初代リプレイ3

 聖杯戦争が開始して、もう三日目の朝が来た。
 拠点にて朝食を食べながらテレビを眺める。
 どうやら、冬木の街では連続殺人事件が起きているらしい。
 このタイミングで、この様な事件。魔術……否、聖杯戦争に縁のあるものなら嫌でもピンと来る。
 だが一つ不可解な事実もあった。この連続殺人事件には、ある法則があるらしい。

「被害者は全て若い女性、か」

 順当に考えれば魂喰いか、戦闘の余波。だが、或いは狂気の産物か。
 英雄色を好む。中には若い女性を求める者も居るのかも知れない。
 そこで殺人に発展するなど正気の沙汰ではなかろうが……あの不義を負った騎士然り、どうにもこの戦争、真っ当な英霊だけが呼ばれる訳ではなそうだ。
 もしかすれば、全く関係ないかも知れない可能性も、ないではないが。

(昨日、そんな判断で痛い目にあったところだ)

 俺はこの事件がどうにも気になった。頭の中に入れて、今日の方策を考える。

 凛と合流して情報交換すれば何か判明するかもしれない。
 一方で殺人事件を追えば、何らかのサーヴァントに行き着く可能性は高い。

(……やはり、連続殺人事件が優先だ)

 今日は凛との約束もない。それ以前に……実のところ、俺はこの犯人が許せない。
 魔術師としての禁忌を破るモノ、決して見逃すことなど出来はしない。
 だから一日だけ、学校をサボる事に決めた。聖杯戦争が始まっても捨てなかった日常を、今日だけは省みない。

「ランサー、行くぞ。殺人犯を捕まえる」
「おお、義侠の心に駆られたか我が妻よ! それもまた良し!」

 流石、狂気に至るまで秩序に信奉した英霊だ、この手の行動も特に問題はないらしい。
 乗り気なランサーを霊化させ、街へと繰り出す。
 ニュースを見る限りでは、殺人は夜間に行われているらしいが、魔術が使われたなら何かしらの痕跡を発見できるかも知れない。

 問題は何処に行くかだが、被害者が全て女性という点はヒントになるだろう。
 女性が多い場所、女の子が多い……。

「……バレー部?」

 呟いて、おいおいと速攻で否定した。確かに女子バレー部には女性がわんさかいるだろうが、放課後にならなければ意味がない。
 それに、痕跡を探そうにも、この時間では鍵がなければ部室に入ることは儘ならない。
 部活の時間になれば紛れ込めるかもしれないが……。

「いや、女子バレー部には紛れ込めないだろ」

 疲れてんのかな俺。なんでそんなに拘るのか全く理解出来ない。

「バレー部は忘れろ」

 気分を入れかえ、新都の駅前から少し外れたオフィス街に向かう。
 昼間のこの時間は活気があるが、夜になれば此処は人気が減る。オフィス街ならば帰りのOL辺りを狙うこともできるだろう。
 事実、確かニュースによれば一番初めの死体はこの近くで発見されたようだ。

「痕跡を探ってみるか」

 オフィス街の中心に程近いところで路地裏に入る。表にはそれなりに人がいるが、目立つ行動をしなければ魔術を使用しても問題はないだろう。
 むしろ、このくらい近い方が奇襲を受ける心配が少なくなって良い。人払いの結界は張らずに事に当たる。
 薄汚い壁に背を預け、目を瞑る。もし気付かれても、傍目には、不真面目な学生が授業をサボっている様にしか見えまい。警察にだけ注意すれば良い。

(意識を広げよう……浅く、薄く、軽く、伸ばせ――)

 波のように、揺り篭のように……行って、引いて、浚って、流して――。
 徐々に精神を深く世界に同化させる。世界は情報の海だ。その中で、己を水に還る。
 交じり合い、だが決して海水にはならぬよう真水の領域に塗り替えて……閾値を徐々に広げていく。
 最初はこの路地裏から始まり、それは数分に渡ってゆっくりとオフィス街を包み込んだ。

(魔力を、落とせ)

 それはさながら、色つきの液体。ぽたりと落ちた薄墨のような魔力が、広げた認識に波紋を広げて走査していく。
 汗が流れる、幾ら魔力量が並の魔術師以上だといっても、まともに使えばこれほどの広範囲を探知などできない。
 故に薄めた。必要最低限のギリギリまで希薄化した魔力を薄く薄く広げていくことで、僅かな痕跡を浮き上がらせる。
 それは神経を削る芸術域の漂白作業。一条が得意とするのは状態の変化だが、圧縮と希釈にかけては当代最高の自負がある。
 一条歴代の魔術師でも、こうも上手く出来る者は一握りだろう。……身内評だから自慢にもならないが。

(しかし何もぶつからん……少なくとも、普通の痕跡など残されていないということか)

 波がぶつかれば、それがどんなに小さくとも新たな波紋を残す。何も分からずとも、場所だけは分かる。
 それがないということは、全く魔力の残滓がないか、隠蔽されたか……或いは元々水のような、空のような魔力ということ。
 後者には一つだけ思い当たる。あの妖怪なら犯人にもなりえるだろうが……もしそうなら、確実に俺の手には余る。

「――ッ、は、あ……これ以上は無駄か」

 苦労したわりに収穫はない。だが、それで分かったこともある。

(もしこの事件が魔術師の仕業なら、一筋縄じゃ行かない)

 少なくとも遠隔操作で探し当てられるような相手じゃない。
 万が一遭遇した場合を考えると少々危険だが、俺は足で犯人を探すことにした。

 そして公園に辿り着く。すると、そこには古ぼけたロングコートを来た男が居た。

(正直、こんな場所に人がいるとは思わなかったが)

 此処は十年前の大火災の中心だ。魔術師風に言うならば、暴走した術の爆心地。
 年月を経た現在ですら、自然と人を拒む異界と化している。
 先程の走査では弾かれるので、こうして来たわけだが……。

 男は、虚ろな瞳で公園のベンチに座り込んでいた。
 その瞳や雰囲気からは精気が薄い、と言った印象を受ける。だからこの異常な気配にすら無関心でいられるのだろうか。

「やあ、学生さんかな?」

 声を掛けるつもりはなかったが、向こうからこちらを見つけて声を掛けてきた。
 正直対処に困って、男を見つめると彼も苦笑を返してくる。

「別にそう身構えなくたって良いさ、ボクだって似たようなものだからね」

 どうやら、学校をサボっている、と勘違いされているようだ。

(いや、確かにその通りなのだが)

 あからさまに怪しい雰囲気。マスターである可能性は十分にある。

(ランサー、サーヴァントの気配はあるか)

 だが芳しい返事はない。周囲にそれらしい反応はないらしい。
 気を張りすぎているだろうか? 先程の魔術行使のせいで、まだ神経が過敏になっているのかもしれない。

(鎌を掛けてみるか)

 もしこの男が殺人犯であれ他のマスターであれ、先程の走査を掻い潜った以上は魔力の方面から調べるのは難しい。
 ならば一気に核心を突いて反応を探ってみよう。

「なあ、アンタ……せいはいせんそうって知っているか?」
「いや、僕は知らないな。若い子たちの中で流行っているゲームか何かかい?」

 彼は少しだけ悩み、そう答えた。直球過ぎる切込みに、全く動じた気配がない。
 サーヴァントの気配もない、やはり考えすぎのようだ。

(と、言ってもマスターが「はい、知っています」と答えるわけがないが)

 これでマスターなら相当の狸だ。相手の方が上手だったと思うしかない。

「いや、知らないならいいさ。じゃあな、あんまり大人がサボるなよ」
「こりゃ手厳しいな……君も勉強を頑張るんだよ、学生さん」

 共に別れの挨拶をし、俺は公園を後にする。どうやらこの公園でも収穫はないらしい。

 ――だが、当然こんな怪しい男がただの脇役である筈もなく。

「……才能があると聞いていたが、この程度か――やれ、『アサシン』」

 密かにそう告げる男の方が上手だった、という推測だけが正しかったのだった。

 * * *

 男と別れ、事件現場らしい裏路地に入り込む。
 はやり警察の手が入っているせいか、全くといって良いほど成果はなかった。
 魔力の走査が終わっている以上、物証でしか手掛かりは期待できないのだが。

「これは本格的に無駄足か。さて、困ったな。どうする――ッ!」

 そんな時、突如感じた殺気。
 いや、これは魔術師としての勘といっても良い。
 本能だけで身体を動かす。黒い固まりが一瞬、通り過ぎたかと思った瞬間、自己の判断で実体化したランサーの槍が閃く。
 金属がぶつかり合う音がした。

「くっ」
「浅ましき賊風情が、我が妻を狙うか!」

 頬から血が滴るのを感じる。間違いない、敵だ。
 一瞬しか見えなかったがあの姿は……

「くそ、よりによって」

 ただ、薄気味悪い白い仮面だけが目に焼き付いている。
 なるほど、これはどう見てもアサシンのサーヴァント。
 ならば現代の魔術師では探り当てられなくても無理はないし、キャスターでもない英霊が裏を欠かれても仕方がない。
 マスターの天敵とも言われているクラスだ。状況は最悪と言っていい。

 恐怖を感じつつも、咄嗟に動けるように身構える。ヤツは確実に俺を狙ってくる。
 ランサーの傍らに立ち、周囲を警戒するが……。

「流石、暗殺者の英霊だな」

 アサシンのスキル――気配遮断なのだろう。全く気配は感じられない。恐ろしいなんてものじゃなかった。

(急いで、ランサーの霊化の解除を――って、違う!)

 視線を横に向ければ既に実体化しているランサー。
 俺の動揺のせいで、折角ランサーが発揮した阿吽の呼吸が仇になった。
 思考が上手く回っていないという認識が、さらに俺の焦りを加速させる。

(しまった)

 思った時にはもう遅い。
 アサシンからの第二撃が放たれ、こちらに迫り来る。生身に避けられるものじゃない、戦慄が全身を駆け抜けた。
 だが、

「供物が自ら現れよったわ!」

 俺のサーヴァントは百戦錬磨の救国の徒。動揺している主とは打って変わってランサーは冷静だった。
 迫り来る『アサシン』にあわせ、槍を突き出す。
 俺目掛け一直線に駆けていたアサシンは串刺しになる形となった。

「なんてヤツだ」

 ――目にも留まらぬアサシンの速さに不備などある筈はない。正面からの暗殺、彼は正しく暗殺者の英霊に恥じぬ動きを見せた。
 ただ、ランサーの反応速度があまりにも異常だったという、それだけの事実。

 血を吹き出し、うめき声を上げる暗殺者。
 ランサーが槍を軽く払えば、その肉片ごとアサシンは地面を転がった。

「大丈夫であったか、妻よ」

 ピクピクと僅かばかり動いていたアサシンが動きを止め、砂のように溶けていく。
 最弱のクラスとも言われるアサシンとは言え、少々耐久面が弱すぎる気もするが、なんとか撃退することができたらしい。

「いや、それにしても手応えがなさすぎる」

 動き自体は素晴らしくとも、これでは人間の暗殺者と変わりがない。
 人間ならば致命傷の傷でも。英霊ならば戦闘をもう少し続けることくらいはできた筈だ。

「何故あっさりと諦めた?」

 まるで死ぬことが前提であったかのような呆気なさだ。
 警戒を解かないでおこう、何か嫌な予感がする。

(サーヴァントを捨て駒に? 気を緩んだところをマスターが暗殺を?)

 魔術師ではありえない選択。だが、俺を奇襲したということは、こちらがいる場所を知っていたという事実を指し示す。
 先程に会った男の、空虚な目が脳裏から離れない。心当たりは一人しかない。俺は、先程の男を探すことにした。

(やはりあの男、怪しい)

 魔術師としての勘としか言いようのないそれ。だが俺は、殺し合いをする身で自分の勘が信じられないようなヤツは、死んだ方が良いと考える。
 だから根拠のない勘に動かされ、先程の公園へたどり着いた。

(流石にいない、か)

 暗殺の失敗を見越して退避したのだろうか。周囲を見渡しても、隠れられるような場所はない。

(恐らく、もうこの近くには――待て)

 そう言えば、この公園。
 周りのビル群に比べ、遮蔽物が少なく見通しが効く。
 警戒を怠らなかった故に、その事実に気づいた。嫌な予感が強烈に高まるのを感じる。

(そうだ、もし相手が暗殺に徹するならば、必ずこちらを見ているはず)

 開けた場所ゆえに、遠くの建物まで十分に見渡せる。あちらが見張っているのなら、こちらからとて探れる筈だ。
 果たして、その予感は的中する。

(……いた!)

 遠くのビルの屋上に動きを感じる。相変わらず魔力は感じないが、確かに悪意のある何かが自分に迫っていた。
 一刻の猶予もない。俺は自分の勘を信じて全力で駆け出し、再び路地へと滑り込む。
 ここならば、ビルの屋上から認識されることもない。一時の思考の猶予を得た。

 さて、どうする。

(行くか、退くか)

 正体不明のマスター。普段の俺ならば先ず間違いなく退いている。
 だが、

「何を躊躇っているのか! 神は稀なる機会を与えてくださっている!」

 そうだ、守りばかりでは勝てない。

 そもそも聖杯戦争に絶対優位など存在しない。
 どんな最弱でも最強を沈め得る、それは誰も彼もが得体の知れない切り札を持っているという事実に他ならない。
 ならば、慎重を理由にするのはもう終わりにしよう。きっとこの先も、組し易い敵など現れない。
 相手はアサシンを失っているのだ。その事実を頼みに、今は攻めこむべき時だ。

「行くぞ、ランサー」
「終に悟られたか、我が妻よ!」

 その返答からは、やっと望む主人になったと心底喜んでいる様が見て取れた。
 ランサーなりに、今までの俺の対応に歯痒い思いを感じていたに違いない。

 慎重にビルに接近し、正面よりビルに潜入する。中には人払いの魔術が掛かっているのか、人一人見当たらない。
 恐らく敵は屋上。そこにへ向かうには……。

(エレベーターも階段も、死への道にしか見えないな)

「外から登ろう」

 きっとそれも想定の内だろうが、それでも室内は避けるべきだ。
 槍を使うランサーの間合いは広い。狭い室内ではそれが充分に活かせないどころか、不利にしかならないだろう。
 それに、ビルの中の人払い。中を戦場にしようとしているような、そんな意図を感じる。

(先程から感じる相手の性質は、人間ながら本物のアサシンのそれだ)

 己がサーヴァントすら捨て駒にする徹底した目的意識。俺が追跡してくることも当然想定していて然るべき。
 屋内に誘い込む理由は、こちらのサーヴァントがランサーであると確信しているからか。もしかしたら、それを確認する為の奇襲だったのでは、とすら思う。
 それほど狡猾な相手の術中に敢えて飛び込み、破る。その為には――。

(己がサーヴァントの性能を最大限生かし、その上で、信じること)

 無策なのではない。策に囚われないことで、現状で持ち得る全ての力を発揮する。
 それが正しい力押しというものだろう。
 俺はランサーに抱きかかえて貰い、ビルの壁面から侵入を試みた。

「さあ、征くぞ、我が妻よ! 敵の攻撃など、信仰の加護の全てにより弾かれる!」

 ランサーの言葉に、俺は自分の正しさを確信する。
 何故なら、ランサーの信仰の加護には、矢避けの加護のような効果はない。
 アレはただ、精神に変調を来すほど強烈な意志の具現。その思い込みが、彼を何より鬼神へと駆り立てる。
 理屈すら超越して、その身一つで垂直の壁を越え、銃撃を超える。

「偶然? 只のプラシーボ効果? 違うな、これこそが英雄たる者の必然だ」
「なんだか知らんが、我が妻の言葉に間違いはない!」

 救国の英雄としての偉業。それは、総て信じることによって成された。
 ……歴史に爪痕を残すほどの惨劇も、哀れを誘う死すらもまた、信じたが故に起きた悲劇だ。
 吸血鬼の創作など全て後付け。狂気にしか見えぬ彼の純粋な意思を、ただ無責任な後の世が曲解したに過ぎない。
 ならば彼の戦いとは、英雄譚でも怪物話でもない。それは何処までもささやかな個人の意志、信仰の証明に他ならない。

(それを武器に戦う俺が、何故彼を信じないでいられる?)

 ランサー――ヴラド三世を従えるものにとって、それは義務ですらある。
 そして今、俺はこの義務が何処までも誇らしい。
 何故なら、待ち構えていたように飛んでくる銃弾が頬を裂いても、微塵も恐怖を感じないのだ。
 ……未知をあれほど忌避していた俺が、だ。

(矢除けなんてチャチなものじゃない、これが神の加護でなくてなんだ)

 そして俺達は、銃弾の罠を食い破って屋上へ辿りつく。
 やはりと言うべきだろう。そこに居たのは、先ほどの男。
 巨大な銃器を構え、俺を迎え撃つつもりだったのだろうが、ランサーが槍を一薙すれば、銃弾は床を転がった。

「此処まで理屈を無視してくれるといっそ清々しいな、魔術師殺しの名がボロボロだ」

 サーヴァントを失い、無手となったにも関わらず、男は尚飄々とした態度を崩さない。
 故に警戒する。あと一歩で敵を倒すことが出来る。だが、だからこそ引っかかる。

 何故、サーヴァントを失って尚、戦意を喪失しないのか。
 それは死を覚悟した魔術師が、せめて散り際を飾り立てようとするようにも見えた。
 しかし。

「アンタ、そういうタイプじゃないだろう」

 そうじゃないんだ。こいつは真っ当な魔術師じゃない。
 恐れていないのは勝機があるから。なのに無手なのは無手じゃないから。
 そう、例えば、あのアサシンは、本当に倒し切れたのか? 本当にそう言い切れるか?

「――宝具すら、見せてないのに」

 バラバラだったピースがゆっくりと組み立てられていくような、そんな感覚。

「やれやれ、唯の若い魔術師だと思ってはいたが……中々腕が立つ」

 ――まさか、切り札を使うことになるとはね。そんな風に、唇だけが動いた気がした。

「ランサー!」

 やはり、何かしらの勝機があったらしい。
 俺は素早く魔術弾を構築すると、男に向け射出する。
 だが、それはお見通しだ、と言わんばかりに男は軽くそれを避けた。
 しかし、それこそお見通し。唯の牽制、一瞬の遅延を生めれば、

「誤まったな、賊が」

 後はランサーがやってくれる。

「――屍骸を晒せ!」


 魔術弾と共に駈け出していたランサーが男に接近し、槍を横薙ぎに振るう。
 それは回避しきれなかったらしく、直撃か、と思われた時。

「チッ!」

 手の甲が赤い光を帯びる。それは紛れもなく、

(令呪を行使した証……つまり)

 光と同時に、死んだはずのアサシンが出現。ランサーの間に割り込み、身を呈して男を庇った。

(アサシンは敗退してはいなかった)

 だが勢いは殺しきれず、男の右腕からはかなりの量の血が溢れる。
 その時男の手から何かが零れ落ちる。初めて、男の表情が負の方面へと動いた。
 俺はそれを見逃さない。何処までも余裕だった男に生まれた初めての焦り、ならばそれこそが本命の罠だ。
 零れ落ちた何かを確認することなく、魔術弾によって吹き飛ばした。

「アサシン、此処は退くッ!」

 その瞬間、更に二体のアサシンが現れ、男を抱き上げるとビルから飛び降りていった。

「なるほど」

 見たところ、アサシンの能力は分身。……否、恐らくは集団で一つという異形の英霊。故にその背格好、能力にもまた差異がある。
 死という隠れ蓑から首を狩りに来る暗殺者の集団。これは重大な情報だ、あの異様なマスターの情報も含みで凛に伝えるべきだろう。
 問題はその方法だが。

「今回はそれほど魔力を消費してはいないな」

 節約も時と場合による。情報が情報だ、あまり時間を無駄にはしたくはない。
 急いで使い魔を作ると、遠坂の家と学園の二方面へと飛ばした。
 凛ならば、学園であっても上手く受け取ってくれるだろう。

 そうして初めて一息つく、思ったより戦闘が長引いていたのか、もう夕方になっていた。

「結局、連続殺人事件の情報は手に入らなかったが……十分収穫は得たと考えるしかないか」

 これ以上、事件の追求だけに時間を割く事は出来ない。歯痒いが、俺は魔術師としてこの戦争に勝たなければならない。
 展開が急変でもしない限り、明日も殺人鬼を追うなんて選択はとれそうもなかった。

 * * *

 そろそろ夜が近づいている。
 依然、士郎があのセイバーに襲われる可能性が消えていない。
 今日もまた、士郎の家に向かおう。

 * * *

 士郎の家にたどり着くと、丁度スーパーの袋を片手に門を潜ろうとしていた士郎と目が合った。

「よう、偶然だな。今日こそ、飯食っていくか?」

 人の良さそうな笑みを浮かべながら誘ってくれる士郎。
 昨日のことを忘れてる訳でもあるまいが、気にしないでいてくれているのは素直に有難かった。
 しかし、連日意味もなく訪れるのはあまりに不審だ。疑惑を持たれては護衛行動に支障が出る。
 俺は、ある決心をして口を開いた。

「士郎、大事な話があるんだが」

 幾分深刻な雰囲気を作って言う。
 これから告げることは、告げるからには信じてもらう必要のある話だった。

「……わかった、中で話すか?」

 こちらの表情から、それが本当に真面目な話だと判断したのだろう。
 何も言わず、コクンと一度頷き俺を家に招き入れる。
 士郎は荷物を台所にしまい、お茶を二つ淹れると、俺の対面に座り込んだ。

「で、話ってのは?」

 俺は、直ぐには信じてもらえない事を覚悟で告げる。

「疑わしい話なのは承知で言う。お前は命を狙われている」
「……なんだって?」
「言葉の通りだ。だからお前を護衛する為に、暫く俺を泊めてくれ」

 言い終えるなり、無言が続く。互いに視線を逸らさない。
 そしてその攻防が数秒を経て、士郎が小さく呟いた。

「……冗談、って訳じゃないよな」

 士郎の困ったような視線。だが、

「わかった、護衛とかよくわからないけど、泊まるぐらい問題ない」

 問題を簡略化することで解決した士郎は、空いている部屋を好きに使っても良いと言ってくれた。
 そして、今日は多めに作らなきゃな、と呟きながら台所へ。食事の準備を始めるらしい。
 昨日は桜だったが、今日は士郎の番なのだろう。

 彼の後姿を見ながら、今後の予定を考える。
 二度までも襲われた士郎。一度は命すら奪われた……何故生きているのかは遠坂に聞かなければ分からないが、その代償は小さくなかった筈だ。

(もう二度と奪わせはしない)

 記憶がなくとも、セイバーを倒さない限りその危機は終わらない。

(待てよ……なら士郎は、いずれ必ずサーヴァントに遭遇するんじゃないのか?)

 それが襲撃してきたセイバーであるか、同盟相手のアーチャーであるか、迎撃時のランサーであるかは分からない。
 もしかしたら、士郎ではなく俺を襲ってくるアサシンである可能性もある。
 その時、士郎はどんな反応をするだろう?
 記憶を失ってはいるが、士郎は何体かのサーヴァントを見ている。死の危機は、例え意識には残らずとも身体に刻み込まれている。

(いや、記憶がないからこそ――)

 生命の危機に於いて、その齟齬は致命的ではないのか。
 溜息を吐く。凛の反応を想像すると憂鬱だった。だが、これは恐らく怠ってはならない過程の一つ。

「……士郎、ちょっとこっちに来てくれ」
「ん? なんだ?」

 ランサーを紹介しておく。いざ土壇場になってうろたえられるくらいなら、今ここで現実と叩き込んでおく。
 目の前に士郎が来たことを確認して、己がサーヴァントに告げた。

「しっかり見ておけよ……出ろ、ランサー」
「ふむ、今宵の供物はこの男か!」
「うわぁあ!?」

 突然現れた大男に士郎は驚き尻餅をついた。持っていたお玉が床に跳ねて転がっていく。
 今更ながら、思う。良かった、包丁は持っていないようで。
 怪我はないようだが、せめて料理中は外すべきだった。

「まあ、なんだ。実質お前を護衛するのはコイツだ、この唐突さも含めてさっきの話を信じてくれると助かる」

 俺の言葉に、士郎は怯えたような顔で何度も頷いた。
 ちょっと脅かしすぎたか、と思わなくもない。

 そして士郎は、動揺しながらも台所に戻る。その時連絡が届いた。今日は、虎も桜も用があり来れないらしい。
 都合がいい、と二人で食卓を囲むことにする。

「なあ一条」
「なんだ、言っとくがランサーは手品師じゃないぞ」
「いや、そうじゃなくてさ。ランサー……いや、お前って」
「ああ」
「魔術師なのか?」
「――――なに?」

 突然核心を突くその単語に、俺は告げる言葉を失った。
 一つ、平静を取り戻す為に大きく呼吸をする。

「悪い、良く聞こえなかった。俺が魔法使いかって言ったか? 生憎飴玉を出したりはできんぞ」
「いや、魔法使いはまた別だろ。そうじゃなくて――」
「……いい、言うな、解った」

 魔術師と魔法使いの違い。
 そんなものまで把握しているならば、単に不思議な現象に反応しただけとは考えられない。

「何故、魔術を知っている? 何処で聞いた?」
「聞いたも何も……少しだが俺も使えるんだ、魔術」
「……まじでか」
「ああ、一応大真面目だ」

 眩暈を感じる。だが、それで色々なことが腑に落ちた。
 士郎は何故、凛が張った結界の中で死んでいたのか。理由は自明、彼には結界が効かなかった。
 士郎は何故、サーヴァントに二度までも襲われたのか。理由は明白、この時期の魔術師は敵のマスターである可能性があるから。
 だが、解決する疑問がある一方で、新たに生まれる疑問もある。

「俺はこの街の魔術師の家系は全て把握していた筈だが、お前がそれだと聞いたことはない」
「誰にも言ったことはないからな……というか、俺以外に魔術師がいるなんて知らなかった」

 士郎の言葉に頭痛を覚えた。つまり彼は、管理者に届出を出していないモグリの魔術師ということだ。
 協会からすれば、処罰対象にすら成り得る。

「何故それを俺に? 危険だとは思わなかったか?」
「いや、マズイだろうなとは何となく思ったけどさ」

 それでも、お前には言っておこうと思って、と彼は魔術師らしくない声音で応えてくれた。

「そうか……ありがとう、正直に言ってくれて助かる」

 その魔術師らしくない信頼が……魔術師でありながら、そのようにも在れる士郎が。
 俺には何故か、とても美しい何かに見えたのだった。

 * * *


「さて、そろそろ風呂にでも入るか」
「ふむ、少し無用心だな」

 無防備な風呂場は危険だ、と士郎に告げる。

「護衛のために一緒に入れ」
「いや、それは不味いだろ!」

 士郎は何故か焦っている。

「ああ、すまん。言葉が足りなかった」

 霊化したランサーと一緒に風呂に入る、と言う意味だったが。

「やはり普通の人間からすれば幽霊は不気味か?」
「……ああ、そういう事か。それならいい、お願いする」

 俺はランサーに指示を出し、疲れたような士郎を見送った。
 そろそろ夜も深まってきたようだ。ランサーが戻ってくるまで、精神を研ぎ澄ませて警戒を続けた。

 * * *


 次に風呂を貰った俺は、何故だか外へと出ようとする士郎を目撃した。

「どうしたんだ、こんな時間に」
「ああ、魔術の訓練だよ」

(今からか……一人にするのは危険だな)

 申し訳なく感じつつも、護衛のため士郎の工房に上がらせてもらう。
 此処で彼を一人にしたら、ランサーの存在をバラしてまで泊り込んだ意味がない。

「離れ……いや、蔵の中にあるのか」

 庭の奥の土蔵が彼の工房のようだ。

「それじゃ、おじゃましますっと……ん?」

 中に入ると眼に入るのは多数のガラクタたち。
 不意に違和感を感じはするが、他人の工房を荒らす訳にもいかない。
 鍛錬の場にいるだけでも、魔術師の情報を奪ってしまうことになるのだ。せめて他を検めるような真似はするまい。

「……んじゃ、始めるけど」
「ああ」

 士郎は、木刀を手に取り強化の魔術を使用する、と言う。

(別にソレを報告する必要はないんだがな)

 士郎は、魔術師としての考慮にかけていると思った。だが、それこそが彼の良さなのも理解している。

(ならば俺は見守るだけ、口出しも控えよう)

 ……だが魔術を行使しようとした士郎が、急に呻き声を上げる。
 まさか、魔術の失敗か? 俺は慌てて士郎に駆け寄るが、士郎は目を瞑ったままこちらを手で制した。
 どうやら失敗ではないらしい。というか、これ、まさか。

(魔術回路を一から作っている?)

 何故今更そんな真似を? 魔術師だというのなら、そんな工程は子供の頃に終えていなければおかしい。
 まさか、つい最近魔術に出会ったとでもいうつもりか。ソレならば俺は、力尽くでも士郎を止めなければならない。

(成人してから回路の作成なんて自殺行為だ)
「……ハァ、今日は、調子が良いみたいだ、ほら成功したぞ?」

 こちらの心配を他所に、自慢気に木刀を掲げる士郎。
 彼が持つ木刀は、確かに強化されている。

(――成功している。こんな無茶な工程で、物質の隙間に魔力を通すなんて精密な作業を?)

 出鱈目に過ぎる。だが、やはり最近魔術を習得したというのは間違いだ。
 極めて危なっかしいものの、強化自体の過程は手馴れたモノ。

(いや、全く理解出来ないが、どうやら士郎は)

 回路を作るという一度限りの行動にすら、何故か慣れてしまっている。

「士郎、お前は」

 僅かな逡巡。理性は、即刻彼を止めるべきだと判断している。
 これがどんなに異常で無意味な苦難か、一度その過程を通った魔術師ならば誰でも分かる。
 誰に言わなくても、真っ先に自分から止めるであろう自殺行為。それを慣れるまで続け、疑問なく鍛錬と言い切った衛宮士郎。

(コイツは多分、止めても聞かない)

 目的もなくこんなことは出来ない。こんなことを続けてでも目指すような目的を、コイツが諦める筈がない。
 ならば、真っ当な魔術を俺が教えるべきだ。もう二度と、こんな訳の分からない間違いをしないように。

(コイツはいつから、こんな行為を練習だと続けてきたんだ? コイツの師は、一体今まで何をしていたんだ?)

 怒りを感じる。魔術とは秘されるもの。魔術とは伝えるもの。
 どんな理由があれ、一度でもその存在を教えたならば、同じものを弟子が伝えられるように、全てを託さねばならない。
 魔術師は、そうなった瞬間遠い遠い過去からの伝達者としての使命を負うのだ。
 それが魔術師の義務であり、だからこそ家系という言葉が重みを持つ。

 ……なのに、コイツの師はそれを放棄しやがった。

(良いさ、良い。別に構わん)

 他の家系が途絶えようと一条の知ったことではない。
 俺は只、友人が無駄に苦しむ様を助けられればそれで良い。

「士郎、今日はソレで止めておけ。それから明日、お前に言うことがある」

 荒く息をする士郎に、今日はもう休むべきだと土蔵から追い出した。
 正直頭に来ていたので、他人の工房だろうと有無も言わさず追い出した。

「……ランサー、士郎を見張っておけ。もしさっきみたいな無茶をしたら蹴り上げて止めろ」
「あの阿呆な供物を死なせぬ為か! 心得たぞ、我が妻よ!」

 ランサーに見張りを命じ、俺も与えられた部屋にて眠ることにする。

(今は良い。全て、何もかも明日以降に――)

 ランサーにすら阿呆と呼ばれる特上の阿呆に、本当の魔術ってものを教えてやる。

【三日目、終了】


最終更新:2012年01月19日 22:05
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