H18. 2.28 甲府地方裁判所 平成15年(ワ)第251号 損害賠償請求

 他人名義で開設した預金口座を利用して口座名義人(原告)に支払われるべき保険金を第三者が着服した事件に関し,金融機関たる被告には,第三者による当該口座からの預金払戻請求に際して払戻請求者と口座名義人との同一性を確認すべき注意義務を怠り,第三者の不法行為に加担した過失があったとして,被告の不法行為責任を認めた事例(一部認容)


          判    決
 当事者の表示 省 略
          主    文
 1 被告は,原告に対し,金2400万円及びこれに対する平成10年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 原告のその余の請求を棄却する。
 3 訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の,その1を被告の負担とする。
 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
          事実及び理由 
第1 請求
 1 被告は,原告に対し,金4850万円及びこれに対する平成10年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 訴訟費用は被告の負担とする。
 3 仮執行宣言
第2 事案の概要
 1 本件は,原告が受取人として支払いを受けることとなっていた保険金4850万円に関し,Aがその着服を企て,原告に無断で被告B支店において原告名義の普通預金口座を開設し,上記口座に振り込まれた上記保険金の払戻しを受けるなどして着服したことについて,原告が,被告には,消費寄託契約に基づき,あるいは,金融業務の公共性に基づき,口座開設の申込みや上記口座からの預金払戻しの際には本人確認を果たすべき義務があるのにこれを怠った過失により,Aによる原告名義を冒用した口座開設及び上記口座からの預金払戻しに応じたため,原告に4850万円の損害を与えたなどと主張して,被告に対し,不法行為(民法709条)に基づき,原告に生じた損害金4850万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成10年1月
1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めるという事案である。
 2 前提となる事実(証拠を掲記した項目以外は争いがない。なお,書証は枝番を含む。)
 (1) 原告名義の普通預金口座の開設
  平成9年6月18日,被告B支店において,原告名義の普通預金口座(口座番号○○○。以下「本件口座」という。)が開設された。
  本件口座開設は,Aが被告B支店において行ったものであったところ,Aは,当時の原告の交際相手の兄であり,原告が平成9年11月に上記交際相手と婚姻した後は義兄となった者であり,同年4月,原告の実兄が交通事故で死亡した際には,原告に代わって葬儀を取り仕切ったり,交通事故の加害者側保険会社であるC保険会社との示談交渉を行うなどした者である。原告は,Aに信頼を寄せ,示談交渉を行うことを任せてはいたものの,示談交渉等について具体的にAから相談を受けることはなく,保険金の受給について個別の事項を委任をしたといった事実もなかった(甲10)。
 (2) 本件口座開設時の状況等
  Aは,原告に無断で原告名義の普通預金口座を開設することとし,平成9年6月18日,被告B支店窓口に赴いて普通預金申込票(兼入金伝票)(複写式となったもの。以下,単に「申込票」という。)を作成し,入金する現金1000円とともに窓口担当者に提出するなどした。
  申込票には,申込者の「おなまえ」欄に「(原告の名前)」,「おところ」欄に「(原告の当時の住所)」,「お勤め先」欄に「××」との記載がなされ,原告姓の印が押捺されていたが,「おなまえ」のふりがな,性別及び生年月日欄は空欄のままであった(乙1)。
  本件口座開設の窓口担当者はDであり,検印を行った役席者は預金担当副長のEであった(乙1ないし3)。
  Dは,同日,Aの申込みを受け,申込票等記載の入力作業等を行った上,1000円を入金して通帳を発行し,Eの検印を受けた上,原告名義の本件口座の開設手続を行った。
 (3) 本件口座への保険金の振り込み及び本件口座からの預金の払戻し
  平成9年7月3日,C保険会社から,原告の実兄が交通事故で死亡したことに対する保険金として3850万円及び1000万円の合計4850万円の支払いがなされ,同日,本件口座に振り込み入金された。
  Aは,自身の経営する会社の事務職員であるFをして,同日,被告B支店窓口において,本件口座から4800万円の現金の払戻しを受けさせるなどし,また,同日,キャッシュカードを用いて被告B支店内の現金自動預払機から50万円を引き出すなどした(甲4,9)。
  被告B支店における本件口座の払戻担当者は,Gであり,その上席として検印を行ったのは当時の支店次長のHであった(乙7)。
  本件口座の預金の払戻しについては,担当者が,払戻請求書に押捺された届出印と預金通帳貼付の印鑑票に押捺された届出印とを照合し,同一印であることを確認して行ったものであった。
 (4) Aの着服とその発覚
  Aは,本件口座から払戻しを受けた金4850万円を自己の費消の目的で着服した。
  平成14年9月ころ,原告がAに保険金の支払いについて問いつめたところ,Aは,保険金を着服した事実を認めた。
 3 争点
 (1) 本件口座における預金契約の当事者は原告か,Aか。
  ア 原告の主張
   本件口座は,原告に支払われるべき保険金の受取りのために開設され,実際に原告への支払目的のためにC保険会社から送金がされたのであり,預金債権者は実質的な出捐者である原告であって,Aではない。
   また,Aも被告も,本件口座名義人のために口座を開設したとの認識であり,原告を預金契約者としてきた。
   被告が平成16年になって行ってきた本人確認も,Aではなく,原告を対象として行われているのであり,本件訴訟において預金契約者は原告ではなくAである旨主張することは信義則に反する。
  イ 被告の主張
   本件口座は,Aが原告に支払われるべき保険金を詐取する目的で,原告名義を冒用して開設されたものであり,本件口座の開設はいかなる意味でも原告の意思に基づくものではないし,また,本件口座開設に当たって1000円を入金したのはAであり,原告は何ら金銭を拠出していない。本件口座に入金された金銭は,原告に対する損害賠償金支払債務の弁済として支払われたものであり,本来,原告が取得すべき金銭であったとはいい得るが,その段階では債権に止まっていたものであり,上記金銭が原告のものであったことはない。
   したがって,預金契約の一方当事者は,原告ではなくAである。
 (2) 本件口座開設及び預金の払戻しに際して,被告に注意義務違反があったか。
  ア 原告の主張
  (ア) 消費寄託契約に基づく被告の注意義務違反
   本件口座の預金者は原告であり,本件口座開設は,被告と預金利用者である原告との間の消費寄託契約に基づきなされたものであるから,被告は,上記契約に基づき,私法上の善管注意義務を負っていた(商法593条,民法400条)。
   消費寄託契約は,預け入れられた金員を安全に保管し,真の権利者の請求に対してのみ安全に払戻しをするという契約であるところ,上記契約に基づく受寄者の善管注意義務は,単に預け入れ後の保管・払戻についての注意義務に限られず,口座開設時にも及ぶというべきである。
   被告は,口座開設時において,後に本人確認ができるよう真の権利者の確定のための基本的事項を取得して本人確認をする義務があった。
  (イ) 金融業務の公共性に基づく被告の注意義務違反
   被告は,信用金庫法に基づく信用金庫であるところ,金融業務の有する公共性にかんがみれば,預金者のみならず,預金口座を利用する全ての者の利益に配慮して不当な損害を被らせないようにする社会的私法的義務があり,この義務は,仮に預金者が原告ではなくAであったとしても変わらず認められるべきものである。
   金融機関においては,昭和40年代ころから,架空名義預金についての注意喚起を行っていたほか,平成2年,平成3年には,麻薬等規制薬物に関する不正行為の防止を目的としたマネー・ローンダリングの防止策が法的に構築されていた。そして,平成15年1月からは,「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」が施行され,自然人については,氏名,住居及び生年月日について運転免許証の提示を受ける等の方法で本人を特定する事項の確認を行わなければならないものとされている。そうしてみると,被告には,マネー・ローンダリングに限られず,口座開設及び一定金額以上の大口取引に際しては,業務の公共性から取引適正化を確保し,口座が犯罪に流用されないよう本人確認をする義務があった。
  (ウ) 口座開設段階における被告の過失(本人確認義務違反)
   被告には,本人であれば当然記入できる事項である性別,生年月日が未記入であった申込票を不審に思って確認し,本人確認をすべきであったのに漫然と受理し,本人確認をしなかった過失がある。
   そもそも本件においては,申込票に記入を求めている太線枠内の事項のうち,性別や生年月日に記入がなく,記載不備が明らかであるのに窓口担当者は申込者に何らの確認をしていなかったというのであるから,本人確認以前の問題である。
   また,当時の窓口担当者は,Aに不審事由が多数あったことを記憶しており,口座開設を慎重に行うべきケースであったといい得るし,役席者も,記載不備の申込票のまま,漫然と口座開設を承認している。そして,キャッシュカードの郵送による本人確認は,公的書類による本人確認が困難な場合の次善策と考えるべきであるし,本件口座開設における不審事由をも前提にすれば,上記方法による本人確認では十分ではないことは明らかである。
  (エ) 預金払戻段階における被告の過失(本人確認義務違反)
   被告は,本件の4800万円の大口支払いに際し,本人確認をせず,本人確認書の作成もしていないところ,これは当時の通達にも違反する取扱いであった。
   被告は,通帳貼付の届出印と払戻請求書に押捺された印鑑を照合したと主張するが,①3000万円以上の大口取引であること,②窓口での現金払いであること,③当日大口入金があった直後の払戻請求であること,④本件口座には開設時に預け入れられた1000円のほかに何らの取引もなかったこと,⑤事前の連絡もなかったこと,などの事実が認められ,払戻請求者の本人確認をするべきであったのに,被告は何らの確認をもしなかった。
   そもそも4800万円という金額の払戻しは,被告B支店においても保管金員の約半額に当たる大口の取引であるところ,預金担当の役席や支店次長も,事前に連絡がないまま当時4800万円を現金一括で払戻しをすることはよくあることではないとしている。したがって,本件4800万円の払戻しについては,本人確認をする特段の事情が存在し,本人確認をする機会もあったといえるから,被告には善管注意義務に反する過失がある。
   また,キャッシュカードにより50万円が支払われたことについても,被告が本人確認をすべき事情があるにもかかわらず,漫然と確認をしないままキャッシュカードを発行したことに起因するから,被告に責任があることは明らかである。
  イ 被告の主張
  (ア) 消費寄託契約上の被告の注意義務違反について
   本件口座の預金者は原告ではないから,被告は原告に対し,何ら預金契約上の責任を負うものではない。
  (イ) 金融業務の公共性に基づく被告の注意義務違反について
   大量かつ迅速に行われるべき金融取引の迅速性や金融事務への過重な負担となることからすれば,金融機関が一般的に本人確認義務を負うというべきではない。また,本人確認が行われることによって健全な金融取引が確保され,金融事務が取引当事者の意思に基づき適正に遂行されているという金融機関に対する信頼も,金融機関の自主規制や業務適正化によってもたらされる反射的な利益にすぎず,法的責任を追及する根拠とすることはできないというべきであり,本人の意思に基づく取引かどうかを確認すべき注意義務はそもそも存在しないというべきである。
  (ウ) 口座開設段階における被告の注意義務違反について
   本件は,平成4年施行のマネー・ローンダリング防止に関する通達等にいうところの不法な取引に使用されるおそれある口座の開設ではない。
   被告は,口座開設時において,申込みのあったキャッシュカードを,申込者宅へ簡易書留郵便で発送し,これが返送されてこなかったのであるから,上記をもって本人確認義務は果たしたといえる。
  (エ) 預金払戻段階における被告の注意義務違反について
   本件口座の預金払戻時,担当者は,預金通帳貼付の印鑑票に押捺された届出印と払戻請求書に押捺された印鑑の照合確認を行い,これに基づきその持参者を預金者と認めて払戻しに応じたものであり,必ずしもマネー・ローンダリング関係の通達上の取扱い(3000万円以上の大口現金取引については,本人確認を徹底すること)をしなかったからといって被告に過失があったとはいえない。
   本件では,C保険会社という振込人名からして,入金された金員が保険金であることが明らかであるから,マネー・ローンダリングとは無関係であることが明らかである。
第3 当裁判所の判断
 1 上記前提となる事実に証拠(甲1ないし5,9,10,乙1ないし8,10ないし16,証人F,同D,同G,同E,同H,原告本人。ただし,証人Fについては下記認定に反する部分を除く。書証については枝番を含む。)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
 (1) 金融機関における本人確認規制
    当時の大蔵省は,従前より,架空名義預金について注意喚起をしており,これを受けて金融機関においても,昭和42年12月,仮名預金は受け入れないこと,本人名義以外での預金であることを知り得た場合は,本人名義に改めるよう預金者の協力を求めることの申し合わせをして全店舗への掲示を行い,その後の昭和44年6月及び昭和47年12月にも同様の申し合わせを行い,店舗掲示の充実を図っていた。
  その後,麻薬等の薬物の不正取引が国際的に拡大し,不正取引から生じた収益の資金洗浄の防止を図る必要があるとして,世界各国及び国際連合において各種の措置が取られる中,昭和63年12月,「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」(以下「麻薬新条約」という。)が採択され,平成元年12月,日本もこれに署名した。さらに,資金洗浄防止のために金融機関が遵守すべき諸原則に関する声明が出されるなどの国際的動向を背景に,日本においても,国際的な協調体制に協力するとの観点から,平成2年6月28日,金融機関における本人確認について顧客への周知・徹底を図ること,口座の開設や大口の現金取引など一定の取引を行う際の本人確認に努めること,金融機関には半年毎に本人確認状況を報告することを求め
ることなどについて定めた,大蔵省銀行局長による「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリングの防止について」(蔵銀第1700号)との通達が出された(乙10)。
  また,平成3年10月には,麻薬新条約等の勧告を実施するための国内体制の整備の一環として,「麻薬及び向精神薬取締法等の一部を改正する法律」及び「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例に関する法律」(いわゆる麻薬二法)が公布され,マネー・ローンダリングの処罰規定を設けるなどの立法措置が取られることとなり,これらの趣旨を受け,さらに金融機関における本人確認等を徹底するため,平成4年7月1日には,大蔵省銀行局長から各金融団体代表者に向けた「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリング防止について」(蔵銀第1283号)との通達が出された。これによれば,金融機関に対して,口座開設及び大口現金取引の際に本人確認を行
わなければならないこと,本人確認状況を半年毎に報告すること,顧客に対する周知・徹底を図るよう努めなければならないこと等が定められていたほか,上記の具体的な事務取扱いを定める大蔵省銀行局銀行課長が各金融団体担当役員に宛てた「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ローンダリングの防止に関する留意事項について」との事務連絡が同日付けで出された。これによれば,口座開設などにおいて行う本人確認の方法として,顧客が個人である場合,運転免許証や住民票など公的書類等で本人確認を行うことのほか,書類等以外による確認として,キャッシュカード等を届出のあった住所に簡易書留扱いで郵送した場合で,当該郵便物が返戻されなかった者,店舗の近隣に居住している等面識がある者などを定め,また,大口現金取引において
は,他国との間において行う500万円相当額を超える取引や,その他の取引にあっては,3000万円以上の取引について同様の本人確認をすべきことを求めるものであり,本人確認を行う場合には本人確認書類等を表示し,確認者が押印するものとし,確認ができなかったものについては確認未済である旨表示するものとされていた(乙11)。
 (2) 原告に対する保険金の支払い
  Aは,原告の実兄が交通事故で死亡したことに関し,加害者側保険会社であるC保険会社との間で保険金の支払交渉を行っていたところ,平成9年6月18日,原告との間で示談を成立させるに至った。上記示談は,C保険会社事務所で示談書を作成することで行われ,原告もAに呼ばれて同席して行った。示談は,加害者が原告に対して既払金を除き3850万円を支払う,との内容のもので,示談書に原告が署名捺印した(甲1)。
  なお,上記とは別に,Aは,原告の知らぬところで,C保険会社が原告に対し,さらに1000万円を支払う旨の交渉を行い,結局,原告がC保険会社から支払いを受けることとなった保険金は4850万円となった。
 (3) 本件口座開設時の状況等
  ア Aは,原告に支払われることになる上記保険金を着服することを企て,上記示談書作成の同日である平成9年6月18日午前9時半ころ,原告に何ら話をすることなく,一人で被告B支店窓口に赴いて原告名義の普通預金口座の開設を申し込んでいた。Aは,申込票等の必要書類を作成し,現金1000円とともに窓口担当者に提出するなどしたが,申込票は,「おなまえ」のふりがな,性別及び生年月日欄が空欄のままであった(乙1)。
  イ 被告においては,一般的に,申込票等の提出を受けた窓口担当者は,記載内容を確認するとともに,キャッシュカード発行の希望の有無を確認し,キャッシュカードの交付方法を郵送にするか店頭交付にするか尋ねるなどした上,本人確認書を作成し,その後,窓口端末機への口座開設者の氏名,住所や電話番号,入金額等の入力作業を行い,これにより顧客番号,口座番号が自動的に採番され,通帳が発行することとされていた。そして,それまでの間に,窓口担当者は,担当者を明確にするための係印,入力間違いがないか精査を行ったことを明らかにする精査印を押捺するなどし,その後,申込票,本人確認書及び採番がされた通帳をセットにして,役席者の確認に回し,役席者は内容を確認した上,検印をすることとなっていた。
   被告における本人確認は,当時の通達や事務連絡等にしたがい,公的な本人確認書類を提出させる方法で行うことが励行されていたが,口座開設と同時にキャッシュカード発行の申込みがあった場合には,申込票記載の申込者住所に宛てて発行されたキャッシュカードを送付し,これが返戻されずに届いたことを確認することで本人確認を行ったとの取扱いを行っており,この方法は,上記平成4年7月1日付け事務連絡記載の「書類等以外による確認」記載の「(イ)キャッシュカード等を届出のあった住所に簡易書留扱いで郵送した場合で,当該郵便物が返戻されなかった者」による確認に当たるものであった。
   被告B支店において用いていた本人確認書には,担当者において,住所,氏名,ふりがなを書き入れるほか,「取引の種類」欄として「1.口座開設 2.保護預り 3.貸金庫貸与 4.大口現金取引」,「本人確認方法」欄として,「1.確認書類等(かっこ内空白)」,「2.カード郵送 3.訪問 4.面識あり」との各項目が予め記載された用紙を用い,上記の事項にしるしをつけるなどして記載した上,本人確認が「済」か「未済」かを記入し,さらに,担当者において確認印を押すこととされていた(乙3)。
   また,被告B支店においては,口座名義人ではない者が口座名義人の代わりに口座開設を行いに来た場合は,口座名義人の本人確認のみを行うこととし,窓口に来た者の本人確認書類や口座名義人との関係を示す書類を求めるような扱いは行っていなかった。
   なお,本件口座開設当時,被告においては,口座開設に際して申込票に記入することとされていた申込日,住所,電話番号,氏名,勤務先,性別,生年月日のうち,勤務先,性別,生年月日の記載は必須事項とはしない内部的取扱いを行っていた。
  ウ Aは,被告B支店において取引歴はなく,窓口担当をしたDとの面識もなかった。Dは,Aとの窓口でのやり取りの中で,Aが口座名義人本人ではなく,他人名義の口座の開設であること,名義人の本人確認書類を持参していないことを認識したものの,Aが口座の開設を急いでいる様子で,威圧的な態度を取っていたこともあり,性別や生年月日の補充を促すことはせず,また,本人確認については,キャッシュカードの発行申込みがあったことから,役席者のEに相談の上,簡易書留による郵送の方法で行うこととした。Dは,カード郵送の方法で本人確認を行う旨記載した本人確認書を作成し,本人確認が済んだものとして確認欄に印を押し,Eもこれを検印するなどの処理を行った。この際,DやEは,口座名義人となっている者がその意思に
基づき口座を開設したか否かについて確認することはしなかった。
   平成9年6月20日,被告B支店において,上記の申込票と複写式になっていた暗証届兼発行票に基づき,キャッシュカードの発行を行い,その発送手続を取ることとし,同月23日,簡易書留郵便にて申込票記載の申込者住所へ宛てて送付がされた。上記書留郵便は,送り主である被告に返戻されなかったため,被告は,これをもって本人確認ができたとの扱いをした(乙3ないし6,8,12)。
 (3) 本件口座への保険金の振り込み及び本件口座からの払戻し
  ア C保険会社は,平成9年6月18日の示談書等に基づき,平成9年7月3日,原告の兄が交通事故で死亡したことに対する保険金として合計4850万円の支払いをし,同日,上記金額が本件口座に振り込み入金された。
   Fは,同日,Aから本件口座内の預金の払戻しをするよう指示され,「おなまえ」欄に「(原告の名前)」と記載してお届印を押捺するなどして払戻請求書を作成し,Aとともに,被告B支店において4800万円の現金の払戻しを受けた(甲3,乙7)。また,同日,Aは,キャッシュカードを使用して,被告B支店内の現金自動預払機から50万円を引き出した(甲4)。
  イ 被告において,預金等の払戻しの際には,一般的に,担当者が預金通帳貼付の印鑑票に押捺された届出印と払戻請求書に押捺された印鑑とを照合し,同一印であることを確認し,確認が済めば印鑑照合印を押捺することを行っており,当時の通達等により本人確認を要請されていた3000万円以上の大口の現金払戻しであっても,本人確認書類の提示を求めたり,本人確認書を作成するとの取扱いは必ずしも行っていなかった。
   また,大口の現金払戻しに当たっては,通常,窓口で直接現金を交付するのではなく,払戻請求者を別室に通した上,役席者が担当する扱いとされていた。
  ウ 本件においても,預金の払戻しは,窓口担当者であったGにおいて,預金通帳貼付の印鑑票の届出印と払戻請求書に押捺された印鑑が同一であるかの照合を行い,同一であることを確認し,上記同日午前11時10分ころには現金を手払いする方法で払戻しが行われた(乙7)。
   上記の照合に加え,GがFに対し,本人確認書類の提示を求めたり,その追完を促したことはなく,本人確認書を作成した経過もなかった。
   また,払戻請求書の「おなまえ」欄の記載や数字の字体は,本件口座開設時に書かれた申込票のものとは全く異なっており,別人が記載したものであることが明らかに認められるものであった(乙1,7)。
 (4) Aによる着服
   被告から払戻しを受けた現金合計4850万円について,Aは,原告に何ら告げることなくこれを着服し,原告の知らないところでこれを費消した。
 2 上記認定事実をもとに,以下各争点につき検討する。
 (1) 本件口座の預金者は誰かについて(争点(1))
  ア 本件口座は,信用金庫の普通預金口座であるところ,預金者が誰であるかが問題となる。
   この点,普通預金は,いったん預金契約を締結し,口座を開設すると,以後預金者がいつでも自由に預け入れ,払戻しをすることができる継続的取引契約であり,口座に入金があるたびにその額についての消費寄託契約が成立するが,その結果発生した預金債権は,口座の既存の預金債権と合算され,1個の預金債権として扱われるものである。
   そこで,普通預金の預金者の確定に当たっては,預金口座の開設者が誰か,原資の出捐者は誰か,預金口座の名義は誰か,口座を管理しているのは誰かなどの事情を総合的に考慮して決すべきものと解される。
  イ 原告は,本件口座の名義人が原告であること,本件口座開設の目的は,原告が受取人となっていた保険金の支払いを受けるためであったこと等を理由に,預金者は原告であったと主張している。
  ウ しかしながら,本件口座はAが開設したものであり,本件口座開設については,Aは原告から何らかの依頼を受けることなく,無断で行ったものである。また,Aは,口座開設に当たって,1000円を入金しているところ,その出捐者はAであることがうかがわれる。
   確かに,本件口座には,C保険会社から原告が受け取るべき保険金が振り込み入金されているが,原告は,上記振り込み入金の事実はおろか,本件口座開設の事実すら知らなかったというのであり,本件口座の開設や利用に関して原告の意思が及んでいることは全く認められない一方,Aは,自らが不正に利用する目的とはいえ,本件口座を開設し,本件口座に上記保険金が振り込み入金されるや,その日のうちに,預金のほぼ全額について窓口及び現金自動預払機で払戻しを受けるなどし,結局はそのすべてを自己の手元に取得している。
   これらの事実に照らせば,本件口座の開設から利用に至るまで,その管理についてもすべてAが行っていたといわざるを得ず,原告は,名義を借用されたにすぎない。
   したがって,本件口座の預金者は,Aであると認めるのが相当である。
 (2) 被告の注意義務違反について(争点(2))
  ア 上記(1)のとおり,本件口座の預金者はAであると認められるから,原告と被告との間には,消費寄託契約は成立していないと認められる。また,本件口座に振り込み入金された金員が原告に支払われるべき保険金であり,原告こそが本件口座内の保険金相当額の預金の払戻しを受けるべき者であったとしても,原告は,被告との間に何らの契約関係を有していないのであるから,被告がAに保険金相当額の預金を払い戻したことについて,原告は被告に対し,契約に基づく責任を追及することはできないというほかない。
   したがって,被告には消費寄託契約の受託者として注意義務違反があった旨主張する原告の主張は理由がない。
  イ 次に,被告が公共性を有する金融業務を行う者として一般的に注意義務を負っていたといえるか,検討する。
  (ア) 本件は,原告が支払いを受けるべき保険金について,原告の信頼を得ていたAがその着服を企て,原告のあずかり知らぬところで被告B支店において原告名義を借用して本件口座を開設し,本件口座に振り込まれた保険金の払戻しを受け,これを着服したものである。
   被告は,Aの不法行為の手段として利用されたのであり,原告の主張するところは,要するに,被告が金融機関として果たすべき注意義務を果たさなかった過失により,Aの不法行為に加担したこととなるから,Aによる不法行為によって生じた原告の損害について,被告にも不法行為責任があるというものである。
   そこで,公共性を有する金融業務を行う被告について,他人に名義を冒用されたにすぎない預金名義人や,開設された預金口座を利用することとなるかもしれない関係人など,被告との直接の契約関係を有しない者との関係においても,口座の開設や口座内の預金の払戻しといった個々の具体的取引に際して,本人確認を行うなどの注意義務を負い,これを果たさなかった場合には,故意や過失があるとして,不法行為責任を負う場合があるかが問題となる。
  (イ) 思うに,信用金庫を含む金融機関において行われる金融業務の性質が公共性を有することは明らかであるものの,口座開設や大口現金取引等の具体的取引において,口座を利用した第三者の不法行為等によって,直接には契約関係を有しない者に財産的損害が生じるのを防ぐため,それらの者との間においても,一般的に本人確認義務を尽くすべき注意義務を負うとすることは,大量かつ迅速な金融取引や金融事務への負担の点に照らし,これを認めるのは相当とはいえない。また,原告がその主張の根拠としているマネー・ローンダリングの防止に関する通達や事務連絡における本人確認の要請は,いわゆる麻薬二法の制定を背景に,麻薬等の違法薬物の不正取引撲滅のため,不正な薬物取引により得られた収益の資金洗浄等を防止することを目
的として金融機関に行政上課されたものであって,取引の適正を期し,契約関係を有しない者に対しても財産的損害が生じないようすることを目的とするものではない。一方,近年においては,預金口座等が反社会的活動に悪用されることが増え,大きな社会問題となっていることにかんがみ,当座預金のみでなく普通預金においても預金口座の利用を本人に限定することを求める運用を行うなど,金融機関における顧客管理体制の整備の促進を図るとともに,「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」(平成14年法32号)が制定されるなどの法整備が図られ,また,平成16年には,同法に預金口座等の不正な利用の防止する目的を明確に盛り込むなどの法改正が行われてもいる(平成16年法164号)。これらの経過や社会的な背景事情
を比較すると,平成9年当時における上記の通達や事務連絡は違法薬物を巡る不正な取引規制を目的とした行政的な指導であったのに対し,近年は,広く預金口座の不正利用自体を防止する目的で立法措置が講じられているのであり,自ずからその目的や金融機関が負うこととなる責任にも差異が生じることになると思われる。そうしてみれば,平成9年当時のマネー・ローンダリング防止に関する通達や事務連絡自体を根拠として,被告に対し,直ちに私法的責任を問うことはできないというほかなく,本件口座開設,預金払戻時において,金融機関が広く一般的に本人確認等の注意義務を負っていたものと解することは相当でない。
  ウ しかしながら,他方,信用金庫法等に謳われた金融機関の公共性や信用の維持と預金者等の保護に向けられた社会的要請は,近年におけると,平成9年当時におけるとで大きく変わることはないとみられる。そして,少なくとも平成4年には,上記のとおり,違法薬物等に係る不正取引の防止をすべく,金融機関に対し通達や事務連絡が出され,不正取引防止のための諸策として,口座開設や大口現金取引等の具体的取引において一般的に本人確認の徹底を図り,これに関して一定の報告義務を負うなどの行政上の責任が課されていたのであり,金融機関においても上記通達等に則った金融実務を行うことが要請されていたというべきである。これらに加えて,金融業務の有する公共性及び金融機関を利用する様々な利害関係人が存在することにかんが
みれば,直接の契約関係を有しない利害関係人との間において,金融機関がいかなる場合にも法的責任を負わないと解することもやはり相当でないというべきである。
     そして,金融機関が契約関係のない利害関係人に対して果たすべき注意義務については,当時の通達等による行政指導の内容に加え,当該金融機関が行った具体的取引の内容,預金口座等が不正利用された状況や不正利用者の行為の内容及び金融機関において確認を尽くした事項といった個別的事情だけでなく,当該取引のなされた時代的背景や社会情勢などを総合考慮し,金融機関として最低限果たすべき注意義務に違反したと認められるような特段の事情が認められる場合には,金融機関の行為に過失あるいは違法性が認められ,直接の契約関係がない利害関係人に対しても不法行為責任を負うことになるものと解すべきである。
  エ そこで,本件について検討する。
  (ア) まず,本件口座は,Aが原告に支払われることとなっていた保険金を受け取るため,不正な目的をもって開設した原告名義の普通預金口座である。そして,平成9年6月18日の口座開設においては,A自らが被告B支店窓口に訪れて申込票等を記載し,窓口担当者とやり取りをした。窓口担当者のDは,Aと面識はなかったものの,Aが開店後間もないころに来店した男性客であり,本人ではなく女性名義の口座開設を希望したことや,急いでいる様子で威圧的な態度であったことなどから当時の状況を記憶しているとの証言をしている。また,Dによれば,Aの提出した申込票には太線枠内の記載に不備(ふりがな,生年月日,性別の欄が空白)があったものの,Aの様子に照らし,強く記載を求めることはせず,口座名義人の本人確認書類の
確認もしなかった。結局,本件口座に関する本人確認は,申込票記載の申込者住所に宛ててキャッシュカードを簡易書留で送付することで行うこととし,Dは,役席者のEに確認した上,上記取扱いにするとの本人確認書を作成して処理を行ったというのである。
   その後,本件口座には,同年7月3日,C保険会社から口座名義人である原告に宛てて,合計4850万円が振り込み入金された。Aは,Fをして被告B支店に赴かせ,同日午前11時10分ころ,現金で4800万円の払戻しを受けた。本件払戻しを担当したGや役席者のHは,本件払戻しについての記憶がない旨証言しているが,当時の通達等に照らし,本件払戻しは3000万円以上の大口現金取引に当たり,本人確認書類の提示を求め,本人確認書を作成する旨求められていた取引に当たるものであった。しかし,本件払戻しでは,預金通帳貼付の印鑑票に押捺された届出印と払戻請求書に押捺された印鑑の照合確認が行われたのみであり,本人確認書類の提出を受けたり,本人確認書の作成をしたとの事実は認められない。
  (イ) 上記に照らしてみるに,本件口座は,Aが不正に利用する目的で開設を申し込んだものであるが,本件口座の開設を担当した窓口担当者はAとは面識がなく,Aにおいて被告B支店において過去に取引を有していた事情も認められないところ,Aが他人名義の口座開設の申込みを行ったことは口座開設時には明らかで,窓口担当者及び役席者はそれを了解していたものとみられる。また,Aは,申込票の記載が求められている太線枠内の項目のうち,申込者のふりがな,性別,生年月日欄を記載せず,口座名義人の本人確認書類を持参することもなく,その態度も威圧的であるなど,多数の不審な点がみられる口座開設の申込みであったことがうかがわれる。
  (ウ) 他方で,空欄とされた項目は,被告において必須の記載項目とはしないとの当時の内規に沿った運用がされたものであり,本人確認の方法は当時のマネー・ローンダリング防止に関する通達等に合致したものであった。また,本件口座は,大量かつ迅速な取引に日常的に用いられる普通預金口座であり,平成9年当時において,金融実務において,他人名義の口座開設自体を認めないとの運用が行われていたともいい難いことからすれば,本件口座の開設において,申込票の不備を正さなかったり,本人確認が十分に行われなかったとしても,これをもって直ちに,被告において金融機関として果たすべき最低限の注意義務に違反した過失があるとまでは認められないというべきである。
   しかしながら,本件口座は,口座開設時に1000円の入金がされただけでその後何ら取引はなされておらず,2週間くらい後になって,C保険会社を振込人として,保険金とみられる4850万円の多額の振り込み入金があっただけである。そして,入金のあった日の午前11時ころには,預金の総額に近い4800万円の払戻請求をする者が窓口に現れ,担当者がこれに応じた経緯が認められる。4800万円の払戻請求は,平成9年当時の通達等に照らしても,本人確認を要請された大口現金取引に当たるが,被告B支店において,一般的に本人確認書類の提示を求めたり,本人確認書を作成することは行われておらず,本件についても,担当者のGや役席者のHが,印鑑照合のほかに,払戻請求者と口座名義人との一致を確認した経過は一切認め
られない。被告B支店において,本件口座開設時に用いられた本人確認書は,払戻時にも対応する書式であり,取引の種類欄には「4.大口現金取引」との項目が設けられ,本人確認方法としても,「確認書類等」を記載する欄が設けられていたものであるが,本件預金払戻時には本人確認書が作成された経過すら認められない。これに加えて,口座開設時に提出された申込票と払戻請求書の「おなまえ」欄等の筆跡は明らかに異なっているほか,申込票の太線枠内に空欄が残されたまま本人確認が行われた経緯があることも明らかであるところ,口座開設時に多数認識された不審事由が,払戻請求時にはまったく問題視されなかったというのも不合理である。
   この点,被告は,預金払戻しに際しては印鑑照合で確認を行っていること,本件口座に振り込み入金された4850万円は,保険会社から入金された保険金であることが明らかであり,マネー・ローンダリングとは無関係であるなどとして,過失がなかった旨主張しているが,当時の通達等は,麻薬等の薬物の不正取引を防止することを目的としながらも,金融機関が不正な取引に利用されることのないよう,一定の具体的取引を明示して,広く金融機関に対して本人確認の徹底を求める行政指導であったと解されるから,保険会社からの振り込み入金であるからといって,本人確認をしないことの理由とはなり得ない。また,本件において,C保険会社は,原告を名宛人として,原告名義の本件口座への振り込み入金の方法で保険金の支払いを行ってい
るものであり,この保険金につき,真に権利を有するのは,口座名義人である原告であったことは明らかであるから,この事実は,むしろ,払戻時に本人確認をすべきであるという方向に働くともいい得るのである。
  (エ) 確かに,大量性,迅速性の要請がより強く求められる普通預金口座取引の性質や金融実務に照らし,金融機関において,普通預金口座における真の預金債権者が誰であるか,真の債権者の意思に基づく預金の払戻しであるか,などを一般的に確認する義務を負うものとは解されない。
   しかし,本件のように,取引の種類が,当時の通達等によっても本人確認が要請されていた大口の預金払戻請求であり,かつ,口座名義人に宛てた保険金の支払いであることが明らかな場面において,払戻請求者が,保険会社が名宛人とした口座名義人と同一であるのかどうかについて,本人確認書類等の提示を求めて確認するという意味における本人確認を実施することはさほど困難なものとは認められないし,上記確認をしていれば,金融機関を利用した不法行為を容易に防止できたといえる。上記程度の確認を行うべき注意義務は,金融機関の公共性に照らし,社会的に要請されていた最低限のものというべきである。
  (オ) 上記のとおり,本件口座の開設から預金払戻しにおける一連の事情を総合的に検討すれば,本件において現金4800万円の預金払戻しを行うに際して,被告には,少なくとも,払戻請求者が口座名義人と同一であるかどうかにつき,確認書類を求めるなどしてその同一性を確認すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠り,印鑑照合を行ったのみで本件払戻しに応じたため,Aによる不法行為に加担したという過失があったというほかなく,上記注意義務違反について,被告は,原告に対して不法行為責任を負うというべきである。
   そして,被告の上記過失に基づく不法行為によって,原告は,自らが受取人として支払請求権を有していた4800万円の保険金の支払いを受けられないこととなったのであるから,原告には被告の不法行為と因果関係のある4800万円の損害が生じていると認められる。
   なお,原告は,Aがキャッシュカードを用いて引き出した50万円についても被告に過失があるとして損害賠償を求めるが,被告において本件口座の開設において不法行為を構成するような注意義務違反があったと認めることはできない上,届け出がされていた暗証番号を入力して現金自動預払機から行われたとみられる預金の払戻しを防ぐための措置を講ずることは困難であったといわざるを得ないから,50万円の払戻しについて被告の過失を認めることはできず,その不法行為責任を問うことはできないというべきである。この点に関する原告の請求は理由がない。
  オ(ア) 被告は,本件訴訟において,自らに過失がないとして全面的に原告の主張を争っていたところ,上記のとおり,被告には過失があり,これによって原告に4800万円の損害が生じていると認められるが,本件訴訟の経過や被告の主張,原告に損害が発生した経過に照らせば,損害の公平な分担という趣旨から,原告側の事情についても検討するのが相当であると認める(民法722条2項)。
  (イ) 本件は,Aによる本件口座の不正目的利用が原因となって生じたものであるところ,Aは,原告の交際相手の兄であり,平成9年11月に原告が上記交際相手と婚姻してからは義兄となった者である。原告はAを頼りにし,Aは,実兄を不慮の交通事故で亡くし,大きな精神的衝撃を受けていた原告に代わって,原告の実兄の葬儀を取り仕切るなどしたほか,交通事故の加害者との関係で保険会社との示談交渉を行うなどしていた。この過程において,原告とAとの間で委任契約が締結されたような事情はみられないまでも,原告は,示談交渉についても,事実上,Aに任せっきりにしていたことがうかがわれる。Aが本件口座開設をした当日,原告は,Aに呼ばれてC保険会社の事務所をともに訪れ,交通事故の加害者が原告に対し,実兄の死亡
の損害として3850万円を支払う旨の示談を成立させ,示談書を作成していた。
   Aは,本件口座開設に当たって,当時の原告の住所を申込者住所として届け出しており,本人確認も兼ねて行われたキャッシュカードの送付は,簡易書留郵便で原告住所に送付されたことが認められるほか(乙2,4),上記示談に基づく保険金支払いの案内も,当時の原告住所に送付されていたことがうかがわれる(甲2)。
   原告は,平成14年9月ころ,Aに示談交渉の経過を問いつめたところ,Aが保険金を着服した事実を告白し,本件口座開設に係る事実を知ったというのであるが,この時点では,平成9年6月18日に保険金に関わる示談書を作成してから5年以上が経過していた。原告は,平成9年当時において,美容師として働いていた成人であったところ,実兄の死による精神的衝撃が大きく,いろいろなことをAに任せきりにし,信じきっていたというのであるが,上記のような一連の原告の行為が,Aによる本件口座の開設と預金払戻しといったAの不法行為を容易にしたことは明らかであり,原告に発生した4800万円の損害にも相当程度寄与したものと認めざるを得ない。
  (ウ) 上記一連の事情に照らせば,被告との関係において,原告には,本件損害の発生に関して相当程度の寄与があったものと認められるから,過失相殺若しくはその類推によって,原告に生じたと認められる損害の5割を控除するのが相当と認める。
   よって,原告は,被告に対し,2400万円の損害賠償請求をし得るにとどまるというべきである。
 3 以上の次第で,原告の請求は,被告に対し,2400万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成10年1月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
    甲府地方裁判所民事部

        裁判長裁判官  新堀亮一

           裁判官  倉地康弘

           裁判官  青木美佳

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最終更新:2006年03月13日 13:08
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