に違反するものではないから,弁護人らの上記主張は,その前提を欠き,採用できない。
第3 被告人の行為の構成要件該当性について
 1 弁護人らは,被告人の行為は戸別訪問罪,法定外文書頒布罪及び事前運動罪の各構成要件に該当しない旨主張する。そこで,被告人の戸別訪問時の言動等の事実を確定した上,被告人の行為が上記各構成要件に該当するか否かについて検討する。
 2 被告人の戸別訪問時の言動等
  (1) 甲1
    被告人は,甲1’方を訪れて,チャイムを鳴らし,甲1は,玄関のドアを開けた。被告人は,同女に対し,本件ニュース等のビラを渡して,「新聞が3部できたので読んでください。今度選挙に出ますから,よろしくお願いします。」と言った。同女が「まあ頑張ってください。」と言うと,被告人は,「まあよろしくお願いします。」と言った。
  (2) 甲2
    被告人は,甲2’を訪れ,「ごめん下さい。」と言って,店内に入った。被告人は,甲2に対し,「読んでください。」と言って,テーブルの上に本件ニュース等のビラを置いた。同人が「選挙がありますね。」と言うと,被告人は,甲2に対し,「よろしくお願いします。」と言った。同人は,「頑張ってください。」と答えた。
  (3) 甲3
    被告人は,甲3’方を訪れて,チャイムを鳴らし,甲3は,玄関に行って,「どうぞ。」と声をかけた。被告人は,玄関のドアを開けて,中に入り,「お願いします。」と言った。被告人は,同女に対し,本件ニュースを渡した。
  (4) 甲4
    被告人は,甲4’方前の道路を自転車で通りかかったところ,甲4は,敷地内の駐車場にとめられていた自動車に乗ろうとしていた。被告人は,同女に対し,「あっ,奥さん。」と声をかけたところ,同女は,立ち止まった。被告人は,自転車から降りて,上記駐車場内に入り,同女に対し,「今度また奥さんにお世話になりますので,よろしく。こんなときじゃないと手を握れないから。」と言って,右手を差し出して握手を求め,同女と握手をした。被告人は,その後,道路に戻って,自転車の後部荷台のかごに積まれていた本件ニュース等のビラを取り,上記駐車場内に戻って,同女に対し,「読んでください。」と言って,これらを渡した。
  (5) 甲5
    被告人は,甲5’方を訪れて,玄関の中に入り,「Aです。新しいちらしができたので,持ってきました。」と言った。被告人は,甲5に対し,本件ニュース等のビラを渡すと,同女は,「御苦労様です。」と言った。被告人は,同女に対し,右手を差し出して握手を求め,同女と握手をした。
  (6) 甲6
    被告人は,甲6方を訪れ,応対した同女に対し,本件ニュース等のビラを渡した。被告人は,同女に対し,右手を差し出して握手を求め,同女と握手をした。
  (7) 甲7
    被告人は,甲7’方を訪れて,チャイムを鳴らし,応対した甲7に対し,あいさつをした上,「奥さん,やせたんじゃないですか。」と言うと,同女は,「いいえ,そんなことないですよ。」と答えた。被告人は,同女に対し,本件ニュース等のビラを渡した。被告人は,同女に対し,手を差し出して握手を求め,同女と握手をした。被告人は,同女に対し,隣の家の居住者の名前を聞き,「ああ,そうですか。行ってみよう。」と言った。
  (8) 甲8
    被告人は,甲8’方を訪れて,チャイムを鳴らし,甲8は,玄関の開き戸を開けた。被告人は,同女に対し,本件ニュース等のビラを渡し,帰り際に,「御主人様にもよろしくお伝えください。」と言った。
  (9) 甲9
    被告人は,甲9方を訪れて,チャイムを鳴らし,甲9は,玄関の戸を開けた。同人が「今日は何事かえ。」と言ったところ,被告人は,甲9に対し,「今度の選挙は危ないから,よろしくお願いします。」と言って,本件ニュース等のビラを渡した。
  (10)甲10
    被告人は,甲10’方を訪れて,敷地内に入った。被告人は,甲10に対し,「今度の選挙ですね,よろしくお願いします。子供さんにもよろしく言ってください。」と言って,本件ニュースを渡した。
  (11)甲11
    被告人は,甲11’方を訪れて,土間に入り,部屋のサッシ戸を開けた。甲11は,義母及び義弟とともに,部屋でいちごのパック詰めの作業をしていた。被告人は,「選挙が始まりますので。」と言って,本件ニュースを部屋の入り口付近に置いた。被告人から見て右側奥に座っていた同女は,被告人を見て頭を下げた。
  (12)甲12
    被告人は,甲12’方を訪れて,チャイムを鳴らし,応対した同人に対し,「こんばんは。お願いします。」,「これを。」と言って,本件ニュース等のビラを渡した。
  (13)甲13
    被告人は,甲13方を訪れて,敷地内に入り,居間にいた同人に対し,「いやぁ久しぶり。」と言うと,同人は,居間のガラス戸を開けた。被告人は,甲13に対し,本件ニュース等のビラを渡し,「出るようになったけぇあいさつが遅れた。」と言うと,同人は,「ああ,そうですか。頑張ってください。」と言った。同人は,その後,被告人の母についての話をした。
  (14)甲14
    被告人は,Lの取次をしている甲14方を訪れて,店内に入った。被告人は,本件ニュース等のビラをカウンターの上に置いた上,甲14に対し,「お願いします。」と言った。同人は,店内の奥で客と話をしていたので,被告人に対し,「お客さんが見えとるけん。」と言ったところ,被告人は,「ああそうですか。」と言って店から出た。
  (15)甲15
    被告人は,甲15方を訪れて,玄関の戸を開け,「こんばんは。」と言って,中に入った。被告人は,応対した甲15に対し,「お願いします。」と言って,本件ニュース等のビラを渡した。
  (16)甲16
    被告人は,甲16方を訪れて,中に入り,部屋のガラス戸を開けて,「お願いします。」と言って本件ニュースを部屋の入り口付近に置いた。奥の部屋にいた同女は,その部屋のガラス戸を開けて出てきて,本件ニュースを受け取った。
  (17)甲17
    被告人は,甲17’を訪れて,店内に入り,甲17に対し,「忙しそうですね。」と言うと,同女は,「はい。」と言った。被告人は,同女に対し,「これを読んでください。」と言って,本件ニュース等のビラをソファの上に置いた。
  (18)甲18
    被告人は,甲18’を訪れ,「こんにちは。」と言って,店内に入り,甲18も,あいさつをした。被告人は,同女に対し,「後で見てください。」と言って,本件ニュースを店内の電話台の上に置いた。
 3 戸別訪問罪の成否
  (1) 投票を得る目的の存否
   ア 証拠によって認められる間接事実
    (ア) 被告人は,本件選挙に立候補する決意をして,自ら本件各戸を訪問した。
    (イ) 本件各戸の訪問の時期は,本件選挙の投票日の15日前である。
    (ウ) 被告人は,1日のうちに連続して,自宅付近の地元地区にある100戸以上を訪問して本件ニュースを配付し,その一環として,本件の18戸を訪問した。
    (エ) 被告人は,本件以前に,被訪問者らに対し,「後援会ニュース」と題する文書を配付したことはなかった。被訪問者らは,いずれも本件選挙の選挙人であるが,被告人を支持する旨を外部に表明したことはないし,客観的にみて,豊後高田市日本共産党後援会の会員と評価することもできない。
    (オ) 被告人が本件各戸に配付した本件ニュースの表面には,左下部に「後援会ニュース」,「豊後高田市日本共産党後援会」と記載されている。そして,被告人の顔写真が掲載され,その下部には,「ひき続き働かせてください」,「市会議員A」,「3月議会やイラク戦争すぐやめよ』の街頭宣伝などで、選挙のとり組みがが遅れています、みなさんのご支援をよろしくお願いいたします。」などと記載されているほか,「あなたのご家族、お知り合い、友人に今すぐAの票を頼んで下さい」,「『Aさんは大丈夫よ』と言われるけれど‥‥」,「たしかに『Aは高田の議会にに必要』の共感は広がっていますがAの票には結びついてはいません」,「上位の次は票減らす」などと記載されている。また,その裏面にも,被告人の顔写真が掲載され,「お知り合いの方に『A』の支持を頼んでください」などと記載されているほか,市民の声として,「負けずに頑張れ」,「わしは、みんなに話して応援しちょるで。」,「みんなで声かけAさんの票を頼

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最終更新:2006年03月06日 18:14
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