七代目リプレイ9


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――六日目、朝 自宅――



「…現状をどう思う? アサシン」

 動かす度に悲鳴をあげる両腕を手持無沙汰に、私は尋ねた。


 五日目を経て、私にとっての聖杯戦争は大きな転機を迎えた。
 雁夜の約束を果たし、遠坂との同盟を終える。
 それら全てをまっさらにして、ようやく出発地点に戻ってこれたような心地。

 それでも、いつまでも感傷に浸っている暇はない。
 次の一歩を踏み出すために、最善の体勢を整えなければならない、のだが。

「い、っつぅ……!」
「難儀だな、髪を結うのも儘ならぬとは。どれ、拙者に貸し給え」
「…ダメ、触んな」
 女の髪は、魔術的にも最後の切り札。
 だからこそそれを結う時も、男に気安く触れさせていいモノじゃない。

「これは…失敬した」

 なんて強がっては見たものの、昨日の反動で両腕がボロボロだった。

 指一本でも変な方向に動かそうものなら、電流のような痺れが走る。
 現在は少量の魔力を緩やかに通して、クールダウンの真っ最中。正午までには元通りになる、はず。

 筋肉を使いすぎれば筋肉痛、目を使いすぎれば頭痛。
 同様に、魔術を使いすぎた後は、魔術回路も休めなければならない。
 だからこそ午前を丸々休息にあてて、ついでに英霊と軍略を練るのに費やしているわけである。


「まあ、私たちがどう動くかが、今後の展望を握っているということは確かだな」
 肩を竦め、先程の質問に漠然と答えるアサシン。
 けれどもそれは、的を射た意見でもあった。

 セイバーとバーサーカーを破り、ランサーを消滅させた現状。
 おそらくその全てに関わっている私たちが、最も行動を注目されているだろう。

 遠坂のライダーを除けば、残るクラスはアーチャーとキャスター。
 どちらも、拠点の防衛や籠城戦に強いクラスだ。
 凛に確認を取った新都の魔術師は、そのどちらかを従えているマスターである可能性が高い。


「他マスターの情報がよくわからないとなると…取り得る情報は限られる」

 アサシンの提示した選択肢は、次の四つだ。
  1、遠坂凛とライダーのコンビを最初に狙う。
  2、新都の魔術師を探し当てる。
  3、情報の確定していない最後のマスターを探し出す。
  4、新たな情報を得るまで、此方も籠城戦を展開。泥仕合スタート。


「…まあ、4はないわ」
「だろうな、マスターの性格上」

 ついでに3も選択肢から外す。
 手つかずの相手を探るより、他に取り得る選択肢が用意されているのだから、素直にそれを選べばいい。
 遠坂とライダーを相手にするにしても、それはいつでも打てる手だ。
 ともなれば、消去法。
 どのみち籠城が得意なサーヴァントを有する工房を、このまま放っておくつもりはない。

「新都に行きましょう。探索を…って、その嫌そうな顔は何?」
「…いや。まだ飽きていなかったか、と思ってな」

 言ってろ。
 前はたまたま、相性と運と日が悪かったんだ。
 学校のサボりついでだったから、ろくな触媒も用意できない状態での探知だったし。

 今日こそは、と、ようやくマシになってきた腕で、どうにか魔術の道具箱を漁るのだった。



――六日目、昼 新都――



 半ばガラクタ入れと化した魔術箱から、道具を引っ張り出して新都に望む。
 これがあれば、私にだって探知は出来る。
 とはいっても道具の仕組み自体は簡単なものだ。
 俗に言うなら、ペンデュラム・ダウジング。自動筆記の類友でもある。

 紐の先に、魔力を染み込ませた方位磁針の類。
 私以外の強力な魔力に反応し、揺れ動く探知用の簡易礼装。

(…道具に頼るか)
(『剣士』が何か言った?)

 イレギュラーに反応しないよう、アサシンは霊化させている。
 まあ、現界させて練り歩かせるなんて酔狂な真似を、私が許さなかったのだけれど。

 アサシンにしても、元より手伝うつもりはないらしい。
 一度戦闘が始まれば、その気配は分かるというのだが、ただ籠っている穴熊を見つけ出す術はないのだとか。
 武を極めた英霊といっても、存外に不便なものだ。


 ともかく、サーヴァントの直観や私の付け焼刃の探知術ではなく、そのために特化した礼装。

 驚くほど簡単に、それは結果を出した。


「見つけた…」

 二度ほどその周囲を回ってから、私はそのビルを足元から見上げた。
 最初は礼装のエラーかと思ったけれど、違う。
 気付けないはずだ、こんな大きいモノ。蟻が象を、蛙が大海を、人間が地球を知覚できないのと同じように。
 当たり前すぎて見落とすという、推理小説なんかじゃ典型のトリック、心理の盲点。

 魔力は、ビル全体を覆うようにして展開されていた。

 以前探知した時は、どこを走りまわっても辿り着けないような感覚に見舞われた。
 そこに在るのに、在ると知覚できなかった。
 私はおそらく、この周辺をぐるぐると回っていたのだろう。


 ホテルを貸し切りで工房化するなんて、誰が予想しただろうか。


 ダウジングの礼装を外し、改めて見上げる。
 魔天楼。これほど、その言葉にあつらえた様な塔はない。
 注視すれば、空間がところどころ蜃気楼のように歪んでいる。
 一部の階層は、窓から内側を除くことが出来ない。ともすれば、狙い目はあそこか。

(なにやら、誘われているような…そんな気配だな)

 アサシンの言葉に頷いて返す。
 人払いや結界どころではない。あんな簡易礼装でも発見できたのだ。
 このビルは、一度見つけてしまえば分かりやすいほどに、此方を挑発していた。
 入れるものなら入ってみろ、とでも言いたげに。


(一応尋ねるが…どうする?)
(決まってるわ。殴りこみましょう)
 此処で退いては、何のために足を運んだのかわからない。
 誘われているというのなら、受けて立たねば魔術師の名折れだ。
 工房の仕掛けに余程自身があるのか知らないが、私の縄張りででかい顔をしているのは気に食わない。

(まこと、血の気の多いマスターだ)
(でも、嫌いじゃないでしょ?)



――六日目、昼 ハイアットホテル――



 ビー、ビー、ビー、と、三度。
 耳障りな警告音の後に、アナウンスが流れた。

『12階にて、火災が発生しました。係員の指示に従って、速やかに避難してください…繰り返します』

 ふん、と、首を鳴らす。
 民間人を避難させるのに、随分と古い手を使うものだ。
 まあ、これで向こうもやる気だということは確認できた。
 古い魔術師の決闘でもあるまいし、こっそりと私を闇討ちでもすればいいモノを。

 どこぞの槍の英霊を彷彿とさせる人の波に、人避けの魔術を重ねる。
 向かう先は非常階段。
 アナウンスの知らせた十二階は、外の窓から中を覗けなかったあの階層だ。
 例によって足に強化を施し、階段を駆け上がる。
 途中鉄板が何段か、此方の脚力に負けてひん曲がったけれど、そこはご愛敬。

 二十余秒、エレベーターもビックリの速度で辿り着き、扉を蹴り飛ばした。


「…普通に開けることは出来ないのか、お主は」

 既に霊体化を解除しているアサシンが、呆れ顔で呟く。
 それでも、敵地に強襲するなら、これは鉄則だ。
 扉を開けることで作動する罠だってある。先手を取るには、蹴破るのが常道。

 案の定、扉の向こうで待ち構えていたそれが、ゆっくりと姿を現した。


 視力への冒涜のような、不快な半透明の黒。

 粘土のように捻れ、かと思えば三つに分裂し、地面に落ちたものはブクブクとマグマのように泡立つ。
 浮遊しているものは、羽根か足のような何かを生やして、わさわさと壁を駆けずりまわる。
 耐性が無ければ、見るだけで汚染されてしまうだろう。間桐の蟲といい勝負だ。


「亡霊か…!」
 珍しく、アサシンが焦る。
 彼の生きた時代は特に、鬼や霊魂が人を食う時代だったから、苦手意識があるのも無理はない。

「貴方も似たようなもんでしょ」
 が、残念ながら現代は、それで金儲けしている罰当たりな人間もいるほどだ。
 霊の一つや二つで怯んで、聖杯戦争が出来るか。蟲は別だけど。


「『前進を許さず』(ノックバック、オン)」

 撃鉄で、灼熱の魔力をブチ込む。
 紫電の燐光を握りつぶし、神秘の拳を作りあげる。
 この聖杯戦争で、私自身の異常とも随分深い付き合いになってしまった。

 体を斜に構え、最小限の動きで左手で突き殴る。

 ぼひゅ、と、豆腐の塊に手を突っ込んだような殴り心地。
 通常なら触れるだけで侵食されてしまうのだろう。
 しかし、私の拳は神秘の濃縮だ。

 触れ合えば、より強い方が弱い方を侵食する。
 空いた風穴から、三分した悪霊の一匹が溶かされていった。


 そこに在るのなら、実体・非実体を問わず干渉することができる。
 それが、私の魔術の強みだ。
 「そこに在る」というだけで私を止められると思ったのなら、砂糖を吐きそうなほどに甘い。

「残念ながら、私の剣では相手出来ぬのでな…任せることにする」

 適材適所だ、と、私の後ろに付くアサシン。
 亡霊への苦手意識は、割と根強いらしい。というか、恐らくは刀で斬れないものが嫌いなのだろう。

 ぼひゅ、ぼひゅ、と、残った二匹にも拳の墓標を突き立てる。
 炭酸の抜けるような音がして、不快な黒が溶けていく。
 成仏しろとは言わないが、私の邪魔立てはするな。


 状況をクリアして、足を踏み入れた。
 廊下は暗い。電球は灯っているが、その光を捻じ曲げてしまうほどの異質な空間と化している。
 むしろこれは、異界の域だ。

「っ、と…」

 どれほどの魔と神秘を詰め込んだら、物理法則まで捻じ曲げてしまえるのだろう。
 一歩前に踏み出したはずが、目の前には壁があった。
 干渉されている。
 おそらくは悪霊を殴っている間に、既に精神系の侵食が始まっていたのだろう。


 一歩退いて、自分を魔術で固定化する必要がある。

 そう思って足を引いた、その時だった。


「っ、…!?」

 銀色の大きな滴が、閉まりかける扉の裏側から現れた。
 その一粒一粒に宿る、明確な敵意。
 滴はまるで目を持っているかのように、私に反応を見せ、鋭く尖る。

 アレは、拙い。

 反射で体を庇う。
 そうか、二段構えの罠。
 悪霊は囮でしかない。本命は、それを倒して踏み入ってきた侵入者を撃退する、此方の――


「――やれやれ、私の剣は受けに向かないのだが」

 ぱ、と銀の滴が弾ける。散弾だ。
 幾重にも別れた銀が、雨霰となって私に飛びかかる。

 それを、紫紺の布が覆った。

「そうも言ってられぬか」

 ギィン、と、金属の弾ける不協和音。

 身を守るために構えた腕の向こう側に、アサシンの背中。
 襲いかかる銀の矢よりも早く、刃がそれを叩き落とす。
 二度、三度。点を線で弾くという神業を、種も仕掛けも無しに、涼しげにやってのける。

 例え視覚を強化しても、その剣閃を見切れる自信はなかった。

 しばらく活躍の場面が無くて、忘れかけていた。
 彼もまた、英霊になるほどの功業を編み出した超人なのだ。


「何、礼には及ばぬ」

 十回分の不協和音が続いて、銃撃は止んだ。
 燕返しが同時の三撃なら、今のは神速の十連撃。
 彼の剣術に決まった型はない。それこそ、当意即妙で振るったのだろう。

 化け物め。

 まさか罠を物理的に斬り捨てる英霊がいるなんて、これを設置した魔術師も想定はしていなかっただろう。
 …いや、それをいうなら私もいい勝負か。

「…だから、それは普通お礼をされてから言わない?」
「お主はへそ曲がりだからな、礼など素直には言えぬだろう」

 へそ曲がりはどっちだ、という反論は飲み込む。
 剣と同時に口も達者な英霊だ、付き合っていては日が暮れてしまう。

 アサシンの弾いた銀の矢は、床に落ちると球体になった。
 それ同士がぶつかると、まるで水のように互いを呑みこみ、大きな一つとなる。

「なんだ、その…面妖な鋼は」
「ハイドラグラム」
「…聞き及ばぬな」
「仙丹と言った方が、貴方には伝わりやすいかもね。要は水銀のこと」

 液体にして個体。金属でありながら水の性質を持ち合わせる。
 二重の属性、一時期は錬金術の頂点である不老不死の象徴として信じられていた物質だ。
 柔軟性がある上に重く、温度で膨張し、生物に対しては毒となり得る。
 兵装としては一級品。

 おそらく此処の魔術師は、これを礼装として用いるのだろう。
 なるほど、強力。


 精神の干渉に備えて自身の内面を固定化し、再び異界化したフロアを睨む。

 似たような罠のものと思える痕跡が、床や壁のあちこちに点在している。
 何も考えずに突破していけば、自我が壊れるか肉体が壊れるかの競争を見る羽目になるだろう。
 けれどもその実、配置は教科書通りだ。
 おどろおどろしくはあるけれども、ともなれば読みやすい。

「さて、どうするのかな」

 至極愉快そうに、アサシンは尋ねた。
 私の辿り着く答えなど、彼はわかっているだろうに。


 廊下が通れないなら、壁を破ればいいじゃない。


 凝縮、濃縮、圧縮。
 灼熱を拳の内に溜める。
 体をしならせて、大きく振りかぶった。穴を穿つ点ではなく、壁を崩す面の一撃。


「せいっ!!」

 振り抜けば、広範囲に弾けた魔力が、壁を粉々に吹き飛ばした。

 トンネルを抜けると其処ハ血ノ海デシタ なんてことはもちろんなく、この階層には当然住人はいない。
 なにせ先程の警報で、このビルには本来の住人や従業員は避難しているはず。
 だから、土ぼこりを巻き上げる向こう側にある人影は、見えずとも知れている。

 その精悍な顔立ちに、草木色のマントも。


「…おいおい、敵マスターかと思ったら化け物かよ」

 ニヒルな笑顔を引き攣らせて、深緑色の若い狩人。
 初日にセイバー&衛宮士郎と交戦していた、あの弓の英霊だ。

「久しいな、アーチャー。とは言っても、お主にとっては初対面か」
「いや、見られてたのは気づいてたさ…それにしても、なんで旦那の仕掛けを越えて来れるんだっての」
 例によって、口で一の太刀を浴びせるアサシン。
 返す言葉で、ぼやくアーチャー。

 どちらからともなく、サーヴァント同士は得物に手を掛けた。

 そう、会えば戦うしかないというのなら。
 理解する必要もなく、ならば、言葉はもとより不要。


「まあいいさ――お仕事ってね」

 矢を番える、弓の英霊。
 摺り足で迫る、暗殺者の英霊。
 その初めの大上段は、本当に優雅に、音もなく下ろされた。

 後ろに跳ねるようにしてアーチャーがかわす。
 直後、引き際に放った矢が、音もなく此方を狙った。


 目が覚める。
 談笑に騙されるな。
 戦いは、既に始まっている――!


「ぐっ…!」
 あまりにも静かな一瞬で、魔力を込めている暇などなかった。

 罠の前で拳を強化していたのが幸いした。
 ほぼ反射で、歪な軌道の矢を殴り払う。

 形状からして、呪毒の矢。
 これもおそらくは、下手な銃弾より殺傷能力が高い。
 加えて、相応の神秘も宿しているのだろう。
 拳で弾けば、想定外の衝撃を殺しきれず、後ずさった。

「…ひゅう、やるねぇ」
 それでもその不意打ちの初撃を避けたことは、称賛に値するらしい。
 アーチャーはアサシンへの注意を外さぬまま、目を丸くした。

「さて、どうしたもんか…」

 建物の中であったことは幸いだ。
 初日にセイバーを圧倒した連弾は、しかしアサシンには届かない。
 二、三を弾いて、更に踏み込む長刀を、ギリギリでアーチャーが回避する。
 戦況はアサシンが有利。

 近接戦闘に特化したクラスが苦手な相手は、自分より速い遠距離クラス。
 それを、このアーチャーはよくわかっている。
 だから相手が踏み込んだ分だけ退いて、自分の射程を保ち、相手の間合いからは逃れ続ける。
 それが弓の英霊の基本戦術、そのはずだった。

 しかし、アーチャーは的を迷う。
 踏み込まれた分だけ退くというのは、後ろに退路があってこそ活きる戦術。
 強固な砦に籠城したのは彼の…いや、そのマスターの失策だったのだろう。

 彼らを守るはずの盾は、今やその退路を塞ぐ壁でしかない。


「少々壁が邪魔だ…お主、破ってはくれまいか」
「いいねぇ! そこのアンタ、もうちょいこの部屋を広くしてくれよ」
「…人をクレーン車扱いするな」

 軽口は止まらず、楽しそうに漏らすアサシン。
 そのまま横一線に、剣を薙ぐ。
 それを飛び退いて避けるアーチャーも、調子よさそうに乗ってくる。
 しかし、そんな口車に合わせるほど私に余裕はない。

 アサシンの長太刀も、本来は狭い室内では不利な得物だ。
 アーチャーを追い詰めてはいるが、どうも振るいにくそうにしている。壁や柱にはまれば、それは致命的。

 ともなれば、私が出るべきだろう。
 再度放たれた矢を今度は弾かず、ダッキングで避けて、距離を詰める。

「っ、マジかよ…!」

 アーチャーが青ざめる。
 再び魔力を装填した此方の拳を見て、その異常が理解できたらしい。

 さて、何発まで耐えてくれるのか。

「――殴りますね」
「ッ…!!」

 宣誓と共に振るう、右フック。


 ゴドン、


 鈍く、固い音。

 アーチャーに向けて放ったはずの拳は、寸でのところで回避される。
 構わず振り抜けば、その背後にあった机を粉砕した。

「それ、洒落になってねぇって…よっ!」
 サマーソルト気味に飛びのいたアーチャーが、更に矢を射る。
 今度は私に二発、アサシンに三発。
 避け、撃ち落とし、更に迫る前衛二人。

 状況は、やや此方が有利だ。
 手数は圧倒的だが、しかしアーチャーのクラスらしく、彼方も絶妙な距離感で二人分の攻撃を凌いでいる。
 どちらかに決め手があれば、すぐに動く矢白べえのような戦況。

 そこに、


「何を手間取っている、アーチャー。サーヴァントはともかく、そのような魔術師に後れを取るとは」

 最後の役者が、出揃った。


 聞き及んだ声とともに、ビキビキ、と、歪んだ音を立てて、アーチャーが背にしていた壁にひびが入る。
 壁の内側にある鉄骨を的確に穿ち、此方に漏れ出てくる銀色の液体。
 おそらくは、私の侵入を意識したパフォーマンスを兼ねているのだろう。

「そんなこと言ったってよ、旦那」
「言い訳は聞く耳持たん。仕切り直しだ…まったく、私の手を煩わせるなど…」

 大きく跳び退いたアーチャーが、倒れた壁の向こう側の人影に身を寄せた。

 中肉中背、やや年を刻んだ顔の皺は、どこか父性を感じさせる。
 ワックスで整えた髪に、魔術師らしい高級な盛装。
 尋ねずとも、状況で理解する。
 彼がアーチャーのマスターだ。


「――アーチボルト家九代目当主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが此処に仕る」

 その名にも、聞き覚えがある。

 時計塔で教鞭を振るう、あの稀代の魔術師。神童と謳われた男。
 ロンドンの時計塔からこんな極東の辺鄙な街まで、ご足労。
 ともすれば、あの慎重すぎる方針も、教科書通りの罠の配置も、納得がいく。

「…其方の流儀に則って、私も名乗るべきかしら」
 拳を構えながら、私は問いかける。
「そうしたまえ。聖杯に誇りを注ぐならば、これは魔術師同士の決闘だろう」
 アサシンの癖が感染ったか、無駄な言葉が口をつく。
 昔だったら、例え相手が名乗ろうが、敵だとわかれば問答無用で殴りかかっていたのに。

 悪い傾向だろうか。

「ナナ・フミツキ。お会いできて光栄です、ロード=エルメロイ」
 しっかり記憶に刻んで、忘れるな。
 お前を殴る、女の名前を。

「ふむ。して、他所の工房を壊すじゃじゃ馬か…教育的指導が必要だな」

 彼に付き従うように、銀の球体が床を転がる。
 彼の礼装、水銀だ。

 先程、その罠を受けておいてよかった。ある程度はアレの形態にも予想が付く。
 おそらくはエルメロイの特定の指示で展開し、硬化や液体化、分裂に統合、高速運動などをこなすのだろう。
 拳銃にも盾にも鞭にもなる、百キロ以上の金属の塊。
 エルメロイ本人よりも、その礼装に常に注意を払わなければいけない。


 大丈夫だ、私は負けない。
 其処に在るものならば、この拳は神様だって殴ってみせたんだから。

 アサシンは刃を、アーチャーは弓を、私は拳を。
 それぞれの得物を掲げる中、エルメロイが開始の号令を放った。


「Scalp!!」

 飛来する、水銀の鞭。
 球体の形状をそのままに、触手を伸ばすようにして、右斜めから薙払う。

 それを、

「弾けろっ…!」
 魔力を込めた、右拳。
 水銀に速さはない。重さ頼みの一撃だ。
 これならまだ、バーサーカーの一閃の方が恐ろしい。

 薙ぐのも、容易い。
 魔力を宿すもの同士がぶつかれば、より濃い方が打ち勝つ。

「なん、だと…!」

 まるで水弾を殴ったかのように、四散する水銀。
 エルメロイの頭の中では、おそらく私の拳の方が討ち負けて粉々になる予定だったのだろう。
 構えなおして、次の一撃に備える。
 が、エルメロイは号令をかけず、信じられないものを見るような目で私の拳を見た。


「そんな、馬鹿な…それは封印指定クラスの、」


 それ以上、いけない。



「マスターに負けては居れぬな」

 向かいのホールでは、アサシンがアーチャーに攻め寄っていた。
 剣技は剣の英霊をも上回る。速さは槍の英霊をも上回る。
 規格外のアサシンは、三騎士の一であるアーチャーをも圧倒している。

「くそっ…」
 放つ矢は、木の枝を切り出したような歪な線。
 直線ですら捉え難い高速の矢を、さらに呪が軌道を歪める。
 とても目で終えたものではない。

 しかし、

「遅いな、それに固い。目を瞑っていても、容易く叩ける」

 長太刀の一振りが、三本を同時に薙払った。
 燕すら切り落としたその動体視力、勘、そして剣の技。
 武の粋を極めた剣術を、ただの弓矢で討ち取れる道理はない。

 アーチャーは、それでも矢を番える。
 攻勢に転じるためではなく、それは己が身を守るため。
 手数はアーチャーの方が上回る、しかしそれは、弾幕を張ることでしか自分を守れない彼の劣勢の表れだ。

 彼の矢は常に正鵠を射る正確性でもって、間断なく撃ち続けられている。
 けれどそれは、ただ正しく、速く、多いだけだ。

「至近距離で矢を切るとか殴るとか、ありえないでしょ…アンタらの主従、どうなってんだよ!」

 アサシンのリーチは長く、敏捷もアーチャーより高い。
 さらに、特定の型を持たない彼の剣術は、いうなれば「攻撃的防御」を体現している。
 間合いに踏み込めば、自分の命を切り捨ててでも相手の命を獲りに来る、カミカゼの刃。
 死合いに生を見出す、侍の一撃。

 アーチャーに出来るのは、その間合いに踏み込まれないように彼を遠ざけることだけだ。
 矢を外せば、それはすなわち死を意味している。

「馬鹿正直に此方に飛んでくる矢を切るなど、朝飯前よ。箸で羽虫を捉えるより容易い」
「例えがよくわっかんねえけど…っ、出鱈目だぜ、アンタ…!」

 更に矢を射るアーチャー。
 おそらくは焦りからだろう、その軌道も狙いもどんどん単調になっていく。
 此方への牽制もなく、追い詰められているのが目に見てとれる。

「この程度の軽業をこなせねば、燕などは到底切れぬのでな」
「ハッ…俺の矢も、燕くらいなら軽く落とすぜ」
「ならば、試してみるか?」
「いいね…このままでも埒が明かねぇし、技比べと洒落こもうか!」


 だからこそ、ただの一瞬、一撃に賭す。
 持てる技の最大値を競うために、英霊二人は大きく距離を開けた。

 アーチャーは壁を背負う。
 距離を得た代わりに、退路を失った。
 その覚悟とともに、弓を掲げる。

 同じ英霊として、その不退転の覚悟を汲み取ったのだろうか。
 アサシンもまた、勝負に乗って大きく足を開いた。
 彼は討つべき敵こそ尊重する。嫌悪ではなく、嘲笑ではなく、最大限の敬意を以て相手の命を刈る。
 それが、武士の道を行く者の心得なのだろう。

 その一撃で決すると、幾度もの死線を乗り越えた二人だからこそ理解し、そして受け入れた。



「森の恵みよ――!」
 ず、と、アーチャーの背後に新緑が見える。

 固有結界、とまではいかない。新緑は蜃気楼のように消えて、彼の弓の中へ吸い込まれる。
 おそらくは、それが彼の心象風景。
 巨人の足のような大樹、波のように揺らめく木漏れ日、重なる葉と葉のグラデーション。
 鬱蒼と茂る森の、切り取ったような一画。

 それを、アーチャーは弓に番えた。

「祈りの弓(イー・バウ)…!!」

 唱えた宝具の名は、おそらくは古代ヨーロッパの言葉を紡いだものだろう。
 背後の大樹が残した、一際に大きな枝の束を、更に蔓で結ったような、大きな柱。

 言うなれば、それは森の一撃。
 音も無かったそれまでの射撃とは、一線を画す。

 ドヒュ、と、空気を捻り穿ち、それは放たれた。

 軌道は歪などというものではなく、何重にも絡みついた蔦の軌道。
 太く、重く、速い。
 先程までの、弾けば折れるような弱矢とは、比較にならないほどの圧力。
 風を食い散らかして襲いかかる、森の牙。
 弾くことも、避けることも、おそらくは叶わないだろう。


 だからこそ、

「――燕返し」

 アサシンは、その全力を以て、一撃を迎え撃った。

 不退転の覚悟には、応じる気概を。
 空気を喰らう森の牙には、空間を捻じ曲げる魔剣を。

 人の身が成せるはずもない、極致の三閃を。


「…くそ、卑怯な手を使っても勝てないとか、何なんだよ」

 アーチャーは、その刃が身を裂くよりも速く、己の敗北を悟った。


 一の太刀、矢を叩き落とす。彼の剣閃は、ただ速いだけのものじゃない。
 斬撃ではなく、撃墜。そこに渾身を注ぎ、鉄槌のような一撃で、束の矢を正面から打ち砕いた。

 二の太刀、弓を切り捨てる。新たな矢を番える暇など、与えはしない。
 柔らかく、しかし的確に。一歩踏み込んだ太刀筋は、器用に弓だけを断ち切った。

 そして、三の太刀。距離が開いた分、それは一瞬だけ遅れて届く。


「…名乗り遅れた。某、号は巌流。名を佐々木小次郎と申す者」
「…ハッ、勝者の余裕かよ? 生憎と、俺は名乗り合わせるような立派な名前は持ち歩いてないぜ」
「いずこの英霊かは存じ上げぬが、さぞ名のある戦士とお見受けした」

 自分が命を奪った者に対する、ささやかな礼儀。
 心の臓に刃を突き立てながらも、アサシンはアーチャーに敬意を払った。
 自分のものではないはずの『佐々木小次郎』の名を、あえて被ってまで。

 血は出なかった。
 現界が不可能になったサーヴァントは、ただ魔力に還るのみ。
 消えかけた手で、アーチャーはバツが悪そうに自分の額をさする。

「やめてくれ…名前なんかねぇし、負けて掛けられる情けも嬉しくねぇよ。お国柄が違うんだ」
「名無しの英霊か。確かに国は違えど、他人とは思えぬな」
「お、アンタもその口か? なら、もう少し先に知っときたかったぜ」

 最後に彼らしい軽妙な笑い声を残して、アーチャーは消えていった。
 アサシンが見つめる虚空に、木の枝が散る。



 サーヴァント同士の勝負は決した。
 此方だって、負けていられない。

「ひっ、…Scalp、Scalp!」

 馬鹿の一つ覚えか、狂ったラジオのように言葉を繰り返す。
 その号令に合わせて、此方に殴りかかる水銀の大砲。
 その一つ一つが、殺すための重さと速さを宿している。
 避ければ壁や床を食い千切り、拳で弾けば衝撃で肘まで痺れた。

 それでも、私の前進は止まらない。

 その程度の火力で、この拳を砕けるとでも思ったのか。
 こと殴り合いに関してなら、私は負けない。
 ひと際大きな大砲を弾き、エルメロイの顔がことさらに歪んだ。
 弾切れなのだろう。
 側にある水銀の球体は、今や地面に飛散している。

 踏み込んだ。


「Fervor, mei Sanguis!」

 立ち上る、銀の津波。
 突っ込んだ私に覆いかぶさるように、水銀の柱が立ち塞がった。
 これも計略の内か、黒銀に消える向こうで、安堵したようにエルメロイが笑うのが見えた。

「……ふ、は」
 肺が震えて、吐息が思わず零れた。
 私も、笑いそうになる。
 悪戯を自慢げに披露してくる、子どもを相手している心地だ。


 そうか、そこが安全だと、そう思ったか。
 水銀の柱に覆われれば、もう此方の攻撃が届かないと思ったか。

 その程度の膜で、私の拳を防げると、本気で思っているのか。


「――『前進を許さず』(ノックバック、オン)」

 構わずに突き進み、詠唱を重ねた。

 私の二つ名、『前進を許さず』。
 邁進を止める役は、私のお株だ。
 此方の前進、止められるものなら止めてみろ。


 轟、と、音がするほどに、魔力が燃え上がった。
 限界まで踏み込まれたアクセル。
 魔術回路に熱が奔る。
 一本、もう一本、灼熱を流し込む回路を増やす。十の回路に百の魔力を、千の力を。

 銀の津波を貫くは、ムスペルヘイムの炎。
 その軌道の万象を焼き払う、凍てついた灼熱の一撃を、この右拳で再現しよう。


「っ…づ、ぁああっ…!!」

 ビキ、と、筋のどこかが違える音。
 魔力を増やす都度、赤くなるまで熱した鉄の棒で、神経を掻き混ぜられる。
 構うものか。
 何よりもこの身を焦がすのは、敗北の屈辱それのみ。

 掌から大気を燃やす焦熱を、感覚を失った指で握りしめる。
 灼熱は燐光へ。
 激痛は意志へ。
 暴発しそうになる拳の魔力、肉体を破り飛び出しそうになる暴走を、それでも掌握して押し留めた。
 魔力を濃縮し、ただ一撃のみに特化する。

 耐えてみせろ、魔術師風情。
 耐えてみせろ、水銀如き。

 この拳を止められるのは、狂気に染まる半神の英雄のみ――


「っ……ぁぁぁああああああああっっっ!!!」


 目も眩むような光が先行し、次いで爆音が瓦礫を吹き飛ばした。

 水銀の柱に広がる波紋。
 その中心から立つ波が、徐々に徐々に深くなっていく。
 圧縮していた魔力の開放で、空気が弾け飛ぶ。服は破れ、髪止めも解け、それでも突き出した右の拳を引くことはしない。

 ぼひゅ、と、拳の延長線上に風穴が空いた。
 気も遠くなるような量の魔力をぶつけられた水銀が、力を失って床に落ちる。
 その奥から、金髪を振り乱した魔術師の顔。

 奔る波動が、エルメロイの奥の壁に焦げ跡を走らせた。
 それを見て引き攣る、時計塔の講師。敗北を確信したのだろうか。

 さて、まだ左の拳が残っている。

「まっ…待て、私の――」
 音よりも速い拳が、水銀を通り抜ける。
 消耗した魔術回路に、残ったありったけを叩きこんだ。

「す、Scalp…」
 なお遅い。
 その分の水銀を盾に回せば、まだ幾許かは逃げおおせる可能性もあっただろうに。

 滑らせるように上半身をスウェーさせて、此方の脳天を目指した銀の弾丸を回避。
 三寸残して突き出したままの拳を、盾を失ったマスターに、渾身で叩きつける。


 弾ける魔力。

 衝撃波を撒き散らし、男の体は、永く長い放物線を描いた。



「っっっ……、は」

 緊張の糸を切る。と、マリオネットのように体が崩れ落ちた。

「はっ、はぁ、はっ、ぁ…はぅ…っ」
 動悸がまるでドラムロールだ。
 酸素が足りない。まずは肉体の疲労が果てしない。
 当然だ。殺し合いをしていたんだから。

 止まった途端に、全身から汗が噴き出てきた。
 どこともなく、体が震えだす。
 平常時の数倍は、運動につけても体に負担を掛けていたのだろう。

「はぁ、っ、は、ふぅ……」
 深呼吸もままならず、息が途切れる。
 全身の魔術回路が、何時間も正座でもしていたかのように、ビリビリと痺れている。
 それも当然だ。あんな無茶な使い方をしたんだから。
 明日の昼頃まで、両腕は使い物にならないだろう。

 ああ、勝ってしまった。時計塔のロードを相手に。

 呆然とする頭で、それでも勝利を握り締めた。
 それでもそれでも、気は抜けない。
 勝って兜の、じゃないけれど。

 拳に目をやった。
 血が滴って、そろそろ神秘が剥がれつつある。


「すぅ……、んっ」

 ボロボロの魔術回路に、無理矢理魔力を通した。
 この拳が、私の肉体と完全なリンクを取り戻す前に、毒を抜いておかなければならない。

 毒矢や水銀を殴って無事な方が、そもそもどうかしているのだ。
 鉄で石を殴り続ければ、やがては鉄も傷つく。
 それと同じで、私の拳に還ってくるダメージも、半端なものじゃなかった。

 水銀も矢毒も、神秘を宿したままの拳に在る内は、体内に侵食はしない。
 しかしこの拳が完全に私の肉体に戻ってきてしまえば、此処に宿る毒が肉体を蝕み始める。
 だから、その前に毒分だけを抜いておかなければならない。

 傷口を床に向け、魔力で押し下げる。
 血液から、毒の成分と水銀だけ、絞り出す。

 ぽとり、と、真珠のように銀の球が零れ落ちた。一粒、二粒。


「……アサシン、髪紐拾って」

 死闘の直後なのに、ぶらぶらしている肝の太い英霊に呼び掛ける。

「…良いのか? 簡単に触れていいものではない、乙女の最後の切り札なのだろう」
「髪度めはただのゴムだから、大丈夫よ」
「ふむ、得心がいった」

 何に得心がいったのか、深くは尋ねない。
 聞かぬが仏だ。今こいつの軽口に付き合ったら、意識を持っていかれる。

 手渡されたゴムの紐で、乱暴に髪を結ぶ。
 もう指が細かい仕事を出来ない。


「さて、アーチャーもマスターも討ち取った。帰るとするか、マスターよ」



――六日目、夜 自宅――



 ホテルを出て数分もせずに、痺れは激痛へと変わっていった。

 服、特に袖の部分はもうボロボロで使い物にならなかった。
 引きちぎって包帯代わりに手に巻き、アサシンの陣羽織を体に巻きつけるようにして街を走った。
 好機の目がいくつも私を見たけれど、もうそんなことを気にしている余裕はない。


「い、づっ……く、は」

 自宅は目の前にあるのに、絵画のように届かない背景のように見える。
 一歩踏み出すごとに、骨も筋肉も神経も、全てが悲鳴を上げた。

 魔術の解錠にすら手間取り、玄関を開けると同時にその中でへたり込んだ。
 足を引きずり、居間のソファーに身体を投げ出す。
 シャワーどころか、ベッドまで向かう気にもなれなかった。

 痛覚がうるさい。ズキン、ズキンと、頭の中でつるはしのように鳴っている。
 後ろでアサシンが何かを語りかけてくる。
 どうでもいい。どうせいつもの冗談の類だ。

 コートを毛布代わりに横になれば、睡魔は波となって押し寄せ、私の意識を奪っていった。
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