hanrei @Wiki H17. 6.28 広島高等裁判所 平成14年(う)第201号 殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件



更新履歴

取得中です。


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

判示事項の要旨:
殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について,本件犯行が妄想に支配されて敢行されたものであるから,被告人が本件犯行当時心神喪失の状態であったことは明白であって,完全責任能力を肯認した原判決には事実誤認があるとした被告人からの控訴を棄却した事案


主 文
本件控訴を棄却する。
理 由
 本件控訴の趣意は,弁護人高村是懿作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は検察官井村立美作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。
 論旨は,要するに,被告人は,長年にわたって社会から敵視,迫害されてきたことに対して復しゅうをするという妄想に支配されて本件犯行に及んだものであるから,被告人が本件犯行当時心神喪失の状態にあったことは明白であって,完全責任能力を肯認した原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある,というのである。
 そこで,原判決挙示の各証拠と当審における事実取調べの結果を併せて検討すると,原判決が被告人の完全責任能力を肯認したのは正当であって,原判決には所論が主張するような事実の誤認はない。以下,説明を加えておくこととする。
第1 まず,被告人の責任能力判断に関連すると思われる本件犯行に至る経緯等は,次のとおりである。
1 被告人は,地元の高等学校を卒業し,いわゆる一浪生活を経て,昭和58年4月,A大学工学部建築学科に入学して福岡市内で独り暮らしを始めたものの,他人の視線を非常に気にしたり,他人との接触に強いストレスを感じるようになり,その後書籍で得た知識から,この症状は対人恐怖症であると判断し,集団生活ができないと考えて,就職活動もしないまま,昭和62年3月,大学を卒業して,実家に引きこもった上,治療のために各種民間療法を繰り返し行っても,一向に効果がなかったため,自動車の排気ガスによる自殺を図ったが,息苦しくなって自殺を断念したことがあった。また,対人恐怖症の治療に効果を上げているとされるいわゆる森田療法の存在を知り,昭和63年2月8日,森田療法を実践する東京都新宿区内のB院に入院して,治療を受けたが,軽快するには至らなかったため,同年5月8日に退院し,その後は,職を転々として稼働する傍ら,福岡市内のC病院に通院するようになった後,平成元年4月からは,福岡市内のD設計事務所に就職したところ,所長のほかには職員がいなかったため,対人関係に悩まされることもなかった上,通院治療の効果もあって,対人恐怖や視線恐怖の症状は落ち着き始め,平成3年ころには,通院もしなくなった。
2 そして,被告人は,同年12月ころ,登録先の結婚相談所から紹介された福岡県久留米市内に居住するEと交際を始め,平成4年4月ころ,Eが住む同市内のアパートに転居し,また,1級建築士の資格取得を目指していたことから,同年8月には勤務先を退職して,試験勉強に努めた結果,1級建築士の試験に合格した上,同年12月からは,福岡市内の別の設計事務所に就職したところ,同事務所内の人間関係に悩むようになって,再び対人恐怖や視線恐怖の症状が現れるようになったほか,上記アパートの自宅についても,嫌がらせのために,大きな音が立てられるなどと訴え始めた末,平成5年2月8日以降,再びC病院に通院するようになったほか,移り住んだ福岡市内の自宅において,F設計事務所の名称で独立した設計事務所を開設し,D設計事務所から紹介された仕事を始めたところ,次第に症状も軽くなり,同年9月にはニュージーランドに赴いてEと結婚式を挙げ,福岡市内で同女との結婚生活を始めた。
3 独立して開業した被告人は,比較的順調に収入も確保することができていたが,平成7年になって,D設計事務所所長と口論したことを契機に,同事務所から仕事を回してもらえなくなり,自身で仕事を確保する営業活動をすることもなかったため,仕事が大幅に減少し,平成9年ころになると,仕事も全く途絶え,Eの稼働による収入及び両親からの送金で辛うじて生活する状態となってしまった。そのようなみじめな生活にいら立って,Eを怒鳴り付けたりする一方で,人間関係のわずらわしさから解放されるには,ニュージーランドに移住すればよいと考えて始めた英会話も上達しなかったため,上記移住計画を断念したものの,他方では,将来に対する不安や,再び悪化し始めた対人恐怖,視線恐怖や音に対する過敏な反応を考慮し,Eと話し合って,Eとともに山口県内の実家において生活することに決め,その旨実家に連絡したところ,子供を連れた妹が出産のため長期間里帰り中であることを理由に,両親にこれを拒否され,心変わりしたEからはニュージーランドに移住する等と言い出され,平成10年2月上旬,やむなく単身で実家に戻った。
4 そのような経緯で実家に戻った被告人は,Eとの同居を拒否した両親及び里帰りした妹に対して強い不満を抱き,両親を怒鳴り付けるなどしたことはあったが,家業の農作業の手伝いをする一方で,同年3月24日以降,山口県下関市内のG病院に通院を続けた結果,症状が軽減してきたため,約160万円のローンを組んで軽四輪貨物自動車を購入して,平成11年2月から,「H運送」と称して,貨物取扱業者の下請として軽貨物運送業の仕事を開始したところ,対人関係等に悩まされることもないこの仕事が気に入り,更に症状が軽減していった。ところが,同年6月中旬ころ,帰国したEから,離婚の申し出を受けてやむなくこれに同意し,両親の反対もあって,離婚届を提出することはなかったが,同年7月初め,Eがアメリカ合衆国に出国したため,事実上離婚状態に陥ったことから,一時的には精神的な支えを失ったものの,再婚相手を求めて,結婚相談所に赴いたりした後,再びEとの生活をやり直したいと考えるようになり,そのためにはニュージーランドへ移住する必要があるとして,英会話の勉強を再開するとともに,移住資金を捻出する目的で,軽貨物運送業の仕事を続けることとした。
5 しかし,被告人は,同年9月24日,来襲した台風18号による高潮の影響で,運転中の軽四輪貨物自動車が冠水して修理不能となっただけではなく,車両保険に未加入であったため,ローンの残債約130万円がそのまま残り,新たにローンを組んで貨物自動車を購入した場合には,一層多額のローンの返済を迫られて,上記移住資金のための貯蓄計画にもそごを来す等と考えるうち,軽貨物運送業の仕事に対する意欲を失ってしまい,同月27日夜には,自宅において,両親に対して,軽貨物運送業の仕事をやめるので,ローンの支払いの肩代わりをして欲しいとか,30万円貸して欲しい旨申し出たものの,いずれの要望も拒否された上,他の車両を使用して軽貨物運送業の仕事を継続することでローンを返済するようにと強く説得されて,最後の望みであったニュージーランド移住計画の実現も不可能となってしまい,もはや自分の将来はないと考えて,自殺を思い立つ一方で,なぜ親が助けてくれないのか,なぜ台風の被害について政府が支援してくれないのか,なぜ自分だけがみじめな思いをしなければならないのか等と種々の不満を抱いた末,自分独りが自殺するだけでは済まさず,多くの人々を道連れに殺害して,世の中をめちゃくちゃにしてやり,無差別大量殺人を敢行することで両親にも衝撃を与えることができる等という思いがわき,その場では仕事を続ける旨告げて,自室に戻り,多数の人々を殺害する具体的な方法について思いを巡らすうち,周辺地域で最も人通りの多いと思われる日曜日のJR下関駅付近や同駅構内の人混みに自己の運転する自動車で突っ込んで,多数の人を跳ね飛ばすなどして殺害し,自動車による殺害行為を終えた後は,自動車から降りて,包丁で次々と多数の人を突き刺すなどして殺害して,無差別大量殺人を敢行することにより,両親や世間に衝撃を与え,また,犯行前に多量の睡眠薬を服用しておけば,犯行終了時にはその薬効により自殺することができるとの考えを固め,犯行決行日を日曜日である同年10月3日と決めた。
6 上記犯行決行予定日までは通常の生活を送ろうと決意した被告人は,同年9月28日,軽貨物運送業の仕事に従事し,他方では,修理中の犯行に使用する予定の普通乗用自動車が犯行決行予定日の前に手元に戻ることを確認したり,銀行預金を引き出して,犯行に使用する包丁を購入する等してから,JR下関駅へ下見に赴き,その周辺や駅構内の状況を確認して,まず,運転する自動車で駅東口歩道からコンコース内に突入して多数の歩行者を次々と跳ね飛ばす等して殺害し,自動車から降りた後,改札口からホームに上がって,電車を待ってホームにいる多数の人々を包丁で次々と突き刺す等して殺害することにより,10名以上の人々を殺害しようと具体的な犯行方法を策定し,帰宅後,自室のカレンダーの同年10月3日の欄に,死んで人生の舞台から退場するという意味を込めて「スクランブルアウト」と記入した。
7 同年9月29日,被告人は,実家の軽四輪乗用自動車を運転して,貨物の配達を始めたものの,貨物自動車ではないため,荷物の取出しに順調さを欠き,このまま犯行決行予定日まで配達の仕事を続けることには耐えられないと感じたほか,実父に電話を掛けて,冠水した軽四輪貨物自動車の廃車手続を依頼したところ,これを拒否されたため,実父の態度に怒りを覚えるとともに,もはや犯行決行予定日までは待ちきれないと考え,レンタカーを借り受けた上,当日中に犯行を決行しようと決意した。そこで,同日午前11時30分ころ,帰宅して,自室において,犯行遂行に必要と思われる事項を手帳に記入して犯行計画を確認し,購入していた包丁を取り出してタオルで包み,睡眠薬ロヒプノール120錠を封筒に入れる等してから,午後零時前に,自宅を出て,購入した弁当を駐車場に駐車した車両内で食べた後,駅前の百貨店に電話を掛けて営業中であることを確認する等し,また,JR下関駅東口のガラス戸を通過してコンコース内に進入するのに適しているのはマツダファミリアのハッチバックであると考えて,JR下関駅前のレンタカー会社営業所に電話を掛けて当該車種を当日使用できることを確かめた上,午後1時15分ころ,上記営業所に赴いてマツダファミリアのハッチバックを借り受け,運転に慣れるため,山口県下関市内を上記レンタカーを運転して走行を続けた。そして,被告人は,無差別大量殺人を実行するには,人通りが増える午後4時30分ころから5時30分ころに決行するのがよいとは考えたものの,気持ちの高ぶりを押さえることができず,午後4時15分ころには,JR下関駅前に到着し,付近を走行して様子をうかがう等してから,犯行を決行することにして,JR下関駅東口の東方約300メートルの路上において,タオルに包んだ包丁を取り出して助手席下に置き,上記睡眠薬を服用した上,JR下関駅前に向け運転を開始した。
8 被告人は,午後4時25分ころ,JR下関駅東口前歩道付近に多数の歩行者がいたことから,上記歩行者らを殺害すべく,時速約20キロメートルから30キロメートルに加速しながら,歩道上を歩行中のI(当時41歳),J(当時41歳),K(当時16歳),L(当時60歳)に対し,背後から次々と運転車両を衝突させて,原判示の各傷害を負わせたものの,殺害するには至らなかった。続いて,左にハンドルを切って,上記歩道からJR下関駅東口入口のガラス戸に自車を衝突させながら,運転車両を駅構内のコンコース内に進入させ,同所を歩行中のM(当時58歳),N(当時80歳)の2名に対し,背後から運転車両を衝突させて転倒させた上,その身体を轢過して,両名を殺害したほか,歩行中のO(当時50歳)に対し,背後から運転車両を衝突させて,原判示の傷害を負わせたものの,殺害するには至らなかった。そうするうち,コンコース内から歩行者が逃げ出してしまい,殺害すべき対象者が見当たらなくなったため,運転車両を停車させて降車し,上記包丁を右手に順手に持ちながら,改札口を通過して,6,7番線ホームに通じる階段の途中で,下りてくるP(当時50歳)に切りつけて,原判示の傷害を負わせたものの,殺害するには至らず,さらに,同ホーム上に移動して,Q(当時15歳),R(当時55歳),S(当時74歳),T(当時68歳)に次々と切りつける等して,原判示の各傷害を負わせたものの,殺害するには至らず,また,U(当時79歳)の左胸部を,V(当時43歳)の背部を,W(当時69歳)の右側胸部を次々と突き刺す等して,上記3名を殺害した後,駆けつけた警察官らに取り押さえられて,殺人未遂の現行犯人として逮捕された。
第2 被告人の治療経過等
1 B院
 被告人は,昭和62年初めころ,上記B院院長のX医師に対し,「他人の視線が気になって仕方がない。人前に出たり,人と一緒にいるのが嫌。病院に行ったり,カウンセリングを受けたが,治らない。B院に入院したい。」との手紙を出したところ,同医師から,「入院して治療を受けた方がいい。」との手紙を受け取り,昭和63年2月8日から同年5月7日までの間,B院に入院して同医師の治療を受けた。X医師は,被告人の主要な症状として,大勢の人がいると人の視線が気になる,自分の視線が人におかしく思われるのではないかと気になる,人と接したくないといった視線恐怖,対人恐怖が認められ,これらは関係念慮,具体的には,思い込みが激しく,ひがみ根性が強い状態に起因しており,被告人の病名を強迫神経症(視線恐怖,対人恐怖)と診断し,いわゆる森田療法による治療のほか,抗精神病薬(インプロメン),抗うつ薬(アビリット)等の投薬治療を行った。なお,被告人からはうつ状態であるとの訴えがあったが,X医師は,うつ病の症状は全くなかったと診断しており,また,当時の症状を前提とすると,統合失調症(精神分裂病)等のいわゆる精神病等の存在は否定され,被告人には是非善悪の判断能力やそれに従って行動する能力に問題はないと判定している。そして,被告人は,対人恐怖等の症状は改善されなかったが,自ら退院を申し出たところ,生活の変化があれば気分も変わり,良い方向に働くかもしれないということで,X医師の許可を受けて,同年5月8日に退院した。さらに,上記入院期間中,被告人は,X医師の指導を受け,日記を作成しているが,その昭和63年3月4日の欄に,「今日はX先生に関係念慮が強いと言われ,その後そのことが頭から離れなかった。例えば,作業室で日記を5人くらいで書いていると,周りの人が動いたり,音を立てたりする(ドアの音やせき払い)のが,自分への当て付けのように思えた。そして,そのまま殺されるのではないかと,恐怖におびえた。(誰も話をせず,シーンとしていたから,関係念慮が強くなる。)そして,『おやすみ』と声を掛けると,みんなも『おやすみ』と声を掛けた。確かに,周りの人が僕をどうこうするということはないとは思いますが,それでもいざ人のいるところへ行くと,関係念慮が強く出てくるので,もうこのまま死んだ方がよいと思った。」,「今まで大学生活の中での関係念慮」として,「1 バイクで走っていると,周りの車が邪魔だ,のけ,生意気だ,と思っているように感じる。2 街で歩いていると,すれ違う人や周りの人が僕のことを不快に思い,僕を袋だたきにするんじゃないかと感じる。3 車にクラクションを鳴らされると,自分への当て付けと思う。4 駅のホームに立っていると,誰かに突き落とされるのではないかと感じる。5 とにかく,すべての人が僕のことを不快に思い,僕をいじめる機会を狙っているように感ずる。6 いつか,誰かに殺されるのではないかと思い,どうせ殺されるのなら,他の人を殺そうかと思う。7 とにかく,世の中すべての人が信じられず,僕に当て付け,仲間はずれにしているように思い,こうなったら,銀行強盗か大量殺人でもやるしかないと思う。(自殺は怖くてできないし,どうせ死ぬのなら,大勢を犠牲にしたいと思う。)」旨記載し,X医師からは,「『関係念慮』は,一般的な言葉で言えば,『ひがみ根性』です。」旨の記載による返答を受けた。
2 C病院
 被告人は,昭和63年5月ころから,上記C病院に通院して治療を受けたが,症状が軽減した平成3年ころから平成5年2月7日までは通院しなかった。しかし,その後は,再び対人恐怖や視線恐怖の症状が悪化して,平成5年2月8日及び同月15日,Y医師の診察を受け,同月8日には,「自分は限界である。発狂しそうである。」等と訴えて,うつ病,神経症と診断された上,抗精神病薬インプロメン等の投薬治療を受け,同月15日には,「気分が落ち込む。被害妄想,強迫観念がある。」と訴えるとともに,そわそわ感が強いため,抗精神病薬インプロメン等の投薬治療等を受けた。同月22日から同年4月28日までの間は,合計14回にわたって,Z医師,a医師の診察を受け,「気分が落ち込んだ。」,「自殺する悪夢を見る。」等と訴え,従前と同様の治療を受けていたが,同年3月2日の診察の際には,統合失調症(精神分裂病)との診断を受けている。さらに,同年5月7日以降,b医師の診察を受けるようになり,同年中はほぼ月に4回(7月は5回,9月は3回),平成6年中はほぼ月に2回(4月と11月は各3回),平成7年中はほぼ月に2回(10月は5回,3月,4月,7月,11月は各3回),平成8年中はほぼ月に2回(4月,7月,12月は各3回,6月は1回),平成9年中はほぼ月に2回(7月は3回,12月は零回),平成10年1月ないし3月は月に2回の診察を受けており,最終の通院は同年3月13日であった。上記統合失調症(精神分裂病)との病名については,平成5年7月2日にうつ病と診断が変更されているが,b医師は,正確には神経症性うつ病あるいは抑うつ神経症というべきであり,その根拠として,被告人には,「人とうまく接することができず,他人から見られるのが嫌だ。他人にどう思われているのか気になる。」等という対人恐怖症の症状や,「サングラスをかけないと外へ出られない。」という視線恐怖症の症状があり,これらは神経症の症状と理解することができる上,「何もやる気がしない。」,「散歩に行くのが嫌だ。」,「鏡に自分の姿が映るのが嫌だ。」,「外に出られず自宅にこもる。」などのうつ症状があるほか,いらいらした感情を訴えており,これがうつの症状である不安焦燥感からきていると判断されることから,神経症性うつ病と診断した一方では,自分が社会でうまくやっていけないのは,両親の育て方が悪かったからだとか,友人や職場の人などの周囲の者のせいだ等とする被告人の訴えは,神経症やうつの症状とは異なっており,被告人のゆがんだ性格に基づくものであると診断している。また,b医師は,被告人には幻覚,幻聴はなく,被害妄想や強迫思考も認められず,自殺したいという訴えもなく,診察していた間も症状の悪化はなかったし,当時の症状を前提とすると,被告人には是非善悪の判断能力やそれに従って行動する能力に問題とすべき点はないと指摘している。また,その間に被告人は,抗精神薬(セレネース,ドグマチール,ミラドール,インプロメン,ヒルナミン,バルネチール,クレミン,コントミン,メレリル,ニューレプチル),抗不安薬(デパス,セパゾン,コントール,リーゼ),抗うつ薬(テシプール,アナフラニール),睡眠薬(エバミール,レンドルミン)等の投薬治療を受けていた。なお,上記治療期間中の被告人の診療録によると,既述のほかに,平成5年2月22日の欄に,「今週気分が落ち込んだ,親に泣きついた日が1日あった。うつ状態。不安感。新しい住居や通勤に関してなじめるかどうか。」,同月26日の欄に,「やる気が少し出てきた。3月1日から仕事を始める。」,同年3月2日の欄に,「自殺をしたくなる。不安できつい。これから生きて行けないのでは,廃人のような生活になるのでは。24歳時に自殺を試みたことがある。何もしたくない。ぼうっとしている。食事,風呂,顔洗いたくない。着替えもしたくない。外へ出たくない。夜,自殺したくて,眠れないときがある。生きていても,何もしたくないから,死にたい。」,同月16日の欄に,「昨日から仕事に行っている。仕事はきつくない。今日の朝,将来のことが不安になった。」,同月19日の欄に,「仕事中に,四,五回死にたくなったり,彼女と駄目になるのではと不安になる。」,同月26日の欄に,「仕事は続けている。結婚のことが一番気にかかる。今日は昼で仕事をやめた。所長を殴りたくなった。」,同年4月9日の欄に,「朝いらいらする。まとまりのない話をすることがなくなった。夢(悪夢,自殺する夢)を見る。幻聴マイナス,妄想マイナス。」,同月28日の欄に,「頭がぼうっとすることもない。いらいら少なくなってきた。食欲良好。」,同年5月7日の欄に,「前よりやる気少し出てきた。睡眠食欲良好。」,同月26日の欄に,「今日会社で具合が悪く,帰って来た。気分が落ち込み,仕事をするのがきつい。震えるように仕事してたら,所長から怒られ,治るのに3年くらいかかるだろうと言われた。不安は結婚のこと。」,同年6月5日の欄に,「所長に仕事の能率が悪いので,仕事を変えるように,入院して治して来いなどと言われた。昨日は仕事を休み,1日中寝ていた。」,同月18日の欄に,「少しずつ元気が出てきているような気がする。」,同年7月23日の欄に,「ちょっと落ち込んでいる。家でじっとしているのに耐え切れなくなった。外に出るのは怖い。」,同年8月4日の欄に,「やる気少し出てきた。」,同年9月8日の欄に,「旅行から帰る。仕事がないので,気分的に落ち込んでいる。」,同月17日の欄に,「元気そうに入ってくる。自分では苦しい。収入がない。仕事がない。」,同月24日の欄に,「博多駅に行ったが,落ち着かない。早く帰りたい。人に見られるのが嫌。自分に自信がないのか,おかしいでのはと思われるのではと考える。」,同年10月22日の欄に,「10月10日の披露宴は何とかうまくいった。3日ほど仕事をしていた。思うようにはかどった。」,同月29日の欄に,「対人のことでしんどい。」,同年11月26日の欄に,「前の会社から仕事が入りそう。別の会社にも面接に行ったが,やっぱり緊張した。」,同年12月3日の欄に,「昼,ごろごろ寝てる。元気なときに比べておっくうになった。」,同月10日の欄に,「仕事は駄目になったみたい。」,同月17日の欄に,「仕事での緊張はあまりなかった。順調。」,平成6年1月21日の欄に,「仕事は1月10日に行った。あとは家でしていた。まだ本調子ではない。」,同年2月4日の欄に,「人との接触が苦になる。」,同月18日の欄に,「仕事がまたなくなった。少しは悪いことを考える。」,同年3月5日の欄に,「今週は調子が悪かった。遠くに行ったので,ちょっとおかしくなった。症状が出てきた。自分がいら立っているのが,人に移っていくような感じ。」,同月19日の欄に,「少し気分的には落ち着いてきた。」,同年4月1日の欄に,「妻と3月27日に温泉に行った。帰りに症状が少し出て,苦しかった。」,同月13日の欄に,「仕事は半月くらいしている。隣でマンションを建てているので,その音が気になる。工事をやってる人に対して頭に来る。そのいら立ちが周りの人に移っていくような感じ。明日から妻と旅行。実家にも泊まる予定。」,同年5月13日の欄に,「初対面の人と話をして,緊張してとんちんかんなことを言ってしまった。」,同月28日の欄に,「10日ほど仕事をした。症状があまりない。近所の人が気になる。上の階の人がうるさい。どう思われているのだろうか。」,同年6月10日の欄に,「営業の仕事,2日ほど博多駅の方回った。思ったほど,緊張しなかった。」,同月24日の欄に,「最近は落ち着かなくて,いらいらする。仕事がなくて,食っていけない。」,同年7月23日の欄に,「仕事場は2人だけなので大丈夫。」,同年8月6日の欄に,「仕事が安定していないので,落ち着かない。」,同月19日と同年9月2日の欄に,「仕事が全然ない。家にずっといる。」,同月16日の欄に,「12日から15日まで仕事があった。忙しかった。」,同年10月8日の欄に,「ずっと仕事をしていた。もう17日間。1日休んだだけ。薬も飲み忘れたのか,残っていたのを飲んでいた。症状はほとんどなかった。」,同月21日の欄に,「14日まで仕事。この後は仕事がない。ぶらぶらしている。先行き不安で,寝込んでしまうような感じ。」,同年11月4日の欄に,「仕事がなくて,営業しなければいけない。まだ行けなくて,じっとしている。先行き不安。」,同月18日の欄に,「営業はまだしていない。」,同月30日の欄に,「昨日から調子が悪い。前におかしくなったときのように,前兆が訪れた。発狂しそうになって,とんでもない行動をとりたいような感じ。ストレスがかかっていた。」,同年12月17日の欄に,「今週は仕事をしていた。」,平成7年1月14日の欄に,「1月9日から仕事が入って,前の事務所に一,二か月通うことになった。」,同年2月3日の欄に,「変わりなくうまくやっている。何とか仕事が続く。緊張はあるが,それが人に移っていくという感覚はない。」,同年3月4日の欄に,「仕事,ペースは良い。妻と喧嘩,これが尾を引く。所長ともうまくいかない。」,同年4月1日の欄に,「仕事で疲れる。忙しかった。人に対して敵意を抱いているので,自分が他人に対し敵意を持っている。他人も自分と同じであることにより,他人も自分に敵意を持っている。他人がいらいらしているのを見たり感じたりすると,それは自分への攻撃だと思ってしまう。」,同月15日の欄に,「仕事はあまり変わらない。やっぱり苦しい。敵意はやっぱりある。」,同年5月6日の欄に,「落ち着きがない。周りをきょろきょろしてしまい,人の方が気になる。被害妄想というか。」,同月20日の欄に,「今週は仕事忙しくて,今までやったことのない仕事内容で不安。所長に聞いても,怒ったり,要領得ず,聞くのが嫌になる。」,同年6月17日の欄に,「6月14日,i学院というところへ行って,2年前のことを思い出して,文句を言って,暴れた。いらいらして,30分くらい言うことを言って,謝ってもらい,整理がついた。その後,そのことに対して自己嫌悪。人がみんな敵という感じがして,人から石を投げられるのでは,ピストルで撃たれるのではと,恐ろしい感じがある。」,同年7月15日の欄に,「ストレスたまり,おかしくなった。今日は大丈夫。」,同年8月10日の欄に,「調子は特に変わりない。仕事は暇。」,同年9月9日の欄に,「4人で仕事をしている。人とのやりとりが嫌い。行くのは慣れた。」,同年10月23日の欄に,「10月20日に所長と喧嘩。朝から辞めるつもりで行った。少しは区切りが付き,さっぱりしたところもある。」,同月31日の欄に,「10月20日に人間関係で仕事を辞めた。12月か1月に妻とインドへ旅行することになっている。」,同年11月8日の欄に,「今のところ行くつもりはない。占星術,ホロスコープを勉強している。」,同月15日の欄に,「11月14日からj設計に行くことになった。今のところ大丈夫,いらいらするような症状は出ていない。」,同年12月16日の欄に,「j設計の仕事まだ行っている。両親のしつけが悪かった,教育が悪かった。」,平成8年1月10日の欄に,「今までは父にやりこめられていたが,今日は対等に戦えた。就職のことでプレッシャー。」,同年3月22日の欄に,「刑務所に入ることを考えてしまう。社会が敵という考え方をしてしまう。」,同年4月19日の欄に,「近所で路上駐車の車約20台のパンク事件あり。自分のせいではと考える。自分が近所の工場の人に冷たい態度をとったからではと考える。」,同年5月7日の欄には,父からの話として,「5月2日に帰宅したが,表情も態度も良い。3,4月には,電話してもくどく,4月には喧嘩になることが多かった。喧嘩のときは,たたき殺す,縁を切る,二度と会わないと言う。感情の起伏が激しく,情緒不安定。」,同年6月14日の欄に,「不安が来る。いらいらする。車に乗ると,違反とかしてしまう。」,同年8月23日の欄には,「反社会的な考え,何とか踏みとどまっています。」,同年9月20日の欄に,「天神へ派遣仕事の登録に行った。ものすごく人に対して警戒してしまう。上の部屋や,隣の部屋の人が騒いでいると,自分が原因のように考えてしまう。ドアを強く閉める人がいると,自分への当て付けのように考えてしまう。」,同年10月18日の欄に,「意味のない不安が出てくる。睡眠,食欲良好。」,同年11月6日の欄に,「仕事が決まった。所長と二人きりで接しやすい。」,同年12月16日の欄に,「最近になって,自分がおかしいのではと考え始めた。」,平成9年1月29日の欄に,「サングラスをかけている。車に乗っていて,クラクションとか鳴らされることが多くなったので,怖く見せようと思い,かけている。」,同年2月26日の欄に,「2月21日にもう仕事ができなくなった。私の精神状態の限界で,2週間休みをもらった。」,同年3月25日の欄に,「仕事は13日と18日だけ行った。」,同年4月22日の欄に,「あれから2回くらいしか仕事に行っていない。」,同年5月20日の欄に,「この2週間は仕事なく,ほとんど家からも出ない。眠れない。食欲はある。」,同年6月17日の欄に,「いらいらやいらいらが他人に移って行く感じはかなり少なくなってきている。」,同年7月15日の欄に,「妻と共に考えた,ニュージーランドに住みたい。」,同月29日の欄に,「マンションの外装工事が始まり,うるさいし,気をつかう。それでおかしくなっている。」,同年8月13日の欄に,「工事の人とトラブルあり。」,同年9月16日の欄に,「サングラスをかけないと外に出られない。かけてないと爆発しそうになる。」,同年10月16日の欄に,「外へ出るにはサングラスが必要。恐ろしくて,外へは出られない。周りの人が,自分に対し,何かしてくるのではないかと,見られているような感じ。僕がいるだけで,周りの人がいらいらしたり,嫌な思いをするのではという思い込みもある。」,同年11月28日の欄に,「(被告人からの電話として)車に乗るのが怖くなった。車に乗らずに通院できる病院に変わろうと思う。」,平成10年1月7日の欄に,「4月に実家に帰る。ニュージーランドに行く予定。サングラスはかけていない。」,同年2月10日の欄に,「変わりない。2月8日に山口へ帰った。」旨の記載が見受けられる。
3 G病院
 被告人は,実家に戻ってから,平成10年3月24日,上記G病院に赴いて,c医師の診察を受け,自分は視線恐怖とうつ病であって,「気分が落ち込んで何もする気がなくて,風呂に入るのもおっくうで,散髪も面倒で自分で髪を切る。ドアの音や電話の音等騒音がするとものすごくいらいらする。人としゃべるときテンションが上がり,思うようにしゃべれない。電話だと特にまともに会話ができない。今の薬はもうひとつ合っていない時期があったが,今は合っている。睡眠,食欲は普通。人に見られると緊張する。自分が見ると人が嫌がって逃げていく。ドアをどんと閉められると嫌がらせをされている気がする。人に会うこと自体が嫌で,人の気配がしただけでいらいらする。」等と訴えて,病名としては人格障害であると診断された上,睡眠薬ロヒプノール等の投薬治療を受けている。そして,同年4月7日以降,d医師の診察を受けるようになり,同年中はほぼ月に2回(9月は4回,5月,10月は各3回,12月は1回),平成11年中はほぼ月に2回(9月は3回,8月は1回,7月は零回)の診察を受けており,最終の通院は同年9月28日であった。d医師は,被告人には,持続的で広範な緊張と心配の感情が認められ,対人関係を恐れて,重要な対人的接触を伴う社会的あるいは職業的活動を回避しているほか,周囲が思いどおりにならないと,不安になったりいらいらするという強迫的性格があるが,幻聴や幻覚はなく,統合失調症(精神分裂病)にいう妄想の存在,例えば,全人類が自分を迫害している等という妄想の存在もなかったこと等から,いわゆる精神病の疑いはなく,人格が極端に偏っている疾患状態である人格障害であると病名を診断している。また,d医師は,本件犯行の前日に単独で来院した被告人を診察しているが,その診察時の状態から考えると,被告人には是非善悪の判断能力やそれに従って行動する能力があったと判定している。なお,被告人に対して処方された薬物は,抗精神薬(ドグマチール,コントミン),抗不安薬(ソラナックス,レキソタン),睡眠薬(ロヒプノール)等であった。なお,その間の診療録によると,平成10年4月7日の欄に,「音に敏感すぎることは軽くなった,薬の副作用はない。よく眠れる。仕事がうまく行かなかった。ワイフとうまく行かなくなった。」,同月21日の欄に,「あまり変化なく安定。音は気になる。昼夜のリズムはできていた。外出は買い物,畑仕事。」,同年5月12日の欄に,「ワイフが荷物をこちらに持ってきた。自分は親が悪かったと思っている。そう考えてしまう。母親にはもっとかまって欲しかった。」,同月26日の欄に,「家の仕事をしていて大工が出入りし,大きな音を立てる。車の音がうるさい。我慢して,関係ないところで大声が出るのと同じパターン。」,同年6月9日の欄に,「大工の棟梁が苦手,独り言を言ってしまう。」,同月23日の欄に,「畑仕事多少した。農業ならやってみたいと思ったが,独りでは事業するのはきつい。自信が戻らない,決定できない。」,同年7月21日の欄に,「生理的に両親と合わない。両親に性格を変えて欲しい。やかましい,黙れと怒鳴って,母親をたたいたりけったりする。」,同年9月1日の欄に,「母親と喧嘩した。たたきはしないで,ふりをした。子供の人権を無視する。」,同月8日の欄に,「母親の態度が気にくわない。腹が立つ。」,同月29日の欄に,「軽荷物の求人があった。ワイフが帰るまで,仕事よりも人間をみがこうと思っている。」,同年10月27日の欄に,「囲碁をしていて,意見が合わず,喧嘩してドアをけって壊す。」,同年11月10日の欄に,「両親に対し死ぬまで許せないと言う。祖母をショートステイで預けたが,そのことを聞いていなかった。」,同年12月22日の欄に,「母親と話がかみ合わない。年明けから独立開業という形になる。軽運送の関係で1月から。」,平成11年1月12日の欄に,「年末年始は調子が悪い。親も悪い。自分もいらいらする。親に暴力を振るう。宅配便の仕事は8日に決まる予定。夜は,母親に,たたき殺す,なっていないと奇声を発した。」,同年2月9日の欄に,「特に暴力はない。」,同年3月9日の欄に,「2月25日から仕事。仕事中は,やらなきゃいけないと必死。」,その後は,概ね変化なしが続いて,同年7月6日の欄に,「仕事に行くようになって,だんだん朝機嫌が悪い。暴言を吐き,母を小突く。ばか,死ねという。ワイフは,6月22日ころから五,六泊して,久留米で家族会議の予定。7月2日にアメリカに行く。期間は分からない。」,同月27日の欄に,「家の者にはあいさつしない。母親を小突いた。ふすまをけって破った。家の中では王様になっている。」,同年8月19日の欄に,「対人関係はできるだけしたくない。」,同年9月2日の欄に,「いらいらは多少あるが,原因はある。家ではあまり口をきかない。睡眠良好。」,同月14日の欄に,「仕事は普通に戻っている。仕事をしていて,工事が多くて,通れる道が通れないか,待たされる。」,同月28日の欄に,「台風の被害はなかった。」旨の記載があるほか,被告人の行動等を観察した結果として,歩行はしっかりして,社会人らしい立ち居振る舞いがあり,表情もおだやかになっている旨の記載がある。
第3 被告人の本件犯行時の精神状態に関する鑑定
 被告人の本件犯行時の精神状態に関しては,捜査段階におけるe医師の簡易鑑定,原審におけるf医師及びg医師の各鑑定,当審におけるh医師の鑑定がある。
1 e医師の鑑定要旨
 被告人には,統合失調症(精神分裂病)の徴候はなく,対人恐怖が幼時から顕著であり,大学生,社会人と長じるにつれて回避性を強め,内気に閉じこもり,対人恐怖が高じて,自分を取り巻く周囲全般への邪推,不信感を募らせ,先鋭化していったもので,回避性,妄想性人格障害にすぎず,刑事責任能力に影響を及ぼすものはない。なお,被告人は,「人類から迫害される」という被害妄想の存在を弁解するが,広範で根深い対人恐怖と対人不信についての高度のつらさの高等な表現であって,本件犯行自体は,実生活上の行き詰まりから,自暴自棄となって,自殺の道連れに社会への復しゅうを企図するという社会に及ぼす影響を目的とする確信的犯行であると考えられる。
2 f医師の鑑定要旨
 いわゆるDSM診断を被告人について行うと,第Ⅰ軸(精神疾患)妄想性障害(被害型),第Ⅱ軸(人格障害)回避性,妄想性人格障害と診断される。すなわち,被告人は,青年期に対人恐怖,視線恐怖が発症し,他人の視線等に過敏となり,自分を嫌がる等の敏感性の関係妄想を抱き始め,平成5年ころまでには,「人類全体に迫害されている」等の被害妄想に発展し,この妄想が1か月以上持続して犯行に至っていること等に照らすと,上記妄想性障害の診断基準を満たしている。さらに,いわゆる伝統的診断によると,「内的原因から発生し,思考,意思,行動の秩序と明晰さが完全に保たれたまま徐々に発展する,持続的で揺るぎのない妄想体系」を特徴とするパラノイア(対人恐怖症パラノイア)と診断される。すなわち,対人恐怖症という神経症から発展して,そううつ病的な気分の波や,迫害妄想,関係妄想等の統合失調症(精神分裂病)的な症状が認められるに至るという経緯が,被告人の病歴ともよく合致している上,心理検査の結果によっても,迫害的,被害的,敵対的で不安と恐怖に満ちており,対人恐怖が人間憎悪による人類の滅亡を望むという段階に達していること等が裏付けられており,このような諸点にかんがみると,対人恐怖症パラノイアに該当する。なお,DSM診断によると,統合失調症(精神分裂病)の疑いもあるが,確実な診断根拠を示すことはできず,本件犯行時の睡眠薬の大量服用の影響による深い意識障害も否定される。したがって,被告人は,本件犯行当時,妄想性障害(パラノイア)に罹患していたこと,本件犯行の動機は,人類全般を敵とみなして無差別大量殺人を行うという,パラノイアによる被害妄想に基づくものであって,合理的,了解可能なものではないこと,本件犯行の態様も,異常かつ了解困難であること,被告人には脳波異常のほか,てんかんの遺伝的要因が認められること,抗うつ薬や抗不安薬の常用の結果,衝動性,攻撃性の抑制能力の低下という特異な事情も加わっていること等を総合すると,被告人について,完全責任能力を肯定することはできない。もっとも,本件犯行の計画性,本件犯行の合理的遂行等の諸点を考慮すると,責任能力を完全に否定することはできず,いわゆる限定責任能力と考えるべきである。
3 g医師の鑑定要旨
 被告人の精神状態は,大学卒業前ころから発症した対人恐怖,視線恐怖を中心とした神経症状態から始まり,執着性,敏感性,依存,攻撃,自己中心的,自己愛的,易怒性等の人格的偏りを背景に,不安,抑うつ,焦燥,無気力,無為,敏感,関係念慮,被害念慮,易怒性等が前景に出る状態が繰り返され,通院治療を受けて,本件犯行前はある程度の落ち着きを示していたが,妻との離婚等に加えて,借金で購入した軽貨物運送業に使用していた自動車が冠水して使用できなくなり,助けを求めた両親から全ての援助依頼を断られたことから,社会に対する復しゅうという形で,両親に対する復しゅうを行うとともに,自らも命を絶って復しゅうしようと決意したものの,一方では最後まで両親からの救いを待つ気持ちも残り,ついには本件犯行に及んだものである。そうすると,被告人の精神状態は,妄想性障害とか統合失調症(精神分裂病)圏内のものというより,特異な性格的偏りが基盤となるうつ病圏内のもの,言い換えれば,人格障害が背景にある反応性うつ状態や神経症性うつ病と考えられる。なお,睡眠薬を120錠も服用したとは考え難いものの,睡眠薬の服用が,被告人をもうろう状態とかせん妄状態に陥らせたとは認められない。したがって,被告人は,本件犯行当時,是非善悪を弁識し,それに従って行動する能力が著しく限定されていたともいえない。
4 h医師の鑑定要旨
 被告人は,少なくとも大学卒業前から,視線恐怖症を主症状とする対人恐怖症に罹患しており,自分の視線が原因で他人が嫌がる,避けるといった自分に関係付けて被害的に意味付けする被害関係念慮を伴っていたが,平成10年3月に実家に戻ってからは,病状も落ち着き,対人恐怖や関係念慮はほとんどないか,著しく軽快していた。また,統合失調症(精神分裂病)に関しては,思考の障害がなく,了解できない奇異な妄想や妄想の拡散が見られず,幻聴,幻覚が認められないことから,その罹患の可能性は否定される。さらに,妄想性障害(パラノイア)に関しては,妄想が治療等によって消長しており,確固とした妄想体系を形成しているとはいえないから,これに該当しない。なお,本件犯行時に,抑うつ状態を呈していなかった。そして,被告人の人格には偏りがあり,回避性人格障害,受動ー攻撃性人格障害等と重なる。ところで,被告人は,被害関係念慮が本件犯行に影響を及ぼした旨強調するが,本件犯行に結び付くものではないし,本件犯行前には,被害関係念慮が著しく軽減していたのであるから,さしたる影響があったともいえない。そうすると,対人関係が苦手な性格,設計事務所経営の失敗,軽貨物運送業の破綻,妻との離婚状態,両親の非協力等が重なって,自殺を企図したものの,ただで死ぬのはしゃくなので,本件犯行に及んだというものであるから,被害関係念慮を伴う対人恐怖に直接影響されたものではなく,副次的なものである。したがって,被告人は,本件犯行当時,対人恐怖症に罹患してはいたが,是非善悪を弁識し,それに従って行動する能力が著しく減退した状態にあったともいえない。
第4 当裁判所の判断
1 妄想性障害(パラノイア)以外の精神疾患等について
 被告人が,統合失調症(精神分裂病)に罹患していないことは,f医師以外の各鑑定人及び被告人の治療に当たってきた各医師が一致して指摘している。なお,平成5年3月2日,C病院での診断の際,統合失調症(精神分裂病)の診断がされたことがあるが,当時は精神科が専門ではない医師が診察に当たった形跡があることや,その後,精神科担当の医師によって,病名の変更が行われていること等を考慮すると,そのような診断名の存在を重視すべきでないことは明らかである。そして,f医師は,被告人が統合失調症(精神分裂病)に罹患している疑いは高いものの,これを確実に診断する根拠はないとして,統合失調症(精神分裂病)の診断を保留する旨鑑定しているが,他方では,被告人が供述する幻聴,幻視については,その真実性に疑問がある,自分の考えが周囲に知られるという「考想察知」の体験も被告人が供述するが,対人恐怖心性の中の迫害妄想の延長と考えられ,知的属性に乏しく,奇異な妄想とはいえない,被告人には「解体した会話」,すなわち思路弛緩や支離滅裂の症状がなく,思考障害が認められない,被告人には最近では緊張病性の症状がない,感情の平板化があると断定するにはためらいがある,意欲障害が高度ともいえないこと等を指摘しており,否定的要因が多々存在していることを認めているのであるから,他の医師の上記判断を左右するようなものではないということができる。
 次に,うつ病罹患の有無についても,平成5年7月2日,C病院での診断の際,うつ病との診断がされているが,担当医師の供述によると,正確には,神経症性うつ病あるいは抑うつ神経症であるというのであるから,本来のうつ病という趣旨の診断ではないことが明らかであるし,g医師の鑑定内容も,うつ病圏内のもの等と指摘するのであるが,その内容は本来のうつ病との趣旨ではないことが明らかであり,他の鑑定人や担当医師も一致してうつ病の可能性を否定している。
 また,犯行前の睡眠薬の服用についても,これ自体が責任能力に影響を及ぼすようなものでないことでは,鑑定人の間でも一致した意見である。
 その他,妄想性障害(パラノイア)以外の理由により,被告人の責任能力が否定されたり,限定されることがないことも,鑑定人の間では一致している。
2 妄想性障害(パラノイア)の有無について
 そこで,f医師が指摘する妄想性障害(パラノイア)の有無について,検討する。
(1) f医師の鑑定要旨は,既述のとおりであるが,これを更に詳細に述べると,以下のとおりである。
① いわゆるDSM診断によると,第Ⅰ軸(精神疾患)妄想性障害(被害型),第Ⅱ軸(人格障害)回避性,妄想性人格障害,第Ⅲ軸(一般身体疾患)糖尿病,第Ⅳ軸(心理社会的等)中等度の不適応(定職維持が困難な状況,対人関係の困難)となるところ,妄想性障害の診断基準は,(ア)奇異でない妄想が少なくとも1か月間持続,(イ)統合失調症(精神分裂病)の特徴的症状である妄想,幻覚,解体した会話,ひどく解体したまたは緊張病性の行動,陰性症状,すなわち,感情の平板化,思考の貧困又は意欲の欠如のうち,2つ以上が1か月間存在したことがない,(ウ)妄想又はその発展の直接的影響以外に,機能は著しく障害されておらず,行動にも目立った風変わりさや奇妙さはない,(エ)気分エピソードが妄想と同時に生じていたとしても,その持続
期間の合計は妄想の持続期間と比べて短い,(オ)その障害は物質や一般身体疾患による直接的な生理作用によるものではない,というものである。
 まず,被告人の妄想性障害は,「人類全体が自分を迫害している」と要約できる「被害型」と判定される。
 そして,被告人は,青年期に発症した対人恐怖,視線恐怖等から,他人の視線や自分を見る気持ち等に過敏になり,自分を嫌がっている,噂している,意地悪する等の敏感性の関係妄想を抱くようになり,それが遅くとも平成5年ころまでには「他人に襲われる」,「人類全体に迫害されている」等の被害妄想に発展しており,この被害妄想は,確固とした,強い主観的観念であり,かつ,説得や事実の告知による訂正が不能である上,この妄想が1か月以上持続して,本件犯行に至っていること等から,(ア)の基準を満たしている。また,(イ)については,統合失調症(精神分裂病)の特徴的症状を示しているとまで断定できないことから,基準を満たしている。次に,(ウ)については,被告人は,その学歴に比して,宅配便配達人という極めて単純な労働に
従事しており,これは社会的機能低下というべきで,原因が対人恐怖,被害妄想等の症状であって,それ以外の社会生活の障害はなく,最低限の社会生活を送っていたから,基準を満たしている。さらに,(エ)については,うつ状態でない期間にも対人恐怖や被害妄想があったから,これも基準を満たしている。最後に,(オ)については,薬物濫用や身体疾患が妄想の原因とはいえないから,基準を満たしており,したがって,妄想性障害に該当することが明らかである。
② いわゆる伝統的診断によると,「パラノイアとは,内的原因から発生し,思考,意思,行動の秩序と明晰さが完全に保たれたまま,徐々に発展する,持続的で揺るぎのない妄想体系である」と定義されており,これを前提とすると,被告人はパラノイアと診断される。
 精神病理学者内沼幸雄の研究によると,対人恐怖症の中核的患者は,恥(赤面恐怖),罪(表情恐怖),善悪の彼岸(迫害妄想)という段階をたどって,「対人恐怖性パラノイア」と称すべき妄想形成に至るといい,すなわち,最初は対人恐怖症という神経症レベルの症状に始まりながら,最後の段階では,自我感情の高揚と低下,多幸感と絶望感等のそううつ病的な気分の波が見られたり,迫害妄想,関係妄想等の統合失調症(精神分裂病)的な症状が見られる等,二大精神病両方の症状を示すとされている。また,パラノイアは,神経症,心因反応,統合失調症(精神分裂病),そううつ病等,多彩な精神疾患にその境界を接する複雑,多面的な病気である。そして,被告人の病歴に照らすと,上記対人恐怖性パラノイアの経過と一致している。
③ このように,被告人はパラノイアに罹患していたところ,被告人の母系のてんかんやうつ病の発現率の高さからうかがわれる遺伝負因の濃厚さ,被告人の脳波の異常所見を併せると,そううつ病,てんかん,非定型精神病等の内因性プロセスの関与,さらに,抗うつ薬,抗不安薬常用による衝動性,攻撃性の抑制能力の低下という生物学的要因の存在に加えて,本件犯行の動機,態様が異常かつ了解困難であることを総合すると,是非善悪の弁識能力及びこれに従って行動を制御する能力が著しく減退していたと考えるべきである。
(2) しかしながら,f医師の上記鑑定については,次の理由により,採用することができない。
 被告人が,大学卒業前から,対人恐怖,視線恐怖の症状を呈していたことは明らかであるが,B院入院当時の日記の中に,「とにかくすべての人が僕のことを不快に思い,僕をいじめる機会を狙っているように感じる。」,「とにかく,世の中すべての人が信じられず,僕に当て付け,仲間はずれにしているように思い,こうなったら銀行強盗か大量殺人でもやるしかないと思う。(自殺は怖くてできないし,どうせ死ぬのなら大勢を犠牲にしたいと思う。)」等と記載しており,一見すると,既にこの時期にf医師が指摘する妄想が発現していたと受け取ることができる表現が見受けられる。しかし,これは,対人恐怖等の症状に思い悩んだ被告人が,人間不信等の感情を抱いて,これが高じて,そのような社会に対する強い反感を表現しているとも考えられる上,何よりも,自己の病状を正確に認識して,症状を改善しようと努力していたのであるから,訂正不能な妄想を抱いていたとはいえないことが明白であるし,平成3年ころから平成5年2月7日までの間は,通院治療を受けておらず,症状が軽快して,結婚相談所に登録して,交際する女性を求める等,社会との関わりを積極的に求めていたのであるから,上記妄想概念には該当しないと考えられる。
 ところで,平成5年2月8日,対人恐怖等の症状が悪化したため,C病院への通院を再開したところ,次第に症状も落ち着き始め,その後も,各診療録の記載からも認められるとおり,居住環境の変化や職場における人間関係等の環境の変化等に応じて,精神的に不安定になったり,安定を取り戻したりしていることがうかがわれるが,そのような場合であっても,結局のところは,対人恐怖等の症状が悪化した程度であって,特に入院の措置が講じられたこともなく,また,被告人自身も自己の症状を改善しようとする態度は一貫していたと認められる。確かに,平成8年当時,「刑務所に入ることを考えてしまう。社会が敵と考えてしまう。」等と発言したことが記載されているほか,被告人の当時の雑記帳には,「今の社会に対してすごく反感がある。
政府がすぐに死ねる安楽死の薬を認めるべきである。認めなければ離婚して,窃盗を繰り返し刑務所に入ったり出たりして暮らそうと思います。それが社会への復しゅうです。でも,懲役を2年も3年も食らうようだったら,大量殺人を犯してマーダーケースブック(世界の殺人者リスト)の49号に名前を載せたいですね。最低30人は殺そうと思っています。世界中が敵だぜ。」旨記載されている。もっとも,このような発言等は,対人恐怖等に基づくものとして十分に理解することができ,被告人とは無関係な人々一般が敵意を抱いているとか,嫌がらせをしている等というものではなく,要は,被告人の思いどおりにならないことに対する不安や焦燥感から,すねて世間一般を恨む等の気持ちを抱き,うっぷん晴らしに社会への復しゅうという空想を抱いたものと理解することができるのであって,社会全体から迫害を受けているなどという妄想に基づくものとはいえない。
 さらに,本件犯行前にも,G病院に通院して,症状の軽減を図っているほか,妻との離婚や両親に対する不満から,いら立ちを強めていたことがうかがわれるものの,一方では,Eとの離婚が事実上確定したことから,新たな再婚相手を求めて結婚相談所に赴いたり,海外移住の計画を