成立
「太守房主典行事」の名称は、かつての夜邇神社(現在の
夜雲太社 )の旧職階の名称に由来する。
なお、「太守房」とは夜邇神社の境内に置かれた
夜邇国 時代の
国府 であり、国郡司の事実上の
官邸 ・
公邸 を兼ねた同神社
境内 の付属施設を指す。
太守房を管理する「太守房行事」と、第四の神職階級である「主典」は、元来別々の職階であったが、兼務が通例化・常態化していったために、一つの神職階級となった経緯を持つ。
太守房主典行事の地位は、原理原則があって設立されたわけではなく、事実上の制度として形成され、その起源には不明確な面が多々存在する。
経緯
古来、
律令制 下の
日本 における
夜香 の領域は
夜邇国 に相当し、
夜邇国 の前嶋・夜雲二郡は夜邇国一宮夜邇神社(現在の
夜雲太社 )の
神郡 とされた。
国司 職(守・目)と
郡司 職(大領・主帳)は、夜邇神社宮司を務めた
夜雲氏 社家の高位の神職がこれを兼務し、島を実質的に統治していた。
しかしながら、
夜雲氏 社家の規模や行政の所掌範囲が拡大すると、徐々に神職と行政官職とが区別されて高位の神職は島の祭祀に専念するようになり、
代わって
主典 以下の神職や太守房行事といった事務職が国郡司職を兼ねるようになった。
安土桃山時代 の頃の夜邇神社の記録には「太守房主典行事」という言葉が見られ、この頃には主典・太守房行事の両役職が一つとなって
「神郡司職を兼任する事務職の最高位」を指す言葉として定着していたと考えられている。
日本 本土では
平安時代 以降、
地頭 や
守護 、
大名 などの武士階級が台頭し、諸国の国司職・郡司職は徐々に形骸化していくが、
夜香では武士の台頭や諸外国による外圧を受けることが無かったために、国郡司を担った太守房主典行事に権力が集中し、その権威を高めていった。
本土での争乱期が終わり
江戸時代 に入ると、主に
九州 の
薩摩藩 ら武家諸藩をはじめとする日本本土と
夜香 との交流が活発化した。
太守房主典行事は本土の諸藩に対して、既に武家官位へと変質していた国司・郡司職の官名を名乗ることを避けるようになり、
この頃から夜邇神社独自の「太主房主典行事」の役職名を対外的に称するようになった。
やがて
明治 期に入ると、
律令制 の廃止に伴い国郡司の地位は完全に消滅するが、
夜香氏 社家による島の自治が例外的に認められていた
夜香 では、
太主房主典行事が変わらず島を実行支配する状況が続き、戦前まで夜神領支配が継続した。
1945年 (
昭和 20年)、日本が
太平洋戦争 に敗北しアメリカ軍による軍政が開始されると、夜香は
米軍 監督下での村制へと移行し、
約1200年間にも渡って続いた
夜香氏 社家による神領支配が終了したことで、「太主房主典行事」の名は一旦歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
その名が再び歴史に姿を現すのは戦後
1986年 (
昭和 61年)の
日夜自由連合条約 締結と同時に施行された
夜香封憲 であり、
新憲法施行に伴う政府機関改革時に、新たな行政上の首長職名に「太主房主典行事」の名を用いることが決定された。
またこの際、首長職のみでなく他の行政職名にも神職階級の旧称が採用されている。
呼称
現在の夜祝における正式な肩書は「太守房主典行事 」 (たいしゅぼうしゅてんぎょうじ)。
英語での公式表記は「Governor-General of Territory of Yasuka )」。
略称
略称として、一般に「主典行事」がよく用いられるが、このほかにも、「行事」や「首相」といった略称、通称も用いられる。
選出
太守房主典行事 の選出は事実上の
首相公選制 であり、二度の直接選挙によって選出される。
まず、「党首選」と呼ばれる
党首公選制 による封民の直接選挙により、
六法会 に議席を有する各
政党 の
党首 が選出される。
その後、六法会議士選を行い、選挙で最も多くの議席を獲得した政党の党首が
天皇 によって任命される。
日本の首相は
国会 (下院:衆議院および上院:参議院)の指名に基づき
天皇 が任命するが、
夜香 では議会による首相指名の手続きのないままに
太守房主典行事 が
夜香封憲 の規定に基いて任命される。
職務代行者
太守房主典行事 の職務代行者は、
夜香封憲 の第三章 行政の項にて規定されており、
太守房主典行事 が
行閣 からあらかじめ指名する太守房主典行事代(たいしゅぼうしゅてんぎょうじだい)が代理を担うこととなっている。
権限
事実上の首相公選制を取っていることから、首相に相当する
太守房主典行事 は非常に大きな権限を有している。
太守房主典行事 と議会(
六法会 )との関係については
議院内閣制 下における首相の権限に類似しており、
行閣 (
内閣 に相当する)を通して議案を提出する権利や、議会(
六法会 )の解散権などを持つ。
ただし、日本の衆議院の解散権と異なり、六法会の解散は、六法会による
建設的不信任 決議が可決された場合のみに限られる。
加えて、
太守房主典行事 は議会(
六法会 )に対して強力な権力基盤を有しており、
太守房主典行事 は行政府の代議士(
元老 )を六法会議士より任命し、罷免する権利を持つ。
これは、かつて
イスラエル の首相公選制下において小党が乱立し、政権が不安定になった事例を受けて、
太守房主典行事 が議会に安定した支持基盤を持つことで、政権を安定させるために講じられた措置である。
特徴的な権限は以下のとおりである。
ただし、解散権の発動は六法会による
太主房主典行事 への建設的不信任決議可決の通知から10日以内のみに限る。
また、六法会の解散権は
太主房主典行事 の専権事項とされ、臨時代理は解散権を持たない。
元老ならびに封奉行、他太主房の各機関の長の指名・任免権
これらの指名・任免権は
太主房主典行事 の専権事項とされ、臨時代理は任免権を持たない。
太主房主典行事 および行閣閣僚の代理を指定すること
日本国が締結した協約の批准決議に対する拒否権(ただし六法会が3分の2以上の多数で再可決をすればその議決が確定する)
主典行事令の発布
封安 の指揮権
戒厳令・非常事態宣言の発令
封民投票の実施権
在任中の行閣閣僚に対する訴追に同意すること
行閣を代表して議案を六法会に提出すること
行閣を代表して一般封務および外交関係について、六法会に報告すること
太主房 を代表して行政各部を指揮監督すること
法律および政令への連署をすること(権限であると同時に義務でもある。いわゆる拒否権はない)
閣議を主宰すること
閣議において、行閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議すること
行閣を代表して行閣提出の法律案、予算その他の議案を六法会に提出し、一般封務および外交関係について六法会に報告すること
閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督すること(内閣法6条)。
主任の行閣閣僚の間における権限の疑義について、閣議にかけて、これを裁定すること
行政各部の処分または命令を中止せしめ、行閣の処置を待つこと
神祇連 祀職会議の議長として、これを招集すること
司法院 による行政処分等の停止に対して異議を申し述べること
告訴をすることができる者が明奉 、奉夫 、太奉太夫、奉太夫または奉嗣であるとき、これらの者に代わって告訴を行うこと
専決処分権限について
六法会を招集する時間的余裕がないと認められる場合など、独自の判断で主典行事令 を制定することができる。
ただし次の議会で承認を求めなければならない場合もある。
予算の調製・執行
議案の提案
決算を六法会の認定に付すること
財産の取得・管理・処分
公の施設の設置・管理・廃止
補助機関たる職員の指揮監督権
支庁・地方事務所、保健所・警察署その他の行政機関及びその他必要な内部組織に係る設置権限
組織に関する総合調整権
日常
太守房主典行事が居住し、執務を 行う太守房内の朱楼閣嶋見櫓 。
太守房主典行事が記者会見等を行う龍の間 。
太主房
太守房主典行事は、六法会議事堂
文殊第 にほど近い、官邸の
太守房 にて執務を行う。
勤務時間は特に規定されていない。
太守房主典行事 の1日の最初の仕事は「日例報告」を聞くことから始まる。
この報告では
太守房主典行事 の補佐官、報部以下情報収集役らによって、収集した情報の報告が行われる。
日常的な執務は「九畳の間」と呼ばれる(占有面積が9畳である事にちなむ)
太守房主典行事 の執務室で行われる。
定例の記者会見は定められていないが、通常は月に1度以上実施。
また必要に応じて
太守房主典行事 が動画で直接封民に語りかけることもある。
最終更新:2024年01月22日 14:17