小説:メガネ

    
  「世界が違う」
これは本当に言えることだ。
見えるハズのものが見えない。

切なさを感じることもしばしば。
だって、普通は見えているはずなのに、見えないのだから。

しかも利点などほぼ無く、欠点が多い。
視界が圧倒的に狭い。
スポーツが満足に出来ない。
いちいち指で上げなければならない。
見た目である程度判断される。
まだ他にもたくさんあるだろう。

かけていると、勝手なイメージで人を決められる。
内面を見ずに、固定された第一印象で決められてしまう。

  「お前、メガネかけた方が似合ってるって」
そんなの、長年かけてるからそう思うだけだろう。
実際、まだ視力がよかったときは、
  「お前、絶対メガネなんか似合わねえって」
とか言ってるのに、いざかけて3年くらいたつと、
  「お前、メガネ外すとなんかお前じゃないよ」
って言われる。なんだよそれ。
オレはオレだ。かけてもかけなくても、オレはオレだ。

  「お前ちょっとメガネ外してみて」
誰でも一回は言ったことあるだろう、又は言われたことあるだろう、この一言。
それで断る理由をつけても、大概意味無いので、いざ外すと、
  「ふ~ん・・・・・・」
どうせこんな言葉しか返ってこない。結局は別にどうでもいいのだろう。

オレの周りでは、そんな周囲に嫌気がさしたのか、
次々にコンタクトレンズにかえる人が多かった。
  「中学に入ったら、コンタクトにしようと思ってる」
なんで中学に上がったからって、コンタクトにする必要があるのだろうか?
  「高校に入ったし、そろそろメガネはやめようかなって」
なんで高校に合格したからって、コンタクトにする必要があるのだろうか?

みんな、そんなに気にしてるのだろうか?
どうせ目が悪いのには変わりないのに。

確かにメガネは不便だ。それは断言できる。
コンタクトのほうが優れている、これも断言できる。

しかし、周囲の環境に流されてコンタクトにかえるのは、
なにかと自分の意思を保てなかった気がしてならない。

自分がスポーツとかやっていて、不便を感じてコンタクトにするのは
自分の意思でそうしたのだから構わない。
だが、周囲に言われるがままコンタクトにしたのならば、
自分の意思でそうしたわけではないので、気にくわない。

ある意味、自分の信念を突き通せているかどうか。
自分の強さをためされているときかもしれない。

たとえ周囲の環境に馴染めなくても、自分を通せればそれでいい。
周りにどう言われようと、自分の意思を曲げなければそれでいい。
それがいい結果であっても、悪い結果であっても、自分を保ったのだからそれでいい。
忘れられないほど後悔しても、自分が自分であったのだからそれでいい。

だから、無理して変わろうとしなくてもいいじゃないか。
「自分」は「自分」なんだから。


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