七代目リプレイ1


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――回想、『心の鎧』――



 笑わない子どもだ、と、そう呼ばれていた。
 『文月夏奈』は、誰にも心を開かない。
 彼女は誰の心も理解しようとしない、だから誰も彼女を理解できない。

 感情が無い、というわけじゃなかった。
 嬉しいとか、悲しいとか、人並みに感じる心はあった。
 ただ、それを表に出すのが酷く下手で、

 だから、友達なんて一人もいたことが無い。


 小学校では、当然のように虐められていた。
 どれだけ虐められても泣くことも怒ることもしない私を、同級生たちは面白がり、同時に気味悪がった。
 無邪気さというのは残酷なもので、抵抗しない私は容赦なく嬲られた。


 誰も味方をしてくれないから、私は独りぼっち。
 それでも、まだ心は壊れなかった。


 中学生になって、初めての夏。
 笑わない少女の噂は、学園中に広まっていた。
『どれだけ殴っても抵抗しない、サンドバッグのような女がいる』
 上級生の中でもとりわけ素行の悪い集団に、私は目を付けられるようになった。

 のこのことやってくる私を見るたびに、上級生たちは不愉快な笑い声を上げる。
 どうやら私も人の子だったらしく、さすがに得体の知れない気持ち悪さを感じた。
 怖い、悔しい、痛い。
 まだ幼かった私は、その複雑に入り混じった勘定に名前を付けることが出来ず、持て余していた。

 陰湿な暴力は、それまで私が受けていた虐めとは比較にならないほどに、痛くて、悔しくて、怖かった。
 左頬に押し付けられた火のついた煙草、その火傷痕は今も残っている。
 剥き出しにされた腹を、何度も殴られた。紫色を通り越して不気味な緑色に変わるまで。
 首輪を付けて、飼い犬の物真似もさせられた。窒息寸前まで引きずりまわす行為を、彼らは『散歩』と呼んでいた。

 ああ、嫌だな。

 殴られるのも、笑われるのも、怒られるのも、全部嫌だけど。
 どうしていいのかわからないのが、一番嫌だ。
 心が、壊れそうになる。


『ほら、殴り返してみろよ』

 私を殴っていた女子の言葉が、天啓のように響く。
 それはどうすることもできずに暴力を受けるままだった私を導く、神様の言葉だった。

 何だ、殴り返せばいいのか。

 膝をついて、立ち上がる。腹部に走った激痛も、私を祝福しているように感じた。
 体を包む浮遊感。振りかぶる腕も、とても軽い。
 この女の言う通りに、試しに一度だけ、殴り返してみよう。
 それまで言葉にできなかった嫌な気持ちを、全部全部叩きつけるだけ。簡単だ。

 拳を引いて、床を踏み抜く。


 弾け飛んだ頭部の感触は、潰れたトマトのようだった。


 停学の解けた翌月から、私は誰にも虐められなくなった。
 清々しい気持ち。
 誰も私を責めない、笑わない、殴らない!

 簡単なことだ、殴ればよかったんだ。
 殴られるのが嫌なら、私から殴ればいい。
 こんな単純な道理に、どうして今まで気づかなかったんだろう。
 どうして誰も教えてくれなかったんだろう。

 本当に。



 虐めはなくなったけれど、依然として友達は出来なかった。それでもいい、と、私は思っていた。
 歪な解を得たまま、私の心は殻に閉じこもる。

 自分を守るために、誰かを傷つける。
 その心理はまるで鎧のようだ、と、私に魔術を教えた師の言葉は、今でも棘となって胸に刺さっている。



――召喚の儀――



 聖杯戦争について教わったのは、弟子入りという名の保護を受けてからちょうど一年が過ぎた頃だった。

 神の血を受けたとされる、最高位の聖遺物を巡る大儀式。
 聖杯、それは手に入れた者の望みを遍く叶える万能の願望機。
 それを獲得するために、魔術師が競い、殺し合うというもの。それが聖杯戦争。

 その戦争が、私が齢十七の年に起きるということは、以前から伝え聞いてはいたのだ。

 参加しなさい、とは言われなかった。
 特に叶えたい願いも、欲しい名声も無かった。
 ただ私は冬木に住まう正規の魔術師で、そこで魔術師の戦争があるのであれば、当然参加するものだろう。
 私はそう思っていたし、師も特にそれを止めることはなかった。


 聖杯戦争の参加条件を満たすために、準備に取り掛かったのは一月ほど前から。

 参加条件、すなわちサーヴァントと呼ばれる存在の召喚。
 歴史に名を残す英霊を、触媒と術者の魔力を持って現界させた、規格外の使い魔。
 彼らを以て、魔術師同士の殺し合いは始まる。
 聖杯戦争とは、国と時代を越えた英雄同士の決闘でもあるのだ。

 この参加数には上限があり、要は呼んだもの勝ちらしい。
 私は師の残した文献を漁りに漁り、召喚に必要な詠唱や触媒を揃え集めた。


 そして、その夜。

 幾度も書き直した陣の前に、私は立っていた。
 使う詠唱の文節は、陰に潜み音もなく命を断つという、暗殺者の英霊を呼びだすためのもの。
 これといった触媒は用意できなかった。
 依り代不定の、ランダムな召喚となってしまう。
 とにかく儀式が体を成して、強力な英霊が来てくれることを祈るのみ。
 頭の中で三度ほど繰り返して、そらで暗唱できることを確認させる。

 落ちつけ。私なら、上手く出来るはずだ。


 翳した手に魔力を込め、引き寄せる。

「汝、三大の言霊を纏う七天……抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」


 光が部屋を包んだ。


 しばらく遅れて、轟音。
 身構えてはいたものの、全身を打つ衝撃によろめいて、腰を打つ。
 空間が膨張し、壁が悲鳴を上げ、その場に留まることに身の危険すら感じる。

「…っ、痛ぅ」


 それでも顔を上げれば、召喚の儀が成功に終わったことを知った。


「…まさか、この私を呼ぶ物好きがいたとは、な」

 魔力の残滓が土煙りのように舞う、その向こう。
 先程まで何もなかった空間に立っている、長身痩躯の男。

 出で立ちは東洋で、かなりの二枚目。青がかった長髪を後ろで束ねている。
 長太刀を携えた、紫紺の陣羽織。侍というよりも、傾き者と呼ぶべきだろうか。
 切れ長の瞳は、落ち着いた様子で部屋を見渡した。

 左腕に、熱を帯びた紋様――令呪が浮かび上がる。
 サーヴァントの手綱、命令の絶対的な行使権。
 それは私が聖杯戦争の参加者として認められた、何よりもの証だった。

 ――成功、したんだ

 歓喜に打ち震えそうになって、そこでようやく、傾き者がじっと私を睨んでいることに気が付いた。


「…其処元、名を名乗れ」

 切れ長の目が、冗談みたいな殺気を飛ばす。
 喉元に刃を突きつけられているような、鋭く冷たい威圧感。

 早速か、と、思わずため息を吐きそうになる。

 英霊が術者である魔術師に与するのは、利害の一致からだ。
 そこには無条件の信頼や、規則に準ずるような殊勝な信念は、基本的には存在しない。
 故に、隙あらば術者の寝首を掻こうとする輩も存在する。
 少なくとも目の前のアサシンから、友好な雰囲気は得られない。初対面だし、当然だけど。

 或いは歴史に名を刻んだ偉人、或いは神代の怪物、或いは世界を支配する絶対的な概念の具現化
 放つ重圧は、一般人ならそれだけで呼吸も忘れてしまうほど。
 けれども、こちらも一介の魔術師。ナメられるわけにはいかない。
 あくまで貴方とは対等なのだ、と、睨み返す。

「…暗殺者の英霊は、礼儀も弁えないの?」
 芝居がかった口調とともに、私は腕に浮かんだ令呪を見せつける。
 自分でも少し浮いているように感じるが、傾き相手にはちょうどいいだろう。

「ああ、それは許せよ。刀一つに人生を投げ打った粗忽者ゆえ。高貴な魔術師殿らの上っ面の礼節などには、とんと縁が無い」
「人に名前を尋ねるなら、自分から名乗れっつってんのよ」

 驚きに目を丸くする英霊。

 召喚の際に用いたのは、間違いなくアサシンを呼ぶための詠唱だったはずなのだけれど。
 忍ぶ気のない派手な陣羽織に、自重を知らない軽口の応酬。
 まさか失敗か、と、本気で勘繰ってしまう。

 しかし、


「――アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」
 英霊は、自身をそう呼んだ。

 まともな触媒すら用意できない環境で、かなり綱渡りな召喚だったけれど、それでも上手く応じてくれたらしい。
 けれど…佐々木小次郎?

「宮本武蔵と同時代に生きた剣豪…どっちかっていうと、貴方はセイバーじゃない?」
「……」
「…何で黙ってるの?」
「此方が名乗ったのにも関わらず自分は名乗ろうとしない、とはな。魔術師とは礼儀も弁えぬものか」

 ああ、いい性格してるわ、コイツ。

「…文月夏奈。水無月の次の『文月』、四季の『夏』、奈良の『奈』」
「ふむ、驚くほどの良き名だ。風情がある。名は体を表すとは、どこの道化の戯言だろうな」
「オーケー、やっぱり喧嘩売ってんのね」

 目を伏せて、アサシンは静かに笑う。


 こうして、私たちの聖杯戦争が幕を開けた。



――一日目、朝 自宅――



 ジリリリ、ジリリリ。

 午睡を掻き回すような、不快な金属音で目が覚める。
 耳元で喧しい。
 誰だ、私の静かな朝を邪魔するのは。


 そうして寝惚けたままに振るった拳は、今日も目覚まし時計を完膚無きまでに叩きつぶした。


「……、あー」
 止まるベルの音と同時に意識が覚醒、またか、と自分を罵る。
 今年に入って、これで五度目だ。
 象に踏みつぶされても壊れない目覚まし時計とか、売っていないだろうか。

 横には、長柄の太刀を抱えるようにして目を閉じているサーヴァント。
 昨晩契約を結んだ、この国の歴史に名を刻んだ剣豪の英霊。
 名を、佐々木小次郎という。
 号は巌流、編み出した秘剣と共に名を知られる、宮本武蔵のライバル。

 わずかな物音すら立てず、気配などまるで感じさせない。いっそ不気味なほどに。
 こうして黙っている間は、暗殺者の英霊かく在りき、と言った感じなのだが。

「…マスター。何だ、今のは」
「目覚まし時計。あらかじめセットされた時間になったら、ベルを鳴らして起こしてくれるの」
「ふむ。そして持ち主の起床と同時に、その役目と生涯を終えるというわけか。随分と残酷な仕組みだな」

 そう言って、再びアサシンは目を伏せた。
 どうやら私をからかって遊ぶのが、お気に召したらしい。
 歴史に名を刻んだ偉人って、みんなそんなものなのだろうか。
 此方からも嫌みを込めて尋ねれば、偉人でもないさ、と、飄々と言って返す。


「…結局、貴方のことはどう呼べばいい?」
「好きなように。アサシンでも小次郎でも佐々木でも。名を隠すつもりはないのでな」
「でも、本物の佐々木小次郎じゃないんでしょ?」
「さあな。この時代の『佐々木小次郎』が、一体誰の何を指しているのかがわからん」

 アサシンは本気で首を傾げている。

「私自身は、剣を好いた酔狂な農民に過ぎん。お主がそう呼ぶのなら、私は『佐々木小次郎』となるのだろうがな」


 英雄と言うものは常々、人々が口で伝えた逸話の塊に過ぎない。

 佐々木小次郎という名を持っていた剣士。
 飛ぶ燕を撃ち落とすほどに、十年一剣を磨いた剣士。
 宮本武蔵と勝負を果たし、巌流島で敗れた剣士。

 それぞれをごちゃ混ぜにして生まれた一種の創作話、その名前が『佐々木小次郎』なのだ。
 彼は『佐々木小次郎』の殻を被った、似て非なる誰か。そう解釈するのが一番的確だろう。

 勝手なものだ、人間なんて。


「…便宜上、貴方を『佐々木小次郎』として扱うのに、不満は?」
「特にはないな。好きに呼べばいいさ」

 何故、彼が呼ばれたのだろう。
 触媒を用いない召喚では、マスターの素養に近しい英霊が呼び寄せられやすいと聞く。
 正直、こんな気分の悪い英霊と似ているだなんて、考えるだけでも頭が痛い。

 それとも、在り方が似ていたのだろうか。
 剣一振りに自分の存在意義を見出した男と、両の拳以外に自分の存在意義を見出せなかった女の。


「…マスター、尋ねついでだ」
「何よ」
「何のために、お前は目覚まし時計をせっとしていたのだ?」


 あ、学校。



――一日目、朝 通学路――



 登校の足取りは、割と重い。

 当然ながら、溌剌と登校するほどに勤勉な生徒ではない。むしろ学校は嫌いだ。
 召喚の際にかなりの魔力を消費したというのも、原因の一つではある。


 ただ、それよりも。
 何よりも私の足取りを重くさせている原因は、

(ほう、寺子屋か。どのような花が咲いているのか楽しみだな)

 暗殺者の英霊とは名ばかりの、口やかましいこのサーヴァント。


(どうした、機嫌が悪いな。…ああ、なるほど)
(…何、勝手に納得してんのよ)
(いやいや、私のマスターも年頃の乙女、いじらしい所もあるとな)
(は?)
(案ずるな。主従ゆえに手は出せぬが、お主もなかなかに高嶺の花よ)

 殴りたい。すごく。
 自分だけ女扱いされていないから拗ねている、そう勘違いされたのが腹立たしい。
 そこまで乙女思考じゃない。バカにするな。

 此処は往来で、彼の姿や声を知覚できるのは私だけなのだ、と、自分に言い聞かせて思い留める。
 体は霊体化しているし、会話もパスを通じての念話。
 何もない所に拳を振るって、不審者と思われてはたまったものじゃない。

 一番静かで従順そうだから、と、アサシンのクラスを選んだのに。これは失敗だったかも。


(…私、貴方のことが苦手)
 こっちから呼んでおいて、失礼極まりないけれど。
 煩いだけなら我慢できるが、こうも捉えどころのない雲のような性格は、かなり苦手な部類に入る。

 私の正面からの宣言に、アサシンはくつくつと笑うだけだった。それはもう、愉快そうに。

(ああ、それは重畳だ)
(どうして?)
(『お前が好きだ』などと迫ってくる相手より、余程信用できるからな)

 艶笑から一転、珍しくアサシンは真面目な口ぶりで語る。
 本心から語られた言葉なのだろう。

(女狐は不得手でな。主の真っ直ぐ鋭い言葉の方が、私は好きだ)
(…嫌われていないのなら、それでいいけど)

 どうも、どこまでが本気か分からない。まともに相手をしても疲れるだけだ。
 まあ、パートナーを無碍に扱っても、良いこともないだろうし。
 適当に話を切りあげて、登校の足を速めた。


 さて、こんな地方の学園にも魔術師は存在する。

 確実なのは一人、冬木の管理者。御三家と呼ばれる、聖杯戦争の創始者たるものの系譜。
 怪しいのが二人、同じく御三家。今は絶えた魔術師の家系のはずだけれど、それでも油断は出来ない。
 どちらもマスターになりえる存在、警戒だけはしておかなければ。

 とはいってもアサシンに限って、その存在を先に悟られるということは無いだろう。
 ただでさえ隠密行動に適したクラス、余程のことでもしない限り気取られはしない。
 その上に、佐々木小次郎の持つスキル『透化』は、明鏡止水の境地。
 武芸者の無双の域まで達した彼が持つ、気配遮断の技がある。

 彼が霊体化を解くか、私が彼に迂闊に話しかけるか。
 もしくは優れた『気配察知』のスキルを持つ英霊がいない限りは、見つかることは無い…はずだ。

(…一応言っておくけど)
(何かな)
(学校に入ったら、緊急時以外は話しかけないで)
(……心得た)



 その日、警戒していたうちの一人、間桐慎二は学校に姿を現さなかった。

 元々真面目な学生ではないため、珍しいことじゃない。
 ただ、一抹の不安が胸を掠める。



――一日目、昼 学校――



 昼食時。
 いつものように購買でパンを買い漁り、屋上へと向かう。
 もちろん、独りで昼飯を食べるためだ。


(寺子屋の中に友はいないのか、夏奈は)

 突然の問いに、思わず辺りを確認してしまった。
 霊体化中のサーヴァントの声は、マスターにしか聞こえない。わかってはいるものの、肝を冷やす。

(…話しかけるなっつってんでしょ)
(すまぬな。自分の主が天涯孤独の身かも知れぬ、という急を要する事項だった。何故教室で昼飯を食わぬ?)

 『心眼(偽)』による直観だろうか。だとしたら、スキルの無駄遣いも良い所だけど。
 彼の言う通り、学園に友達はいない。というか、友達なんていない。

 私は、いわゆる「ぼっち」だった。

 虐められているわけではないし、最低限の言葉を交わす程度に、クラスメイトとの親交はある。
 けれど、その程度だ。
 口数の少ない無愛想なクラスメイトとして、私は彼らに認識されているはずだ。

 他人を容易く信じることなんて出来ないし、信じて貰えるほどに出来た人間でもない。
 だから、寂しくないと言えば嘘になるけれど、私はその孤独を受け入れている。
 私のような人間は、孤独である方が正しいのだから。

 第一、魔術師である時点で、一般的学生としての日常を享受することが出来ないのは当然だ。
 ちらほらと例外は見受けるけれど。


(…あんたの気配遮断も、完全じゃない。相手のサーヴァント次第では破られてしまうでしょう)
(然り)
(中休みと登下校は、生徒の入り乱れが激しいの。万が一に備えて、人混みを避けているのよ)
(ふむ…まあ、そういうことにしておこう)

 話しかけるな、と幾度注意しても、事あるごとにアサシンは無駄口を叩く。
 お陰で彼の嫌味にも慣れてしまった。不本意この上ない。


 と、階段を上り終えたところで、立ち止まる。

 扉の向こうに人の気配がする。
 先客か、と扉を開きかけて、


 静かに、決して気取られないように、扉を閉めなおした。


(…どうした?)
 アサシンの問いを聞き流し、階段を戻る。

 ああ、くそ、どうして私がこんな、逃げるような真似を。

 マスター候補の一人で、冬木の管理人。魔術師なのに、一般的日常に馴染む変人。
 男女問わず人気のある、ミス穂群原とも名高い学園のマドンナ。
 そして成績優秀、品行方正の『優等生』。

 これでもかというくらいに苦手な要素を詰め込んだ、私の天敵――遠坂凛が、そこにいたのだ。

 聖杯戦争の在る無しに関わらず、彼女と同じ空間で食事を取りたくはない。
 彼女とて、それは同じだろう。
 常に優雅に笑顔を絶やさないあの八方美人が、唯一私に対しては笑みを向けないのだ。
 同じ魔術師ということを意識しているからだろうが。

(…場所を変えるわ、アサシン)
(気の召すままに)
 舌を打ち、今上って来たばかりの階段を下りていく。
 聖杯戦争は始まったばかりだが、どうも幸先が悪い。



――一日目、放課後 学校――



 ホームルームが終わり、放課となる。
 人もまばらになった教室、残って談笑していたわずかな生徒も、しばらく睨んでいると大人しく下校した。

(縄張りを主張する獣か、お主は)
(…うるさい、喋るな)

 学生の時間は終わり。
 ここからは、魔術師としての時間だ。
 今日の内に、改めて学校の構造を詳しく把握しておかなければならない。

 この学園では魔術師に出会う可能性が高い。
 ただでさえ遠坂と間桐、御三家のうち二つの姓が揃ってしまっている。
 それに私自身が、この学園で一日の三分の一を過ごすこととなる。

 いざ戦域となった時に備えて、出来る限り優位な状況を作っておきたい。


「結界…は、無理か」
 独りごちる。
 マスターがいます、と、自分から明かしているようなもの。
 せっかくアサシンのサーヴァントを引いたのに、それではこのクラスの旨みを完全に殺してしまう。
 第一、私自身がそもそもそういう広範囲の魔術行使が不得意だ。

 となれば、アサシンの能力を活かせる場所を探すべきだろう。
 一撃離脱、ヒットアンドアウェイ。アサシンを引き当てたマスターが取る基本戦術が可能な空間。
 グラウンドや体育館は論外だ。広すぎるし、隠れる場所もない。必然、正面衝突になってしまう。
 各教室…これもイマイチ。閉鎖的すぎて離脱が難しく、意外と遮蔽物も少ない。


(…私としては、もののふとの一騎討ちは望むべくもないのだが)
「悪いけど、魔術師ってのは確実に勝てる勝負しか、……」

 玄関まで来たところで、しまった、と慌てて口を塞ぐ。

 アサシンの軽口に、つい生の言葉で返してしまった。
 ぶふ、と、遠慮も無しに吹き出したアサシンの声。思う壺だったらしい。後で覚えてろ。

 傍から見れば、誰もいないのに独りでブツブツ喋っている女なんて、気味悪いことこの上ない。
 せめて誰にも聞かれていませんように、と、冷や汗を散らしながら辺りを見回して、

 ちょうど目線の辺りに、赤毛が映った。


「…珍しいな、こんな時間に」
「……衛宮君」

 げ、と、口に出してしまいそうになるのを堪える。

 背の低い男子が、気まずそうな目でこちらを見ていた。
 目が合ったから仕方なく声を掛けました、と、顔に書いてある。
 聞かれないように舌打ち。私だって、この男子は嫌いだ。


 衛宮士郎。『正義の味方』。
 別に彼が戦隊シリーズに出てくるような超人というわけではなく、そうからかわれて呼ばれているというだけ。
 絵に描いたような善人で、頼まれ事は基本的には断らず、どんな不躾も笑って許すというお人好し。

 虫唾が走る。

 『優等生』も『正義の味方』も、全部全部、架空の生き物だ。
 そんな人間が本当にいるわけがない。
 もし本当に正義の味方なんてものがいるのなら、私みたいな人間が生まれるはずがないのだから。

 誰だって面の皮を捲れば、汚い本音がこびりついている。
 それはこの少年だって例外ではないはずだ。
 それを『正義の味方』という隠れ蓑で覆っているのだから、たちが悪い。
 優しい顔をして近づいて、心の底で何を考えているかわからないだなんて、不気味なことこの上ないだろう。

 『お前が好きだ』なんて寄り添われるより、『お前が嫌いだ』と正面切って言われた方が、ずっといい。
 アサシンの言葉は、真を突いている。

 そんな訳で、私は衛宮士郎というクラスメイトが大の苦手なのである。


「あ、いや、別にいちゃいけないっていう意味じゃないんだが」
 黙って睨めば、取り繕うようにして苦笑った。
 その笑みすら気に食わない。何が可笑しいんだ。貴方なんかに気を遣われたって、私は微塵も嬉しくない。

 無視して、そのまま歩き去った。



――一日目、夜 学校――



 …だから、まあ、言い訳をさせてもらえるならば、私は疲れていたんだと思う。


 屋上では遠坂凛からこそこそ逃げ周り、
 玄関では衛宮士郎に邪魔をされ、
 おまけに四六時中アサシンのちょっかいを相手にして。

 ストレス耐性は低い方じゃないと思うけれど、こうも立て続けに来れば、流石に、ホラ。

 足の向くままに、暗くなった校舎を往き、自分の教室へ。
 気づけば無意識のままにチョークを握り締め、黒板に罵詈雑言を書き殴っていた。


『バカスパナ あかいあくま チビ 金の亡者』


 小学生か。

 我に返って、急に裏寒くなる。
 これは痛い。
 誰かに見られたら、確実に黒歴史に刻まれる類のものだ。

(…で、何をしていたのだ?)
「何だっていいでしょ…」
 アサシンの呆れ半分困惑半分の声が、心に刺さる。
 失望したことだろう。自分を呼んだマスターが、こんなにちっぽけな人間だったなんて。

「…笑えば?」
(いや、その…、何だ)

 軽口が売りのアサシンですら、言葉を選ぼうとしている。
 気を使われているのが余計にショックで、とりあえずそっと黒板消しで拭っておく。



 そんな、どうしようもない一組の参加者を余所に、

 聖杯戦争は動き出していた。



「――!!」
 激しい魔力の衝突を感じ、帰りかけていた足を止める。
 位置を探ろうとする前に、一足先に音を聞きつけたアサシンが、既に霊体化を解いて窓から下を眺めていた。

「…サーヴァントの戦闘、か」
「見えるの?」
「感じると言った方が近いな」

 英霊の感覚は、よくわからない。

 グラウンドには、時折火花が散っているだけだ。
 光も音も、離れた教室までは届かない。
 せめて、と窓を開け放ち、魔術で視覚と聴覚を強化して、その争いを確認する。


 一番最初に目に飛び込んできたのは、見るも鮮やかな赤のドレスだった。
 暗闇でも目立つ派手な出で立ちに、結われた金髪、端正な顔立ち。

「ふむ…豪華絢爛といったところか」
「…何で嬉しそうなの?」
「同じ戦うならば、優雅な方が好ましいだろう」

 アサシンの趣味が、なんとなくわかった気がする。

 赤のサーヴァントは大剣を構えている。セイバーだろうか?
 得物が刃物というのならアサシンも同じだ、断定はできないけれど…

 マスターを守るように立ちはだかり、放たれる攻撃を次々と撃ち落とす。
 見るも鮮やかな剣舞は、戦闘というよりは芸能に近い。出で立ちからしても、高貴な身分なのだろう。
 抱えた剣が無ければ、およそ戦場には相応しくない少女だ。


 そして、我が目を疑う。


「大丈夫か、セイバー!」
「案ずるな、奏者よ」
 セイバーのサーヴァント、その後ろにて守られながら、同じくアーチャーに立ち向かうマスター。
 やや小柄な体格、顔立ちは幼げで、けれども意志を感じさせる不愉快な瞳。
 印象的な赤毛、穂群原の男子制服、そして記憶に新しい声

 無条件で神経が逆立つ。

 赤のサーヴァントに守られているあのマスターは、紛れもない、

「先程話していた少年か…どうした、夏奈?」
「…、……」

 感情が奔流し、言葉を失う。
 それは怒りか、失望か、何だろう。


 衛宮士郎は、セイバーと呼んだ。


 それは、彼が魔術師であるという以上に。
 この聖杯戦争のおぞましさを理解した上で参加していることを証明する、決定的な状況証拠。

 顔中の筋肉が歪む。

 ほら、見たことか。
 人間なんて面の皮一枚捲れば、何を考えているのかわからないんだ。

 あれほど善人ぶっていた男も、正義の味方の皮を被った外道ということだ。
 魔術師なんて、みな例外なく利己主義の塊なんだから。


「マスター」
「……」
「個人的な世事に囚われるのは、勝負の行く末を見届けてからにしてはどうかな」

 アサシンの軽妙な声が、滾った神経を緩ませる。

「……そうね、貴方の言う通り」
「礼には及ばぬ」
「それ、普通はお礼されてから言わない?」

 よし、よし。誰かと話していれば、いつもの調子が戻ってくる。
 沸騰した頭に氷をブチ込み、なんとか冷静に。

 今はやるべきことがある。感情に迷わされて目的を見失うなんて、素人以下。

 衛宮士郎は魔術師で、セイバーのサーヴァントを従えたマスター。
 それだけで情報としては十分だ。


 もう一方の陣営は、英霊が一人で戦っていた。
 時折マスターと思わしき男の声だけが響くが、その姿は見えない。

 草木色のマント、精悍な顔立ち。
 携える木製の弓は毒々しい紫色、形状としてはボウガンに近く、魔術とは少し毛色の異なる『嫌な感じ』がする。
 おそらくはアーチャーのクラスだろう。

「…やれやれ」

 射撃の手を止め、独りごちる緑のサーヴァント。

「こういった一騎討ちってのは、避けてほしいものなんですがね」
「黙れ、アーチャー。さっさとセイバーを討ち取るのだ」
「あいあい…了解だ、旦那」

 軽い口ぶりは、どこかアサシンと被る。
 同じような境遇にある英霊か――いや、そんな事情に意味などない。

 私が得るべきは、それぞれがどのようなサーヴァントなのか、という情報のみ。
 それは、今後の戦いを確実に楽にしてくれる。
 加えて言えば、この戦いでどちらかが消耗、もしくは敗退してくれれば儲け物だ。


 アーチャーが再び弓を引き絞り、セイバーは顔をしかめる。
 放たれた矢に宿るのは、魔というより呪の類だろう。わずかながら歪な軌道が、それを物語っている。
 あの狩り方は猟師のソレに近い。おそらくは掠り傷でも致命傷を期待できる何かがある。

 対してあのセイバーはおそらく、アーチャーにはとことん相性が悪い。
 自分よりも速い遠距離タイプ。接近戦が得意なクラスが、最も苦手な相手だ。
 私自身がそうだから、彼女の苦悩も手に取る様に理解できる。
 加えて突破口の見えない防戦は、集中力を溶かしていく。剣の振りは、次第に乱雑に。

 或いは援護してくれるパートナーがいれば、幾分かはマシになる、のだが。


「…何やってんの、衛宮君は…」
 援護どころか、完全に足手まといだ。
 彼を庇おうとして、セイバーは二人分の射撃を食い止め、結果として攻めるに攻められない状態となっている。
 魔術を行使する素振りも見せず、立ちすくんでいるだけ。

 まさか素人、いや、偶然巻き込まれた一般人のマスター?

 …違うだろう。それは矛盾している。
 この時期に召喚を成功させているなら、自分から呼び出したということになるのだから。

「助けないのか?」
「敵になるかもしれない相手を? …冗談」
「…合理的なマスターで助かるな」

 アサシンは私を笑う。
 口調は、けっして褒めてなんかいない。

 助けることに利益なんてない。
 ただでさえ、あいつは私の嫌いな『正義の味方』だ。
 余計な感情を排して、戦場だけに意識を集中させなければ。


「…何をしている。早く倒せ、アーチャー」

 苛立たしげな声が、再びグラウンドに響いた。
 どうやらアーチャーのマスターは、セイバー以上に堪え性が無いらしい。
 緑のアーチャーも、せっかちな自身のマスターに苦笑う。

「わかっちゃいますがね…その注文はちょいと無茶じゃないですか、旦那」

 ああ、此方のマスターも足手まといの類か。
 功を焦らずとも、あのまま嬲れば消耗戦。勝ちは見えているというのに。


 アーチャーの戦い方は、実に理に適っている。
 自分が最低限出来ることで、相手を最大限に苦しめる。
 戦場に美学など不要。卑怯な戦法でも、勝てば正義だ。過程ではなく、結果を重視する兵法。

 更には、その戦い方も私と相性が良い。
 マスターを狙う凶弾を織り交ぜて、セイバーを足止めさせている。
 徐々に蓄積していく疲労、そしてダメージ。立派な戦闘論理だ。
 何より、マスターに従順。


 …あのサーヴァントを選べば良かった。


「セイバー、俺に構わず、敵を」

 そんな的外れを、サーヴァントが聞く耳など持つはずがない。

「そう言う訳にはいかぬだろう…そなたは余の奏者なのだから」
「良いね! 助け合い、絆、大いに結構!」

 高らかなアーチャーの声と共に、新たに番える矢は五本。
 急かされたサーヴァントが、一気に勝負を決めにかかったのだ。
 矢は木製、枝をそのまま削ったような作りの荒さ。

 凶弾はほぼ一斉に放たれ、別々の軌道を取る。
 うち二本を弾き、一本はかわしたセイバーが、流石に体勢を崩して、

「…こっちの仕事が楽になる一方だからね」

 そのセイバーの死角。
 茂みから飛び出した二本の矢は、無防備なマスターを狙う。

 詰みか、と、私自身も思ってしまった、その一瞬。



 それは、勝利を確信したアーチャーに、ほんの僅かな隙を生ませた。

「…今だ! 退くぞ、奏者よ!」

 二本の矢を、衛宮士郎は寸でのところで回避していた。
 それなりに場馴れしているのだろう。そういえば弓道部にも所属していた過去がある。
 アーチャーの瞳が驚愕に見開かれる。

 ニヤリ、と会心の笑みを浮かべて、大きく飛び退いた赤のサーヴァント。
 おそらくセイバーは、最初からそれを狙っていたのだろう。
 だからこその防戦か。一撃に賭けて特攻を仕掛けるのでも、宝具で以て形勢逆転を図るのでもなく。

 勝利ではなく、離脱。
 あのサーヴァントは、かなりの戦上手だ。自分の身の振り方をよく心得ている。

 マスターの腕を取り、セイバーは学園の塀を飛び越えた。
 相手が余程の執着を見せなければ、それは戦闘の終了を意味する。


「何をしている! 早く追え、アーチャー!」

 苛立たしげな声が校庭に響き渡った。
 アーチャーは肩を竦めて、どこかを見上げて声を張り上げる。

「一般人の居る道で殺しても良い、って話なら、すぐさま追うんですけどね。…まずいでしょ、流石に」
「此処まで追い詰めておいて逃げられるとは…っ、この無能が!」
「…やれやれ」

 アーチャーの溜息が、私のそれと重なった。
 それを言うなら、高みの見物を決め込んでいたマスターも、だろう。

 我が身可愛さか知らないが、アーチャーと共に攻めの手を増やしていれば、もっと早く片が付いたはずだ。
 まあ、そこが魔術師的思考というものか。
 最低限のリスクで、最大限の結果を求める。あのアーチャーの方針とは、似て非なるものだ。


 やがてアーチャーは霊化し、姿を消した。
 おそらくはマスターも去ったことだろう。


「…終わったか」
「マスターはともかく、サーヴァント…とりわけアーチャーには、注意が必要ね」
 セイバーは防戦一方だったため、その手の内までは図れなかった。
 それでも、贅沢は言うまい。
 何の対価も無しに、これほどの情報を零して行ってくれたのだ。

「良い収穫だった…帰ろう、アサシン」

 念のために魔術の痕跡だけ消して、私たちは学校を後にした。
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