hanrei @Wiki H17.12.16 名古屋地方裁判所 平成15年(ワ)第3788号 損害賠償請求事件



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被告に高等学校教諭として雇用されていた原告が,視力障害による休職後に復職した際,被告から,後遺障害のため事務職員への職種変更を前提とする校務分掌のはく奪,賃金不払,不平等取扱い等を受けたが,職種変更の事実はなく,被告の行為は,労働契約上の平等取扱義務に違反する債務不履行であるとともに,不法行為にも該当するとして,高等学校教諭の地位にあることの確認と慰謝料等の支払を求めた請求について,地位確認請求及び損害賠償請求の一部が認容された事例


平成17年12月16日判決言渡
平成15年(ワ)第3788号 損害賠償請求事件

主       文
1 原告が,被告の設置するA高等学校教諭の地位にあることを確認する。
2 被告は,原告に対し,220万円及びこれに対する平成15年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告のその余の請求を棄却する。

4 訴訟費用は,これを2分し,その1を原告の,その余を被告の各負担とする。

5 この判決は,第2項につき,仮に執行することができる。


事実及び理由
第1 請求

1 主文第1項同旨
2 被告は,原告に対し,550万円及びこれに対する平成15年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


第2 事案の概要

1 本件は,被告に高等学校教諭として雇用されていた原告が,被告から,事務職員への職種変更があったと扱われ,校務分掌のはく奪,賃金不払,A高等学校AV学習センター(以下「AV学習センター」という。)指導員という職務のはく奪,不平等取扱いを受けたが,職種変更の事実はなく,被告の行為は,労働契約上の平等取扱義務に違反する債務不履行であるとともに,不法行為にも該当するとして,高等学校教諭の地位にあることの確認並びに慰謝料及び弁護士費用相当額の損害賠償金並びにこれに対する訴状送達の日の翌日からの遅延損害金の支払を求めるものである。
2 争いのない事実等


(1) 被告は,教育基本法及び学校教育法に従い,曹洞宗の教義にのっとり仏教主義による教育を行う学校として,B大学,B短期大学部,B大学歯科技工専門学校,B大学歯科衛生専門学校,A高等学校,A中学校を設置している。
(2) 原告は,昭和24年1月19日生まれで,昭和42年3月に被告が設置しているA高等学校を卒業後,C大学法学部法律学科に進学し,昭和46年3月,同大学を卒業し,D大学教育学部に在籍した後,昭和47年4月1日,被告にA高等学校社会科教諭として雇用された。

(3) 原告は,両球後視神経炎にり患し,昭和52年1月8日から同年4月7日まで90日間の療養休暇を取り,その後,休職し,同年7月4日,E医科大学病院に入院した。

その後,原告は,完全失明状態からは回復したが,弱視(右0.05,左0.03)のため,身体障害者手帳(視力障害3級)の交付を受けており,大きな文字しか読むことができない状況にある。

(4) 原告は,被告に対し,昭和53年4月3日から復職願を提出し,被告は,昭和54年3月5日,原告に対して,復職を命じたが,教科担当からは外し,AV学習センター指導員とした。

そのため,復職した原告は,AV学習センターなどの限られた機会にしか生徒との接触がなくなった。

原告は,AV学習センター構想などの改革・改善提案を行ってきたが,被告から,愛知県からの指導により図書館の耐震工事の必要性がある旨告げられた。

(5) A高等学校においては,毎年2月ころ,教員が校務分掌希望届を提出し,各教員に校務,部顧問が与託されてきた。

ところが,被告は,平成14年2月,平成14年度校務分掌希望届の用紙(甲3の1)からAV学習センターの項目を削除した。

(6) 平成15年3月25日,A高等学校において,各教科の平成15年度の校務分掌が発表されたが,平成15年度校務分掌(甲4の3)及び部顧問一覧(甲5の3)に原告の名が記載されていなかった。

原告は,F校長(以下「F校長」という。)を訪ね,事情をただした。

平成15年4月3日付けの通知(甲6の1)で,F校長は,原告に対し,「この度平成15年度のA高校校務分掌決定にあたり,貴殿に担当して頂く校務分掌はありませんので,通知致します。なお,この事について,前もって15年3月24日に貴殿と相談したいと思いましたが,「人事の事なら弁護士を通して」とのことでした。したがいまして,貴殿の弁護士の連絡先について4月10日迄に文書をもってお知らせ頂きますようお願い致します。なお,校務分掌はありませんので,4月7日にはじまる新学期に出勤の要はありません事と,取り敢えず,4月分の給与はお支払いする事を申し添えます。また,この事について,弁護士を通す前に話し合いの機会を持つ意思があるならば,何時でも応ずる事と致しますのでその旨お申し出下さい。」と通知した。

これに対し,原告は,平成15年4月7日付けの「抗議書兼通知書」(甲6の2)をF校長あてに提出した。この文書の中で,原告は,「真面目で前向きで誠意の有る話し合いであるならば,原告の基本的人権にも関わることであるので,弁護士を通す前に話し合う意思が有る」旨伝えた。

その後,F校長より,平成15年4月11日付けで,同月25日に話合いを行う旨の通知(甲6の3)があり,かつ,原告の弁護士の連絡先を知らせるように依頼があった。

原告は,平成15年4月16日付け「抗議書兼通知書(二)」(甲6の4)をF校長に提出し,話合いに応じる旨回答した。

平成15年4月22日付けで,F校長から,話合いの用意がある旨の通知(甲6の5)があった。

原告は,平成15年4月24日付け「抗議書兼通知書(三)」(甲6の6)をF校長に提出し,第1回の話合いに応じる旨回答した。

原告の依頼したG弁護士(以下「G弁護士」という。)は,平成15年4月25日,F校長に電話し,かつ,「働く障害者の弁護団の代表を務めているが,障害のある教師を活かしていくことが生徒にも決してマイナスではないと思うので理解をお願いする」旨記載したファックス(甲6の7)を送信した。

原告とF校長らとは,平成15年4月25日に話合いの場をもったが,学校側は現方針を変更する意思がなく,原告は,校務分掌をはく奪した理由を書面で欲しい旨申し入れた。

(7) 被告は,平成15年5月13日付けで,総務部人事課名で,原告の給与を同月分から2割のみ支給する旨,理由の説明もなく,一方的に通告した(甲7)。就業規則にも給与規程にも根拠のない通告であり,被告の一方的賃金不支給は,労働基準法24条に違反する違法行為であった。

(8) 平成15年6月14日,被告の総務部人事課長であるH(以下「H課長」という。)から,原告に対し,同年3月31日付けのI学院長(以下「I学院長」という。)名による「A高等学校AV学習センター指導員の職をとく」との辞令(甲11)が郵送された。

(9) 原告が申し立てた賃金仮払仮処分事件において,被告は,原告に対し,不支給とした給与の支払を約束したが,その後も,被告は,原告に対し,校務を分掌させておらず,職員会議への出席も認めていない。

被告は,平成15年7月4日,原告に対し,不支給分の給与を全額支払った。


3 争点

本件の主たる争点は,(1)原告の地位確認請求につき確認の利益があるか,(2)原告は,被告の設置するA高等学校教諭の地位にあるか,(3)被告に債務不履行ないし不法行為があったか,というものである。
(1) 争点(1)(原告の地位確認請求につき確認の利益があるか)について

(被告の主張)

ア そもそも,労働者は,使用者に対し,就労請求権を有しておらず,使用者は,対価としての賃金を支払う限り,提供された労働力をどのように使用するかはもとより,全く使用しない自由も有している。したがって,被告が原告の提供する労働力を高校の教諭として利用しなかったとしても,また,校務分掌を命じなかったとしても,さらには,職員会議の出席を命じなかったとしても,何ら原告の契約上の権利を侵害しているものではない。


さらに,被告は,原告に対し,復職時の合意に基づき,現在においても高等学校教諭に適用される俸給表所定の賃金を支給し続けているのであるから,原告が主張するような賃金カットが行われている事実も存在しない。
なお,原告は,昭和54年3月5日に復職して以降,一度たりとも教壇に立ち授業を行ったことはないのであり,原告自身その状況について何らの異議も述べていなかったのである。


イ そもそも,原告が主張するような被告による原告に対する差別的な取扱いがあったか否かについては,本訴における損害賠償請求の請求原因として,原告が主張・立証して裁判所に判断を仰ごうとしてきた事柄そのものなのであり,それとは別に教諭の地位の確認を求めなければならない必要性は全く存しないのである。
したがって,原告が主張する確認の利益は,全く存在しないのである。
ウ 以上のとおり,原告の地位確認請求に係る訴えは,その訴えの利益を欠くことが明らかであるから,却下されるべきである。
(原告の主張)

ア 昭和47年4月1日,原告は,A高等学校社会科教諭として奉職したものであり,職種が特定されていた。


そして,以後,平成15年3月25日に,突如として校務分掌をはく奪され,同月31日付け辞令により「A高等学校AV学習センター指導員の職を解く」とされるまで,原告は,被告において,A高等学校教諭として扱われてきた。

イ しかし,被告は,原告の職種そのものを争い,原告を復職させるに当たり,事務職員に職種変更したとして,これを賃金カット,校務分掌のはく奪,職員会議への出席拒否などの原告に対する差別的処遇を合理化する根拠としている。
ウ このように,被告が原告の職種そのものを争い,差別的処遇を合理化する根拠としている以上,被告の差別的処遇,不法行為事実を明らかにするためにも,この地位を確認する利益がある。

(2) 争点(2)(原告は,被告の設置するA高等学校教諭の地位にあるか)について 

(原告の主張)

ア 原告は,昭和47年4月1日から昭和51年12月14日まで,1週18から20時間の授業を受け持つほか,柔道部や文芸部の顧問,サッカー部の准顧問として,講習,練習,休暇中の特別講習,部の合宿・遠征試合・公式戦・インターハイ・全国大会等のために,平日,土曜日,日曜日,祝祭日,春期・夏期・冬期休暇,年末年始のほとんどすべてを費やし精力的に取り組んできた。

イ 昭和51年1月17日,原告は,過労のため「自然気胸」となって1か月半ほど入院した。


しかし,退院後も同様の勤務状態が続いたため,過労と目の酷使のために,昭和51年12月14日の早朝,突然,両球後視神経炎(視神経萎縮)となった。このため,原告は,同月17日,J大学病院に入院し,同月31日,手術を受けたが,翌日の昭和52年1月1日から完全失明状態となり,その状態は2か月ほど続いた。
このため,原告は,昭和52年4月1日から休職した。


ウ 昭和52年7月4日,原告は,J大学病院の紹介により,K大学病院に入院し,同年8月6日,開頭手術を受け,これにより原告の視力は完全失明状態からは回復したが,弱視(右0.05,左0.03)のため,同年12月5日,身体障害者手帳(視力障害3級)の交付を受けた。
エ 昭和53年3月13日,原告は,社会科主任のL(以下「L」という。)を通じて,被告に対し,同月12日付け診断書を添付して復職願を提出した。


ところが,昭和53年3月21日,原告は,復職が不許可になったらしいと口頭で告げられた。
しかも,原告は,その際,初めて昭和53年1月3日付け休職辞令が昭和54年3月31日までとなっていることを聞かされた。

原告は,休職期間は従来3か月ごとに更新されてきたため,1年3か月という長期の休職が命じられたのは単純な事務的ミスであると思い,被告本部人事課に問い合わせたが,ミスではないという回答であった。

そこで,原告は,昭和53年3月27日,被告理事会あてに意見書(甲36)を提出し,①休職期間が従来の3か月ではなくて,今回に限って1年3か月と異常に長い理由の明示,②原告の休職希望期間は,昭和53年3月31日までであって,昭和54年3月31日までは希望していないので,昭和53年3月31日までとすること,③復職不許可理由の明示等について,文書での回答を求めた。同意見書には,昭和53年3月12日付け診断書を踏まえて,眼鏡矯正により文字を読むことができるようになったことが明記されていた。

しかし,これに対して何の回答もしないまま,被告は,原告の机を奪い,机の中の所持品をダンボール箱に一方的に片付けた。


オ 昭和53年4月20日,原告がA高等学校の当時のM教頭及びN教務部長の3人で復職問題について協議したところ,上記両名は,復職不許可の理由について,「昭和52年12月の診断書より昭和53年1月の診断書の方が視力が低下しているためだ」と回答した。

しかし,前記のとおり,既に原告が復職願に添付して提出していた昭和53年3月12日付け診断書では視力が上がっていたため,その矛盾を追及したところ,同診断書を見ていないという回答であった。そこで,復職願と診断書を渡したLを呼んでその場で確認したところ,LはN教務部長に提出したと明言したため,M教頭やN教務部長は否定しきれず,同診断書が提出されたことを認めた。
しかし,視力の回復を証明した診断書が提出されたにもかかわらず,なぜ復職が認められないのか,被告は全く理由を明確にしようとしなかった。

その後,原告が当時加入していたA中学・高等学校教職員組合(以下「本件組合」という。)の委員長から,原告の復職問題は本件組合で取り上げるから待ってほしいと言われ,本件組合と被告とは,1年間の間,原告の復職をめぐって交渉を繰り返した。


カ その間,原告は,昭和53年4月17日付けのJ大学付属病院のO医師(以下「O医師」という。)作成の診断書(甲16)を提出した。この診断書では,遠距離視力では,裸眼で右眼0.07,左眼0.04,矯正視力で右眼0.1,左眼0.05,近距離視力では,裸眼で右眼0.3,左眼0.1,矯正視力で右眼1.2,左眼1.0(近用特殊眼鏡使用)と明記されていた。さらに,原告は,昭和53年7月31日付けの同じくJ大学付属病院のO医師作成の診断書(甲17)を提出した。ここでは,裸眼は,遠距離視力の両眼,近距離視力の左眼のいずれも視力が向上しており,矯正視力は,遠距離視力の両眼,近距離視力の右眼のいずれも視力が向上しているものであって,近距離視力の矯正視力は,右眼が1.5,左眼が1.0であった。
キ 被告は,昭和53年3月13日付けの原告の復職願に対し,翌年まで復職させなかった理由として,原告が「矯正不能」との診断書を提出したまま,復職願を提出した際にも復職可能との診断書を提出していないことを挙げている。


しかし,原告は,被告が主張する昭和53年1月7日付け診断書の後にも,前記のとおり,同年4月7日付け診断書及び同年7月31日付け診断書を提出しており,その視力によれば,原告の教壇への復職が不可能であるとか,債務の本旨に従った労務の提供が不可能になったとはいえない。現実には,全国の高校において,全盲の教師が教壇に立っており,社会科教諭としての原告の教壇復帰に何の支障もないことは,被告に提出されているこれらの診断書から明らかである。

ク 本来,上記診断書によれば,原告の視力は矯正可能であり,教壇復帰は可能だったのであるが,本件組合と被告との折衝の結果,昭和54年3月1日,原告の復職について,①従来どおり,A高等学校社会科教諭とする,②視力障害のある間は,AV学習センター専任指導員とする,③職員会議・教科会等の出欠は,学校行事等において学校側から特別の指示がない限りは,原告の自由裁量とする,④勤務時間は,原則として,開始,終了ともに一般教諭よりも1時間遅くする,という内容の復職条件につき合意した。

原告は,強く教壇復帰を希望していたが,本件組合による交渉の結果であることや,当時のP校長などから,「本件組合も合意をしたので,上記4条件をのまなければ,交渉は白紙に戻してもう1年休職です」との脅しもあり,やむなく同条件をのみ,復職に応ずることとなったものである。

ケ 復職後の被告における原告の取扱いにおいても,給与だけでなく,校務分掌や部顧問などの校内での処遇も,被告発行の諸文書でもいずれも原告を教諭として扱ってきたものであり,復職時においては,本件組合も被告も原告も,関与しただれもが,原告が教諭として復職することに疑いを持たず,その間に何のずれもなかったのである。

すなわち,「AV学習センターへの誘い」(甲18)は,原告が当時の校長からA高等学校研究紀要に掲載するために執筆を依頼された文書であるが,これには,AV学習センターの企画運営について,「毎年各教科から選出されたAV学習センター教材研究員約10名とAV学習センター専任指導教諭1名とで構成されるAV学習センター研究員会議で行なっている。そして,このAV学習センター研究員会議のなかから選出された主任が,校長・教頭・教務部長のもとで運営上の責任を有している。教材研究員は,市販教材の選定利用ばかりではなく,本校の生徒の実態に則した自主的教材を作成し,授業についてゆけない生徒たちの特別指導に当る為に各教材ごとに独自の教材研究を進めている。」と記載されており,当時,AV学習センターについては,被告としても相当に力を入れており,原告はその専任指導教諭として位置づけられていたのである。
「AV学習センターへの誘い(Ⅱ)」(甲19)は,上記「AV学習センターへの誘い」のその後の経過と実績を報告し,A高等学校研究紀要に掲載された文書であるが,ここでは,上記「AV学習センターへの誘い」以後,生徒や父兄の要求から進路指導を行い,「Qゼミ」と呼ばれる学習ゼミを実施し,4年間に多数の進学者を輩出したことが報告されている。

A高等学校の研究紀要に掲載されているように,被告の知らないところで個人的に進路指導をしていたのではなく,校長からの依頼により,原告は進路指導を行い,多大の成果を挙げてきたのである。

これらの当時の資料をみれば,AV学習センター専任指導員がAV機器の操作を教える役割であったなどという被告の主張は,全くの虚偽であることが明らかである。

このようなAV学習センターの位置づけ及び専任指導教諭の位置づけは,外部にA高等学校の実情を知らせる公式文書である「学校要覧」においても明確にされており,平成3年度の「学校要覧」(甲20)では,AV学習センターの運営組織という項において,「運営は各教科から選出された1~2名のAV学習センター教材研究員(10名)と専任の指導教諭があたり」として,原告を専任指導教諭と明確に位置づけ,しかも,「AVの指導に教諭をおいたのは,AV学習センターが生徒に充分利用されるための適切なアドバイスが与えられるようにという配慮からである」とわざわざ教諭を置いたことの理由まで明記されているのである。

さらに,原告は,復職以来長年にわたり,校務分掌において教諭として取り扱われ,部顧問等でも他の教諭と同様に取り扱われてきた。被告は,これを事実上のものにすぎないというが,対外的に配布される学校要覧(甲20)にも,校務組織図に視聴覚・AVの下に原告の名が記載されているし,教職員一覧にも社会科教諭の欄に原告の氏名が記載され,校務分掌として「就職,AV,進路指導」と記載されているのであって,決して内部的な事実上のものなどではなかった。

また,被告作成の文書だけでなく,本件組合が毎年発行している教職員組合手帳においても,原告は社会科教諭として掲載されている。

以上のとおり,被告は,原告が復職後,内部的に事実上教諭扱いしたというだけではなく,対外的にも教諭として原告を取り扱ってきたものである。


コ これに対し,被告は,復職に当たり原告を「事務職員に職種変更した」と主張し,それを裏付ける書証として,乙2の昭和54年3月5日付けの復職を命ずる辞令を提出している。

しかし,乙2の辞令は,通常の辞令がタイプで打たれているにもかかわらず,手書きになっているものであり,また,通常辞令に記載されるはずの現資格職名が記載されておらず,しかも,辞令中に辞令副書を添付するとして,辞令副書に,給与として高等学校教諭俸給表を適用すること,その他の労働条件について事務職員に準ずることと記載されているというもので,辞令としては異例な形式であり,原告に対して交付されたものでもない。
実際には,原告に正式に交付された復職辞令は,甲15の1の昭和54年3月5日付けの辞令のみであり,同月23日午前9時に交付されたものである。同辞令によれば,事務職員などという記載はなく,それどころか,現資格職名欄には,「A高等学校教諭」と明示されており,発令事項欄には,「復職させる(ただし視力障害強度のため教壇にはたたないこと)A高等学校AV学習センター指導員を任命します 高等学校教諭俸給表6番を給する」との文字が印刷されている。

原告が復職するに当たって,被告から交付された現物の辞令は,甲15の1であり,乙2などは,本件訴訟で被告から提出されるまでの間,原告が一度も見たことのない文書である。

そして,甲11の「AV学習センター指導員の職をとく」という平成15年3月31日付け辞令でも,原告の現資格職名欄は,「A高等学校教諭・AV学習センター指導員」と記載され,甲15の1の辞令の記載が引き継がれており,復職時に事務職員に職種変更したとの被告の主張と矛盾するものとなっている。

この点につき,被告は,上記辞令の「A高等学校教諭」の記載は,原告が当初被告に教諭として採用されていたことを示す以上の意味はない旨弁解するが,そもそも現資格職名欄は,「現在」の資格職名を示すものであり,採用時において,被告に教諭として採用されていたことを示すものではない。


サ 被告は,原告が,約25年間という極めて長期間にわたり,被告から命ぜられた「AV学習センター指導員」として勤務してきたものであり,職種変更について黙示的に承諾している旨主張する。

しかし,異議をとどめることなく承諾したことをもって黙示の承認が成立するには,少なくとも原告において復職時に職種変更がなされたという認識が前提になければならないが,原告は,復職時から本件訴訟になるまで一度たりとも被告から職種変更などという話を聞いたことがない。このような状況でそもそも黙示の承認論など成立するはずがない。
被告は,乙3の職種変更との記載を根拠に職種変更論を主張するが,乙3の1枚目の辞令伺いは,被告の学内文書にすぎず,原告には一切交付されていない文書である。他方,原告に交付された辞令は甲15の1であり,同辞令には一切職種変更なる文字は記載されていない。そうすると,原告が職種変更について認識することはあり得ないのである。

また,被告は,黙示の承諾に関連して,原告がAV学習センター指導員として勤務してきた間,一度として教壇に復帰することを求めなかった旨主張する。

しかし,そもそも,AV学習センター指導員を命じられながら,「Qゼミ」を行い,生徒に学習指導を続け,被告から課された①既製教材の発見,発掘,整理整頓,②自主教材の作成,③大学入試に必要な辞書,参考書,入試問題集の整理整頓という3つの課題を誠実に履行してきた原告に,教壇復帰の意思がなかったということ自体あり得ないことである。実際には,原告は,平成3年6月ころ,A中学校再開に際し,当時のRA高等学校校長(以下「R校長」という。),SA中学校再開準備室長(以下「S室長」という。)の働き掛けで,平成4年度からA中学校の公民の授業を1週6時間担当する話を打診されたことがあり,原告はこれを積極的に受け入れたが,社会科教科会議でT教諭(以下「T教諭」という。)が反対したため実現しなかったのである。


シ 原告は,昭和47年4月1日,A高等学校社会科教諭として被告に奉職したものである。

教員は,一定の免許が前提となっている専門職であるから,労働契約としても,職種限定契約をなしていると理解される。職者限定契約の職種を変更をすることは,契約の一方当事者による一方的な命令ではなし得ないことは契約法上明らかであり,当事者間,つまり,原告と被告との間の合意による以外に職種変更ができないのである。
しかるに,原告の復職の際に,教諭から事務職員への職種変更について,明示の合意はいうまでもなく,黙示の承諾も成立しようがないから,原告は,A高等学校教諭たる地位にある。


ス よって,原告は,被告に対し,原告が,被告の設置するA高等学校教諭の地位にあることの確認を求める。
(被告の主張)

ア 原告は,昭和51年12月までA高等学校において社会科教諭として教壇に立っていた。

イ しかしながら,原告は,その後,「アレルギー性神経炎(視神経)」のため「両球後視神経炎」にり患し,昭和52年1月8日から同年4月7日まで90日間の療養休暇を取り,さらに,同月8日から昭和54年3月4日までの約2年間休職した。


なお,原告は,過労と目の酷使のために両球後視神経炎(視神経萎縮)となったと主張しているが,原告が自ら作成した昭和52年4月19日付け療養休暇願によれば,その事由欄に「アレルギー性神経炎(視神経)のため,J大学に入院中」との記述があり,両球後視神経炎となった原因が過労と目の酷使によるものでないことを自ら認めているのである。

ウ 原告から被告に対し提出された昭和53年1月7日付け診断書(乙1)によれば,原告の視力は,右0.03,左0.02という極めて低いものであり,両眼とも「矯正不能」という診断であった。
エ このように両眼の視力が極端に悪化し,しかも矯正不能と診断された状況の中で,原告は,被告に対し,昭和53年3月27日に,同年4月3日からの復職願を提出した。


しかし,上記復職願の復職事由には,前回提出した診断書のとおりである旨記載されていた。原告が被告に対し前回提出した診断書とは,上記昭和53年1月7日付け診断書であり,同診断書には「矯正不能」とされていたのである。
ところで,原告は,被告に対し,これよりも以前に昭和52年12月14日付けの診断書(乙31)を提出しているが,その診断書によれば,原告の視力は,右0.05,左0.03と診断されていたものであり,これと比較すると,昭和53年1月7日時点の原告の視力はむしろ悪化してさえいた。

当時のUA高等学校校長(以下「U校長」という。)は,上記復職願には就業規則14条1項で定める復職を可能とする旨の医師の診断書が添付されていなかった上,原告の視力の安定した回復が認められず,昭和52年12月14日付け診断書と昭和53年1月7日付け診断書を比較すると,原告の視力はむしろ右で0.02,左で0.01悪化していること,原告がり患理由として「教員としての学習指導・生活指導・部活指導・自作教材作成等による目の酷使と疲労」と主張していたことから,原告を教壇に復帰させることによって,原告の病状が更に悪化することを懸念し,さらには,もともと原告の視力では生徒にとって満足のいく授業を行うことが不可能であることから,原告を教壇に復帰させることは好ましくないと判断し(すなわち,健常者としての労務の提供をなし得るまで病状が回復しておらず,その意味で復職不可の状態であると判断し),原告に対して引き続き療養のため休職することを勧めた。

しかしながら,自己中心的な性格の原告は,U校長の上記配慮を聞き入れず,教壇への復帰ができるかのように主張して,復職させるよう強く求めたことから,困惑したU校長は,教職員の任命権者である故V学院長(以下「V学院長」という。)にその判断を求めた。

V学院長は,常任理事会を開催し,慎重に審議した結果,診断書によると原告の症状はむしろ悪化していること,原告がり患理由としている事由(教員としての学習指導・生活指導・部活指導・自作教材作成等による目の酷使と疲労)は,教員の職務として当然行うべき活動によるものであること,医師の診断(乙1)によれば,生徒にとって満足のいく授業が行えないと判断されること,教員として復職を認めれば疲労が蓄積し,今後の回復状況に悪影響を与え,一層症状が悪化することが懸念されること,また休職の更新も昭和55年4月7日まで可能なことから,復職は時期尚早であり,原告本人のためにも治療に専念させるべきであると判断し,原告の復職を認めないことに決定した。


オ 原告は,前記復職願提出の当時,本件組合の組合員であった。当時の本件組合の活動は,当時の我が国の一般的な組合活動が盛んな状況と軌を一にして非常に活発であった。特に,本件組合は,結成されて余り年数を経ていなかったことから,初めての事例でもあり,実際に原告がどの程度教諭としての仕事ができるのかということを冷静に判断しないままやみ雲に原告の復職を支持するという方向に走り出し,ついにはスト権を確立してまでして,かなりの気負いを持って,原告の教諭への復職を被告に対し強く要求し続けた。

しかしながら,当時の原告の視力の回復状況からみて,原告を直ちに復職させるより引き続き休職させ療養に努めさせるとの前記理事会の判断こそが,最善の措置であった。
原告の復職要求の裏には,休職制度により被告から支給される給与が,昭和53年4月7日までは標準給与の100分の80であるのに対し,同月8日からは100分の50に減額されることにあったようで,原告は視力の回復よりも金銭面に強い焦りを感じていた。

しかしながら,被告は,原告の休職期間の更新も可能であり,完治に向けて療養することが,原告のためにも,生徒のためにも妥当であるという考えであったこと,また,本件組合との数度にわたる交渉により,原告が強く復職を求める理由が休職中の給与受給額の変更にあることを察知したことから,原告が安心して療養できるよう,引き続き昭和53年10月7日までは標準給与の100分の80を支払うという,極めて温情ある特別な処置をとることとした。

しかしながら,原告は,100分の80の受給満了期限が近づいてきたころから,生徒にとって満足のいく授業もできないのに,被告に対し,再び執拗に復職させるよう要求してくるようになった。

これに対し,被告は,年度途中であることと,原告の症状から復職させても原告に授業を持たせることはできないと判断し,原告の復職を認めなかった。

かように,被告やU校長が,原告に対し特別な配慮をしているにもかかわらず,原告が,授業を行うために必要にして十分な視力も回復していないのに,かつまた,り患理由を「教員としての学習指導・生活指導・部活指導・自作教材作成等による目の酷使と疲労」としながら,教壇復帰を執拗に求めた理由ないし目的は,生徒の教育への影響などそっちのけで休職中の給与が減額されないようにするということのみにあったからにほかならないのであって,このため,原告は,被告に対し,休職期間中の給与が減額されることとなる時期が近づくと,強く復職を要求していたにすぎないのである。

これに対し,被告は,原告の復職について,まず生徒にとって満足のいく授業が可能であるかどうかを第1に,また,原告が主張しているり患理由に照らし,原告の健康面(現在の視力の維持・向上)に配慮し,併せて原告の教員としての生徒の管理能力や生徒父兄に与える心理的影響等を検討し,原告の視力がこのまま回復しないのであれば,原告を教諭として教壇に復帰させることは困難であると判断した。もっとも,被告は,仮に原告の職種を教壇に立つ教諭以外の業務に変更したとしても,教育現場では,原告の弱視の程度からして,原告の視力が回復しない場合には,原告が耐えられるだけの業務は存在しないとも判断していた。

このため,被告やU校長はじめ,学校関係者は,原告が休職者として被告に在籍することが可能な期間がまだ1年以上あり,その間治療を継続し原告の視力が回復することを願っていたのであり,それでも不幸にして視力が回復しない場合には,休職期間満了につき,私傷病により原告を退職させることもやむを得ないと判断していた。


カ 原告の休職期間中に支給される給与の額が減額される節目において,原告及び本件組合は,被告に対し,執拗に原告を復職させることを要求してきた。

原告は,休職期間が3年目に入ると休職期間中被告から給与が一切支給されなくなることに強い焦りを感じ,そのころになると,本件組合に自らの復職問題を取り上げるよう強く働き掛けるようになった。
原告が所属していた本件組合の上部団体は,A県私立学校教職員組合連合であり,当時は経営者側との対決姿勢を鮮明に打ち出していた。したがって,傘下単組においてもストライキ,座り込み,エントツ闘争等を頻繁に行い,経営者側を度々困惑させており,本件組合も例外ではなく,経営者側と頻繁に対立を繰り返していた。当時は,15歳人口も増加し,生徒確保も順調であったため,経営者側も父母生徒に与える影響と学校のイメージダウンを恐れ,組合に対して強行姿勢はとらず,組合からの要求に屈してしまうことが多かった。

原告の復職についての本件組合との交渉においては,V学院長が責任者であり,団体交渉前の事務折衝は,内容により学監,総務部長,U校長らが,それぞれ担当したが,原告の復職問題についても本件組合の態度は極めて強硬であった。被告の理事会が原告の復職を認めないことを決めた直後には,本件組合は,「高校幹部の責任を追及する」とか,原告の復職問題は本件組合として「特別に重要視せざるを得ない問題」であるとして,団体交渉を要求し,私学ストのほかに,「独自ストを用意している」などと公言した。

被告は,結局,ストライキが生徒父母に与える影響,学校のイメージダウンを恐れ,本件組合の要求を一部のみ,原告の復職を認めざるを得なくなった。しかしながら,被告は,生徒の教育を預かる学校として,原告の症状から原告を教諭として(すなわち,教育職員として)復職させることは,生徒のためにも妥協できないとの強い意思を失っていなかった。

このため,被告は,原告を事務職員として復職させ,その事務職員の仕事として,あえて必要もないAV学習センター指導員という専任の仕事を新たに特別に設けて,就業規則10条に基づき,原告の職種を雇用契約所定の「教諭」から「事務職員」へ変更した上で,昭和54年3月5日付けで,原告を同センター指導員として復職させ,しかもその給与については,本来であれば適用されることがない高等学校教諭俸給表6番を適用する(なお,休日・休暇・勤務時間・出勤・退出等については,勤務の実態に即して事務職員の規定に準ずるものとして取り扱うこととする)という,極めて異例かつ温情的扱いをすることとした。すなわち,被告の財政状況に照らし,たとえ本来の職務を履行することができない者であっても,一人程度ならこれを解雇することなく雇用し続けることができたことから,仏教系の学校としての温情から,原告から賃金に見合った労務の提供を受けないにもかかわらず賃金を支払うこととしたものである。


キ AV学習教育とは,古くはテープレコーダーやスライドなどの機器を用いて行う「視聴覚教育」に端を発した教育であり,その後使用する機器がテレビ,ビデオデッキ等へと進歩し,これらの視聴覚機器を用いて,生徒が授業で使用された各教科のVTR教材を,後日自主的に再視聴すること等によって教育効果を高める教育法である。

被告は,昭和48年度からの高等学校の新学習指導要領により,教育内容が能力,適性によって多様化することを予測認識し,昭和42年に高等学校の施設が移転することに伴い,視聴覚教育の拡充を図り,昭和47年に旧図書館の一部を改良して視聴覚機器を備えた上記AV学習教育のためのAV学習センターを開設した。
AV学習センター開設当初は,AV学習センター担当教諭,視聴覚助手,図書館司書の3名で同センターの運営を兼務で行っていたものであり,上記3名で,どのような機材を購入しそれをどのようにして利用するかなどの企画立案をし,事務職員である視聴覚助手が,生徒や教諭が希望する番組や教養番組等を選択して番組の録画を行っていた。また,現在でこそビデオデッキ等の機器は,ほとんどの家庭に普及しているが,被告においてAV学習センターが開設された昭和47年ころは,ビデオデッキ等はいまだ一般家庭には余り普及していなかったため,生徒たちは,これらの操作方法に習熟していなかった。そこで,ビデオデッキ等の機器の操作については,視聴覚助手が説明を行った上,生徒自らが行う形で運営されていた。

AV学習センターは,上記のとおり,仕事量としてはそれほどあるわけではないので,原告が復職する以前は,特に専任の指導員を配置することなく,教諭が同センターの担当を兼務していたが,実際の業務はそれほどなかった。

しかし,原告が復職するに当たり,AV学習センターの職務のみを行う「AV学習センター指導員」という仕事が特に設けられた。

なお,AV学習センター指導員の行う「指導」とは,生徒たちに対し機材を用いて何らかの教育を行うという意味の「指導」ではなく,機器類の操作の「指導」という意味にすぎないから,同センター指導員の職務は,教員資格を有する者でなければ担当できないような職務ではなく,むしろ事務職員の行うべき職務なのである(しかも,事務職員であっても,兼務も可能な程度の業務であった。)。

被告は,専任教諭として復職することが不可能な原告に対する温情的な措置として,昭和54年3月5日,原告に対してAV学習センター指導員のみを担当させる(したがって,本来専任教諭が単独で専従する職務ではなく,兼務の対象にすぎない職務を担当させる)という特別な配慮を行ったのである。

原告が実際にAV学習センター指導員としての業務に就いたのは,昭和54年の夏休み明けに原告がAV学習センター規則を誠実に遵守する旨の誓約書(乙45)を提出した同年9月4日からである。

原告が復職した昭和54年については,仕事の引継ぎもあり,その当時のAV学習センターの担当教諭であった教諭(ただし,兼務)と二人で同センターの運営を行っていたが,翌年からは原告が一人で同センターの運営を担当するようになった。なお,原告が復職したころには,既に視聴覚助手や図書館司書はAV学習センターの仕事に直接的には関与しなくなっていた。

原告は,当初は生徒の昼休み時間と授業後の時間において,それほど多くはなかったが,AV学習センターの利用者に対してVTRの貸出しや教材についての相談にのっていたほか,各教科の教諭より教材プリントをもらい受け,生徒の要望に応じて学習教材の提供や助言を行っていた。


ク 被告の就業規則においては,「教育職員」,「事務職員」,「医療職員」,「技能職員」及び「労務職員」という5つの職種を定めているが,これらは等しく「職員」であり,教育職員はその一部なのである。したがって,その労働契約の内容も基本的な部分においては共通であって,使用者である被告は,就業規則10条が定める「業務上の必要があるとき」との要件が存在する場合には,それらの職種に拘束されることなく,職種間の異動をなし得る権利を有しており,それらの「職員」はその義務を負っていることは明白である。

被告と原告は,昭和47年4月に被告が原告を上記5つの職員の中の教育職員として採用するという労働契約を締結したのであるが,上記の被告の就業規則の定めによれば,いわゆる職種限定の労働契約ではなく,使用者側からみれば,職員の中の5つの職種間を異動させ得る権利を留保した内容の,労働者側からみれば,その義務を承認した内容の労働契約であることはいうまでもないのである。
原告は,前記のとおりの経緯によって,病気休職した後,極めて異例な形で復職したものであって,通常,復職は休職前の労働契約において合意された質と量の労務を提供できるまでに回復した場合に許されるべきところ,原告はいわば当時の労働運動の勢いをかって,そのような回復の状態に至ることなく,いわば強引に被告に復職を認めさせたのである。

したがって,原告が被告に提供できる労務は,教育職員としての質も量も満たしていなかったので,事務職員の仕事であるAV学習センター指導員の業務が特別に設定され,その専任とされたのである。

このような被告から原告に対する復職命令が,就業規則10条の職種の変更の要件を満たすものであったことは明白というべきである。

以上のとおり,被告は,事務職員としての業務(AV学習センター指導員)を特に新設し,給与については教育職員のそれを支給することを約し,原告と被告はその線において一定の互譲をなしたのである。しかし,かかる互譲の結果は,労働契約という継続的契約関係におけるその時々の事情の下でのものであり,その前提としては,原告の視力が回復し,原告が被告に対して昭和47年4月締結時の労働契約において約された質と量の労務を提供できるまでの間という条件が付されていたことはいうまでもないのである。すなわち,被告は,原告に対して,復職発令時点で,その後原告が定年退職するまでの間恒久的に事務職員の業務であるAV学習センター指導員の仕事を,教育職員の給与のまま行わせるとの約束をしたものではないのである。


ケ 前記のとおり,被告と本件組合との団体交渉により,被告と本件組合との間において,原告を事務職員として復職させ,AV学習センター指導員の仕事の専任をさせるが,給与面では教諭扱いとして,職名変更による不利益を与えないという合意がおおむね形成された。

被告の辞令はタイプ打ちが原則であるのに乙2のような手書きの辞令が存在するのは,被告と本件組合との交渉において,原告をAV学習センター指導員として復職させるという合意が形成された直後に,急きょ手書きの辞令が作成され,原告に交付されたからであり,被告は,昭和54年3月5日,同日付けの「A高等学校AV学習センター指導員を任命します 高等学校教諭俸給表6番を給する 辞令副書を添付する」と記載した手書きの辞令(乙2)を原告に交付した。
しかし,その後,本件組合は,乙2の辞令では,名実共に,換言すれば外形的にも,教諭としてではなく事務職員として復職するものであることが明確になってしまうとして,乙2の辞令発付の翌々日である昭和54年3月7日に,「団体交渉申し入れ(緊急)」なる文書(乙13)をもって,被告に対し,ストライキをちらつかせながら乙2の辞令の訂正を求めてきた。このため,被告は,本件組合と交渉を続け,結局,昭和54年7月24日,原告に対し,日付を遡らせた同年3月5日付けの「復職させる (ただし,視力障害強度のため教壇にはたたないこと) A高等学校AV学習センター指導員を任命します 高等学校教諭俸給表6番を給する」と記載した辞令(甲15の1)を再度原告に交付した。

しかしながら,甲15の1の辞令に係る被告内部の起案書(乙3)においても,復職のほか職名変更の文言にも○印が付され,「A高等学校AV学習センター指導員を任命します」と記載されており,原告の職種を「教諭」から「AV学習センター指導員」へ変更することを命じていることは明白であること,原告の給与原簿(乙48の1)の「所属及び職名」欄にも「54.3.5 AV学習センター助手」と記載されていること等からも明らかなように,甲15の1の辞令の交付は,原告をAV学習センター指導員(事務職員)として復職させるという被告と本件組合との間の合意を変更するものではなかったのであり,そのことは本件組合も了解していたのである。

以上のとおり,原告は,昭和54年の夏休み明けの同年9月4日からAV学習センター指導員の職務に就いたが(辞令上は同年3月5日付け,また,同辞令の交付は同年7月24日),それは,原告が,教育職員(教諭)としての労務(当初の労働契約で合意された健常者と同一の質と量の労務)の提供ができるようになることを前提条件としつつ,当面事務職員の業務を行うこと(したがって,それは就業規則10条の職種変更をなすことにほかならない。),しかし,給与についてのみ特別に高等学校教諭俸給表6番を支給するとの人事発令の結果によるものであり,原告を事務職員に職種変更することについては,本件組合と被告との合意によるものであり,したがって,原告も少なくともこの時点では十分納得したものであった。

ところで,甲15の1の辞令が作成された経緯の詳細までは,他の職員には説明されていなかった。そして,原告の事務机は引き続き職員室内に残され,原告も自由に立ち入っていたり,AV学習センター指導員の仕事についても,形式上は校務分掌の手続を経ていたこと,学校の発行する文書中の教諭の欄からも原告の氏名を抹消していなかったこと等もあって,他の教育職員の多くは,原告が被告によって職種変更されている事実を知らなかったのである。これは,被告が,当時の本件組合の意向も尊重し,原告の職種替えを余り鮮明な形では公表しないという方針をとったためであった。

しかしながら,原告が教育職員から事務職員へ職種変更された事実は,被告のような私立高等学校の場合,専任教員として発令され,授業を担当している等の要件を満たす教諭については,愛知県より一人当たり所定の金額の補助金が支給されるが,原告は上記のとおり教諭として発令されておらず,その職務にも従事していないことから,被告は原告をその補助金の計算基礎の人数には加えていないことからも明らかである。

そして,原告に対する平成15年3月31日付け辞令(甲11)においても,原告の「現資格職名」欄に「A高等学校教諭」とされているわけではなく,「A高等学校教諭 AV学習センター指導員」と併記されているが,これも原告が当初被告に教諭として採用されていたことを示すこと以上の意味はなく,このような記載に,以上のような経緯の存在を明確に読み取ることができる。

なお,AV学習センターを,校務分掌の一つとして兼務で担当する教員の任免は,校長に任されているところであるが,専任事務職員としてのAV学習センター指導員という業務は,被告の理事会が本件組合との交渉を妥結させるための手段として例外的に新設したポストであり,任命は学院長辞令(乙2)となっているのである。したがって,原告に対するAV学習センター指導員の職を解く辞令(甲11)も,学院長の名前で発令されているのである。


コ このように原告の職務内容は,昭和54年7月24日に同年3月5日付けにて,事務職員となったものであるが,復職までの本件組合の強力な対応,原告自身の攻撃的な性格等の事情から,原告の机がその後もAV学習センターのほかに職員室内に置かれたままとなり,このため教諭の仕事もしていない原告が職員会議に出席していたり,校務分掌決定時の希望聴取も原告に対して他の教諭らと同様に行われたりしていたが,これらは飽くまでも事実上のものとして行われていたにすぎないのである。
サ 原告は,昭和53年1月7日付けの乙1の診断書を提出した後,昭和53年4月17日付けの甲16の診断書を被告に提出していると主張し,また,本件訴訟になってから急に,原告の視覚障害も,甲17の診断書にあるように,種々の工夫により職務の遂行に何ら問題のない程度である旨主張し始めた。


しかしながら,甲16と甲17の診断書が被告に正式に提出された事実はない。上記各診断書は,正式に被告へ提出され受理されるという手続をとられたものではなく,W元学監(以下「W元学監」という。)に対して本件組合の当時のX執行委員長からそのコピーのみ(乙39の3,4)が事実上渡されたもののようであり,したがって,理事会にもかけられていなかったのである。
なお,これらのコピーのうち,乙39の4の右欄外に,昭和53年7月県教委教職員課の採用基準に視力矯正で0.6以下は不採用としているとの記載がされており,W元学監は,これを受け取った時点で自ら原告の復職はこの県教委の基準に照らしても不可能であると判断していたことが明らかである。

原告の復職問題についても要求項目の一つとしていた本件組合が,甲16や甲17の診断書を入手したにもかかわらず,特に教宣ビラにもそのことを書き立てることすらしなかったのは,このような経緯があったからにほかならない。

このように,甲16や甲17の診断書をめぐっては,本件組合とW元学監との間でやり取りがあり,原告の視力ではたとえ矯正しても県教委の採用基準も満たさないことが確認されていたことが明らかであって,このことからも,原告の復職問題は,原告と被告,本件組合と被告のいずれの間においても,原告の視力では教壇復帰は不可能であり,したがって,原告は事務職員の仕事である「AV学習センター指導員」の専任となることで合意決着していたことが明確に裏付けられているのである。

そして,被告が,昭和54年7月24日ころに,同年3月5日付け辞令(甲15の1)を原告に交付して以降,原告は,一度たりとも教壇に立ち授業を行ったことはないのであり,約25年という長きにわたり,被告の指示どおり「AV学習センター指導員」の地位にあるものとして出勤していたものであって,原告自身その状況について何らの異議も述べてはいなかったのである。かかる事実こそ,原告自身が昭和53年4月17日付けの甲16の診断書を入手した当時,自分の視力では「教諭」として責任を持って生徒の教育ができないことを自覚しており,教諭ではなく,AV学習センター専任指導員という事務職として復職し,原告自身もそれを受け入れていたことの何よりの証左なのである。

原告が主張する前記程度の労働の質では,そもそも昭和47年4月の労働契約で求められている債務の本旨に従った履行の提供とは到底いえない内容なのである。


シ 以上のとおり,原告は,前記のような経緯の中で,約25年間という極めて長期間にわたり,A高等学校において,被告から命ぜられた「AV学習センター指導員」として勤務してきたものであり,その間,被告に対して,一度として教壇に復帰することを求めなかったものであるから,辞令の記載内容のいかんにかかわらず,職種変更について原告が黙示的に承諾していることもまた明らかというべきである。
(3) 争点(3)(被告に債務不履行ないし不法行為があったか)について 

(原告の主張)

ア 前記復職後,原告は,AV学習センター,部活動,土曜講座などの限られた機会しか生徒との接触はできなかったが,指導を受けにくる生徒に対して懸命に指導をし,それらの生徒及び保護者からは感謝をされてきた。

イ しかし,被告は,復職後も原告を退職に追い込むべく,障害者となった原告に対する数々の嫌がらせ行為を続けてきた。


原告は,教壇から降ろされること自体,不本意であったが,与えられたAV学習センター指導員として自らの本分を尽くそうと,度々,被告に対し,AV学習センターについての多くの改革,改善提案を行ってきた。
ところが,被告は,原告の提案を全く無視し,逆に平成10年6月20日から同年9月30日にかけて,図書館耐震工事の必要性があるとして,AV学習センターを破壊しようとしてきた。

原告は,復職時の条件としてAV学習センター指導員とされたことを伝え,被告にAV学習センター再開の嘆願書等を提出し,再開をねばり強く訴えてきた。

しかし,その後も,平成12年6月21日には,当時のA高等学校の幹部が,同僚教員に原告と関係を持たないよう注意指導するなど,被告は原告の職場における自由な人間関係の形成を妨害する行動に出た。

平成12年9月1日には,W元学監やY校長(以下「Y校長」という。)が,原告に事務職への配転を強要してきたが,原告はこれを拒否した。

平成12年11月1日,AV学習センターが再開されたが,被告は,生徒指導用の机の備付け要求に直ちに応じないなど,AV学習センターを不要視し,妨害した。

平成14年2月12日には,被告は,平成14年度校務分掌希望届用紙(甲3の1)から,全く一方的にAV学習センターの項目を削除してきた。

さらに,被告は,平成14年2月19日,被告が開催している土曜講座のアンケート一覧表