日向時雨

日向 時雨 (ひゅうがしぐれ、1981年(昭和56年)4月27日 - )は、日本出身の龍然政治家生物学者発明家源流党所属。沖縄県議会議員(2期)、源流党総代を歴任し2012年2月1日、初代龍然封明奉に就任した。
国家防衛支援生体(RADEN)の原型となった人口軟体動物の開発で知られ、“細胞用プログラミング言語”と世界初の人工多細胞生物の開発でノーベル化学賞を受賞、紫綬褒章文化勲章などを受勲。
遺伝子工学の世界的権威であり、その業績から科学界では人工生命の母、政界では龍然の母とも呼ばれる。5か国語に堪能で、詩作、武道、囲碁などにも精通している。


龍然の政治家

日向 時雨
ひゅうが しぐれ


生年月日 1981年4月27日(35歳)
出生地 日本 秋田県大仙市(旧協和町)
出身校 マサチューセッツ工科大学生物学部卒
所属政党 源流党
公式サイト Sigure Hyuga公式サイト
                  龍然封 初代 明奉                  
封閣 第一次日向封閣
在任期間 2013年6月25日 –
天皇 今上天皇
                     沖縄県議会議員                     
選挙区 島尻郡区
在任期間 2004年6月8日 – 2011年6月30日
当選回数 2回

日向 時雨
                           人物情報                           
生誕 1981年4月27日(35歳)
日本秋田県大仙市(旧協和町)
居住 日本
龍然
国籍 日本
出身校 マサチューセッツ工科大学
                              学問                              
研究分野 遺伝子工学
生物学
分子生物学
発生生物学
細胞生物学
分子遺伝学
ゲノミクス
進化生物学
研究機関 マサチューセッツ工科大学ホワイト
へッド研究所
セオ技研島津バイオ研究所
主な業績 人工多細胞生物の開発
細胞プログラミング言語の開発
主な受賞暦 文化功労者(2002年)
文化勲章(2002年)
紫綬褒章(2002年)
恩賜賞・日本学士院賞(2002年)
京都賞先端技術部門(2002年)
バルザン賞(2002年)
ミレニアム技術賞(2002年)
ノーベル化学賞(2002年)
他多数


来歴

生い立ち

1981年、母方の実家、秋田県協和町(現大仙市協和)にて、京都市宮津市・第83代丹波国造籠宮大明神宮司の海部秋霖の長女として生まれる。旧名は 海部時雨 (あまべ しぐれ)。
生まれて4、5ヶ月ほどで言葉を話し始め、5歳になる頃には、7桁から8桁の掛け算を暗算で行うことができたという。
父方の親類達が日向を気味悪がったため、そのまま15歳まで母方の実家に預けられ、秋田県で小学生時代を過ごした。
幼少期は病弱であったため部屋に籠ることも多く、同年代の子供達と遊ぶことはほとんどなかった。小学校へあがる頃には体も丈夫になり、他の子供達と同じように学校へ通えるようになったが、
クラスメイトに馴染めず、学校では教師や生徒とよく問題を起こしていた。

学生時代

中学に入学してほどなく、不良娘として地元で知られるようになり、喧嘩などにより度々補導されていたという。
日向を心配した祖父の勧めで、総合武道の師範であった青木宏之に師事したことをきっかけに、稽古と勉学に励むようになる。
中学を卒業後は15歳でアメリカに在住する親類を頼って渡米。高卒認定試験に合格すると、1996年にマサチューセッツ工科大学に飛び級で入学する。
大学生になって暫くすると、科学に適性があるところを見せ始め、人工生命遺伝子工学についての研究に没頭するようになった。
やがて、遺伝子工学、分子生物学、発生生物学、ゲノミクスなど多岐に渡る研究分野を修め、16歳でゲノムのノンコーディング領域(ジャンクDNA)に含まれる新たな情報群を解読。
DNAに作用し、大腸菌に新たな機能を追加する細胞用プログラミング言語体系( エディタブル・ゲノムコード )を独自に構築し、大腸菌の改良に成功している。
17歳になる頃には、新たに開発したゲノムコードを用いて、タンパク質などの分子から、より複雑な多細胞生物の遺伝子を設計し、生命体を人工的に生み出す理論を確立していたとされる。
しかしながら、日向は多細胞生物のプログラミング技術についての最も重要な部分を、不完全として大学側に公表せずに卒業し、現在も多細胞生物用のゲノムコードは機密として龍然側で秘匿されている。

南大東島居住時代

2000年、日向は大学を卒業して日本へ帰国。大学で知り合った友人の誘いで九州バイオテック株式会社へ入社する。
南大東島へ移住し、同社の南大東島研究所で自身が持ち帰った人工多細胞生物の遺伝子設計と、人工多細胞生物発生理論の実証に入った。
翌年2001年に同社の研究チームらと、世界で初となる人工多細胞生物の開発に成功する。この研究開発が後のノーベル化学賞受賞に繋がる。
なお、同年には家同士の見合いの末に結婚し、日向(ひゅうが)姓となっている。
2002年(平成14年)ノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞理由は「細胞用プログラミング言語と世界初の人工多細胞生物の開発」。同年文化勲章受章文化功労者となる。
受賞当時は、世界初の人工多細胞生物の開発と、日本初の最年少・女性ノーベル賞受賞者として世界・国内ともに大きな話題となった。

政界入り

2005年(平成17年)、海部家と交流のあった京都府議会議員の曽谷晩才の勧めで沖縄県議会選挙に出馬し、初当選。
2007年自民党会派の離脱を宣言した曽谷らと共に、地域政党立政会」を結成。
その政治的手腕を開花させ、辣腕をふるい、有力な地方議会議員や国会議員を説得し、次々と支援を取り付け、立政会の影響力を強めていった。
2008年京都府知事選挙では、曽谷の応援にブレーンとして尽力し、曽谷の京都府知事就任後はその貢献度を評価され、立政会副会長に任命された。
同時期に当選した大阪府知事橋下徹との比較対象として、曽谷がしばしばメディアに引き合いに出されたことで立政会はその知名度を徐々に高め、
平成22年4月11日京都府議会議員補欠選挙で推薦候補を当選させ、翌年の第17回統一地方選挙では京都府議会で単独過半数を獲得し、議会第1党となった。
その後も京都府内の市長選挙で公認候補又は推薦候補が勝利するなど、京都府内の選挙で勝利し続けていた。

東日本大震災、大東大隆起、福島第一原発事故での活動

2011年3月20日、公表前の国家防衛支援生体を後援会の若いメンバーらに預け、宮城県入りさせ、自身は大東大隆起被災者の救助活動にボランティアとして参加。
支援生体が被災地上空を飛行する画像がSNSを通じてネット上に広まった。浮遊する支援生体の異様な姿に現場は一時騒然となったが、同行したスタッフらによって鎮静化された。 
未発表であった国家防衛支援生体での作業の様子は連日報道され、各国の海外メディアの注目を集めた。日向は現地のインタビューで支援生体の開発計画の詳細を明かし、
政府の支援対策や情報公開の遅れを繰り返し訴え続けた。正体不明の異形の生物を駆って作業する日向やメンバーらの姿は、海外の一部メディアから「エイリアン・ライダー」と報じられた。
同年3月、東京電力及び政府によってメルトダウンの事実が公表されると、日向はただちに福島入りし、後援会メンバーらと合流して国家防衛支援生体による放射性物質封じ込め作業を敢行した。
日向は作業の様子を撮影した映像をYouTubeに投稿。この映像は日向本人のアカウントを通じてツイッター上で話題となり、各国報道機関で大きく取り上げられた。
同年5月28日、東電により放射線量が規定値を下回ったことが確認されると、作業を終了した。

大東諸島行政特区の設置

2011年、民主党菅直人内閣総理大臣により提示された、新大東諸島の沖縄米軍基地移設及び放射性廃棄物処理場用地活用案発言に対し、被災地である南大東村出身の衆議院議員城間大晴
対案として新大東諸島への行政特区設置案を提示した。日向は城間の要請を受け、立政会にて城間の案に対する党としての全面的賛成を取り付け、城間と南北大東村住民への説明と説得を行った。
同年7月24日、立政会所属議員による会議で国政進出が正式決定され、国政政党名を「源流党」、立政会を「源流党立政会」とすることで合意。 翌8月15日に国政に進出する全国政党として日本の防衛自立と日米安保の発展的解消を目指す「源流党」を正式に設立。
同年11月17日に日向は太陽の党所属議員らを説得し、これを合流させることで源流党の政党の要件を満たした。マスコミからの攻撃を受ける菅総理に対し、日向は源流党所属議員を通して国会内からも圧力をかけ、
新大東諸島暫定独立法可決の是非を問う住民投票実施の合意書へ署名をさせた。住民投票の結果、暫定独立法の設置は可決され、日向は新大東の暫定政府代表に選出され、北大東村・南大東村の村長2名、両村議会議員13名らと暫定政府を樹立した。

明奉職

1期目(2013年~)

暫定政府代表となった日向が最初に行ったのは、島開発の資金調達、島整備、法整備であった。
日本からの物資搬入口などの主要部の大まかな地勢調査を終えると、国家防衛支援生体を運用する特別開発支援チームを設立し、支援生体を用いて島の整備兼警備を開始。
同時に、封内法人税などの企業関連税率策定に関する意見会を実施し、日本企業から税率に関する意見と資金・技術援助を募った。
この大胆な資金調達方法は結果的に成功し、複数の日本企業から多額の資金援助や技術援助が表明、実施された。
日向はこれらの援助を元手に、島のインフラ整備を急ピッチで進めるとともに、レアメタル採掘を進め、封政府のさらなる財源とした。

当時の日向は、開発や法整備の過程を、大東大隆起被災者らをはじめとする日本国民全員にわかりやすく可視化するよう、暫定政府職員やボランティア関係者らに情報公開を徹底させていた。
2012年11月には暫定的な避難先として大東村を設置し、2000人あまりの避難民の受け入れを開始した。この際、避難民から封政府のボランティア職員の募集も同時に開始している。

同年12月、龍然封移行政府が発足すると、日米と連携し、沖縄県との協議の上、島の最西端に米軍基地移設候補地を選定すると、該当地域を軍用地とし、民間人の立ち入りを完全に禁止した。
また、放射性廃棄物処理場は島の最東端に設置し、同じく民間人の立ち入りを完全に禁止した。
日向は2013年の明奉推挙で過半数の得票を受け決選投票なしで当選した。正式に龍然封の首長となった日向はまず、明奉推挙と同時に実施された封民投票で正式に封の自治憲法となった龍然封典章に基づき、
立法府・行政府・司法府を正式に稼動させ、封運営基盤を整備し、さまざまな経済政策を打ち出す。
特殊な免税措置や、法人税を低く設置するなどして税負担を抑えることにより、日本からの移転者を増加させ、封の人口増加や経済基盤の確立に寄与した。
これらの税制改革や土地売買など法制度の整備によって日本や海外からの投資を呼び込み、封の経済を加速度的に成長させた。

政治姿勢

内政

原義的な国粋主義者として知られる。敗戦の影響から、自衛隊問題や天皇制、政教分離といった、いわゆる戦後タブーに慎重な日本と異なり、
行政区画に神道的要素を取り込む宗教政策や、軍備の増強、自治憲法にて天皇を元首として明記するなど、日本とは一線を画した大胆な政策や法整備を行っている。

また、旧南北大東村民が居住する大東路地区に対しては、特別な配慮が見受けられる。
南北大東島の地名をそのまま流用したり、大東路内の自治体管区に、南北大東山両峰を含めるなど、南北大東村の風土や文化を尊重する姿勢を示しており、同地域での強い支持を確立している。

その圧倒的な支持を背景に自身の強いリーダーシップをもって封土開発を推進する日向の姿勢は権威主義的であると言われ、「女将軍」と呼ばれることもある。

竹林政策

明奉就任後に日向が打ち出した緑化・経済政策で、龍然の基幹産業に「バイオエタノール燃料生産業」を据えるものである。
日向は、人工植物である「大東竹」の栽培と、竹から抽出される炭化水素の精製(バンブーオイル生産業)を基幹産業とし、政府主導のもとに順調に利益を上げ、日向は龍然封の封内総生産を3年間で約3兆円規模まで成長させた。

宗教政策

イギリスをモデルとし、信教の自由を阻害しない範囲内において封政府関係機関が神道的儀式や宗教施設の建設を行うことを自治憲法に盛り込み、事実上の封教を定めた。
都市には4km2区画(社区)ごとに封立の神社を建立し、役所または地域事務所と隣接させた。日向は神社などの日本に馴染み深い宗教施設を地域コミュニティ形成の場として政治活用し、
政治をより身近なものにする狙いがあると語っており、実際に龍然での選挙において神社は地域の投票所として利用される。

外政

世界で唯一の対核戦力を備えた軍を組織したことで、東アジアの軍事バランス及び世界の核戦力バランスを一変させた人物として評価される。
封政府は日本の承認なしに独自の外交を認められていないが、那覇協定では例外として、外国からの賓客と大東諸島近海の軍事問題(龍然封米軍基地問題など)に関する事項にのみ
封内または日本同伴の上で封外での外交権を認められている。日向はこの外交権を最大限に利用し、国際社会に対する龍然の影響力を強めており、タイム誌の2012年の世界で最も影響力のある100人にも選ばれている。
核関連の国際会議では、日本の総理大臣と共に日本代表として会議に招かれることもある。この独自外交路線は東アジア安定維持を阻害し、周辺国の不満や新たな緊張が生じる原因となっているとして、日本の公明党や社民党からは批判されている。

封軍創設

日本の法域から独立したため、龍然は独自の軍事力である封軍交戦権を持つ。その運用方針は国際法に基づいて策定されており、
日本の自衛隊がネガティブリストに従って運用されるのに対し、ポジティブリストに基づいて行われるなどの大きな違いがある。

在日沖縄米軍基地の移設

龍然封の成立条件の一つである沖縄米軍基地の移設先として第4開発工区(龍頭)を設定した。沖縄、日本政府、アメリカ政府と協議の上、現在も詳細な立地や建設期間についての調整が続いている。
日向は沖縄の他地域についても日米両国と協議の上、可能な限り基地の移設受け入れを行う方針を打ち出している。

人物

人物像

古い歴史を持つ家柄の出、トレードマークの着物、凛とした立ち振る舞いや淡々とした丁寧な言葉遣いなどから、大和撫子といった清楚で芯の強いイメージで見られることが多い。
人前で話す際には、数秒間を置いてから、口頭一番に本質を突く、独特な話し方が特徴であり、聞き手にしばしば威圧的な印象を与える。
源流党の議員らは、「相手に有無を言わせぬ説得力と威圧感を持った人物」と評している。
同じく源流党の若手議員や同期の議員達からは、「問題があると鶴の一声をあげて、あっという間に解決策を導き出す。この人に付いて行こうと思わせてくれる人」であると語っている。
ちなみに、日向本人によると高身長のために中学時代からバレーボール部やバスケットボール部からの勧誘が絶えなかったという。
また、その鋭い眼光のために先輩から「生意気である」としょっちゅう陰口を囁かれていたと語っている。

英語に堪能であることがよく知られているが、五ヶ国語を話すマルチリンガルであり、現在は日本語英語中国語ロシア語韓国語を操る。
そのため、外交の席でもほとんどの場で通訳をつけずに話している。またフランス語ドイツ語は現在習得中であるとインタビューで語っている。
歴史上の人物で尊敬するのは上杉謙信。また、外国の政治家で興味があるのはフランクリン・ルーズヴェルトシャルル・ド・ゴールであるという。

私生活

趣味は南大東島の住人に教わった海釣り。川釣りはしたことがないという。また、愛煙家でもある。
合気道系の武術「新体道」の有段者であり、武術家としても知られる。

「侍ルック」

女物の二尺袖の着物に、居合い袴と羽織を合わせたスタイルで知られ、マスコミからは「侍ルック」と形容された。

その他

かつてアメリカから帰国したばかりで、突然南大東島へ乗り込んだ自分を、温かく向かえ入れてくれた南大東島の住民に深い感謝の念を抱いている。
南大東島の住人らは日向を「しぐれちゃん」と呼び、日向は南大東島の住人らを「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。

2016年には、日向本人の主人公とし、その生い立ちから東日本大震災や福島第一原子力発電所事故、大東大隆起での活動、龍然封の成立までを描いたアニメドラマ「SHIGURE」がフジテレビ系列ノイタミナ枠にて製作・放送された。

ノーベル賞受賞後の影響

受賞に伴う騒動と余波

会社で電話により受賞の報が伝えられると、その後ホテルの待合室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。
当時日向は会社により振替休暇を与えられており、京都の実家から和装の私服で会見場に登場した。その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに戻った。
多くの講演やインタビューを受け、研究や技術者としてのあり方について自身の経験と持論を語った。

日向時雨とマスメディア

日向時雨の和装という外見、節度と威厳ある態度及び言動は、多くの日本人の共感を呼び、連日連夜、マスメディア関係者が日向を追いかけ、「現代の大和撫子」とまで持ち上げた。
まるで芸能人の様な扱いを受け、知的で凛とした美貌を持った日向の姿は、大衆から絶大な人気を集めた。
なお、NHKから、この年の紅白歌合戦に審査員として出演依頼されたが、愛想が無く、笑顔が不得手でTV向きではないとして、辞退している。

当時国内外ともに明るいニュースが無かったため、日向の功績は大々的に取り上げられ、皇室、財界、政界、学界、マスメディア、一般人など非常に広い世界で好意的に受け止められた。

国家防衛支援生体に関する議論

環境中にある素材から自己複製が可能な場合における、無限増殖の予防措置として、国家防衛支援生体では、カイコのように
人間の手による管理なしでは交尾、自己生殖ができないなど、遺伝子的に完全家畜化するという設計がなされている。
とはいえ、突然変異による無限増殖など、人間の想定を超えた影響を生態系に及ぼす可能性は依然として残る。
龍然では日本で施行されたカルタヘナ法を批准していないが、カルタヘナ法にならい、実証人工生体と国家防衛支援生体の全固体を龍然封軍事作戦群および龍然封政府の監視下においている。
また、人工生命を生体兵器として運用すること自体にも、倫理的でないとする根強い批判がある。

国家防衛支援生体の登場は、世界に衝撃を与えることとなった。
それまで防衛の中核であった戦闘機を凌ぐ性能を持ち、かつ安価に量産可能な生体兵器の配備は東アジアの戦略環境を一変させたばかりか、
戦闘機をはじめとする軍需産業界にも大きな影響を与え、配備地域である龍然周辺国からは懸念の声があがっている。
現在、龍然はこの生体兵器の詳細データを秘匿しているため、東アジアにおいて軍事的に非常に重要なカードを握っていると言われる。

龍然の政界に与えた影響

 ・その印象的な和装姿から、とある龍然源流党党員から自分も袴を着用したいとせがまれた折に、党のシンボルが入った紋付を党員に自費で買い与えた。
  それ以来、満頭会出席時には党のシンボルが入った紋付を着用することが党内で慣例となり、現在では無所属の議員らもこれにならって袴や小袖を着用するものもいる。

発言一覧

  • 「遅い」(2011年、東日本大震災の政府の対応について、被災地にて記者の問いに対して)
  • 「口だけなら、(政治家は)せめて口ぐらいは責任をもつべきだと思います」(2011年、菅直人元総理の新大東諸島用地活用案に対して新大東諸島自治区案を提示した記者会見で)
  • 「後は(菅直人に)サインをさせるだけ」(2011年、那覇協定締結を前に合意の有無を問う記者に対して)
  • 「私は封民に、頭上に爆弾が降ってくることは無いと約束することはできない。誰かそれができる人がいますか」(2012年、日本の福島瑞穂社民党党首の戦争誘発発言に対して)
  • 「確かに。あのときの民主党さんは隙だらけでしたからね。隙あり!って感じです。」(2012年、日本の民主党野田総理の龍然自治区ふいうち成立発言に対して)
  • 「国際法的に誰に対しての何が終わっていないのか、具体的にお聞きかせ願いたい」(2013年、従軍慰安婦問題は未解決ではないかという記者の問いに対して)
  • 「法廷で」(2013年、元慰安婦の金福童の発言に対しての記者会見で)
  • 「間合いに入ってきたので」(2014年、龍然封管轄海域内に侵入した中国漁船をなぜ拿捕したのかを日本の記者に問われて)
  • 「ただの日本語の羅列(日本国憲法をさして)」(2015年、護憲派の改正反対について) 
  • 「通行の邪魔です」(2015年、安保改正に反対するSHIELDsについて) 









                         名代院議員                         
選挙区 大東2区
当選回数 1回
在任期間 2013年6月25日 –