七代目リプレイ8


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――五日目、夜 間桐邸――



 遠坂邸にて、日が沈むのを待った。

 一刻の猶予もないとは言ったものの、夜を待たなければ魔術の秘匿は行使できないのだ。
 それに、あくまで間桐を討つ口実は、聖杯戦争の一環でなければならない。
 何の理由も無しに攻め込むなんて道理を、協会が見逃してくれるかどうかは怪しいものだし。

 いずれ戦う相手だから、互いに手の内は伏せるとして。
 それぞれが出来ることの最低限を確認し合い、間桐桜救出戦線の大まかな筋を練る。
 とはいっても、やることは最初から決まっている。

 間桐を潰す。
 そして、遠坂の知り合いに、間桐桜を救ってもらうのだ。


「にしても、妙なのよね…アイツが何の対価も要求せずに、私を助けるなんて」
「…信頼がないのね」
「アンタも見りゃわかるわよ。間桐に攻め込むよりも、アイツを信頼しろって方が難しいんだから」

 とにかく、その信頼のない知り合いにも、事前に話はつけてあるとのことだった。


「前衛はアンタたち。私たちで援護するわ」

 交戦となった際の陣営を再確認。
 最前衛は、直接戦闘に特化した私とアサシンが務める。
 ライダーは援護専門。能力は未だに知れないが、バーサーカー戦で一度だけ見せた砲門の火力は、目を見張るものがある。
 遠坂は援護と同時に指揮を任せ、いざという時の退路も確保してもらう。
 私とアサシンは、存分に好きなように暴れればいいとのことだった。


「…行くわよ」


 間桐邸に並ぶ、四人分の影。

 敷地に入れば、結界が侵入者に反応するだろう。
 時間との勝負、一瞬の躊躇や油断も許されない。
 アサシンとライダーは、既にそれぞれ自分の得物に手を掛けている。
 遠坂は一度だけ深く呼吸して、それから私に言い放つ。


「やっちゃって」

 目で合図を受け、ドアを蹴破った。

 ガドン、と、衝突事故のような轟音。
 強化を込めた足底で地面を蹴り、そのままの勢いで金属の留具を踏みつけるようにして蹴破った。
 いわゆる喧嘩キック。

 先行して、アサシンが間桐邸に切り込む。
 続くようにライダーと私が駆けだし、危険を確認するようにして遠坂が足を踏み入れる。

 異変はない。が、


「…これは、もうバレてるんだろうね」

 ライダーが呟くように言った。
 おそらくはそうだろう。
 間桐の庭は、塗りたくったような静寂で支配されていた。

 侵入者がいるというのに、逆に反応がないという方がおかしいのだ。
 二人の魔術師と英霊を相手に、迎撃する手段があるのかどうかは別として。

「おそらくは、工房に籠ってるでしょうね」
 魔術師となれば、その工房は要塞のようなものだ。
 たとえ相手が英霊でも、自身の工房に籠っている限りは安牌と踏んだのだろうか。

「桜も、きっとそこに…」


 遠坂に先導を任せ、間桐の庭を駆ける。


 光の差しこまない、暗緑の階段。
 水を幾代も幾代も重ねて腐敗させたような、鼻孔を圧迫する刺激臭。
 靴底から体に侵食してきそうな、ぬるぬると粘る床と壁。

 間桐の工房は、石で組まれた地下にあった。

 踏み入れた足が、何かで滑る。
 まともに前も見えず、耐えかねて遠坂が宝石に明かりを灯す。


 キィ、と、奥の方で何かが鳴いた。


 それは、這い寄る。
 それは、跳ねる。
 それは、震える。


「っ……う、ぇ」
 覚悟も無しの素面で見ていれば、その場に吐き出したかもしれない。
 それは確かに虫ではなく、書くとすれば「蟲」だった。

 ぞわ、と、背中が怖気立つ。

 おぞましい、この世の生き物だなんて思いたくない。
 目に入ってしまったその蟲を、容認したくない。その存在を認めたくない。
 いっそ、スカートで来たことを後悔した。
 生温かい空気の振動が、剥き出しの肌の上を何十対もの節足で這いまわっているように感じる。

 ビチビチと地面で蠢く姿は、陸に投げ捨てられた魚の如し。
 その尾から伸びる数本の触手が、キリキリキリキリと絶えずうねっている。
 四肢や目は無く、口と思しき腔が、息を求めるようにパクパクと開いては、粘液を散らす。


「これが間桐の魔術、ね…」

 抱いた感想は、遠坂も同じのようだ。
 声にいつもの余裕はなく、どこか強張っている。
 きっと彼女も、いや、女に生まれたならば誰しもが、およそ形容しがたい、したくもない形状。

 間桐の、蟲蔵。


「……アサシン、援護して」

 それでも、進まなければならない。
 抱いた怖気を呑みこんで、私は一歩踏み出した。
 前衛が進まなければ、始まらない。
 RPGでいうなら、此処はダンジョン。なればその最深部にこそ、ラスボスと囚われの姫。

 間桐桜はきっと、この工房にいるはず。
 この蟲どもの奥に、女の子が囚われているなんてダメだ、一刻も早く――


 ボトボト、と、幾手を阻む様に天上から落ちてくる蟲の群れ。


「……」
「おぞましき異物を、愛刀に触れさせたくはないのだがな」

 渋々、といった感じで、アサシンも踏み出した。
 贅沢を言っている場合じゃない。
 自分に触れさせるのと天秤にかけて、どっちがマシか、という話だ。
 アサシンなんて刀があるからまだいい。私なんて生身の拳だぞ、畜生。

「こういうのは、適材適所よね」

 下がって、という遠坂の指示に、素直に従う。
 手に宝石を携えた彼女が、一歩前に踏み込んだ。


「Meine Augen geschieht Brennen――!」

 轟、と、炎が唸る。
 遠坂の手の中に生まれた青い種火が、暗い洞穴を照らしあげた。

 一度放てば、それは腐った空気を呑みこむかの如く広がる。

 炎の幕を敷かれ、逃げ場を失った蟲が、ギィイ、と断末魔をあげる。
 視界に入る万象を焼き払う、焼夷弾とでもいったところか。
 蟲に炎だなんて、あつらえたような相性の…

 ああ、そういえばこの天才優等生、『アベレージ・ワン』とかいう馬鹿にしたような魔術属性だっけ。


「こんな陰気臭い所にいたら、心臓まで湿気っちまうってね…!」

 次いで、ライダーが砲門を召喚する。
 一斉掃射は、この主従の得意とするところらしい。
 亜空間から呼び出された幾つもの砲塔が、遠坂の炎の届かない奥の奥へと照準を定めた。

 ドドド、と、波立つように唸る火薬。
 砲弾は階段ごと蟲を葬り去る。道を削り飛ばして生まれ出でる、新たな道。

 それを、私とアサシンで駆け降りた。

 蟲の門番が消え去った、今こそ好機。
 覆い被さるように並走するアサシンと、わずかな撃ち残しを刈り取りつつ、階段を下りていく。

 飛び降りるようにして、大広間。



 全ての元凶が、中心が、根源が、そこで嗤っていた。


「何事か、騒々しい」


 蟲の巣。
 おそらくはこの洞穴を埋め尽くすだろう程の、圧倒的な量の蟲。
 鳴き、擦れ合い、押しつぶされる音が耳を犯す。

 その音の中心に、少女は居た。

 藤色の髪は汚れ、学校で見せるような優しげな表情は見る影もない。
 初対面であれば、彼女を間桐桜と認識することは難しいほどに、変わり果てた人形と化している。
 当然だ。この空間は、肉体よりも精神を先に侵すものなのだから。

 一糸纏わぬ、という形容は出来ない。
 本来なら絹のようだったはずだろう、その柔肌を蹂躙する蟲、蟲、蟲。
 その通り痕、分泌された粘液が、ドレスのように少女の体を塗り固めていた。


 女への、いや、人として生まれた全ての生命への冒涜。

 それを、間桐桜は一身に受けていた。


 死体のように、蟲の海に身を委ねていた少女の顔が、かろうじて此方を向く。
 意思を宿していない瞳が、焦点も合わせぬままに、私と遠坂を見た。

 遠坂は――


「桜…」
「と、さか…せんぱ……なん…で……?」

 いつか廊下で聞いた瑞々しい声は、もはや声とすら呼べず、風の擦れるような音でしかなかった。
 きっと、声が嗄れるまで泣き、そして叫んだのだろう。

 桜は遠坂を呼んだ。
 その行為が何を意味していたのかはわからない。
 ただ名前を呼ばれたことで、遠坂は克己を強く押し留めているように見えた。


 膠着する面々を押し退けるようにして、蟲の妖怪が嗤う。


「これはこれは…見目麗しき花々が、むさ苦しい間桐の工房へ…して、遠坂の娘が何の用かの?」

 しわがれ声で、愉快そうに嗤う。
 此方の用向きだなんて既に理解しているだろうに、白々しく。

 その行為は、私のスイッチを切るのに十分だった。


 そうか、貴方が、黒幕か。


「――『前進を許さず』(ノックバック、オン)ッ…!!」

 これ以上にない状況証拠。弁明などがあっても、聞く耳など持てはしない。
 雁夜が救ってくれと言った、その少女を。
 目の前で、この老人が、蟲が、嗤う、桜を、凌辱している。


 雁夜の願いを、この翁は汚している。

 彼が命を捨ててまで、守りたかったものを。


「ふ、――ぅうぉぁああぁああぁぁぁぁああああああっっ!!!」


 激情のままに、吠えた。

 逸る、鼓動は逸る。
 早く、速く、アイツを殴らせろ、と、体を急かす。
 その流れに逆らわず、激情とともに灼熱の魔力を叩きこむ、双腕。

 ブヂ、と、鈍い音。
 魔力に耐えきれなくなったどこかの回路が弾けた。
 構うものか。
 足りない。
 まだ足りない。
 神経を焦がすほどの焦熱は、今はただ心地良い刺激だった。

 心臓の拍動と共に叩きこむ度に、拳は激痛と歓喜に震える。


 殴る、殴る、殴る殴るナグる、■■る――!!

 不要ずは理性、溶かすは躊躇、この体は拳の弾丸を撃ち出すための強弓。

 ようやくだ、ようやく私の仕事。
 雁夜も救えず、桜も救えない、この役立たずの魔術回路を、やっと役立てる時。


「お爺、様…止めてください…! 先輩たちを、助け…っ」
「じゃがのう、桜」

 まだかろうじて激情の奔流に耐える聴覚が、微かに声を拾った。
 桜の声は最後まで紡がれず、体に纏った蟲が蠢いて、苦しげに息を呑む音に変わった。

 その様子を愉快そうに眺めながら、老人は、


「魔術師の工房に足を踏み入れるという意味を、お主も理解しているじゃろう…?」


 向けられるのは、殺意の奔流。
 これまで対峙してきた敵の、そのどれよりも深く、重い。
 気の遠くなるほどの歳月を重ねた悪意は、此方の戦力を目の当たりにしても揺らぐことは無い。

 ああ、そうか、上等だ。
 こちらの喧嘩に乗るというのなら、それは願ってもいない。
 私は貴方達を、ブチのめしに来たんだから。
 物言わぬ肉片と化しても、その殺意だけは消してくれるな。


「ちょっと待ってなさい、桜…すぐ助けてあげるから」

 獣のように猛り狂う私の隣で、優しい声で遠坂は呟いた。
 子守りで妹をあやす、姉のような声音。

 その指の間に構えた宝石が、洞穴を照らす。


「Anfang――neun, acht und sieben, alle Vertreibungen!」

 その詠唱は、開始の号令となった。


 彼女の詠唱を背で聞いて、私は爺に向かって駆けだす。
 その私を呑みこむかのように、巣窟の壁の隙間という隙間から這い出てきた、何十倍もの蟲たち。

 それは高波となって、降り注ぐ。
 とても振り払えるほどの量じゃない。
 あのバーサーカーと同じ、単純な物量にはそれを上回る物量でしか対抗できない。

 だからこそ、その相手は全て遠坂たちに任せる。
 私とアサシンでは、攻撃範囲が狭く、細く、短い。範囲攻撃という効率のいい殲滅方法を持たないのだ。

 遠坂の呼びだしたソレは、私とアサシンを覆うようにして、蟲の壁に喰らいかかった。


 ギィイイイ、と、何十匹分の断末魔が、焦熱に消える。

 炎の鞭、いや、龍か。

 詠唱とともに飛散する宝石から生まれ出でた、三つの火柱。
 遠坂の腕を依り代に、壁を跳ね、空を呑み、その軌跡にいる万象を薙払う。

 そして、


「カルバリン砲、よーい!」

 炎幕を抜ければ、紡ぐは弾幕。

 蛇の名を冠する青銅の砲塔は、威力よりも射撃精度を極めたもの。
 近世の技術の粋を、ライダーは横一線に並べる。


「――藻屑と消えなァ!!」

 号令とともに、砲門が火を噴いた。
 間断なく飛来する、18ポンドの弾丸の群れ。

 遠坂の炎の龍を上手く潜り抜けた蟲の波に、突き刺さる大砲。


「ぬ、ぐ…」
 老人は顔を歪める。
 たった二つの大技で、そこにいた蟲の六割が食い破られてしまったのだ。
 それだけに留まらず、炎の竜と蛇の大砲は、工房を侵食する。
 床、壁、柱を削り、魔術の秘匿を蟲ごと侵し尽くす。
 敵の工房にあって、最も有力な攻撃。それが、工房そのものへの干渉。

 遮蔽物は抉り、蟲は消し炭に。
 翁を守るものは、何もない。


「…一つ、講釈をしてやろうか」

 閃く刃を見て、老人の顔から完全に笑みが消えた。
 アサシンと私に挟まれ、逃げ場はないことを悟ったのか。

「花は愛でるものだ。汚すものでは断じてないぞ、老骨」
「くっ…」

 アサシンと私を見て、まだ此方が勝機が高いと悟ったのだろう。
 長太刀に背を向け、老人は私の脇を抜けるように走り出した。

 僥倖だ。
 この妖怪は、誰よりも先に、私が殴りたかったから。


 ガラ空きの老体の正中線に叩きこむ、紫電の双腕。

 天誅。


「カ、はっ……」
 左拳のジャブは胸骨を粉々に粉砕し、ノックバック。
 動きを止めて後ずさる、その顔面、顎の下から右拳を突き上げた。
 グシャ、と、肉を骨が突き破る音。

 衛宮よりも軽く、慎二よりも軟い。
 殴り飛ばした肉の塊からは、生ける者の重みすら感じなかった。
 蹴鞠のように弾け飛んだ肉塊が、放物線を描く。

 終着は、アサシンの刃の元。


「一太刀にて介錯してやろう。感謝しろよ」

 かひゅ、と、風穴の開く音がした。


 幕切れは、酷くあっけない。


 アサシンの長太刀が、振りあげられて喉を穿つ。
 重力に引きずられ落ちる老人の体は、止まらずに刃に押し付けられていく。
 ずるり、と、上半身がずれた。
 縦一閃、粘度のように崩れ落ちた、腐肉。

 静かに、惨めに、二つに分かれた老人の体が石の床に広がる。

 太刀を空に振るい、血が払われる。
 アサシンの所作は、この戦いの静かな終焉を表していた。



 瞬間。

 嵐の前の閑寂。爆発の前の静謐。
 蟲蔵の中の時は止まり、


 そして、決壊したダムの如く、一気に流れ出した。

 さあ、本番は此処からだ。
 主を失った蟲たちが、拠り所を失くし、生存本能を暴走させている。
 隙間から湧き出てくる数は、私を呑みこむ大波ほどにあった。

 この場に留まり続ければ、干乾びるまで魔力を吸われ、生ける苗床と化してしまう。
 撤退を急がなければ。


「遠坂…!」
「わかってる!」
 此方の合図に返しながら、遠坂は蟲の群れに小粒の宝石を投げ込んだ。
 魔力の染み込んだ礼装だ。
 蟲を惹きつける時間稼ぎには、十分だろう。

「先輩、なんで…?」
 アサシンの陣羽織を剥ぎ取り、遠坂に渡す。
 布で桜の体を包み、ゆっくりと起こしてからライダーに背負わせる。
「雁夜おじさんがね…桜を助けてって、こっちの魔術師に頼んでくれたのよ」

 遠坂の言葉とともに、虚ろな瞳が私を見る。
 徐々に生気を取り戻しつつある、少女の表情。
 ライダーの背中で、ぺこり、と、幼げに頭を下げる。

 私は反応に窮した。
 頭を下げられるのは、私の役目じゃない。ので、目を逸らした。

 雁夜を死なせ、その願いを引き継いだだけの、ただの代役に過ぎないのだから。


「ライダー、撤退するわよ! アンタも早く!」

 遠坂の声に引かれ、感慨に耽りかけていた思考を戻す。
 まずは桜と、同盟相手の遠坂の安全こそ最優先。
 もう、失いたくはない。

 私とアサシンは、しんがりを務める。
 階段の中腹に位置取り、よじ登ってくる蟲たちを迎え撃つ。
 一発で一匹を潰していては間に合わない。
 強化した拳で壁を砕き、弾け飛んだ瓦礫を散弾代わりに、

「そんな効率悪い攻撃してないで、速く上がって来なさい! 巻き込まれたいの!?」

 と、凛の声が工房の上から響いた。
 もう撤退は完了していたらしい。仕事の早いことで。

「――アサシン!」
「心得た」
 忘れずに霊体化させて、階段を駆け上がる。
 崩した瓦礫のせいで足止めは出来ているものの、波のような蟲の大群はそれすらも越えてくる。
 段飛ばしで転がるように這いあがり、すれ違いざまに遠坂の投げ入れた宝石が目に入った。


「跡形もなく…消えろぉ!!」

 詠唱が終わったのは、私が飛び出した直後。
 その背中を押し上げるように、ぶわ、と、空間が膨らんだ。


 爆音。


「っ、つ…」
 背中を打つ衝撃と爆風に吹き飛ばされ、芝も疎らな地面に叩きつけるようにして転がされる。
 華麗に着地とはいかなかったけれど、命あっての物種。
 とりあえずは五体満足で生還できたことに感謝しよう。

 振り返れば、爆炎を吹きあげた工房の入口が、徐々に崩れていくところだった。
 崩れていく瓦礫。
 炎に呑まれる周囲の草木。
 日の光も届かない地深くで、永らえる生命はないだろう。

 ここはもう、工房として用を成さない。


 約束は、果たした。


「…終わった、んですか…?」

 桜は、力なく地面に座り込んでいる。
 いつの間にかライダーも霊体化していた。
 流石の遠坂も、あんな大技の後にサーヴァントを現界させ続けるほどの魔力は残していなかったらしい。


 まだ終わっていない。

 その言葉を、私は飲み込んだ。


「ええ、終わったのよ…桜」
 しゃがみ込んだままの少女の肩に、遠坂が手を伸ばした。
 一瞬、躊躇する桜。
 彼女の体は、汗や、土や、名状しがたい何かの液体で酷く汚れていた。

「遠坂先輩、私…」

 それでも遠坂は、構わず桜を抱き寄せる。

 ぐちゃ、と、遠坂の高級そうなコートに、それらがへばりつく。
 言葉を紡いでいた桜の唇が、そのままの形で固まった。


 聖杯戦争は、終わっていない。
 四機のサーヴァントを残し、明日からも殺し合いは続く。
 一度その体を拠り所にしてバーサーカーを召喚させた以上、桜もまたその殺し合いの螺旋を抜け出せずにいる。

 彼女の体の事だって、そうだ。
 蟲は彼女の体に入り込み、その神経を侵している。
 魔術回路となって体に同化したそれを取り除くだなんて、ほとんど神業の域だ。
 外科手術で、全身の神経を取り除けと言っているようなもの。
 遠坂の知人だって、取り除ける可能性があるというだけで、まだ確定じゃない。

 数年もの間、凌辱され続けたという事実も、確かな事実だった。
 蟲の蹂躙は傷痕を残す。体にも、心にも。
 ここからは彼女自身が、その自分の過去と戦っていかなければならない。


 それでも、終わったんだ。

 『間桐桜』は、ここで終わった。


「ぅ……ふ、ぐ」
「泣いていいよ、桜」
 生気を宿していなかった瞳が、遠坂の声で震えだす。
 次いで、唇。そこから紡がれた吐息も震えて、肩も。
 強く、遠坂が抱きしめた。
 絞り出された声が濡れるまで、そう時間はかからなかった。

 あの暗い蟲蔵で過ごした歳月に、そうやって涙を流せた日はあったのだろうか。
 この広い屋敷で過ごした歳月に、こうやって肩を抱いてくれる家族はいたのだろうか。

 呻くように、桜は泣き出した。
 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。
 どれか一つということはないだろう。
 辛かったはずの、それでも確かにそこに在った『間桐桜』の日々が喪失したのだ。


 遠坂の腕に抱かれながら、桜は泣きじゃくった。
 まるで、生まれてきたばかりの赤子のように。



――五日目、夜 教会――



 この決着は、あくまで聖杯戦争の一環でなくてはならない。

 間桐に乗り込む前に、遠坂と定めた同盟の約定。
 わざわざ夜を待って攻め込んだのも、ひとえにこの約定のためのもの。

 工房を潰して、事実上間桐の家系を終わらせたのだ。
 本来なら魔術協会が黙っていない。
 聖杯戦争のルールに則ったものだとしても、管理者である遠坂は特に目を付けられてしまうだろう。
 本人は平気なフリを装っているけれど。

 脱線してしまったが、とにかく聖杯戦争の一環として桜を救出したことに意味があるのだ。
 サーヴァントを失った彼女は、しばらくは教会を拠り所にして保護を受ける。
 あくまで私と遠坂に攻め入られ、敗退した無力なマスターとして処理される。
 だからこそ私たちは、堂々と聖堂正面の玄関から入りこめるのだ。
 筋書きとしては、何の問題もないだろう。


「ようこそ、迷える子羊よ」

 問題があるとしたら、目の前のこの神父の不自然さか。
 うわあ、胡散臭い。
 死んだ魚の目をした神父を前に、思わず口走りそうになる。

 遠坂が、「ね? 言ったでしょ」と、表情で騙ってくる。

「…唐突で悪かったわね」
「なんのこれしき。可愛い兄弟弟子の頼みだ」
 凛が苦手としている理由を、私も一瞬で理解出来た。
 この張りつけたような薄ら笑い。
 アサシン風に言うなら、「お前が好きだ」といけしゃあしゃあと言ってくるタイプの野郎だ。

 と、その瞳が此方を向く。

「ふむ…君もマスターか」
「…ええ」
「この時点まで生き残っているということは…なるほど、それなりに優秀らしいな」

 褒められているのに、全身をまさぐられているような嫌悪感。
 あえて顔に出さずに肩を竦めると、神父はただ笑うだけ。


「……で、患者はこの少女でよかったのか?」

 視線を振られた桜が、心許なさそうに頷いた。
 泣き腫らしていたから、目元がほんのり赤い。
 それを見て、微笑を深くする神父、言峰綺礼。

 なんだろう。この男に桜を渡したくない。汚されてしまいそうな気がする。

(まあ、腹に一物はあるだろうな…かといって、他に方法もないのだろう)
 霊化したアサシンが、私を宥める。
 そう、その通り。知り得る限りでは、彼しか桜を救えない。遠坂がそう言ったのだ。


「…大丈夫なの? 信用しても」
「私の後見人に向かって、随分と言ってくれるわね」

 教会の奥に消えていく二人を目で追いながら、小声で遠坂に尋ねる。

「…アイツしか、治療できる人間を知らないの。信用するしかないわ」

 どっこらせ、といった感じで、オヤジ臭く遠坂が椅子に身体を投げ出した。
 いつもの優雅さなんて微塵もない。
 私しか見ていないから躊躇いもないのだろうけど、もしクラスメイトが見ていたら百人が百人幻滅するだろう。

 しかし、気持ちはわかる。
 この疲労感。本当に今は、身体を投げ出したいほどだった。

 緊張の糸を切ったかのように、遠坂は椅子に体を横たえた。
 顔には疲れが色濃く浮かんでいる。
 今日あったこと、そしてこれから起こることに、考えを巡らせているのだろう。

 私もその隣、少しだけスペースを置いて、腰を掛ける。


「…はぁ、手持ちの宝石、全部使っちゃった」
 深くため息を吐いて、独り言。
 それから値踏みするように、細い目で此方を見る。
「仮に今、アンタに攻めて来られたら…流石に負けちゃうかもね」

「……悪いけど、教会で争う気にはなれない」
「…へえ、意外と信心深いのね」
「神様なんて信じてなかったんだけど…見ちゃったから」
「ああ、そう言えば見ちゃったわね。んで、倒しちゃった」
「罰が当たるかも」
「地獄行きね」
「閻魔様って殴れるのかな」
「流石に無理でしょ…と思ったけど、アンタならやりかねないか。一応、神様は殴ってたのよね」

 閑談しながら、私も背もたれに体重を預ける。
 自覚は無かったけれど、緊張していたんだろう。深く息を吐くと、一気に疲れがやってきた。

 遠坂とこれほどまでリラックスして話し合うのは、初めてかもしれない。
 聖杯戦争が始まる前までは、口も聞いたことが無かったのだから。

 謝ろうか、と、一瞬思った。

 この緩んだ空気に乗じて、謝ってしまおうか。
 私個人の都合で彼女を巻き込んで、大きな代償を強いてしまった。
 遠坂はきっと、また茶化して誤魔化すだろうけれど。

 少し前までは、言葉を交わすのも嫌だったのに。
 今は、頭を下げることにも割と抵抗が無い。


「…攻め込んで、よかったのかな」

 ポツリ、と、遠坂が呟いた。
 まさに私が口を開こうとしていた瞬間で、寸前で言葉を呑みこむ。

「…間桐に、ってこと?」
「一応あんな場所でも、桜の拠り所だったわけでしょ」
「……」
「後悔ってワケじゃないけどね。何て言うか…私たちのあの時の感情一つで、一家系を潰しちゃったわけじゃない」

 それがそんなに軽いモノじゃない、と、遠坂は言いたいのだろう。
 彼女自身も、数代続いた魔術の家系の当主だ。
 加えて遠坂と間桐はかつての盟友。例え形式だけだったとしても、その形式をこそ魔術師は重んじる。

 理解は出来る。
 それでも、私にその気持ちは推し測れない。
 一般の家庭に生まれた突然変異、それが私だ。
 言葉や知識では、魔術の家系が持つ重みを知ってはいるけれど、それだけだ。
 教科書でいくら過去の歴史を振り返っても、当時の凄惨さを推し測ることはできない。


「でも、攻め込まなければ守れないものがあったでしょう」

 そんな私だから、軽々と口に出せる言葉もある。

「…桜のこと?」
「それも含めて」

 私にしてみれば、雁夜との約束があった。
 それを違えるということは、私自身のルールに反する。
 人は誰にも、そういう根っこの譲れない規律みたいなものがあるのだ。
 魔術の師匠はその衝動をも『起源』と呼んでいたけれど、これはそういうのとは少し違う気がする。

 遠坂だって、あの場で攻め込むと決めたのは、そういう自分のルールに従ったからだ。
 そう在りたいと、遠坂自身が望んだ。
 魔術の秘匿や冬木の管理者という地位に縛られる自分より、桜を助け出す自分でありたい。
 それが正しい、そう在るべきだ、と、彼女の本能は判断した。

 なら、その選択を後悔したって意味はない。
 何度やり直したって、彼女は同じ在り方を選ぶだろうから。

 もちろん、私と彼女では失うものが違うから、それを口に出して伝えることは出来ないけれど。
 黙っていると、そんな私の考えを組んでくれたのか、遠坂は微笑んだ。


「…そうかもね。うん、そういうことにしておくわ」

 吹っ切れたように笑う遠坂を見て、だんだんと体の力が抜けていく。

 視界がまどろむ。
 連日の奔走で、ここでその一区切りがついたかと思うと、気が抜けてしまった。

 やばい、眠い。

 教会の椅子というのは、催眠術でもかかっているんじゃないだろうか。
 学校の教室の自分の席と同じくらいに、そこにいるだけで眠気を催す。


 かくん、と、首が揺れる。

 寝てはいけない。 せめて、桜の 安否を かくにんし



「――成功した」

「はっ…!?」


 ガバ、と、顔を上げる。

 目の前に、先程の黒いカソックが立っていた。
 どれくらいの時間が、と窓を見れば、うっすらと群青が差し込んでいる。
 数時間はかかっていたのだろう。

 どうやら寝ていたというよりも、意識がどこかに飛んでいたらしい。

「あの女の体の中には、もう蟲はいない」
「…ホントに?」
「ああ。私自身、こうも上手くいくとは思わなかった」

 起き抜けに縋るような私の言葉に、得意げに笑う神父。
 信用は出来ないけれど、その言葉だけは嘘ではないと理解出来た。

「会っていくか…と言いたいところだが、今は面会謝絶だ。言伝があれば、承るが」

 まあ、私からは特にない。
 助けたとは言っても、ほとんど初対面だ。
 雁夜さんの話はいつか彼女にしなければならないけれど、今じゃなくてもいい。

 遠坂は、と振り返れば、


「…綺礼、魔術刻印が」
 胸の前で、力強く手を握りしめていた。
 朗報のはずなのに、今にも泣きだしてしまいそうな顔。初めて見る表情だ。

「私の魔術刻印は、使用すれば消費するものだ。当然だろう?」
 嫌らしく笑う神父。
 その二人の会話で、おおよその事情は察することが出来た。

 『傷を開く』と凛が言っていたのは、この神父の起源の話だろうか。
 それを魔術に転用するとなれば、膨大な負担を強いたはず。
 治癒系の魔術には、ただでさえコンマ一ミリの正確さが求められるというのに。
 犠牲が魔術刻印一つで済んだのは、むしろ幸運だったとも言えるだろう。

「お前のそんな顔が見れただけで、私としては十分だがな」
「…やっぱりアンタ、性格悪いわ」

 それを見返りの一つも求めずに、この神父はやってのけたのか。
 だとすれば、その笑みの、なんと頼もしいことだろう。


「…私からも、二人にお礼を言わせて。助けてくれて、どうもありがとう」

 深々と、頭を下げる。
 遠坂と神父の、意外だという視線が此方を向いた。

「何、救いを求める者には手を差し伸べるのが、教会の在り方だ。そうだろう?」
「ええ、その通りね。じゃ、私はこれで」

 用は済んだ。桜は助かったし、お礼もした。十分だ。


 帰って寝よう。疲れた。
 拳から肩に掛けて、徐々に動作が鈍くなっている。
 明日はきっと、筋肉痛のように魔術回路が悲鳴を上げる。
 だから、一刻も早く帰って、体を休めたかった。

 まだ五日。魔術師同士の殺し合いに身を投じて、それだけしか経っていないのに。
 何度も大きな転機をくぐり抜けてきた、そんな気がする。


「待って!」

 教会を出たすぐの所で、呼びとめられた。
 凛の声には振り向かず、歩みを止める。

「あの、此方こそありがとう…アンタがいなかったら、私は…」

 ひらひらと、手を振って返した。
 私はただ、雁夜との約束を果たしただけ。
 バーサーカー戦で手を貸したりはしたけれど、あれは私が勝手にやったことだし。
 遠坂に礼を言われるようなことなんてない。彼女がいてくれて助かったのは、私の方だ。


 明け方の冬木を、歩いて自宅に戻る。
 少し薄くなった空気が、体に染み込んでいく。
 葛藤に揺らいでいた私自身の心を、透き通らせるように。

 約束は果たした。遠坂との同盟も、これで解消。
 あとは、この戦争を勝ち抜くだけ。
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