――七日目、朝――
風呂から上がり、日課でもある銃の解体と整備を終えて、昨日はそのまま眠りに着いた。
交戦したとはいっても、前の二つ…ランサー戦とバーサーカー戦に比べて、負担は明らかに少なかった。
士郎はあの後、慎二に教会による保護を勧めたらしい。
これで残るマスターは四人、それも全て判明している。
私と士郎、遠坂凛、そしてルヴィアゼリッタ。
もうそろそろ、この聖杯戦争の顛末を見定めても良い頃だろう。
「聖杯にかける望み、ですか?」
朝食に集まった際に、私は問いかけた。
この聖杯戦争、参加するには各々の理由があったはずだ。
私と士郎は、聖杯戦争を止めるという共通の目的があるとして。
「…私は特に」
最初にライダーに振ってみるものの、いつも通りの味気ない答えが返ってくる。
「無い?」
「ええ」
「…じゃあ、どうして私の召喚に応じたの?」
マスター側にはそれぞれ都合があるとして、聖杯と契約した英霊は、みな何かしらの望みを持っていると思っていた。
そう告げるとライダーは、困ったような笑みをこぼした。
「いえ、願いなら在るのかもしれません。ただ、それは聖杯に願わなくとも叶えられる」
「…?」
「…ふふふ、もう叶ってしまっているのかもしれません」
ライダーは、私を見つめて笑う。
理由もわからず笑われたのに嫌な気分がしないのは、その笑顔が穏やかなものだったからだろうか。
「願い…改めて考えても、特にないな。イリヤは?」
士郎は自分の主張もほどほどに、イリヤに話を振った。
目下箸に苦戦中の彼女は、それどころではない、とでも言いたげだったけれど。
「『魔法』への到達がアインツベルンの悲願だったけど…でも、それはもう良いかな。私はもう、衛宮だから」
衛宮だから。
何事もなかったかのように、何の気なしに付け加えられた言葉。
私と士郎は顔を合わせて、嬉しさに顔をほころばせる。
二人っきりだった衛宮の家に、こんなにも賑やかな家族が増えたのだ。
喜ばずしていられようか。
「あー! 今シロウ笑った、箸使えないからって馬鹿にしたー!」
「違うって。ほら、ちゃんと座って食べないと行儀悪いぞ、イリヤ」
「子供扱いしないで! 私はレディなのよ!」
酷く賑やかな朝の食卓で、
「…私には…」
セイバーが、重々しく口を開いた。
先程から一人だけ、沈痛な表情を隠せていない。
「叶えなければならない、願いがある」
言いたくない、本当は争いを望んでいない、と、表情が語る。
それでも瞳は、強く揺るがない光を宿す。
「そのためならば、ライダー…貴女の相手もしよう」
「……そうですか」
ライダーは箸を置き、セイバーの眼差しを受け止めた。
敵意の宿るそれは、けれども初めて会った日のものとは確実に異なる。
互いを戦友と認めた上で、それでも倒すのだ、と。
言葉を探す士郎に、セイバーは言い放った。
「シロウ、サーヴァントも残すところあと四体…覚悟を決めてください」
「…俺、は」
「戦いたくない、なんて言いませんよね?」
士郎の言葉を遮って、私は言葉を紡ぐ。
迷っている彼を決心させるためにも。
「英霊を…セイバーを呼んだ時点で、覚悟したはずよ、士郎。その願いのために尽力する義務が、私たちにはあるわ」
「…五鈴」
「私は戦います…士郎、あなたとも」
「そうですか、わかりました」
静かに微笑んで、セイバーは私の果たし状を受け取った。
「セイバー!…お前も、何言ってるんだよ!」
士郎一人だけが異論を唱える。
彼は『正義の味方』だから。
誰かの願いは叶って、他の誰かの願いが叶わない。この平穏な暮らしを壊しても、誰かの願いを獲りに行く。
それを許せないのだろう。
けれど、違う。
「…願いが叶うとか、そういう問題じゃないの。これは、矜持の問題…騎士王としての、セイバーの沽券に関わるものだから」
「そうです、シロウ。ここで五鈴が退くと言ってくれても、私は嬉しくなんてない」
戦うことで、あえて敵対することで示せる信頼だってある。
挑戦せずに得た褒賞に、何の誉れがあるだろうか。
願いがあるなら、それ相応に試練を望む。
そういう高貴な魂を持った騎士王だからこそ、私は彼女に挑むのだ。
「…どうしても、なのか」
不敵な笑みを交わす私とセイバーを見て、士郎は嘆息する。
「兄妹喧嘩なんて、数年ぶりね」
「…いっつも、俺が負けてたけどな」
「あら、今回はわからないわ。…あなたは強くなった」
笑って見せる。
かつての兄妹喧嘩は、私の全戦全勝だけど。
「一度くらいは、私に勝ってください。男の子でしょう、士郎」
「…わかった。そういうことなら、手加減はなしだ」
士郎も頷く。
最後の相手は、士郎とセイバーだ。
私は自分に言い聞かせた。
「…五鈴。私は士郎につくけれど、構わない?」
イリヤが念のため、と尋ねる。
「ええ。ちょうどいいハンデよ」
「あとで負けた言い訳するなよ?」
「そっちこそ、これで負けたら格好悪いわよ」
「…ふふ」
賑やかさを取り戻した食卓。
私のサーヴァントは、その中で一人、静かに微笑むだけだった。
――七日目、昼――
学校を休みたい、と申し出れば、士郎は二つ返事で承諾してくれた。
「色々お前に任せ切っちゃってたからな。疲れてるだろ」
「まだ余裕はあるけど…念を入れて、今日は大人しくしているわ」
「わかった。イリヤとセイバーは頼んだ」
玄関先まで背中を見送る。
「私としては、お兄ちゃんの方が心配なんだけど」
どうやら重度のお兄ちゃんっ子らしいイリヤは、士郎が向かった後も不満そうに唇を尖らせていた。
一緒の留守番が私では役者不足らしい。
「残るマスターは、ルヴィアゼリッタと遠坂凛。どちらも昼間、それも人の目のある学園で戦闘を行うようなタイプじゃないわ」
凛は冬木の管理者だし、ルヴィアもあれで魔術師としての矜持を持っている。
ただ、少しだけ拭えない心の不安は、イリヤも私も共通のもののようだ。
それでも今更学園に行って、有益な情報収集も出来ないだろう。
イリヤやセイバーと、ゆっくりとした朝を過ごす。
そして事が起きるまで、そう時間はかからなかった。
「…大変です、五鈴!」
自室で惰眠を貪っていた私を起こしたのは、血相を変えたセイバーだった。
寝巻のままベッドを飛び出し、何事か、と身構える。
「どうしたの、セイバー?」
「士郎が…昼食の準備をしていません…!」
ああ、そりゃ、大変ですねー。
この燃費の悪い食いしん坊にとっては、そりゃあ一大事なのだろうけれど。
「兵站は指揮の要…ここで攻め込まれては、我々に為す術はありません」
「落ち着いて、セイバー…お昼なら、私が用意するから」
「……五鈴が?」
怪訝そうな瞳を向けられる。
確かに士郎の趣味が料理だから、あまり腕を振るったことは無いけれど。
学校で家庭科だって習っているし、日頃士郎の料理を見ている。
きっと大丈夫なはずだ。
冷蔵庫の中には、消費期限が明日までの卵数個と、少し色の悪くなった野菜たち。
今日中に使わなければいけない食材たちとにらめっこして、昼の献立を考える。
食材の制限に加えて、私でも出来る料理となると、自然とレシピは限られる。
「…無難に、サラダと卵焼きかしら」
卵を解いて、塩と砂糖を投入。殻が少しだけ入ってしまったけれど、火を通せば、まあ問題は無いだろう。
火力…弱いよりは強い方が良いはずだ。その分早く出来るし。あ、油入れ忘れた。
卵を焼いている間に、根菜を切る。千切りは難しいから、一センチ幅でいいだろうか。
あれ、なんか焦げくさい?
「…食材の、墓場…?」
開口一番、セイバーの台詞がそれだった。
卓の上に並べられたのは、黒焦げの卵焼きと、無残に切り刻まれた野菜たち。
米と汁物だけは士郎があらかじめ準備してくれていたので、なんとか食卓としての体裁は整っている…はず。
「み、見た目は悪いかもしれないけれど…とりあえず、食べましょう」
明らかに嫌そうな顔をしたセイバーと、世間知らずが幸いしてか特にリアクションも示さないイリヤ。
ライダーは霊体化してしまった。薄情なサーヴァントだ。
「「「いただきます」」」
卵焼きを一口。
さく、とクッキーのような音がして、口の中全体に焦げの苦みが広がる。
サラダを一口。
生で食べる人参って、こんなにも臭いものだったのか。
「何というか…雑です」
「…ごめんなさい、もうお腹いっぱいだわ」
「……ゴメン」
いたたまれないまでの沈黙がリビングを包む。
かつてこの家で、これほどまでに沈んだ午餐があっただろうか。
時折残酷なまでに素直なイリヤにすら気を使われてしまった。
食材の骸たちは手厚く葬られて、昼食には出前を取ることとなった。
もちろん、私の自腹である。
なんというか、改めて士郎の偉大さがわかる一日となってしまった。
――七日目、放課後――
聖杯戦争を経て、衛宮邸は一つの大きな転換期を迎えた。
すなわち、この地の管理者に正式にその存在を知られてしまったのである。
今まではモグリと言うことで、見て見ぬフリもあったのだろう。
しかし、両者が聖杯戦争で戦うこととなってしまえば、もうそんなことは言っていられない。
「だから、開き直るってワケじゃないけど」
「自宅の工房化か…」
この衛宮邸で魔術に向いている空間は、唯一土蔵のみだ。
そもそも開放的な造りをしているため、魔術師の居としては本来は適さないはずの場所。
「襲撃に備える、という口実もあります」
「…俺は、五鈴がそうするっていうのなら、それで良いと思う」
まあ、相談する前から、返事もわかり切っていたけれど。
なんというか、子どもに献立を尋ねて「何でもいい」と言われてしまった気分だ。
「工房を造るにあたって、かなり大がかりな魔術を使用することになります」
「敵からも発見されやすい、ってことか?」
「ええ。それに、一日や二日で完成するものでも無いの。もちろんイリヤにも協力を仰いで、出来るだけ早急に終わらせる気ではいるけど」
襲撃されてもいいように、心構えだけは決めておいてくださいね。
そう念を押したにもかかわらず、その日は招かれざる客は誰一人としてこなかった。
強いて挙げるとするならば、奇跡の復活を遂げた冬木の虎が、いつにも増した煩さで晩飯を漁りに来たくらいか。
考えてみれば、残りのマスターはどちらも正面衝突が好きそうだ。
工房化した、二人のマスターを有する建物に、自ら突撃などしないだろう。
聖杯戦争が、終わりに近付いている。
ただそれだけのことだ。
最終更新:2012年01月15日 15:09