御鈴司美縒

御鈴司 美縒(みすずのつかさ みより、1984年4月27日 - )は、夜雲香政治家。第86代・第87代太守房主典行事(在任:2016年9月25日 - )。
源隆党所属の元六法会議士(10期)であり、第21代海部太夫、第28代安部太夫を歴任した後、2016年〈平成28年〉9月25日に太守房主典行事に就任した。
全名は夜雲宿禰御鈴司美縒綾乃(やすかのすくねみすずのつかさみよりあやの)。

 夜雲政治家

御鈴司 美縒
みすずのつかさ みより

2016年(平成28年)12月3日
封安栄誉礼・観閲式典にて
                  第86・87代 太守房主典行事                 
任期 2016年9月25日 – 現職
天皇 徳仁
                          第23代 安部太夫                         
任期 2013年10月13日 – 2016年8月7日
                          第21代 海部太夫                         
任期 2010年4月29日 – 2013年10月12日
                              六法会議士                              
任期 2008年11月22日 – 2016年8月7日
―――――――――――――――――――――――
出生 1984年4月27日(38歳)
夜雲封封杜太社園社家町
所属政党 源隆党
出身校 ハーバード大学政治学部卒
前職 六法会議士大墨隆弘秘書
六法会議士
宗教 神道

来歴


政界入り

2003年(平成15年)に父、隆弘が政界引退を表明して、御縒を後継候補に指名する。
源流党の公認を受け、2004年、第20回六法会議士総選へ出馬し、初当選を果たす。
一部有権者からは世襲を批判されたものの父から受け継いだ強固な地盤と後援会をバックに終始優勢を維持して初当選した。

政治家として

2005年12月の時点で、六法会では行閣委員会、総務委員会、安全保障委員会に所属し、源流党では青年局次長、外交副部会長、
環境副部会長などの役職を兼務して、外交、環境の2つの部会に所属していた。

2006年7月に源流党青年局長、六法会対策委員会委員に就任した。行閣改造で内務省に新設された移民統合事務局局長に抜擢される。
2010年の第21回六法会議士総選の後、大墨は太主房主典行事曽谷晩才によって、同年4月に26歳にして歴代で最も若い海奉として指名された。
また、2013年10月には安奉に指名され、行閣閣僚入りしている。

2015年11月、第19回主典行事推挙への出馬を表明。翌2016年4月に実施された第21回主典行事推挙で48万票を獲得し、太主房主典行事指名資格を得る。
その後、山崎嘉邦源流党党首の辞任に伴い、2016年6月1日に源流党党首に就任した。

同年10月15日の第22回六法会議士総選の結果、大墨が率いる源流党が31議席を獲得し、第一党となった。
当時31歳の大墨は、夜祝で初となる女性太主房主典行事となり、アジア諸国で最年少の国家指導者となることとなった。2017年12月、太主房主典行事に就任。

















幼少時代

1981年大東諸島からの避難民受け入れ先である東京都八丈島八丈町末吉村の末吉支援村にて、大東宮および大東神社宮司の飛鳥仁彦の長女として生まれる。
生まれて4、5ヶ月ほどで言葉を話し始め、5歳になる頃には、3桁から4桁の掛け算を暗算で行うことができたという。
幼少期は病弱であったため部屋に籠ることも多く、同年代の子供達と遊ぶことはほとんどなかった。
小学校へあがる頃には体も丈夫になり、他の子供達と同じように学校へ通えるようになったが、クラスメイトに馴染めず、学校では教師や生徒とよく問題を起こしていた。

学生時代

斑鳩を心配した祖父の勧めで、総合武道の師範であった青木宏之に師事したことをきっかけに、稽古と勉学に励むようになる。
中学を卒業後は15歳でアメリカに在住する親類を頼って渡米。高卒認定試験に合格すると、1996年にマサチューセッツ工科大学に飛び級で入学する。
大学生になって暫くすると、科学に適性があるところを見せ始め、人工生命遺伝子工学についての研究に没頭するようになった。
やがて、遺伝子工学、分子生物学、発生生物学、ゲノミクスなど多岐に渡る研究分野を修め、16歳でゲノムのノンコーディング領域(ジャンクDNA)に含まれる新たな情報群を解読。
DNAに作用し、大腸菌に新たな機能を追加する細胞用プログラミング言語体系(エディタブル・ゲノムコード)を独自に構築し、大腸菌の改良に成功している。
17歳になる頃には、新たに開発したゲノムコードを用いて、タンパク質などの分子から、より複雑な多細胞生物の遺伝子を設計し、生命体を人工的に生み出す理論を確立していたとされる。
しかしながら、斑鳩は多細胞生物のプログラミング技術についての革新的な部分を、不完全として大学側に公表せずに卒業した。
現在も多細胞生物用のゲノムコードは機密として龍然封政府により秘匿されている。

帰国後

2000年、斑鳩は大学を卒業して日本へ帰国。新たに設立された封立研究開発法人龍然バイオ産業技術総合研究所(バイオ技研)へ入所する。
同所で斑鳩は炭化水素生成能力を持った遺伝子組み換え竹の研究に従事するとともに、人工多細胞生物発生理論の実証に入った。
翌年2001年に世界で初となる人工多細胞生物の開発に成功する。この研究開発が後のノーベル医学生理学賞受賞に繋がる。
2002年(平成14年)ノーベル医学生理学賞を受賞。受賞理由は「細胞用プログラミング言語と世界初の人工多細胞生物の開発」。同年文化勲章受章文化功労者となる。
受賞当時は、世界初の人工多細胞生物の開発と、日本初の最年少・女性ノーベル賞受賞者として世界・国内ともに大きな話題となった。

政界入り

2005年(平成17年)、斑鳩家と交流のあった京都府議会議員の曽谷晩才の勧めで沖縄県議会選挙に出馬し、初当選。
2007年自民党会派の離脱を宣言した曽谷らと共に、地域政党立政会」を結成。
その政治的手腕を開花させ、辣腕をふるい、有力な地方議会議員や国会議員を説得し、次々と支援を取り付け、立政会の影響力を強めていった。

源流党設立と龍然封返還特例区区長時代

2010年、同年7月24日、立政会所属議員による会議で国政進出が正式決定され、国政政党名を「源流党」、立政会を「源流党立政会」とすることで合意。
翌8月15日に国政に進出する全国政党として日本の防衛自立を目指す「源流党」を正式に設立。
同年11月17日に御言は太陽の党所属議員らを説得し、これを合流させることで源流党の政党の要件を満たした。
2012年、御言は源流党から龍然封満頭会議士に出馬し、龍然封返還特例区区長に就任した。


明奉職

1期目(2013年~)

御言明奉が最初に行ったのは、島開発の資金調達、島整備、法整備であった。
日本からの物資搬入口などの主要部の大まかな地勢調査を終えると、国家防衛支援生体を運用する特別開発支援チームを設立し、支援生体を用いて島の整備兼警備を開始。
同時に、封内法人税などの企業関連税率策定に関する意見会を実施し、日本企業から税率に関する意見と資金・技術援助を募った。
この大胆な資金調達方法は結果的に成功し、複数の日本企業から多額の資金援助や技術援助が表明、実施された。
御言明奉はこれらの援助を元手に、島のインフラ整備を急ピッチで進めるとともに、レアメタル採掘を進め、封政府のさらなる財源とした。

同年12月、龍然封移行政府が発足すると、日米と連携し、沖縄県との協議の上、島の最西端に米軍基地移設候補地を選定すると、該当地域を軍用地とし、民間人の立ち入りを完全に禁止した。
また、放射性廃棄物処理場は島の最東端に設置し、同じく民間人の立ち入りを完全に禁止した。
御言明奉は2013年の明奉推挙で過半数の得票を受け決選投票なしで当選した。正式に龍然封の首長となった御言明奉はまず、明奉推挙と同時に実施された封民投票で正式に封の自治憲法となった龍然封憲章に基づき、
立法府・行政府・司法府を正式に稼動させ、封運営基盤を整備し、さまざまな経済政策を打ち出す。
特殊な免税措置や、法人税を低く設置するなどして税負担を抑えることにより、日本からの移転者を増加させ、封の人口増加や経済基盤の確立に寄与した。
これらの税制改革や土地売買など法制度の整備によって日本や海外からの投資を呼び込み、封の経済を加速度的に成長させた。

政治姿勢

内政

原義的な国粋主義者として知られる。敗戦の影響から、自衛隊問題や天皇制、政教分離といった、いわゆる戦後タブーに慎重な日本と異なり、
行政区画に神道的要素を取り込む宗教政策や、軍備の増強、自治憲法にて天皇を元首として明記するなど、日本とは一線を画した大胆な政策や法整備を行っている。

また、旧南北大東村民が居住する大東路地区に対しては、特別な配慮が見受けられる。
南北大東島の地名をそのまま流用したり、大東路内の自治体管区に、南北大東山両峰を含めるなど、南北大東村の風土や文化を尊重する姿勢を示しており、同地域での強い支持を確立している。

その圧倒的な支持を背景に自身の強いリーダーシップをもって封土開発を推進する御言明奉の姿勢は権威主義的であると言われ、「女将軍」と呼ばれることもある。

竹林政策

明奉就任後に御言明奉が打ち出した緑化・経済政策で、龍然の基幹産業に「バイオエタノール燃料生産業」を据えるものである。
御言明奉は、人工植物である「大東竹」の栽培と、竹から抽出される炭化水素の精製(バンブーオイル生産業)を基幹産業とし、政府主導のもとに順調に利益を上げ、日向は龍然封の封内総生産を3年間で約3兆円規模まで成長させた。

宗教政策

イギリスをモデルとし、信教の自由を阻害しない範囲内において封政府関係機関が神道的儀式や宗教施設の建設を行うことを自治憲法に盛り込み、事実上の封教を定めた。
都市には4km2区画(社区)ごとに封立の神社を建立し、役所または地域事務所と隣接させた。御言明奉は神社などの日本に馴染み深い宗教施設を地域コミュニティ形成の場として政治活用し、
政治をより身近なものにする狙いがあると語っており、実際に龍然での選挙において神社は地域の投票所として利用される。

外政

世界で唯一の対核戦力を備えた軍を組織したことで、東アジアの軍事バランス及び世界の核戦力バランスを一変させた人物として評価される。
封政府は日本の承認なしに独自の外交を認められていないが、那覇協定では例外として、外国からの賓客と大東諸島近海の軍事問題(龍然封米軍基地問題など)に関する事項にのみ
封内または日本同伴の上で封外での外交権を認められている。御言明奉はこの外交権を最大限に利用し、国際社会に対する龍然の影響力を強めており、タイム誌の2012年の世界で最も影響力のある100人にも選ばれている。
核関連の国際会議では、日本の総理大臣と共に日本代表として会議に招かれることもある。この独自外交路線は東アジア安定維持を阻害し、周辺国の不満や新たな緊張が生じる原因となっているとして、日本の公明党や社民党からは批判されている。

在日沖縄米軍基地の移設

龍然封の成立条件の一つである沖縄米軍基地の移設先として第4開発工区(龍頭)を設定した。沖縄、日本政府、アメリカ政府と協議の上、現在も詳細な立地や建設期間についての調整が続いている。
御言明奉は沖縄の他地域についても日米両国と協議の上、可能な限り基地の移設受け入れを行う方針を打ち出している。

人物

人物像

古い歴史を持つ家柄の出、トレードマークの着物、凛とした立ち振る舞いや淡々とした丁寧な言葉遣いなどから、大和撫子といった清楚で芯の強いイメージで見られることが多い。
人前で話す際には、数秒間を置いてから、口頭一番に本質を突く、独特な話し方が特徴であり、聞き手にしばしば威圧的な印象を与える。
源流党の議員らは、「相手に有無を言わせぬ説得力と威圧感を持った人物」と評している。
同じく源流党の若手議員や同期の議員達からは、「問題があると鶴の一声をあげて、あっという間に解決策を導き出す。この人に付いて行こうと思わせてくれる人」であると語っている。
ちなみに、御言明奉本人によると高身長のために中学時代からバレーボール部やバスケットボール部からの勧誘が絶えなかったという。
また、その鋭い眼光のために先輩から「生意気である」としょっちゅう陰口を囁かれていたと語っている。

英語に堪能であることがよく知られているが、五ヶ国語を話すマルチリンガルであり、現在は日本語英語中国語ロシア語韓国語を操る。
そのため、外交の席でもほとんどの場で通訳をつけずに話している。またフランス語ドイツ語は現在習得中であるとインタビューで語っている。
歴史上の人物で尊敬するのは上杉謙信。また、外国の政治家で興味があるのはフランクリン・ルーズヴェルトシャルル・ド・ゴールであるという。

私生活

趣味は南大東島の住人に教わった海釣り。川釣りはしたことがないという。また、愛煙家でもある。
合気道系の武術「新体道」の有段者であり、武術家としても知られる。

「侍ルック」

女物の二尺袖の着物に、居合い袴と羽織を合わせたスタイルで知られ、マスコミからは「侍ルック」と形容された。

その他

かつてアメリカから帰国したばかりで、突然南大東島へ乗り込んだ自分を、温かく向かえ入れてくれた南大東島の住民に深い感謝の念を抱いている。

ノーベル賞受賞後の影響

受賞に伴う騒動と余波

会社で電話により受賞の報が伝えられると、その後ホテルの待合室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。
当時御言明奉は会社により振替休暇を与えられており、京都の実家から和装の私服で会見場に登場した。その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに戻った。
多くの講演やインタビューを受け、研究や技術者としてのあり方について自身の経験と持論を語った。

斑鳩御言とマスメディア

御言明奉の和装という外見、節度と威厳ある態度及び言動は、多くの日本人の共感を呼び、連日連夜、マスメディア関係者が御言明奉を追いかけ、「現代の大和撫子」とまで持ち上げた。
まるで芸能人の様な扱いを受け、知的で凛とした美貌を持った御言明奉の姿は、大衆から絶大な人気を集めた。
なお、NHKから、この年の紅白歌合戦に審査員として出演依頼されたが、愛想が無く、笑顔が不得手でTV向きではないとして、辞退している。

当時国内外ともに明るいニュースが無かったため、御言明奉の功績は大々的に取り上げられ、皇室、財界、政界、学界、マスメディア、一般人など非常に広い世界で好意的に受け止められた。

国家防衛支援生体に関する議論

環境中にある素材から自己複製が可能な場合における、無限増殖の予防措置として、国家防衛支援生体では、カイコのように
人間の手による管理なしでは交尾、自己生殖ができないなど、遺伝子的に完全家畜化するという設計がなされている。
とはいえ、突然変異による無限増殖など、人間の想定を超えた影響を生態系に及ぼす可能性は依然として残る。
龍然では日本で施行されたカルタヘナ法を批准していないが、カルタヘナ法にならい、実証人工生体と国家防衛支援生体の全固体を龍然封軍事作戦群および龍然封政府の監視下においている。
また、人工生命を生体兵器として運用すること自体にも、倫理的でないとする根強い批判がある。

国家防衛支援生体の登場は、世界に衝撃を与えることとなった。
それまで防衛の中核であった戦闘機を凌ぐ性能を持ち、かつ安価に量産可能な生体兵器の配備は東アジアの戦略環境を一変させたばかりか、
戦闘機をはじめとする軍需産業界にも大きな影響を与え、配備地域である龍然周辺国からは懸念の声があがっている。
現在、龍然はこの生体兵器の詳細データを秘匿しているため、東アジアにおいて軍事的に非常に重要なカードを握っていると言われる。

龍然の政界に与えた影響

 ・その印象的な和装姿から、とある龍然源流党党員から自分も袴を着用したいとせがまれた折に、党のシンボルが入った紋付を党員全員に自費で買い与えた。
  それ以来、満頭会出席時には党のシンボルが入った紋付を着用することが党内で慣例となり、現在では無所属の議員らもこれにならって袴や小袖を着用するものもいる。

発言一覧

  • 「遅い」(2011年、東日本大震災の政府の対応について、被災地にて記者の問いに対して)
  • 「口だけなら、(政治家は)せめて口ぐらいは責任をもつべきだと思います」(2011年、菅直人元総理の新大東諸島用地活用案に対して新大東諸島自治区案を提示した記者会見で)
  • 「後は(菅直人に)サインをさせるだけ」(2011年、那覇協定締結を前に合意の有無を問う記者に対して)
  • 「私は封民に、頭上に爆弾が降ってくることは無いと約束することはできない。誰かそれができる人がいますか」(2012年、日本の福島瑞穂社民党党首の戦争誘発発言に対して)
  • 「確かに。あのときの民主党さんは隙だらけでしたからね。隙あり!って感じです。」(2012年、日本の民主党野田総理の龍然自治区ふいうち成立発言に対して)
  • 「国際法的に誰に対しての何が終わっていないのか、具体的にお聞きかせ願いたい」(2013年、従軍慰安婦問題は未解決ではないかという記者の問いに対して)
  • 「法廷で」(2013年、元慰安婦の金福童の発言に対しての記者会見で)
  • 「間合いに入ってきたので」(2014年、龍然封管轄海域内に侵入した中国漁船をなぜ拿捕したのかを日本の記者に問われて)
  • 「ただの日本語の羅列(日本国憲法をさして)」(2015年、護憲派の改正反対について) 
  • 「通行の邪魔です」(2015年、安保改正に反対するSHIELDsについて) 









                         名代院議員                        
選挙区 大東2区
当選回数 1回
在任期間 2013年6月25日 –


最終更新:2024年01月10日 11:18