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小説:メガネ」(2005/10/01 (土) 00:04:12) の最新版変更点

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  「世界が違う」 これは本当に言えることだ。 見えるハズのものが見えない。 切なさを感じることもしばしば。 だって、普通は見えているはずなのに、見えないのだから。 しかも利点などほぼ無く、欠点が多い。 視界が圧倒的に狭い。 スポーツが満足に出来ない。 いちいち指で上げなければならない。 見た目である程度判断される。 まだ他にもたくさんあるだろう。 かけていると、勝手なイメージで人を決められる。 内面を見ずに、固定された第一印象で決められてしまう。   「お前、メガネかけた方が似合ってるって」 そんなの、長年かけてるからそう思うだけだろう。 実際、まだ視力がよかったときは、   「お前、絶対メガネなんか似合わねえって」 とか言ってるのに、いざかけて3年くらいたつと、   「お前、メガネ外すとなんかお前じゃないよ」 って言われる。なんだよそれ。 オレはオレだ。かけてもかけなくても、オレはオレだ。   「お前ちょっとメガネ外してみて」 誰でも一回は言ったことあるだろう、又は言われたことあるだろう、この一言。 それで断る理由をつけても、大概意味無いので、いざ外すと、   「ふ~ん・・・・・・」 どうせこんな言葉しか返ってこない。結局は別にどうでもいいのだろう。 オレの周りでは、そんな周囲に嫌気がさしたのか、 次々にコンタクトレンズにかえる人が多かった。   「中学に入ったら、コンタクトにしようと思ってる」 なんで中学に上がったからって、コンタクトにする必要があるのだろうか?   「高校に入ったし、そろそろメガネはやめようかなって」 なんで高校に合格したからって、コンタクトにする必要があるのだろうか? みんな、そんなに気にしてるのだろうか? どうせ目が悪いのには変わりないのに。 確かにメガネは不便だ。それは断言できる。 コンタクトのほうが優れている、これも断言できる。 しかし、周囲の環境に流されてコンタクトにかえるのは、 なにかと自分の意思を保てなかった気がしてならない。 自分がスポーツとかやっていて、不便を感じてコンタクトにするのは 自分の意思でそうしたのだから構わない。 だが、周囲に言われるがままコンタクトにしたのならば、 自分の意思でそうしたわけではないので、気にくわない。 ある意味、自分の信念を突き通せているかどうか。 自分の強さをためされているときかもしれない。 たとえ周囲の環境に馴染めなくても、自分を通せればそれでいい。 周りにどう言われようと、自分の意思を曲げなければそれでいい。 それがいい結果であっても、悪い結果であっても、自分を保ったのだからそれでいい。 忘れられないほど後悔しても、自分が自分であったのだからそれでいい。 だから、無理して変わろうとしなくてもいいじゃないか。 「自分」は「自分」なんだから。 [[トップへ戻る>トップページ]] [[小説部屋へ戻る>小説部屋]]

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