「ふきだまりな話6」(2006/01/23 (月) 15:44:02) の最新版変更点
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**ふきだまりな話6:女護ヶ島に行こう!
「屑屋先生,無知な僕に教えてくださーい!」
とmenocchio氏が[[こちら>「好色一代男」]]で「女護ヶ島」の話題を私にふってきました。
これは彼の技の一つで、本当は知っているのにヨゴレ役は全部私に押し付けようという魂胆なんでしょうが(笑)、引き受けますよ、ええ、引き受けますとも!
さて、「女護ヶ島」といえば、今や聞いて股間を熱くする人は随分と少なくなってしまった死語ではないかと思うが、要は「女だらけの島で行けば誰でもヤらせてくれる島」というのが基本の定義ではないかと思う。
まぁ、何とも男のロマンな島である。男のための桃源郷。正に異界という訳で(?)異界会で取り上げる必要はある!
というエクスキューズはさておき、実は「女護ヶ島」が現在の形となるまで長い歴史があったのはご存知だろうか。
「女護ヶ島」を「女性だけの島」と定義するなら、その起こりは「行基(ぎょうき)図」の羅刹国である。行基図とは最古の日本図のことで、平安時代初期に原型が作られ、江戸時代初期まで伝えられていたものらしい。
鎌倉の金沢文庫にある行基図はもっとも古い年代のものとされているが、東日本の部分が欠損し、日本の周辺を龍か蛇が囲んでいる異様な図柄をなして、その外側の部分に龍及(琉球)、新羅、高麗、唐土、蒙古などの国々のほかに、南方には「羅刹国」が記載され、「女人華(?)来人不還」と付記されている。その他、唐招提寺蔵の行基図にも「羅刹国 有女人男行不帰」とあり、江戸時代に木版図とされたものの中には「らせつこく をんなのみあり、をとこゆきぬればかへらず」、「らせつこく 此国女ばかりすむ国なり をとこゆきぬれば二たびかへらず」(『扶桑国之図』寛文六年(1666))と記されている。
では、そもそも「羅刹国」とは何なのだろうか?「羅刹国」のことは三蔵法師こと玄奘の『大唐西域記』の中の僧伽羅(シンガラ、今のスリランカ)建国伝説に見られる。
その内容をまとめるとこうである。
羅刹女(梵語で鬼女という意味)の住む羅刹国では、難破船があると羅刹女はその乗組員たちを家に連れ帰って夫婦となり、やがて男たちを鉄牢に投げ込んで、次々と食い殺していた。
そこに宝を探しに海に出ていた僧伽羅たち商人一行が漂着し、彼女たちと夫婦となったが、事実を知り、逃げ出す。羅刹女の色香に女の許に戻ってしまった他の商人たちは食い殺されるが、僧伽羅のみ天馬に乗って帰国ができた。
しかし、僧伽羅の妻となっていた羅刹国の女王は国まで渡来し、国王に僧伽羅を不実な男と訴えた。女王の美貌に惑わされた国王は僧伽羅の忠言を耳に入れず、後宮に入れて后としたが、女王は羅刹女たちを宮殿にひき入れて国王たちを食い殺して逃げ帰った。
そこで僧伽羅は国民から推されて国王となり、兵を率いて羅刹国に襲来し、羅刹女たちを討伐して、僧伽羅国を開きましたとさ、どっとはらい。
正にヴァギナ・デンタータな恐ろしい話だが、この羅刹国伝説は日本では『今昔物語』や『宇治拾遺物語』を通じて、中世には女色を戒める仏教説話として、ひろく伝わった。行基図はおもに僧侶によって書写されたから、仏教説話に基づいて、この架空の羅刹国が書き加えられたのだろう。
そんな行基図だったが、簡単、不備なのを災いに「本朝図鑑綱目」(貞享四年(1687))など正確さにはまだ欠けるが、情報量の多い、浮世絵師石川流宣(とものぶ)によって作成された流宣(りゅうせん)図にとってかわられてしまう。
この流宣図において羅刹国伝説は次第に忘れ去られ、「羅列国 女嶋」とあって、刹を列と誤り、「男かへらず」は省かれて、ただ「女嶋」と記されているだけ。また明和年間(1764-71)の『大日本国之図』では「女人じま 此しまへ男ゆけば二たびかえらす」とあり、羅刹国の名はなくなって、江戸時代には鬼女の国の羅刹国は、いつしか女だけが住む女護ヶ島に変わってしまったと思われる。
また他方、流宣図には羅列国とならんで八丈島が描かれているが、井沢長秀の『広益俗説弁』をはじめ松浦静山の『甲子夜話』などにも八丈島=女護ヶ島説がとなえられ、谷川士清(ことすが)の『倭訓栞』では、「世の女護島というは八丈島也」と断定している。
江戸時代に何故、八丈島が女護ヶ島とみなされるようになったのかは謎であるが、八丈島では女子は「ニョコ」とよばれ、また本土からの流人たちにかしずくものも少なくなかったことも考えられ、近藤重蔵の『八丈実記』にも「華文ニ潤色シテ好事者(コウズノヒト)ノ女子(ニョコ)ヲ女護ト改メ記セシナルヘシ」とあるのが参考となるだろうか。
なんにせよ、江戸時代の中ごろには羅刹国にかわり、南方の海上には女護ヶ島が存在するという風評が伝わり、好色の戒めを説いた羅刹国説話が、好色男の理想郷というべき女護ヶ島になっていった。
しかし、流宣図の後、この「伝説の島」は消滅をしていく。吉宗による実学の奨励の中、実証的精神が尊重されて生まれた地理学者・長久保赤水の「改正日本與地路程全図」(安永八年(1779))には伊豆諸島の最南には八丈島が描かれ、さらにその南には「無人島アリテ小笠原島ト云」と記され、羅刹国のような伝承によるものなど実在しないものして日本図から取り去られてしまったのである。
と、男たちのユートピア、女護ヶ島はこのような歴史的な妄想に過ぎなかったのか?
否!否!否!である。
なんと女護ヶ島は実在したのだ。
それは西日本のM県W島。
そこは何といってよいやら、島中の女性が買えてしまうらしいのだ。
そもそもこの辺りは大昔から売春が盛んであったという。
狭い島だというのにワンルームのせせこましいアパートが林立する街並。実は島で働く約三百人の女の子たちがそこで居住し、しかもそこで仕事もしているというのだ。
女の子たちは島にある旅館、スナック、その他各飲食店に属しており、ラーメン屋だろうと、食堂だろうと、どこでも女性が買えてしまうという話。
詳しくは
『因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行』(根本敬.1993.KKベストセラーズ)や[[こちら>http://www.tanteifile.com/diary/2004/10/11_01/]]など。
いやぁ、とんでもないわ。女護ヶ島とは想像の世界にあるべきであってぇ……とか言う文チンな貴方のためのブックガイドを念のため以下に用意しておきます。
-「御曹子島渡」(『御伽草子(上)』.市古貞次校注.1985.岩波文庫)
室町時代から江戸時代までの説話を集めた『御伽草子』所収の話。義経が蝦夷ヶ島へ渡る途中に女護ヶ島に漂着する。島を守ろうと女たちが鉾で義経を襲い掛かるが、笛の力であわやの所で助かる(だったけ?)。本土に戻った時、島に夫となる男たちを連れてくるということで手打ちにする話だが、「女護ヶ島」という言葉は成立しているが、女の暴力性に羅刹女の面影を見ることができ、正に行基図と流宣図の過渡期を見ることができる。また、男なくして子を孕むことができる理由として、女が南風を感じて子供を生むと説明しているのも『三才図会』との関連が感じられて面白い。
-『好色一代男』(井原西鶴.1955.岩波文庫)
主人公世之介のアヴァロンが女護ヶ島という何とも日本人のメンタリティーを見るようで英国人に対して「どうですか~?」(上田@TRICK劇場版)と迫りたい感じ。要はエロの限りを尽くした世之介が最後に旅立ったのが女護ヶ島。もはやエロのユートピアとなっている。やり過ぎ。
-「風流志道軒伝」(『風来山人集』日本古典文学大系55.平賀源内.1961)
木製のマラで演壇を叩きながら世の中を毒づく、浅草奥山で評判のしゃべくり男・深井志道軒が如何にして生まれたかを描く一大ドキュメンタリー(大嘘)。
源内が彼を主人公に奇想天外な旅行譚を創作。志道軒が道中流れ着いたのが女護ヶ島。念願の男に会え、欲求丸出しの島の女性達に平等に男を分配するために彼とその他百余人の男たちは男版遊郭を作って御奉仕するニャンという羽目になったが、際限の無い女性達の欲求による余りのオーバーワークに腎虚続出、皆ヤり過ぎで死んでいくというとんでもない話。おろかである。
-『シスター・プリンセス』(アニメ版)
現代の女護ヶ島作品ということで挙げてみた。無論、島といういわば非日常的世界で女の子がいっぱいという男にとってご都合主義的な設定の物語は現代において有象無象数多くあるが、なんとも異様な印象を残した作品として記しておきたい。
1999年より株式会社メディアワークスが雑誌企画として打ち出した一連のメディアミックス作品群の一つであるが、メディアごとに設定、物語に異同があるが、要は12人の妹たちとの淡い近親相姦的な関係を描く荒唐無稽な物語であるといえる。
アニメ版では「プロミス・アイランド」という非日常的な島に連れてこられた主人公が12人の妹たちと共同生活をするという話だが、私は一話しか見ていないので余り知らないがどう見ても精子です。
本当にありがとうございました。
(屑)
**ふきだまりな話6:女護ヶ島に行こう!
「屑屋先生,無知な僕に教えてくださーい!」
とmenocchio氏が[[こちら>「好色一代男」]]で「女護ヶ島」の話題を私にふってきました。
(今は書き換えられているけども)
これは彼の技の一つで、本当は知っているのにヨゴレ役は全部私に押し付けようという魂胆なんでしょうが(笑)、引き受けますよ、ええ、引き受けますとも!
さて、「女護ヶ島」といえば、今や聞いて股間を熱くする人は随分と少なくなってしまった死語ではないかと思うが、要は「女だらけの島で行けば誰でもヤらせてくれる島」というのが基本の定義ではないかと思う。
まぁ、何とも男のロマンな島である。男のための桃源郷。正に異界という訳で(?)異界会で取り上げる必要はある!
というエクスキューズはさておき、実は「女護ヶ島」が現在の形となるまで長い歴史があったのはご存知だろうか。
「女護ヶ島」を「女性だけの島」と定義するなら、その起こりは「行基(ぎょうき)図」の羅刹国である。行基図とは最古の日本図のことで、平安時代初期に原型が作られ、江戸時代初期まで伝えられていたものらしい。
鎌倉の金沢文庫にある行基図はもっとも古い年代のものとされているが、東日本の部分が欠損し、日本の周辺を龍か蛇が囲んでいる異様な図柄をなして、その外側の部分に龍及(琉球)、新羅、高麗、唐土、蒙古などの国々のほかに、南方には「羅刹国」が記載され、「女人華(?)来人不還」と付記されている。その他、唐招提寺蔵の行基図にも「羅刹国 有女人男行不帰」とあり、江戸時代に木版図とされたものの中には「らせつこく をんなのみあり、をとこゆきぬればかへらず」、「らせつこく 此国女ばかりすむ国なり をとこゆきぬれば二たびかへらず」(『扶桑国之図』寛文六年(1666))と記されている。
では、そもそも「羅刹国」とは何なのだろうか?「羅刹国」のことは三蔵法師こと玄奘の『大唐西域記』の中の僧伽羅(シンガラ、今のスリランカ)建国伝説に見られる。
その内容をまとめるとこうである。
羅刹女(梵語で鬼女という意味)の住む羅刹国では、難破船があると羅刹女はその乗組員たちを家に連れ帰って夫婦となり、やがて男たちを鉄牢に投げ込んで、次々と食い殺していた。
そこに宝を探しに海に出ていた僧伽羅たち商人一行が漂着し、彼女たちと夫婦となったが、事実を知り、逃げ出す。羅刹女の色香に女の許に戻ってしまった他の商人たちは食い殺されるが、僧伽羅のみ天馬に乗って帰国ができた。
しかし、僧伽羅の妻となっていた羅刹国の女王は国まで渡来し、国王に僧伽羅を不実な男と訴えた。女王の美貌に惑わされた国王は僧伽羅の忠言を耳に入れず、後宮に入れて后としたが、女王は羅刹女たちを宮殿にひき入れて国王たちを食い殺して逃げ帰った。
そこで僧伽羅は国民から推されて国王となり、兵を率いて羅刹国に襲来し、羅刹女たちを討伐して、僧伽羅国を開きましたとさ、どっとはらい。
正にヴァギナ・デンタータな恐ろしい話だが、この羅刹国伝説は日本では『今昔物語』や『宇治拾遺物語』を通じて、中世には女色を戒める仏教説話として、ひろく伝わった。行基図はおもに僧侶によって書写されたから、仏教説話に基づいて、この架空の羅刹国が書き加えられたのだろう。
そんな行基図だったが、簡単、不備なのを災いに「本朝図鑑綱目」(貞享四年(1687))など正確さにはまだ欠けるが、情報量の多い、浮世絵師石川流宣(とものぶ)によって作成された流宣(りゅうせん)図にとってかわられてしまう。
この流宣図において羅刹国伝説は次第に忘れ去られ、「羅列国 女嶋」とあって、刹を列と誤り、「男かへらず」は省かれて、ただ「女嶋」と記されているだけ。また明和年間(1764-71)の『大日本国之図』では「女人じま 此しまへ男ゆけば二たびかえらす」とあり、羅刹国の名はなくなって、江戸時代には鬼女の国の羅刹国は、いつしか女だけが住む女護ヶ島に変わってしまったと思われる。
また他方、流宣図には羅列国とならんで八丈島が描かれているが、井沢長秀の『広益俗説弁』をはじめ松浦静山の『甲子夜話』などにも八丈島=女護ヶ島説がとなえられ、谷川士清(ことすが)の『倭訓栞』では、「世の女護島というは八丈島也」と断定している。
江戸時代に何故、八丈島が女護ヶ島とみなされるようになったのかは謎であるが、八丈島では女子は「ニョコ」とよばれ、また本土からの流人たちにかしずくものも少なくなかったことも考えられ、近藤重蔵の『八丈実記』にも「華文ニ潤色シテ好事者(コウズノヒト)ノ女子(ニョコ)ヲ女護ト改メ記セシナルヘシ」とあるのが参考となるだろうか。
なんにせよ、江戸時代の中ごろには羅刹国にかわり、南方の海上には女護ヶ島が存在するという風評が伝わり、好色の戒めを説いた羅刹国説話が、好色男の理想郷というべき女護ヶ島になっていった。
しかし、流宣図の後、この「伝説の島」は消滅をしていく。吉宗による実学の奨励の中、実証的精神が尊重されて生まれた地理学者・長久保赤水の「改正日本與地路程全図」(安永八年(1779))には伊豆諸島の最南には八丈島が描かれ、さらにその南には「無人島アリテ小笠原島ト云」と記され、羅刹国のような伝承によるものなど実在しないものして日本図から取り去られてしまったのである。
と、男たちのユートピア、女護ヶ島はこのような歴史的な妄想に過ぎなかったのか?
否!否!否!である。
なんと女護ヶ島は実在したのだ。
それは西日本のM県W島。
そこは何といってよいやら、島中の女性が買えてしまうらしいのだ。
そもそもこの辺りは大昔から売春が盛んであったという。
狭い島だというのにワンルームのせせこましいアパートが林立する街並。実は島で働く約三百人の女の子たちがそこで居住し、しかもそこで仕事もしているというのだ。
女の子たちは島にある旅館、スナック、その他各飲食店に属しており、ラーメン屋だろうと、食堂だろうと、どこでも女性が買えてしまうという話。
詳しくは
『因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行』(根本敬.1993.KKベストセラーズ)や[[こちら>http://www.tanteifile.com/diary/2004/10/11_01/]]など。
いやぁ、とんでもないわ。女護ヶ島とは想像の世界にあるべきであってぇ……とか言う文チンな貴方のためのブックガイドを念のため以下に用意しておきます。
-「御曹子島渡」(『御伽草子(上)』.市古貞次校注.1985.岩波文庫)
室町時代から江戸時代までの説話を集めた『御伽草子』所収の話。義経が蝦夷ヶ島へ渡る途中に女護ヶ島に漂着する。島を守ろうと女たちが鉾で義経を襲い掛かるが、笛の力であわやの所で助かる(だったけ?)。本土に戻った時、島に夫となる男たちを連れてくるということで手打ちにする話だが、「女護ヶ島」という言葉は成立しているが、女の暴力性に羅刹女の面影を見ることができ、正に行基図と流宣図の過渡期を見ることができる。また、男なくして子を孕むことができる理由として、女が南風を感じて子供を生むと説明しているのも『三才図会』との関連が感じられて面白い。
-『好色一代男』(井原西鶴.1955.岩波文庫)
主人公世之介のアヴァロンが女護ヶ島という何とも日本人のメンタリティーを見るようで英国人に対して「どうですか~?」(上田@TRICK劇場版)と迫りたい感じ。要はエロの限りを尽くした世之介が最後に旅立ったのが女護ヶ島。もはやエロのユートピアとなっている。やり過ぎ。
-「風流志道軒伝」(『風来山人集』日本古典文学大系55.平賀源内.1961)
木製のマラで演壇を叩きながら世の中を毒づく、浅草奥山で評判のしゃべくり男・深井志道軒が如何にして生まれたかを描く一大ドキュメンタリー(大嘘)。
源内が彼を主人公に奇想天外な旅行譚を創作。志道軒が道中流れ着いたのが女護ヶ島。念願の男に会え、欲求丸出しの島の女性達に平等に男を分配するために彼とその他百余人の男たちは男版遊郭を作って御奉仕するニャンという羽目になったが、際限の無い女性達の欲求による余りのオーバーワークに腎虚続出、皆ヤり過ぎで死んでいくというとんでもない話。おろかである。
-『シスター・プリンセス』(アニメ版)
現代の女護ヶ島作品ということで挙げてみた。無論、島といういわば非日常的世界で女の子がいっぱいという男にとってご都合主義的な設定の物語は現代において有象無象数多くあるが、なんとも異様な印象を残した作品として記しておきたい。
1999年より株式会社メディアワークスが雑誌企画として打ち出した一連のメディアミックス作品群の一つであるが、メディアごとに設定、物語に異同があるが、要は12人の妹たちとの淡い近親相姦的な関係を描く荒唐無稽な物語であるといえる。
アニメ版では「プロミス・アイランド」という非日常的な島に連れてこられた主人公が12人の妹たちと共同生活をするという話だが、私は一話しか見ていないので余り知らないがどう見ても精子です。
本当にありがとうございました。
(屑)
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