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NODA・MAP公演『贋作・罪と罰』

 Bunkamuraシアターコクーン にて観劇

 menocchio氏を伴って2006年1月6日に観劇。
 ドストエフスキーの『罪と罰』をベースに、幕末日本を舞台に江戸開成所に学ぶ優秀な女塾生、三条英(松たか子)を主人公とし、理想・理念のための殺人・犠牲の是非をテーマに進行していく戯曲。
 階段とスロープで囲まれた四角い舞台には後部にも客席が設けられており、側面に存する中二階と併せ、舞台をぐるりと客席が囲む形となっていた。
 役者は基本的に袖には引っ込まず舞台の周囲に置いた椅子に腰掛けて出番まで待機し、木槌で板を叩いて効果音を出したりする。役者にとっては気が休まるときがなく、緊張感を保って舞台に向かうことを要求される形となる。また、ポールや椅子により空間を表現した抽象的舞台美術も興味深いものだったけれど、これらはここで語るべきことでもないように思うので、割愛。
 力不足ながら戯曲のテーマについて触れたいと思います。

『人間はすべて凡人と非凡人との二つの範疇に分かたれ、
非凡人はその行動によって歴史に新しい時代をもたらす。
そして、それによって人類の幸福に貢献するのだから、
既成の道徳法律を踏み越える権利がある。』

 これは主人公、三条英の論文の一節である。彼女はその論理に基づいてあくどい金貸しの老女を殺すが、同時に事件を目撃した妹(姉と違い評判のいい女性)をも殺めてしまう。英は非凡な自分が罰せられないことを正当化しながらも、罪のない老女の妹を殺したこと、二人を殺した罪により無実の男が罰に処せられようとしている事実を前に、その罪の意識に煩悶する。
 英の親友・才谷梅太郎(古田新太)はその英の異変を察し、最後には救いを求める英に、天地に対してその罪を認め、獄に入ってその罰を受けろと言い、自分が時代を変えた暁にその牢獄を開いてやると言う。
 才谷の正体は大政奉還による無血開城を画策する坂本竜馬。この舞台に登場する人物の中で人の命に対して最も重い価値を見出している人物である。才谷は理想のための犠牲という美文を拒絶し、血を流さずに時代を変えようとする点で登場人物のなかでも異色な存在である。彼は血の河でなく、金の河で時代を変えると言い放ち事実そうする。
 才谷がそうした変革に伴う血を嫌う思考の唯一の持ち主であるのに対して、英に類似した思考を持つものは舞台上にまだ存在する。それは倒幕の志士たちである。
 新しい時代を築くものと主張して幕府に対する武装蜂起を煽り、そのための犠牲をも正当視しながらも自らがその矢面に立って犠牲になることは避けようとする(この点、英と相違がある)志士たちもまた、己の大義を信じる者たちである。新らしい時代の到来のためと主張して行政府を転覆しようとする姿に、私は野田氏が彼らに全共闘の闘士たちを重ねて脚本を書いていたように思った。

 英も志士たちも、合理と非合理の狭間にある。英は合理的な判断をしたはずが煩悶して心を痛め、志士たちは自分たちの行動の大義を主張しながらも死などの苦しみへの恐れからその先頭に自分たちが立とうとはしない。
 しかし、彼らが合理と非合理の狭間に追いやられるのは当然のことである。それは人間によって生み出された論理がその合理性について絶対性を担保されていないことと、根本的に人間が非合理的存在であることによる。

 ある人が大義・理念のために人を殺めるケースを肯定するとしよう。そのためには二つの前提が満たされなければならない。
 第一に大義・理念のために人を殺すということは許されるということ。第二にその人が為そうとしていることは大義・理念に従うものであるという二つの前提である。
 しかしながら、そのどちらもが判断するにあたって明確な基準を持たない問題なので人間はこれらについて客観的に判断する術をもたない。
 ヒューマニストは第一の問題について戦争での殺人も否定するであろうし、宗教上の対立が存在するケースでは第二の点でもう一方の陣営は当然ながらその大義について非難をするだろう。
 そればかりか殺人ともなれば、ああからさまに善悪の板ばさみとなる可能性がある。
 人間の持つ道徳ではほぼ例外なく殺人を否定したうえで、その上で例外的ケースとして異教徒や敵対国の攻撃において大義による殺人を許容してきた(宗教の原典ではともかく実際上はそうである)。英の論においては自己が非凡人であるという場合に既存の道徳の例外を認めている。
 この例外という働きが認められるのは単線上で論理上の目的(敵対者排除、よりよい世界の建設)と人命の尊重を比較して、優先した立場を前者に与える故に生じるか、そもそも敵対者の人命に尊重すべき価値を見出していないかのどちらかである。しかし、我々は今日において、異文化・異教の存在に対して寛容であることを基調とするようになったほどに、あまねく人命に基本的価値を見出しているので、例外の働きは単線上で二つの価値を比較した結果といってよいだろう。
 ところで、命に絶対性を見出すのは論理的なものではない。人類への貢献度が同じとすれば小数の命を大多数の命の前に切り捨てるのは数理上当然のことであるし、種の繁栄を目指す生物の本能に基づく見地によっても同じ結論が導かれることだろう。
 また人類や社会への貢献という基準を設けた場合には、(個人の想像の範疇を出ぬ思い込みによる仮構に過ぎないものの)有用な人間とそうでない人間を区別し、人の命を単線上で比較することもできるだろう。しかしそれは一定の価値観に基づいた傲慢であるという宿命を脱し得ない。
 命に対して無条件の価値を見出す人間は、いかなる基準においても命をなんらの尺度(たとえば金銭的価値)の内にも置いてはならない。尺度にさらされることにより、命は比較され、優劣をつけられ、その絶対性を失うからである。
 したがって我々が命の価値という言葉を用いるとき、それは非論理的なものであり、軽量できるものではないということをも意味している。
 それを強引に計数可能な世界に引き出して比較しようというのだから、完全な合理性を伴わせることは出来ない。したがって大義のために殺人を許すというのは「大義の妥当性」「比較」二重の意味で合理性が揺るぐ可能性がある。
 これが第一の問題、人間の合理性自体の不安定さである。
 そして、人間は必ずしも合理的に行動できない。言い換えれば、合理性に基づいた行動は必ずしも人間の心によって肯定されない。死への恐れも、合理的なはずの行為に生じる懊悩(迷い)も非合理の世界から発する。そして人間の根本を構成するのは理性による合理の世界でなく、本能による非合理の世界である。したがって「合理的」判断は必ずしも人間の心に合致しない。
 これが第二の問題、論理的な判断時殉じ得ないという人間自体の非合理性である。

 このように論理性・合理性によって全てを断じようという考えを持つものは、合理と非合理の狭間で苦しむことになる。
 劇中でも青年らしい瑞々しい主張と評される英の論文。自己を非凡人であると言ってはばからず、自分の価値を揺ぎ無く信じることが出来るというのは青年の特権であるかもしれない。多くの人は自己の価値の存在に絶対の自信を持ってはいない。
 しかし事実、非凡な人間であったにもかかわらず英は煩悶する。論理的な話ではない。
 英の論理は非合理性を排除したところにある。その論の是非はさておき人間の感情というものがそこには加味されていない。その論は誤っていないのかもしれないが、同時に誤っている。命にたいする眼差しが歪んでいる。
 英の父は客観的に見てどうしようもない生活をしていた父であったが、家族の幸せを願う父親であった。彼は凡人であった。英の世界では踏みつけにされておかしくない凡人であった。しかし踏みつけにされていいものではない。
 人間の道徳性は非合理的なところに存在する。しかし、その道徳を安易に非合理性の故に踏みにじるべきではない。それは人の心から発した、人の心に沿ったものであろうからである。

 最後に、この戯曲を通して野田氏が批判した存在とは何か。
 全共闘末期の内ゲバ殺人事件を学生時代の野田氏が間近で目撃したことが野田氏がこの戯曲を書く根本にあるものであるらしい。
 この公演のタイミングは9・11以降の無差別的テロリズムに対する批判のようでもあるし、またイラク戦争におけるアメリカが掲げた大義に対する批判のようでもある。
 おそらくはそのどちらでもあるというのが正解ではないか。
 初演時にテーマがオウム事件に偶然の合致を見てしまったように、テロにしても戦争にしても人間の自己を正当化する傲慢な思考の現れの一現象であって、いかなる人間いかなる集団に対してもこの不朽のテーマは牙を向けている。端的に言って、普遍的テーマである。したがって、この公演が時機を逸する時というのは残念なことながら存在しないだろう。

 以下余談。
 主演の松たか子をはじめ、古田新太、段田安則と存在感のある役者が多く出演する中、英の母役を主に演じた野田秀樹氏の快演は50歳とは思えないレベルで凄い。ああいういい意味で大人気ない人になりたい。(狗)

お誘いありがとうございました。
狗蔵さん,すごい!この調子でどんどん投稿お願いします(m)
  

屑屋(管理人)

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