12月28日
行程
- 長崎原爆資料館
- 平和公園
- 浦上天主堂
- 如己堂
- 崇福寺
- 新地中華街
- 大浦天主堂
- 日本二十六聖人殉教地
- カステラ屋さん
- 茂木港
- 富岡港
- 本渡市
原爆資料館・平和公園
朝。ものすごく眠かったので,浦上天主堂の朝のお勤め参加は見送った。そもそも一般でも参加可かどうか分からないし。異界会としては朝寝坊で活動開始(今思えば道成寺や那智の旅が信じられない)。駅のロッカーに荷物を預け,浦上方面へ朝ごはんの食べられるところを探しながら歩き始める。ところが店は見つからず断念して,路面電車で松山町まで乗ることに。人生において好機をつかむのは大事なことで,一度機を逃すと朝食をとるのさえなかなかできなくなってしまうものだ。こんなことから人生の歯車が狂うというのもあり得ないことではないのかもしれない…。己が身の決断力のなさを呪いつつ,仕方なく原爆資料館近くのホテルのレストランで,やや高めのブレックファスト。
レシートにパンだか卵料理だかの代金が入っていないと言って,レストランに不足分を自己申告しに行く燈籠大臣の背を見ながら「馬鹿正直な人だ」と思いつつ,これまでの自分の罪深さを知る。
レシートにパンだか卵料理だかの代金が入っていないと言って,レストランに不足分を自己申告しに行く燈籠大臣の背を見ながら「馬鹿正直な人だ」と思いつつ,これまでの自分の罪深さを知る。
長崎巡りの一ヶ所目は原爆資料館。「我ながら修学旅行生みたいにマジメだね」と言いつつ,その日で仕事納めの原爆資料館へ。
資料館・常設展示室は3つのコーナーに分かれている。
資料館・常設展示室は3つのコーナーに分かれている。
- ①1945年8月9日
被爆前の長崎/永遠の11時2分
11時02分で止まったままの時計によって,我々は<その時>に引き戻され,いよいよ一瞬にして破壊された長崎の街へと足を踏み入れる。
- ②原爆による被害の実相
原子野と化した長崎の街/浦上天主堂の惨状/長崎原爆投下までの経緯/被爆した長崎の街/熱線による被害/爆風による被害/放射線による被害/救援・救護活動/被爆者の訴え/永井隆博士
まず目に入ったのが<浦上天主堂の惨状>。被爆した天主堂側壁(再現)や形の崩れた天使像・ロザリオなどの展示がある。爆心地から500mの近さにあった浦上天主堂は,原爆によって殆どが倒壊・消失した。
そういえば浦上天主堂には,頭部だけ焼け残った<被爆マリア像>があり(資料館にあるのではないが),昨年の8月9日のミサか(演奏会か)なにかで,信者の人が抱えていたのをTVで見たのを思い出した。
長崎の人々とともに<受難>し,崩れ落ちた天主堂や聖像は,繰り返される人間の苦しみ・悲しみ・愚かさを我々の眼前につきつけてくる。
話は変わるが,バーミヤンの石仏が破壊された時,イランの映画監督モフセン・マフマルバフは次のように言った:
そういえば浦上天主堂には,頭部だけ焼け残った<被爆マリア像>があり(資料館にあるのではないが),昨年の8月9日のミサか(演奏会か)なにかで,信者の人が抱えていたのをTVで見たのを思い出した。
長崎の人々とともに<受難>し,崩れ落ちた天主堂や聖像は,繰り返される人間の苦しみ・悲しみ・愚かさを我々の眼前につきつけてくる。
話は変わるが,バーミヤンの石仏が破壊された時,イランの映画監督モフセン・マフマルバフは次のように言った:
「私は,あの仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ」
[『現代思想』2001年10月・臨時増刊号「これは戦争か」(青土社)から]
マフマルバフは,バーミヤンの石仏が破壊されたことには世界は大騒ぎするのに,アフガニスタンで進行している悲劇には無関心であることを批判している。「仏は貧困と,無知と,抑圧と,そして大量死を世界に伝えるために崩れ落ちたのだ」。
長崎の場合は少し事情が違うけれども,やはりこの聖像も崩れてなお,繰り返される人類の苦患を忘れないよう永遠に示しつづけているのであろう。
長崎の場合は少し事情が違うけれども,やはりこの聖像も崩れてなお,繰り返される人類の苦患を忘れないよう永遠に示しつづけているのであろう。
熱線や爆風の被害を展示するコーナーでは,熱線や爆風で異様なまでに歪んだ品々が並ぶ。「原爆瓦」や熱で溶けたガラス瓶などは手で触れられるようになっている。瓦はチクチクして地獄の針山のようであり,被爆した人々の地獄のような苦しみをこれらのモノが代わりに伝えている。
- ③核兵器のない世界をめざして
日中戦争と太平洋戦争/原爆投下への道/核兵器の時代/現代の核兵器/核兵器開発・実験の被害者たち/長崎から世界へ
【写真】原爆の投下された空。60年経った今,穏やかな青色が心を打つ(原爆落下中心地から上を見上げて)
【リンク】長崎平和宣言・長崎原爆資料館
【リンク】長崎平和宣言・長崎原爆資料館
浦上天主堂
時間を見計らって,昼前には浦上天主堂へ向かう。正午には鐘が鳴ると聞いたからである。私は鐘が大好きだ(口で言ったら,「金が大好き」だと思われて誤解を招いた)。教会の鐘でも,寺の鐘でも,なぜ鐘の音は心を打つのだろうか。
ここにも崩れ落ちた聖人像が。誰かが言っていたが,聖像は崩れ落ちた方が聖性を増すという。その通りだと思う。摩滅して顔が分からなくなった道端の地蔵なんてたまらない。
浦上天主堂の隣には,キリスト教を禁じた人の名を冠した焼鳥屋が!因果なもんだ…
崇福寺
昼食をとるため再び路面電車に乗り南下する。中華街からちょっとのところにある崇福寺は,長崎唐三福寺の一つで,赤塗りの山門があることから,「赤門さん」と呼ばれている。創建は1629(寛永6)年で,長崎に在留していた福州人たちが,故郷から超然という僧を迎えて,寺を建てたのが始まり。燈籠大臣によればなんでも黄檗宗の寺は日本に数えるほどしかなく,ここがその一つというが,詳しい解説は燈籠大臣に譲ることにしよう。
猫が石段によく似合う。
お昼ごはんは新地中華街で食べることに。例のごとく(上野の焼肉屋も横浜中華街もそうだった)燈籠大臣のチョイスによって,古ぼけた冴えない外観の店に入った。どうやら彼はそういう店の方が,豪華できれいな感じの店より味がいいと信じているらしい。根拠は恐らくない。彼はチャンポン,僕は皿うどんを注文。ちょっと甘みが強かったけど美味しゅうございました。
その後,徒歩で大浦天主堂へ。途中,道を歩いていると記念碑によく出会った。「わが国鉄道発祥の地」「我が国最初の気球飛揚の地」「わが国ボウリング発祥の地」「国際電信発祥の地」…。国内で最初のものを記念するのは,国際都市の面目躍如たるものがあるが,そんなにたくさん碑を建てなくても…。
大浦天主堂は,1864(天治元)年にフランス人プチジャン神父の協力によって建てられた日本最古の天主堂(国宝)。
天主堂へ向かう参道も,堂内も,なんだか観光化されていて,ちょっとがっかりだった。
大浦天主堂は,1864(天治元)年にフランス人プチジャン神父の協力によって建てられた日本最古の天主堂(国宝)。
天主堂へ向かう参道も,堂内も,なんだか観光化されていて,ちょっとがっかりだった。
いい時間になってきたので,路面電車で長崎駅前に戻る