初代リプレイ7

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 聖杯戦争も一週間を迎えた七日目、朝。  俺は不意に違和感を覚えて目が覚めた。  澄んだ冷たい空気に、まだ早朝だろうと当たりをつける。 「……ぐっ」  身体が軋むような痛み。特に全身の神経を苛む倦怠を伴った鈍痛は、過剰な魔術行使の後遺症だ。  間違いなく、昨日の戦闘のせいだろう。正直、我ながら無茶をしたものだと感心する。  更にズキズキと脈打つよな頭痛、身体のあちらこちらが燃えるような熱さを感じている。中々に重症だった。  それにしても……目覚めたキッカケは痛みじゃない。自分の体とは無関係の重さと、熱。 (両腕に何か乗っているのか?)  重い瞼をこじ開け、左を見、 「……」  次いで、目撃したものが幻であることを確認する為に、右を見、 「……なんでだよ」  ……無性に、このまま意識を失ってしまいたい衝動に駆られた。  右には俺の腕に倒れ伏すように眠る凛、左には何故だかその胸で挟み込むように俺の腕を抱えて眠る桜。  そうか、違和感の正体は、この乳に圧迫されて腕が痺れているせいか。 「なるほどなーラッキーだなー……じゃ、ねぇだろ!」 「ぅ……ん」  俺の突っ込みに、左右の謎生物どもが悩ましげに声を上げた。無駄に色っぽいソレも、理解出来ない状況の下では辟易する。  なんだ、なんなんだよこの状況は。俺が一体何をした、どういう趣向の罰ゲームなんだこれは。  暫く動けないまま混乱に陥った俺は、とりあえず二人を起こそうと腕を動かそうとしたところで、 (あれ、痛みが)  痺れているせいかとも思ったが、軽い凛が少しもたれているだけの右腕も、同じように痛みがない。  微かな熱はあるものの、それは生体反応ではなく―― 「これは、治癒魔術か」  よく確認すれば、腕だけではなく俺の怪我の全てに魔術的な治癒が施されている。  熱を感じていたのは、代謝が著しく活発化しているから。痛みが神経のソレしかないのは、外傷はほぼ完治しているから。  だが、同じく戦場に居た二人には包帯は巻かれているものの、薄く血が滲んでいるのが見て取れた。 (治癒の魔術は神経を使うからな……)    長時間集中してかけ続けなければ、掠り傷とて全治させるには至らない。誰かを癒しているなら、その癒し手は己の回復はできない。  故に俺が倒れた後、この二人は自分の怪我を差し置いて、倒れるまで施術を行なってくれたのだろう。 「ありがとう」  ならば、疲れて眠りについた2人に腕を差し出すぐらい、何のことはない。  眠る二人にもう一度感謝の言葉をかけ、目を瞑る。二人の体温に癒されて、心地よい眠りに落ちていった。    * * *  「ん……今度こそ、朝か」  今度こそ本当に上り始めた朝日の気配に、俺は自然と目を覚ました。  両腕にかかっていた重みは消えている。  先程の光景は夢なのかもしれない、と思うものの、確かに施されている治癒が現実であることを告げていた。  確かに傷があった腕を撫でる。もはや熱すらも収まり、昨日の戦闘の名残など何処にもない。  これなら、今日にでも戦闘を再開できるだろう。 「後でもう一度礼を言うとして……とりあえず散歩でもしようか」  昨日と同様の選択。最早日課にすら成りつつある。  だが、身体の調子を確かめるのは、今の俺にとっては義務のようなものだった。 「……相変わらず、寒いな」  外に出ると、冷たい風が肌に染みる。だが、その感覚が生きてることの証明だ。  その実感を味わう為に、敢えてゆっくりと歩き出す。  死線を越えるということは、この当たり前がどれほど貴重なものなのかを教えてくれる。  そしてその為にならば、何度でもどんな死線をも抜けてやろう。そう新たに決意させてくれるのだ。 「……せ、先輩!」  不意にこちらを呼ぶ声がする。俺を先輩と呼ぶ人間は、間桐桜しかいない。  案の定、桜が慌てた様子で家から飛び出してきた。 「どうした? 何か有ったのか?」  だが俺の問いに、どうしたじゃないです! と膨れる桜。 「寝てなきゃ駄目ですよ、先輩は私のせいで怪我を……」 「ああ」  桜は昨日の事を気にしているらしい。  俺としては、解決した時点で怪我など気にならなくなっているのだが。 「桜が無事で良かった」  だが、彼女の心配は素直に嬉しい。  笑みを作って告げる、救えて良かったと。ソレはどこまでも俺の本心。 「っていうか、お前が死に掛けたのは俺のせいなんだけどな……いや、本当に弁解の余地もない」  すまなかった、と頭を下げる。  俺がランサーを令呪で呼ばなければ、あのような窮地に陥る必要はなかった。  もっといえば、初期の予定通りライダーの探索に重点を絞っていれば、アーチャーが死ぬことすらなかったのだ。  全ては俺の判断ミス。危険に遭わせた桜に謝られるのは筋が違う。 「そんな、私は本当に、先輩たちには守ってもらってばかりで」 「――ああ、そうだ桜。怪我の治療、ありがとうな」  桜の口から弱音が出てしまう前に、治療に関しての礼を述べた。 「あ、いえ、でも、それは」 「それから、いつも食事の準備してもらって悪いな、これでも感謝してるんだ」 「え、あの、はい……どうもです」  桜の自罰的な言動を察知する度に、俺は日頃告げないでいた感謝の言葉を羅列した。  ここぞとばかりの攻勢に、桜は目を白黒とさせる。 「と、そろそろ朝食かな。今日も期待しているぞ」 「……ええと、はい」  桜を煙に巻いた俺は、意気揚々と歩き出した。  修羅場続きの聖杯戦争に於いて、最近の楽しみといえば、此処で食べる食事くらいしか思いつかない。  世辞を言ったわけじゃないのだ。 「……ありがとうございます、先輩」 「なんのことだか」  だから大体の場合、桜に限らず、感謝するのはいつも俺の方なんだ。  * * *  庭から戻ると、台所には既に士郎が居た。 「ああ、衛宮先輩、もう始めちゃってるじゃないですか」 「悪いな、ちょっと探したけど見当たらなくてさ」  待ってって言ったのに、と膨れながら隣に並ぶ桜。謝りつつも極自然に二人で準備を行う士郎。  その自然で和やかな風景に、本当に似合いな二人だと思った。 (もしかしたら、凛に悪い感想なのかもしれないが……と) 「相変わらず……早いわね、アンタら……」  しばらく待てば、凛が低く唸りながら居間に到着。  今日は呂律が回っているので、正気かと思いきや、 (今度は、着替え忘れてやがる……)  いくら朝に弱くても気抜きすぎだろ、本当に魔術師かコイツは。  しかも柄は猫パジャマ。何時かの便箋とお揃いらしい。  意外に可愛いもの大好きなヤツらしかった。  例によって写真を取ろうとも思ったが、生憎携帯は壊れたままだった。 (使い捨てカメラでも調達しておくべきだったな)  恥ずかしい過去として後々使えるネタだったが、後悔先に立たず。  とりあえず目に焼き付けておいて、後々からかってやることにしよう。  * * *  食事を終えると、それまで続いていた和やかな雰囲気が自然に薄れていく。  桜が食器を洗っている間、士郎が黙って茶を準備し始めた。俺も凛も、テーブルの前で座ったまま無言で待機している。  そうして、桜が戻って来る。士郎もほぼ同時に、盆の上に人数分の湯飲みを乗せて帰って来た。 「さて、始めましょうか」 「そうだにゃ、この戦争もそろそろ佳境だしにゃ」 「この……! 良いから! 会議始めるっての!」  雰囲気があんまり真面目なので、柄にもなく崩したくなっただけなのだが。  凛を爆発させても面倒なので、悪かったと謝罪して会議を始めることにした。 「コホン、えーそれで、残る敵サーヴァンとは二体となった訳だが」  昨日は本当に色々あったものの、新たに二体のサーヴァントが脱落し、俺とランサーは生き残った。  結果的な話だけをすれば順調と言える。  実際の所は、失ったものの重さを感じないではいられない。  だが、凛が平然としている限り……俺が暗い顔をすることは許されない。 (ならば今は、前だけを見る) 「此処まで来て音沙汰がないライダーは不審だが、やはり一番の難関はキャスターだ」  だから、俺は敢えてその名を口にした。  凛の微かに唇を噛む仕草、気付かない振りをする俺。代わりに、己の拳を握り締めた。 「そうね、まずはあのキャスターの対策を練らなくちゃ」  先ほど零した仕草などまるでなかったように、淡々と遠坂が告げる。 「先ずは私かしらね、アーチャーの確認した情報を提供するわ」 「頼む」    マスターとサーヴァントはラインを通して繋がっている。  だからアーチャーを通して、この中で唯一、事の顛末を彼女は知っている。 「あのキャスターは私と同様に五大属性を使うわ。神秘の強度まで考慮を入れると、たぶんどんな大儀礼も通用しない」  アベレージワンは五行全てに対応できる。要は万能で、出力で上回らねばどんな手も通用しない。  現代の魔術師が、神秘の塊であるサーヴァントを純粋な力で倒せる訳がない。  つまり俺も凛も士郎も、キャスター本人に対しては手も足も出ないって訳だ。実質上の敗北宣言だが、凛の表情には陰りはない。 「要はランサーが勝てば良いのよ。三騎士の一つなんだから、セイバー程でなくとも元々相性は悪くない」 「だけど、問題はあの巨人だろ?」 「そうだな」  士郎の言葉に追従する。恐らくは宝具の一つ、御伽噺より出でた魔獣――ジャバウォック。 「そうね、それは貴方の言う通り。でもその前に、もう一つの成果を話すわ」 「アーチャーが使わせた宝具だったか。あの口ぶりからすると、ジャバウォックとは別か?」 「そういうこと。アーチャー、あの怪物を潜り抜けて、本体を追い詰めたみたいなんだけど」  そこで一度、目を瞑る凛。  アーチャーから通じた情報を整理しているのか、もしくは……彼の最後の言葉を噛み締めているのか。 「たぶんこっちが切り札なのね。――後一歩のところで、完全に自己回復されたみたい」  おまけに攻撃まで兼ね揃えてるなんて、正直反則よね、と凛は告げた。 「……無敵の魔獣と無法の切り札、まるで子供の夢物語だな」  正直お手上げだ。こんな伝承を持っている英霊なんていない。もし存在していれば一発で分かる。  ジャバウォックが本物だというのなら、その正体はルイス=キャロル、なんて冗談くらいしか残っていな――。 「待て、まさか」 「そう、そのまさか。……一つだけ、たった一つだけ筋の通る仮説がある」  余りに荒唐無稽なその可能性。しかし、もしそうだとすれば全ての疑問が解けて消える。 「あれは英雄なんかじゃない。いいえ、霊ですらない……唯の、伝承なのよ」 「どういうことだ? 英霊を召喚するのが聖杯戦争じゃないのか?」  士郎の疑問は尤もだ。  この聖杯戦争が事前に得た知識の通りなら、まず存在しない可能性――故にそれを見落とした。 (だが、ヒントは幾つもあった)  不義を背負ったセイバー。  魂を喰うことすらなく、ただ純粋に殺戮を望んだバーサーカー。  そしてもっと根源的な事例を挙げれば……精神に異常を来したまま召喚された、ランサー。 (この可能性にもっと早く気付いていれば)    決して俺は、あの森に踏み込みはしなかっただろうに。 「そうじゃなかった、ってことだ。この聖杯は、まとまな英霊だけを呼ぶわけじゃない」 「……英霊としての側面もあるもの。正直、そんなものを呼ぶモノだとは思わなかったけど」  そういうことね、と呆れたような口調で凛が呟く。 「聖杯が召喚に必要な条件が、もし広く認識されているだけで良いのなら、キャスターに纏わる疑問は全て解決する」 「むしろ、疑問なんて何処にも残らないな、アレは在り方そのものが正体だ」 「童謡、絵本、そういった伝承もありだっていうのか……?」 「ええ。あのサーヴァント、マスターと同じ姿をしていたでしょう」  徐々に理解を深めていく士郎は、反則だとでも言いた気に目を瞑った。 「元となる姿がないのよ、だからマスターに依存して、姿を作り出している」 「名前も、姿も、正体すらない。正真正銘の夢物語ってわけか……」 「そうだ、アレは子供が描いた願いの形」  故に真名などない。  それでも敢えて呼ぼうと言うのなら、アレは、 「――ナーサリーライム」  事象そのもの。子どもの心を具現化させるサーヴァント。  あの能力の全ては、言うならばあのマスターの心の中の願望だ。  マスターの少女が不思議な国のアリスが好きだから、その中に登場するモノが出る。  固有結界のようなもの。但しその規模と力はサーヴァントの魔力によって成り立っている。 「正直お手上げね。ジャバウォックさえ何とかできれば、ランサーに任せられるんだけど」  明確に定められた弱点を突かない限り、他のあらゆる可能性を無効にする。  それが詩の獣を守る不滅のルールだ。……必ず倒されると定められた存在ゆえに、鍵がなければ決して死なない。  だがそもそもジャバウォックなどいないのだから、ジャバウォックを倒す剣もまた、ない。 (ヴォーパルの剣か)  しかし実のところ、俺は一つだけ状況を打破し得る可能性を知っていた。  だが、それはキャスターの存在以上に荒唐無稽な手段。  成功する保証などないし、何より仲間を危険に晒すことになる。 「キャスターのことは一度脇に置こう」 「そう、だな。調べれば何か分かるかもしれないし」  自分でも信じていないような口調で告げる士郎を見ながら、俺は先の可能性をずっと脳裏で反芻していた。 「それじゃライダーについてだけど……此処まで動かないなんて、妙よね」  何かの準備を進めているのかもしれないわ。と凛が告げる。 「準備って?」 「ライダーのクラスには、強力な宝具を持つサーヴァントが多いのよ」 「但し、強力であればあるほど使い勝手は悪くなる。ライダーに限った話じゃないが」 「そうね。だから偶然、遭遇しなかっただけという楽観は捨てた方が良いと思う」  だが、これだけ探して魔術の痕跡すら発見できていない。  情報が少な過ぎるのだ。警戒するといっても、精々が拠点に篭るくらいしか方法がない。 (難儀な相手ばかり残ったものだな)  思わず弱音のような思考が脳裏に過ぎる。  だが、組し易い相手など一組すらいなかった。証拠に、俺はこの数日で何度も死に掛けたではないか。  昨日もアサシン相手に無茶な立ち回りをやらかした所だし……そう考えたところで、昨夜気を失った後の顛末を聞いていないことに思い至った。 「そういえば、昨日は結局どうなったんだ?」  ランサーがアサシンを全滅させたことは覚えている。だが、あのマスターはその程度で諦めるようなヤツじゃない。  もし逃がしていたのなら、敵はサーヴァントだけではなくなってしまう。  だが、その懸念は凛の言葉によって、杞憂に終わった。 「士郎が、アサシンのマスターを倒したのよ」 「……本当か? 疑うわけじゃないが、あの男は」    他人の家族の話。それも息子が親を倒したとなれば、簡単に聞いて良い話題でもない。だが、聞かないわけもいかない。  思わず士郎への視線が躊躇いを含んだものになった。 「良いんだ、爺さんは五年前に死んでる」  だが、士郎はアッサリとした表情で受け止める。 「何で、あんな所で、あんな風にマスターをやっていたのかはわからない」  けれど、と……その一瞬だけ、深く深く何かを想うように目を瞑り。 「でも、爺さんの意思は受け継いだから」 「そうか……」  良かったなとも、頑張れとも言えない。他人が気軽に何かを言えるほど、士郎の信念は浅くない。  だから俺は心の中で思った。願わくは、どうか負けないで欲しい、と。 「でもね、聞いて驚きなさいよ貴方。コイツったらほんとに出鱈目なのよ」  凛が急に怒ったような口調で言った。  場の雰囲気を変えようとでもしたのだろうが、その表情は本当に一抹の怒りを備えている。   「へぇ、剣で銃弾でも切ったか?」  案外士郎なら遣りかねない。そんなことを思いつつも、凛に合わせて冗談を口にする。  だが、それで済んだら良かったわよ! と、凛がテーブルを強く叩いた。 「コイツ、アーチャーの剣を投影したのよ! 信じられない、本気で脳みそ解体してやろうかと思ったんだから!」 「――嘘だろ?」  急激な眩暈に、俺はその場に倒れかけた。凛の怒りは尤もだ、工房を見たときから異常だ異常だとは思っていたが……。 「ああ、自分でも驚いたよ。無茶なのは分かってるし、実際まだ少し手が痺れてる」 「いや、痺れてるっていうか」 (英雄の宝具を投影した? 何で生きてるんだ?)  それから、何で俺はコイツを殺してないんだろう、なんて物騒なことすら思考しかけた。  どうやったらそんなことができる? 己の存在よりも遥かに強度の高い神秘を、どうして。  水が下から上に流そうと思えば、機械に頼る他ない。同じように、この現象を人間が起こすには助力がいる。  それこそ聖杯のような、強力な神秘が必要だ。 「……もう何があっても、驚かないわよ」 「驚かすなよ遠坂、これでも十分ビビッてるんだから、俺」  だが、もしこれが本当なのだとすれば。  ――先程ジャバウォックについて考えていた可能性を、俺は嫌でも意識した。 (落ち着け、この話が事実だとしても、それこそ本当に命懸けになる)  俺でも凛でも、絶対に不可能なその手段。――今は失われた道具が必要な、大儀礼。  故に実行するのなら、士郎に最も強い負荷が掛かる。マスターですらない士郎を、また巻き込むことになる。 「……情報を纏めたい、夕方まで待っていてくれ」 「え、ちょっと?」 「あ、おい」  唐突に会議を打ち切った俺を、二人は戸惑いながら呼び止めた。  だが俺はさっさと自室に戻る。一つの事柄を、延々と考えながら。 (自分の命なら、自分の判断で賭ければいい。だが、)  他人の命まで簡単には賭けられない。もうそれしかないと分かっていても、決断するには勇気がいる。  毛布を被り、瞼を閉じた。一度頭を完全にクリアする。そうして心身ともに休息し、最後の決断をしよう。  意を決し、俺は速やかに眠りについた。  * * *   目が覚めたのは夕方だった。  傷んでいた頭はすっきりと澄み切り、神経を苛んでいた重さもかなり楽になものになっている。  この感覚、魔力は八割方回復したと踏んでいいだろう。  治癒を他人に任せられたお陰で、回路もかなり休ませることが出来た。通常の魔術程度なら問題なく行使できる。 「――よし、いこう」  一眠りしても、他に何の方法も思いつかなかった。キャスターに挑むなら、結論は変えられない。  故に今、他の可能性を模索することを放棄した。断じる――これ以外に、道はない。  士郎に、告げることがあった。 「士郎、いるか」 「おう、起きたか。もうちょっと待ってくれよ」  台所で夕飯の準備をしている彼を捕まえた。  甲斐甲斐しく主夫として働くその背を見ながら、俺は極自然な口調を装って言った。 「なあ士郎、ヴォーパルの剣を作ってくれないか」  「ああ良いよ、それくらいなら別に……って、待て。今何て言った?」 「だからヴォーパルの剣だ、キャスターを倒すにはそれしかない」  だが、士郎は首を振る。 「駄目だ、一度解析しなきゃ作れない。作るための情報が、ない」 「ああ、だろうな」  それはこちらとしても予想済み。  むしろ何の準備もなく望むものを作れるなんて言いやがったら、たぶん俺は後先関係なくブチ切れてる。  そんな魔術の全てを覆すような結果は、どれほど都合が良かろうと認められない。  だから、この問題は魔術師として解決しよう。 「無いのならば、ある場所から持ってくれば良い」 「ある場所って、お前……本気か?」 「フ、アリスくらい俺だって読んださ」  ならば、そこから作り出せるだけの情報を、魔術の知識を用いて捏造する。 「要は、それがヴォーパルの剣だと、相手が認識できるものであればいい」  本当に夢物語の産物である必要はない。  ジャバウォックを倒せる能力など、備えている必要はないのだ。こちらがそうだと言い張り、それが通じれば、勝手にジャバウォックは消滅する。  ――言った者勝ち。それが子供の幻想の、本当の弱点だ。 「出来るのか?」 「俺一人じゃ無理かもな」  一人の幻は一人の想いでしかない。 だが複数の人間の幻ならば、他の人間も認めうる想いとなる。  それが伝承、それが偶像。だから凛の知識量が加われば、成功の可能性は飛躍的に上昇する。  アイツの才能は俺では遠く及ばないが、俺だってプラスにならない訳じゃない。それなりの魔術師である自負くらいはある。  普通以上の魔術師二人が、互いの想念を持って練り上げれば、その『設定』が破綻していない限り、必ず成る。   「乗ったわ、それ」  夕食時なので、顔でも出しに来たのだろう。  何時の間にか背後にいた凛がそう言った。  その目には、静かな闘志が宿っている。 「よし、同調は頼んだぞ」 「アンタこそ破綻させないでよ」  依然、戸惑いを見せる士郎。  問答無用、ゴツンと額を士郎のソレにぶつけた。凛が同じように俺たちに重ねる。 「行くぞ――正体不明で消息不明」 「火をふく竜とか雲つく巨人」  己の知りうる知識を引き上げるため、敢えて敵が詠ったその詩を諳んじる。  追従する凛の声が、徐々に意識を深く深く沈めて行く。   「トリックアートは影絵の魔物」 「けだし大人の話はデマカセだらけ」  深く、より深く。知識の底を通り抜け、子供の頃に読んだ幻想の、その顛末を心から希う。  今この時だけ、完全に精神を逆行させて――来い……来い! ヴォーパルの剣は此処にある!  「「真相はドジスン教授の頭の中に!」」  色、形、その力。  終に浮かんだその心象を、士郎の脳に叩き付けた。 「――投影、開始」  士郎の魔術回路に魔力が走る。  俺と凛が形作った剣が、子供の頃確かに一度空想したおもちゃが――『ばけものをたおすつるぎ』が、彼の頭に確かに形成されているのが分かる。  その様に俺は憧れを覚え、殺意すら感じた。何故その才能が俺にないのかと、心の底から嫉妬を抱いた。   その為だけに、神によって生み出されたといってもおかしくはない、ソレ。  ……成功してくれ、いやしないでいてくれ。  相反する思いを俺が抱いた、その時、 「頼む!」  士郎が叫んだ瞬間、それは確かにこの現実へと舞い降りた。 「……嘘」 「成功、しやがった」  それを望んだ筈なのに、それが必要だった筈なのに。俺たちは心底信じられないと言葉に告げる。  だが現実は事実を裏切らない。見た目は唯の諸刃の洋剣――だが、強い神秘が込めれているのが、はっきりと分かる。 「く――がっ!」  だがそれも、士郎の手に収まった瞬間にはひび割れ、数秒も持たずに音を立てて崩れた。 「長くは持たない、のか?」 「形成が甘いんだと思うけど……たぶん、さっきみたいな想像じゃ、これ以上は無理だ」  どうやら、ヴォーパルの剣が存在できるのは一瞬だけということらしい。 「だが、これで挽回の芽は出来た。手柄だぞ、士郎」 「かもしれないな。けど喜ぶのはまだ早い」 「そうね、今は全員が消耗しているわ、素直に休むことにしましょう」  凛はそう告げて、フラフラと自分の部屋に戻った。士郎はその場に腰を下ろして荒く息を吐く。  俺も同様に腰を下ろしながら、パスからランサーに伝えた。勝てるぞ、と。  全ては明日。勝ちが見えたからこそ、俺たちの本当の力が試される。 &font(15pt){【七日目、終了】} ---- [[一日目>初代リプレイ1]] - [[二日目>初代リプレイ2]] - [[三日目>初代リプレイ3]] - [[四日目>初代リプレイ4]] - [[五日目>初代リプレイ5]] - [[六日目‐1>初代リプレイ6]] - [[六日目-2>初代リプレイ6-2]] - 七日目 - [[八日目-1>初代リプレイ8]] - [[八日目-2>初代リプレイ8-2]] - [[三年後>初代リプレイ9]]
 聖杯戦争も一週間を迎えた七日目、朝。  俺は不意に違和感を覚えて目が覚めた。  澄んだ冷たい空気に、まだ早朝だろうと当たりをつける。 「……ぐっ」  身体が軋むような痛み。特に全身の神経を苛む倦怠を伴った鈍痛は、過剰な魔術行使の後遺症だ。  間違いなく、昨日の戦闘のせいだろう。正直、我ながら無茶をしたものだと感心する。  更にズキズキと脈打つよな頭痛、身体のあちらこちらが燃えるような熱さを感じている。中々に重症だった。  それにしても……目覚めたキッカケは痛みじゃない。自分の体とは無関係の重さと、熱。 (両腕に何か乗っているのか?)  重い瞼をこじ開け、左を見、 「……」  次いで、目撃したものが幻であることを確認する為に、右を見、 「……なんでだよ」  ……無性に、このまま意識を失ってしまいたい衝動に駆られた。  右には俺の腕に倒れ伏すように眠る凛、左には何故だかその胸で挟み込むように俺の腕を抱えて眠る桜。  そうか、違和感の正体は、この乳に圧迫されて腕が痺れているせいか。 「なるほどなーラッキーだなー……じゃ、ねぇだろ!」 「ぅ……ん」  俺の突っ込みに、左右の謎生物どもが悩ましげに声を上げた。無駄に色っぽいソレも、理解出来ない状況の下では辟易する。  なんだ、なんなんだよこの状況は。俺が一体何をした、どういう趣向の罰ゲームなんだこれは。  暫く動けないまま混乱に陥った俺は、とりあえず二人を起こそうと腕を動かそうとしたところで、 (あれ、痛みが)  痺れているせいかとも思ったが、軽い凛が少しもたれているだけの右腕も、同じように痛みがない。  微かな熱はあるものの、それは生体反応ではなく―― 「これは、治癒魔術か」  よく確認すれば、腕だけではなく俺の怪我の全てに魔術的な治癒が施されている。  熱を感じていたのは、代謝が著しく活発化しているから。痛みが神経のソレしかないのは、外傷はほぼ完治しているから。  だが、同じく戦場に居た二人には包帯は巻かれているものの、薄く血が滲んでいるのが見て取れた。 (治癒の魔術は神経を使うからな……)    長時間集中してかけ続けなければ、掠り傷とて全治させるには至らない。誰かを癒しているなら、その癒し手は己の回復はできない。  故に俺が倒れた後、この二人は自分の怪我を差し置いて、倒れるまで施術を行なってくれたのだろう。 「ありがとう」  ならば、疲れて眠りについた2人に腕を差し出すぐらい、何のことはない。  眠る二人にもう一度感謝の言葉をかけ、目を瞑る。二人の体温に癒されて、心地よい眠りに落ちていった。    * * *  「ん……今度こそ、朝か」  今度こそ本当に上り始めた朝日の気配に、俺は自然と目を覚ました。  両腕にかかっていた重みは消えている。  先程の光景は夢なのかもしれない、と思うものの、確かに施されている治癒が現実であることを告げていた。  確かに傷があった腕を撫でる。もはや熱すらも収まり、昨日の戦闘の名残など何処にもない。  これなら、今日にでも戦闘を再開できるだろう。 「後でもう一度礼を言うとして……とりあえず散歩でもしようか」  昨日と同様の選択。最早日課にすら成りつつある。  だが、身体の調子を確かめるのは、今の俺にとっては義務のようなものだった。 「……相変わらず、寒いな」  外に出ると、冷たい風が肌に染みる。だが、その感覚が生きてることの証明だ。  その実感を味わう為に、敢えてゆっくりと歩き出す。  死線を越えるということは、この当たり前がどれほど貴重なものなのかを教えてくれる。  そしてその為にならば、何度でもどんな死線をも抜けてやろう。そう新たに決意させてくれるのだ。 「……せ、先輩!」  不意にこちらを呼ぶ声がする。俺を先輩と呼ぶ人間は、間桐桜しかいない。  案の定、桜が慌てた様子で家から飛び出してきた。 「どうした? 何か有ったのか?」  だが俺の問いに、どうしたじゃないです! と膨れる桜。 「寝てなきゃ駄目ですよ、先輩は私のせいで怪我を……」 「ああ」  桜は昨日の事を気にしているらしい。  俺としては、解決した時点で怪我など気にならなくなっているのだが。 「桜が無事で良かった」  だが、彼女の心配は素直に嬉しい。  笑みを作って告げる、救えて良かったと。ソレはどこまでも俺の本心。 「っていうか、お前が死に掛けたのは俺のせいなんだけどな……いや、本当に弁解の余地もない」  すまなかった、と頭を下げる。  俺がランサーを令呪で呼ばなければ、あのような窮地に陥る必要はなかった。  もっといえば、初期の予定通りライダーの探索に重点を絞っていれば、アーチャーが死ぬことすらなかったのだ。  全ては俺の判断ミス。危険に遭わせた桜に謝られるのは筋が違う。 「そんな、私は本当に、先輩たちには守ってもらってばかりで」 「――ああ、そうだ桜。怪我の治療、ありがとうな」  桜の口から弱音が出てしまう前に、治療に関しての礼を述べた。 「あ、いえ、でも、それは」 「それから、いつも食事の準備してもらって悪いな、これでも感謝してるんだ」 「え、あの、はい……どうもです」  桜の自罰的な言動を察知する度に、俺は日頃告げないでいた感謝の言葉を羅列した。  ここぞとばかりの攻勢に、桜は目を白黒とさせる。 「と、そろそろ朝食かな。今日も期待しているぞ」 「……ええと、はい」  桜を煙に巻いた俺は、意気揚々と歩き出した。  修羅場続きの聖杯戦争に於いて、最近の楽しみといえば、此処で食べる食事くらいしか思いつかない。  世辞を言ったわけじゃないのだ。 「……ありがとうございます、先輩」 「なんのことだか」  だから大体の場合、桜に限らず、感謝するのはいつも俺の方なんだ。  * * *  庭から戻ると、台所には既に士郎が居た。 「ああ、衛宮先輩、もう始めちゃってるじゃないですか」 「悪いな、ちょっと探したけど見当たらなくてさ」  待ってって言ったのに、と膨れながら隣に並ぶ桜。謝りつつも極自然に二人で準備を行う士郎。  その自然で和やかな風景に、本当に似合いな二人だと思った。 (もしかしたら、凛に悪い感想なのかもしれないが……と) 「相変わらず……早いわね、アンタら……」  しばらく待てば、凛が低く唸りながら居間に到着。  今日は呂律が回っているので、正気かと思いきや、 (今度は、着替え忘れてやがる……)  いくら朝に弱くても気抜きすぎだろ、本当に魔術師かコイツは。  しかも柄は猫パジャマ。何時かの便箋とお揃いらしい。  意外に可愛いもの大好きなヤツらしかった。  例によって写真を取ろうとも思ったが、生憎携帯は壊れたままだった。 (使い捨てカメラでも調達しておくべきだったな)  恥ずかしい過去として後々使えるネタだったが、後悔先に立たず。  とりあえず目に焼き付けておいて、後々からかってやることにしよう。  * * *  食事を終えると、それまで続いていた和やかな雰囲気が自然に薄れていく。  桜が食器を洗っている間、士郎が黙って茶を準備し始めた。俺も凛も、テーブルの前で座ったまま無言で待機している。  そうして、桜が戻って来る。士郎もほぼ同時に、盆の上に人数分の湯飲みを乗せて帰って来た。 「さて、始めましょうか」 「そうだにゃ、この戦争もそろそろ佳境だしにゃ」 「この……! 良いから! 会議始めるっての!」  雰囲気があんまり真面目なので、柄にもなく崩したくなっただけなのだが。  凛を爆発させても面倒なので、悪かったと謝罪して会議を始めることにした。 「コホン、えーそれで、残る敵サーヴァントは二体となった訳だが」  昨日は本当に色々あったものの、新たに二体のサーヴァントが脱落し、俺とランサーは生き残った。  結果的な話だけをすれば順調と言える。  実際の所は、失ったものの重さを感じないではいられない。  だが、凛が平然としている限り……俺が暗い顔をすることは許されない。 (ならば今は、前だけを見る) 「此処まで来て音沙汰がないライダーは不審だが、やはり一番の難関はキャスターだ」  だから、俺は敢えてその名を口にした。  凛の微かに唇を噛む仕草、気付かない振りをする俺。代わりに、己の拳を握り締めた。 「そうね、まずはあのキャスターの対策を練らなくちゃ」  先ほど零した仕草などまるでなかったように、淡々と遠坂が告げる。 「先ずは私かしらね、アーチャーの確認した情報を提供するわ」 「頼む」    マスターとサーヴァントはラインを通して繋がっている。  だからアーチャーを通して、この中で唯一、事の顛末を彼女は知っている。 「あのキャスターは私と同様に五大属性を使うわ。神秘の強度まで考慮を入れると、たぶんどんな大儀礼も通用しない」  アベレージワンは五行全てに対応できる。要は万能で、出力で上回らねばどんな手も通用しない。  現代の魔術師が、神秘の塊であるサーヴァントを純粋な力で倒せる訳がない。  つまり俺も凛も士郎も、キャスター本人に対しては手も足も出ないって訳だ。実質上の敗北宣言だが、凛の表情には陰りはない。 「要はランサーが勝てば良いのよ。三騎士の一つなんだから、セイバー程でなくとも元々相性は悪くない」 「だけど、問題はあの巨人だろ?」 「そうだな」  士郎の言葉に追従する。恐らくは宝具の一つ、御伽噺より出でた魔獣――ジャバウォック。 「そうね、それは貴方の言う通り。でもその前に、もう一つの成果を話すわ」 「アーチャーが使わせた宝具だったか。あの口ぶりからすると、ジャバウォックとは別か?」 「そういうこと。アーチャー、あの怪物を潜り抜けて、本体を追い詰めたみたいなんだけど」  そこで一度、目を瞑る凛。  アーチャーから通じた情報を整理しているのか、もしくは……彼の最後の言葉を噛み締めているのか。 「たぶんこっちが切り札なのね。――後一歩のところで、完全に自己回復されたみたい」  おまけに攻撃まで兼ね揃えてるなんて、正直反則よね、と凛は告げた。 「……無敵の魔獣と無法の切り札、まるで子供の夢物語だな」  正直お手上げだ。こんな伝承を持っている英霊なんていない。もし存在していれば一発で分かる。  ジャバウォックが本物だというのなら、その正体はルイス=キャロル、なんて冗談くらいしか残っていな――。 「待て、まさか」 「そう、そのまさか。……一つだけ、たった一つだけ筋の通る仮説がある」  余りに荒唐無稽なその可能性。しかし、もしそうだとすれば全ての疑問が解けて消える。 「あれは英雄なんかじゃない。いいえ、霊ですらない……唯の、伝承なのよ」 「どういうことだ? 英霊を召喚するのが聖杯戦争じゃないのか?」  士郎の疑問は尤もだ。  この聖杯戦争が事前に得た知識の通りなら、まず存在しない可能性――故にそれを見落とした。 (だが、ヒントは幾つもあった)  不義を背負ったセイバー。  魂を喰うことすらなく、ただ純粋に殺戮を望んだバーサーカー。  そしてもっと根源的な事例を挙げれば……精神に異常を来したまま召喚された、ランサー。 (この可能性にもっと早く気付いていれば)    決して俺は、あの森に踏み込みはしなかっただろうに。 「そうじゃなかった、ってことだ。この聖杯は、まとまな英霊だけを呼ぶわけじゃない」 「……英霊としての側面もあるもの。正直、そんなものを呼ぶモノだとは思わなかったけど」  そういうことね、と呆れたような口調で凛が呟く。 「聖杯が召喚に必要な条件が、もし広く認識されているだけで良いのなら、キャスターに纏わる疑問は全て解決する」 「むしろ、疑問なんて何処にも残らないな、アレは在り方そのものが正体だ」 「童謡、絵本、そういった伝承もありだっていうのか……?」 「ええ。あのサーヴァント、マスターと同じ姿をしていたでしょう」  徐々に理解を深めていく士郎は、反則だとでも言いた気に目を瞑った。 「元となる姿がないのよ、だからマスターに依存して、姿を作り出している」 「名前も、姿も、正体すらない。正真正銘の夢物語ってわけか……」 「そうだ、アレは子供が描いた願いの形」  故に真名などない。  それでも敢えて呼ぼうと言うのなら、アレは、 「――ナーサリーライム」  事象そのもの。子どもの心を具現化させるサーヴァント。  あの能力の全ては、言うならばあのマスターの心の中の願望だ。  マスターの少女が不思議な国のアリスが好きだから、その中に登場するモノが出る。  固有結界のようなもの。但しその規模と力はサーヴァントの魔力によって成り立っている。 「正直お手上げね。ジャバウォックさえ何とかできれば、ランサーに任せられるんだけど」  明確に定められた弱点を突かない限り、他のあらゆる可能性を無効にする。  それが詩の獣を守る不滅のルールだ。……必ず倒されると定められた存在ゆえに、鍵がなければ決して死なない。  だがそもそもジャバウォックなどいないのだから、ジャバウォックを倒す剣もまた、ない。 (ヴォーパルの剣か)  しかし実のところ、俺は一つだけ状況を打破し得る可能性を知っていた。  だが、それはキャスターの存在以上に荒唐無稽な手段。  成功する保証などないし、何より仲間を危険に晒すことになる。 「キャスターのことは一度脇に置こう」 「そう、だな。調べれば何か分かるかもしれないし」  自分でも信じていないような口調で告げる士郎を見ながら、俺は先の可能性をずっと脳裏で反芻していた。 「それじゃライダーについてだけど……此処まで動かないなんて、妙よね」  何かの準備を進めているのかもしれないわ。と凛が告げる。 「準備って?」 「ライダーのクラスには、強力な宝具を持つサーヴァントが多いのよ」 「但し、強力であればあるほど使い勝手は悪くなる。ライダーに限った話じゃないが」 「そうね。だから偶然、遭遇しなかっただけという楽観は捨てた方が良いと思う」  だが、これだけ探して魔術の痕跡すら発見できていない。  情報が少な過ぎるのだ。警戒するといっても、精々が拠点に篭るくらいしか方法がない。 (難儀な相手ばかり残ったものだな)  思わず弱音のような思考が脳裏に過ぎる。  だが、組し易い相手など一組すらいなかった。証拠に、俺はこの数日で何度も死に掛けたではないか。  昨日もアサシン相手に無茶な立ち回りをやらかした所だし……そう考えたところで、昨夜気を失った後の顛末を聞いていないことに思い至った。 「そういえば、昨日は結局どうなったんだ?」  ランサーがアサシンを全滅させたことは覚えている。だが、あのマスターはその程度で諦めるようなヤツじゃない。  もし逃がしていたのなら、敵はサーヴァントだけではなくなってしまう。  だが、その懸念は凛の言葉によって、杞憂に終わった。 「士郎が、アサシンのマスターを倒したのよ」 「……本当か? 疑うわけじゃないが、あの男は」    他人の家族の話。それも息子が親を倒したとなれば、簡単に聞いて良い話題でもない。だが、聞かないわけもいかない。  思わず士郎への視線が躊躇いを含んだものになった。 「良いんだ、爺さんは五年前に死んでる」  だが、士郎はアッサリとした表情で受け止める。 「何で、あんな所で、あんな風にマスターをやっていたのかはわからない」  けれど、と……その一瞬だけ、深く深く何かを想うように目を瞑り。 「でも、爺さんの意思は受け継いだから」 「そうか……」  良かったなとも、頑張れとも言えない。他人が気軽に何かを言えるほど、士郎の信念は浅くない。  だから俺は心の中で思った。願わくは、どうか負けないで欲しい、と。 「でもね、聞いて驚きなさいよ貴方。コイツったらほんとに出鱈目なのよ」  凛が急に怒ったような口調で言った。  場の雰囲気を変えようとでもしたのだろうが、その表情は本当に一抹の怒りを備えている。   「へぇ、剣で銃弾でも切ったか?」  案外士郎なら遣りかねない。そんなことを思いつつも、凛に合わせて冗談を口にする。  だが、それで済んだら良かったわよ! と、凛がテーブルを強く叩いた。 「コイツ、アーチャーの剣を投影したのよ! 信じられない、本気で脳みそ解体してやろうかと思ったんだから!」 「――嘘だろ?」  急激な眩暈に、俺はその場に倒れかけた。凛の怒りは尤もだ、工房を見たときから異常だ異常だとは思っていたが……。 「ああ、自分でも驚いたよ。無茶なのは分かってるし、実際まだ少し手が痺れてる」 「いや、痺れてるっていうか」 (英雄の宝具を投影した? 何で生きてるんだ?)  それから、何で俺はコイツを殺してないんだろう、なんて物騒なことすら思考しかけた。  どうやったらそんなことができる? 己の存在よりも遥かに強度の高い神秘を、どうして。  水が下から上に流そうと思えば、機械に頼る他ない。同じように、この現象を人間が起こすには助力がいる。  それこそ聖杯のような、強力な神秘が必要だ。 「……もう何があっても、驚かないわよ」 「驚かすなよ遠坂、これでも十分ビビッてるんだから、俺」  だが、もしこれが本当なのだとすれば。  ――先程ジャバウォックについて考えていた可能性を、俺は嫌でも意識した。 (落ち着け、この話が事実だとしても、それこそ本当に命懸けになる)  俺でも凛でも、絶対に不可能なその手段。――今は失われた道具が必要な、大儀礼。  故に実行するのなら、士郎に最も強い負荷が掛かる。マスターですらない士郎を、また巻き込むことになる。 「……情報を纏めたい、夕方まで待っていてくれ」 「え、ちょっと?」 「あ、おい」  唐突に会議を打ち切った俺を、二人は戸惑いながら呼び止めた。  だが俺はさっさと自室に戻る。一つの事柄を、延々と考えながら。 (自分の命なら、自分の判断で賭ければいい。だが、)  他人の命まで簡単には賭けられない。もうそれしかないと分かっていても、決断するには勇気がいる。  毛布を被り、瞼を閉じた。一度頭を完全にクリアする。そうして心身ともに休息し、最後の決断をしよう。  意を決し、俺は速やかに眠りについた。  * * *   目が覚めたのは夕方だった。  傷んでいた頭はすっきりと澄み切り、神経を苛んでいた重さもかなり楽になものになっている。  この感覚、魔力は八割方回復したと踏んでいいだろう。  治癒を他人に任せられたお陰で、回路もかなり休ませることが出来た。通常の魔術程度なら問題なく行使できる。 「――よし、いこう」  一眠りしても、他に何の方法も思いつかなかった。キャスターに挑むなら、結論は変えられない。  故に今、他の可能性を模索することを放棄した。断じる――これ以外に、道はない。  士郎に、告げることがあった。 「士郎、いるか」 「おう、起きたか。もうちょっと待ってくれよ」  台所で夕飯の準備をしている彼を捕まえた。  甲斐甲斐しく主夫として働くその背を見ながら、俺は極自然な口調を装って言った。 「なあ士郎、ヴォーパルの剣を作ってくれないか」  「ああ良いよ、それくらいなら別に……って、待て。今何て言った?」 「だからヴォーパルの剣だ、キャスターを倒すにはそれしかない」  だが、士郎は首を振る。 「駄目だ、一度解析しなきゃ作れない。作るための情報が、ない」 「ああ、だろうな」  それはこちらとしても予想済み。  むしろ何の準備もなく望むものを作れるなんて言いやがったら、たぶん俺は後先関係なくブチ切れてる。  そんな魔術の全てを覆すような結果は、どれほど都合が良かろうと認められない。  だから、この問題は魔術師として解決しよう。 「無いのならば、ある場所から持ってくれば良い」 「ある場所って、お前……本気か?」 「フ、アリスくらい俺だって読んださ」  ならば、そこから作り出せるだけの情報を、魔術の知識を用いて捏造する。 「要は、それがヴォーパルの剣だと、相手が認識できるものであればいい」  本当に夢物語の産物である必要はない。  ジャバウォックを倒せる能力など、備えている必要はないのだ。こちらがそうだと言い張り、それが通じれば、勝手にジャバウォックは消滅する。  ――言った者勝ち。それが子供の幻想の、本当の弱点だ。 「出来るのか?」 「俺一人じゃ無理かもな」  一人の幻は一人の想いでしかない。 だが複数の人間の幻ならば、他の人間も認めうる想いとなる。  それが伝承、それが偶像。だから凛の知識量が加われば、成功の可能性は飛躍的に上昇する。  アイツの才能は俺では遠く及ばないが、俺だってプラスにならない訳じゃない。それなりの魔術師である自負くらいはある。  普通以上の魔術師二人が、互いの想念を持って練り上げれば、その『設定』が破綻していない限り、必ず成る。   「乗ったわ、それ」  夕食時なので、顔でも出しに来たのだろう。  何時の間にか背後にいた凛がそう言った。  その目には、静かな闘志が宿っている。 「よし、同調は頼んだぞ」 「アンタこそ破綻させないでよ」  依然、戸惑いを見せる士郎。  問答無用、ゴツンと額を士郎のソレにぶつけた。凛が同じように俺たちに重ねる。 「行くぞ――正体不明で消息不明」 「火をふく竜とか雲つく巨人」  己の知りうる知識を引き上げるため、敢えて敵が詠ったその詩を諳んじる。  追従する凛の声が、徐々に意識を深く深く沈めて行く。   「トリックアートは影絵の魔物」 「けだし大人の話はデマカセだらけ」  深く、より深く。知識の底を通り抜け、子供の頃に読んだ幻想の、その顛末を心から希う。  今この時だけ、完全に精神を逆行させて――来い……来い! ヴォーパルの剣は此処にある!  「「真相はドジスン教授の頭の中に!」」  色、形、その力。  終に浮かんだその心象を、士郎の脳に叩き付けた。 「――投影、開始」  士郎の魔術回路に魔力が走る。  俺と凛が形作った剣が、子供の頃確かに一度空想したおもちゃが――『ばけものをたおすつるぎ』が、彼の頭に確かに形成されているのが分かる。  その様に俺は憧れを覚え、殺意すら感じた。何故その才能が俺にないのかと、心の底から嫉妬を抱いた。   その為だけに、神によって生み出されたといってもおかしくはない、ソレ。  ……成功してくれ、いやしないでいてくれ。  相反する思いを俺が抱いた、その時、 「頼む!」  士郎が叫んだ瞬間、それは確かにこの現実へと舞い降りた。 「……嘘」 「成功、しやがった」  それを望んだ筈なのに、それが必要だった筈なのに。俺たちは心底信じられないと言葉に告げる。  だが現実は事実を裏切らない。見た目は唯の諸刃の洋剣――だが、強い神秘が込めれているのが、はっきりと分かる。 「く――がっ!」  だがそれも、士郎の手に収まった瞬間にはひび割れ、数秒も持たずに音を立てて崩れた。 「長くは持たない、のか?」 「形成が甘いんだと思うけど……たぶん、さっきみたいな想像じゃ、これ以上は無理だ」  どうやら、ヴォーパルの剣が存在できるのは一瞬だけということらしい。 「だが、これで挽回の芽は出来た。手柄だぞ、士郎」 「かもしれないな。けど喜ぶのはまだ早い」 「そうね、今は全員が消耗しているわ、素直に休むことにしましょう」  凛はそう告げて、フラフラと自分の部屋に戻った。士郎はその場に腰を下ろして荒く息を吐く。  俺も同様に腰を下ろしながら、パスからランサーに伝えた。勝てるぞ、と。  全ては明日。勝ちが見えたからこそ、俺たちの本当の力が試される。 &font(15pt){【七日目、終了】} ---- [[一日目>初代リプレイ1]] - [[二日目>初代リプレイ2]] - [[三日目>初代リプレイ3]] - [[四日目>初代リプレイ4]] - [[五日目>初代リプレイ5]] - [[六日目‐1>初代リプレイ6]] - [[六日目-2>初代リプレイ6-2]] - 七日目 - [[八日目-1>初代リプレイ8]] - [[八日目-2>初代リプレイ8-2]] - [[三年後>初代リプレイ9]]

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