「空想観光カボチャドキヤ」展
ブックギャラリー・ポポタム
(12月18日まで,月・火定休)
(12月18日まで,月・火定休)
カボチャドキヤ民主主義人民共和国という国があるのをご存知だろうか。
変テコな名前だが架空の国ではない,この国は北九州・門司に実在するという。
そして共和国の総書記を務めるのが<トーナス・カボチャラダムス>という,16世紀フランスの高名な占星術師=医師によく似た名を持つ,何やら妖しげな人物である。同時に氏は画家でもあり,カボチャドキヤ国立美術館(繰り返し言うが門司に実在)の館長も兼務されている。
そんな氏が「カボチャドキヤ」の名所を描いたエッチング30点の展覧会が,西池袋の絵本の店「ポポタム」で開催中である。静かな住宅地にある,懐かしいたくさんの絵本とサドや団鬼六の本が同居する不思議な店だ(…なぜ)。
変テコな名前だが架空の国ではない,この国は北九州・門司に実在するという。
そして共和国の総書記を務めるのが<トーナス・カボチャラダムス>という,16世紀フランスの高名な占星術師=医師によく似た名を持つ,何やら妖しげな人物である。同時に氏は画家でもあり,カボチャドキヤ国立美術館(繰り返し言うが門司に実在)の館長も兼務されている。
そんな氏が「カボチャドキヤ」の名所を描いたエッチング30点の展覧会が,西池袋の絵本の店「ポポタム」で開催中である。静かな住宅地にある,懐かしいたくさんの絵本とサドや団鬼六の本が同居する不思議な店だ(…なぜ)。
北九州市立美術館分館で行われた「トーナス・カボチャラダムスのゆかいな王国展」の図録を買ってきた。以下はそれを参考にしながら,氏の作品について紹介してみることにしよう。
カボチャラダムスの作品には,アルプス以北のルネサンス美術,とりわけ,ピーター・ブリューゲルやヒエロニムス・ボスの諸作品,そして《阿呆船》(Narrenschiff)の主題などにインスパイアされて創作されたものが多くある。
【図】ブリューゲル《バベルの塔》
(by the courtesy of Web Gallery of Art)
(by the courtesy of Web Gallery of Art)
たとえばブリューゲルの《バベルの塔》のパロディーが多く見られる。ただブリューゲルにおいて人間の傲慢(hybris)を表わしていた<塔>はここでは全く異なった相貌を見せている。
塔はカボチャのかたちをしているのだ。カボチャラダムスにおいて,「カボチャ」は<豊穣>のしるしであるという。
カボチャラダムスの《バベル》は,さながら『ウォーリーをさがせ!』のようにごちゃごちゃとしていて,よく見てみれば,「キャバレー月世界」とか「PACHINKO ニュー上海」とか「平民食堂」などといった看板が軒を連ねる猥雑な横丁,あるいは祭りの出店のような懐かしい感興を呼び起こす光景である。
塔はカボチャのかたちをしているのだ。カボチャラダムスにおいて,「カボチャ」は<豊穣>のしるしであるという。
カボチャラダムスの《バベル》は,さながら『ウォーリーをさがせ!』のようにごちゃごちゃとしていて,よく見てみれば,「キャバレー月世界」とか「PACHINKO ニュー上海」とか「平民食堂」などといった看板が軒を連ねる猥雑な横丁,あるいは祭りの出店のような懐かしい感興を呼び起こす光景である。
《かぼちゃ大王》という作品群もある。丸々と太ってニコニコしながら豚に乗っているかぼちゃ大王の姿は私にはシレーノスを思い起こさせたが,カーニヴァルで大道芸をしたり,床屋をしたりするこの<大王>の底には,賤民の歴史が横たわっているという。それもまた自然の生産力・豊かさを表わすものといえるかもしれない。というのは,概して被差別民は<自然>に近い存在とみなされてきたからである。
カボチャドキヤの名所を描く銅版画集《カボチャドキヤ》Ⅰ・Ⅱ・Ⅲは,ある意味一つの「すぐそこの遠い場所」と言えるかもしれない(「書物という異界2」参照)。「平等山満腹寺」・「なんじゃもんじゃ城」・「幸福相互銀行」など,ついニヤリとしてしまうような魅力的なカボチャだらけの幻想風景が続くが,「門司港駅」や「傘の大学病院」などといった現実の場所(それもカボチャ化を被っているのだが)をこの異界に忍び込ませることによって,現実と幻想の境界が曖昧にされる。
そこでもう一つ目を引いたのを挙げるとすれば,「日本製糞」社の「人糞発電所」。排泄物をエネルギーに転換するという何ともエコロジカルなユートピア。「日本製糞」に「うどん屋」があるのが痛快。
しかしそうして言われてみると(この瞠目すべき指摘は,かの種村季弘さんによるものだが),かの《カボチャ=バベル》までもが人糞,それもマンガで見るような云わゆる<マキグソ>に見えてくるからビックリ仰天。
カボチャと排泄物とが重なり合い,結び合わされて生命のサイクルとなるが,それこそが人間の生きる場所なのである。大地の<豊穣>を謳うこの世界は,紛れもなくラブレーのものではないだろうか。生命力に溢れた民衆の陽気なカーニヴァルの世界。
そこでもう一つ目を引いたのを挙げるとすれば,「日本製糞」社の「人糞発電所」。排泄物をエネルギーに転換するという何ともエコロジカルなユートピア。「日本製糞」に「うどん屋」があるのが痛快。
しかしそうして言われてみると(この瞠目すべき指摘は,かの種村季弘さんによるものだが),かの《カボチャ=バベル》までもが人糞,それもマンガで見るような云わゆる<マキグソ>に見えてくるからビックリ仰天。
カボチャと排泄物とが重なり合い,結び合わされて生命のサイクルとなるが,それこそが人間の生きる場所なのである。大地の<豊穣>を謳うこの世界は,紛れもなくラブレーのものではないだろうか。生命力に溢れた民衆の陽気なカーニヴァルの世界。
現実の門司の風景と幻想とを巧みに織り混ぜた《カボチャドキヤ》。
曼荼羅でありながら,猥雑なごちゃごちゃした祭の風景でもあるような《かぼちゃ浄土》の作品群。
それは懐かしくも,未だ行ったことのない「すぐそこにある遠い場所」であり,いのちの喜びに溢れた異界を描き出している。
【適当な感想でゴメンナサイ】(m)
曼荼羅でありながら,猥雑なごちゃごちゃした祭の風景でもあるような《かぼちゃ浄土》の作品群。
それは懐かしくも,未だ行ったことのない「すぐそこにある遠い場所」であり,いのちの喜びに溢れた異界を描き出している。
【適当な感想でゴメンナサイ】(m)
●図録
- 序文」:種村季弘
- ブリューゲルの国,カボチャの国:中島順一
- 御礼と弁明と案内:トーナス・カボチャラダムス
- 油彩・テンペラ 1972-2004
- ペン画・水彩画 1969-1995
- 銅版画 1972-2004
- トーナス・カボチャラダムス(川原田徹)はいかにして万能の阿呆になりえたか:大久保京
- 資料編 トーナス・カボチャラダムス全作品目録
- トーナス・カボチャラダムス(川原田徹)の詳細なる年譜
- トーナス・カボチャラダムス(川原田徹)の詳細なる作品リスト
- 出品リスト
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