七代目リプレイ7


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――五日目、朝 自宅――



「む…」
 左腕を軽く伸ばしてみる。
 昨日のような、目が覚めるほどの痛みはない。
 ただ、肘の可動に違和感が残る。動かす度に軋むので、思い切り曲げるのは少し怖い。

 バーサーカーとの戦いで腕にかかった負担は、まだ尾を引いている。
 万全の状態とは言えないだろう。
 遠坂の言った通り、こんな状態で間桐に攻め込むのは無謀かもしれない。


 間桐攻略の要素は三つだ。
 一、情報を出来るだけ集め、万全の対策を練ること。
 二、正面突破を出来るだけの戦力を整えること。
 三、もしくは攻め込まない方法を考えること。

 一に関しては、遠坂に丸投げしている。
 昨日の新都の魔術師の件でもわかったけれど、私よりも彼女の方が何倍も適任だ。
 アサシンのサーヴァントを引いたのだから、それは本来は此方の役目でもあるのかもしれない。
 が、残念ながら私のアサシンは良い意味でも悪い意味でも規格外。

 二に関しては、これ以上は打つ手なし。
 遠坂のライダーを除くと、残るサーヴァントはアーチャーとキャスターだ。
 アーチャーのマスターは初日に見て以来だけど、あれは誰かと手を組むようなタイプじゃないだろう。
 キャスターも拠点防衛に専心するクラス。今更同盟を持ちかけても、のこのこ外には出て来るまい。

 さて、そうなると、残る第三の選択肢について考えなければならないだろう。
 個人的にはあまり心惹かれる手じゃないけれど、やむを得ない。
 間桐をぶっ飛ばす、というのは、私の願望でしかないのだ。
 最優先は、あくまで間桐桜の無事の確保。

「やっぱ本人に聞くのが手っ取り早いか」

 もちろんその手段は、間桐に此方の動きを気取られるという危険を孕んでいる。
 少なくとも単身では取れなかった手だ。
 けれど、今は遠坂もいる。私一人の情報が気取られても、まだ詰みじゃない。

 学校に来てくれているように、と、切に願う。
 私や慎二と違い、真面目な生徒のはずだ。余程の理由がない限りは、休むことはしないだろう。

 休んでいるとしたら、それは、


「……行かなきゃ」


 コートとマフラーを手に掛け、玄関に魔術で施錠。
 ここ数日は遅刻も早退も欠席もなく、真面目な生徒を気取っている。

 聖杯戦争に参加してむしろ出席率が上がるなんて、初めの頃は予想だにしていなかったのに。



――五日目、朝 学校――



 それは、教室を入ってすぐに感じた。

 他人の視線や敵意には敏感な方だ。隠すつもりがない相手なら、それは尚更。
 無言の圧力。
 息苦しいほどに突き刺さる、視線と敵意。
 一瞬でも萎縮してしまった自分が恨めしい。

 怖かったのではない。
 勝てない、と思った。

 衛宮士郎が、ずっと私を睨んでいる。

 それも、登校してからホームルーム、授業、休み時間、一秒たりとも意識を逸らさず。
 薄気味悪い。ストーカー被害に遭ったら、こんな心地なんだろうか。

 負けて恨んでいるというのなら、それも当然だろう。
 セイバーと彼の間にあった絆を切ったのは私だし、彼の聖杯へかける望みを絶ったのも私だ。
 誰かを殴る時は、いつも恨まれることを想定して殴る。慎二の時だってそうだった。
 想定はしていたけど、これは。


「…衛宮君、ちょっといいですか」
 しばらく無視を続けてみたものの、根負けだ。
 三限後の休み時間に、私はとうとう自分から話しかけた。
 このまま無視し続けても、この少年はきっと止めない。そういう根比べなら、滅法強そうだし。

「私に言いたいことがあるなら、口で言ってください。ずっと睨まれていても、気分悪いですから」

 その言葉を待っていたかのように、衛宮も口を開く。

「…悪い、ちょっと時間貰えるか」

 頷いて、教室を抜け出した。
 どのみち私と彼の話なんて、魔術や聖杯絡みだ。人目のあるところで出来る話じゃない。


「……」
「……」
 互いに無言のまま、人気のない特殊教室棟へ。
 衛宮は私を睨んだままだ。

 溜息を吐く。
 聖杯戦争前までは、苦手同士とはいえども、それなりに礼儀を持って接していた。
 ここまであからさまな敵意を向けられ続けるのは、こっちだって疲れる。

 しばらく黙っていた衛宮だったが、ゆっくりと息を吸って、一言一言かみしめるように言葉を零す。


「…お前、魔術師なのか?」

 お前、女子なのか? くらいに、当たり前すぎる質問。
 衛宮士郎は私を睨んだまま。つまり冗談の類じゃなくて、大真面目な質問なのだろう。

「当たり前でしょう。貴方も魔術師なら、同じ土地の魔術師くらい把握したら?」
「…俺は魔術を知っている。けれど、厳密に言うなら魔術師じゃない」

 何だそれ、と、尋ねようとして止める。
 こんな奴に興味もなければ、事情に深入りするつもりもない。黙って話の続きを促す。

「…それで、聖杯戦争にも参加している。そうだよな?」
「ええ。生憎と、まだ生き残ってます」

 必要ならアサシンでも見せようか。
 彼の質問は要領を得ない。結局何が言いたいのかが伝わらない。


「では、此方からも質問。どうして教会で保護されていないの? 私の忠告は無視ですか?」

 マスターとして令呪を与えられた人間は、つまりは聖杯に選ばれた人間。
 一度この戦争に関わってしまえば、ありとあらゆる理由で命が狙われる。
 敵との交戦、マスター権限や令呪の画の簒奪、枚挙にいとまがない。
 それは、例え敗退した素人マスターであっても同じことだ。

 憎むべき偽善者でも、『正義の味方』を騙る者でも、敗退させたのは私だ。
 聖杯戦争は魔術師の戦、それに情けを掛ける方が、本当はおかしいのだけれど。
 それでも、これが原因で命を失うようなことがあっては寝覚めが悪い。だから最低限と思って勧めたのに。


 此方の問いに、衛宮は首を振った。

「それはダメだ。何も出来なくなる」
「今更、何をしようと言うんですか。もともと何も出来ないでしょう」
「やってみなくちゃわからないだろ」

 敗退した身で、まだ聖杯に縋るのか。浅ましい。
 男なら、いや魔術を知るものなら、潔く身を引くべきだ。

 私は侮蔑の意を込めて衛宮を見つめ、


「俺は、聖杯戦争を止めなきゃいけない。セイバーに誓ったんだ」


 その目を、思わず見開いた。


「…止める?」

「ああ。魔術師同士で殺し合って、関係ない人まで巻き込むこんな戦争、おかしいだろ」

 道徳の教科書でも読み聞かせられているのか、私は。

「もし聖杯戦争が周りに被害を及ぼすなら、それを止めなきゃならない」
「それは…貴方の義務じゃない。管理者や協会側が気を配ることでしょう」
「いや、俺の義務だ。止められるものは止める…いや、止められなくても、止めてみせる」


 嘘や冗談じゃないことは、先刻から理解している。
 衛宮の目は、本気の光を宿したままだった。
 そんな『正義の味方』みたいな戯言を、大真面目に…

 ああ、そうか、なるほど。
 私は今の今まで、『衛宮士郎』という人間を誤解していたのか。

 コイツは、大馬鹿だ。
 根幹からねじ曲がった、救いようのない矛盾を孕む、大馬鹿野郎なんだ。
 『正義の味方』を騙っていたわけじゃない。
 自分が『正義の味方』になれると、本気で信じている。


「なあ…お前も、聖杯を手に入れるためなら何をしてもいい、と思っているのか?」

 衛宮が私を睨む。
 噛みつくように。
 けっして相容れることのない互いが、敵意をむき出しに向かい合う。

 私が今まで彼を毛嫌いしていた理由が、ようやくわかった。
 『正義の味方』を騙っているからじゃない。
 偽善者だからじゃない。

 その歪んだ在り方が、酷く私自身と似ていたから。

 同族嫌悪、というやつか。
 私と衛宮は似ているけれど、向いている方向が全く別なんだ。


「――ええ、そうね」

 ならば、この少年は止まらない。
 壁にぶつかっても、ブチのめされても、この在り方を止めることはない。
 なぜなら、「それが正しいと思ったから」。
 正しいとは、そう在るべきだということ。

 だから、絶対に私とは相容れない。
 私もまた、今の在り方を変えるつもりはない。だから、絶対に衛宮士郎とは相容れない。

「魔術師なんて、そういう生き物でしょ」

 もはや礼儀は不要だった。
 敵対するしかないとわかってしまったのだから。


「貴方は未熟だから、そういう魔術師の倫理を理解出来ないだけよ」
「理解したくもない。クソ喰らえだ、そんな倫理」
「ええ、理解して欲しくもないわ。貴方がどう思おうと勝手だけど、私たちの在り方にも口出しはしないで」
「それは出来ない。お前らは罪もない民間人を犠牲にするんだろ。なら、それを止めてやる」

 魔術の存在は秘匿。それが一般に知られては、価値が無くなってしまうからだ。
 秘匿を宿した情報にこそ、価値が宿る。
 誰も知らないからこそ、知っている自分が優勢に立つ。
 これが魔術師にとっての最大級の倫理であり、絶対の不文律。これを破らない限りは、何をしても許されてしまう。

 歴史も、自然も、他人の命も、全て天秤にかける対象だ。
 魔術の秘匿や自分の利益と比べて、軽い方を捨ててきた。
 それが魔術師。いや、それが人間という生き物だろう。

「力を伴わない言葉は、ただの虚言です。貴方は聖杯戦争を止める力なんて持っていない」
「だから、やってみなくちゃわからないって」


 相容れない、けれどこれでいい。

 むしろ正面から正々堂々と憎める分、今までよりもずっと、この関係の方がいい。
 貴方が嫌いです、と、正面から言える関係の方がわかりやすい。


「一人でも犠牲者を出してみやがれ。俺の正義に違えるなら、お前だって止めてやるぞ、文月」

 『正義の味方』にしか許されない暴論を、軽々と衛宮は口にした。

「保護は受けない。サーヴァントだとかマスターだとかは、関係ない…聖杯戦争は、俺が」


 上等だ。
 私の二つ名を知っているか、衛宮士郎。

 私のルールに違えた時は、私こそお前を止めてやる。



――五日目、昼 特殊教室棟――



 睨み合っているうちに、いつの間にか四限は終わっていた。
 昼休みを告げるチャイムが、試合終了を告げるゴングのように鳴り響く。

 けれど、それで私たちが止まるかと聞かれれば、答えはノーだ。
 止めるレフェリーも、止まる大義名分もない。


 衛宮の言葉は、ずるかった。
 『やってみなければわからない』なんて、その場しのぎの言い訳だ。
 理想ばかり語って、現実に目を向けようとしていない。
 その言葉は、体のいい綺麗事。きっと理不尽や不条理のない世界で、何の苦労も知らずぬくぬくと育ってきたんだ。

 顔を見ていると、どんどんとドツボにはまる。
 言葉の応酬をしていた時よりも、苛立ちが募っていく。


 どうにかひと泡吹かせてやりたい、そう思った私は、


「私を止める、と…そう言ったわね、衛宮君」

 怒りに震える声で、それでも出来るだけにこやかに尋ねた。
 気味悪いものを見るような目で、衛宮が応える。

「…ああ、誰かを傷つけるなら、俺はお前を許さない」
「許さないなら、どうするつもり? 私を殺す?」
「……わからない。でも、四六時中張り付いてでも、お前を止めてやる」


 言質、取ったり。


 聞くが早いか、衛宮の腕を握り締めて、ずんずんと階段を上った。

「お、おい、なんだよ!?」
「いやぁそろそろお昼ご飯の時間ですよね私お昼はパンって決めてるんですよー早く購買に行かないと売り切れちゃう」
「意味わからん! 何で俺まで連れてくんだよ、離せって!」

 引きずられる衛宮がぎゃあぎゃあごねるが、構わず引きずり続ける。
 悲しくも、体格は私の方が大きい。加えて魔術の特性上、体を鍛えることも怠っていない。
 小柄な少年の抵抗は、あってないようなものだった。

 好奇の目に満面の笑みという威嚇を返しつつ、廊下を進む。
 衛宮を掴んだまま人込みをかき分けて、焼きそばパンを購入。
 あまりの光景に人垣も分かれ、思っていたよりも楽に進むことが出来た。


 助ケテー、拉致ラレルー。
 イヤン、衛宮君ッタラ大袈裟ナンダカラ、ウフフフ。


 再び人気のない特殊教室棟に戻り、女子トイレに引きずり込む。

「四六時中張り付くんでしょ?」
「馬鹿、止めろって…!」

 抵抗は許さない。
 投げ捨てるように個室に押し込んで、私もその中に入り、後ろ手に鍵を閉める。
 逃げ場を失った衛宮の顔に、サッと青が走った。

「何がしたいんだよ、お前!」
「人に聞かれたくない話とか」
「だからって、なんで…その、女子トイレなんだよ」
「男子トイレの方が良かった?」

 貞操の危機でも感じているらしい衛宮を尻目に、買ったばかりの焼きそばパンの封を切る。
 なんだなんだと困惑する衛宮を便座に座らせ、私は扉に背を掛けた。


「知ってると思うけど、私ぼっちなんですよ」
「いや、……まあ、誰かとつるんでるのは見たことないけど」
「なので、いつも通りトイレの個室で食事を取ろうと思って」
「お前、それ…いや、わからん。それで、何で俺まで連れて来たんだ」

「だって、四六時中張り付くんでしょう?」


 戦国を渡り歩いた剣客をも怖気づかせる、『文月夏奈』の満面の笑み。
 衛宮もようやく、自分の生命活動の危機を理解できたらしい。
 自分の笑顔にこんな使い道があるだなんて思わなかったけど。

 過去の失言に、口を押さえる衛宮。
 いや、失言ではない。ただ、言った相手が悪かったのだ。


 覚悟しろ、リア充。ぼっちの怖さを思い知れ。


「昼食だけじゃなく、本当に用を足す時も、寝る時も、お風呂に入る時も…片時も私から目を離さないのよね?」
「いや、待て、そこまで言ってない。誤解するな文月、あれは言葉のあやで」

 聞く耳を持たない。

 ブラウスのボタンに手を掛けると、大仰に衛宮が飛びのいた。
 とは言っても、扉を背にしているのは私で、トイレの個室の中。
 開ける距離はたかが知れている。
 衛宮との距離は、それこそ吐息が届くほど。


「例えば、こういう時も…」

 肩を露出させて、迫る。


「よせ、馬鹿!」

 衛宮が真っ赤になりながら、真っ青になる。器用な芸当だ。
 耳元であられもない声をあげると、思いっきり突き飛ばされた。

「いや、ホント何がしたいんだよ!」

 そう言って、私を押しのけて飛び出ていく。
 入口あたりで、女子生徒の悲鳴が聞こえた。ざまあみろ。


 うん、本当に何がしたかったんだろう。

 頭に血が上ると黒歴史を量産してしまう癖も、そろそろ治さなければ。
 視界に衛宮士郎が入っているうちは、脳が沸騰していたというか、感情のまま暴走出来たのだけれど。
 敵が逃亡したことで、急激に頭が冷えていく。

 あれ、もしかして、今私すごい恥ずかしいことをしていたんじゃないだろうか。


(…っていうか、なんで貴方はさっきから黙ってるのよ)
(…おぞましいモノを見てしまったのでな)
「……」



――五日目、放課後 弓道場――



 さあ、気を取り直して聖杯戦争だ。

 どこかの大馬鹿に邪魔されてしまったような気がしたけれど、そんなことはなかった。うん、そんなことはなかったんだ。
 昼休みはいつも通り、トイレの個室で昼食を取っていただけ。
 黒歴史という名の白昼夢は、早々に忘れることにして。


 学校に来た目的を、改めて思い出す。

 私は間桐桜に接触するために、わざわざ登校してきたのだ。
 確か彼女は、次期弓道部部長候補の一人。おそらくこちらには、確実に姿を表すだろう。
 そうでなくとも、他の弓道部員から情報を得られれば、多少の進展は望める。

 出来ることなら、今すぐにでも間桐に乗り込んでやりたかった。
 遠坂の言葉が無かったら、策も無しに猪突猛進で乗り込んでいただろう。
 こういう根回しのような策を講じるのは、本当に趣味に合わない。


「お、珍しい客だね」

 と、弓道場の前で声を掛けられる。
 今まさに扉を開こうとしていた、その背後からだったので、少し驚いてしまった。

 カラリと張った声は、竹を割ったような彼女の性格そのもの。
 道着姿に着替えた、涼とした顔立ちのボーイッシュな少女。
 同じ学年だし、幾度か話したことはある。確か、現弓道部部長の…、誰だったか、名前が思い出せない。

「何、見学?」
「いえ…その、間桐さんに、用事が」
「間桐に?」
 向こうはかなりフレンドリーに接してはくれるが、此方は名前も思い出せないので酷く気まずい。
 件だけ聞いて、早々に立ち去ろう。

 間桐桜の動向か、あわよくば彼女が連絡先を知っていれば。

「間桐は休みだよ」
「…そう。じゃあ、明日にでも…」
「いや、無理じゃないかな」


 ショートカットの部長は、それが癖なのか、あごをさすりながら、んー、と唸った。


「あいつ、ここ数日ずっと休んでるんだ」


「……そう」
「ご家族から連絡があったらしくて、体調不良だって聞いてるけど……文月、どうした?」
「…いいえ。学校にも来ていないのね?」
「ああ、そうだよ」


 そうか。

 握りしめた革の鞄が、ミシミシと音を立てる。
 どうしようもない喪失感。
 そんなはずはない、あるわけない、と、心のどこかで縋っていた。
 それでも現実は非情に、一番望まない結果を叩きつける。

 可能性として危惧していた中でも、最も悪い展開。覚悟はしていたけれど、考えないようにしていた。
 やはりその事実は重い。

 間桐桜は、本当に間桐に囚われている。

 マスターとして聖杯戦争に参加した訳じゃない。
 それだけじゃない、きっと本人は望んでいなかったに違いない。
 その自由意思をことごとく奪い、ただ聖杯に選ばれたマスターとして、現界を維持する魔力タンクとして。
 おそらく今も、新たなサーヴァントを従えるためのそれとして、解放はされていないのだろう。


『…間桐の娘を、救ってくれ』

 悠長に学生やってる時間なんてなかったんだ。
 私一人でも、乗り込んでやればよかったかもしれない。
 衛宮に喧嘩を売ったり、サボって新都を探るよりも先に、一秒でも早く。
 間桐桜を、助けに行かなければいけない。

「…ありがとう、部長さん」
「ああ。間桐に会いに行くなら、宜しく伝えといて」


 弓道場を全速力で後にする。

 遠坂を探さなければ。
 もう帰ってしまっているだろうか。遠坂邸に先回りを…いや、玄関で靴を確認する方が早い。


「…あら、文月さん?」

 と、そこに行くまでもなく、遠坂の声が私を呼んだ。
 玄関のホールで、友人たちに囲まれている。
 彼女の声を合図にして、数人が一斉に此方を向いた。

 ぐ、と、口籠る。

 向けられるのは、ほんの僅かな慄然を宿した好奇の視線。
 ホラー映画を見ている人は、きっとこういう目をするハズだ。
 『文月夏奈』を、彼女たちもきっと知っているのだろう。


 でも、怯んでいる暇はない。


「…遠坂さん、その、お話が…あの、間桐さんの件で」
 どもりながら視線を泳がせ、必死に言葉を紡ぐ様は、きっと不自然な上に無様だろう。
 遠坂の取り巻きの女の子たちも、きっと後で私を笑うんだ。
 それでも構わない。

「…わかりました。みなさん、今日は先約があるので、申し訳ないのですが失礼しますね」

 私の挙動不審を、ただならぬ何かと勘違いしたのか、遠坂の目の色が変わる。
 玄関を出て、二人で向かうは遠坂邸。
 私までいちいち自宅まで戻っている時間はないし、戻る必要もない。



「…何があったの?」
 信号待ちで尋ねてきたのは、遠坂の方からだった。
 下校途中で、まだ生徒や通行人もまばらにいる。
 魔術の秘匿は、冬木の管理人である彼女こそが従うべき、魔術協会の定めた絶対のルール。

 それと天秤にかけても、やはり今回の事態を重んじるべきだと、そう判断したのだろう。
 私も声をひそめて応じる。

「…間桐桜は、ここ数日学校を休んでいる」
「……そう、やっぱり」
「悠長に情報収集している時間なんて無かった…! 一刻も早く助けないと、彼女は…」

 遠坂はきっと、私を止めようとするだろう。
 それでも此処で押し切らなければ、本当に間桐桜が■■されてしまう。
 私が甘かった。日常に流されて、あの時の決意を忘れかけていたのかもしれない。

 雁夜は命を賭して、バーサーカーを仕留めた。
 それなら、私が命を惜しんでいる場合じゃなかったのに。


「…はぁ…」
 目を閉じて、深く、重いため息。
 けれども再び見開いた瞳は、既に覚悟を決めていた。

「…こうなったら、攻め込むしかないのかもね」
「遠坂、」
「貴方が一人だけで乗り込む、なんて言ったら、許さないからね」

 先に私の言葉を読んだのか、敵意よりも鋭い意志を以て、遠坂が睨んでくる。
 もしかして、私はかなりわかりやすい人間なのかもしれない。
 彼女が共に並び立ってくれるなら、これ以上に心強いモノはないけれど。

 私の戦いに巻き込んでもいいのだろうか。
 その逡巡が、ずっと胸にしこりを残している。

 迷う私に、再度遠坂は言葉を突きつけた。


「アンタに付き合ったのが運の尽き。私も、覚悟を決めるから」



――五日目、放課後 遠坂邸――



 遠坂邸に上がり、彼女の準備を待つ。
 私に必要なのは、この両の拳だけだった。
 そもそも戦闘用の触媒は、自宅とする拠点には置いていない。

 遠坂は小奇麗な小箱を片っ端からひっくり返し、宝石の一つ一つを吟味している。
 ただの綺麗な石ころじゃないということは、見ずともわかった。
 そこにある、というだけで、他の家具や装飾品と比べても、圧倒的な存在感を誇っている。
 おそらく彼女の使い魔と同様、宝石が遠坂にとっての礼装なのだろう。


「…前にも聞いたかもしれないけど」
 手持無沙汰にしている私に、宝石を品定めしながら遠坂が問う。
 けっして此方に視線を向けないままに。

「何故、アンタは桜を助けようと思ったの?」


 何故、と問われても。

 経緯は話した通り。ならば、それが理由だ。遠坂だってわかっているんじゃないのか。
 私が受けた恩も、私の犯した罪も。


「…等価交換」
「は?」
「魔術師なら、その原則に従って生きるべきでしょう」

 雁夜との約束だ。
 死んだから無効だなんて安い言い訳は、私が許さない。
 受けた恩には、恩で以て報いる。

「その約束を守っても、得るモノなんて何一つないのに?」
「その約束を破ったら、失うモノがあまりにも大きすぎる」

 此方を見ないまま、遠坂は品定めを続けている。
 いくつかの宝石を袖やポケットに仕込み、残りは小箱に戻すという作業の繰り返し。

 ただ、その肩が少しだけ、愉快そうに震えた。

「へぇ、アンタってそういう人間だったのね…ちょっと誤解してたかも」
「猪突猛進の狂暴脳筋女だって?」
「何それ、自虐ネタ? 言っておくけど、学校で流れてる噂は、私は基本信じてないから」
「…ふーん」
「心の贅肉よね」
「何それ」

 そこでようやく、支度を終えたらしい。
 浮かべているのは、会心の笑みだった。何かいいことでもあったのだろうか。


「でも、嫌いじゃないわよ、そういう魔術師は」
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